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東京裁判のアメリカ人弁護人たち~ベン・ブルース・ブレイクニー少佐

2015-01-05 | 日本のこと

映画「東京裁判」を最初に観たときに最も衝撃的だったのは
アメリカ人の弁護人がまるで本国の法廷にいるように
手振りを加えながら、こう言った瞬間でした。

「我々は、原爆を投下した者の名前を挙げることができる」

今ほど近代史についての知識がないあの頃でも、東京裁判が戦勝国の側に立った
いわば「見せしめのためのリンチ」であることくらいは理解していたので、

戦勝国=正義という前提のこの裁判において、原爆投下を何れにしても
非難の色合いで述べるなど、
いかに日本側の弁護人であっても許されるのか、とショックでした。


陸軍の軍服に身を包んで火を噴くがごとく流麗な弁舌を繰るその人の姿は、
こういうことに至極敏感なわたしにとって「かっこいい」の一言につきたのです。


その後、東京裁判そのものに興味を持つようになったのは
もしかしたらこのブレイクニー少佐への衝撃が理由だったかもしれません。



通称東京裁判、極東国際軍事裁判が開廷されることになったとき、
早々に陣容を整えていた判事、検事側に対し、弁護側は開廷直前になっても
主任弁護人の人数は揃わず、
二人の被告を兼任する者もいたという実情で、
なんの準備もできないまま本番突入という心許ない状態でした。

これは何を意味するかというと、弁護人は裁判の体裁を整えるためにすぎず
裁判の形を取っているだけで、目的は戦争を起こした日本を
体良く
戦争犯罪国に仕立て上げることにあったということです。



日本側にとっても、敵国人であったアメリカ人弁護人たちが、

日本人被告人を誠心誠意弁護してくれるのか、という疑問は
被告始め誰にとっても同じようにありました。


しかし、また後日お話しする予定のジョージ・ファーネス弁護人をはじめとして、
何人かの(あくまでも何人かの、です)米人弁護人たちは

裁判を通じて自分信念にも法の精神にも誠実であろうとしました。



1946年5月3日の極東国際軍事裁判開廷後から一ヶ月経った頃、

アメリカから到着したばかりの弁護人が5人、
一挙に辞任を申し出て帰国するということがありました。

いずれも本国では一流と言われる腕利きだったそうですが、
彼らにはふた通りの理由がありました。

ある者は日本に来てから、報酬を知りました。
「ニューヨーク並みの収入は保証できない」といわれてそれならば、と踵を返したのです。

また、帰国組の一人、ガイダー弁護人が言った

「我々は、単なるショーウィンドウのドレスになりたくない」

という言葉から窺えるように、裁判の一方性を見抜き、
弁護人の仕事はないとして仕事を忌避した者もいました。
もちろんそのどちらもが理由だったという人もいたでしょう。


残った弁護人たちはつまり、本国の収入がたいしたことがなく、
見せしめの裁判で形だけの弁護人になるのもやむなしと割り切った者か、
あるいはブレイクニーたちのように、そのような裁判の中においても、
法律家としての良心に恥じぬ任務遂行を決意した者、ということになります。

日本人の主任弁護士だった清瀬一郎博士は、


「これらの弁護士は、誠によく働いてくれた。
最近まで敵国の指導者であった者を、本当に弁護できるかどうか、
疑う向きもないではなかったが、いったん弁護を引き受けた以上、
自国の本国政府に反しても、弁護士たる任務を尽くすことに躊躇しない気魄を示した」


と書いています。

わたしが映画「東京裁判」で感激したあのシーンで、ブレイクニーは
梅津美治郎被告の弁護人として、スチムソン陸軍長官
原子爆弾仕様の決定をしたことを証明する証拠を提出していました。

これは大変なことでした。

もしこの証拠提出が許されていたら、原爆投下はこの戦争中の
最大の人道的戦争犯罪として問題にされていたことになるのです。

この申し出がブレイクニーから出されたとき、イギリスの
コミンズ・カー検事は立ち上がって異議を申し立てました。

「連合国において、どんな武器が使用されたかということは、本審理になんの関係もない!」

ブレイクニー弁護人の答えはこうです。

「もし検事がハーグ条約第4をご存知なら、そのうちの陸戦法規にある、
一定の種類の型の武器、たとえば毒ガス、
細菌など、
非戦闘員にも傷害を及ぼす武器の使用を禁ずる、
という条項をご存知のはずである」

