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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

元ペルシャ湾掃海派遣部隊司令官の語る集団的自衛権

2015-05-31 | 日本のこと

現在の国会では集団的自衛権についての議論が佳境を迎えています。
野党はここぞと集団的自衛権はアメリカの戦争に巻き込まれる法案だ、
という一点に絞ってそこをオールスター()でついてきているわけですが、
たまたまわたしはそのオールスターの質疑のうち、民主党代表の岡田克也氏と、
共産党の志位和夫氏のをリアルタイムで聞きました。

んーーー。

志位さんの質疑はわたしはあまり聞いた記憶がありません。
さすがに法案が法案なので、共産党もラスボスを投入してきたみたいなんですが、
失礼だけどわたし、思いましたね。
志位さんってこんなに頭悪かったんだ。って。
お父さんが陸軍軍人でご本人も東京大学を出てるはずだし、性格も
勝手に温厚な人だと思っていたんだけど、どうやらそれは単なる買いかぶりで、
所詮は「普通のサヨクの親玉」にすぎなかったんだと。

内容を簡単にまとめると、

アメリカは昔から侵略を繰り返してきた。
例えばトンキン湾事件ではマクナマラ長官の指示によって米艦艇が攻撃されたことにし、
それをきっかけにベトナム戦争に突入した。
イラク戦争も、大量破壊兵器を持っていると事実でない決めつけのうえ攻撃を開始した。
その間自民党はアメリカを一言も非難しなかった。
陰謀によって侵略をするアメリカを非難したことのない自民党、自民党もアメリカと同類だ! 

ベトナム戦争の時、日本は後方基地となった。

イラク戦争でも自衛隊を派遣して治安維持を行い、アメリカに協力した。
今後アメリカが行うかもしれない侵略戦争で、日本は集団的自衛権によって
派兵してアメリカの戦争を支援するつもりか!


まあ、こういう面から見たらそうとも言える、としかわたしには言えませんが。

集団的自衛権でアメリカの戦争にまきこまれる、というのはもはや定番の反対意見ですが、
安倍首相が懇切丁寧に、それについては我が国の平和と安全が侵される時に限る、
と繰り返して実証をあげ説明しているので、この部分の反論についてはそれを見ていただくとして。

じゃ、世界はその時アメリカを非難して制裁決議でもしたのか、
国連はベトナム戦争に介入してたのか、って話なんですがね。

非人道的な侵攻を非難しなかった=与している

という二元論は、この「複雑怪奇な」世界情勢においてあまりにも
物事を単純化してませんか?

じゃ、日本はかつて公式に天安門事件を非難したか?
現在進行形で行われているチベットへの弾圧を非難したか?
南沙諸島でまさに今行われている中国の侵略を非難したか?

とまず志位さんにはそのことに対するご意見を聞いてみたいものです。
 
 

さて本題。

先日、「沖縄県民かく戦ヘり」という最後の電文を残して自決した、

沖縄の陸戦隊司令官だった大田實海軍少将についてのエントリをまとめました。
大田少将については以前から書きたくて仕方がなかったのですが、
やっとのことで6月13日の大田少将の命日に合わせてアップすることができます。

このエントリ製作のために各種検索していて、偶然、大田少将の息子であり、
戦後海上自衛隊でペルシャ湾掃海派遣部隊を指揮した、落合(たおさ)氏が、
新聞のインタビューに答える形で憲法改正について語っている記事を発見しました。


まず写真を見て、そこに在りし日の写真に残る大田少将そっくりの面影を認め、
大田少将について調べるために読んだ本に載っていた家族全員の写真では、
幼い子供だということを考えても全く父に似ているとは思えなかった落合氏が、
かつて沖縄県民を守るために立ち上がった戦いに敗れ、この世を去った父と
同じ年代になってこれほど同じ雰囲気を湛えているのに驚きました。

日本にとって国際貢献第一号となるペルシャ湾掃海部隊を出すにあたって、
海上自衛隊の幕僚監部は、指揮官である落合さんの紹介パンフレットを作りました。
それにはこのように書かれていました。

「部隊の能力は指揮官の能力を超えることはないと言われる。
指揮官はあるときは十分に深い知識を持ったエキスパートであり、
あるいはどっしりとした山のような存在となって部下に安堵感を与える父でもある。
このような観点から、(略)総会派遣部隊指揮官として任命された1等海佐、
落合(たおさ)の人物像について触れてみたい。

落合1等海佐を語るには、まずその父、太田実中将について語らねばなるまい」

以下、陸戦隊の一人者である大田少将の「かく戦ヘり」が述べられるのですが、
これは6月13日の当ブログ記事で詳しくお読みいただければと思います。

今日は、大田中将の息子であり、国際派遣部隊の指揮官として、各方面から
その頼もしさを信頼され、人間性を慕われた落合元海将補が、
憲法改正と集団的自衛権についてどのように言及しているかをお話しします。


落合1佐が率いた掃海部隊が出されたとき、日本には自衛隊の海外派遣に関する
明確な根拠法は議論すらされていない状態でした。

1990年の湾岸戦争のとき、日本は90億ドルもの巨額の支援金を出しながら、
その「金は出すが人は出さない」という姿勢を「国際貢献していない」として
世界から非難されることになり、支援感謝の広告に名前を載せてもらえなかったのです。

このときには国名もよく知らないような小さな国でも、
たった一人か二人参加すれば十分国際貢献を認められていたということで、
日本のように
たとえ何億出しても人をよこさない、
つまり「汗をかかない国」はむしろ軽蔑の対象でした。



落合氏は、この待遇が不満でたまらず、総会に参加した9カ国の指揮官会議の二次会で、


「俺んとこだって90億ドル、日本人の大人一人が1万円ずつ払ってるんだ」

と悔し紛れに言ったところ、その場の皆がこう言ったのだそうです。

「大人一人が100ドル払えばペルシャ湾に来なくて済むんだったら世界中誰でも払う」


この国際貢献のために、自衛隊法99条「機雷等の除去」の範囲を広げて
自衛隊を派遣することを、
国会で決定することになった時、
共産党、社民連が牛歩戦術(笑)で抵抗し、
メディアは一様に
「日本が戦争に巻き込まれる」という「市民の声」だけを選んで報道しました。


(あれから13年ほど経つわけですが、日本は戦争に巻き込まれてなんかいませんね~棒)


いろいろあって派遣が実現したのですが、当時、湾岸戦争は休戦協定が成立してはいたものの、
現地は戦争でも平和でもない、
混沌とした状態が続いていたため、
自衛隊は派遣中、ずっと米海軍に警護してもらっていました。


にも国際的には「軍」であるのに、なんとも情けないことではあります。
機雷の除去のため、という大義名分で、それでも紆余曲折の末海外に派遣された自衛隊ですから、
与えられていた権限は正当防衛と緊急避難だけでした。
信じられないことですが、自衛隊は丸腰で行ったのです。

共同で任務に当たった8カ国からは「非武装で来たのか」と驚愕されました。


しかし、この初めての国際派遣を決めたことは、戦後日本におけるターニングポイントとなりました。
とにもかくにも、国会の場で、それまでタブーとされていた自衛隊のこと、あるいは
軍備についてを議論のテーブルに乗せることができるきっかけとなったのです。
その範囲は今日に至るまでじわじわと拡大し、ようやく集団的自衛権行使の成立にまでたどり着きました。

この掃海部隊派遣以降、国連平和維持活動(PKO)への参加や周辺事態法の制定、イラク戦争。
憲法との整合性を問われ続けながらも、自衛隊の活動範囲は広がってきました。
それでも自衛隊は創設以来、他国の人を殺さず、戦闘で死亡した隊員は一人もいません。


落合氏は今その時の任務を振り返り、現場では落合氏だけでなく皆が、
自分たちの任務だから、攻撃に遭う可能性があるとしても覚悟を持って臨んでいた、と言います。
その覚悟は、国家、国民に奉仕することを誇りに思う気持ちから生まれてきたものだったと。


自衛隊は軍隊でないし、隊員は軍人ではなく国家公務員という立場で、
これは今も変わることはありません。
ただ、国際社会では実質、軍隊に等しいと受け止められているし、落合氏も軍隊だと明言します。

そして、部隊が派遣先で力を発揮できるようにするには、必要な法整備をして
自衛隊員の精神的な基盤となる身分と権限をはっきりさせるべきだといいます。

何かあるたびにその場しのぎで関連法案を作るなどということをするから、
国会を震源地にマスコミが煽って結果大騒ぎにるのであって、

大きな枠組みとしての法的基盤を作らなければ、今後もそれが繰り返されるだけです。

これはとりもなおさず、憲法の改正につながっていくとわたしは見るのですが、
どっこい憲法9条を「守る」ことが平和への道であると信じている人々は、
改正イコール「戦争のできる道」と短絡的に直結して拒否反応を起こすわけです。

いつぞや、カタログハウスの某通販生活という左翼系オルグ型通販雑誌の読み物で、

「血を流すべきという人は本当にその意味を考えたことがあるのでしょうか」
「集団的自衛権を決める人は、自分が行くわけではないからですよ(^◇^)」

などという香ばしい対談を読んで、げっそりした話をしたことがありますが、
こちらの落合(恵子)さんのそれのように、集団的自衛権の行使を認めれば、
日本がかつて来た道を歩き、戦争するのではないかという意見に対しては、
落合氏はわたしと全く同じ考えをお持ちのようでした。

 集団的自衛権は、戦争が起きないようにするための抑止力になる

というものです。
これについては、先日、元海幕長の講演会について書いたエントリで、

”国家間の話し合いに、我が国が戦争という手段を取ることはありえない。
ゆえに日本が集団的自衛権を行使するとき、それはどこかが攻めてきたときである”

という趣旨のことを書いたのですが、落合氏は別の言葉でこのように言っています。


日本が攻めてくると思っている国があるだろうか。

そして、わたしが、

「集団的自衛権とは双務的、つまり対等に行使されるべきである」

とした部分についての氏の考えはこうです。

「日本が攻撃されたら助けてほしい。
しかし、あなたたちの国が攻められても、日本は助けることはできません」。
今の状況ではこうなるが、とても世界で通じない。
日本と同盟関係を結ぶ米国は、よく我慢していると思う。
現在の国際社会は、特に安全保障分野では多くの国々が互いに補完し合っている。
「平和憲法があるから」と言われても、となるのではないか。


抑止力についてもですが、現状、実際に懸念すべき国が隣にあること、
そして日本もまた国際社会の一員であるということを論点からすっぽりと外してしまって、
ただひたすら、

「集団的自衛権で戦争のできる国になる」
「憲法改正したら徴兵制になる」
「アメリカの戦争に参加させられる」

というような極端な仮定におののいている(ふりをしている?)志位さんをはじめとする人々は、
日本という国が、国際社会において戦争という最悪の問題解決の手段を回避するだけの
知性や理性の類を一切持ち合わせていない、と固く信じているようです。

そして実際にも
戦後70年の間一人も死なせず、一人も犠牲になっていない平和国家である自国より、
現在進行形で覇権拡大を実行しつつある国や、我が国と価値観を共有できない国の方を
信頼しているらしいというのは、どうにも解せないのですが・・・。



自身が国際貢献活動の現場で、かつての、”金だけ出す国日本”の孤立を肌で知った者として、
むしろ落合氏は、

太平洋戦争の時のように国際社会で孤立してしまうことの方が心配だ。 

と考えています。



落合氏は、沖縄で自決した父のことを、今でも

親父は軍人として本当に最も良い死に場所を得た」

と考えており、自分自身、父の死に様に「指揮官先頭」を学びとったといいます。
そしてペルシャ湾掃海の任務に就くにあたって、落合1左は何より「父に負けまい」と思いました。
「覚悟を持って臨む」ということです。

その覚悟から、最初に母艦「はやせ」に乗り込んだ時、

「ようしッ、一番最初に俺が”故・海将補”になる!」

と言ったところ、とたんに皆の

「やめてくれ」「やめてくれーッ」 


という叫びが一斉に起こったそうです(笑) 

 

 

参考:憲法 解釈変更を問う 元海上自衛隊ペルシャ湾掃海派遣部隊指揮官・落合さん
   中國新聞 広島平和メディアセンター

   「沖縄県民斯ク戦ヘリ」太田實海軍中将一家の昭和史 田村陽三 光人社NF文庫
   
   海上自衛隊 苦心の足跡 「掃海」 財団法人水交会 



 


遺骨帰還事業と宇都隆史議員のお話

2015-05-29 | 日本のこと

先日防衛省のお膝元にある市ヶ谷で行われた防衛団体、GO!友会の懇親会。
この日をもってこの団体に参加することが決まったわけですが、与えられた肩書きは

防衛部長

防衛部長ですよみなさん。
防衛部長って何をしたらいいのかさえわかりませんが、とにかくまた名刺に書くことが増えたわ。
地球防衛団体の顧問もそうですが、こういう関係団体って仕事らしい仕事がないせいか、
肩書きといっても考えつく限りのそれらしいものを濫発してるみたいで、
ふと民主政権時代に一人でも多く「元大臣」の肩書きを与えるために、節電大臣とかボランティア大臣とか、
学級会の係みたいな大臣のポストを増やしていたのを思い出しました。

防衛団体というものが、社会的には実質学級会くらいの位置付けだってことなのかもしれませんが。





さて、この懇親会には、何人かの国会議員の中に自民党の宇都隆史議員がいました。


外務大臣政務官として、世界を飛び回っている宇土議員、この懇親会の挨拶でも

「7時間後は日本を出発する飛行機に乗っています」(行き先は失念)

ということでした。
このように外務大臣政務官は激務であるようで、先月は国某協会主催の講演会が
政務官としての任務が入ったため中止になり、残念に思っていたところです。

ここで見かけたが千載一遇のチャンスと思い、直接ご挨拶をさせていただきました。



この日の水交会会長の挨拶では、奇しくも海上自衛隊の練習間隊出航が 
この直前に行われたことの報告があったのですが、遡ること1年前、
平成26年練習艦隊を晴海埠頭に見送ったわたしは、半年の航海を終えた彼らを、
同じ埠頭に迎えるという光栄に浴しております。

このとき、海上自衛隊の歴史上初めて、外地で戦没した旧日本軍将兵のご遺骨が
練習艦隊の旗艦「鹿島」に抱かれて日本の土地を踏む瞬間を見たのですが、
この帰還の実現には宇土議員が


「党遺骨帰還に関する特命委員会事務局長」

として奔走し、外務大臣政務官として現地にも赴いたことを知る身として、

そして国民の一人として労いの一言を述べさせていただきたいと思ったのです。



遺骨に花を手向けるため歩むその日の宇土議員。



このとき、やはり出席していた佐藤正久議員。



ところで、民主党政権時代、全てのことは暗転し、日本は没落への道をひた走り、
国体崩壊までまっしぐらだった、と思っている方は多いかと存じます。

確かに民主党の支援団体を見ただけでも、よく3年3ヶ月の間国が保ったものだとは思いますが、
細かいところでは必ずしも日本の不利益だけを目的に政治をしていたわけでもないのです。


・・・・って当たり前なんですが、こんな解説をしなければいけないこと自体、

あの政権がいかに異常だったかってことでもあるんですけどね。

特にこの戦没者の遺骨収集事業。

「史上最低の無能総理」とまで言われた菅直人が、ことこの遺骨事業に関しては
やるべきことをやっていたことだけは認めなくてはフェアではないでしょう。

硫黄島の遺骨収集作業の大幅な効率を上げるため、アメリカの公文書館で戦闘当時の
資料を探せといったのも菅元総理本人だったという話ですし、その結果、
公文書館で見つけた地図に「エネミーセメタリー」の文字を見つけ、そこから集団で埋葬された
日本軍将兵の遺骨を収集することにつながったわけですから、これは紛れもなく「功績」です。

そういえば菅元総理が、ある日の国会で唐突に

「硫黄島での遺骨収集事業は、わたし”が”やった」

と言いだしたことがありました。

わたしはちょうどそれを車の中で聞いていたのですが、もともとそのようなことが
議題に挙がっていない答弁のさなかの、まさに唐突な発言に思われました。

今考えれば、ご本人としては、これは誰からも評価されるべき功績の筈で、
俺がこんなことをやっているなんて知らないだろう!
責めてばっかりいるんじゃねーよ野党!これは認めてくれよ、という、いわば
日頃追い詰められてばかりいる者の”窮鼠猫を噛む”的唐突発言だったのかもしれません。



この功績が顧みられなくなったのは、たとえば遺骨に軍手のまま手を合わせている写真を
うっかり撮らせてしまい、それが報道に流れて

「票のためのパフォーマンス」


なんていわれてしまったり、それを打ち消すに余りある日頃の行いだったり、
失礼ながら当人の人徳のなさから来たこととはいえ、少し同情に値します。

まあ、菅直人が始めたことでもないし、彼だけがやったってわけでもないのですがね。



それはともかく、こと戦没将兵の遺骨帰還に関しては、それこそ超党派で
少しずつではあるとはいえ、切れ目なく前に進めているのは確かですが、
今までは法制化されていなかったため、それを宇土議員は特命チームの長として
佐藤議員らとともに推し進めており、ついに今国会で承認されたとのこと。

しかし法制化にはある程度タイムラグがあるため、実施は今の予定では8月になるそうです。

「それは何としてでも8月15日までに間に合わせていただきたいものですね」

わたしがいうと、宇土議員は

「もちろんその日には何が何でも間に合わせるつもりでやっています」

と返答されました。
この日、やはりお話を伺った元陸幕長は

「日本の終戦は8月15日じゃないです。
天皇陛下のお言葉があった日を終戦にしてしまっているけど、
本当の敗戦はミズーリの上での降伏調書に調印した9月2日です」

というのが持論で、 まあわたしも厳密に言うとそんな気がするのですが(笑)

いずれにしても遺骨の帰還を法律ですることが戦後70年の節目には実現するのは、
遅きに過ぎるという気はしますが、また一つ「戦後」から一歩進んだと言えるのかもしれません。


しかし、ご遺骨の収集事業そのものは、まだまだ「法制化で緒に就いただけ」です。


海外などからの戦没者の御遺骨の収容は、昭和27年度から南方地域において始まりました。
その後、平成3年度からは旧ソ連地域における抑留中死亡者について、
更に平成6年度からはモンゴルにおける抑留中死亡者についても御遺骨の収容が可能になりました。

 

この結果、これまでに約34万柱の御遺骨を収容し、
陸海軍部隊や一般邦人の引揚者が持ち帰ったものを含めると、
海外戦没者約240万人のうちの約半数(約127万柱)の御遺骨を収容しています。

 


戦没者の御遺骨が残されている地域には、相手国の事情や海没その他の自然条件等により
収容ができない地域等が残されていますが、政府としては今後も現地政府などからの
残存遺骨情報の収集に努め、そうした情報に基づき、御遺骨の収容を実施することとしています。

相手国の事情により御遺骨の収容ができない国には、外務省と連携して、
御遺骨の収容の実現に向けて努力しているところです。

なお、旧ソ連及びモンゴル地域においては、先の大戦の後に約57万5千人の方々が抑留され、
約5万5千人の方々が抑留中に死亡されていることから、
こうした抑留中死亡者の方々に関する埋葬地の特定や計画的な御遺骨の収容の実施に努めており、
平成26年度までに19,445柱の御遺骨を収容し、モンゴル地域についてはおおむね収容が終わっています。

そして厚労省では、日本人戦没者のための慰霊碑を建立することと、
慰霊巡拝を計画的に実地して、遺族の方々の巡拝を支援しています。

(厚労省HPよりの抜粋)



まだこのような法制が敷かれていないにもかかわらず、去年の練習艦隊が遺骨を持ち帰ることになったのは、
宇土議員や佐藤議員らと防衛省、そして当時の海幕長であった河野統幕長、
現場のすべての熱意によって実現したものだそうで、わたしが

「練習艦隊が遺骨を持ち帰るというのはこれから恒例となるのですか」

と尋ねると、

宇土「河野統幕長、当時海幕長なども大変そのことに乗り気で是非そうしたいと
いうことになったので、おそらく間違いはないですが、
練習艦隊が旧日本軍の戦跡に毎年寄港するかというと、そうではないので・・。

たとえば今年の練習艦隊は、マゼラン海峡を抜けた後は南米一周です。
日本軍の戦跡となると、パールハーバーしかないんですよ。
ですから毎年というわけには行かないのですが、寄港できる年には実現させたいとの意向です」

わたし「もちろんどんな方法で帰ってきても、日本の土を英霊が踏むことには違いないですが、
海軍艦で日本の地を後にした方々ですから、できるだけ海自の艦で帰して差し上げたいですね」

