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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

スタンフォードER体験

2012-07-28 | アメリカ

      


何の変哲もない風景ですが、よく見ると・・・・(写真右)
誰が、何のために、どうやって靴を両方電線にぶら下げたのか。
この結構高い(日本より電柱が高い)電線に・・・・・・・・・。

いじめ?

・・・なわきゃない、ここをどこだと思っているのだ。
全米でも平均的知能指数の最も高いと思われる市、スタンフォードであるぞ。

スタンフォードはご存じのように大学の名前ですが、大学の設備や関係者の住居だけで
一つの市になってしまっているのです。


このスタンフォード大学病院のERに先日突撃してきました。
息子がボストンであと一週間を残すところになったキャンプ後半、急に
「サイナス・インフェクションらしいって」
と車に乗り込むなり言うので、
「って、何?」

サイナスって?スヌーピーの登場人物で毛布をいつも持っている子供?
というボケは息子に通用しないので心の中で一人突っ込みながら、仔細に聞くと、
水泳の時間に深く潜ると頭が痛くなる、うつむくと頭が痛くなる、という症状をスクール・ナース
(保健室の先生)に訴えたところ、「Sinus Infectionかもしれない」と言われたとのこと。

帰ってインターネットで調べると「副鼻腔炎」。
日本語でもどんな病気なのかわからないし。
とにかく、疲れているときに発病しやすいということはわかった。
「寝る前のインターネット禁止」
「お風呂で潜るの禁止」
をさっそくいい渡し、ボストンからサンフランシスコまでの飛行機に乗ったときに痛みを感じないよう、
ドラッグストアで症状を訴えて市販薬を買い求めました。

旅行を手配してくれたカード会社に相談すると、やはりスタンフォード・ホスピタルがいいでしょう、
ということで行くことになったのですが、なぜか「初診の場合はERに行って欲しい」
と病院側に言われてしまい、危急の症状でもないのにERに行くことになったというわけ。

何年か前、息子がサンフランシスコで滑り台から落ちて左腕を骨折し、現地の病院
カイザー・プロミネンスのERに駆け込んだことはありますが、あのときは無我夢中だったし。

というわけで、息子のうーん、わりと日本の病院と似ているわ。
この、何とも言えない辛気臭いかんじが・・・・って、

 こ、これは・・・?
なぜ金属探知機がERの入り口に?
空港と全く同じシステムで、左に見えている人がカバンの中もみなチェックします。
「どうしてERに入るのに飛び道具検査があるんだろう・・・」
「テロ防止?もしかしたら911の後できたのかもね」

チェックをしてゲートをくぐるときにビジターのVの字が書かれたシールをもらい、服に貼り、
さらに中で着用するマスクをもらいます。
椅子に座ってマスクをしてから周りを見ると、誰ひとりとしてしている人は無し。
貼り紙には「咳をしている人はマスクして下さい」とあり、わたしは黙ってマスクを取りました。

そこで受付を済ませ待っていると、「どうぞこちらへ」と別室に連れて行かれました。
途中、通りかかった診察室に、テレビドラマ「アリー・マクビール」で
一瞬アリーが熱を上げた医師みたいなイケメン黒人の先生が、デスクに座っているのを発見。
うわー、なんだか本当にドラマ「ER」みたい。
「ねえねえ、あの黒人の先生、無茶苦茶かっこよくなかった?俳優みたい」
「ママ、あまりはしゃがないように」

「・・・はい」


ね?日本の病院そっくりでしょ?
息子は12歳なのですが、まだこの歳だと小児科の患者なのですね。
「ここでお待ちください」
と通されたのがこの部屋。
ERなのに、小児科専門のコーナーがあるとは。

昔、某KO病院のERに、息子が突然出先で目が腫れたときに連れて行ったら、
専門外の内科医(しかもなりたてっぽい女の子)が、「アレルギーですね」
いや、それくらいわたしらにもわかります。
だからこの腫れを何とかしてほしいと思って来たんですが、と途方に暮れたことがあったなあ。
まあ、たとえ彼女が小児科であったところで、それしか言いようもしようもなかったのでしょうが。

ここは24時間営業のERでもちゃんと専門医が何人も待機しているようです。



コンピュータが二台(子供向きのTVゲームが入っている)、テレビが一つ。
わたしたちより先に待っていた親子に、先生が来て何か聞いてます。
取りあえず患者はここで担当医師が空くまで順番を待ちます。



息子はこのようなIDバンドを腕に巻きました。
名前の下のA.K.AはAs Known As、つまり「日頃どう呼ばれているか」を書く欄。
アメリカ人は本名でそのまま呼ばれている人の方が少ないみたいですからね。



隣の部屋に寝かされていた5つくらいのヒスパニック系の女の子。
歩けないのかこの大きなベッドごと移動させられていました。
ヒスパニックの女の子って、赤ちゃんのときからピアスをしている子が多いのですが、
彼女も小さな耳にちゃんとピアスが・・・。



フィリピン系かな?
小さい赤ちゃんの場合はIDバンドは足に付けるようです。
ここに置いてあるおもちゃに喜んでいます。



イスラム・インド系。向こうにいるのがコケイジャンなので、まさにここは今人種のるつぼ?
この男の子は、本人の説明によると、ダイブしたとき飛び板かプールの端で顎を擦りむいた模様。
ERに来るくらいですから、結構酷い怪我でした。
おばあちゃんとお母さんが付きそってきていました。



この男の子は左手をどうやら骨折したようです。
痛みは無いようで、彼はあちこちのおもちゃに興味深々であちこちに歩きまわって元気そうでしたが、
お母さんは気ぜわしげな様子であちらこちらにメールをしたりして、大変です。

わかるなあ、これ。
息子が骨折したときも、ちょうど目を離した瞬間だったので、母親のわたしとしては、
「どうしてちゃんと見ていなかったんだろう」と自分を責め続けたものです。
母親って、そういうものなんですよね。

 

ERにしては無茶苦茶広いと思うのですが、今後さらに拡張する予定があるようです。
実のところ天下のスタンフォードの病院にしては古いんだなあ、と思ったのですが、
どうやら今、スタンフォード病院全体が建て替えにかかっていて、完成は2018年とのこと。

ここで待っていた時間はおよそ一時間くらいでしょうか。
子供が退屈しないように、誰かがテレビを付けていきました。



やんちゃな犬兄弟の冒険物語。(多分)
これを眺めていると、やっとナース、といっても刺青が半袖から見えているおっさんですが、
この、肉体労働者風の看護夫が、呼びに来ました。



通されたのがこの部屋。
息子はこのベッドに座って、わたしは横の椅子に座ってさらにここで待つこと小一時間。

 

ヒマなので写真を撮ってみました。
椅子に座っているのがナースです。
この時、かれは仕事は無かったらしく、iphoneを見ていました。
彼も、小児科のメンバーなんですよね・・・。
男の子には「よう兄弟、何があったんだい」みたいなノリで声をかけていました。
いろんな意味で日本では決して見られないタイプの医療関係者です。

さて、待っている間、息子はこのようなものを持たされて、質問に答えさせられていました。



「お酒やたばこを摂取しますか」という質問があった模様。
小児科なのに・・・・・。
それにしても、子供にipadで問診票を記入させるとは、アメリカの病院、進んでいます。
皆がこういうツールを、持っていないまでも触ることができるという大前提ですよね、これって。



病院内ではふんだんにipadが活用されているようですが、さらにipad3を導入予定のお報せ。
さすがはスタンフォード、そういえばスティーブ・ジョブズはスタンフォードでしたね。
出身校のよしみでアップルの売り上げに全面的に協力しているというわけかしら。


さて、この辺でドクター登場。
若いころのトム・ハンクスとマシュー・モディーンを足して3で割った感じの爽やか系青年。
部屋に来るなり握手を求めてきました。

「ボストンのキャンプで・・・」
「ボストン?僕はボストンから来たんだよ」

うーん、カイザー・プロミネンス・ホスピタルのERとは随分雰囲気が違うなあ。

日本と違って、症状やいつから、など全てを母親ではなく息子本人に聞いていきます。

「痛みはシャープ(鋭い)?それともダル(鈍い)?」
「傷むのは具体的にどこ?」
「プールに潜ったときとかに、頭を打ったりしなかった?」

よくもまあこれだけきっちりと箇条書きにしたように質問できるものだと感心するほど、
よどみなく聞いていき、その間彼はずっと足を60センチくらい開いて立ったまま。
日本もそうかもしれないけど、救急救命医は体力が命ですよね。つくづく。

よどみなくではありましたが、ものすごく時間もかけて問診が続きました。
診察まで何時間も待つ点は日本と一緒ですが、かける時間は雲泥の差、ってくらい違います。
ひととおり質問が終わって、今度は頭を触ったり、押したりして、

「ここは?」
「こうすると痛い?」
「今どんな感じ?」

膝外腱反射のチェックや、何の意味があるのか、かがみこんで足首を握ったり。
たっぷり時間をかけてのち、
「じゃあ、今からわたしはドクター・カーシーとこのことをディスカッションしてきます」
そういって出て言ったかと思うと、五分くらい経ってから
もう二つ三つ質問をしに帰ってきて、また行って、もう一度帰ってきて、とこんな感じ。

ドクターカーシーとやらを、勝手に白人で初老の男性と決めてかかっていたのですが、
「それではドクターカーシーを呼んできます」
彼がそう言って、代わりに入って来たのは、なんとインド系の若い女性。
教授ではなく、オーベンみたいな立場かもしれません。

息子の座っているベッドに座り、ボールペンで話をしながらシーツに意味不明の線を書きつつ、
「フン・・・・」
という感じで自分に納得させるように言うのが癖の先生でした。
両耳に小さな声でハミングして「聴こえる?」というチェックをしたのですが、
後で息子が言うには
「二人とも同じ歌をハミングしていた」

この医局で流行っている歌があるのかしら。
それともこういうときはこの歌を歌うと決まっているとか?

二人とも、ここでしたことは徹底的に症状の訴えを聴くこと。
診断めいたことは一切せず、全てカルテに残し、「本番」の小児科に回すつもりのようです。

アメリカでは医事と薬事が別に機能しているのか、日本のように「痛みどめ出しましょう」
などと簡単に薬を出してくれないと聞いたことがあります。
インフルエンザで行ったとしても、薬も注射もしないので、日本人には物足りない、
という話だったのですが、ここはERなのでさらに「副鼻腔炎かもしれない」とも言いません。

二人の問診が終わり、そのまま病室にいると、
(ここでは外来でも診察室に入るのではなく、医者やナース、
支払いと保険についての質問をする事務員、全て向こうの方から部屋に来る)
肉体派?のナースが来て「診察は終わったけどもう少しかかるから」
と、へやにあったテレビの操作法を教えて出て行きました。
ここのテレビにセットされているのは、全て子供向けの映画など。



そして、20分くらい待っていると、ナースが書類を作って持ってきました。
疑われる病気についての知識について、どんな治療が今後行われるか、次の予約の取り方など。
実にシステマティックで分かりやすい医療だと感心しました。
おまけに、次の予約は病院の方から電話がかかってきて、日にちが決まると今度はeメールに
小児科への行き方はもちろん、今工事中なので時間に余裕を見て、とか、少し早めに来てとか、
懇切丁寧に知りたいことが書いてあります。

今回の治療は旅行傷害保険でカバーされるので、結局こういった医療費がいくらになるのか、
わからないまま終わってしまいそうなのですが、話に聞くと、アメリカの医療は非常に高額。

息子が骨折したとき、取りあえず予約なしで(今回は会社が書類を送ってくれていた)
ERに飛びこんだのですが、息子が激痛に泣き続けるのもお構いなしで、
受付は延々と支払いについて質問を繰り返し、コンピュータをいつまでも操作し、
「自費で払ってわたし自身が保険会社に請求します」
と言っているのに、何が問題なのか全く治療に入ってくれないので困り果てたものです。

全く何のためのERだ、と言いたい気分でしたが、
つまりお金の払えない者は、例え死にかけていても絶対に治療はしない、
というアメリカの病院として当然の対応であったわけです。



さて、最初に待った部屋に行く前、一般成人患者の診察室の並ぶ廊下を通り抜けたのですが、
まるでテレビドラマ「ER」のような光景を目撃していしまいました。

ベッドに半身を起して、傍らの男性と抱き合って泣く女性。
どちらもどうやら東洋系のカップルでした。

「あれ、なんだったんだろうね」
待っている時間、暇なので息子にふと呟くと、

「多分ベビーが女の人のお腹の中で死んだんだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

いや、わたしもそうではないかとちらっと思っていましたけどね。
12歳の男子がこういう答えを即答するというのも、少し驚きです。

どこでこういう知識を仕入れてくるんだろうなあ。








ロス・アルトス到着

2012-07-24 | アメリカ

今アメリカで世間を騒がせている乱射事件を報じる新聞を空港の売店で発見。
これは、ご存知かもしれませんが、容疑者が「バットマン・ダークナイト」が公開されている映画館で
銃を乱射し、今のところ14人もが亡くなったという事件です。

 

容疑者の若いころの写真などもテレビでは報道されていました。
対談番組ではまたもや「銃所持に対する法規制の見直し」について議論されたりしています。
それにしても、冒頭写真の「ダーケスト・ナイト」は、映画の題「ダークナイト」の最上級。
誰が上手い言えと、という感じの見出しですが、この件でワーナーブラザーズは宣伝自粛、
プレミアの中止など、神経質な対応を迫られているようです。

銃の持てない日本では対岸の火事ですから、
もしかしたらこれが集客に結びついたりするのかもしれませんが・・・・。


さて、というわけで、一日更新をお休みしている間に、ボストンを後にしました。
ここで東から西海岸に移動です。
ここでサンフランシスコに移るのが恒例であったのですが、今年は予定が変わりました。
息子のサマーキャンプにいつも選んでいたサンフランシスコのコンピュータキャンプが、
不況の所為か今年は大幅にクラスを減らしてしまい、日にちが上手く取れなかったのです。

そこで、スタンフォード大学でやっているITキャンプに行かせることにしました。
スタンフォードはサンフランシスコ空港から南に30分ほど行った「ロスアルトス」という街にあります。

 

一カ月のボストン生活に別れを告げ、ローガン空港に。
ユナイテッドの国内線ビルディングが、改装されていました。
右写真は、ボストン名物、クラムチャウダーで有名な「リーガルシーフード」空港店。
住んでいたフラミンガム市にもあり、時々行くのですが、今年は行きませんでした。
インチキズシを食べるくらいなら、日本人にはこちらの方がずっと受け入れられる味です。



空港の書店で発見したなごみネタ。
このネコがわっかにした段ボールにスライドしている映像は、ここアメリカでも有名で、
「最もおかしなファミリービデオ」という人気番組でもしょっちゅう放映されています。
このネコ、「まる」というそうですが、「まるです」という日本の本が英訳されて、
平積みで大々的に売られていました。
今最も有名な日本の猫かもしれません。
翻訳本の各章には、日本語のタイトルがそのまま残されていました。


 

このビルは、改装後ジェットブルーと共用しているようです。
ジェットブルーは、ケープコッドやナンタケットなどのリゾート地に路線を持っているので、
この日週末の朝は、ビーチ行きの恰好をした人々で一杯でした。
海外に行かずとも週末にビーチリゾートが楽しめる、アメリカ人には当たり前のことなのです。


このビルの改装は控えめで、どうやらそんなにお金もかけていないようでしたが、
ちょっとした工夫(ガラスにカラーテープを貼って、床に映る影を楽しむ)が見られます。

ところで、セキュリティに並ぶとき、係員のおじさんに「こっちでいいの?」と聞くと、「いいですよ」
息子が後ろでIDチェックをしていたため、わたしがそれを待っていると、

「Are you waiting for your BROTHER?」(太字強調)

おっちゃん・・・・・いくらガイジンの歳はわかりにくいっていっても。
しかし「孫を待っているのですか?」と言われるより気分のいいのはなぜ。
「弟を待ってるの?ってきかれちゃったよ~」と息子に言うと