原子爆弾、すなわち非戦闘員を殺戮したこの武器は、ハーグ条約に抵触しているという主張です。

裁判長のウィリアム・ウェッブがこれを受けてブレイクニー弁護人とやりとりを始めました。

ウェッブ「かりに原子爆弾の投下が戦争犯罪であると仮定して、
それが本件になんの関係があるのか」

ブレイクニー「その一は、報復の権利である」

国際法では、敵が違法行為をすれば、これに対して報復(reprisal)の権利が生ずるので、
これが認められるならば日本の「戦争犯罪」も許されるという意味です。

ウェッブが、このリプライザルが成立するのは原爆投下後、
終戦までの3週間しかないことに言及すると、
ブレイクニーは、原爆投下以前の「アメリカの国際法違反」については

「他の証拠で立証する」

と言い放ち、投下後の三週間、

「この期間にかかる検事側の証拠書類はあった」

としたのですが、裁判長は無理押しにこの証拠申し出を却下してしまいました。

裁判の性質を考えると当然のことでしたが、
しかし仮にリプライザルが適応されていたら、
その間の「戦争犯罪」として糾弾されていたいくつかのBC級戦犯の
命は助かっていた可能性があるのです。


さて、今でこそ原爆について、どこで誰が原爆を決定したか
知らぬものはありませんが、当時はH・スチムソン長官
原爆の製造と使用の決断を全て管理していたことは世界の誰も知りませんでした。

ついでに、このスチムソンは、日系アメリカ人の強制収容を
推進した人物でもあり、また、原爆投下後は自ら

「 原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」

という談話によって国内の人道的非難を早々に回避しています。
未だにアメリカという国の原爆に対する見解となっているこのセリフは、
この人物のオリジナルであったということです。

投下予定の一つに盆地で実験結果がわかりやすい京都があったのを、
「文化保護の理由から」頑強に外させたのもこの人物ですが、
これは彼の人類文化に対する敬意というよりは、この計画が
自分の頭越しに行われたため排除しただけ、という見方も濃厚です。


さて、東京裁判で日本が何か得たものがあったとすれば、
ブレイクニーらの働きによって、日本が真珠湾を攻撃することを
ルーズベルトが前もって知っていたということが明らかになったことでしょう。

これも今では周知のことですが、未だにそれを「陰謀論」で片付ける一派がいて、
それではこの裁判でのやり取りはどう解釈するのかと首をひねってしまいます。



この件についてジョセフ・キーナン検事が、アメリカ国務省の顧問、
バランタインを尋問した際、ブレイクニーが反対尋問を行いました。

ブレイクニー
「大統領の親電を発したのは12月7日の通牒(通達)
を知ってからか?
6日の午後3時には、その前触れであるパイロットのメッセージを
国務省は入手していたのではないか?」

バランタイン
「そのパイロットのメッセージは、日本側の外交関係
断絶を示すものではなかった」

親電、とはルーズベルトが天皇陛下に直接物申したもので、

「約1世紀前に国交が始まって上手く行ってきた日米関係だけど、
両国の平和を喪失せしめる自体が発生している。
これは悲劇の可能性をはらんでいるが、日本は日華事変をさっさと終わらせて、
それから
陛下もこの危機を一掃する方法をお考えください」

とさっくりいうと(さっくりしすぎ?)こんな内容でした。
この親電は、結局陛下には届かなかったわけですが、つまり
アメリカ側は戦争が起こったことを前提にこれを書いているのです。