宇土「そうなんですよ。
ああいう儀式の時には、海自は殉職者の慰霊の際に使う”葬送の譜”を演奏するのが
恒例となっています。
”葬送の譜”って、らーらららーら♪(とメロディをフルで歌うw)というあれですが、
わたしは、”それではだめだ”と。
”お迎えには彼らが知っている曲でないとだめです” と言って、
”海行かば”を演奏することを
・・・、こう言っては偉そうですが、命令?したんですよ」


わたしああ、それで”海行かば”だったんですね・・・。
わたしは旧軍の将兵のみなさんをお迎えするのにこれ以外ない曲だと思っていました」

宇土「あの曲が流れた時ですね、わたしもですが、あそこにいた者は皆涙を流しました」

わたし「わたしも涙を抑えられませんでした・・・。
このメロディを今、英霊の方々はここで一緒に聞いていると思って」


 あの「海行かば」の演奏がご本人の指示によるものだったと聞いて、
わたしは思わず目の前の宇土議員に頭を下げずにはいられませんでした。

わたしが、幕僚の1佐から聞いた、

「航海中、ご遺骨を安置した”鹿島”の船室には常に誰かが手を合わせるために訪れ、
実習士官達にとって、また乗組員達にとっても、
これに勝る精神教育は無かったに違いないと思っております。」

という言葉をもうご存知だったかもしれませんが、お伝えしたところ、
こんな話をきかせてくれました。

ホニアラ島でご遺骨を明日は「鹿島」に乗せるという日、現地は篠突くような大雨に見舞われ、
明日の式典はどうなるかと皆は危ぶんでいたところ、

当日は昨日の荒天が嘘のように晴れ渡り、抜けるような青空が広がったというのです。

前日の雨は、日本からの迎えが来てくれたことに対するの英霊の涙雨だったのかもしれない、
と皆は言い合ったそうです。

が、 ガダルカナルのご遺骨の全柱帰還までにはまだまだ及びません。
宇土議員も、

「 わたしはあの雨は、未だあの地にあって帰還できない方の涙でもあると思いました」

自分のこれまで成したことは、まだ道半ばにすぎないことを肝に銘じている人の表情でこう言いました。




 




天皇海山列とロバート・シンクレア・ディーツ

2015-05-15 | 日本のこと

ちょっと今日は息抜きに変わった話題をお届けします。

先日、息子が学校で科学のプロジェクトに「火山」というお題をもらいました。
息子の学校では歴史や科学に、研究課題が出され、それについて調べて
一冊の冊子を作るというような授業が行われるのですが、一つのテーマについて掘り下げ、
文章をタイピングし、必要であれば図面や写真を盛り込んで、
まるで大学でやるような研究(学習ですけど)レポートを書き上げるのです。

先生は一つ一つのレポートに目を通すのですが、Wikipediaなどの規制の文章を
コピーアンドペーストすることは絶対に禁じられていて、一つでもそれがあると
点数が貰えません。

「そんなのどうやってわかるの」
「わからないけどそういうの探すソフトでもあるんじゃない?」

今の時代、先生も丸ペケだけで点数をつけていればいいわけではないんですね。
愚息はこういった研究課題形式のものが得意で、いつも高得点を取ってくるのですが、
実はその陰には父親であるTOの身を惜しまぬ協力が(少しは)あるのでした。

「こんど研究課題いつでるの」「出たら教えてね」

というのが彼の口癖で、特に科学系課題はドラフトを書かせ、それに目を通して、
「先生の立場で」それを読み、ここはどうしたらいいとかアドバイスするだけでなく、
実際に関連書籍を買い込んできて自分も仕事の合間に読み込み、
必要とあらば実際にその関係するものを見に連れて行ったり・・・。

孟母三遷ではありませんが、こんなことに関してだけは協力を惜しみません。
むしろ、自分が楽しむために手伝っているのではないかと思うこともしばしば。

息子の課題に「火山」が出た時には、TOは何冊かの本を読むうち
すっかり火山博士になってしまっていたようですが(笑)、あるときその検索の過程で

「こんなのあるの知ってた?」

と教えてくれたのが、本日タイトルの天皇海山列でした。
冒頭写真の妙に男前の科学者が、天皇海山群の命名者である

ロバート・シンクレア・ディーツ(Robert Sinclair Dietz)1914~1995

です。
教えてくれたTOも、もちろんわたしも初めて知ったのですが、この天皇海山群は、
アリューシャン海溝と千島−カムチャッカ海溝の結合部から南に向かって
約2500kmにわたって海底に存在する海底山脈です。



わかりますかね。
画面の中央に少しだけ右に振れるように降りてきている線がそれです。
線は降り切ったところで右に向かっておおきく曲がっていますが、
そこからは「ハワイ海嶺」と称する海底火山で、長さは3,500kmあります。


天皇海山列一発見・命名のいきさつ と生成の謎一杉山 明 より


海の中の山脈のことなど、大抵の人は何の関心も持たずに一生を終わるのだと思いますが、
今回わたしとTOがこの海山列にふと関心を持ったのは、その名前が、
「天皇」の名の通り、我が日本国の歴代天皇の御名より取られていたからです。

この上の図を大きなモニターで見ておられる方は少し良く見てみてください。

「桓武」「応神」「推古」「応仁」・・・。

古くは8500万年前にできた海底山に、日本の天皇の名をつけたのが、
先ほどの男前学者、ロバート・シンクレア・ディーツだったのでした。



もう一枚、男前だから写真サービスしちゃう。
海底火山の研究なんて地味なことをやってる学者でなければ、
どこかでプロデューサーのの目に止まって科学者の役で映画に出そうだわ。


さて、このイケメン科学者がどうしてこの海山群に天皇の名をつけたのか。
地図をお借りした杉山博士の論文によると、この海山列の現在の正式名は

「北大西洋海山列」Northwest Pacific Seamount Chain

というものらしいです。
こういう名称は「海底地形名統一のための小委員会」という機関で決められ、
こちらの名前は日本人の研究者、田山利三郎が1952年に命名したものです。

ところが、その2年後の1954年、ディーツが

「天皇海山群」Emperor Seamount Chain

と同じ海山群を名付けました。
ディーツは田山氏の論文を知らなかったから、という説と、
知っていて無視をした、という説があるそうですが、どちらかわかりません。

研究のデータは、わかっているところによると1935年、
日本の淀鑑という船が測量を行ったものが元になっているようですが、
ディーツは1953年にアメリカの海洋研究所が行った測量を基にし、
このときに発見された火山群に対して個々の名前をつけたというわけです。

それでは、日本に近いところから順番に名前を記していきます。
名前の後ろの数字は海面から頂上までの距離です。
すなわち、少ないほど「高山」ということですね。

「明治」 2,009m
「デトロイト」 309m
「天智」 1,819m
「神武」 1,296m
「推古」 1,029m
「用明」 980m
「仁徳」 959m
「神功」 792m
「応神」 1,608m
「光孝」 18m
「欽明」 1,095m
「雄略」 11m
「大覚寺」11m
「桓武」 280m

こうしてみると「デトロイト」の異質さが謎ですが(笑)、
この「デトロイト」は、あの「キスカ島」「アッツ島」に最も近い海山です。
それにしても「雄略」「大覚寺」の11mというのは、ほとんど海のすぐ下にあるわけですが、
これがある日海面から顔を出して
島になってしまう可能性なんかはないんでしょうか。



それにしてもどうしてディーツは海山群に天皇の名前をつけたのでしょうか。

彼はアメリカ人なので、命名といっても「Meiji 」「Kanmu 」「Yomei」という調子で、
いまいち我々にはいい命名とは思えないのですが、それはともかく、戦後、
まだまだ戦争の傷がお互い癒えていない時期に、アメリカ人の学者が
自分の発見した海山群に、日本の歴代天皇の名前をつけたわけです。

学者らしく、戦争のあったことには全く拘泥しなかった、ということでもありましょうが、
先の杉山氏の論文によると、

「日本の古代史に興味を持っていたから」

ということを後で当人が言っていた、という話があった、という話です(笑)
ディーツはフルブライト研究者として東京大学に留学し、海上保安庁水路部において
研究を行っているので、やはりそれは本当だったのだろうと思います。

世の中には自分の嫌いな国に留学に来て、留学先でその国をわざわざディスる国民もいるそうですが、

ごく常識的に考えれば、敬意を払える国であるから留学に来るのが普通だろうと思います。

どうしてディーツが天皇の名前をつけたか、ということについては、
かの偉大な知恵袋において、いくつか質問がなされています。
そのうちの一つに、こんな回答が寄せられていました。

命名するときに日本に居たから「たまたま」じゃないでしょうか?
あくまで想像ですが、こういう命名って学者さんは途中から真剣に考えなくなるんですよね。
当たり前ですが、生まれてくる我が子の名前を必死に考えるようには考えません。

ちなみに台風の名前も適当すぎるんですよ。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html
日本の名付け分でも「コップ」だの「コンパス」だの適当です。

そんなもんですよ。意味なんか無いと思います。
強いて言えば少なくとも皇室に敬意は持っていたんでしょうが・・・


うーん・・・なんでこの回答者はこんなに必死なのか。
「たまたま」とか「真剣に考えなくなる」とか「必死ではない」とか、「適当」とか
「意味がない」とか、言葉を尽くしてこの命名を矮小化しようとしているけど・・。

だいたい学者の命名がほとんど適当であるなんて、想像だけで決めつけていいの?
学者ならなおさら、自分の死んだ後も永遠に残されるであろう学名に、
「意味もなく」名前をつけるはずはないんですが。

 台風の名前と比べているのもなんだか変ですよね。
台風に名前をつけた人の名前って、 台風と共に記録に残るようなものですか?
そもそも台風って、学者の業績と比べるようなもんですか?


最後でお茶を濁しているけど、実はこの人、天皇の名前が使われたこと
そのものが、
気に入らなくて仕方がない人なんじゃないかと思いました。




というわけで、こういう話になると、こういった皇室反対論者なんかが噛み付いてくるし、

今のところ気づかれていないけど、「日本海」という名称を変えさせようとしている国が、
もしこのディーツの命名に気がついたら、発狂してえらいことになるのは必至なので、
海保の地図には、「天皇海山群」ではなく「北大西洋海山列」とだけ記されているのかなあ、
などと穿ったことを考えてしまいました。



最後に超蛇足になりますが、息子の火山プロジェクトは父親の影の助力の甲斐あってか、
99%(つまり99点)のA+がつきました。<(_ _)>
もしかしたら・・・?などと、早速ディーツのような科学者になる将来を想像し、
悦にいる親バカ全開のわたしでございます。

 



 


人民海軍はブルーウォーター・ネイビーの夢を見るか 

2015-05-01 | 日本のこと

相変わらず本題以外のことに寄り道している当ブログですが、
今日は腰を据えて?海軍兵学校同期会で行われた、元海幕長の講演の内容をまとめてみました。
しかし、後から読み直してみたところ、実際に元海幕長が述べた内容の、ごく一部を

例によって当方の興味にまかせて膨らませてしまったりしているため、実際の講演では
おっしゃらなかったことがかなり含まれていることをご了承ください。



さて、演者の元会場幕僚長は、ここ水交会の専務理事でもあります。
講演に先立ち、


「もし海軍兵学校が継続していたら、私は100期ということになります」

と前置きして、講演を始めました。
本日のお題は、「中国の海洋進出」。
わたしはまったく同じ題で、3年ほど前に同氏の講演を聞いているわけですが、
あれから国際情勢は少し変化しています。
ベクトルはまったく変わっていないだけでなく、むしろ深化しているだけとはいえ、
講演の内容にも当然なんらかの変化が見られるはずです。


●中国の海洋進出の目的

簡単に言ってこの目的とは、海洋資源と海上交通の確保です。
資源については周知の通り、尖閣付近に海洋資源があることがわかった1970年から
急に領有を主張しているので、あまりにもわかりやすい意図で見え見えなのですが、
何しろあの国は「言ったもん勝ち」とでもいうのか、たとえば南京大とやらも
10万人単位で数だけ増やしてそれと比例して声も大きくなっているわりに、
新たな証拠や検証結果などはまったく出してこないのが、「お隣の国」韓国の、

「我が国がそう言っているんだから竹島はわが国のものだ」
「慰安婦がそう言っているんだから強制連行はあった」

という独自のロジックに基づく主張と極似していて、さすがは宗主国であると思わされます。
この辺りのお話でもっとも印象的だったのは、

「中国の国土面積は日本の25倍であるが、海岸線はわずか5分の1」

という事実で、あらためて驚きました。
さすがに島国日本、そのおかげでEEZ、国土の海岸面積から200海里以内を
経済水域とする基準でいうと、その広さはなんと世界第6位となるんですね。

目的としてはもちろん、「本土防衛のための防御縦深拡大」があります。
「縦深」という言葉には馴染みがないですが、軍隊で、最前線から後方に至るまでの縦の線の意です。

 


日本列島から出てくるように引かれた二本の線ですが、
左側を第一列島線、右を第二列島線と称しています。
称しているのは中国で、日本ではありませんので念のため(笑)

この勝手に引いた列島線を中国はつまり


「対米防衛線」

だとしているわけですね。
この第一列島線の内側には日本列島の一部、つまり尖閣諸島が含まれていたので、
当時日本国民は騒然となりました。(一部の人々のぞく)

例えばこの図でいうと、

第1列島線 AA(A2とも)アンタイ・アクセス アメリカを接近させない

第2列島線 AD エリア・ディナイアル アメリカを地域から追い払う

という戦略のために作り上げたラインです。
追い払うとか近づかせないとか、何を勝手なことを言っているんだ、
この線の内側には完璧に日本の領海もあるじゃないかと思った方、その通り(笑)


中国は目標の一つに「海洋強国」をあげていて、そのためには、24時間衛星やドローンで
中国の動きを逐一見張り、不法行為を行おうとした瞬間事前攻撃を仕掛けてくる、
「憲法9条」を持たないアメリカが大変邪魔なわけです。

そのため、強大な人民海軍を建設することを目標に、中国は倍々で軍事費を増加しており、
現在の日本の国防費5兆円に対し、17兆円、実質はその2倍になると言われているのです。

そして航空母艦を建造し、潜水艦を増やしているのですが、元海幕長に言わせると
「遼寧」というこの空母は艦載機も未習熟であり、むしろ警戒するべきは潜水艦だとのことです。
そして潜水艦の建造も着々と進んでいるのですが、問題は性能。

この点日本の潜水艦はバッテリー推進の性能、静謐性において現在世界一の性能だそうで。
保有隻数も従前16隻であったのを、22隻まで増やす予定だそうです。




ところでなんで日本の領土なのに、中国が列島線戦略でアメリカアメリカと言っているのかというと、

つまり中国が本当に恐れているのが、日本ではなくその後ろのアメリカだということなんですね。
これは元海幕長がおっしゃったのではなく、わたしが今そう思っただけなんですが、
もしアメリカが前述のように監視していなければ、中国はもっとやりたい放題するはずです。

日本のサヨクを抱き込んで、沖縄で米軍基地の反対運動をしょっちゅう起こしたり、
(日当が出ているらしいですね。どこからお金が出ているのかな?) 
住民票の操作、選挙管理に不正をしてでも沖縄の知事に親中派の人物を押し上げたのみならず、
先日はわざわざ中国に「朝貢」というか忠誠を誓わせるために呼びつけていますね。
ついでに色々とあてがって、しっかり弱みも握ったんでしょうね、きっと・・。


こんなことからも、中国はまず日本からアメリカをなんとかして
「引きはがしたい」のが、手に取るようにわかりますね。


●ブルーウォーター・ネイビー

という言葉をご存知でしょうか。
反対語というか対義語は「グリーンウォーター・ネイビー」といいます。

ブルーの方は、日本語では「外洋海軍」といい、自国の沿岸に留まらず、
世界の各海域で広域的かつ長期的に艦隊を運用し、作戦を展開できる能力を有する海軍で、
これに対し、自国沿岸でのみ作戦展開する海軍が「グリーン」の方です。

現在、世界ブルーウォーター・ネイビーを保有するのはたった3カ国。
アメリカ合衆国、イギリス、そしてフランスです。

フランスが意外なのですが、フランス海軍というのは完成度が高く(歴史もあるし)、
イギリスの王立海軍に引けを取らないのだそうです。
もちろんいうまでもなく、我が大日本帝國海軍も、ブルーウォーター・ネイビーでした。

つまり、かつてのブルーウォーターネイビーは、世界三大海軍と言われた、
アメリカ、イギリス、日本3カ国の海軍であることになります。

現在の海上自衛隊は、憲法の関係でグリーンにカテゴライズされますが、
シーレーン防衛を戦略目標とし、策源地への攻撃能力を有しないものの、
広域的に艦隊を洋上展開し、艦隊並びに護衛する商船団を防衛するに十分な防御力を有していて、
「実質ブルーウォーター・ネイビー」というべきでしょう。

そして現在の中国が目標にしているのがブルーウォーター・ネイビーなのです。

「沿岸から1,500海里以上の遠方海域を制圧可能な能力」

を保有することをめどにしていて、ジブチの海賊対策にも積極的に出動していますが、
これは、国際貢献というより「実戦に習熟して海軍力をあげるため」であるという見方が専らです。

せっかくいいことをしているのにこんなことを言われてしまうのも、
日頃の行いがあまりよろしくないせいで、これは仕方のないことかもしれません。
そういえば佐世保の海自基地に向かって叫んでいた左翼団体のHPには

「海自の派遣は血に飢えた自衛隊の野望がどうしたこうした」

と書いてあったのを思い出しますね。
いったい海賊対策派遣のどこが「血に飢えた野望を満たすため」なのかと、
あの文章を読んで首をひねったものですが、中国海軍の下心を反映したものである、
と考えるとわかりやすいかもしれません。

韓国が試合に負けたり何か自分たちに都合の悪いことが起こると「日本が金をばらまいた」と
大騒ぎするのが、おそらく自分たちの行為の投影であるように。
 
ちなみにその韓国ですが、装備自体は外洋海軍になりつつあるものの、
その海軍の本質的な戦略目標や海軍の運用能力から、

(所詮)地域海軍の域を出ない。

とされています。


蛇足ですが、「ブラウンウォーター・ネイビー」というのもアメリカにはあり、

これはイメージ通り、河川や沿岸部を担当範囲とする部隊を指します。


海上自衛隊は三大海軍だった頃の「海軍力」を文化として引き継いでいますので、
実質そうではなくとも実力的にはブルーウォーターネイビーであるわけですが、
中国の場合はいかにもその辺りが未成熟で、元海幕長に言わせると大きな図体をした赤ん坊、
といったところだそうです。

2013年1月、海上自衛隊の護衛艦「ゆうだち」に対して、中国海軍のフリゲート艦「連雲港」が、
火器管制レーダー(射撃管制用レーダー)を照射した事件がありました。
それだけでなく、翌月の2月に、こんどはフリゲート艦「温州」が、海自の「おおなみ」の
艦載機であるSHー60哨戒ヘリに、同じ火器管制レーダーを照射しました。

射撃管制用のレーダー照射、というのは、まさに引き金を引けばズドン、の状態なわけです。

中国側からは「軍の暴走ではないか」という意見も出たそうですが、指揮系統からいっても
それはありえない話で、実際にも共産党の意を受けた中央軍事委員会の決定であると判明しました。

これははっきりいって、自衛隊が(というか日本が)なめられていたといってよく、
海上自衛隊は安易に火力で反撃してこないと"信頼"して実施されたと言われています。

元海幕長が実際にアメリカ海軍の軍人とその話をしていたところ、

「自分が当事者であればレーダーの照射があった時点で先に攻撃している」

と述べたそうです。
このほかにも、防空識別圏の設定や、航空機の異常接近など、とてもネイビーとして
「イケてない」、つまり図体ばかり大きくても洗練やましてや「三大海軍」などには
到底ありえない田舎海軍の振る舞いをしている間は、ブルーウォーター海軍への道は遠いと言えます。



●円満時代から敵対時代へ

昔は中国海軍と自衛隊の間はそう悪くはありませんでした。
韓国海軍と自衛隊の交流が今でも行われているように、防衛交流として
例えば士官候補生を乗せた人民海軍の練習艦が江田島を訪問し、そこで交流を行いました。 

【特集】 中国海軍 広島訪問の5日間


晴海埠頭にも「深セン」が入港したこともありますし、2008年には「さざなみ」が
日本の護衛艦としては初めて中国の湛江に寄港し交流するという出来事もありました。

しかし、上に述べたような常識の欠如した振る舞いを海軍が共産党の意を受けて
自衛隊に挑発するように仕掛けてくるようになり、事態は悪化し、
現在ではそういった交流の一切が遮断されているのが現状です。