「それは・・・・無いわ・・・」




サンフランシスコ行きは満席でした。
例年のようにチェロを持って移動しなくても良くなったので、国内線はエコノミーです。
国内線は日本と同じくファーストクラスとエコノミーで、この機のファーストは前方にわずか8席。
前の方は若干席の間のピッチが広いという「ちょっとアッパーなエコノミー」で、
今回我々が乗った後ろの方は、奥の人がトイレに行こうと思ったら、通路側は一旦立たないと
特に太ったアメリカ人は外に出られない、という位狭い席でした。
6時間のフライトですので、飲み物サービスは二回きますが、スナック類は全て有料。
後ろのトイレに並ぶ列がいつも横に立っている、というのも落ち着かない気分でしたが、
ともあれ無事にサンフランシスコに到着。
12時に離陸し、現地時間は二時間巻き戻って、4時です。



この日空港につくなり、サンフランシスコにしては暑くて驚きました。
ここでこんな暑さなら、南に下るとどうなるのか・・・。
この空港の便利な点は、空港ビルとレンタカーの集まったビルがモノレールで連結されていて、
他の空港のように大量の荷物を抱えて空港バスに乗る手間が要らないことです。

今まで不満であった点というと、荷物を運ぶためのカートが有料で、
一台につき機械に3ドル入れないとカートを取ることができない、ということでしたが、
おそらく市民の苦情により解消されたのでしょうか、無料になっていました。
写真は、誰もいないモノレール車両内、猿のようにバーでぐるぐる回って遊ぶ息子。



レンタカービル駅に到着すると、目の前にカウンターが並んでいます。
わたしはここ何年か「ハーツ・ナンバーワンゴールドクラブ」のお世話になっています。
前もって情報やカードを登録しておくと、事前のインターネット予約さえしておけば、
後は予約時間に車置き場に行って、このような掲示板をチェック。
自分の名前が無いことも、そこはアメリカですから時々あるとはいえ、カウンターに並ぶことなく、
黙って車に乗っていけばいいのですから、嬉しいシステムです。

この日も、予約通りにロットにはプリウスが停まっていました。
荷物を積み込んで、さあ、出発というときになって、はて。

カーナビが無い。

予約のときにGPSを付けるという選択が出て来なかったので標準装備だと思っていたんですが。
いつものサンフランシスコなら、目をつぶっていてもどこに何があるかは熟知しているので、
GPSなど全く必要ではありませんが、今回は何から何まで初めての場所。

おまけに、息子はボストンでのキャンプ後半で「サイナス・インフェクション」(副鼻腔炎)にかかって、
週明けにスタンフォード内のクリニックに行くことになっていたり、楽器屋に行ったり、
予定が満載ですから、何かと土地勘のないところでGPS無しでは大変です。

しょうがないので車を交換してもらうことにしました。

「車をスイッチ(交換)していただきたいのですが。
同じクラス、同じカテゴリの車で、条件は一緒、GPSだけが必要です」

海外旅行で役に立つかもしれないので解説しておくと、借りた車が気にいらなければ、
アメリカでは簡単に交換(チェンジではなく、スイッチと言ってね)ができます。
昔、週末でKIAを押し付けられたことがあり、30分走ってガソリンの4分の一が瞬時にして
無くなってしまったとき、あまりの不快さに交換に行ったことがありますからよく知っているのですが。

何年か前にロットにソナタが停まっていたときも交換しました。
「アップグレードなんですが・・・」と係員が言うので、
「ソナタは燃費が悪すぎるので(ほかにもいろいろ理由はあるけど)一カ月も乗るのには困ります」
というと、カローラに替えてくれました。
ヒュンダイ、キーア車は、投げ売りのように安く売られているので、ここではほぼレンタカー専門。
しかし、人気は「プリウス」「アルティマ(ティアナ)」など日本車で、すぐに品切れになってしまうのです。

さて、ナンバーワン・ゴールドクラブのデスクに話を戻して。

ぱこぱことキーボードを叩きながら、係の女性、
「GPS付きのプリウスは、ありませんねえ・・・・同じクラスのも・・・。
お客様、提案なのですが、GPS付きのメルセデスはいかがですか?
「メルセデス?」
「一日たった12ドルのプラスチャージであなたは
メルセデスに乗ることができるのです

「いや・・・しかし、わたしは一カ月も借りなければならないので、それはオーバーコストだわ」
「でも、もし、今GPS付きの車があったとしても、それを借りようと思えば、
お客様は一日につき13ドルの追加料金を払わなくてはいけないのですよ。
それならば、12ドルであなたはメルセデスに乗った方がいいです。
よっぽどこちらの方がリーズナブルではありませんか」

(・・・っていうか)「え、一日ネバーロスト(ここでのカーナビの商品名)を借りるのに13ドル?」
「そうです」
「高くないですか?」

去年ここで借りたアルティマにはネバーロストが付いていたけど、あれはたまたまだったのか。
「ここでは標準装備じゃないんですね」
「そうです」
(背に腹は代えられない・・)「・・・・じゃメルセデスにします」



このメルセデス(アメリカではベンツという呼称は一般的ではない)は目立つところに停まっていて、
最初「レンタカーでベンツ借りる人もいるんだね」などと言いながらここを通り過ぎたのですが、
まさかその10分後に自分自身がこの車をかりるはめになるとは。
神ならぬ身のエリス中尉にはそのときには知るべくもなかったのでした。

でも、今この写真を見て気が付いてしまったのですが、
「ミッドサイズ、あるいはその上のクラスの車を予約された方、この車に替えませんか?
追加料金なしでお乗りいただけますよ」という宣伝文句が書いてありますね。

目立つところにおいてあったのは、めったに予約では出ない高級車を遊ばせずに、
その分よく売れる車種の予約を増やそうというハーツの戦略だったのです。

つまりわたしはGPSにかこつけて「キャンペーン」を推奨する優秀な社員の戦略にかかったのか?
本当にGPS付きの車は一台ものこっていなかったのか?
そういった疑念が今になって浮かんでくる気もしないでもないのですが。

まあいいや、今の車を買う前にコンプレッサ(おもちゃみたい)スポーツタイプ(後ろが狭い)
とヤナセで試乗して、一生メルセデスには縁がない、と見きったつもりだけど、
車の運転大好きのわたしとしては、メルセデスを運転する願ってもないチャンス。

はりきって空港ビルを出ました。
アメリカのレンタカーシステムは簡単で、指定されたところに行けは、鍵が付いた車がおいてあり、
空港のゲートを通るとき契約の書類と国際免許を見せれば、係員が通してくれます。

出るとき、中国系のおじさん係員が「どこまで行くの?サンフランシスコ?」
と聞くので「ロスアルトス」というと、
「ここを出たらライト、レフト、レフトでフリーウェイだよ」
と瞬時に言ったので感心しました。
言っちゃなんだが、こういう気のきく対応をしてくれるのは、常に東洋系なんですよね。
それ以外は愛相はいいけど、それだけ、って感じの人が多いので。
おじさん、「サヨナーラ」と挨拶してくれました。



メルセデスで国道を南下。
ボストンとは違い、このあたりはフリーウェイに料金がいらない(文字通りフリー)なので、
この車にもアメリカのETCに相当するEZパスの器械は付けられていません。

室内がやたらせまいのさえ我慢すれば、適度な重みのあるステアリング、高速で100キロ出すと
とたんに地を這うような安定感があって、非常に信頼感のある走りが楽しめました。
(わたしは徳大寺か)
腐ってもベンツ、やっぱりいいなあと快適なドライビングを楽しみながら30分でホテルに到着。

チェックインしたら、フロント係が、
「お客様、提案があるのですが」

・・・・提案、またキタ―!(AA省略)

「お客様は今、30ナイト予約して居られますが、もしもう一日予約すると、割引対象になり、
560ドルの節約になります」
こういう提案なら大歓迎。
「おお、それは素晴らしい提案ですね」
「最後の日、お客様がもし一日早くチェックアウトされても、ステイタスは勿論残りますから、
我々は部屋をキープしておきます」

というわけで、ハーツの係員の提案で360ドルを余計に払うことになった直後、
ホテルの気の効くフロント係がそれを上回る節約プランを提案してくれたというわけ。

「メルセデス代、でちゃったね」
なかなか幸先のいい出だしとなりました。

ところで、ここは無茶苦茶暑いです。
日本の暑さより「じりじり」と焼かれている感じは強烈。
ハワイの昼間の暑さ、という感じで、ホテルのプールはいつも人がいます。
リーズナブルなホテルでありながら、プールはありテニスコートはありで、ちょっとしたリゾート気分。




部屋からの眺めです。
しかし、夜になったとたん風が冷たくなり、寒ささえ感じたのには驚きました。
ですから夜はクーラーなしで安眠でき、嬉しい限りです。
また西海岸情報などを折りにふれお届けしたいと思います。





州立公園の鵞鳥艦隊

2012-07-20 | アメリカ

ボストンに来ると、必ず訪ねる場所があります。
住居にしている地区から車で10分ほど走ったところにあるナショナル・パークです。
ホプキントンというこの公園については、二年前の夏にもウォーキングをする場所として紹介しましたが、
今日は、ウォーキングのコースの写真をたんたんと貼りながら、ここをご紹介します。



Dogwood drive と名前のついた小道を走っていくと、いつも車を停めるスペースがあります。
ここに停めておくと一周して帰って来たときも日影のままで、めったに他の車も停まっていません。
というか、朝9時にはあまり人影もなく、ときには誰にも会わないこともあります。



湖を左手に見ながら歩いていきます。
広大な公園にはこのようなピクニックエリアがあり、必ずバーベキューコンロが近くにあります。
指定場所以外の遊泳は禁止です。



浮きで囲まれた部分だけが泳いでもいい場所。
このビーチは犬を連れて立ち寄ることもできないことになっています。
砂に筋目が付いていますが、砂ならしのためのトラックが毎朝やってきています。

この見張り台に荷物を置いて、毎朝泳いでいるおじさんがいます。
「ミスター・ブラウン」と勝手に呼んでいます。
ミスター・ブラウンは、どうやら医師の奨めで膝に負担のかからない水泳を日課にしている模様。
今日は「俺は決められた場所だけを泳ぐ男じゃない!」
とばかりに、
浮き輪の柵の外を泳ぎまくっていましたが、危なくないのかなあ。
というか、気持ち悪くないのかなあ。

この湖、結構いろんな生物がいるみたいなんですよね。

 こんなのとか。

先日、珍しくこの時間にミスター・ブラウン以外に人影あり。
女性がデッキチェアで本を読んでいたのですが、いつも平泳ぎのミスターブラウン、
なぜかこのときはずっとクロールで頑張っていました。
ギャラリーがいると、なんかそういう風になっちゃう人なんですね。

ビーチを左に観ながら通り過ぎると、森を切り開いた公園内の道に入っていきます。



この日はこのあと雨が降ってきました。



確かこの日は人に一人も会わなかったと記憶します。
前方を大きな犬が横切った、と思ったら、鹿だったので驚きました。

  

一応夜間は車が入れないようにゲートを閉め、パトロールの車も回りますが、
木立に潜んで一人で歩いている人間を襲うつもりなら、いくらでもできそうです。
道から外れると、深い森になっていますが、そこは「トレイル」という散策道が通っています。
このあたりは豪雪地帯なので、冬はソリやクロスカントリー?も楽しめる模様。

 こんな感じで、緑のトンネルを抜けて行くようになっています。

 夫婦でウォーキングする人たち。

アメリカ人のデヴ混在率は世界一で、見回せば必ず周りに一人100キロ以上の体重の人が
いる、
というくらいなのですが、こういうところで朝から歩こうというひとに決してデヴはいません。
おそらく、知的レベルも高い層であると思われます。

この杖をついて歩いている老人も常連。

いかにも学者の雰囲気を漂わせており、勝手に「ドクター・ゴールドシュタイン」
と呼んでいますが、プロファイリングによると、ドクター・ゴールドシュタインは、
ハーバード大学の生理学の名誉教授で、かかりつけの医師に勧められて毎日歩いています。



この公園は1870年ごろ開発されたそうで、すでに140年の歴史があります。
このプレートは、公園のパトロンであった人物が亡くなったときに作られたと思われるもの。
アメリカ人は、こういう公園や公共の場所に、故人の名前を刻むために寄付をしたりします。
子供を亡くした親が、我が子が遊んでいた公園に遊具を寄付して、そのかわりそこに
名前を入れてもらうのです。

東海岸を見降ろす高台のベンチに
「2001年9月11日、ワールドトレードセンターで亡くなった誰それを偲んで」
と刻まれているのを見て、思わずはっとしてしまったこともあります。



いたるところに消火栓があります。
アメリカの消火栓はすべてこの形と色。
たまに黄色いものも見ます。
緑の中にアクセントのような赤い色が何とも美しい。

 

この建物は着替えなどをするところで、この向こうは左写真のビーチがあります。
この日は地元の幼稚園が集団で遊びに来ていて、ここにしては大混雑でした。


   

ビーチの反対側はこのようなピクニックテーブルのおかれた地帯があります。
木々の間を潜り抜けると、土手の上に出ます。

 この土手の上を歩くのが大好きです。

写真ではここにいるときの空気の匂い、始終どこから度もなく聞こえてくる鳥の声、
風の渡る湖面の漣、何も伝えることはできません。

わたしはここに身を置いている一瞬一瞬、
からだ全体に満ちてくる絶対的な幸福感を繋ぎとめるように味わいます。
わたしがこの世を去ったあとも、きっと魂はここを訪ねてくるだろうと思うほど、心が安らぎます。

ここにいる一カ月に体とこころに満たされたものを、残りの11カ月でアクアラングの酸素のように
使い果たしたころ、またそれを取り入れるために帰ってくる、そういう感じ。

この「自然を楽しむ場所」が、どんなコマーシャリズムに蹂躙されることもなく、100年以上
守り続けられているというのは、国土の広いアメリカならではですが、
羨ましいことに、このレベルの公園は、郊外であればわりとどこにでもあるんですよね。



いつも犬三匹連れて散歩している、ミスター・陳。
土手から湖にボールを投げ、犬をしょっちゅう泳がせています。
三匹のうち、一匹はいつも嫌がって入ろうとしませんが、みなお利口な犬たちで、
ミスター陳が「ステイ」というと、三匹とも置物のようにいつまでもじっとしています。



こうして見ると、犬って飼い主に似るなあ、と思いませんか。
このミセス・オグラディ(ファーストネームはドリス)は、いつも携帯をいじっています。
犬はその間ヒマなので、草の上をごろごろ転がって遊んでいます。

皆、今年毎日のように見る常連なのですが、
この何年か毎年訪れていて、その年の常連に次の年にもお目にかかるということは
今まで一度もありません。

去年、毎日すれ違って、向こうから挨拶してきたミスター・キムは、何日目かに
「どうしてあなたは私が歩いている同じ所に現われるのか?」と聞いてきた、
はっきりいって自意識過剰のすごくヘンな人でしたが、今年は本人が現われません。
(かなりほっとしました)

平日は前述のようにガラガラですし、常連もすぐにいなくなってしまう。
わたしは「一カ月しかいない」と思って一生懸命毎日楽しみますが、
いつでも来ることができるアメリカ人にとってはありがたみがあまりないのかもしれません。

ところで今日、土手をあるいていると、聴きながら歩いていたサングラス型のイヤフォンから
突然ipodの「軍艦行進曲」が始まりました。

周りの光景とこの曲のミスマッチに、曲を変えようとしてふと湖面を見ると・・・



見よ堂々の艦隊。
軍艦行進曲に乗ってこちらにまっすぐ向かってくるガチョウ聯合艦隊を認む。
一艦隊と二艦隊で、そのまま土手に入港すると、そのまま上陸してきました。

 

鳥好きのエリス中尉が彼らの群れに近付いて、写真を撮りだしたそのとき。
あちらこちらから、鋭い視線と共に、「シュー」「シュー」というガス漏れのような音が聞こえてきました。

 