さらには、


ブ「12月7日の通牒は、宣戦布告でもなければ最後通牒でもない
というが、ルーズベルト大統領は ”これは戦争を意味する”と言わなかったか」

バ「そういうことを聞いたことがある」

ブ「ワシントン政府首脳は、電報を傍受して事前にそう思ったのか」

バ「それは知らない。
日本の通牒を受け取った時にはすでに日本は真珠湾を攻撃していた」

ブ「だが、11月26日、アメリカが回答を発する以前から、
大統領はじめ首脳部は、日本の行動を予測していたのではないか」

バ「自分の知る限りではコーデル・ハル長官は、
”日本は攻撃に移るかもしれない”と言ったことがある」

ブ「それでは日本の12月7日付の通牒が来つつあることを知ったとき、
これに重大な意味を認めたのではないか」


バ「日本が台輸送船団を6月に南下させたとの情報と関連していると考えた」

ブ「つまり宣戦布告と見なかったのか」

バ「それは知らない。とにかく、自体は急速度に展開したから」


バランタインの証言によれば、大統領が天皇陛下に向けた親電は
6日午後9時に発出されている、すなわち、

日本の最後通牒が渡される前

だったということになります。
傍受したパイロット・メッセージ(機動部隊の)により、
最後通牒が来ることも米首脳は予測していたということなんですね。


日本は最後通牒を手交するのが大使館の手違いで遅れてしまい、
1907年のハーグ条約、

「開戦前、ある時間をおき国交断絶または最後通牒をなすべし」

に条約違反してしまったということになるのですが、
これについての本裁判の判決は、意外や、「不問」でした。


何となれば、それ以前に

「日本は侵略戦争をしたことにより犯罪を犯しているから、
開戦前の通知で条約違反を問う必要はない」

という理由です。
侵略という大犯罪の前には、最後通牒の遅れという条約違反など、
喩えていうならば、殺人犯が逃走するときに赤信号を無視したことに
交通違反を科すようなもの、というわけですねわかります。


弁護団の方針は一にも二にも「天皇陛下にご迷惑をおかけしないこと」
でありましたが、アメリカの占領政策にもかかわることなので
結果としてはこれを勝ち取ることができました。 しかし、

「日本の立場を明らかにし国家的見地に立って、
侵略の汚名を払拭し、後世の誤解をなくすること」

という第一義的な弁護方針については全くこれを否定される判決となったわけです。

ま、最初からこういう判決を出すための裁判だったんですけどね。


ちなみに、ブレイクニー弁護人はこの後も、開戦に踏み切る前に
日本が戦争を回避しようと努力したことを証明しようと敢闘を続けました。



ベン・ブルース・ブレイクニーは1908年、オクラホマに生まれました。
オクラホマ大学、ハーバード大学を卒業し、弁護士活動をしていましたが、
1942年からは陸軍に入隊し、 日本課および戦時俘虜尋問班のチーフを務め、
そのために日本語も理解できたということです。

 wikiからの転用ですが、原子爆弾がリプライザル適応であるとしたときの
ブレイクニーの弁論をあらためてここに挙げておきます。

 

「戦争は犯罪ではない。
戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である。
戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も
戦争自体が非合法なら全く無意味である。
国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」

「歴史を振り返ってみても、戦争の計画、
遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。
我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。
しかし、
そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。
“平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故に当法廷より却下されねばならない」

「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは法律的に誤りである。
何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。

個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。

戦争での殺人は罪にならない。
それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。

つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。

たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった」


ここまでブレイクニーが陳述したとき、なぜか
同時通訳が停止し、日本語の速記録にはこの部分に
「以下、通訳なし」と記載されました。
わたしが映画を見て衝撃を受けたのが、まさにこの部分でした。 

文書の記録はありませんが、アメリカの映画会社によって

撮影されたフィルムに、ブレイクニーのこのときの弁論も残されたのです。
 

「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、
我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。
投下を計画した参謀長の名も承知している。
その国の元首の名前も承知している。
彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。
我々もそう思う。
それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、
戦争自体が犯罪ではないからである。
何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。
原爆を投下した者がいる。
この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認したものがいる。
その者達が裁いているのだ。
彼らも殺人者ではないか」


胸が詰まるくらい、正論です。
しかし、ここが正論を述べて受け入れられる法廷ではなかったことは、
後世の歴史が示す通りです。


ブレイクニーは東京裁判終了後も日本に留まりました。
東京大学で英法を講義しながら、番町に弁護士事務所を開き、
民事刑事の弁護を引き受けて活動していたのですが、
仕事のために自家用のセスナを操縦して沖縄に向う途中、
伊豆半島の天城山の山中に衝突して死亡しました。

1963年3月4日没、享年55歳でした。


東京裁判での弁護人としてかつて「共闘した」三文字正平や清瀬博士は、
政府に申し出、かつての敵国人であったこの「日本の恩人」には、
法廷で堂々と法の正義を訴えた功績に対し勲二等が叙勲されました。

日本人弁護人たちはブレイクニーの郷里オクラホマにその勲章を送り、その死を悼んだのです。




 
 
 