●ベトナムという国

確か、前の講演会でも元海幕長はベトナムに学ぶべきであると言いました。

1979年、大量虐殺を行っていたカンボジアのポルポト政権に対し、
軍事侵攻によってこれを壊滅させたのに怒った中国が、

カンボジア侵攻に対する懲罰行為

と称してベトナムに侵攻してきて起こったのが

中越戦争

です。
しかし、ベトナムはこのとき中国軍を返り討ちにしました。
その5年前のことになりますが、1974年にはベトナムは

西沙諸島の戦い

で、ベトナム戦争の末期で大変苦しい状態にありながら、
中国の軍事侵攻に対し一歩も引かず、戦っています。
結果としてベトナムはこの戦いにも、南沙での海戦にも負け、
どちらもを中国に奪われる結果となってしまったのですが、
強大な相手に立ち向かっていく、国土を守るために決して泣き寝入りしない
この国の誇り高い気概からは学ぶものが多い、と元海幕長は言いました。

わたしも全く同感です。


●集団的自衛権



つまり、一言で言うと、「事態は全く好転していない」ということで、
中国が進出の野望を捨てる可能性がなくならない限り、我々は
海上防衛力の強化とたゆまぬ警戒監視、そして日米同盟の強化により
軍事バランスを取って抑止力とするしかなすすべがないということでもあるのです。

そこで集団的自衛権なんですが(笑) 

ところで、株式会社カタログハウスの「通販生活」という通販雑誌がありますね。
そこでしか買えない商品もあり、機能的で優れた品質のものを扱っているというイメージで、
なんだかんだと買っているうちにわたしはお得意様番号まで持つようになったのですが、
いつの頃からかこのカタログの読み物が気持ち悪くなってきました(笑)

チェルノブイリの子供たちに対する支援などを呼びかけているうちはよかったのですが、
特に民主党政権時代あたりから露骨に「オルグ雑誌」の様相を呈してきて、
最新号の対談はなんと、

「安倍総理が目指しているのはいつでもどこへでも自衛隊をおくり出すことです」
(これがタイトル)
柳沢脇二・落合恵子対談

ですからorz

柳沢という元官僚がどういう人物かは調べていただければわかると思いますが、
例のISIS人質事件の時に「安倍総理はやめるべき」といっていた人間、といえば
だいたいどんな傾向の人かわかっていただけますでしょうか。
フェミの代表で典型的な9条信者である人とこの人物を選んだ時点で、この読み物には
公平な視点というものが全くないということになってしまうのですが、
とりあえず我慢してざっと読んでみました。

まあ色々と尤もですが、(説明が足りないとか実際に行かされる自衛隊員のことを思えとか)
ないんですよ。一言も。「中国」という言葉が一度も出てこない。

日本以外の武力の脆弱な国、先ほどのベトナムもそうですし、チベットやウィグルや、
そういったところには侵攻や弾圧を加えている国が、我が国の領土に食指を伸ばしている。
なぜ日本に対してそれ以上のことが起こらないのか、というとそれは日米同盟なんですよ。

これは元海幕長も同じことを言っていましたが、決して憲法9条のおかげじゃないんです。

日本の後ろにやったら勝てない敵がいる、だから今まで手が出せなかっただけなのに、
この人たちはごく一部の情報をもとに

「集団的自衛権の行使は日本が前のめりになっているだけで米国の要救ではないんです」(柳沢)
「日本も血を流すべきという人がいますが、その意味を真剣に考えたことがあるのでしょうか」(落合)

などととんちんかんなことを言っているわけです。
おまけに要求を『要救』とか間違えているし(笑)

で、落合さんはアメリカ軍人が日本のために血を流すのは構わないって意見でおk?

本来の集団的自衛権というものは、同盟国などの関係にある国が相互に
侵害を排除するという双務的(どちらもが義務を負う)もののはずですが、
今の日米同盟はこれでいうと片務的なものです。
何かあった時に日本のために血を流しているアメリカ軍を幇助することすらできないわけです。

左翼の人たちは一足飛びに血を流す流さないの話をしたがるわけですが、
国家間の話し合いに戦争の手段を日本が取ることは「ありえない」のですから、
これはどう考えても「最悪の場合、どこかが攻めてきたら」の仮定でしょう。

その仮定において、自分が血を流すことを想像できても、アメリカ人が血を流すことは
全く想像できないと。そういうことですかね?

そして柳沢君、「米国の要救」でなかったら、なぜそれは必要がないことだと言い切れるのかね。
まず主権国家として当然負うべき義務であるなら、米国から言い出されなくても
当然それを果たすために日本が動いて当然だ、とわたしは思うのであるが。

そして、お二方の対談にすっぽりと抜けている「中国」という国にとって
この権利が抑止力として機能し、結果、平和が均衡として保たれると考えたことは?

・・・・ないだろうなあ(笑)

●いずも

さて、だいたい上のようなことを講演した元海幕長は、
後半からの懇親会にも出席し、その冒頭でちょっとした補足を行いました。

「先日ヘリ搭載艦『いずも」』が就役しました。
軽空母くらいの大きさで、物理的には戦闘機も載せることができます。
しかし、これは絶対に空母ではありませんし、空母にはなりません」

笑いを含んで言葉を収めた元海幕長の表情に、

「どこかの国が攻めてくるようなことがない限り」

という言わなかった言葉を聞き取った元海軍軍人たちの間から、かすかに笑いが漏れました。



続く。




 

 






海自ヘリ事故の報道と塗り換えられた陸自最強伝説+おまけ

2015-02-20 | 日本のこと


最近起こった自衛隊関係のニュースについてです。
まず、2月14日に墜落がわかった海自のヘリの記事から。

不明ヘリ発見、3人心肺停止=宮崎の山中に墜落―海自


(産経新聞12日記事)

12日午前、鹿児島県の海上自衛隊鹿屋基地所属のヘリコプター1機が
訓練飛行中に行方不明になった。ヘリには隊員ら3人が搭乗。
鹿児島県上空での交信を最後に行方が分からなくなったといい、
海自と空自の航空機が付近を捜索している。

防衛省によると、ヘリはOH6DA。
4人乗りの小型ヘリで、パイロット養成の練習機として配備されており、
海自の学生ら3人が乗っていた。

ヘリは同日午前9時19分に鹿屋基地を離陸。
同11時5分に鹿児島県伊佐市付近での無線交信を最後に行方が分からなくなったという。
ヘリの燃料は同日午後0時20分ごろまで飛行が可能だったといい、
防衛省は不時着したか、遭難した可能性もあるとみて付近を捜索している。

同日午前の鹿児島県上空は雨雲で視界が悪かったという。

(朝日新聞13日記事)

海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)を12日に離陸後、
鹿児島・宮崎県境付近で行方不明になっていた同基地所属の訓練用ヘリコプターOH―6DAの機体が、
13日午前9時20分ごろ、大破した状態で宮崎県えびの市の山中で見つかった。
搭乗していた3人は、搬送先の病院で死亡が確認された。


自衛隊によると、ヘリが見つかったのは鹿児島県境に近いえびの市内竪のJR真幸駅の北東。
第211教育航空隊所属で、3等海佐の山本忠浩機長(39)と40代の3等海佐の男性教官、
20代の2等海曹が搭乗していた。

海自によると、2等海曹は機体の外で、他の2人は機体の下敷きになった状態で見つかった。

ヘリは12日午前9時19分、鹿屋基地を離陸。鹿児島県伊佐市付近まで北上後、
同県出水市付近で折り返し、基地に戻る予定だった。
だが鹿児島空港事務所などによると、同11時前後に空港の管制官との間で

「天気が悪いので迂回して鹿屋へ帰る。(宮崎県の)えびの、小林、都城を経由する」
とのやりとりがあった。
同11時5分ごろ、伊佐市上空付近を飛んでいる、と鹿屋基地と交信したのを最後に連絡が途絶えた。


第一報では「海自の学生ら3人」となっていましたが、
その後「機長・教官・学生」であることが明らかになりました。
日曜日に行われた東京音楽隊の定期演奏会に検閲予定だった武居海幕長は、
自体を鑑みて出席を取りやめたということです。

海幕長は17日に記者会見を行っており、その席でこのヘリコプターが2013年、
機体後部の回転翼に動力を伝える部品が破断し、修理していたと明らかにし、
「これらのことも踏まえ、事故原因を調査している」と述べました。

破断したのは「テールドライブシャフト」と呼ばれる軸状の部品で、
地上での回転翼の動作試験中に折れたそうですが、すぐに部品を交換し、
以降は同様の不具合は起きていないということです。

現時点で事故原因は究明できていません。

さて、そこでお約束のように「付近住民の不安」を拾ってきた社あり。 

(毎日新聞・2月13日) 

「どこかに不時着してくれていたら」。希望を打ち砕く光景だった。
12日に鹿児島・宮崎県境の上空で消息を絶った海上自衛隊の小型ヘリ。
一夜明けて捜索にあたっていた自衛隊が、宮崎県えびの市の山中でヘリ機体を見つけた。
機体とともに搭乗していた自衛官3人も心肺停止状態で見つかった。
「無事を信じていたのに」。
夜明けとともに捜索にあたった関係者は、うつむいた

海自などは周囲が明るくなり始めた午前7時ごろから、捜索を再開した。
現場付近の住民から「雷とは違う大きな音がした」と情報が寄せられた
JR肥薩線真幸駅(宮崎県えびの市)付近を重点的に捜索。
宮崎県警約60人と合同で、上空からはヘリコプターなど5機、
陸上からは500人態勢で機体や搭乗員の行方を捜していた。

捜索開始から約2時間半後の午前9時20分過ぎ「機体一部を発見」との知らせが入り、
周辺は一気に慌ただしくなった。
真幸駅近くの前線本部では地図を広げた隊員らが無線交信に追われ、
既に山中に入っていた隊員らに、現場とみられる滝下山(標高785メートル)
山頂付近に向かうよう指示が出された。
報道陣に囲まれた広報担当者は間もなく
「3人が確認された。未確認だが、脈がない」と沈痛な表情で漏らした

行方不明機が所属する海上自衛隊鹿屋航空基地でも仲間の安否を気遣い、
険しい表情を浮かべる自衛官らが慌ただしく行き来した。
早朝から報道関係者の対応にも追われ、断片的に入る情報にいら立つ関係者も
何度も詰め寄る報道陣に「後輩が乗っていた。私も知りたいんだ」と言い返す自衛官もいた。

大がかりな捜索に、近隣の住民も不安を募らせた。千葉シヅ子さん(77)は
「低い高度でヘリコプターが飛んでいたので、怖いとは思っていた」と表情を曇らせた。
別の70代女性は「こんな近くに落ちていたとは」と顔をこわ張らせた。
【重春次男、杣谷健太】


まずは殉職された3人の隊員の皆様のご冥福をお祈りいたします。

働き盛りの幹部二人とまだまだこれからの若い練習生の死。
いつも危険と隣合わせの任務とはいえ、ご家族はじめ周りはどんなにか無念であることでしょう。
2曹は航空学生で採用され、回転翼の過程に進んだところで、
まだウィングマークを取っていない段階であったのかもしれません。

この記事でわたしの「センサー」にかかった部分を赤文字にしてみました。
早速ですが先日の「おおすみ」事故におけるマスコミ対応に通じる
「煽り」みたいなものを感じますね。

「苛立つ関係者」「言い返す自衛官」

これらからは言外に「事故を起こしておいてその当事者のくせに」という非難が含まれています。
だいたいこういうときに自衛官が群がるマスコミに対して

「私も知りたいんだ」

なんて社会派ドラマの登場人物みたいな言葉使いをすると思いますか?
そして「近隣の住民が不安」という、マスコミお得意のイメージ操作。
まるでヘリが住宅地の真ん中に落ちたような書き方ですが、現場は「山中」。
最寄りの「真幸駅」とやらもグーグルマップで調べてみれば無人駅で、駅前には店らしきものもない、
つまり「付近住民が怖いと顔を強張らせたり不安を募らせる」要素は”あまり”ありません。

おそらく、毎日の記者二人は付近の民家に片っ端から突撃し、高齢の女性を選び、

「すぐそこに落ちたんですよ。おたくも危なかったですね」

などといって、おばあちゃんたちの

「そりゃ怖いねえ」

 という一言を取ってきて、ついでに顔を強張らせたことにしたに違いありません。
たぶんね。
ヘリの墜落といえば、報道ヘリが起こした事故は結構あって、


1984年、朝日放送と毎日新聞のヘリが空中衝突(住宅街に墜落)3人死亡

2004年、信越放送のヘリが送電線に接触して墜落、4人死亡

2007年、静岡でNHKのヘリが貯水池脇に墜落、1人死亡

2008年、青森朝日放送のヘリが海に墜落、4名死亡


これらの事故の時に、報道陣は近隣住民にインタビューしたんでしょうか。
そして、近隣住民の不安の声をお届けしたんでしょうか。
京都の市街地の上空で8機のヘリがニアミスしたということがあったとき、
下で見ている住民が文字通り顔を強張らせていた件はどう記事にしたんでしょうか。

全くこういうダブルスタンダードの報道には怒りを覚えずにいられません。
おい毎日、おめーのことだ!


続いては、第一空挺団の事故ニュースです。

(十勝新聞2月13日)

パラシュート十分開かず 隊員にけがなし 陸自降下訓練


【鹿追】11日午前9時15分ごろ、鹿追乳牛育成牧場で行われていた
陸上自衛隊第1空挺団(千葉県船橋市、習志野駐屯地)の降下訓練で、
隊員1人のパラシュートが十分に開かないまま降下した
陸自第5旅団(帯広)広報班によると、隊員にけがはなく、訓練は続行した。

訓練は9、10の両日、同牧場で行われる予定だったが、
両日とも強風と雪のため中止になり、予備日の11日朝から行っていた。
隊員約170人が参加し、高度約340メートルを飛行するヘリコプターから降下する訓練中だった。

近くで見学していた男性(53)は「何度も見ているが、普通の速度じゃなかった。
膝ぐらいまで雪が積もっていたからけががなかったのだろうか」と驚いていた。

同団は2008年から毎年、管内の民有地や公有地で積雪地演習を行っている。
09年に行った訓練では、ヘリコプターから飛び出した隊員が上空で宙づりになる事故があった。
12年に同牧場で行った訓練の際には、隊員2人が
降下予定地点を約1キロ離れた牧場(民有地)に着地するトラブルがあった。

 
もちろんパラシュートが十分開傘しなかったというのは大変な事故です。
たまたま見ていた人によるとすごいスピードで落ちていったようですが、
もし開かなかったらと思うと、これは自衛隊に徹底した調査をお願いするべき事案
・・・・なんですが、なんだか突っ込みどころが多くて・・・このニュース・・。

まず、

「隊員には怪我はなく」「訓練は続行した」

なんで訓練続行しているんですかー!
いくら怪我がなかったからって大事を見て病院で検査するとかさせてやってよ。
まさか


「大丈夫か!」「レンジャー!」
「訓練続けられるか!」「レンジャー!」

とかいう会話で判断したんじゃあるまいな。


ところで以前、朝霞駐屯地の基地訪問で案内してくれた1佐は、空挺団の降下ビデオを見ながら、


「皆普通に地面に着いた後転がってるでしょう。
これは立てないのではなく、衝撃を逃がすためなんですよ。
パラシュートで降りても2階から飛んだくらいの衝撃があるので」

と教えてくれたもんだ。
わたしが、

「空挺団って階段使わないで2階から飛び降りるって本当ですか」

と聞くと、

「ああ・・お酒飲んで酔っ払った時とかだけですけどね」

酔っ払って飛ぶほうがずっと危険だと思うがどうか。
というわけで陸自超人伝説がまた一つ増えてしまったわけですが、今回は
雪が積もっていたというのが幸いしたのは確かでしょう。
しかし、どこかでソ連だかロシアだかの一個連隊が、雪が深いから大丈夫!
ってパラシュートなしで降下して全滅したって話を読んだことがあるぞ。

そしてこれは微笑ましい。
このニュースの最後にさりげなくある、


「二人が牧場に着地するトラブルがあった」

という事故ですが、これはつまり傘を抱えて牛さんの群れの中を駆け抜けたりしたのね。
パラシュートで興奮した牛に追いかけられたりする二次災害が起こらなくて何よりです。

 


さて、最後にわが自衛隊とは全く関係ありませんが、軍事関係ニュースで笑ったものを。



バーナード・シャムポー在韓米第8軍司令官が「チェ・ボヒ(崔宝煕)」という韓国式の名前を受けた。 

韓米同盟親善協会(ウ・ヒョンウィ会長)によると、6日、ソウル龍山(ヨンサン)陸軍会館では
「2015年韓米親善の夜行事兼米第8軍司令官韓国名命名式」が開かれた。 
この席でウ会長はハングルで

「米8軍司令部司令官チェ・ボヒ中将」と書かれた命名掛け軸を与えた。

シャムポー(Champoux)のイニシャルCからチェ氏を姓とし、
バーナード(Bernard)のBから「宝」の字を入れた後、
「宝のように輝く」という意味を込めて「ボヒ」という名前を付けたと、ウ会長は説明した。 

シャムポー司令官の父が朝鮮戦争当時、鉄原(チョルウォン)地域の戦闘に参戦した縁を考慮し、
本貫は「鉄原(チョルウォン)チェ氏」とした。 
名付けた人は韓国戦争の従軍記者だったソ・ジンソプ協会名誉会長(84)という。
行事に参加したチョン・インボム特殊戦司令官(中将)は
シャムポー司令官の夫人に「全秀鎮(チョン・スジン)」というハングル名を付けた。 

名前を受けたシャムポー司令官は
「私の偶像であり韓国戦争に参戦した父が韓国で体験した話をよく聞かせてくれたため、
韓国はいつも私と一緒だった」とし
「韓国に赴任し、勤務しながら、韓米同盟の強い力を実感し、韓国人の温かさを感じる」
と述べた。 

ウ会長は
「チェ・ポヒ司令官と崔潤喜(チェ・ユンヒ)合同参謀本部議長の名前には共通の文字がある」
とし
「韓国式の名前を通じて両国同盟がさらに強まることを望む」と述べた。 

協会は米国人に民間外交活動レベルで韓国式の名前を贈ってきた。 
2010年にはバラク・オバマ大統領に呉韓馬(オ・ハンマ)という名前を付けた。
ヒラリー・クリントン元国務長官には韓煕淑(ハン・ヒスク)、
コンドリーザ・ライス元国務長官には羅梨秀(ラ・イス)という名前が付けられた。 

 

 
まず、この国の人に聞きたい。
なんで人に勝手に自分の国の名前をつけるのかを。

 日本人はアメリカ人によく「俺の名前漢字で書いてよ」と頼まれて
「サミー」は「寒」で意味はクールってことだよ、などとやりますが、(ネタで)
オバマが「オハンマ」とかライスが「ラ・イス」はともかく、(ネタか?)
なんでいきなり、よりによって「チェ・ボヒ」なんて名前を押し付けるのか。 
しかも頭文字がCだからチェ?Bだからボヒ?  