音源はこの方たち。
なんと、立ち止まってこちらを伺っている外敵をガチョウが威嚇する声だったのですね。
猫も威嚇のときは「シャー」と言いますが、まさに同じです。
鳥類が威嚇する様子を初めて見たので、大喜びで?写真を撮りまくっていたら、



ついには首を振り、荒ぶるカンチョウ、いやガチョウ。
そういや中国語の「殺」って「シャー」って読むんですよね。



しかし、威嚇しているのは、群れの両端を守る「艦長と副長」だけでした。
残りの皆さん(雛含む)は全く危機感なくお食事を継続。
ガチョウにも指揮形態があり、群れを護るつわものがちゃんといるわけですね。
ガチョウですらこうやって仲間を守ろうとするのに(以下略)。



別の日、湖岸でカモメに接敵するガチョウ艦隊発見。



ちゃんと艦長らしきガチョウが「シャー」攻撃していますね。
せっかく広い湖なんだから、一ところで喧嘩してないで、もっと散らばればいいのに・・・。


 掲示板のお報せ。

グレイハウンドが逃げました~。
犬のシルエットの下には
「絶対に追いかけないでね。ただ連絡だけお願いします」
と書いてあります。

今頃彼はすっかり野性の血が覚醒して、森の中で狩りをして食いつないでいるのだろうか。
飼い主が心配するほどこのグレイハウンドは困っていないという気もしますが、どうでしょうか。








アメリカ・スシ事情

2012-07-18 | アメリカ

「クリック」
という映画で、日本人ビジネスマンと商談に入る主人公に、上司が、
「彼らを待たせるな。生の魚を料理する時間も待てない連中だぞ」と言うシーンがありました。

昔、留学でアメリカに住んでいたとき、インド人のクラスメート夫妻を、
「日本人認定ジャパニーズレストラン」に招待したことがあります。
スシには喜んでいた二人ですが、TOが注文したサシミには、出てくるなりとたんに
「いや、もうお腹がいっぱいで・・・・」
インドという風土にはありえない料理ですから、スシはともかく刺身は、
おそらくインド人にとってハードルが高過ぎたのだと、その表情から理解しました。

とはいえ、ここアメリカではスシは普通に人気のエキゾチック料理。
ニューベリーストリートの角のお洒落なイタリアンレストランが、今年行ったらスシになっていて、
ランチ時、外のテラステーブルでアメリカ人が箸を使って寿司を食べてる様子はシュールでした。


今日は、アメリカで大人気、現在のスシ事情をネタにお送りします。(文字通り)

全米展開のオーガニックスーパー、「ホールフーズ」にはどの店にもスシ・コーナーがあります。
新しくオープンすると、当初こそ本物の日本人がいるのですが、いつのまにか
「見かけは東洋人だが日本人でない人」に交替しています。
はっきり言ってここのスシは、カリフォルニアロール(ノリが中に巻いてあって、具がツナとアボカド)
くらいしか食べる気もしないのですが、鮭とマグロを刺身にしてくれるので利用していました。

でも、高いんですよね。
食べ物の全般的に安いアメリカで、ここは小さなトレイに数切れのマグロが10ドル以上するのです。
といって、魚売り場に置いてあるのは生臭くて、とてもサシミなどで食べられません。
仕方なくこれを買っていたのですが、去年から、多分エコロジーへの配慮とか言う理由で、
サシミのトレイの受け皿が紙成型に(蓋は透明プラスチック)なってしまいました。
バランも敷かずに魚身を直接紙の上に乗せてしまっているわけ。
どうなるかわかりますよね?

エコかなんか知らんが、日本人ならこんな売り方は、まずしません。
何度も、底にくっついた貴重な魚身を、受け皿ごと捨てなければいけなくなって、
業を煮やしたわたくしは、ついに「お客様の声」というボックスに、次のような手紙を投入しました。

「毎年夏、日本からここにやってきて一カ月滞在する者です。
お宅のスシコーナーでは、一年前から紙のトレイをサシミに使うようになりましたが、
日本人に言わせると、これは全くありえないことです。
紙のトレイは魚の水分を吸収し、その結果、魚身がトレイにくっついてしまうからです。
受け皿もプラスティックに戻すか、魚身の下に、
プラスティックシートを敷いた方がいいと思います


しかし、この夏中の改善はありえないとしてサシミを諦めかけていたら、
このスーパーの冷凍庫にこんなものを見つけました。

 

ウオリキというニュージャージーの会社が出している「新鮮より新鮮」な「スシクォリティの魚」。
名前は日本風だけど、ニュージャージーというあたりがアヤシイ。
なぜなら、日本のブランドを利用して日本の会社の名前を名乗り商売している多くは
ここアメリカでは、日本人ではなく、コリアンであるという話があるからです。
(ニュージャージーはコリアン系の移民が多い)




これが中身です。
量的にはたっぷりですがこれが14ドル。
紙パックにほとんど身を取られてしまうサシミの値段を考えるとこんなものかもしれません。

魚が高いせいか、勢いスシも「高級料理」にカテゴライズされることが多いらしく、
ニューヨークの超高級スシレストランのイメージから、スシバー=オシャレということになっていて、
映画でもよく「スシバーでデート」というシーンを見ますね。
(ex.キャットウーマン、モンスターズ・インク)


ところで、日本では高級なすし店とはまったく対極の位置にあると思われる回転ずし。
「高級回転ずし」
という店の看板を見たことがありますが、これは「善良な悪人」「裕福な貧乏人」みたいなもので、
「回してる時点で高級じゃないし」と日本人であれば誰しも思うでしょう。

ところが、この「回転ズシ」、フランスや、ここアメリカでも、
結構「クール」なものとして認識されているようです。

今住んでいるところの地域に、唯一「ノードストローム」(超高級デパート)があり、
「ニーマン・マーカス」(高級デパート)があり、モールのアーケードにはアップルストアがある、
という、このあたりでは最もアッパーなショッピングモールがあります。
ルイ・ヴィトン、フェラガモ、ボッテガ・ヴェネタ、オメガにバーバリーという高級品が並び、
地元の富裕層の奥様などがショートパンツにビーチサンダルで訪れます。
(アメリカ人って、どこでブランド物を着たり持ったりしているのでしょうか)

去年の夏、このモールの、アップルストアの前のスペースが工事中で
「カミング・スーン!ジャパニーズレストラン、『ワサビ』!」とお報せがしてあり、
できたら行くのを楽しみにしていたのですが、オープン前に移動になってしまいました。
昨日、アップルに行ったついでに、息子とさっそくチャレンジ(本当にそんな感じ)してきました。



この、全く日本人の関与していなさそうな店の佇まいをご覧ください。
冒頭の写真が「スシ流し機」ですが、日本のベルト式とは違いますね。
さて、どんなスシが流れてくるのか。ドキドキです~!(←嘘)

冒頭の「ツナ・ニギリ」は、マグロ好きの息子がさっそく取り、わたしも一つ頂きましたが、
ん・・・・?これは・・・・・・もしかして、

すし飯に酢を使っていないのではないだろうか。


どんな場末の回転寿司でも一応酢の味くらいはするのが、
腐っても(腐らないように入れるんですがね)日本人の作るすし。
そして、いくら不味いすしでも、日本人のスシなら、すし飯が多すぎで崩れてしまうってこともない。

アメリカでインチキジャパニーズレストランにいくと「だしの味がしない味噌汁」を出されるので、
とたんにオーナーがコリアンかチャイニーズであることが我々にはわかりますが、
「さっと昆布を通しただけ」でも変わる出汁の味が、どうやら連中にはわからないらしい。
このスシも、もしかしたら酢くらいはわずかに使っているのかもしれませんが、
少なくとも昆布を混ぜて飯を炊くなどということは全くしていない「ただのご飯」でした。

「・・・・・なっとらん」
「そう?オレ結構好き」と息子。

小倉で超一流ずしを食べさせて勉強させたつもりでも、所詮は子供。
いまだに「スシロー」と聞くと目を輝かせるような奴なので、そういうものかもしれないけど、
息子よ。これは寿司ではない。ご飯と刺身だ。

しかし、こんな間違ったスシを出すわりには、回転ずし会計システムは、日本と全く同じ。



ツナ・ニギリは4ドル、つまり今は320円ってところですか。

 

タマゴ、キューカンバー・マキ。
このあたりは見かけだけは日本の回転ずしレベルです。

 稲荷。「イナリポケット」。

アメリカ人はこの甘いスシが大好きで、スーパーにも必ず売っています。

 このあたりから怪しいものが続々と登場。

カニカマ・クラブスティック。
日本じゃカニカマって、巻くことはあってもにぎりにはしないですよね。
それと、このカニカマとノリのコンビネーションが、イケてない気がするの。

 レインボー・マキ。

何がレインボーだよ、と思わず突っ込んでしまうわけですが、
三種類のネタをグラデーションさせてアボガドを入れたスシに巻きつけてあります。
わたしはこれを食べてみました。(コメントなし)

 スプリンクル・ロール。

チョコレートじゃないんだから、スジコやらトビコを色付けするのやめてくれんかな。



スプリンクルロールの中に巻いてあるのも、キュウリではありません。
これはすべてアボカド。
アメリカ人はなぜかスシというとアボカドを多用する傾向にあります。
日本ではそんなスシ見たことない、というと、さぞ彼らは驚くでしょう。
わたしはアボカドそのものは好きですが、すしネタとしてはいかがなものかと思います。

 カリフォルニア・ボルケーノ・ロール。

どうもウニ状のものを火山の溶岩に見立てているらしいのですが、
「見た目が汚いんだよっ!」(怒)

 

トーキョーサラダ(海藻入り)にドラゴン・ニギリ。
まったく、どれもこれも、ネーミングがいちいち日本人のセンスとはかけ離れておりますね。
とくにこの「ドラゴン」、見かけの汚さもさることながら、食べ物に「ドラゴン」と使うのは、
そりゃ日本人やない、中国人のセンスや。
上に乗っけたきゅうりの細切りをドラゴンの髭に見立ててございます。
そして上からマヨネーズをかける。
もう、何から何までカオスです。

 シュリンプ・テンプラ・ロール。

スシ、テンプラのコンボです。
確かに日本にも「天むす」っていうのがありましたね。スシじゃないけど。

 タイソンズ・ロール。

「タイソンって、マイク・タイソン?」(わたし)
「シェフの名前だとおもう」(息子)



どれがタイソンかはわからないけど、とにかくシェフの創作スペシャルということですね。
ご飯に裂いたカニカマをかけ、オカヒジキ、そしてマヨネーズがけ。
そもそもスシをわざわざ創作せんでもいい、と日本人は思うのであった。



まだ5時ごろでしたが、デートに来ているカップルあり。
なぜデートだと分かるかというと、女性が一応ワンピースを着ているから。
それにしても立派な体格の女性ですね。アメリカでは普通ですが。

 サシミメニューには、驚いたことにホッキガイがあります。



というわけで、お勘定。
ウェイトレスのおねえさんのスマイルマーク入り。
アメリカのレストランでは、テーブルにこういうビルを置いていきますので、もし現金で払うなら
チップを足した分を挟んで置いてテーブルを去ります。

カードで支払うと、サインを持ってきますから、そのときにチップを自分で請求書に書き足して、
やはりそのまま店を出るのです。
今回は23ドルを挟んでおきました。

やっぱり、食べた量にしては高いかな。



帰り道見つけた新しいスシレストラン。
日本人ならば決して使わない意味不明の漢字、その字体、
そして日本人であればてんぷら屋しか使用しないであろう「天一」という店名。
これはかなりの確率で中国人経営の店であろうとおもったら案の定、
Sushi Hotのあとに DimSum(点心)と言う文字が・・・・・。
いつも思うのだけど、アメリカ人には分からないからって日本の名前を使う。
彼らにはプライドがないんだろうか。ないんだろうなあ。

このあたりでどうやら日本人経営と思われるのは「Aoi」と「Oga's」いうレストラン2軒のみ。
「シェフ・オリエント」とか「トウキョウスシ」、ましてや「テンイチ」なんて、アメリカ人は騙されても、
日本人には名前だけでわかってしまいますよね。

まあ別に、何人が経営しても構わないけど、頼むからあんまり不味いスシを
「これがスシだ」とばかりに広めるのだけはやめてほしい。
日本人の心からのお願いです。






滞在ホテルとアメリカの景気

2012-07-15 | アメリカ

ボストンに着いてからあっという間に三週間が経ちました。
全く、特に快適な時間というのはどうしてこう早く過ぎ去ってしまうのでしょうか。

ボストンではいつも、二か所のホテルに宿泊します。
どちらもキッチン付き長期滞在用のホテルで、アメリカにはどこにもある「スイート」というタイプ。
前半は思いっきり安い、その代わり何かと「ざっくばらん」な方にチェックインし、飽きたころ
もう一つの少しだけ豪華なホテルで出世した気分を味わうというわけ。

冒頭画像は最初のお安いホテルですが、このソファはベッドにもなります。
立て掛けているチェロは、こちらで借りました。
去年までは楽器が分数サイズ(子供用の縮小)の2分の1だったので、
結構大変な思いをして飛行機に持ち込み、持ってきていました。
勿論預けるわけにいかないので、手荷物で持ちこみ、
「クローゼットに入れていい?」と(できるだけ当たり前のように言うのがコツ)と頼むと、
エコノミークラスでない限り、快く乗務員のクローゼットに入れさせてもらえたのです。

しかし、昨年の秋、息子がフルサイズを使うようになったので、もう持ち運びは無理。
チェロの先生も「本当に飛行機は大変です」とおっしゃっていましたが、
どうもフルサイズは一人分の席を買わなくてはいけないらしいのです。
(だからって、席にシートベルトをさせて載せるわけじゃないんですが)
わたしも息子も楽器にこだわるほどのレベルでもないので、こちらでチェロは借りることにしました。

これも嬉しいことに、アメリカは何でもレンタルできます。
一カ月借りても最低貸出期間の三カ月分のレンタル料を払わなくてはなりませんが、
国際線より手荷物の持ち運びにうるさい国内線に、フルサイズのチェロを持って乗ったり、
ましてやそのためにファーストクラスを取らなくてはいけないことを考えると、安いものです。

最初のホテルにチェックインしたときに、フロントのデブラが「あら~、また来たのね!」
と熱烈歓迎(する振り)をして、迎えてくれました。
アメリカ人というのは実にこういうとき愛相がいいというのか、あまりにも嬉しそうにするので
日本人などはつい照れくさくなってしまうのですが、実はこの態度はアメリカ人のサービス業
特有のもので、次の瞬間、大抵彼らはそんなことなど忘れてしまっているのが普通です。

今年は、外壁の塗り替え作業をずっとやっていて、日本であればチェックインのときに何か一言
あってしかるべき状態だったのですが、当然のように何のお断りもなし。
ドアの近くに車を止めていたら「クレーンの邪魔になるから動かしてくれ」と言われたり、
メキシコ人の作業員がずっと泊りこみで作業していて、その家族らしいのがうろうろしてたり、
最も最悪だったのは、ホテルの部屋。
ペンキがかからないように窓をすっぽり覆って、全く外が見えない状態でした。

「日本のホテルなら平身低頭、ってところだけど・・」
「外が見たいよ~」
なんとチェックインしてまるまる一週間、窓をふさがれた状態でした。



ところが最初の日曜日、かけられたビニールが下からはがれてきて・・・。



おじさんが作業を。
この日以来、一応外は見られるようになりました。

掃除は一週間に一度、足りなければ何でも自分で取りに行かなくてはいけない、
ディスポーザーは壊れているしコーヒーメーカーは水が漏る。
去年はなんと部屋の隅からアリが出てきて、「アリが(アント)いるんだけど」と電話すると、
「アント?アントって何?ああ、エァーントね」
って、ああどうせ発音の悪い日本人ですよーだ。

まあ、そんなこんなで、フロントの面々にもほとんど会わないまま20日過ごし、
チェックアウトのためにフロントに行くと、「あらーまだいたの」
まだいて悪かったね。
というかホテルの従業員が客に向かって言うセリフかしら。
というようなところではありますが、まあ、長年のよしみで、気が楽なんですよ。