 

だいたいボヒじゃなくてシャムポー中将、お愛想言ってるけど顔が引きつってるじゃないですかー。
そんな名前つけられてどうしろというのか、みたいな表情がありありです。




さらにこちら。
チャールズ・キャンベルという立派な名前があるのに、
何が悲しくてわざわざキムと呼ばれねばならんのか。

しかもこの名前、キムの後は「韓国を守れ」ですよ。
 
在韓米軍の軍人さんたち、さすがに大国の軍将官だけあって人間ができているのか
ニコニコと表面上は嬉しそうに受け取っていますが、
だいたい相手が望んだわけでもないのに「命名式」。
なんで上から目線なのか。

たとえば第7艦隊の司令官に、

「日本の名前を命名します。山田守です。しっかり日本を守ってください」

といって「山田守中将」という掛け軸を渡すみたいなものですよ。
韓国人の皆さんだって、たとえばですけど南米のどこかに行って、いきなり

「お前はここではゴンザレスな」

とか上から目線で言われたら何それ、って思いませんかね。
こんなことをする割には自分たちは普段本名を名乗りたがらないのも謎(笑)






 


 東京裁判の弁護人たち~ジョージ・A・ファーネス大尉

2015-01-26 | 日本のこと

この項を作成するためにわたしは三本のDVDを注文しました。
それがいっぺんに届き、パッケージを開けた時に、たまたま横にいたTOにそのタイトルを見られ、

「なんでこんな映画を・・」

と不審がられてしまったのですが、それもそのはず。

私は貝になりたい」1959年
「地球防衛軍」1957年
「妖星ゴラス」1962年

皆さんはよもやこの映画の共通点をご存知ではないでしょうね?
「私は貝になりたい」は戦時中の捕虜殺害の罪を問われて処刑された
BC級戦犯をフランキー堺が演じた名作。(同時上映:サザエさんの青春)

わたしがウォッチングしている戦争映画の範疇で、不思議はないとして、
「地球防衛軍」。
これも昨年度わたしが「地球防衛協会」顧問に就任したことから、
なし崩し的に興味を持ったとしてもおかしくはないタイトルですが、
内容は地球外生物が水爆で星を失い、よりによって日本に住み着き、
侵略し始めたので戦う地球防衛軍の話ですし、「妖星ゴラス」に至っては
ゴラス星が激突する人類の危機に立ち向かう科学者たち、というSFもので、
平田昭彦と藤田進が出ている以外は何の関心もない(はずの)映画。

わざわざDVDを購入してまで確かめたいこと、というのは、
本日タイトルの、東京裁判で日本人被告の弁護を務めた、

ジョージ・A・ファーネス

がこのいずれもの映画に出演していることでした。

冒頭写真は、「私は貝になりたい」の法廷シーンで、
主人公の清水豊松(フランキー堺)の弁護人を演じるファーネス。

独特のガラガラ声で、しかし本職の弁護人の役ですから、説得力ありまくりです。



判決言い渡しのシーンでは被告の後ろに立ち、
上官に命令されて米兵を殺害(といってももう死んでいた)したことを

「もし命令が不当なものだと思えば軍事裁判所に訴えることもできた」

などと、全く日本軍の実情も知らないまま訴追する検事に対し、



このもう一人の弁護人(ブレイクニーのつもり?)とともに

「日本人の生活、感情、習慣についてあなた方は全く無知である」

と弁論し極刑を回避しようとするのですが、奮闘空しく幾松は絞首刑を宣告されるというシーンです。
ファーネスは右側にいて、左には、この裁判で処刑になる陸軍中将の役で藤田進がいます。


実際にファーネスは弁護人の無力や、東京裁判そのものの不当性を
誰よりも痛感していたにちがいない一人でした。

ましてや真偽不明ながら、

「食事にごぼうを与えたら”木の根を食わされた”として虐待を問われて有罪になった」

などという話があったとされるほどにBC級裁判のデタラメなことは、
肌身で感じるレベルでこれをよく知悉していたことでしょう。

レイクニー弁護人のように、ファーネス大尉は東京裁判の後、
日本に残ることを決め、東京で法律事務所を開きました。
その後、いかなるきっかけかはわかりませんが、映画出演に意欲を示し、幾つかの映画に俳優として出演しました。

おかげで我々は彼の姿を今日もDVDで確かめることができます。

外国人俳優など気軽に呼んでこられるような状態ではなかったこのころの日本で、
ファーネスのような「外人俳優」は
大変貴重な存在だったと見え、
彼は俳優として何本もの
映画やテレビドラマに出演しています。

東京裁判を扱ったものには全部で4本。
のちに東京裁判で絞首刑になった唯一の文官廣田弘毅を描いた「落日燃ゆ」がテレビドラマ化された時には、
かつて自身が東京裁判でやりあった
ウィリアム・ウェッブ裁判長を演じました。


それ以外では、1954年度作品の「ゴジラ」以降、流行りとなっていた仮想科学もの
(それは円谷英二の手によって
1966年のウルトラQ、怪獣ブームにつながっていく)に、
外国人科学者の役で出ることが多かったようです。

 

「妖星ゴラス」より。
国連で、人類の危機に国境を越えて立ち上がるべき、と声を上げるアメリカ人科学者を演じています。



この映画の役名はフーバーマン博士です。
アメリカ人でもドイツ系の名前というのがそれらしいですね。



国連のシーンでは我らが池部良がカッコよく演説。
池部さんは主人公で日本人科学者の役どころです。



地球に接近する妖星ゴラスの軌道をそらすことに成功し、喜びに沸く地球防衛科学省。



この映画についてもそのうちお話ししたいのですが(面白かったので)
なかなか最後は突っ込みどころ満点です。

地球が壊滅することは防いだものの、いろいろあって東京は水没。
いやこれ、日本はもうすでに壊滅状態だろ?という状態なのですが、
とりあえず地球が無事ならなんとかなるさで映画は終わり。
ちなみに富士山麓のここには水一滴きておりません。



こちら、「地球防衛軍」より。
こちらでの役名は「リチャードソン博士」。

日本で一番偉い科学者に志村喬、そして地球防衛軍の基地司令
(これ、つまり自衛隊ってことなんですけどね)に、藤田進がキャスティングされています。
ファーネスと藤田の間にいるのは、なんとびっくり
(したのはわたしだけかもしれませんが)
ヘンリー大川こと大川平八郎


「燃ゆる大空」について書いたとき、このヘンリーがコロンビア大学卒で飛行機のスタントもしていて、
実家はグンマーかサイタマーかイバラギーの名家という話をしましたが、
彼はこの映画で通訳を演じ、達者な英語を披露しています。




リチャードソン博士を熱演するファーネス。
日本語でも演技しています。
渋いおじさんですよね。



「地球防衛軍」は、ミステリアンとの戦いに、α号、β号という空中戦艦を駆使して戦います。
そのどちらかに乗っている司令部の皆さん。
宇宙戦艦にこんな「素」で立ったまま乗っていられるのか?というツッコミはさておき、
この空中戦艦によって侵略者ミステリアンのアジト、ミステリアンドームを破壊することに成功する地球防衛軍。

「地球をミステリアンの二の舞にしてはいけない」

と志村喬が決めゼリフを。
ミステリアンは水爆の使いすぎで星を失ってしまったんですねー。
ファーネスはこの場面で右から三番目にいます。



ジョージ・A・ファーネスはニュージャージー州の生まれ。
ハーバード大学で法律を学び、ボストンで弁護士をしていました。
1942年に日米が開戦したとき、ファーネスは陸軍に召集され、
法務関係の任務で南西太平洋を転戦していました。


戦後に手がけたのが、あの本間雅晴中将バターン行進の責任を負われた裁判です。

バターン行進では、状況が過酷で捕虜が次々と死亡したためこれを残虐行為と糾弾されたのですが、
実際のところ、もし後送しなければ状況的に全隊が壊滅していたともいわれ、
その指示をした本間中将を虐殺の罪で処刑にすることは、実は裁く側にも無理筋と思われていたようです。

裁判では、本間の高潔な人格がむしろ浮き彫りにされました。
ファーネス大尉ら弁護団は、アメリカ連邦最高裁判所に人身保護例を求めましたが、
有罪、死刑の判決は翻りませんでした。

無理に本間を処刑にしたのが、「コレヒドール敗軍の将」だったD.マッカーサーで、
一説には彼の”復讐”であったとも言われています。

ファーネス大尉にとって初めての日本人弁護が本間雅晴中将であったことは、
もしかしたら彼の日本軍人、ひいては日本という敵国に対する考え方を随分変えたのではないかとわたしは想像します。


東京裁判の弁護人に決まり、来日したファーネス大尉は、まず主任弁護人の清瀬一郎博士を訪ねました。
裁判の方針を聞くため、そして裁判の「隠し球」及び「牽制球」の提案をするためです。

「ドクター清瀬、初歩的な法廷闘争戦術ですが・・」

こう前置きしてファーネス大尉が清瀬博士に述べたのは、
なんと裁判長のウェッブ卿と判事の「忌避申し立て」をすることでした。

ウェッブ裁判長は本国オーストラリアで日本を訴追する裁判において
残虐行為に関する調査を行い、つまり証拠集めをしており、検察官として関わっていました。

検察官が裁判官を兼ねることは許されていないので、ウェッブ卿には「資格がない」というわけです。

児島譲著「東京裁判」では、
ファーネス大尉は

「祖国のために軍服は着たが、偏見を嫌い、公正を尊ぶ弁護士精神に変化はなかった」

と評されています。
本間中将の裁判のときも、ファーネス大尉は

「バターン攻撃戦はマッカーサー元帥にとっては日本軍の包囲を危うく突破した負け戦である。
かつての敗者(マッカーサー)が今は勝者となり、かつての勝者をさばくのである。
偏見を抜きにした裁判は不可能であり、ゆえに裁判は無効だ」

と主張して上官を慌てさせ、

「弁護士であっても陸軍軍人である貴官が、
指揮官に対して負け戦という言葉を使うのは不敬で、これは陸軍刑法の対象になる」


と説得されて

「それじゃ、負け戦と言わずに
”マッカーサー将軍の作戦が
不成功に終わった戦い”とします」

と言い放ったという経歴がありました。
東京裁判において裁判の公正さが堅持されているかについてファーネス大尉は何よりも注目し、
ウェッブ裁判長の経歴、そして英語の理解できないフランス人及びソ連の判事に
『資格なし」を突きつけることを弁護の初手としたのでした。


ファーネス大尉の作戦指示によって、東京裁判開廷直後、主任弁護人の清瀬一郎が、

「正義と公平の要求のために、サー・ウィリアム・フラッド・ウェッブ閣下が
この裁判をなさることは適当でないということ」

を申し立てました。
その理由を清瀬弁護人が途中まで話したとき、ウェッブ裁判長は話の途中で声を震わせてまくし立てました。

「私は、それらが私が裁判長としてここに座ることに
関係があると思いません。当法廷は休廷を宣します」

ウェッブ裁判長は法律家として自分が報告書を提出したことが
検察行為として裁判官の資格を失うことをよく知っていました。
つまり痛いところを突かれたのです。

法廷は騒然となりました。
ジョセフ・キーナン検事が清瀬弁護人を押しのけて自分が発言しようとしましたが、
清瀬弁護人は台にしがみつき、
そのまま低い背をまっすぐ伸ばし、
血色の悪い顔を向けて
赤ら顔のキーナン検事を凝視し続けました。

この時に記者席にいたアメリカ人記者が嘆声をあげました。

「痩せたヤギが太った大鷲に噛み付いている」

 

ウェッブ裁判長は顔を蒼白にして退廷してしまい、その後を引き継いだ別の判事が
「マッカーサーの名において」任命された法廷はどの判事も退廷させることはできない、

「だから忌避申し立ての動議は却下する」

とあっさり宣言しました。

法廷はマッカーサー総司令部の一部局といわんばかりであり、東京裁判は法理に従う法廷でなく、
行政処分を行う役所だと
告白したに等しい。(児島)

忌避申し立てによって裁判を「ぶっ潰す」計画は予想されたことと言いながら、このように回避されたのです。


このように米人弁護人たちの個々の法律家としての矜持は日本側の認めるところではありましたが、
やはりここは「国家弁護」にもっと親身になってもらおう、ということで、
料亭に特別ゲストとして高松宮殿下をお招きし、彼らのために一席設けたということがありました。

アメリカ人たちは天皇陛下の弟宮のご臨席にいたく感激し、
全員が慣れない正座をして殿下を玄関にお迎えしたそうです。(かわいい)
このときにファーネス大尉が高松宮殿下に

「殿下、たしか(海軍)参謀もおつとめになられて・・」

と戦争論議に水を向けると、殿下は一枚上手で、

「I am  just a sailor. 」

と軽くいなされたということです。

ところでファーネス大尉の弁護した元外交官重光葵は、死刑は逃れたものの禁固7年の有罪でした。
重光を戦犯として裁くことは、ソ連がノモンハンの責任を問うため無理やり主張してきたので
連合国側はそれを拒否できなかったという「大人の事情」があったようで、
「あの」キーナン検事が結審後、ファーネス大尉に向かって手紙をよこし、

「重光が有罪になったのは誠に心苦しい。
もともと彼が裁かれること自体が間違いだったが、彼のような経験と信念の士を将来の日本は必要とするだろう」

と陳謝とも取れる心情を吐露しています。

清瀬一郎はその回顧録で、

「キーナン検事にの裁判中の態度については、私も、少しかんしゃくにさわったこともないではなかった。
しかしこの手紙は誠意のこもったものとして認めなければいけない。
我が国の検事中にだれがこんな手紙をかける人があろうか」

と感嘆していますが、キーナン検事もまた職務にあっては忠実で、
「私」を捨てていたということの実証ではないでしょうか。

逆を返せば、キーナンが弁護人の立場に回っていたら、
彼はブレイクニーやファーネスのような法戰を駆使して自国を糾弾してでも日本の正当性を主張したはずです。



東京裁判が終了後、ファーネスは弁護人としてB級裁判での豊田副武海軍大将
弁護を引き受けました。
あのブレイクニー少佐とタッグを組んで
無罪を勝ち取ったのですが、
このときファーネス大尉は、
豊田大将に有利な証言を入手するために、
東京裁判で処刑が決まった東条大将に面会をしたことがあります。

会話の途中で、ファーネス大尉は、アメリカ最高裁判所の訴願(東条大将の)
と処刑が延期になりそうなことを伝えました。

すると東条大将は手錠で繋がれていない左手で持っていた書類を投げ上げ、金網の下の台を叩いて叫びました。

「刑の執行は早いほうがいい。コン畜生!」

そしてすぐに平静になったのですが、ファーネス大尉は
東条大将の巣鴨で送る過酷な死刑囚としての生活を垣間見て粛然と頭を垂れたということです。



日本人、戦犯と言われた人々と弁護人という立場で向かい合い、
そして法の番人として、
誠実に自分の職務を果たしたファーネス大尉は、
その過程でおそらく日本という国を愛するに至ったのではないでしょうか。


日本人を弁護することは彼らにとって法律家としての信念となんら曲げることなく、
むしろその任務は法に公正にあり続ける
「正義」の立場であると信じてやってくれたのでしょうし、
この戦勝国によって敗者を裁く裁判の不当性を誰よりもよく知ればこそ、

弁護人という立場を超えた被告たちへの同情もあったでしょう。


戦後のファーネスが、弁護士活動を日本で続けながら
俳優としての仕事を楽しんでやっていたらしいことは、
彼に対する日本人からのお礼、あるいは恩返しであったようにも思えます。

ファーネス弁護士が日本に対して為そうとしてくれたことを、当時の日本人がよく理解していたからこそ
「俳優・ジョージ・A・ファーネス」は誕生したのに違いありません。


ところで、俳優ファーネスの「デビュー作品」ってなんだと思います?
1957年の日活作品「海の野郎ども」という裕次郎映画に、

「船大工」

のちょい役で出ているというのですが、
・・・・・・・船大工?・・
 

 

 



 




東京裁判のアメリカ人弁護人たち~ベン・ブルース・ブレイクニー少佐

2015-01-05 | 日本のこと

映画「東京裁判」を最初に観たときに最も衝撃的だったのは
アメリカ人の弁護人がまるで本国の法廷にいるように
手振りを加えながら、こう言った瞬間でした。

「我々は、原爆を投下した者の名前を挙げることができる」

今ほど近代史についての知識がないあの頃でも、東京裁判が戦勝国の側に立った
いわば「見せしめのためのリンチ」であることくらいは理解していたので、

戦勝国=正義という前提のこの裁判において、原爆投下を何れにしても
非難の色合いで述べるなど、
いかに日本側の弁護人であっても許されるのか、とショックでした。


陸軍の軍服に身を包んで火を噴くがごとく流麗な弁舌を繰るその人の姿は、
こういうことに至極敏感なわたしにとって「かっこいい」の一言につきたのです。


その後、東京裁判そのものに興味を持つようになったのは
もしかしたらこのブレイクニー少佐への衝撃が理由だったかもしれません。



通称東京裁判、極東国際軍事裁判が開廷されることになったとき、
早々に陣容を整えていた判事、検事側に対し、弁護側は開廷直前になっても
主任弁護人の人数は揃わず、
二人の被告を兼任する者もいたという実情で、
なんの準備もできないまま本番突入という心許ない状態でした。

これは何を意味するかというと、弁護人は裁判の体裁を整えるためにすぎず
裁判の形を取っているだけで、目的は戦争を起こした日本を
体良く
戦争犯罪国に仕立て上げることにあったということです。



日本側にとっても、敵国人であったアメリカ人弁護人たちが、

日本人被告人を誠心誠意弁護してくれるのか、という疑問は
被告始め誰にとっても同じようにありました。


しかし、また後日お話しする予定のジョージ・ファーネス弁護人をはじめとして、
何人かの(あくまでも何人かの、です)米人弁護人たちは

裁判を通じて自分信念にも法の精神にも誠実であろうとしました。



1946年5月3日の極東国際軍事裁判開廷後から一ヶ月経った頃、

アメリカから到着したばかりの弁護人が5人、
一挙に辞任を申し出て帰国するということがありました。

いずれも本国では一流と言われる腕利きだったそうですが、
彼らにはふた通りの理由がありました。

ある者は日本に来てから、報酬を知りました。
「ニューヨーク並みの収入は保証できない」といわれてそれならば、と踵を返したのです。

また、帰国組の一人、ガイダー弁護人が言った

「我々は、単なるショーウィンドウのドレスになりたくない」

という言葉から窺えるように、裁判の一方性を見抜き、
弁護人の仕事はないとして仕事を忌避した者もいました。
もちろんそのどちらもが理由だったという人もいたでしょう。


残った弁護人たちはつまり、本国の収入がたいしたことがなく、
見せしめの裁判で形だけの弁護人になるのもやむなしと割り切った者か、
あるいはブレイクニーたちのように、そのような裁判の中においても、
法律家としての良心に恥じぬ任務遂行を決意した者、ということになります。

日本人の主任弁護士だった清瀬一郎博士は、


「これらの弁護士は、誠によく働いてくれた。
最近まで敵国の指導者であった者を、本当に弁護できるかどうか、
疑う向きもないではなかったが、いったん弁護を引き受けた以上、
自国の本国政府に反しても、弁護士たる任務を尽くすことに躊躇しない気魄を示した」


と書いています。

わたしが映画「東京裁判」で感激したあのシーンで、ブレイクニーは
梅津美治郎被告の弁護人として、スチムソン陸軍長官
原子爆弾仕様の決定をしたことを証明する証拠を提出していました。

これは大変なことでした。

もしこの証拠提出が許されていたら、原爆投下はこの戦争中の
最大の人道的戦争犯罪として問題にされていたことになるのです。

この申し出がブレイクニーから出されたとき、イギリスの
コミンズ・カー検事は立ち上がって異議を申し立てました。

「連合国において、どんな武器が使用されたかということは、本審理になんの関係もない!」

ブレイクニー弁護人の答えはこうです。

「もし検事がハーグ条約第4をご存知なら、そのうちの陸戦法規にある、
一定の種類の型の武器、たとえば毒ガス、
細菌など、
非戦闘員にも傷害を及ぼす武器の使用を禁ずる、
という条項をご存知のはずである」

原子爆弾、すなわち非戦闘員を殺戮したこの武器は、ハーグ条約に抵触しているという主張です。

裁判長のウィリアム・ウェッブがこれを受けてブレイクニー弁護人とやりとりを始めました。

ウェッブ「かりに原子爆弾の投下が戦争犯罪であると仮定して、
それが本件になんの関係があるのか」

ブレイクニー「その一は、報復の権利である」

国際法では、敵が違法行為をすれば、これに対して報復(reprisal)の権利が生ずるので、
これが認められるならば日本の「戦争犯罪」も許されるという意味です。

ウェッブが、このリプライザルが成立するのは原爆投下後、
終戦までの3週間しかないことに言及すると、
ブレイクニーは、原爆投下以前の「アメリカの国際法違反」については

「他の証拠で立証する」

と言い放ち、投下後の三週間、

「この期間にかかる検事側の証拠書類はあった」

としたのですが、裁判長は無理押しにこの証拠申し出を却下してしまいました。

裁判の性質を考えると当然のことでしたが、
しかし仮にリプライザルが適応されていたら、
その間の「戦争犯罪」として糾弾されていたいくつかのBC級戦犯の
命は助かっていた可能性があるのです。


さて、今でこそ原爆について、どこで誰が原爆を決定したか
知らぬものはありませんが、当時はH・スチムソン長官
原爆の製造と使用の決断を全て管理していたことは世界の誰も知りませんでした。

ついでに、このスチムソンは、日系アメリカ人の強制収容を
推進した人物でもあり、また、原爆投下後は自ら

「 原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」

という談話によって国内の人道的非難を早々に回避しています。
未だにアメリカという国の原爆に対する見解となっているこのセリフは、
この人物のオリジナルであったということです。

投下予定の一つに盆地で実験結果がわかりやすい京都があったのを、
「文化保護の理由から」頑強に外させたのもこの人物ですが、
これは彼の人類文化に対する敬意というよりは、この計画が
自分の頭越しに行われたため排除しただけ、という見方も濃厚です。


さて、東京裁判で日本が何か得たものがあったとすれば、
ブレイクニーらの働きによって、日本が真珠湾を攻撃することを
ルーズベルトが前もって知っていたということが明らかになったことでしょう。

これも今では周知のことですが、未だにそれを「陰謀論」で片付ける一派がいて、
それではこの裁判でのやり取りはどう解釈するのかと首をひねってしまいます。



この件についてジョセフ・キーナン検事が、アメリカ国務省の顧問、
バランタインを尋問した際、ブレイクニーが反対尋問を行いました。

ブレイクニー
「大統領の親電を発したのは12月7日の通牒(通達)
を知ってからか?
6日の午後3時には、その前触れであるパイロットのメッセージを
国務省は入手していたのではないか?」

バランタイン
「そのパイロットのメッセージは、日本側の外交関係
断絶を示すものではなかった」

親電、とはルーズベルトが天皇陛下に直接物申したもので、

「約1世紀前に国交が始まって上手く行ってきた日米関係だけど、
両国の平和を喪失せしめる自体が発生している。
これは悲劇の可能性をはらんでいるが、日本は日華事変をさっさと終わらせて、
それから
陛下もこの危機を一掃する方法をお考えください」

とさっくりいうと(さっくりしすぎ?)こんな内容でした。
この親電は、結局陛下には届かなかったわけですが、つまり
アメリカ側は戦争が起こったことを前提にこれを書いているのです。


さらには、


ブ「12月7日の通牒は、宣戦布告でもなければ最後通牒でもない
というが、ルーズベルト大統領は ”これは戦争を意味する”と言わなかったか」

バ「そういうことを聞いたことがある」

ブ「ワシントン政府首脳は、電報を傍受して事前にそう思ったのか」

バ「それは知らない。
日本の通牒を受け取った時にはすでに日本は真珠湾を攻撃していた」

ブ「だが、11月26日、アメリカが回答を発する以前から、
大統領はじめ首脳部は、日本の行動を予測していたのではないか」

バ「自分の知る限りではコーデル・ハル長官は、
”日本は攻撃に移るかもしれない”と言ったことがある」

ブ「それでは日本の12月7日付の通牒が来つつあることを知ったとき、
これに重大な意味を認めたのではないか」


バ「日本が台輸送船団を6月に南下させたとの情報と関連していると考えた」

ブ「つまり宣戦布告と見なかったのか」

バ「それは知らない。とにかく、自体は急速度に展開したから」


バランタインの証言によれば、大統領が天皇陛下に向けた親電は
6日午後9時に発出されている、すなわち、

日本の最後通牒が渡される前

だったということになります。
傍受したパイロット・メッセージ(機動部隊の)により、
最後通牒が来ることも米首脳は予測していたということなんですね。


日本は最後通牒を手交するのが大使館の手違いで遅れてしまい、
1907年のハーグ条約、

「開戦前、ある時間をおき国交断絶または最後通牒をなすべし」

に条約違反してしまったということになるのですが、
これについての本裁判の判決は、意外や、「不問」でした。


何となれば、それ以前に

「日本は侵略戦争をしたことにより犯罪を犯しているから、
開戦前の通知で条約違反を問う必要はない」

という理由です。
侵略という大犯罪の前には、最後通牒の遅れという条約違反など、
喩えていうならば、殺人犯が逃走するときに赤信号を無視したことに
交通違反を科すようなもの、というわけですねわかります。


弁護団の方針は一にも二にも「天皇陛下にご迷惑をおかけしないこと」
でありましたが、アメリカの占領政策にもかかわることなので
結果としてはこれを勝ち取ることができました。 しかし、

「日本の立場を明らかにし国家的見地に立って、
侵略の汚名を払拭し、後世の誤解をなくすること」

という第一義的な弁護方針については全くこれを否定される判決となったわけです。

ま、最初からこういう判決を出すための裁判だったんですけどね。


ちなみに、ブレイクニー弁護人はこの後も、開戦に踏み切る前に
日本が戦争を回避しようと努力したことを証明しようと敢闘を続けました。



ベン・ブルース・ブレイクニーは1908年、オクラホマに生まれました。
オクラホマ大学、ハーバード大学を卒業し、弁護士活動をしていましたが、
1942年からは陸軍に入隊し、 日本課および戦時俘虜尋問班のチーフを務め、
そのために日本語も理解できたということです。

 wikiからの転用ですが、原子爆弾がリプライザル適応であるとしたときの
ブレイクニーの弁論をあらためてここに挙げておきます。

 

「戦争は犯罪ではない。
戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である。
戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も
戦争自体が非合法なら全く無意味である。
国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」

「歴史を振り返ってみても、戦争の計画、
遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。
我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。
しかし、
そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。
“平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故に当法廷より却下されねばならない」

「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは法律的に誤りである。
何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。

個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。

戦争での殺人は罪にならない。
それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。

つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。

たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった」


ここまでブレイクニーが陳述したとき、なぜか
同時通訳が停止し、日本語の速記録にはこの部分に
「以下、通訳なし」と記載されました。
わたしが映画を見て衝撃を受けたのが、まさにこの部分でした。 

文書の記録はありませんが、アメリカの映画会社によって

撮影されたフィルムに、ブレイクニーのこのときの弁論も残されたのです。
 

「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、
我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。
投下を計画した参謀長の名も承知している。
その国の元首の名前も承知している。
彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。
我々もそう思う。
それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、
戦争自体が犯罪ではないからである。
何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。
原爆を投下した者がいる。
この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。
その者達が裁いているのだ。
彼らも殺人者ではないか」


胸が詰まるくらい、正論です。
しかし、ここが正論を述べて受け入れられる法廷ではなかったことは、
後世の歴史が示す通りです。


ブレイクニーは東京裁判終了後も日本に留まりました。
東京大学で英法を講義しながら、番町に弁護士事務所を開き、
民事刑事の弁護を引き受けて活動していたのですが、
仕事のために自家用のセスナを操縦して沖縄に向う途中、
伊豆半島の天城山の山中に衝突して死亡しました。

1963年3月4日没、享年55歳でした。


東京裁判での弁護人としてかつて「共闘した」三文字正平や清瀬博士は、
政府に申し出、かつての敵国人であったこの「日本の恩人」には、
法廷で堂々と法の正義を訴えた功績に対し勲二等が叙勲されました。

日本人弁護人たちはブレイクニーの郷里オクラホマにその勲章を送り、その死を悼んだのです。




 
 
 

今年の初詣

2015-01-02 | 日本のこと

元旦の初詣のご報告です。
大晦日のディナーを銀座で済ませたわたしたち、
年が明けて・・



東京駅近くのフォーシーズンズホテルでおせちをいただきました。
レストランの「Ekki」は正月いっぱいで改装に入るため、
おそらくこれが最後の利用になります。

午前中、周りのテーブルはほとんどが外国人旅行客で、
皆が慣れない手つきでお箸を使いおせちに挑戦していました。


 
外国人にもわかるよう、おせち料理の意味を英語でレクチャーしています。

"The Ebi", a lobster is representing long  life."


とかね。
わたしは正直もともと保存食でもあるところのおせち料理を
どれもこれも辛いばかりで美味しいと思ったことはないのですが、
こういうところのおせちだから好きになったか?というと
やっぱり縁起物としていただくと自分で納得しつつ食べたという感じ。

つまりやっぱりあまり好きになれません(笑)

日本人ですらこんな人間がいるのだから、ましてや外国人には
全くもって異次元の食べ物で口に合わないどころではないのでは、
とわたしは周りのテーブルの食事の進み具合を見て思うのでした。

ただ、ここで画期的だったことは最も苦手だった昆布巻きが


「黒ではなく緑色」

をしていたことで、これはどういうことかというと辛くなかったのです。

「小さい時に食べさせられた昆布巻きがせめてこんな色ならば
嫌いにならなかったかもしれない」

そう呟くと、TOは

「それ、全く同感」

と言いました。
息子はそれを聞いてへえ、と一つ食べていましたが、
これでも辛かったのか残りは箸をつけませんでした。


さて食事の後、車をホテルに駐めたまま初詣に出かけました。 



まずは恒例となった靖国神社。
粉雪がちらつく寒い日でしたが、たくさんがお参りに来ています。
しかし、人出は去年に比べるとだいぶ少ないように見えました。
去年は直前に安倍首相が参拝したため、その影響だったようです。

安倍首相が参拝しようがしまいが、行く人は行けばいいと思うんですが。
そもそもニュースになったら行って、ならない年には行かない、
っていうのは、最初から行かないのより宜しくないと思うのはわたしだけ?

今年も獅子舞が出て、みんな頭をかじってもらっていました。
左側の男の子は顔を輝かせて駆けていきます。
時代は変わっても子供の獅子舞に見せる表情は変わりません。



うっかりして家に届いていた昇殿参拝の券を忘れたのですが、
崇敬奉賛会の会員であることを申し出ると参拝させていただけました。
神職に読み上げてもらう名前(代表者はこういうときにはわたし)
を御心付を入れる封筒の表に書き、係に提出して待ちます。



待合室ではテーブルに着くと、すぐさまお茶とお菓子が運ばれてきます。
こちらの方も去年と比べると、随分落ち着いていて、
待ち時間も10分くらいでした。 

手と口を清め、まずお祓いのため拝殿に上がり、
それから御神体の鏡のある本殿で祈祷を受けます。
去年はちょうどわたしたちが拝殿で待っている間に新藤総務大臣が
本殿に上がったので、それを拝殿から眺めることになりました。

今年はどの閣僚も元旦の参拝はしなかったようで、
それで人も少なかったのかななどと思ったり。

・・・・これも何だか変な話なんですけどね。

とりあえず、ほとんど待つことなく参拝が終了したのは良かったです。
本殿では一人一人代表者の名前が神職によって読み上げられるのですが、
名前の語尾がいちいち「ィ」になるのが不思議でした。

「あんどうたかしーい、はらりえこーぃ、株式会社◯◯しょうてんーぃ」

こんな感じです。
ひとり、ドイツ系アメリカ人らしい人の名前が呼ばれていました。

「ラインハルト~ダビッド~い」

こんな感じです。
これも「い」で終わるか。


靖国神社の参拝の後は、「いせ」でご縁ができた「金王八幡宮」です。
タクシーに乗ると、

「まだなったばかりであまりよくわからない」

という若い運転手さんで、TOがiPhoneで指示しながら到着。

「勉強になりました」

と降りるときに感謝されました。
ちなみに神社前から拾った帰りのタクシーも


「今日で二日目なんです」

という新人運転手で、偶然にしても不思議だなあと思った次第です。




金王八幡宮は渋谷の駅の近くですが、そこだけ静かな、
まるで時が止まったような趣のある一隅でした。

現在の社殿はなんと慶長17年(1612年)の造営で、
春日局と青山忠俊の手によるものです。
渋谷区で最古の建物とされ、指定有形文化財となっています。

関東大震災でも部分修理ですみ、戦災に焼かれることもなく、
当時のままの姿を現在にとどめているのですが、
その歴史ある八幡宮の宮司夫妻が海上自衛隊出身というのは
何かこれも縁を感じさせ神秘的なことのように思われます。

我々はさっそく拝殿参拝を申し込みました。
つい最近経ったような新しく快適な待合室で待っていると、
ちょうど前の祈祷を終えて出てこられたのが、
話に聞いていた女性自衛官出身の宮司です。

間近を通られましたがこんなときに声をかけるのも憚られ、
目で追うだけで終わりました。

わたしたちのご祈祷をしてくださったのは、目元も涼やか、
すらりと背の高い大変ハンサムな若い宮司と、
こちらもまた声だけ聞いていれば日本人と信じて疑わないくらい
見事な祝詞を聞かせてくれたオーストリア人男性の宮司で、
何かとてもゴージャスな(笑)気分の参拝となりました。

このお二人が大変美しかったことで、必要以上に
参拝にご利益のありそうな気になったものです。



いちいち写真がボケていますが、この日はカメラを持たなかったため。
息子はiPhoneで写真を撮るのが得意ですが、
わたしは全く慣れていないため、そもそも水平に撮ることもできません。

ともかく、境内にはこの古い八幡宮の宝物殿があり、
昔から伝わる資料やこのようなお神輿などを見ることができました。

 

境内ではお札のお焚き上げをしていました。
お振る舞いのお汁粉の紙カップを捨てている人もいて、
それを見た息子が同じように捨てようとしたのを

「ここはゴミを焼くところじゃないよ」

と慌てて止めました。



靖国神社ではお振る舞いは甘酒だけでしたが、
ここではお汁粉、綿あめ、お神酒と三種類から選べます。

息子に綿あめ食べる?と聞くと言下に「いらない」と拒否。
今時の子供は綿あめなんて食べたいと思わないのでしょうか。
息子だけかな?




神社の背景にそびえ立つビルは「ボッシュ」の社屋。
そういえばうちの食器洗い機はボッシュ製です。
もう国内販売をしていないので、うちにあるのが
日本最後のモデルということになります。
これも何かの、と無理やりご縁を結びつけて考える。

ところで靖国神社でおみくじ券をいただけるので
引いたところ、5等商品にこんなのがありもらってきました。



台所用のキッチンクロス。
なぜ女性自衛官が萌え絵で・・・・。


 


戦没者遺骨収集事業~海自艦艇による遺骨帰還

2014-10-05 | 日本のこと

大東亜戦争において、海外で戦没した日本人は240万人に上ります。
そのうち未帰還の遺骨は約113万柱。

113万人もの日本人が故国に骨を埋めることも出来ず、
無念のままに戦後の永きを費やしてきたということになりますが、
この間も厚生労働省の管轄で、継続した遺骨収集が行われてはいました。


ところで、以前にも書いたことがありますが、あるNPO団体が、
フィリピンでの遺骨収集において、現地人に対価を払って集めさせたため、
その結果フィリピン人の墓が暴かれ、骨が盗まれるという事件が起こりました。

ルソン島のある小さな村で、遺骨が盗まれるという事態が続発し、
隣村の連中が骨を掘り出しているという話があったので、隣村の村長を問いただすと、

『盗んではいないが、掘り出した骨はすべて日本のグループに渡した』
と答えたというのです。

いや、それを盗んだというのではないか?

というツッコミはさておき、フィリピン人にも言い分がありました。
日本人が遺骨を探していて、持っていったらお金をくれると知った
あるフィリピン人が、戦中の遺骨があると祖父から聞かされて知っていた
洞窟に彼らを案内しました。

ここにはフィリピン人の骨も混じっていると聞いていたので 

「 全てが日本人のものかどうかわからない」

 といったのにもかかわらず、日本人たちはお構いなくそれを集め、

男性に5万円(彼の年収の半分に相当する大金)を渡したというのです。

もともと政府は戦友会などから戦争体験者を現地に派遣して
収集を行っていたのですが、彼らの高齢化とともに同行が困難になり、
さらには、次第に見つけ出される遺骨が減少したことを受け、
民間の団体に「丸投げ」する形で依託を始めました。

その団体の一つが、現地のフィリピン人に報奨金を出して
遺骨を集めさせるという「鵜飼い」の手法を取ったため、
このような事件に発展してしまったというわけです。

ダイアモンドオンラインの記事によると、このときに
この団体が政府から受け取った委託費は、4700万円に上ったそうです。


ミンドロ島ではこんなことも起こりました。
ここで戦死した日本軍の将兵は400人単位といわれていますが、
ここでこの団体が集めた遺骨は数千にも及びました。

団体はフィリピン人に「これは日本人の骨である」と宣誓書を書かせ、
しかも形だけ鑑定させて「間違いはない」としてしまうのです。
死んだ数よりたくさん骨が集まっても当然のことでしょう。

鑑定というのも、骨のかけらを「見て」人種を鑑定することは不可能です。


しかし、この民間団体はむしろこれに対して開き直り、

「こんな方法でも国がやらないんだから仕方ないじゃないか」

と取材記者に対して言い放ったそうです。
さらに政府側の対応はというと、厚労省の担当者はそのことを知っており、
しかしながら取材に対しては、

「 改めるべきところは改善をしていきたいと思いますけど、
いま、時間が非常に短い話なので具体的に何をするのか、
どうするのかということを言われも、すぐに右です、左です、
という形での回答は申しかねますので」

という見事なお役所答弁に終始し・・・・・、
つまり、政府は民間団体の、民間団体はフィリピン人のせいにして
責任のなすり付け合いをしているという状態になってしまっているのです。



ところでジャーナリストの野口健氏は、
産經新聞への寄稿でこう述べています。

戦没者の遺骨収集活動に携わって約10年。
痛感させられたのは遺骨収集に対し国の姿勢が消極的であること。
厚労省の遺骨収集は昭和48(1973)年頃に事実上の打ち切りとなった。
海外戦没者の約半数である113万人のご遺骨がいまだ帰還していないにもかかわらず。
それ以降は民間団体からの情報が入れば収集に行くという
民間任せのスタンスが目立つ。

では、アメリカはどうか。
硫黄島で米軍側の戦死者は約7千人。
その1人が行方不明のままであり、その1人を必ず見つける
アメリカは多数の調査員を硫黄島に派遣し捜索活動を続けている。

また、諸外国は遺骨の身元確認のために積極的にDNA鑑定を行ってきた。
驚いたことに2007年、オーストラリア陸軍は
第一次世界大戦中にベルギーで戦死した自国兵士の身元を割り出した。

映画「硫黄島からの手紙」で監督のクリント・イーストウッド氏が驚いたのは
日本人の出演者で硫黄島の戦いについて詳しく知っている者が
一人もいなかったことだ。

(註:それどころか主要軍人役の一人は在日朝鮮人俳優だった) 

「2万人近い命を失っておきながらそのことに全く関心がない。
アメリカでは考えられないことだ」と。
無関心なのは国や役者だけではない。日本中がそうなのだ。

麻生内閣の時、石破茂氏(現地方創生相)に
「どうしてこの国は祖国のために戦い亡くなった方々に冷たいのですか」
と嘆いたことがある。
 
目をつぶり、じっと僕の話に耳を傾けていた石破氏は
「遺骨収集が国家の責務になっていない。
国家の責務としなければ予算も人員も増やせないし、
国の責任で帰すのだという責任感も生まれてこない。まずは議員立法で何とかする」。
その直後、自民党は下野。ガックリさせられた。
あれから5年。今年に入り新聞に大きく
「自民党、遺骨収集を『国の責務』と明記する議員立法を秋の臨時国会に提出する」
と報じられたではないか。

国のために命をなげうった人を国の責任で帰すのは当然であり
国家としてのプライドの問題だ。
そういう決意があるかどうか今まさに試されようとしている。



安倍晋三政権は遺骨の帰還に力を入れており、自民党は今国会で
関係省庁の連携強化などを定めた法案の準備を進めています。



ところで、この春の海上自衛隊練習艦隊出港式に先立って行われた
艦上レセプションの席上、わたしはジャーナリストの笹幸恵氏と
お話をさせていただきました。

笹氏は、靖国神社崇敬奉賛会の講座で(わたし的には)おなじみでしたが、

直接お話ししたのは初めてです。
ちなみに、先日表敬訪問した呉地方総監である海将は

「僕が広報のときに彼女を紹介して練習艦隊の取材をしてもらったんですよ」

とおっしゃっていました。(ここでもご縁が・・)

氏は遺骨収集をテーマに行動するとともに執筆・周知活動をしており、わたしが


「硫黄島で今も自衛隊が使っている滑走路の下には遺骨がたくさん眠っている」


ということを初めて知ったのも、氏が進行役で参加していたセミナーでした。


滑走路下の遺骨については、2013年で終了する予定の
戦没者遺骨収集事業の集中期間を5年間延長し、
2018年までとすることを、安倍内閣は先頃決定しています。


その笹氏が参加する、ガダルカナルの遺骨収集事業が
その決定とほぼ日を同じくして終了しました。
JYMA(日本製年遺骨収集団)からも何人か参加し、
HPにはその報告が載せられています。


これらを、わたしも最近ある方から教えて頂いて知ったのですが、
あらためて調べてみると、わたしがあの日笹氏を「かしま」艦上で
お見かけしたことと無関係ではなかったのです。

わたしはそのとき氏が『かしま』にいた理由を『関係者の関係者』

であるからだとのみ思っていたのですが。

産經新聞、6月24日の記事をご覧下さい。


海上自衛隊が、政府が戦没者慰霊事業として実施している遺骨収集事業に
初めて協力する方向で調整を進めていることが23日、分かった。
遠洋練習航海に出ている部隊が9、10月、先の大戦の激戦地だった
ソロモン諸島のガダルカナル島から日本に遺骨を輸送する計画で、
遺骨収集事業に政府全体で積極的に取り組んでいる姿勢を示す。

(略)