そして、今日「また来年ね~」とチェックアウトしました。
次のホテルに行く前に、例の「ハウザー砲」のあったところに行ってみました。



教会の近くのいかにも歴史のありそうな墓地を見ておくためです。
思った通り、ここは非常に古い墓石ばかりで、ほとんど墓碑銘も読めなくなっているくらい。
墓の横に立てられているのは、いわゆる「ベッツィ・ロスの旗」。
そういう名前の女性が独立戦争のときに裁縫して作った旗です。
つまり、これが立てられているのが、独立戦争のベテランのお墓なのでしょう。



例えばこれですが、墓碑の文字は全く読めなくなっているのに、VETERANと、
明らかに後世に刻印された部分が見えます。
独立記念日には、この13星旗を横に立てることが慣習化されていることが分かりました。
この旗の多さを見ると、この墓地は、独立戦争のヴェテランのために作られたのかもしれません。

次のホテル、マリオット・レジデンス・イン。




名前は一緒ですがあの超高級JPマリオットではなく、長期滞在型キッチン付きバージョンです。

フロントに行ったところ、なんと、
「あなたは昨日チェックインの予定です」(^O^)/
「え?今日木曜日じゃなかった?」(?_?)
「金曜日です」(^O^)/
「・・・・・一日間違えてた」((+_+))
「昨日の宿泊代はすでにチャージされています」(^O^)/
「・・・・・・はい」(ToT)

というわけで、国際免許に続き、やってしまいました。
JPマリオットでなくて、ほんっとーに良かった。
皆さん、これは別にブログネタのためにわざとやっているんじゃないんですよ。

気を取りなおして部屋に入ります。

  

ここは前のホテルの二倍のお値段。
でも、日本でこの広さ(二部屋でワンベッドルーム)の部屋を借りることを考えるとタダみたいなもの。
そうですね、東京のシティホテルシングルの値段くらいかな?
それだけに毎日掃除が入りますが、今年は
「連泊する人のシーツは毎日替えません」というお報せが部屋に貼られていました。



朝食はコンプリメンタリーのちゃんとしたものがロビーで食べられますし、例年、
夕方もサラダとちょっとした一品が出され、小食の我々などそれですませていたものですが、
今年はそういう食事サービスが無くなっていました。

うーん・・・。

今回、実はアメリカに来て、この一年で経済の悪化による変化を色々感じてはいましたが、
ここもまた、どうやらかなり苦しいようです。
そういえば、従業員の数がめっきり少なくなっているようでもあります。

息子の学校のサマースクールの参加人数も少ないみたいだし、
ダウンタウンに出てもウィークエンドだというのに活気が感じられないし、
相当数のお店が無くなっていたり、別の店に変わったりしていました。

世界中が今そんなもんだよ、と電話でそれを言うと、TOはそう言いました。
勿論日本だけではないし、むしろ日本などまだましな方、というのも分かっていたつもりですが、
今までわりと「安定的に豊かなアメリカ」を見てきただけに、何かとても残念な気がします。







「ハウイッツァー」の謎

2012-07-12 | アメリカ

先日、独立記念日のときに、タウンホールの前に鎮座している大砲状の武器の写真を挙げました。
独立記念日に備えて周りを国旗でデコレーションしてあったので、何も考えずに
「独立戦争のときのキャノン」と書いたのですが、そこで
「ちょっと待った~!」
の物言いが付きました。
非公開コメントを下さる方のお一人です。

「あれはどう見ても独立戦争のものに見えません」

そういや車の中からしか見たことは無いけど、独立戦争のときにしては砲身が細いような。
でも、ホイールは木でできてるし、大した違いはないんじゃないの~?と、
比較的武器そのものについては鷹揚というか、無関心(いい加減?)であるところのエリス中尉、
「細けえことはいいんだよ!」
とばかりにバックレようとしたのですが、いかにこのような細々と公開されているブログとはいえ、
世間に対してそれなりに、発言者の責任というものもございます。

考えてみれば、独立記念日に旗を飾り立てていたからといって、独立戦争に使われたとは限りません。
これは、タウンホール横の柵に囲まれた芝生の中に置かれていて、説明を見ようと思えば、
柵を乗り越えて接近しなくてはいけないのですが、このご意見を受け、本日意を決し、
勇気を振り絞って柵を乗り越え芝生内に侵入し、写真を撮ってきました。
それが冒頭の写真でございます。

「どこが独立戦争のキャノンだ?おら」

という声が、この画像を見ただけで、瞬時に、兵器オタク軍事・武器に詳しい方々の口から
モニターに向かって投げられた様が、はっきり浮かびます。ああ浮かびますとも。

この手前には、さらにこのようなプレートがございまして・・・・



第一次世界大戦のときにドイツ軍から分捕ったもの、って書いてあるやないかい!

いやはや、ちゃんと見ている人は世の中にいるもんですね。
柵を乗り越えているところをメキシコ人のガーデナーにガン見され怪しまれてたみたいだけど、
思いきって写真を撮ってよかった。
こんな機会でもなければ、わたしは一生この、息子の学校の横にあるこれを
「独立戦争時代の大砲」
と呼んで終わっていたに違いありません。
まあ、たとえそうであったところで大勢に問題があるでなし、という考え方もありますが。

部屋に帰って写真を見ながら、

「第一次大戦にキャプチャーしたドイツの・・・・ハウイッツァー・・・・・?」

何気なく呟くと、机の向かいで公文の連立方程式の問題をでれでれとやっていた息子が、
やおら自分のipod touchを黙って取り上げ、触ること数秒、「はいこれ」

画面にはHowizerの画像があるではありませんか。

「ちょ・・・どうして知ってるの?」
「知ってるよー、それくらい」
「だいたい、何なの?はういっつぁーって」
「だから、こういうウェポンのこと」
「それ、一般常識?それとももしかして息子って武器オタク?」
「俺は結構モノを知ってるんだよ。こう見えても」

まあ、息子も12歳で男子だから、こういうことに詳しくても不思議ではないかもしれない。
女子が一生知らずに終わることを、すでに知っているのかもしれん、と軽く驚きつつ、
さらに、グーグル先生にお聞きしてみたところ、howizerとはcannonと同じ一般名称で、
わたしが予想したように、それはドイツの武器会社の名称ではない、ということが判明しました。

これ、常識?

キャノン=大砲、に対し、howizerは、榴弾砲。
大砲の一種ですが、榴弾砲の定義は

砲口直径に対する砲身長(口径長)が短い
低初速、短射程である
軽量でコンパクト
高仰角の射撃が可能である

ということである、ということも、実は息子が教えてくれました。

もっとも息子もこのhowizerをわたしと同じく「ハウイッツァー」と読んでいたので、だからこそ
わたしの呟きを耳に留めたのですが、これは英語では「ハウザー」と読むようです。
そういえば聞いたことあるなあ。ハウザー砲って言う言葉。

息子にいうと「なんでハウザーだよ!『i』が入っているのに」と納得いかない様子でしたが。

プレートを見ればこれも書いてありますが、この榴弾砲は1919年、つまり第一次世界大戦が
終わってすぐに、アメリカ・レジオン(在郷軍人会)が地元に寄付をしました。
そして、おそらく永年どこかに(ここに?)展示されていたのですが、1991年、
有志何社かがこれを修復し、あらためてここにこの姿を遺すことになったようです。

「第一次世界大戦のベテランを偲んで」

中央部分にこのような文章がありますが、このベテランとは、アメリカにとって特別の存在。
老後の保障、福利厚生なども手厚く、いわば特別待遇です。


この榴弾砲が置かれているその横は、
このような市役所があり、さらにその隣には


  

このような立派な教会があります。
この教会の裏手に、見るからに古い墓石の並ぶ墓地がありますが、それはもしかしたら
プレートのいちばん最後にある「ベテランズ・グレイブ」つまりベテラン専用の墓所かもしれません。

さて、せっかく一つモノ知りになったので、ついでに調べてみましたが、
この冒頭の榴弾砲と同じタイプのドイツ製のものの写真をウィキで見つけました。

 これですよね?

15 cm sFH 1315 cm schwere Feldhaubitze 13)とは、
1913年にドイツ帝国が制式採用した重野戦榴弾砲である。(wikipedia)


第一次世界大戦後、この榴弾砲は戦後賠償の一環(現物賠償?)として、
ベルギーに接収され、オランダが購入しているということです。
冒頭のハウザーは、アメリカに分捕られたおかげで、残ることになったとも言えます。

それにしても、ふと思ったのだけど、ドイツって、結構このあたりから散々だったのに、
今や日本と並んで「世界にいい影響を与えている国」「技術力のある国」「経済安定している国」
で、すっかり世界の安定した勝ち組ですよね。
戦争に負けるって、意外と国にとって焼き畑農業みたいな効果があるのかな?
それとも、戦勝国には無い謙虚さと、「0からのやり直し」みたいな復興パワーが、
かえって国を安定させるのかしら。



これも、そうかな?少しこちらの方が大きいようにも見えますが。

ボストンは、この前もお話したように街の至る所、街そのものが歴史的遺産です。
息子の通う学校も、(といっても息子は単なるサマーキャンプですが)
実はアメリカでいちばん古いボーディングスクールだそうですし、いまだに



こんな道案内が現役で使われています。

写真の教会も市役所も、おそらく百年は経っている歴史の古いものですが、
彼らはこういう景観を大切にしますから、いつ帰ってきても街の風景は同じです。
(ボストンには地震はありません)
たとえ、ベテランたちの魂がこの街に帰ってきても、全てがかつてのままなのですから、
彼らはさぞ安らかに眠りにつくことができるのではないでしょうか。


・・・というわけで、実は、この指摘を下さった方は
「(アメリカという国は、年代を間違えることについて)そこまで大雑把な国柄なのですかね?」
とまで書いておられたわけですが、アメリカの名誉のためにいうと、
アメリカは、ベテランを遇する態度に現われるように、こういうことは几帳面に、きっちりと対応します。
なんたって、国のために戦った者の名誉をなにより重んじるのも、またアメリカ人であるからです。


つまり、大雑把だったのはアメリカ人ではなく、単にエリス中尉だったと・・・・・・(自爆)



旅しながら淡々と写真を貼る~ボストン到着

2012-06-23 | アメリカ

というわけで、無事にパッキングも終わり、出国することになりました。
例年夏場二カ月家を留守にするので、部屋の片づけを完璧にして、ピアノにカバーをし、
お掃除ルンバの邪魔にならないように障害物をどけ、日本に残るTOのためにいろいろ冷凍し、
と準備をすませます。

二カ月も旦那を一人にして心配じゃないのか、って?
健康面では外食が増えるので心配ですが、「そういう意味」の心配は、全くしておりません。

世の中には連れ合いを裏切っても自分のそのときの欲望と感情に素直になってしまう人間と、
そういう精神的不合理を引き受けることを精神衛生上よしとしない人間、そして、
頭からそのようなことを考えない人間が存在しますが、わが連れ合いはこの後者二つのタイプです。

わたしもそれなりに世の中に出てから男性というものを見てきたので
「浮気」=悪、というような単純な考えは毛頭持っておりません。
その後に起こってくる「楽しさの代償」を引き受け、かつ誰も傷つけずにすむという自信があるのなら
それはおやりになろうがどうしようが、人それぞれだと思うのみでございます。

しかし、相手がこのエリス中尉のように「ふとした目線のそらし方や話題に逡巡する様子」
などから、なぜか全てを―分かりたくもないのに分かってしまうような、
異常にカンの鋭い人間であると、こういう相手を連れ合いにすることは、
よっぽど諜報察知能力がうわてであるか、あるいは何を悟られても天が下に恥ずるところなし、
という品行方正な人物でないと、とてもじゃないが結婚生活なんてできるものではありません。

そういう意味では「自分がされて不愉快なことは自分もしない」という意見において一致している、
こういう二人は、非常にうまくやっていくことができると自負しているわけです。



変な前置きになってしまいましたが、そんなTOの見送りのもと、7時半手配の配車にて、
成田に無事到着、チェックインもすませ、日本最後の名残に「朝ずし」を少しつまみ、
スターバックスでお茶を飲みながらそれぞれがパソコンチェック。
一同余裕です。

いよいよ出国ゲートで
「元気でね~」
「パパも外食するときは食べすぎないようにね」
「向こうにいったらとにかく車の運転だけは気をつけてね」
「うん」

・・・・・・うん?

・・・・・・・・・・・うんてん?

「国際免許忘れた」  orz


出国前、ESTA(日本人だけに与えられた入国審査を簡便にするための事前オンライン登録)
の期限を更新するためにパスポートを使い、その後ライセンスと別々に保管していたため、
いつもパスポートケースに挟んでおく国際免許を家に置いてきてしまったのです。

「どうしよう・・・」
「俺、今から家に帰って免許書探して、FEDEXですぐホテルあてに送るから。
取りあえず空港からタクシーでホテルに行けば?」

浮気をしないなんてことより、事務能力に異常に長けた人間を伴侶にしていて良かった、
と思うことが、基本粗忽もののわたしの場合度々あるのですが(←)、
今回も心からこの連れ合いのありがたさに感謝しました。

というわけで、それでも一抹の不安を胸に抱いたまま、機上の人となったのでございます。
 どこかで見たような気がする飛行機の窓・・・。

先日広島に行った時のANAの新型ボーイングと同じではないか!
この「シャッターの無いウインドウシールド」もそのまま。
「流行ってるのかな、この窓」などと言っていたのですが、
機長のアナウンスによると、この機体はまだ世界でも11機しかないとのこと。
なんと、そのうちの二機に立て続けに乗ってしまっていたとは。

今まで毎年ボストンに行くのには直行便が無く、大抵シカゴ・オヘアかアトランタ乗り替え、
というのが恒例になっていたのですが、今回はJALの直行便です。
これもまだ就航したばかりで、
「最新式の設備で、ビジネスクラスは10%、エコノミーは5%広くシートピッチを取った」
とのこと。



シート前の映画スクリーン。
黒ですが、少しカンパニーカラーの赤をあしらっているあたりがお洒落です。



シートはフルフラットですが、なぜか脚の方が低くなる傾斜がついていて寝にくかったです。
全てのパーツは微調整できるので、苦心して寝やすいように動かしましたが、
それでも機内では決して熟睡できない、無駄に神経質なエリス中尉でございました(辛)。
飛行時間が13時間もあったというのに・・・。


和食の機内食。

あまりにもピント合わなさすぎだろ、って?
ちょうどこのとき、先日の台風の名残りでタービュランスが治まらなかったんです。



赤い鶴。そういえばここのマークでしたね。
会社更生法以降、去年の一月からあの鶴丸に復活していたんだっけ。
FAのサービス態度は、非常にていねい(すぎるほど)でした。
機内食で息子が頼んだステーキが無くなり、私どものところにパーサーが変更のお願いに
やってきたわけですが、承諾したことを最後の最後まで何度も恐縮されました。



洋食には、エリス中尉御用達、メゾンカイザーのパンが付きます。
それはいいんですが、温めるのに電子レンジを使わないでほしいの・・・。
冷めると固くなって不味いんですよね。

さて、機内でのお楽しみと言えば、映画です。
このフライトで映画を三本観ました。

 

ネイビー・シールズ。


 プス・イン・ブーツ。

 ザ・アーティスト。

この最後の「ザ・アーティスト」。
なんと、一部意味のあるシーンを除き、全編字幕カンバン入りのサイレントなのです。

サイレント時代の大スターが、トーキーに乗り遅れ、次第に凋落していく様子と、
そんな彼を売れない女優時代から愛していた、トーキーの人気女優。
時代の移り変わりに翻弄される二人の淡い恋愛、健気な若い女優の献身。

このタイトルが「アクター」「ムービースター」ではなく、「アーティスト」であることも、
観たらお分かりになるかと思います。
映画そのものが大好きな方、そして犬好きにも(犬が大活躍!)お薦め。

ローガン空港。

飛行機を降りるなりTOに国際免許の件を電話してみました。
「明日の朝8時にはホテルのフロントにFEDEXで届くから安心して」

やれやれ安心。

で、初めて空港からいつものホテルまでタクシーに乗りました。



こういう錆だらけの車が走っているのを見ると、アメリカに来たなあ、って感じです。
たいていヒスパニックかアフリカ系の若いもんが乗っています。

アメリカに住んでいても、タクシーに乗ることはめったにありません。



運転席と後部座席の間にはアクリルの分厚い仕切りがあり、隙間がほんの数センチ空いています。
渡したホテルの住所を、運転手がカーナビではなくiphoneに打ち込み、
「これでいい?」とガラス越しに見せるので、受け取るために引き戸を開けようとしたら、
しっかり接着されてそれ以上は開かないようになっていました。

わずかのお金のために人を殺す人間がごろごろしているこのアメリカで、
タクシーの運転手をするって、大変なことなんだなあ。



それにしても、いまどきのタクシーなのにカーナビもないのかい!
と思っていたら、後部座席の前にテレビスクリーンがあり、到着したら料金と、チップを入力する
画面がピッとでて、OKを押してこの機械にクレジットをスライドさせたら支払い完了。
こういう部分(つまりお金をスムーズに徴収すること)に関して、アメリカほど情熱を傾けて
便利なシステムを作り上げる国も無いかと思われます。

因みに日本の情熱は・・・・たとえば、今回、JALの機内化粧室までが洗浄機付きだった、
というあたりに顕れていますかね。

明けて今日。
朝届いた免許を持って、車を借りにローガンエアポートまで行ってきました。

 

よく他州のナンバーになることがあるのですが、今回はニューヨークナンバーです。
エンパイア・ステート(ビルのあるステートつまり州)という洒落入りナンバープレート。
はいいとして、どうしてこんなに激しく歪んでるのでしょうか。
車が無傷なだけに、不思議です。
アメリカは車の小傷なんかはレンタカーにつけても許容範囲、なぜって車は乗れば傷がつくから、
みたいな考えなので、日本のように車を借りるときに係員が一緒に車の周りをまわって、
「傷がないことをご確認ください」
(その心は、もし帰って来たときに傷がついていたらお客さんのせいだから弁償してね)
なんてことは決してやりません。
ヨーロッパでも同じで、わたしは二―スで車を借りたとき、結構派手な引っかき傷をつけて
返却しましたが、何も言われませんでした。

というか、日本の「車の傷恐怖症」って、異常よね。


ところでこれを今作成している時間、日本時間18時。米国東海岸時間朝の5時。
そう、東海岸に行ったときに訪れる「恐怖の時差ぼけ」です。
ホテルに着くのが正午だったため、眠いのを我慢できずに3時に寝てしまい、
当然夜の10時には目がパッチリ冷めてしまいまして。

これ、酷いときには一週間続くんですよね。
息子がインターネットで時差ぼけ解消法を調べてくれましたが、

「何も食べないことだって」
・・・・・そりゃ無理だ。




マイ・ストレンジ・アディクション

2012-06-10 | アメリカ

         

アメリカでも、最近の「テレビ離れ」は酷いというニュースを観ました。

そうでしょうとも。

たまたまテレビを見るときに、自分の観たい番組がやっているとも限らない。
映画を観ていても大幅にカットされて、途中でコマーシャルが入るのでうざい。

気が遠くなるほどチャンネルを増設できるアメリカにおいても、やはり与えられたものを
じっとテレビの前に座って観るよりは、観たいものを自分で手繰りよせて見る、
オンデマンドやインターネットテレビの便利さを知ってしまった人々は、
二度とテレビに戻らないのだと思います。

日本のテレビの最近のつまらなさときたら眼を覆うようで、わたしはたまに旅行先のホテルで
テレビをつけて見ることもありますが、どんな番組であろうが、数分で気分が悪くなり、
ギブアップして消してしまいます。

アメリカのショウは、基本的に低俗で愚劣であることにおいては日本と似たようなものですが、
少なくとも「ひな壇芸人」と「スワイプ」「テロップ」が無いだけ、まし。

アメリカの低俗さは、何度かお話してきたように「覗き見趣味」に現れます。
人口が多く、変わった人は探せばいくらでもいるし、また彼らもお金さえ出せばホイホイと
出演してくれるので、ネタには困りません。

というわけで、「こんな変わった人がいますよ」形式のテレビショウはそれこそ山ほどあります。
本日タイトル「マイ・ストレンジ・アディクション」は、日本語で言うと「私の奇妙な性癖」
ここはテレビっぽく
「私のクセって、ヘンかしら?」
というタイトルにしておきましょう。

内容はタイトルそのまま。
ヘンな習性をもっている人を紹介する、それだけの番組です。

わたしがアメリカで見た内容は

「プラスチックをガリガリかむのがやめられない」
「何でも匂いを嗅いでしまう」
「ガソリンのにおいが好きでたまらない」
「外のものが不潔で何も触れない」

どれもこれも、つまりは性癖ではなく「病気」という奴ではないのか、と思われる事案です。
病気は病気でも、精神科の範疇なので、これはプライバシーの問題にならないのかな?

そして、たまたま写真を撮った、
「赤ちゃんのようにふるまっていると落ち着く」女性。

 

この女性は、いつもおしゃぶりを咥えて就寝し、おむつまで着用しているのだそうです。
棚に異様にきちんと整頓された紙おむつを満足そうにチェックする女性。
これが男性だと「病気」というより、別の単語がつい想い浮かんでしまうのですが・・・。


どれもこれも精神的な問題であることははっきりしているので、必ず番組では
テレビ局が用意したのであろう心理カウンセラーと話し合う患者?の姿が映し出されます。
でも、わたしの見た限り、このカウンセリングによって「奇妙な癖」から足を洗えた人って、
めったにいないんですよね・・・・・。

それもそのはず。
自分自身で「私の奇妙な癖」をなんとかしたい、と当人が番組に応募してくるわけではなく、
以前ご紹介した汚部屋克服番組「Hoading」と同じく、これは大抵のケースが
「回りが見るに見かねて、何とかしてもらいたいと思い(お金も出るし)電話してきた」
という事情による出演であるからです。

テレビに出たからってやめられるなら、皆とっの昔ににやめているでしょうし。

番組には、必ず、それをテレビ局に「通報した」家族や友人の
「メアリーには困ったものよ」みたいなコメントが出てきます。

この赤ちゃん娘をチクったのは、ルームメイト。
そりゃそうだ。
同じ部屋にこんな人がいたら、実害はないかもしれないけど、気になって仕方ないでしょう。


余談ですが、このアメリカのルームメイトシステム、というのも実に不思議なものです。
ボストンに住んでいたとき、同じ階に二―ルという太った中年男性が住んでいました。
同じ年ごろの女性と同居していたのですが、遊びに行ったときもの凄く親密そうだったので、
「同棲しているのかな」
と思っていたら、これが唯のルームシェアの相手だったんですね。

アメリカのアパートはそんなに広くなくてもバスルームが二つある作りが多いので、
ルームメイトを募集して家賃を安くあげようとする人はいますが、問題は、その相手。
日本人とは感覚が違うとしか言いようがないのですが、
その広くない空間に一緒に住む相手が異性だったりするのも珍しくないらしいのです。

ビジネスライクに同居生活ができればいいのですが、二―ルがどうやらそうだったように
同棲状態に突入してしまうこともあるようで、というか、もしかしたら二―ルがそうだったように、
最初からその目的で女性を募集する人もいるようです。
それが嫌なら、最初から男性とのルームシェアに応じなきゃいいってことなんでしょうが。

ところが、しばらくして、けんかでもしたのか、その女性が突然出て行ってしまいました。
二―ルはすぐさまルームメイト募集の広告を出し、あっという間に次の人が来ました。
当然のように女性です。

今度は若い黒人女性で、ケンブリッジの医療機関で事務をしている人でした。
しばらくして、さらに驚くことがありました。
エレベーターで、二―ル、わたし、そしてアパートの管理人が一緒になったのです。
「今度のルームメイトはどうだい?」
雑談の間にこう管理人が聞くと、二―ルはなんと
「Little bit better than ex. room mate」(前のよりはちっとはマシかな)と言って、
へらへら笑ったのです。

おいおい、前の女性となんかあったんだろうが!前のはモメてでていったんだろうが!
親切で気の良いおじさんではありましたが、アメリカ人の感覚そのものに不信を感じました。
二―ルが特別だったんだと信じたいですが。

閑話休題。

この「私のクセってへんかしら?」で、結構な話題を集めたストーリーがありました。
それが冒頭画像の女性。
抱いているのは・・・・、骨箱です。
いや、骨というより、見たところ「骨粉」「遺灰」と言った方が正確な状態です。
誰の骨かというと、これが彼女の急逝していしまった夫。

彼女のやめられない癖とは・・・・・



「夫の遺灰をなめてしまう」

ひいいいっ。

彼女が片時も離さず抱いてどこにでも持って歩いている骨箱は、
愛する夫の写真がプリントされた特別仕様。
彼女はこうやって、暇さえあれば指を突っ込み、その指をぺろぺろと・・・。

ひえええっ。



ご本人はヒスパニック系に見えますが、蓋に印刷された写真によると、夫はアフリカ系。
特にうつりの良い写真を選んだのでしょうが、ハンサムな男性です。
彼女はこの夫を失ったとき、身も世もなく嘆き悲しみ、遺体を土葬ではなくクリメーション(火葬)
にしました。

ご存じのようにアメリカでは、普通土葬が行われます。
しかし、最近では火葬が増えているということで、その理由は「費用」。
土葬が30万円なら、火葬は3~4万円くらいの違いがあるのだそうです。

しかし、この彼女が火葬を選んだのは、それによって夫の身体が灰になってしまっても、
とりあえず手許においておける、という考えからだったのかもしれません。
まさか最初から骨粉を舐めようとは思っていなかったでしょうけれど。


この「骨を舐める、或いは食べる」という話を、わたしは以前にも読んだことがあります。
山の事故で連れ合いを失った女性が、寂しさを紛らわすために骨を舐めた、という話でした。
そして「相手の身体を自分と同化させるため」に、かじってみた、というのです。

気持ちが悪い、というより、愛する相手が死んでしまったとき、そういう形でしか発露できない
愛の表現もあるかもしれない、などと感じ入ったものでした。

また、その話を友人(男)にしたところ、
「分かる気がする」
と言ったので、しばらく神妙に、「骨を食べることと相手を愛することの関係」について
その心理と行動を解き明かさんとする討論が行われたのですが、そのうち
「まあ、骨ってくらいだから、カルシウム補給にはなるかもねえ」
「ちょっとのつもりで舐めたら『案外うまくね?』ってご飯にかけてみたり」
などというアホ話に突入してしまいました。



番組お約束の、精神科医とのカウンセリングシーン。
彼女がここにも骨箱を持ってきているのに注意。



このたびの通報者は、お母さんです。
娘が毎日骨をむさぼり食っていればそりゃ心配でしょうさ。
精神科医の前でもずっと悲痛な様子。



精神科医は、「あなたが骨を食べ続ける限り、あなたは夫の死から逃れることはできません。
それがあなた自身を死に向かわせることなの」

そして、そういうものを食べることが、実際の健康と精神を蝕んでいくことを懇々と説明します。

だいたいカルシウムなんて言っている場合じゃない、実際にこれ体に悪いんですよ。
人間は食物連鎖の頂点にいるわけですし、それでなくても現代人の身体は、化学物質や
添加物、ヘタすると放射能汚染されているし、死因が何であったかによっては危険極まりない。
そんなことを縷々説明するのですが、彼女には医師の言葉は全く届いていないようです。


ところで、この「カニバリズム」(食人)の一種とも言える「骨なめ」ですが、
民俗学的な観点で見ると、あきらかに「風習として骨を食べる地方」が存在するようです。
ウィキペディアにも「骨噛み」という項で

葬儀の場面でお骨を食べる社会文化的儀礼または風習としての「骨かみ」は、
現在も残っている。

俳優の勝新太郎は父の死に際して、その遺骨を「愛情」ゆえに食したと、
本人が証言している。

いわゆる「闇の社会」では骨かみの特殊な習俗が継承されているとの推測もある。

と書かれています。

世界的なレベルで言うと、遺骨や遺灰を食べることは
「愛する人の身体であったものを自分の血と肉にしたい」という、「よくある話」のようです。
しかし、キリスト教信者の多いアメリカではこれはかなり異常なこととされるようです。

なぜなら、キリスト教では復活のためには体が残っていることが必要とされるので、
それゆえ土葬が最も今までポピュラーだったのです。

彼らにすると「骨になってしまった身体」はもう、「身体」ではありません。
儀式もありませんから、火葬にすると、粉状の骨が宅配便で送られてくるんだそうです。
因みにアメリカの火葬方法は「もの凄い火力でガンガン焼いて灰にしてしまう」ということで、
その意味で日本の「適度に必要なだけ骨が残る」火葬方法は、世界でも独特らしいですね。

きれいに骨を納めて、最後に喉仏を乗せるなど、実に様式美に則っているというか、
「日本的だなあ」と思わずにいられないのですが・・・。


テレビのショウなどで「アディクション」(中毒性がある、病みつきになるという意味)などと
笑いながら見るには、あまりにも切ない彼女の「癖」。

この番組の力ではついに最後まで彼女にそれをやめさせることはできませんでした。
周りにたしなめられればたしなめられるほど、彼女は自分の中に閉じこもって、
ただ、夫の遺灰をその身体に同化させる悲しい「習慣」に没頭するばかりです。

その遺灰が、全部彼女のものになって骨箱から完全に無くなってしまう日まで、
彼女の「ストレンジ・アディクション」はこれからも続くのかもしれません。









Hoading~汚部屋克服物語

2012-03-17 | アメリカ

          

アメリカの「視聴者参加型覗き見趣味的優越感煽りタイプ」のあざといテレビ番組には、
先日少しご紹介した「Toddlers and Tiaras(幼児とティアラ)」のようなものもあれば、
今日ご紹介する「Hoading」という「ビフォーアフター系」のものがあります。

このHoadingとは、もともと「貯蔵する」「秘蔵する」「買いだめる」などという意味なのですが、
この番組はありていに言うと「ゴミ屋敷の住人を改心させる」という番組。
日本語に訳すなら「ため込み屋さん」というタイトルと思っていただければいいでしょう。

実際は、もう手のつけられなくなった本人はもとより、回りが見るに見かねて「通報」してくるケースが
多く、「ため込み屋さん」なんてかわいいもんじゃないレベルが殆ど。
アメリカ人はほとんどがこの番組をよく知っていて、おそらく近くのゴミ屋敷を見て
「誰かHoadingに連絡したらいいのに」とか、片付けられない子供に向かって
「Hoadingに電話するわよ」
なんて叱り文句にその名を入れるであろうくらい、有名な番組です。

Hoadingという言葉自体が、その実態よりかなりマイルドな表現と思えるくらい、
大抵の、この「汚部屋」のレベルはすさまじく、一度など、ガラクタの下の方から
干からびてペチャンコになった猫の死骸が出てきた回には、さすがのアメリカ人たちもびっくり。

しかし、これを見て、つい『テレビ局のスタッフがこっそり仕込んだやらせではないか』と
思ってしまったわたしは、部屋ではなく心が汚れているでしょうか。
だって、住人は全く気付かず、せんべい状の猫をぺラッと見せられ『全然気が付かなかった』
なんて驚くんですよ。
いくらなんでも臭いで気づかないかなあ・・・。

この番組は視聴者参加型ですが、当の本人が参加したいと表明してくることはめったになく、
(そのくらいの人であれば自分で掃除もするでしょうし)
たいていは娘や孫、周りの人々が「見るに見かねて」番組に申し込んできます。


くたびれ果てた風の汚部屋住人と違い、こちらは血縁でありながら大抵「まとも」。
今回の依頼者は、住人の娘。


今回の汚部屋住人Aさんと、その夫。
娘さんの言っている「ロス」とは、彼女が母親を死去で失った後、
喪失感で何もする気が起きなくなったことを指しています。
住人のAさんが言っているのもまさにそれで
「母にできるものなら電話して『わたしを忘れて』と頼みたい」と言っています。