一方、海自は幹部候補生学校を卒業した初級幹部らを対象にした
半年間程度の遠洋練習航海を毎年行っている。

今年は練習艦「かしま」など3隻が5月に日本を出国。
太平洋を周回する形で米国やパナマ、オーストラリアなど13カ国に寄港し、
10月24日に帰国する予定だ。

 練習航海では9月19、20両日にガダルカナル島のホニアラに立ち寄る予定で、
政府や民間団体が同所で遺骨収集事業を実施する時期と重なったため、
海自艦艇で集めた遺骨を日本まで運ぶ計画が浮上した。
政府内の調整で、防衛省は「協力できることは協力したい」
と前向きな意向を示している。

自民党は遺骨収集事業を「国の責務」と位置づけ、
外務省や防衛省の協力義務を定める議員立法を秋の臨時国会に提出する方針で、
今回の海自の協力をモデルケースとしたい考えだ。

 
これはすごいことです。
ガダルカナルの御遺骨は、海上自衛隊の、
つまり日本の海軍の艦船に乗って祖国
まで帰ってくるのです。

日本から遠く離れ身を朽ち果てさせ、無念の思いを異国の地に留まらせていた
将兵たちの霊にとって、これに勝る喜びの帰国はあるでしょうか。


さらに、9月30日のニュースでは

日米両国が先の大戦から70年となる来年以降、
戦没者の遺骨の身元確認などで
連携する本格的な共同作業を
検討していることが29日、分かった。

日本政府関係者が明らかにした。
両国の戦没者の遺骨が混在している可能性があることから、
情報を共有し鑑定などを共同で進める狙いだ。
かつて激しく戦った両国の共同作業が実現すれば、
東日本大震災の救援活動に続き、
日米新時代の礎を強化する
「第2のトモダチ作戦」となりそうだ。

共同作業は、今年に入って米側から日本政府に打診があった。
戦死者の遺体回収や遺族への返還などを専門的に行う米軍の常設機関
「統合戦時捕虜・行方不明者調査司令部」(JPAC)が要請した。

JPACは約400人のスタッフが
「全ての兵士を故郷に帰す」をスローガンに活動。

太平洋地域など日米両国が激突した戦地跡でも作業に従事しているが、
両国の兵士が折り重なって戦死したケースが少なくない。
米側はかねて「日本側が焼骨を行う前にDNA型鑑定を行いたい」
「遺骨の場所を特定するため戦史情報を共有したい」との希望を持っていた。

日本政府高官は産経新聞の取材に対し、
米側の要請があったことを認めた上で
「前向きに検討している」と答えた。
JPACは、今月上旬に訪米した次世代の党幹部との交流でも
共同作業への協力を要請した。



日本に取ってありがたいのは、遺骨の収集、つまり国のために戦った
人を祖国に返すということにかけては、日本とは温度差の違いすぎる
アメリカが共同作業を申し入れてきたということです。

フィリピンの遺骨収集におけるスキャンダルに対しての役人の自己保身、
事なかれ主義を見るまでもなく、「国の責務でないことはやらない」
という考えが骨身に染み付いてしまっている日本の役所も、

「たとえ最後の一人になっても最後まで遺骨を国に戻す」

という熱意と誠意を持って事に当たっているアメリカと組む事で、
今まで遅々として進まず、誤ったやり方で不祥事を生むような
遺骨収集事業の問題点がクリアにされ、かつ進捗にも弾みがついていくでしょう。 


実は、この事を教えて下さった方から、ホニアラ島での
練習艦隊への遺骨乗艦の
写真を送っていただきました。
個人の写真なのでここではお見せできないのですが、
真っ白な第二種夏服に身を包んだ「かしま」の海曹、海士たちが、
純白の布にくるまれた
骨箱を掲げて厳粛に歩むその画像を見て、
わたしは思わず目頭が熱くなったものです。


先頭に立ち進むのは、あの出航の日写真にも撮ったお髭の海曹長でした。



「かしま」艦上で、遺骨収集事業の話を伺ったとき、笹氏は

「骨の事しか考えていない、って良くいわれます」

と笑いながら答えていました。


こうするべきだ、こうならねばならないと口で言うのは簡単ですが、
誰かがやらねばならないことを、実際に行動できる人間はそう多くありません。
この事業に実際に携わったボランティアの学生さんたちを含め、

彼らの実行力に対し、わたしたちは、ただありがたさに頭を垂れるばかりです。


戦後69年目に、ようやく帰還するガダルカナルの将兵たちの御遺骨。
彼らはようやく日本の土に還ることができるのです。

英霊たちの御霊にとっていつまでもそこが安らかに眠ることのできる
平和な安寧の国であることを願って止みません。 






 

 


集団的自衛権と「国を護ること」について~ある元自衛官の話

2014-07-23 | 日本のこと

左翼と呼ぶのもおこがましい、ただの反日売国政党、社民党の

「集団自衛権反対ポスター」

パパが北のお国に拉致されてしまい、その返還を
社民党があの手この手で邪魔をしたから、ってことでしょうか。

違いますね。

モデルとなった子供は社民党員の息子なのだそうですが、
彼は自衛隊員の息子、という設定です。
集団的自衛権のせいで戦争に行かされ戦死した自衛隊員の息子が、
帰らぬ父を思って泣いているのです。

なんて悲しい・・・・・

・・・・って、あほか~い!

もしかして社民党って、集団的自衛権がなんなのか未だに理解できてないの?
個別的自衛権行使可能の現在でも,万が一の事態になった場合には

「パパが帰って来なくなる」

可能性はあるんですが。
自衛隊というのは、もともとそういうときに「帰って来られなくなる」
危険も顧みず、ママとボクを守るために日本に存在しているのであり、
そのために日頃厳しい訓練をしているわけなんですが。

そもそも、集団的自衛権を

「同盟国のために戦争しなくてはいけない」

義務、ということばかり強調して、根本の

「他国や兵だけど、守らなければうちの国民や防衛に害があるから守る」

ってところをまるまる無視してますね。

わかっていないのか、分からないふりをして馬鹿な国民を
ミスリードできると思っているのか、さあどっち?

それから、このポスターで最も不愉快なのは、社民党の
自衛隊に対するダブルスタンダードです。

民主党もそうですが、この件を反対するのに自衛隊員をダシにして
いつもは人殺しだの存在そのものをなくせだの、
散々その存在を否定し非難しているとは思えないくらいすりより、
ひどいのになると、自衛隊員のためのホットラインを設けて

「匿名でいいから自衛隊員の不安な気持ちを吐き出せ」

などと、本物かどうかわからない自衛隊員の反対意見を集めて、
それを反対の補強に利用しようと企んだり。

こういう野党の卑怯さに対して、自衛官出身の議員である
宇土隆史氏がこのようなことを言っています。



衆議院の野党、特に民主党の集団的自衛権の質問で
腹が立っていることがあります。
自衛隊員が大変だ、リスクが多くなる、隊員のご家族は不安に思っているなどと
いかにも隊員のことを思っているようなふりをして政争の手段にする。

自衛隊の現場は任務が遂行できるように目的に向かって
持てる範囲の装備品と練度でそれを確実に達成できるように
日々訓練をしています。
現場で

「集団的自衛権だからこれはできない」

とか、

「これは個別的自衛権だからやる」

とか、

「宣誓はしたけど集団的自衛権については適応外だから、
自衛官をやめます」


とか、そんな自衛官はいません。

皆真剣にこの国を愛し、自分たちの護るべき両親、恋人、妻、子供、
に何か起こったそのときには俺がやるんだ、命がけでもやるんだ、
そんな気持ちで現場は頑張っているんです。

給料だっていいわけではない、定年も早くて曹以下は54歳、幹部は56歳、
一番トップの階級に行かないと60歳まで務めることは出来ません。
定年後彼らは民間の職場に務めながら外から自衛隊を支え、応援し、
そうやって絆をつないできたんです。

そこに土足で入り込んできて、いかにも現場の自衛官が可哀想だ、
集団的自衛権には反対だ、なんて勝手なことを言わないでほしい。

我々が現場でいつも歯がゆく、また悔しく思っていたのは・・・、
自民党だってそうだったんです。

現在の防衛に関する法体系では、いざとなったとき国民を護ることができない
抜け穴がたくさんあることを認識していたはずなのに、
選挙に勝って政権を取り、大臣の椅子に座ってしまえば
一日でも長くそこに座っていたい指導者ばっかりだったのです。

でもわたしは初めて見ました。

自衛隊の最高指揮官として、この本質的な問題について、
選挙前からそれを訴え、憲法の改正も、集団的自衛権の行使もできなくては
国が護れないということをちゃんと言って当選し、
総理の椅子に座ってもそれを忘れずにきっちりやろうとしている政治家を。

安倍総理私は稀代のリーダーだと思います。



これとは反対に、こともあろうに現場の自衛官を政争の具にして、

国民の世論を釣るような野党の質疑を腹立たしく聞いていました。

現在集団的自衛権をめぐっていろんな極論が流布しています。

「このままでは戦争になるんじゃないか」?

どうやったら戦争になるんですか。

集団的自衛権を認めたら急に戦争になるんですか。
違いますよね。
我が国への明確な侵害があればそのときは自動的に
自衛のための戦争になるんです。

今回の集団的自衛権を限定的に認めているのは、
それを放置しておいたらそのうちこちらが火の粉を被ることになる、
それから動き出していては大変なことになってしまう、
そういうときに、限定的にでも行えること、たとえば米国の警護とか、
機雷の除去、不審船の立ち入り検査などをするべきなんです。

しかし、これまでこれらは全て集団的自衛権に觝触してしまっていた。

自分たちの国内法でそれを縛ってしまって全く手を出せない状況のまま、
何か攻撃を受けてからでないと何も出来ないのが今の日本です。
それでいいんでしょうか。

専守防衛というのは勿論「日本を守ること」です。

野党の連中は

「集団的自衛権の行使は自衛官が人を殺すということじゃないか。
自衛官が殺されるってことじゃないか」

なんて馬鹿なことをいっていますが、それは個別的自衛権の
行使範囲内でも十分同じことが起こる可能性があるのです。
我が国に対する侵略があれば個別だけしか行使できなかったとしても同じことなんです。

そのときにはどこかが攻撃を受け、誰かが死んでいる、ということです。

わたしたちが現場の自衛官に強要してきたのはこういうことなのです。
反撃する前に何人かの自衛官が死ななければいけない、
反撃する前に必ず何人かの国民が死ななければいけない。
それからでないと自衛隊は動いちゃいけない、なんてことを
言っているのが愚かな日本人なんです。

我が国に火の粉が及ぶ前に状況が不穏になる、あるいは
明確な侵害はないにしても、同盟国が動き出したときに何をするか。
というとそれは備えです。


攻撃をするのではなく、集団的自衛権の範疇の中で備える。
そういうことを今までしなかったのがおかしいのです。

初めてそのことが今国会の中で議論されていることがどうしてマイナスなのか。
どうしてアンケートを取ったら約半数が集団的自衛権に対し
いまだに否定的な答えをするのか。
皮相的な拒否反応からただ反対するのではなく、真剣に考えてほしいのです。

わけのわからない漫画家が国家間の戦争を身内の喧嘩になぞらえて

「そんなものに首を突っ込まず警察に逃げ込む」

なんて馬鹿なことをいったそうです。
国際社会でそれが通用するんでしょうか。
いざ我が国が戦争に巻き込まれたときに、一体どこに逃げるつもりなんですか。
国破れて海外に逃げたらそれは難民です。

自分たちを生み育て育んでくれた国土、祖先、自然、国柄、
そういうものに対する愛着をもって、それらを自分たちの手で
護らなくてはいけないと思えないような人間は、もう海外にでも行けばいい。

日本を護る気概の無い人間に日本国民を名乗る資格は無い。


そのために22万の現職の自衛官は、自分たちが盾になろうとしているんです。
政府の人間が彼らを後押しし護ってやれなくてどうやって国が守れますか。

戦争はある日突然起こるわけではありません。
平和もある日突然なくなるわけではありません。
平和から徐々に事態がエスカレートして戦争になるんです。
今はどの段階ですか。

7年前の平成19年、年間のスクランブル回数はたった300回です。
昨年それは850回を超えました。
事態は進行していると思われませんか。

そういうことが自分に見えないからといって平和だと思っていませんか?

水面下の、わたしたち国民の目の届かないところで実は
いろんな国家間のぶつかり合いがすでに始まっているのです。
軍事だけの話ではありません。
経済的なぶつかり合い、技術に関するぶつかり合い、また
エネルギーをめぐるぶつかり合い、歴史認識をめぐるぶつかり合い、
いろんなところで現実的にぶつかり合いが始まっているじゃないですか。

自分は安全なところにいて、そういう現実からは目を背けたまま
そう言った国とと仲良くしたい、

そんなことをいうような人間はどこかよその星にでも行ってほしい。


他国とも仲良くするためには、国際社会の一員として認められるには、
そのためには努力もしないといけない。
自分たちもまたリスクを負わないといけないんです。

わたしは日本を守りたい。



以上、ビデオレターを聞き書きして分かりやすく構成してみました


 


朝霞駐屯地訪問記~「輜重は要らず」と集団的自衛権

2014-07-08 | 日本のこと

朝霞には去年の秋、観閲式とその予行演習のために来ています。
わたしにとって最初の訪問だったわけですが、
そのときには駐屯地とを挟んで隣にある演習場で行われたため、
こちらの駐屯地に足を踏み入れるのは初めて。

なんでも埼玉県の朝霞市、和光市、新座市(しんざじゃなかった)
三つの市にまたがっているそうです。
たまたま三市の境目にうまいこと位置するということですが、
それにしてもこれだけでどれだけ広いかがわかろうというものです。

広いだけあって、この基地には陸自の主要な隊が、
Wikipediaの区分によると21も存在しており、その中には

女性自衛官教育隊

中央音楽隊

陸上自衛隊輸送学校

自衛隊体育学校

などもあります。




K1佐の机の後ろにはロッカーの上にだるまがありました。
写真がぶれてしまってだるまに何が書いてあるのか分かりません。
聞いてみたところ、年末の「目標達成」のときに
目を入れるのだそうです。
何の目標だったのかは・・・・忘れましたorz



ここは「総務部」。
総監部の中の総務部ってことでよろしいでしょうか。
不思議な張り紙を見つけました。

脱衣許可 

総務部内での脱衣を許可する」

どうして脱衣にいちいち許可がいるのか。
しかもその許可がハンコ付きの貼り紙になっているのか。

これは、自衛隊の被服着用についての規則に関係しています。
K1佐によると、自衛官と言うのは基本的に

「いつも制服を着ていなくてはいけない」

と決まっているのだそうです。
それは公の場ではいつも、と言う意味です。

「しかし街中で自衛官の制服を着ている人なんか
見たことないぞ。やっぱり外では着てはいけないのでは?」

とおっしゃる方、あなたは正しい。
確かに自衛官の制服で電車に乗る人はいませんね。
しかしこれは、Kさんのお話によるとですが、

「私服を着る許可を得ているだけで本来は着ないといけないもの」

なのだそうです。びっくりですね。
しかしながら迷彩服で電車に乗ると文字通り軍靴の足音ガー、
と騒ぐ「市民」がいるのでそちらに「配慮している」ということらしい。
(これはわたしの想像)

「どこにいても制服を着ていなければいけない」
=「脱衣するときには許可がいる」
=総務部内で脱衣することが多いので、脱衣許可が貼ってある

ということなのですね。
自衛官ってつくづく大変だなあ。

でも、朝霞基地周辺では街中を制服で歩くことは常態化しており、
コンビニくらいなら普通に入るし、ときには

「飲み屋にも制服のまま行くこともあります」

だそうで・・。
しかし、その辺りも「この店は大丈夫」とか、「ここはやめた方が」
みたいな申し送りが出来ているといいます。

K1佐は前任地の岡山ではどこでも制服で行ったということで、

「横に女性が座るような店もあった」

そうですから、基地周辺とかあるいは地方などでは結構
その辺がゆるいのかもしれません。
まあ、こちらが普通だと思うんですけどね。


さて、建物から広報館、愛称りっくんランドまで移動です。
わたしの車にK1佐をお乗せし、運転していきました。

最初、基地に訪問するのに車で行ってもいいものだろうか、
と心配していたのですが、もしわたしたちが徒歩ならば、K1佐は
移動のために公用車を出さねばならなかったはず。
そういうお手間をかけさせないためにも、車で行って良かったと思いました。

移動しながらK1佐は基地や建物等を説明して下さいました。
どうやら中を案内するためにわざわざ大回りしたようです。



これは東部方面情報処理隊の入り口。

陸上自衛隊の情報専門部隊で、連隊以下の部隊で収集した情報を
データベース化し、陸自指揮システムを介してリアルタイムで配信しています。

隊員になるにはまず語学能力に長けていることが第一条件だそうで、
地史についての知識も必要となります。
「地理」ではなく「地政学」というものかもしれません。

指揮官である隊長は駐在武官、つまり防衛駐在官の経験を有する
1等陸佐が充てられるそうです。



見るからにオールドタイプの輸送トラックが飾られているのは

「陸上自衛隊輸送学校」。

英語で言うとtransuportion schoolでそのままです。
輸送科隊員として必要な教育訓練の実地を行っています。

輸送科というのは旧陸軍でいうところの「輜重」。
戦闘行動における「兵站」に携わる隊で、水食料・武器弾薬・
各種資材など様々な物資を第一線部隊
に輸送して、
同部隊の戦闘力
を維持増進することが主任務となります。


ところで「歩兵の本領」という軍歌がありますね。
現在でも自衛隊ではこの軍歌が歌われているそうですが、

この7番の歌詞(別バージョンも有り)は

♪携帯口糧あるならば輜重は要らず三日四日
曠野千里にわたるとも 散兵戦に秩序あり♪

というものなのです。
前にも書いたことがありますが、自衛隊ではこの7番は歌われません。
その理由とは「輜重は要らず」の部分が

「輸送科に対して失礼だから」

なのだそうで・・・。

さらに、自衛隊的にカットされているのはこの部分だけではなく

♪千里東西波越えて  我に仇なす国あらば 
横須賀出でん輸送船 
暫し守れや海の人♪

という、旧軍的には海軍にも配慮した4番なのだそうですが、
これは「波超えて」「仇なす国」が、

「海外派兵を連想させるから」

という理由です。

こちらは「専守防衛」のモットーにそぐわないということらしいですが、
これもどうなんでしょうね。

「我に仇なす国あれば」

つまりここの部分だけなら完璧に専守防衛。
しかし、「波超えて」つまり派兵ということは、

「たとえ我が国を守るためでも海外派兵は許されない」

という、つまり今論議となっている集団自衛権に係っていたがために
自粛されていたと考えられます。


話がそれついでに、この際ですから簡単かつわかりやすく説明しておきます。
皆さんにはもう周知のことかもしれませんが。

集団的自衛権というのは元々日本が国連から認められている権利です。
「個別的自衛権」とともに国連加盟国が権利として持っています。

しかし、日本の場合、この集団的自衛権を行使する権利を有しながら
憲法の縛りでその行使を放棄していたというのが現状です。
念のためにいうと、こんな国は日本以外にどこにもありません。
日本だけが、勝手に自粛して「行使しない」と宣言していたわけです。


よく左翼が「戦争が出来るようになる」というのを
集団的自衛権行使の反対理由にしていますが、実はこれ、
「戦争が出来る国になる」というのは本質として大きく間違ってはいません。

ただ、左翼の懸念とやらと現政権の目的は全くベクトルを異にします。
現政権がもっとも期待しているところは、

「戦争が出来る国になったと宣言することで他国への抑止力とする」

ということなのです。

たとえば、中国・韓国と言う国は日本の集団的自衛権に反対しています。
中国は当然反対でしょう。

逆に中国の脅威にさらされているアジアの国々は
なべて日本の集団自衛権行使を歓迎しています。
これが南沙諸島などにおける中国への大きな抑止力となる
知っているからです。

現在どうなっているのか分かりませんが、尖閣に中国海軍が
軍艦を2隻向けてきたのも、集団的自衛権の行使が可能になりそうだという
予測を受けてのことであろうと思われます。



それでは韓国はどうでしょうか。
この国に関してはわたしも首を傾げざるを得ません(笑)

実際問題として、日本がこれを行使できるということになれば
もし停戦中の北朝鮮が韓国に対し武力攻撃を行ったとき、
本当にするかどうかは別として、
理論上は、日本は同盟国側である韓国を援助することが出来るのです。

日本が援助に出て来る可能性があるとないとでは、北朝鮮に対して
大きな抑止効果の違いとなって来ることが期待されるわけですが、
かの国はただひたすら

「日本が戦争できる国になったら我が国が危ない」

という観点に立って反対を叫んでいるのですね。

彼らが竹島を不法占拠したのは、戦後日本が占領下で武力を持たず、
自衛権もない瞬間を狙っての計画的犯行でした。
現在でも居座って、時に挑発的行動に出るのは他でもない、
日本が九条の縛りで海を越えて来ないと思っているからです。


本来、その行使は自分たちを守ることにもなるはずだから
行使できるようになることは歓迎すべきなのに、
竹島占拠を始め、日頃自分たちが日本から攻撃されるようなことをしている、
という自覚があるから、反対しているわけです。


先日、やらせくさい抗議の焼身自殺が起こりましたね。
借金で首が回らなくなった活動家を生け贄にするつもりだったのかな?
記者会見で「火病」を起こし泣き叫ぶ怪しい市議登場のインパクトで
全て吹き飛んでしまった感がありますが。

これもおそらく「抑止されたくない」国の下部組織が、
成立の動きに焦って、テロまがいの騒ぎを仕掛けてきたのだと思います。
この組織には「脱原発」「米軍基地反対」「河野談話検証反対」
につながっていることは明らかです。

わたしはいつも、こういう世論の対立があるとき、簡単な判断基準として

「デモ隊が日の丸を持っているか」

でそれをはかることにしています。
田母神氏が

「中国と韓国が反対しているから日本に取っていいことだ」

とこの集団的自衛権について発言し、一部ではそれを叩いていたようですが、
それよりもむしろ、彼らが「日本のためを思っている」のならば
デモ隊が日の丸を一本も持たないどころか、ハングルや中国の簡体字の看板を
持って抗議するはずがない、と判断した方が簡単でしょう。


つまり、集団的自衛権の行使はそれだけ日本を侵略したい国に対して
「効果がある」ということなんですよ。



さて(藁)

輸送学校の話が途中でした。
輸送学校は輸送科の任務に必要な各種技能を学ぶ教育機関です。

大型車両などによる人員・装備品の輸送のほか、輸送統制、ターミナル
業務、
道路使用規制等を行います。

また、陸上輸送(自動車・鉄道
)、海上輸送及び航空輸送全般を担当。

部隊内には自動車教習所があり、各種免許取得のための教習が行われています。
ここでは大型免許もとれますが、自衛隊の車両に限られ、
一般の大型免許を要する車は運転できないそうです。



旧軍時代から、輜重・輸送兵は兵科としても下に見られがちで

「輜重輸卒が兵隊ならばチョウチョトンボも鳥のうち」

などと揶揄される傾向にありました。
輸卒を統括する士官にしても、士官学校の成績が悪かったり
素行に問題がある者が振り分けられる傾向にあり、
決して優遇された地位ではありませんでした。

たとえば各兵科にはかならず「兵科の歌」があったのですが、
輜重兵科だけはその歌が作られることは最後までありませんでした。

士官学校で振り分けられた者の落胆も大きなものだったそうで、
そんなことからデスペレートな雰囲気が満ちていたのかもしれません。

しかし、この兵站軽視の考えは、大東亜戦争において重大な局面、
たとえばインパール作戦やガダルカナルでの補給の失敗に繋がり、
日本の敗戦を後押するという弊害を産みました。


というわけで!