こういう精神状態の人は「自分で何とかしよう」という方向に向かないのかもしれません。
あくまでも他力本願です。
しかし、相手は死んでしまっているわけで・・・・。

右の夫は、もう妻に愛相をつかして、離婚を考えだしているという段階。
娘さんが依頼に踏み切ったのもこういう切羽詰まった状況になったからでした。



このAさんの場合、まだしも一片の心は残っていて、積み重ねた服にこうやって一応布をかけ、
通路を確保しています。
猫のミイラが出てきたり、テレビで映せないほどトイレが汚かったり、というような、
「生理的に堕ちるところまで堕ちた」というタイプではないのが、救いと言えば救いでしょうか。

アメリカでは何かとモノが安く、このAさんもいろんなものを出かけるたびに買いこんで、
それを値札も付いたまま放置しています。
それにしても、この番組を見て思うのですが、汚部屋住人の圧倒的な特徴として、
特に女性は、でっぷりと太っている人がほとんど。
「片付けられない女は太る」
という本が昔あったようですが、やはり、因果関係があるのかもしれませんね。



もうやる気のないのと、どうしようもない状態に茫然としている態のAさん。
スタッフに説明しながら、泣いてしまいます。

この番組の進め方として、「いかに部屋が乱雑かいやというほど紹介し、
回りと本人の「何とかしたい」という切なる訴えを取り上げた後、いざ!という感じでプロ登場。


まずは、正式にはどういう立場でどういう仕事なのかは知りませんが、
心理カウンセラーの診察を受けます。
彼女の苦しい気持ちや置かれた苦境などに耳を傾けたうえで、ため込むことに意味があるのか、
本人に考えさせ、そののち初めて「捨てていく」ということを納得させていきます。
このあたりはさすがに専門家。

一つのバッグを手に取り「これ、いつ買いましたか?」「気にいってる?」「使ってないけどなぜ?」
などと質問していくと、Aさんは
「よく考えてみると、もういらないわ」(画像)などと言いだすのですね。
もともと「これが欲しい」と思って買ったものではなく、
何となく買い込んでしまったものなので、思い入れも何もないわけです。



次に登場していくのが「片付けのプロ」、オーガナイザー。
住人がためらうのを叱咤し、命令口調で全てをバンバン捨てていきます。
この際、Aさんの泣きごとには一切耳をかさず、非情の片付けマシーンとなって、
部屋のものをどんどん捨てていきます。

ところで、どちらかというとわたしは何でも捨ててしまいます。
何もない空間に限りなく落ち着きを感じる「持たない派」でもあり、
捨てることで限りない「爽快感」と高揚を感じるタイプです。
つい『この仕事やってみたい』と思ってしまったくらいです。



ここで、写真に取り損ねましたが、「GOT-JUNK」と大書きしたゴミ回収会社のトラックが、
全てを運んでいきます。電話番号も勿論トラックに書いてあります。
これ、スポンサーでもあるんですね。なるほど。

すっかり床が見えるようになったAさんの部屋と、何と「やる気になって」
クッキーを作るまでに立ち直ったAさん。
どうでもいいけど、このクッキーは甘そうだなあ・・・・。

成功にはこの「オーガナイザー」というところの「必殺片付け人」の功績も大ですが、
中にはオーガナイザーもたじたじの手ごわい人もいます。

若い時はけっこうイケていたのではないかと想像されるこのおばちゃんですが、


お洋服積み重ねのAさんと違い、こちらはもう、部屋がカオス。
何でもかんでも積み重ねてしまっています。


こんな部屋の中で生活しながら、やたらメイクが丹念なおばちゃん。
やっぱり、若い時はちやほやされてたんでしょうね・・。



娘さんが見るに見かねて、フィアンセと共にマスク着用の上ゴミの山に挑みますが、
あまりの長年のごみの体積ぶりに、挫折。
素人では手に負えないと、ごみの山に腰掛けて、つい泣きだしてしまいます。

・・・・が、ここのところもやらせであると勘ぐったわたしは部屋ではなく心が(略)


いつも通り、オーガナイザーが登場、ゴミをどんどん捨てている最中、
説得されたはずのBさん、怒りだしました。
「わたしの大事なものばかりなのに、皆で寄ってたかって捨てる気?」
もの凄い剣幕でみんなに食ってかかります。
呆然とするスタッフと家族。

このBさんをなんとか説得し、取りあえず部屋は片付いたのですが、


しばらくして汚部屋を訪ねると、(これも番組のパターン。だいたい半年後)
先ほどのAさんはクッキーを焼いていたわけですが、
このBさんの部屋は・・・・



あらら、またもとに戻りつつあります。
まるで形状記憶合金のように、直しても直しても元に戻ってしまう。
Bさんの場合、部屋よりBさんの心の中をなんとかしなくては、
おそらくBさんが死ぬまでにこのループは繰り返されるのかもしれません。



このCさんは今回一番「うまくいった」例。
もともと崩壊レベルまでの「ため込み屋さん」ではなく、親子の関係も上手くいっていた、
というのが成功の原因だったかもしれません。



とはいえこの惨状。
この人もかなり太っていますね。
AさんやBさんほどではないにしろ、どこに何があるか分からなくなっている、立派な
「汚部屋」です。

親子そろってカウンセリングを受けています。
この家族はヒスパニック系ですね。
そして「何とかしなきゃ」と思いつつもこのようになってしまって、心を痛めていたCさん本人も、
一生懸命な娘のためにも、と心機一転、がんばった結果・・・。


片付けられてあらびっくり、なんと部屋にはグランドピアノがあったんですね・・・・・。

しばらく(半年後くらい)に再びテレビカメラが入ったときにも、Cさんのお部屋はきれいなまま。
なんと、ピアノの上に花を飾るほど余裕もあります。
訪れた娘一家、みな驚き、感激します。


新しい人生を祝して。(というテロップ)
Cさんはテレビに依頼して片付けてもらったのがきっかけとなり、全てが変わったようです。
このように、この番組が「綺麗を保つためのエンジンスタート」のキイになる例は多いのかもしれません。

因みに、わたしは家を定期的にプロの手で掃除をしてもらっていますが、
これは「自分がやらないからやってもらう」のではなく、
「その状態をずっと保つためのやる気を高める」ため、
と考えています。

澱がたまって行くように、毎日の掃除では気づかない汚れがどうしても蓄積していくものですが、
たまにプロの手ですっきりさせてもらい、気分を良くしてさらにそれを維持するわけです。
こういう「キレイの連鎖」は、はまると病みつきになる傾向にあります。
Hoadingでプロの手にかかるのと、ある意味同じような効果があると言えましょう。

レールを「キレイを保つ」方向に向けるきっかけとして、一旦生活をリセットする試み。
ヘタな心理カウンセラーより、ずっと人生そのものを改善する効果があるかもしれません。












アメリカの動物たち

2012-01-19 | アメリカ

    

この、単なるカレンダーから取ったイラストはちょっと置いておいて、
アメリカで撮ったこの写真を見てください。



対象になるものが映っていないので大きさが分かりにくいのですが、この野ウサギくん、
大きさは手のひらサイズ。
ボストンの州立公園にウォーキングにいったときのものです。
車の前の道を横切るリス状の小動物。でも、動きが何だか変・・・・。
なんと、ここでもあまり見ないウサギだったんです。
そっと車を停めて、カメラを取り出しガラス窓ごしに極限までズーム。
このときほどエンジン音の無いプリウスに乗っていてよかったと思ったことはありません。
なぜか息まで止めて、気分はまるでナショナル・ジオグラフィック専属カメラマン


撮られていることに気付かない様子でしたが、欲を出して窓を開けたとたん、
その音に驚いて(プリウスがいかに静かだったかわかります?)脱兎のごとく、
って、文字通り脱兎となって逃げてしまいました。

ここは動物の保護区域でもありますから、毎日歩いているといろんな動物に遭遇するのですが、

岩の上のリス。
ボストンではリスは日本の野良猫よりなじみが深いのですが、
じっと一ところで甲羅干し?しているリスは初めて観ました。
何かリスにしては壮大なことを考えていそうな面持ち・・・。

アメリカには野良猫はいません。
いるのかもしれませんが、少なくとも見たことはありません。
ボストンのように冬は雪の降る地域では外でネコが生きて行くことはできないのです。
このネコは、サンフランシスコのアパートの、斜め一階下の部屋のお姉さんのネコ。
毎日こうやって窓辺にいるところを観察していました。
こっちが見ていると、必ずこうやって見つめ返してくれました。

 
巨大オットセイ。
これは勿論本物ではなく、どこかの水族館か何かに展示するものを、一時的にここ、
(ゴールデンブリッジの下のクリッシーフィールド)に安置していたようです。
この公園については、このブログでも時々ご紹介してきましたが、ここのお巡りさんは、
車でなく4WDのこのような乗り物でパトロールします。


比較的平和な時間なので、左のパトカーのような警備係のおじさんと立ち話。
この場合、立っているのは馬ですが。
この後「写真撮らせて下さい」と頼んだので、
ポーズを取ってくれました。



この日はお天気がよく、気持ち良さそう。

ところで、冒頭の絵に戻ります。
アメリカで、特に郊外を運転したことのある人は、一度や二度は画像で言うところの
「パンケーキ状の動物」
を見たことがあるでしょう。
リス、タヌキ、オポサム、そして、スカンク。
スカンクが轢かれているとそれはそれはすさまじい匂いで、
高速で100キロくらい出して走っていてもその道路を通過してしばらくは車内から匂いが抜けない、
という社会問題レベル。
日本にスカンクはいませんから、あまりご存じないかもしれませんが、この匂いたるや、
「動物園のサイかゾウの檻の前に立つと臭う、あの匂いを100倍抽出したもの」
と思っていただければいいかと思います。

TOが昔留学の準備でボストンの郊外にある語学学校に夏期講習を受けに行っていたとき、
ある宿舎(といっても民間の建物なので、平屋で、映画によく出てくるポーチのあるあれ)に、
窓からスカンクが、何を思ったか入ってきて、みんながパニクったので、
それ以上にパニクったスカンクが思いっきり・・・・・・・。

しばらくの間その建物は使用できなかったそうです。

という習性のスカンクが、事故で死ぬとき、断末魔のガスを思いっきり噴出
(というか踏まれて押し出されるのかも)するので、
事故現場の周囲数キロは、清掃局がやってきて片付けてくれるまで、
付近住民は大変辛い思いをするのです。

この道で轢かれてしまう動物たち、というのも、日本にはない一種の社会問題ではないかと思うのですが、だからといって
こんな看板を立てたって、車は急には止まれないわけで。

そもそもこの看板は、息子のサマースクールであるボーディングスクールの学校内の、
ドライブウェイにおける注意看板。
この学校はムースをアイコンとしており、生徒のことを「ムース」と称しているので、
「生徒が歩くことがあるから車は気を付けてね」と言っているのです。
まあシャレですね。

この夏、冒頭漫画にもあるI-90(この作者はボストン在住らしい)で、ぎょっとする光景を観ました。
道路がバケツで撒いたかのように真っ赤に血の色で染められており、
その先に転がっているのは、大きな鹿の死骸。

リスやタヌキはしょっちゅう見るのですが、とはいえそれでも
「ああー、嫌なもの見ちゃった」とブルーになるのに、この事故現場はショッキングでした。
身体の大きな動物の血は、まるで人間のもののようで、それなのに轢いた車は当然のように
そのまま行ってしまってお咎めなし、というのが実に不思議に思えるほどの凄惨な現場でした。
次に通りかかったときには死骸は片付けれらていましたが、血糊は次に雨が降るまでそのままで、
そこを通る度に(それも宿泊しているところからすぐ近く)何とも言えない思いをしました。


インターネットで拾ったこれが合成なのか、本当にレコーダーのものなのかは分かりませんが
まさにこの日付と同じころ(7月5日)、同じような事故がボストンでも起こっていたということです。

冒頭の漫画ですが、旦那さんが広げている「小動物ミラー」(ボストン・ミラーという新聞がある)には、
「オポサム、潰される~仮死ではなかった」
「地元のリス、半分平らになる 禿鷹がすぐ来て、残りを餌にした模様」
「ウサギ、I-90でパンケーキ状に」
「スカンク、すりつぶされる」

という記事の乗った「道路事故死」のコーナー。

奥さんはこういう事故の記事から目が離せない旦那さんに文句を言っています。
「ジョナサン、あなた不健康よ。
新聞が来ると最初のページにずっと向かいっぱなしで」


人間社会の前には徹頭徹尾弱者であり、
人間のせいでこうやって命を落としてしまうアメリカの野生動物たちに対し、
たとえば、「海犬」や「緑豆」は、どういう見解を持っているのかしら。
もしかしたら、
「牛や馬は人間が食べるために神様がお造りになった。
人間はそれだけ頭がよく偉いので当然である。
またクジラは賢いので食べてはいけないが、それを殺す日本人は死ぬがよい。
そして、賢い人間がクルマという便利な文明を享受する為には、
看板の字も読めない愚かな小動物が犠牲になるのはいたしかたないことなのである」

って言うのかな。









世界一太った男の結婚式

2011-11-18 | アメリカ

世界一太っている花婿、マヌエル君です。

アメリカと言う国はご存じのように人口に対して肥満の割合が世界一高い国です。
なんでも、31パーセント、つまり10人いれば3人はデブ、という数字があります。
その肥満率も南部ほど高く、堂々の肥満率一位の州はミシシッピ。
とはいえ、州ごとに大差は無く、ほとんどの州が肥満率20%を超えており、
唯一10%台の州はコロラドの18・4%のみ。
何故コロラド州だけが肥満率が低いのかは謎です。

 

カリフォルニアの肥満率は20パーセントくらいですから、全米でも低い方かもしれません。
健康やダイエットに気を使う人は日本人以上に熱心にエクササイズをします。
しかし、気を使わない人は本当に気を使わないので、
夕ご飯にピザ一枚とコーラ、今日はポテト食べたから野菜の摂取はOK、食後にアイスクリーム1パイント、
などという生活を積極的にやってしまった結果、

こんな風になってしまうわけです。
しかし、アメリカに滞在したことのある人はご存じでしょうが、
この程度の肥満した人など、振り向けば必ずその辺に一人はいるレベル。
当然多少太っているくらいではそれをネタにテレビ番組なんかに出してもらえません。
(本人が出たいかどうかは別として)
 
せめてこのレベルでないと。
このおばちゃんは太って歩けなくなったため、医者の診察を受け、少しずつでもダイエットしていくと誓わされました。
毎日医師の厳しい監視下にあったのですが、ある日体重が増えているのを問い詰められ、
隠し飲んでいたコーラを見つけられて激怒されます。

「私は杖をふるって怠け者をスマートにできる魔法使いじゃないんだ!」


思わずキレるドイツ系らしい医者。
しかしおとなしく医者の言うことを聴くような人ならそもそもここまで太らなかったのではないかと。
ちなみに右画像はおばあちゃんを心配する美人の孫。
おばあちゃんの若い時に似ているっていうんですが・・・。


冒頭写真のマニエル君は、アメリカ人ではありません。
隣の国、世界の肥満率堂々2位の国、メキシコの青年です。
アメリカ人ですら驚くその太りぶりは・・・・。

一体全体覆われた部分は構造的にどうなっているのか、と思わず画面を凝視してしまいます。
マニエル君は独身の若い男性なのですが、太り過ぎて歩くことができません。
人生のほとんどをいつの間にかベッドの上で過ごすようになってしまいました。

しかし捨てる神あれば拾う神あり(ちょっと違うかな)。
そんなマニエル君に恋人ができ、結婚することになりました。
彼は太っていますが、全くそれとは関係なく人柄のよい、皆に愛される好青年なのです。

 

おばさんと弟。弟には勉強を教えてあげています。
彼と接する人は全てのことを彼のベッドの上で行いますから、この弟もベッドで一緒に勉強。
おばさんと言う人も十分肥満していますが、それでも甥とはレベル違い。