戦後の自衛隊においては決して輜重輸卒、いやさ輸送科を
徒や疎かにしたり軽視することは厳に慎んでいるのです。

「輜重は要らず三日四日」

の一言に自衛隊が敏感に反応し自粛しているのも、
全ては敗戦に繋がった輸送軽視へのふかーーーい反省がこめられているのです。


たぶんですけど。




続く。



 









 


 


緊急・尖閣が「今」危ない

2014-06-29 | 日本のこと

[北京 27日 ロイター] 

新華社によると、
尖閣諸島(中国名・釣魚島)の北方海域で27日午前、
中国漁船が沈没し、 複数の中国人が行方不明となっている。 


新華社が海軍関係者の話として伝えた。 

新華社によると、沈没の原因は不明。
中国海軍の艦船2隻が現場に向かっている。 


ロイター 2014年 06月 27日 18:32



来ましたね。

先日中国の9都市がデフォルトに陥り、傾きかけていた中国経済が
さらに崩れ落ちる予兆となっているわけですが、
経済の危急は人民の批判待った無し。 


というわけで、非常に分かりやすい不満そらしとして、
中国がついに尖閣に仕掛けてきたようです。


以前から、中国はおそらくまず漁民などを上陸させ、
「自国民保護」という名目で海軍を差し向け、陸地であればそこに
軍を上陸させて足がかりにして来るだろうという予想はあり、
本ブログでも、一度そのシナリオについて書いたことがありますが、
今回差し向けてきたのはやはり海警ではなく海軍の艦船。



「沈没の原因は不明」

「複数の中国人が不明となっている」

これはまず間違いなく、

「実際は船員はいない」

「何らかの方法で船を故意に尖閣海域で沈没させた」

のだと思われます。

海域に海軍艦船を侵入させ、沈没海域ではなく
尖閣に武装救助部隊を差し向け上陸させるつもりではないでしょうか。

もしかしたら沈没船すら最初から全く存在していない可能性もあります。

南沙諸島のときのように一時的な避難として上陸し、
いつの間にか小屋、そして瞬く間に基地を作るつもりかもしれません。

実際に過去その通りのことが起こっているので、これは決して
杞憂ではなく(そうあってほしいですが)侵略の第一歩だと思われます。

自国民の保護や救助は侵略の口実として最も使われやすいものです。

そういうことに関しては全く新しい創意工夫をしそうにない
中国という国が、今回おきまりのその手できたとしても全く不思議はありません。

そして漁民のふりをした軍人が救命ボートでいつの間にか上陸、
上陸したら「自国民の保護」を名目に現場に急行している海軍が
尖閣に上陸し、人民解放軍の部隊が尖閣に国旗を立てて実行支配をアピール。

ここまでが囁かれていたシナリオ通りです。

日本政府は現在海保を現場に急行させているようですが、

期待できる最も平穏な決着は、海保の船がこの漁船の乗組員を救出し、
身柄を中国政府に渡すことです。

しかし、賭けてもいいですが、この乗組員を海保が見つけることはまずないでしょう。

いつの間にかその「乗組員」は尖閣に上陸し、海軍艦船に連絡を取り、

海軍は尖閣に急行するというのが、今回の最悪の展開です。




今わたしはアメリカにいて日本の報道の様子を知るべくもないのですが、
皆さん、日本のテレビではこれを緊急で報道していますか?
速報が出てもいいくらいの危急性のあるニュースだと思うのですが。

相変わらずあのセクハラ野次の問題ばかりなのではないですか?
そもそも2日前にわたしがこの件を取り上げたのも、

「セクハラ非難 対 塩川都議の過去とその人格」


の様相を呈しているこの騒ぎそのものが

「何かの煙幕になっている」

のではないかと感じたからですが、もし最悪の予想が当たっていて
これが中国の仕掛けて来た侵略だったとした場合、
それをいつ行うかについては

「尖閣上陸したこともある議員がセクハラ野次で糾弾され、
河野談話検証によって国や政府を叩けなくなったマスコミが
女性の人権蔑視で自民党を叩くことを画策し大騒ぎにした」

事件が、女性議員の彼氏?である朝日社員の火付けで
ぼーぼーと燃えさかっている今でしょ?と機に乗じた可能性もあります。

(国情を常に把握し、こういったタイミングを狙うためにも
中国は恒常的に多くのスパイを送り込んできているのです)



セクハラ野次事件は自民党の揚げ足を取りたいマスコミと
野党、左派が騒ぎ立て、大火事にしてしまいました。
そして国民は皆それに目を奪われています。
特に塩村議員の実態が暴かれ出してからは、もう祭状態、
火事見物は庶民の娯楽の一つだった、という江戸時代から

「人の不幸を喜ぶ大衆真理」

には何の変化もないことがよくわかります。

しかしこの火事の猛煙の影には、マスコミの隠したい
「都合の悪い真実」がまずありきです。

もっと悪いことには、その煙に乗じて日本を侵略しようとする動きが
今起こりつつあるのではないのでしょうか。


「中国は戦争をしたいわけではないだろう」


わたしは書いたことがあります。
しかし、こういう方法で尖閣を領土問題にすることは
虎視眈々と狙ってきていたでしょうし、時が来たと思えばためらいなくやるでしょう。
そして、実行支配を重ねて領有を主張する。


南沙諸島でやってきたのと全く同じ手口です。


「セクハラ野次」?

こんなくだらないことをやっている場合ではないと
わたしは今、背筋を寒くする思いで続報を待っているのですが、
今のところ何の続報も入ってきていません。

2014年6月27日は、中国による日本侵略が実行に移された
歴史的な日になるかももしれないのに。

考え過ぎだよ、と思われますか?

わたしも考え過ぎであってほしいです。
「なんだ、あのときあんなに心配するほどのことではなかった」
何ヶ月後かに笑っていられればどんなにいいかと思います。

不要不急のアジテーションによって読んでいる方の不安を煽るようなことも
できればしたくありません。

しかし、わたしは昨今の日本が置かれている状況が、
楽観的なものとはどうしても思えないのです。 

入り込んだ勢力に寄ってじわじわと日本が内部から浸食されていった結果が、
いわゆる今回の「セクハラ野次騒動」でもあるからです。
懸念の材料は最近の日本での動きの中にいくらでもあります。 

選挙管理委員会の人間が票を操作していたこと。
(2009年の選挙では中国人留学生を使って不正が行われていたらしい)
「河野談話検証」の真意や真価がセクハラ野次騒ぎで全く世間に伝わっていないこと。
集団的自衛権を中国、韓国と一緒になって一貫して左派、
そしてマスコミが猛反対していること、

そして今回の尖閣での現在進行形の動きをちゃんと報道する機関がないこと。



憲法改正前に中国が何らかの手を打って来ることは予想されていましたが、
「いつ来るか」は過去わたしが聞いた自衛隊の最高幹部たちの話でも

予想しうることではなかったため、触れられることはありませんでした。

それが「今」なのかもしれません。




 


いわゆる「セクハラ野次」事件に思う

2014-06-27 | 日本のこと

「担がれたなあ」

これがこの一連の騒動を見てまず感じたことです。 
今回の野次事件では、まず登場人物が

グラビアアイドル出身でテレビ局の放送作家であり、
過去にテレビ番組で性を売り物にして金銭を得ていた過去を暴露、
同じ都議の倫理委員長と不倫疑惑が持たれる女性都議

に、「自分が結婚すればいい」と野次ったとされる

尖閣に上陸したこともある自民党議員

であったことで、まずメディアが大騒ぎを始めました。
そして、各社が一人の「一般」女性に自社の主張をさせて
その映像を使い回すという相変わらずの仕込みなどを経て 
この件を大事件に祭り上げ、しかも「被害者」はわざわざ
外国人記者を呼んで世界に発信してしまったのです。

「今21世紀だよね」
議員達は国家を助けるために選出されたのにも関わらず、
自らのネアンデルタール人レベルの意識から抜け出せていない」

こんな海外からの意見が寄せられているようですが、
これは塩村文夏議員が、

未婚女性や不妊女性の話は聞く価値がないとする男性議員の意識を指摘した。
そんな彼らが女性のために政策立案するのは困難であり、
政策担当者が女性の生の声を聴き理解する必要性を強調した。

と、つまり問題を日本の男性社会への警鐘のように仕立て上げ、
外圧につなげようとしたことが一部実を結んだといえます。

しかし、この人一体何のためにこんなことしてるんですか?
世界に向かって日本が「女性の人権後進国」であると、
しかも「生めないのか」という発言をねつ造してまで発信する意味は?



ところで、今回騒ぎになったことで塩村都議は脛に傷、どころか
痛くもない腹、どころか腹も脛もアイタタタな過去を暴かれてしまいました。

「男性と別れるときにいつも慰謝料を要求し、

多いときには1500万円を受け取っていた」

「妊娠したと偽って金銭を要求したこともあった」

「一度に何人もと『婚約』していた」


これらの香ばしい過去の行為は、女性の性を自ら貶め、侮辱するも等しく、
「そんな未婚女性」がいまさら「結婚しないのか」といわれてくらいで
そもそも傷つくような「タマ」だろうかと残念ながら世間は思ってしまうものです。


都議の一見もっともな「女性の人権問題提起」を取り上げた海外メディアは、
果たしてこの女性のこういう過去を知って記事にしたのでしょうか。

それ以前に、今ほど彼女の出自や過去がクローズアップされていたら、
そもそも選挙で都議会に選出されていたでしょうか。

「過去がどうでも今ちゃんと都議として都政に携わっているなら
そんなことはあげつらうべきではない。
それより悪質なのはセクハラ野次をした自民議員だ」

とセクハラ発言の方を糾弾する意見も勿論あります。


わたしはこういう「仕組まれたっぽい騒ぎ」を見るとき、まず、

1)これを利用して政局につなげたい政治関係者

2)問題を大事にして何かを糊塗したいメディア

そして、

3)これを弾幕にして政府ひいては日本を攻撃しようとする層

の暗躍というものを疑うのが最近の習慣になっています。


セクハラ発言があった直後の映像によると本人は笑っており、
これは明らかに本人は結婚を切実にしたがってはいないが、

「相手がいないんですよ~(笑)誰かいい人いません?」

とかなんとかからかわれて答えるような、彼女のおそらく
日常のノリがそのまま表れていると感じました。
ましてや後になって本人が言うように

言われたショックで頭が真っ白になって涙をこらえて」

というような深刻な打撃であったようには全く見えません。

つまりこれを奇貨として、あわよくば政権批判につなげようと
いつも自民党議員の失策失言を鵜の目鷹の目で狙っている
マスコミがまずこれを攪拌して波立たせたとわたしは見ます。

「生む機械」発言、「酩酊会見」、「カップラーメンの値段」
「バー通い」「漢字の読み間違え」・・・・。

酷いときには顔に貼った絆創膏までを政権批判のためにあげつらい
マスコミは(とあえて言います)政権交代を成し遂げました。
つまりあの政権交代までの流れよもう一度、というわけでしょうか。

最近、石原伸晃議員が「金目」発言でその失言を責められましたが、
おそらくそれより「セクハラ」の方が「生む機械」のときのように
焚き付けやすく盛り上がりやすいことをマスコミは嗅覚で察知し、
こちらに殺到したものと思われます。

勿論安倍叩きが「社是である」と公言している朝日新聞は
ここぞとばかり

”自民ゆるゆる、失言続き 都議会ヤジ・石原氏・麻生氏…”


というタイトルで過去の発言集までわざわざ引っ張り出し、

自民都議の事務所にも「もう票は入れない」との批判が次々と寄せられた。
ある自民都議は「長引けば来春の統一地方選にも影響が出かねない」
と危機感をあらわにした。


その都議って、実在するの?とつい聞きたくなるのですが、
とにかく朝日好みの結論に結びつけて大はしゃぎ。

そもそも批判を寄せてきたり「もう票は入れない」と言っている人たち

(本当だったらですが)って、今まで自民党に投票してきた人たちなんですか?

わたしはとてもそうは思えないのですが(笑)


だいたい議員の失言というなら、わたしが選ぶ最も酷いセクハラ発言は、

田中眞紀子が子供のない安倍晋三議員のことを指して

「種無しスイカ」

と言い放ったことであり、史上最悪の現役議員による「国益を失う失言」は
鳩山由紀夫の

「トラストミー」「最低でも県外」「温室効果ガス25%削減」

だと思っているのですけどね。


さて、そこで2番についてですが、マスコミの報道が

「最も今国民が関心を持つべき重大な事件」

を得てして全く無視してどうでもいいことを騒ぐ、
という傾向があることは皆さんも薄々ご承知のことと思います。
今のようにインターネットで即座に情報が多角的に確認できる時代、

「ああ、メディアは今これをスルーするためにこちらを騒ぐんだな」

ということもまた検証されてしまうようになったのです。

いまのメディアが大きく取り上げるべきはまず

「河野談話が『河野談合』であることを政府が検証した」


という事案であり、あるいは

「高松市の選管事務局長が、自民党議員の票を300票抜いて
白票で相殺して不正をしていた」

という、日本の民主主義の根幹を揺るがすような大事件でしょう。

「それをお前が言うか」

とツッコミ必至の真っ黒黒子さんが少子化を語って野次られて、
どんなプライドか知りませんが、それがズタズタになったからって
それを女性問題に結びつけ、さらには「産む産めない」をでっち上げ、
「自民党批判」につなげてメディアが騒ぐのは、なぜか。


今世界で「慰安婦の強制連行」を訴え日本を貶めている韓国の
「日本弾劾の根拠」とされてきた「河野談話」が、実は韓国側からの

「これを出せばこの件は問題にしない」

というネゴを受けてのつまり「談合」であったということが明らかになりました。

わたしは安倍政権が当初「河野談話は見直ししない」と表明して、
保守派をがっかりさせたとき、これもアメリカからの圧力だろうか、
と暗然としたのですが、今回の件で

「見直しはせず継承するが、その成立過程を明らかにしないとは言っていない」

とばかりに日本の政府には珍しく開き直ったのを見て、
その権謀術数というか、いい意味での黒さに驚嘆しました。
これは日本に取って、今後の国際的地位を堅持する意味でも快挙であり、
だからこそメディアはこのことをもっと取り上げるべきだと思います。

もう一つの「選挙結果操作不正事件」は、これほどの事件であれば
第一面トップの見出しになってもいいくらいなのですが、
なぜかそれほど取り上げられていないらしい。

わたしは今海外におり、テレビを見ることもないので実感はありませんが、
都議会セクハラ野次について某番組では50分も割いたという話などからも、
報道の中心は全くこれらの案件にはないことは明らかです。



この一連のメディアが「焚き付けたい事件」そしてその反面
「最小限しか報道したくない件」には一つの共通ワードがあります。


それは「自民党」。


自民党議員のセクハラ発言が問題になっている事件」
自民党議員の票を操作して落選させようとした事件」
「政府自民党が日本を貶めている談話を談合と検証した件」 

つまり自民党を糾弾非難できる件は大仰に騒ぎ、
自民党に相反する勢力の犯罪は軽くスルー。
日本を窮地に陥れている談話を談合と検証したという快挙には
「日韓の関係を悪くするな」などという理由で不快感を表明。

非常に分かりやすい「反自民」「反安倍」の力がメディアに
こういう不均衡を恣意にもたらしていることがはっきりしています。



というわけで、担がれた塩村都議ですが、おそらくどこか
・・・・少なくとも「みんな」の上層部かメディアの一部から


「誰が言ったかを徹底的に究明させよ」
「海外メディアに記者会見せよ」

などと指示を受け、その通りにしたのでしょう。
冒頭にも言った通り、一定の成果はあったかもしれません。

しかし、マスコミというのは必ずしも一枚岩ではなく、
必ずしも反体制に与するばかりではないとまでセットで考えなかったのは
担いだ側の誤算だったといえます。

さすがに政権交代とまでは空気読んで言い出さないまでも

「自民一党の奢りが失言多発にフンダララ!」

ということにしたい朝日新聞も、売れれば勝ちの週刊誌が
こぞって塩村都議の不倫に始まって過去の痛い発言、
さらには実家の産廃業者である父親の恐喝事件など、
次々と暴露するにいたってはそっちのインパクトが強すぎて
塩村都議一人を「被害者」にしようにもなんとも説得力がなく、
せめて「自民党の失言体質」に落とし込もうとしているようす。

わたしは今回の件に対する非難コメントでは
デビ夫人の

塩村都議が 日本外国特派員協会で記者会見を行っていますが、
日本の恥を これ以上 晒さなくてもよいのではないでしょうか?  
一体 何の為? 売名行為?」

という部分と、特にタレントのフィフィさんの


「一部議員が起こしたヤジ問題を特派員協会で会見して、
あたかも女性軽視が風潮であるかのように誇張するのも如何と思う。
慰安婦だとか日本のネガキャンに精を出す団体や国も多いんだから
マイナスにしか働かないのに」

「国益を考えて冷静に動けないなら議員失格」

という意見に同感です。

もっとも懸念されるのは、女性の人権問題をわざわざ内部から告発することで

日本=女性の人権を顧みない人権後進国

というネガティブイメージが、河野談話をあくまでも堅持してこれからも
それを根拠に日本の地位を貶めていきたい韓国に利用されることなのですが、
懸念の間もなく、実際に韓国政府はこの件を光の速さより速く受け止め、
さらにそれを世界に再発信し、河野談話成立過程の検証と絡めて

非難の補強に使っている様子。


さらに、憂慮することがあります。

この件にかまけて高知県の選対委員長が自民党議員の票を抜き、

白票を300(選挙用紙を用意できたのも内部の人間だから)混入させる、
という、文明国ではあるまじき犯罪で逮捕されたことを
どのメディアもセクハラ発言ほど騒ぎ立てないという異常な事態。