 
そしてこちらが花嫁さん。
十分この方も肥満していますが、彼に比べれば超スレンダー。
(少し大竹しのぶに似ていると思ってしまった)
今日はウェディングドレスを選びに来たのですが、一番見せたい花婿はここには来られません。
この花嫁を始め、おばさん、友人が彼の温厚な性格と愛される人柄について熱く語ります。
いわく「彼はファッテスト・チャーミング・マンだよ!」

ところがそんなある日、マヌエルとその一族にとって悲しいことが起こります。
やはり太り過ぎてベッドに寝たきりだった親戚の男性が(←)亡くなったのです。
なんか、そういう家系なんでしょうかねえ・・。
 

しかも、その発作の際、ドアからその身体が運び出せないので
家を壊してそこから病院に搬送したのですが、壁を破っている間に彼は死んでしまったという・・・・。

うっ・・・・・・・。


このことから将来に不安を感じたはずの新郎新婦、マジでなんとかしたほうがいいと思うのですが、
何故か彼らは一向に「じゃ何とかしてダイエットしなくては」という思考にならないのです。
結婚式前日インタビューされた花嫁が
「どんな夫婦生活になるかって?うふふ、それは内緒」
って、そんなこと言ってる場合じゃない気がするんですが。

マヌエル君がこんな状態なのに子供ができて奥さんが働けなくなったらどうやって食べていくのかとか、
そもそもこんな状態の人が長生きできるわけがないとか、
旅行に行ったりレストランに行ったりという普通のことですら彼と一緒に楽しむことはできない、
などということをどう考えるのかとか。

傍が心配することではないのかもしれませんし、彼らのうちでは全て解決済みなのかもしれませんが。

二人は独身時代最後の夜、ロマンチックな音楽をかけてダンスをします。
もちろん新郎は動けませんからベッドの上で、上半身だけ寄せ合って・・・。

うっ・・・。




さて、いよいよ結婚式当日。
やっぱりマヌエルも外に出るために家を壊します。
そしてクレーンでベッドごとトラックに乗せられ結婚式場に向かいます。
この画像ですが、ベッドの隅に見えてるのって、もしかしてマヌエル君の足ですよね?
一体全体どういう構造の(略)


列席の人たちと歓談する花嫁。
しかし、ほとんどの時間を花嫁は一人で、招待客の間を廻ってすごします。
なぜなら花婿は動けないので(略)

結婚式終了後、また搬送されていく花婿。
もうトラックで生活しちゃえば?と思ったのはわたしだけでしょうか。


「世界一太ったチャーミングな男」マヌエル君。
確かにいい笑顔の男性ですよね。
痩せたらトム・クルーズにならないかしら。


冒頭書き忘れました。
アメリカで31パーセントとされる肥満率ですが、日本は対象国中最低水準の3パーセント。
つまり日本では100人に3人しか世界レベルの肥満はいない、ということです。
ちょっと太りすぎとか、メタボとか気にしている方たちの大半は世界レベルでは何の問題もない、ということです。


ていうか、これいったいどういう基準よ。








アメリカで駐車違反してみた

2011-10-18 | アメリカ

してみた、って、まさかブログに書くためにわざとしたんじゃあるまいな、って?
ま、まさか、そんな~いくらなんでも・・・ねえ

アメリカでは車が無いと生活できない場所がほとんど。
我が家が毎年訪れるボストン郊外など、幹線道路には人のための歩道すらありません。
コミューターと言われる都心への電車に乗るにも、駅まで車で行って、
駅前の駐車場(勿論タダ)に終日停めておくのです。
サンフランシスコのような都会であっても、車が無くては買い物一つ行けません。
ショッピングモールやお店の駐車場は無料ですが、パーキングは一般に高く、さらに
路上駐車はほとんどがコインメーター。

一般の道路は大抵駐車可で、住宅地などは基本どこでも停められるのですが、その際、
角ごとにあるこのような看板を注意しなくてはなりません。


これは、交通局に行って取得するGパーミットを貼っている車、つまりこの付近の住民以外は
平日日中は2時間まで駐車を許可している、ということが下に書かれており、
上の赤い看板は第1、第3火曜日の12~2時までの間は掃除の車が通るから駐車禁止、
というお知らせをしています。

このシステムはアメリカ全土共通であるため、旅行者や来たばかりの人と違って、
アメリカ人ならうっかり禁止時間に停めて、切符を切られることなど無いのかと思うと、
それが、必ずいるんですね~。
看板を見間違える人が。

繁華街、都心部はこれ以外にも夕方のラッシュアワーは駐車禁止、などという
細かい特別ルールがあったりして非常に紛らわしいのです。
昔都心でこの「特別禁止時間」に気付かず眼の飛び出るほど高い罰金を払ったことがあります。


掃除の車の前には、露払いのように、このような一見かわいらしい取り締まりの車が
ちょろちょろ走って、健気にお仕事して回ります。
乗っている人は大抵でっぷりしたアフリカ系などで、全く健気でも可愛くもないんですが。

この車は、坂のてっぺんにいるところをかなり遠くから写真に撮ったのですが、このような
サンフランシスコ名物の眼もくらむような坂でも彼らは臆することなく、くまなく走りまわっています。
普通の車でも相当怖い傾斜なのに、あの車で、特に下りは怖いだろうなあ。

しかしそれも当然と言えば当然。
彼らは民間の取り締まり員で、給料はなんと歩合制
生活かかってますから、気合いも入ろうというものです。
そして、ドライバーのクレームには決して耳を貸しません。



日本でも、取り締まり員に喰ってかかったり暴力をふるったり、という話がありますが、
ここアメリカでは文句は基本。喰ってかかるくらいは当り前。
なんと取り締まり員の過酷なお仕事をドキュメントにした
PARKING WARSという番組があるくらいです。
切符切られた人が、キレまくって係員を罵ったり、迫ってきたり、が毎週面白おかしく放映されます。
 

こんな獰猛なおばちゃんに襲いかかられたら、気の弱い人は泣いちゃいますね。
右画像の女性も、レッカーで車を引っ張られてしまい怒り心頭。
お上品な見かけによらず激しく食ってかかりますが、そんなことにひるむ係員ではありません。
「お金あげるからバスで帰ってください」・・・・ん?
良家の奥様に見えたけど単なる財布を忘れた愉快なサザエさんだったのか・・・・・

・・・・・という様子がテレビショウになってしまうアメリカ。
トラブって激している様子を全米に報道されても誰も気にしていないのがさすがです。



路上駐車用のメーター。
クウォーター(25セント)、10セント、5セント玉が使えます。
サンフランシスコは駐車料金が異様に高いので有名で、
例えば私が今回違反をして切符を切られたウェルズリーなどは、25セントで1時間チャージされますが、
なんとここでは25セント硬貨一枚がわずか8分
(などと言ってみましたが、よく考えたら一時間停めるのに2ドル、つまり160円。安っ

ここに着いてまずすることは、銀行で20ドルをまず全部クウォーターに変えることです。
でないと、小銭を作りに行っている間に切符を切られているなんてことになるからです。
変わっていなければ、駐車違反は日本円で1万3千円くらいのはず。
消費物価の安いアメリカでは異常な金額です。

おそらく
「クウォーター作りに行っていたのに、なんで違反なのよ!」
「違反は違反です」
「くぁwせdrftgyふじこ!」
「あーあー聞こえません」
「ぐぬぬ・・」
というPARKING WARが繰り広げられ、市民が文句を言いまくった結果だと思われますが、
今年、一部のメーターが最新型になっていました。

いかにもアメリカ。クレジットカードで払えるのです。
一度使ってみましたが、カードを挿入し、何分停めるか最初に選んでピッと画面を押すだけ。
勿論従来のようにコインも使えます。
こんな変革は実にてきぱきとやる国、それがアメリカです。

それでは本日タイトルの、わたし自身の違反についてお話します。
ボストンに着いてすぐのある日、なんとなく車を停めて向かいのお店に入り、
3分くらいしてから「あ、コイン入れなきゃ」とドアを開けたら・・・・

 

わずかの隙にこのような派手な色の封筒の中に不幸の手紙が。
やられた・・・・・・・・orz

さっきも言いましたが、一時間わずか25セントですよ?
円高なのでわずか20円ですよ?そんなもん入れ忘れるなつーの。

チケットには車のナンバー(何故かこのとき借りたプリウスは、ペンシルバニアナンバー)、
時間、場所、パーキングメーターのIDがきっちり記載されていました。
わずか3分でこれだけきっちり登録するとは、何たる匠の技。

しかし不幸中の幸い、罰金はわずか15ドル。
地価が安くメーターが安いので、罰金も安いわけですね。
それにしてもサンフランシスコの10分の1強ですよ。

アメリカでは罰金の支払いに警察署に行く必要はありません。
コンビニに支払いに行く必要もありません。
勿論、免許の点数が云々などというシステムもありません。
罪悪感など感じる必要もありません。淡々とHPから支払うのみ。

無精者の国ではウェブで支払えるようにしておかないと、行政が催促する羽目になりますので、
支払いシステムも実に簡単で便利です。
右側のチケットにはちゃんと「ウェブサイトで払えます」と書いてあって、HPのアドレス記載。

部屋に戻ってすぐにページに行ったら、画面にはしっかり乗っていた車のナンバーが登録されていて、
「こんなことだけはてきぱき進めおってからに・・・」
と苦々しく思いつつも、とっとと支払いを済ませました。




これはサンフランシスコで見た、通りに面したガレージのドアに貼ってあるもの。
そう、路駐の際、たまーにガレージのドアを塞いで停める迷惑なうっかり者がいるんですよ。
今回、うちのアパートでも一回、私のアルティマ(ティアナ)と、アジア系のカップルのBMWが
こういう車に出口をふさがれてアパートから出て行けなくなったことがありました。

私たちはそれで出かけるのをやめてしまいましたが、彼らはトウイング(レッカー)を
電話で呼んでいたようです。
それこそ光の速さでやってきて、あっという間に車を持って行ってくれるのです。
品物の配達に3日間のずれがあるのが普通のこのアメリカで、実に迅速な対応をするのが、
この民間のレッカー会社。
こういう業種だけは、信じられないくらいてきぱきとお仕事をしてくれるんですね。
レッカーの御代金は勿論、1日あたりいくらかの保管料金込みで引っ張った車の主に請求されます。

昔アパート敷地内で間違ったスペースに停めて持って行かれたことがあるので知ってますが。

で、この文句ですが

ここに停めた最後の車
まだ見つかってません」


じわじわ怒りが伝わってきますね。
わざわざ開けた銃痕が住人の抑えきれない感情を表現している作品です。
何度か出て行けなかったことがあったんだろうなあ・・・・。

それにしても、日本に帰ってきてガソリンを入れるたびに1万円近いお金が必要なのに、
今更ながら暗澹とする思いです。
サンフランシスコで借りていたニッサン・アルティマですが、1カ月の間ガソリンを入れたのは一度だけ。
こんな坂を毎日走り回っているのに不気味なくらいガソリンが減らないので
「もしかしたらケージの故障?」と思ったくらいです。
日本車凄すぎ。

そしてさらに、ガソリン追加で払ったのはたった30ドル(2400円)。
これでアメリカ人は「ガソリン高い!」って怒ってるっていうんですが。
どう思います?








アメリカの野鳥画像

2011-10-06 | アメリカ

アメリカではいつもカメラを持ち歩き、犬や猫、ウサギにリス、そして鳥がいれば必ずシャッターを切っています。
どうですか~。
このカメラ目線の鳥さん。
鳥好きにはたまりませんね。

生きとし生けるものなんでも好きだ!と大言壮語したこともあるエリス中尉、
幼少時はスズメや文鳥を飼っていた鳥好きでもあります。
スズメは、巣から落ちていたヒナを拾ってきて成鳥まで育てたのですが、冬の朝、いきなり死んでいました。
庭のアリを取って箱に入れてやったのを喜んで食べ、ちゃんと手に乗るかわいいスズメだったのに・・。
高校生の時に飼っていた(これもいきなり飛び込んできた)インコは鳴き声がうるさく、
おまけにわたしがピアノの練習をしていると対抗してもの凄い大騒ぎをするのです。
鳥の可愛さは基本黒いつぶらな目にあるというのに、三白眼で興奮すると白目を剥くこのインコ。
天敵でした。
なので「生きとし生けるもの全て」は嘘大げさ紛らわしい誇大表現です。
虫は全て嫌いだし。

さて、淡々とアップしていきますね~。
  

このガチョウたちは、先日犬が泳いでいた湖の主で、泳いでいないときは土手の上をうろうろしています。
ボストンでは、ガチョウが池から池へ移動するとき集団でえっちらおっちら行進して道を横断、
車はストップしてその間待つ、という光景をしばしば見ます。
何度か遭遇しましたが、対向車線に止まって待っているドライバーを見ると・・・

(*^_^*)←いつもみんなこんな顔になってます。

冒頭の鳥はサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジの近くの海岸、
つまりウォーキングコースにいる鳥で、

この、少し眼付きの悪い鳥といつも一緒にいます。
なので、この「テリムクドリモドキ」(もどき・・・)という種類のメスが、冒頭のかわいこちゃんではないかとは思っているのですが、思っているだけですすみません。
 
このあたりは夏でも寒いので、コーヒーショップの名前は「暖まり小屋」。
ライトのところにお洒落に止まっているテリムクドリモドキ。
何かの意匠みたいですね。

いつも朝はこうやって水たまりで水浴びしています。
 
さて次は、市内海岸近くのマーセド湖へ。
ここは、周囲を一周歩くとちょうど一時間。
散歩やジョギングに市民が利用しています。
これは、お父さん、お兄さんと小学生の弟。
弟が遅れるので「早く来いよ!」なんて言いながら父、兄は偉そうに振り返っていましたが、
この地点の1キロほど先で三人とも疲れたのか、ウォーキングのわたしが追い抜きました。
彼らのジョギングが今日だけだった、に25セント。

 

湖面の鴨とカモメ。右画像の奥にボーリングのピンが二本。

 

正確には「アメリカオオセグロカモメ」というそうです。
「カリフォルニアカモメ」も、羽の色は一緒なのですが、それは脚が黄色。
これはピンクなのでセグロくんですね。
羽の先にワンポイントの赤がはいっているそうですが、この画像からは分かりません。
真ん中辺に変な色のがいますね。
くちばしの色も黒いし、居候か?と思ったのですが、これどうやらヒナのようです。
野鳥図鑑に「ヒナはくちばしが黒いことが多い」って。
ことが多い、ってなんでしょうね。

奥に眼付の悪いモドキくんがいますが、この赤いワンポイントのある鳥はハゴロモカラス
長年ブラックバードとはこのことか、と思っていたのですが、どうやら違うようです。
この鳥が集団で飛んでいると、赤がちらちらして綺麗です。粋なデザインですよね。
サンフランシスコにはスズメ並みにあちらこちらにいます。


ざっと300メートル先に飛んでいったのをズームで撮りました。
ポケットカメラ(それも6年前のもの)ですらこの性能。すごい時代になったものです。
でもこんな時はもっとちゃんとしたカメラが欲しくなります。
小さくなければ持って歩かないのでたぶんこれからも買いませんが。

この綺麗な鳥はアメリカカケス。
最初は20メートルの距離にいました。
こっち見てますが、この後飛んで行ってしまったのです。
  
セグロカモメと縄張り争いで火花を散らすテリムクドリモドキくん。
眼付き悪いといいながら大好きだったりする・・・。

 

左はカイツブリっぽいですが、これ以上ちゃんとした画像は撮れませんでした。
これを撮っていてふと足下を見ると、このようなものが・・・・・・・。
去年はなかったので、この前の道路かあるいは湖でこの一年以内にお亡くなりになったようです。
アメリカではよく亡くなった場所にこうやって写真や十字架を飾ってあります。
合掌・・・・。

 