わたしはこれはこれが行われたのは初めてでもなく、個人の犯行でもない、
つまり組織の関与が疑われる大変な事件だと思います。
それをさしおいて、セクハラをしたのが誰かなどと声紋検査まで持ち出して
こういう状況に置かれた国の議員が、都議会とはいえやっている場合でしょうか。


さらにわたしが塩村とかいう都議が問題だと感じるのは
インタビューで

被曝2世であること」(だから泣いた)
「苛め問題を思いだした」(だから泣いた)
「わたし一人への野次ではない」(だから泣いた)

などと、明らかに後付けの補強を行い、調子に乗って「告訴も辞さない」
などと言い出したことです。

彼女には、担がれて舞い上がって周りが見えてないのかもしれないけど、
そろそろはしごを外されて自分が落とされそうになっているのに
気づいた方がいい、といわせていただきたいですし、さらには

「さんまさん(テレビ出演のときの司会)に助けてもらえればありがたい」

とか言ったという報道にいたっては思わず

「もしかしたら、ばか?」

と口に出してしまいました。
皆の反感を買うだけで誰の得にもなっていないと思うんですがこの発言。


勿論それとは別にセクハラ野次が褒められたことでもないのも事実です。
女性と見ればセクハラ発言をするのが当たり前と思っているらしい

議員というのも現実問題としてかなりいるらしく、そいつらが今回の件で
身を引き締めて今後の言動を慎むようになれば、
それはそれで意味がないわけではなかったとも言えます。


しかしながら、最初から「自民の席の方から聴こえてきた」などと言っていたあたりで
なんだかなあ、と思わずにはいられないうさん臭さ。

そもそも野次は別に自民党の議員の専売特許ではないのであってだな・・。


 
たった今入ってきた情報に寄ると、現在塩村都議が「お付き合い」
しているのは「朝日新聞記者」で、会見の原稿もこの人物が
書いたようです。

・・・・・・なるほどねえ。わかりやすい。 

日本人を「罪人」にしようという動きなのかもしれませんね。 




中国共産党の「三戦」と東アジア安全保障会議

2014-06-17 | 日本のこと

わいわいのりものフェスタの護衛艦見学の話の続きを読もうと思った方、
まことにすみません。
どうしてもこの話をしておきたかったので前回アンネの日記事件と絡めて
中国の三戦についてお話ししました。
つまりこちらが本題だったのです。今少しお付き合い下さい。 


去る5月30日、シンガポールで行われたアジア安全保障会議での
安倍首相の講演について産經新聞がこのように報じました。

安倍晋三首相は自身の靖国神社参拝について

「国のために戦った方に手を合わせる、
冥福を祈るのは世界共通のリーダーの姿勢だ」


などと語り、会場が拍手に包まれる一幕があった。

 講演後の質疑で、出席者の中国人男性が昨年の首相の靖国神社参拝について

「先の大戦で日本軍に中国人は殺された。その魂にどう説明するのか」

と質問したのに答えた。

 首相は

「法を順守する日本をつくっていくことに誇りを感じている。
ひたすら平和国家としての歩みを進めてきたし、これからも歩みを進めていく。
これは、はっきり宣言したい」

とも述べた。



「戦争で中国人だけが殺されたんじゃねーよ」

中国人記者のしたのは普通ならこう言い放ってしまえるレベルの愚問ですが、
こういう場でそんなことを答えるわけにはいきません。
たとえ内心そう思っていたとしてもね。

というわけで安倍首相、ストレートな答えを避け、一般論で切り抜けつつ、
返す刀で質問者の国の姿勢をバッサリ切ってしまいました。
まあ「バッサリ切られた」と当人が思ったかどうかは怪しいですが。

しかし、この答えに対して拍手が起きた、ということは
会議参加国はこの安倍発言が中国への皮肉になっていたことを
皆が理解したということでもあります。


アジア安全保障会議は、ASEAN10カ国に地域フォーラムとしての
日本・アメリカを含む14カ国で行われます。

最近はなぜかASEAN当事者ではない中国と韓国の学者が、

この二国以外には全く意味のない「過去の歴史認識」で日本非難を繰り広げ、
ともすれば日本を悪玉に仕立て上げる場のようになっていたわけですが、
今回は違いました。

それにしても日本がこういった場で自分の立場をこれほどはっきりと言明し、
さらに
中国の立場をはっきりとではないにせよ聞いているものがわかるように
非難したのは初めてのことではなかったでしょうか。


アメリカはまず「強い日本」をすぐさま後押ししました。
まるで「しつけの悪い犬をしかり飛ばすように」
ヘーゲル国務長官が中国を非難しています。
(BBC NEWS : Beijing destabilising" the South China Sea)


アメリカだけではなく、タイ、オーストラリア、そして現在進行形で
酷い目にあっているベトナムも、国際法違反であるとして次々に中国を非難。
これがほんとの四面楚歌。

さすがに四面楚歌の本場である中国。
それでもめげずに中国人民解放軍の王副総参謀長は不快感を示し、
(それにしても軍人が代表で出席するなんてどん引き~)

「安倍首相の発言は中国への非難を仄めかしている」
「日米は歩調を合わせ、会議の場で我が国への挑発と挑戦をした」

と日本を非難したそうです。

実は日本からはこの会議中、両国の協議申し入れを行っていたのですが、

王副総参謀長はそれを拒否したことを明らかにし、

「日本側に、わが国に対する誤った政策を改め
2国間の関係を改善する意志があるかどうかだ。
日本は関係修復のため、これらの誤りをできる限り早期に修正すべきだ」

と述べ、また米国の覇権主義についても批判したとのことです。
韓国さんも同じことを言っていたような。
さすがは「中華主義の本場国」と「中華主義の国」。
夫唱婦随って奴ですか。


この両国の「誤りを正すまで話し合いをしない」というのを聞くと
いつもいつも思うんですが、普通は問題があるからこそ
それを解決するために話し合いたいと思うんじゃないんでしょうか。


日本が誤っているのなら、そのとき言いたければ言えば?



ところで日本の総理がこの会議に出席するのは今回が初めてのこと。
初めての会議で、しかもオープニングで講演を行うことになったのは、
主催者の招待と指名によるものであることに注目したいと思います。

つまり、日本の首相に今講演をさせるということは、
どんな形になるかはわからないまでも対中批判をしてほしいという
ASEANの意向でもあったということではないでしょうか。

しかも安倍首相の演説は当の中国でさえ「仄めかした」と言うしかない
非難色の少ないもので、

「法を遵守する日本」

を強調するに留まる(しかしそれが非難にもなっているところが巧い)
文明国の格を見せつけるような完璧なスピーチだったわけです。


ところで前回中国共産党の「三戦」についてお話ししました。

「輿論戦」「心理戦」「法律戦」

の三戦を中共は軍の政治工作の項目にしていると言う話です。

この「輿論戦」(よろんせん)の「輿論」とはあまりなじみがない言葉ですが、

 日本語の「世論」とだいたい同じ意味だと思えばいいかと思います。

特に最近の中国を見ていると、しかしこの「輿論戦」を中共は
「やり過ぎ」ているとしか見えません。

何度も言いますが、中国人というのは「白髪三千丈」の文化で、
なんでも数を膨大にすれば説得力が増すと考えている節があります。

「南京大虐殺」の犠牲者数が10万単位で増えていっているのもそうですし、
先日の中国船とベトナム船の衝突では、
ベトナム側に中国側がぶつかっていっている動かぬ証拠映像を公開されても

「ベトナムが147回ぶつかってきた」

などと、即座に「なわけあるか」と突っ込まれてしまうような数を
思わず言ってしまうのも、この習性によるものです。

何しろ数が多ければ相手が納得するという文化であるゆえに、
「輿論」のための示威行動もどんどんエスカレートしてしまうのでしょう。

ベトナム戦争にはじまって天安門、そして最近の領海を巡っての暴虐。

天安門は国内は押さえ込めたかもしれませんが、
国際的な非難の大きさまでは予想できなかったと見えます。
(困って日本の天皇陛下をイメージ修復に利用したのは記憶に新しいところ)

今回もベトナム船は「147回」ぶつかったといい、またドイツに行って

「日本は昔ホロコーストで30万人の中国人を虐殺した」といえば
中国の正当性が主張できると思っているあたりがすでに
世界の常識的外交センスとはかなりかけ離れていると言えます。 

そんなことをしたって世界の誰も中国の正当性を認めることはないのに。




「三戦」のうちの「法律戦」というのは、

「国際法および国内法を利用して、国際的な支持を獲得する」
というものですが、今回安倍首相に中国が「してやられた」のは
安倍首相への反発のなかで、中国自身がこの国際法を守っていないことを
自ら認めてしまったことです。


「国際法を遵守する」と日本が自国の立場を表明しただけで
「中国のことを仄めかしている」といきり立ってしまいました。
いわば「語るに落ちた」というやつで、もし自国が国際法を遵守している、
という自覚があれば、この発言を皮肉ととるはずもないのです。 



しかしながらこの会議はその話し合いに法的拘束力を持つものではなく、

このため中国は今日も周辺国との間に危険が高まっています。

南沙諸島海域にはたった約5平方キロメートル足らずの陸地しかないのですが、
そこに中国、ベトナム、フィリピン、マレーシア、台湾が
いずれも前哨基地を構えており、あたかも一触即発の火薬庫のような様相です。




三戦のうち「心理戦」は、敵の軍人およびそれを支援する文民に対する

抑止・衝撃・士気低下を目的とする心理作戦を通じて、
敵が戦闘作戦を遂行する能力を低下させようとするものです。

先日、我が航空自衛隊のYS11EB電子情報収集機と
海上自衛隊のOP3C画像情報収集機が、
中国軍のSu27戦闘機2機の異常接近を受けました。
30~45メートルまで中国機は接近したということですが、
政府は外交ルートを通じて中国側に厳重抗議しました。

これに対し中国はうっかり

「自衛隊機の方が接近してきた」

と言い返したものだからとたんに

「偵察機なのに戦闘機に追随できるなんて自衛隊って凄~いw」

などと突っ込まれてしまいました。
それでもめげずに(本当にめげてない)

「日本側の偵察行為からは、中国の軍備近代化に対する焦燥ぶりが窺い知れる。
東シナ海における日本との中国の力関係がすでに逆転し、
我が方は日本のいかなる形による挑発行動をも挫く能力を完全に有した」

と主張したのことです。
 こういったアナウンスも「心理戦」と考えてやっているんだな、と
その舞台裏をわかっていれば、中国がいかにも言いそうな内容ですね。


しかし「三戦」のどの局面においても、中国という国は世界基準とは
その「加減」というのが乖離しているため、どうもやればやるほど
自分で墓穴を掘っているだけのように思えるのですが・・・。



アメリカが介入して来ることを、実は南沙諸島の当事者国は
内心期待していると言われているのですが、指導者があのオバマなので(笑)
当分は当てにならず、だからこそ今回、日本の毅然とした態度が評価されたのでしょう。

際立った効果はないにせよ、これらの中国非難の合唱は少なくとも
中国のメンツを失わせ、それゆえそれでなくても弱まっていると言われる
習近平の求心力も急降下しそうです。

というわけでわたしは、安倍総理と小野寺防衛大臣の対中姿勢は
今のところ間違っておらず、むしろ非常にうまくいっていると感じます。

日本は毅然と「遵法精神」を謳い、国際世論を味方につけて
中国の「三戦」に打ち勝ち・・・・というより中国が
自爆するまで粘り強く相対するというのが今のところ良策ではないでしょうか。




(冒頭写真は中国人民解放軍に一人で相対するウィグル人の老婆)


 


 


中国共産党の「三戦」と「アンネの日記切り裂き事件」

2014-06-13 | 日本のこと

久しぶりに国際情勢についてです。

わたしはこの2年の間に自衛隊の元幕僚長二人、現役海将一人が
中国問題について講演したのを聞きました。
自衛隊の上層部だった演者によく求められる演題のようです。
現在の対中国情勢については、特に自衛隊のトップならではの
情報を聞きたいと社会が望んでいるということでしょう。

その講演内容には中国共産党の
「三戦についての実態」
が必ず盛り込まれていました。

三戦は、平成21年度防衛省の「防衛白書」、
「我が国を取り巻く安全保障環境」のなかの
「諸外国の国防政策第3章中国」にこのように解説されています。

中国は03(平成15)年、「中国人民解放軍政治工作条例」を改正し、
「輿論戦」「心理戦」および「法律戦」の展開を政治工作に追加した。

「輿論戦」
  中国の軍事行動に対する大衆および国際社会の支持を築くとともに、
  敵が中国の利益に反するとみられる政策を追求することのないよう、

  国内および国際世論に影響を及ぼすことを目的とするもの。

「心理戦」
  敵の軍人およびそれを支援する文民に対する
  抑止・衝撃・士気低下を目的とする心理作戦を通じて、
  敵が戦闘作戦を遂行する能力を低下させようとするもの。

「法律戦」
  国際法および国内法を利用して、国際的な支持を獲得するとともに、
  中国の軍事行動に対する予想される反発に対処するもの。 



いきなりですが、少し前に日本の公立図書館や書店などで、
抑圧されたユダヤ人の象徴となっているアンネ・フランクの(とされている)
著書「アンネの日記」が相続いて破られるという事件がありました。

いずれもこの書が特定されており、しかもアンネの写真の部分は、
写真に撮られたときにわかりやすいようにわざわざ残されていることから、
わたしはすぐさまこれを

「日本人がユダヤ人を嫌って迫害するような民族である」

ということに見せたがっている者、あるいは団体の仕業だと疑いました。
おりしも韓国の朴大統領がアメリカやヨーロッパで
「日本の軍国化」を訴える「告げ口外交」の最中でしたから、
それを後押ししたい民族団体か、と当初思ったからなのですが・・。



そうしたら、続いて同時期にこんなことがありました。

習近平のドイツ訪問です。
これはおそらく2月以前には決まっていた話でしょう。
実際の訪問は3月末だったそうですが、習近平はそれに先立ち、
ベルリンのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)記念碑を訪問して
記者会見を開きたいと要求したのです。

ドイツはこの申し入れを拒否しました。

中国の狙いはナチスの暴虐についてドイツを非難することではなく、
むしろ戦後「謝罪した」ドイツを褒めちぎり、「それに比べて」と、
日本を執拗に批判することにあるというのは明白でした。


ともあれドイツがマトモな国だったので近平の野望は潰えましたが、
そこで思い出していただきたいのが「アンネ切り裂き事件」の時期。

事件は、2月に急激に都内で発生しています。
一番多かった杉並区内では被害館・被害店数は11。損害した本は総数300冊余。
いずれも東京都下に集中しており、同一犯、同一団体の犯罪であろうと思われますが、
わたしは、「この時期に何者かがその指示を受けてそれをすること」によって、
誰が得をするだろうか、と考えていました。

習首席の訪独が決まり、

「ホロコースト記念碑の前で日本の軍国主義を非難する」

という素敵なアイデアが決まったら、次は日本がかつてのナチスのように
ユダヤ人を嫌悪する民族主義が先鋭化している、という空気を
醸成するとなお一層効果的ですね。(中国共産党的に)


とにかく事件をでっちあげ、日本のマスコミに騒がせることができれば
世界に飛び火し、取りあえずは


「ネオナチによる犯行」=「日本の右傾化が背景」

が一丁上がりです。
(現にメディアは犯人が捕まる前からこの調子で画一的な報道を行った)

わたしがこの件は朝鮮半島ではなく、共産党から指示が出ていたと見るのは

こういった流れが「仕組まれていた」ように見えるからです。

習近平と中国共産党の思い描いた美しいストーリーは

「ホロコースト記念碑の前で、ドイツの『反省と謝罪』を褒めちぎり、
アンネの日記を破ることに象徴される、日本で勃興している軍国主義と、
ネオナチの台頭を助長しているのが安倍晋三であると非難する」

というものだったのではないでしょうか。
つまり

戦争中の日本の残虐行為に焦点を当てることで、
安倍政権の軍備増強や地域の覇権国家を目指すという野心を打ち砕きたい。
日本の戦争犯罪について語れば、中国の軍事力拡大と
地域の覇権に対する野望を正当化し、注意をそらすこともできる。
(ニューズウィーク紙)

これが中国の狙いだったのです。

それにしても。

中国の外交は老獪で先をているというのが定説になっていましたが、
言わせてもらえば案外たいしたことないですね。
なぜならこの件で中国は二つの点を全く読み違えているからです。

第一に、ヨーロッパでは

「第二次世界大戦について語るな」

というのが、外交を巧くやるための不文律になっているというのに、
たとえそれを褒めちぎるためであってもドイツ人に取って触れられたくない
(下手な言動をすると大変なことになる)古傷であるナチスを引っ張り出そうとしたこと。
これだけでも何とも外交センスがないといえます。

第二に、日本にはユダヤ人を迫害するどころか、嫌悪する土壌もないということ。

迫害どころか日本は当時のナチス政府とやりあってまでも

「人種の迫害は八紘一宇の精神に反する」

といってユダヤ人を匿ったというのは歴史が証明するところです。
当時亡命してきたユダヤ人は

日本では国を挙げての同情を集め、小さな子供が

「自分のおもちゃをユダヤ人の子供にあげてほしい」

と寄付をしたことが美談として記事になるような国だったのです。

中国共産党の情報部は、もう少し歴史を勉強した方がいいですね。

「歴史を忘れた民族に未来はない」でしょ?


ここでまた冒頭の話に戻りますが、「三戦」です。

こういった我々日本人には道義的にどん引きしてしまうような作戦を

中国共産党とは真剣に現在進行形でやっているわけで、それでいうと
この「切り裂き事件」が「三戦」のうちの「輿論戦」、つまり

「中国の軍事行動」(日本に対する現在進行形の侵略)に対し、
「 中国の利益に反するとみられる政策を追求することのないよう」
(自国の侵略行為を非難される前に相手が侵略してきたと主張する)
「国際世論を味方につけ」(ドイツと比べて日本を非難し)

るという作戦のための「ムード醸成」であった可能性もあります。

2月に急に始まり、しかも一人や二人の手では不可能な件数発生していること。
事件が公になり監視体制が各施設にできたこともありますが、
「犯人」として逮捕されたのはたった一人で、しかもその供述が
民族主義とも何とも関係なく、非常にあいまいであること。
そして習近平の「ホロコースト施設慰霊」がドイツに拒否されたのと、
事件の発生が途絶えたのがほとんど同時であること。

これがそう考える理由です。

その後38歳の男性が逮捕され、その情報も詳らかにされませんでしたが、

「マスコミが逮捕された犯人の名前を報じない」

ときは、それが朝鮮人・中国人のどちらか、あるいは中国か韓国に
都合の悪い結果であったというのは前例の示す通り。

だから勿論これが韓国の指示で行われた可能性もあり、
ネットではほぼ心証的にそのように言われているようです。

片山さつき議員も、この事件に関して

アングレームに乗り込んだ韓国チョ女性家族部長官は、
ユネスコ事務局長に、2月2日
『アンネの日記は世界遺産登録されている』

と従軍慰安婦の被害記録の登録を主張したそうです。
そして、都内でアンネの日記が図書館被害」

とツィートしています。
つまりこちらに対する「掩護射撃」の可能性も捨てられません。

いずれにしても中山成彬議員がツィートしたように

「瞬間日本人の感性ではない、日本人の仕業ではないと思った」

というのにわたしは賛同します。
さらに中山議員は

「ディスカウントジャパンに精出す国、安倍総理をヒットラーに例える国もある」

と、暗にこの両国のどちらかが事件の影にあることを指摘しています。



この切り裂き事件に対し、イスラエル政府は当初不快感を示しましたが、
すぐに菅内閣官房長官が

「わが国として受け入れられるものではなく、
極めて遺憾なことであり恥ずべきことだ」


と言う声明を出し、安倍総理は欧州訪問に際し
アムステルダムの「アンネの家」を実際に訪れ、

「大変残念で、二度と起こらないように希望する」

と事件の収拾に努めました。

そして、何よりも事件が世界に「日本の軍国主義の台頭」という、
中・韓の期待するイメージを伴って広まらなかったのは、即座に図書館に
本を寄贈する者が現れるといった日本国民の対応のおかげでもあります。

とりわけ亡命するユダヤ人に6000人分の「命のビザ」を与えて
それを幇助した日本の外交官、

「杉浦千畝」

の匿名で図書館に「アンネの日記」の寄付があったことは、逆に
このような人物が日本にいたことを想起 させることになりました。


日本はこの件ではいつの間にか勝利していたというわけです。
どちらにに対してかはわかりませんが。