さて、ゴールデンゲートブリッジに戻りましょうか。
カモメくんと仲良く一緒にいるのは、この辺でいつも三羽一組になって哨戒飛行している
カッショクペリカン
くちばしが大きくてバランス悪いのに、綺麗に飛ぶんですよね。
 
これも実はものすごく遠くを狙ったので、色が判然としません。
ユキヒメドリのようにも思えますが・・・。

 

向こうに見えるはご存じアルカトラズ島。
この日、海岸ではヨットの「サンフランシスコ・カップ」が行われていました。
日本の参加ヨットがいたのでついシャッターを。

日本では見られない珍しい鳥もこの中にはいるようですね。
スズメの形状も随分違いますが、日本のスズメが世界で一番可愛いと思います。

 

おまけ*我が家のベランダに来たムクドリをガラス越しに。


GO FOR BROKE!~陸軍第442連隊戦闘団

2011-09-12 | アメリカ



前項でアメリカ陸軍史上最強と言われた第442連隊、通称日系人部隊の活躍について書きました。
今日は日米のはざまに翻弄された彼らの国家と民族意識について考えてみます。

本日画像は左からキヨシ・K・ムラナガ上等兵
フランス戦線で不利な敵の射点に一人残り、恐るべき正確な砲撃で反撃をするも被弾し戦死。
享年22。

中央はジョージ・T・サカト一等兵
仏戦線で敵の砲弾の中を単身突撃、
不利であった戦況を一気に逆転させたその勇気ある行動に対し叙勲せらるる。
2011年9月現在、健在。

右はバーニー・フシミ・ハジロ一等兵
ブリュイエール、ラフォンテーヌ、そして失われた大隊の解放に参加し、
自らがおとりとなって砲撃を向けさせ友軍の砲火を助けるなどという、
大胆で勇敢な幾多の行動により、戦時中から勲章を授かり、2011年、没。
享年94。

そして前回説明のなかった画像中央のフランク・H・オノ上等兵は、
イタリア戦線にて、やはり自らをおとりにして仲間の前進を助け、
また傷ついた仲間の手当のために火の海を臆することなく走り抜け、戦中に叙勲されています。

戦中に叙勲された者、そうでない者、亡くなった者、生存していた者。
全ての元442部隊の隊員に対し、戦後新たに叙勲がなされています。
最近では2010年、オバマ大統領によって、
議会名誉黄金勲章(アメリカ合衆国で民間人に与えられる最高位の勲章)が
第100歩兵大隊と第442連隊戦闘団の功績に対し授与されていますし、
2000年にはクリントン大統領のもとで戦時中に与えられた殊勲勲章を名誉勲章に格上げし、
新たに個人が叙勲されています。


ここで、我が国の戦争従事者に対する仕打ちと対応を鑑みて暗澹たる気分になってしまったのですが、
これについて書くのはまたいずれ。

何故、アメリカ政府が戦後何度もこのように叙勲を精査し格上げなどの措置を図るかというと、
一言で言って社会構造や意識、価値観の変化に伴うものがあるようです。

アメリカ軍のヒーローであり、称賛の的であった日系人部隊でしたが、
終戦後、彼らがアメリカ社会に同じように迎え入れられたかというと、
決してそうではなかったのです。
終戦直後も日本は「敵国」であり、日系人に向けられる眼は「ジャップ」であり、
一般人にとって彼らは敵の仲間でしかなかったということです。

日系人たちが「模範的マイノリティ」として、
そして日系部隊が2次大戦の戦功者として評価されるのは、もう少し先、
1960年代の公民権運動の勃発を待たなければなりませんでした。


社会の意識が変化すると、軍関係者だけでなく、民衆が
「最強のマイノリティ部隊」であった442部隊を再評価する動きになり、
また戦後の何度にもわたる叙勲という措置につながったわけですが、
この再評価が日系人全体全体を見る目に与えた影響は、とても大きなものでした。



第100大隊所属の522野砲部隊は、正確極まりない砲撃力を持つ屈指の部隊でしたが、
この部隊がドイツに侵攻した際、偶然ダッハウのユダヤ人強制収容所を発見し、解放しました。
ユダヤ人の最終処理場として機能していた殺人工場である収容所の酸鼻を極める惨状に
日系人たちは、暗澹とします。
皮肉なことに彼らのほとんどが日系強制収容所から志願した兵でした。

ユダヤ人たちはアメリカ軍であるはずの彼らが何故東洋系なのかいぶかしみながらも
「まるで天から降りてきた天使の顔に見えた」と当時の感激を語っています。
このとき解放した者とされた者、お互いは相手のことを知りたがり、意気投合し、
戦後ずっと強い結びつきを持ち続けているそうです。

彼らを解放するとともに、惨劇の告発者にもなった522部隊ですが、
戦後、日系人が収容所を解放したことは当局によって語ることを禁じられていました。


日系人による部隊結成当初、ハワイ出身者と本土出身者の間には激しい相克がありました。
憎み合うといってもいいくらいのもので、それに手を焼いた上層部は、
ある日ハワイ出身者を本土の強制収容所に連れて行き、見学をさせました。
「(日系人の)女の子に会えるな」
などと浮かれていたハワイ組の顔がこわばり、青ざめました。
鉄条網に囲まれたキャンプ。外ではなく敷地内に向けられた銃口。
これが我々が忠誠を誓うアメリカの答えか・・・・・。

そして、その時以来両者の対立は無くなったのです。
「日系人同士で争っている場合ではない。敵は人種差別だ」
誰もがこのように悟った瞬間だったのでしょう。
そして、その偏見をはねのけるには、日系部隊の価値を彼らに認めさせるしかないことも。


二世である彼らは、父母の本国と戦うことをどのように受け止めていたか。
やはりそれについては考え方はさまざまであったようです。

国家から忠誠をあらためて問われ、ノーと答えた者、そして徴兵には決して行かないと
言明した者もいました。
それは収容所から刑務所に入るということでもあり、考えようによっては
「志願するより勇気のいること」(ダニエル・イノウエ)と言えます。
当時日系社会では毎日のように自らの血と国家への忠誠のあり方について話し合いが持たれました。


そんなある日、ある日系人は、所属する学校に宛てて東条英機が送ってきた手紙に衝撃を受けます。

「これは君たち二世への手紙である
 君たちはアメリカ人である
 したがって、君たちの国に忠誠を尽くさなければならない」


また外務大臣であった松岡洋右も、日系人の忠誠を尽くすべきはアメリカである、
という意味の発言をしています。



つまり、日本人は、侍なのである。
武士道に則り、君主と国家に忠誠を尽くすものである。



これが東条英機が在米の日系アメリカ人に向けて言いたかったことであり、
彼らもまたそのように理解したのでしょう。
たとえ祖国に刃を向けることになっても、己の帰属する社会に殉じるのは
サムライの末裔である日本人として当然のこと。
そしてそれがその社会に対する恩返しであり、
これからもそこで生きていくための当然の義務であると。

そして日系部隊の編成を許可する文書で、ルーズベルト大統領はこのように書いています。
「我が国建国の原則は米国精神(アメリカニズム)である。
それは内面の問題であり、人種や祖先の問題ではない」



彼ら日系人の部隊が何故優秀であったか。
それはひとえに彼ら自身の「日本人としてのプライド」が、
そしてアメリカという国にそれを認めさせるという強い意志が、
そのモチベーションと勇気を高めたのだと思われます。
そしてその誇りの源となっていたのが、日本人の価値観でしょう。

移民であった一世の両親から、彼らへと日本の価値観は受け継がれました。

Gimu、 Meiyo、 Gayoku 、Haji 、GamanそしてDoryoku。 

Shikata-ga-nai 。Shinjiru。Seisei-doudou。

このような日本語が、日本人であることの尊厳とともに、血となり肉となって
二世であるかれらの精神を形作っていったのではないでしょうか。

そして、そんな彼らの合言葉は、隊のモットーにもなった

Go For Broke!(当たって砕けろ)

でした。
この一見文法のおかしな英語は、もともと日系人独特の、いわゆる「ピジンpidgin言語」
(シンガポールのシングリッシュや、中国人の『わたし中国人あるよ』のような接触言語)で、
ブローク、つまり破産するまで賭け金を突っ込め、という賭場でのスラングです。
彼らの隊旗にはこの言葉が誇り高く記されているのです。

かつての442部隊の戦士は言います。
「アメリカはいい国です。チャンスを与えてくれる。何にでもなれる」
しかし、この国では自ら血を流してつかみ取った者だけにしか本当の自由は与えられないのです。

今日の日系人に対するアメリカ社会の尊敬は、文字通り彼らが体当たりで手に入れた、
自由の国アメリカからの最高の贈り物なのかもしれません。

 

 

 


アメリカ陸軍第442戦闘部隊

2011-09-09 | アメリカ



先日、陸軍グリーンベレーの入団試験について書きました。
あのような厳しい試験を経て晴れてアメリカ軍人となった彼らが、その研修課程で必ず
その輝かしい実績と共に教えられる部隊名があります。
アメリカ史上最強の部隊と言われた陸軍第442戦闘部隊、通称日系部隊です。
現在のアメリカ陸軍では、彼らの歴史を学ぶ授業は必修課程となっているのです。

1941年、真珠湾攻撃に始まる日米開戦後、
アメリカ政府は西海岸在住の日系移民およそ12万人を、各地の強制収容所に収容しました。
三か国の敵国の中で、イタリア系、ドイツ系の移民に対して行われなかったこのような仕打ちを、
日本政府は「白人の人種差別かつ横暴な所業」として喧伝し、開戦の理由の一つに加えます。

それに反駁する必要に迫られたアメリカ政府は、日系人からなる戦闘部隊を編成するという
手段を取りました。
あえて「問題児に手伝いをさせる」方法に出たのです。
そして「強制収容所に追いやった日系人に国への忠誠を誓わせる」というダブルスタンダードとしか言えない
「踏み絵」を経て、志願者による日系人ばかりの陸軍部隊が誕生します。
ハワイにもともと存在した第100連隊との合併により、第442連隊と名づけられました。

1943年のことです。

日系人部隊編成の理由は、当時ハワイの日系人によって半分が占められていた部隊を
解散するわけにもいかなかったためで、苦肉の策でとしか言えないスタートであったわけですが、
その訓練段階で彼らは異常な優秀さを発揮します。

1943年9月、第100大隊はイタリアに上陸。
サレルノでのドイツ軍落下傘部隊での戦いを手始めに、連合軍が苦戦していたドイツ軍との戦線で
「死傷者勲章大隊」と言われるほどの犠牲を出しながら戦線を制圧します。
このモンテ・カッシーノの戦いでの勝利が大きく報道され、
彼ら日系部隊の精強ぶりがアメリカ国内に知れ渡ることになります。

しかし、彼らは勝利者として解放されたローマに入ることを許されませんでした。
足止めされた彼らの横を白人の戦車部隊が追い抜いていきます。
それどころかその場でまわれ右させられた442部隊は、北方への戦線に移動させられます。
勇敢な彼らはこの時点ですでに数度に及ぶ感状を与えられていましたが、それでも
カラード(色つき)の日系人である彼らに、ローマを解放した英雄として民衆の歓迎を受ける栄誉は
与えられなかったのです。

それにもかかわらず、彼らの士気は一向に衰えることはありませんでした。
この期間、いくつかの戦線を制圧、フランスのブリュイエールでは
激しい戦闘の末勝利をおさめ、この村を解放しました。
作家、ピエール・ムーラン氏は著書「ブリュイエールのU.S.サムライ」でその戦いを記しています。
そして、この村の人々は今日も日系兵士たちの慰霊と彼らへの感謝の式典を続けているそうです。



今日、アメリカの戦闘史を語るうえで必ず挙げられるのが「10大戦闘」の一つであり、442部隊の行った
「テキサス大隊救出作戦」です。

フランスのボージュの森でドイツ軍に包囲されていた200名のテキサス大隊(第141連隊第一連隊)
は、テキサス州兵が多かったためこのように呼ばれていました。
既に二つの連隊が救出に失敗し、彼らはロスト・バタリオン(失われた大隊)とされていたのです。
ルーズベルト大統領の勅命により、疲労困憊していた442部隊がその地に向かいました。

この作戦の参加者で戦後ハワイ選出の上院議員となった
ダニエル・イノウエ氏(本日画像右)はこのときの日系戦士の気持ちをこう代弁します。

「いわば使い捨てでしょう。しかし、私たちはそれを歓迎したのです。
なぜなら、それこそ(日系人の)価値とアメリカへの忠誠をを証明するチャンスでしたから」


硬直した戦線を打破するため、彼らは「バンザイ攻撃」を決行します。
今日、アメリカでドラマなどを見ていると、何かに飛び込んだりするとき
「バンザイ!」
と普通に叫んでいるシーンにしょっちゅうお目にかかります。
これはこの時のバンザイ攻撃がが由来なのでしょう。

そして本日画像左は、この戦闘中、眼前に落下した手榴弾に覆いかぶさって、
わが身を犠牲にして仲間の命を救ったサダオ(スパッド)ムネモリ上等兵
かれは日系部隊初の名誉勲章を与えられています。

この捨て身の肉弾攻撃により、442部隊は待ちうけていたドイツ軍の戦線を突破。
テキサス大隊を救出することに成功します。
抱き合い、煙草を分け合って喜んだ両隊でしたが、大隊のバーンズ少佐が軽い気持ちで
「ジャップ部隊なのか」と言ったため、442部隊の一少尉が
「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ!」と掴みかかりました。
少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されています。

この時の作戦参加者の一人、エドワード・ヤマサキが
And Then There Were Eight(『そして八人が残った』)という本を書いています。
この193人の小隊は戦闘後、五体無事だったのは8人だけでした。

この労をねぎらうために、司令ダルキスト少将が閲兵した際、集合した戦闘団を見て、
「部隊全員を整列させろといったはずだ。」と不機嫌に言ったのに対し、側近が
「目の前に並ぶ兵が全員です。」と答えます。
第36師団編入時には約2800名いた兵員は1400名ほどになっていました。
少将はショックのあまり何も訓示ができなかったということです。
211人を救出するために800人の犠牲を出したこの作戦を指示したダルキスト少将は、
後日「理不尽な作戦を下した愚かな指導者」と非難を受けました。

余談ですが、アメリカにとって象徴的なたった一人を救うために多くの犠牲を出す映画
「プライベート・ライアン」(ライアン一等兵)は、
この作戦にインスパイアされたのではないかと言う気がします。

しかし、彼らの犠牲を怖れぬ戦いと大戦果により、日系部隊の評価は確固たるものになりました。
彼らはイタリアで膠着していた戦線に期待され送り込まれることになります。
「問題児」としてスタートした442部隊は、今や「問題解決のエース」とまで呼ばれていたのです。

この、その期待を裏切ることなく、2万人に及ぶ二つの師団が攻略できず手をこまねいていた
ゴシック・ラインの戦いにおいて、総員2,500人の442部隊は
「一週間でも、一日でもない、たった32分で」
敵地を突破してしまいました。

ムネモリ上等兵の叙勲した軍人として最高の栄誉である名誉勲章をはじめ、
殊勲十字章、陸軍勲章・・・授けられた勲章の総数、1万8千143個(全米最高数)
名誉負傷勲章獲得総数、6700(全米最高数)
累積死傷率31・4%(全米最高率)
そして全陸軍軍隊最高数である7枚の大統領感状受賞

アメリカ軍人にとって彼らがいまだにスーパーヒーローであり、
また陸軍史上最強部隊であると賞賛されるゆえんです。

彼らに対する差別的な眼はこれを以て決定的に変わることになります。
終戦後、トルーマン大統領は、雨で周りが中止を進言するのを押し切って
帰国してきた442部隊を直接迎える行事を決行しました。

この式典で大統領はこうスピーチしました。

「諸君は敵と戦っただけでなく、偏見とも戦い、そして勝ったのだ」

かつてローマで賞賛を与えられず悔し涙を飲んだアメリカ陸軍第442戦闘部隊は、
このときアメリカ合衆国大統領が直々に迎えた、米国史上唯一の戦闘部隊になったのです。



続きます。