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7 Comments

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東京裁判の内容 (お節介船屋)
2015-01-05 10:17:11
あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。
米海軍の航空揺籃期の記事、東京裁判と矢継ぎ早に余り日の当たらない分野を取り上げて頂きありがとうございます。
特に東京裁判は気が重い事項ですが、私も日本人として知っておかねばと思い、本も購入した時代がありました。
が、大変気が重く遂に読破できませんでした。
ブレークニー弁護人の発言は原爆の発言以降通訳なしとして日本で発行されている裁判速記録には記録されていないとの文言になっておりました。
wikiからの引用として、ここに取り上げて頂き認識する事が出来ました。
A級戦犯の事だけが取り上げられる事がありますが、本当にB,C級戦犯の名誉回復も図る必要がありと思います。
本年は彼の2国と歴史闘争の年となるようです。
エリス中尉のますますのプログでの論究をお願いします。
応援しております。
返信する
BC級戦犯 (エリス中尉)
2015-01-05 14:04:13
お節介船屋さん、あけましておめでとうございます。
こちらこそ今年もよろしくお願い致します。

さて、BC級裁判で有罪となった者は、A級より裁判が簡素であったため結審も早く、
従って現地で即決死刑になってしまったケースが多いのはご存知の通りです。
戦後、彼らの名誉回復について日本人はそれを無視してきたわけではありません。
まだ近隣諸国の干渉や介入などなく、日本の政治家が与野党問わず一丸となって
背策を協議することができた時代のことです。
昭和28年、「戦犯」として処刑された人々を「公務死」と認め、
遺族の生活を援助するための遺族援護法改正が国会の場で議論されました。

社会党の堤ツルヨはこう発言しています。

「処刑されないで判決をうけて服役中の者の家族は留守番家族の対象になって保護されておるのに、
早く殺されたがために、国家の補償を留守家族が受けられない。 
しかも、その英霊は靖国神社の中に入れてもらえないということを
今日の遺族は非常に嘆いておられます」

また戦犯の釈放に対する発議をしたのも社会党の代議士でした。

「敗戦国のみ戦争犯罪の責任を追及するということは、正義の立場から考えてみても、
基本的人権の立場から考えてみても、公平な立場から考えてみても、
私は断じて承服できないところであります。
世界人類の中で、最も残虐であった広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば、
問題にならぬような理由をもって戦犯を処分することは、
断じてわが日本国民の承服しないところであります。 
ことに、私ども、現に拘束中のこれら戦犯者の実情を調査いたしますならば、これらの人に対して、
与えられた弁明ならびに権利の主張をないがしろにして下された判定ででありますことは、
ここに、多言を要しないのでございます」

社会党の末裔である社民党の代議士たちは先輩議員のこの発言をどう受けとるのでしょうか。

公的にはBC級受刑者の名誉は国会によって回復が試みられたということになります。

A級が未だに問題とされている理由はただひとつ、
それを近隣諸国が政治カードにしているからです。
返信する
サンフランシスコ講和条約 (雷蔵)
2015-01-05 17:26:57
に吉田茂が署名したことにより、我が国は第二次世界大戦での連合国との戦争状態を終結させ、独立を回復しましたが、その第11条にこう書いてあります。

"Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan."

「日本は東京裁判及び国外で行われた軍事裁判の結果を受け入れる」となるんじゃないかと私は思うのですが、エリス中尉はどうお読みになりますか?
返信する
個人的な意見では (エリス中尉)
2015-01-05 19:34:10
"the judgments"を「裁判」と訳すか「諸判決」と訳すかで戦後論争が行われてきたわけですが、
そもそもジャッジメントという言葉には裁判所の設立、審理、審理の根拠、管轄権、
訴因のをなす事実認識、起訴状の訴因についての認定、判定、刑の宣告、全てが含まれます。

これをもって、政府は事実認定等を含めた裁判全体を「受諾」したとし、政府もそれを認めている、
と解釈する考え方があります。

戦勝国が敗戦国を裁く裁判そのものがその成立に法的正当性がないということについては、
東京裁判で日本側の弁護人が幾度となく突破を試みた戦法でしたが、
それは本件の原爆の立件のように連合国側判事と検事たちに悉く一蹴されています。

つまり、結果として「裁判を受諾する」と表明したことで。日本はその成立の正当性も
裁判の結果をも含めて受け入れざるを得なかったのだと思います。

ただし、ただしです(笑)
いずれにせよジャッジメントを受け入れて刑に服した時点で「受諾」は完了したのであり、
裁判で出された判決の価値観の総てまでを(日本は侵略国であった、国家指導者は戦犯であるetc.)
恒久的かつ絶対に承認するとまでは日本政府も言明していません。

「悪法も法なり」と毒杯をあおったソクラテスの逸話は、日本では「悪法でも法は順守せよ」
という喩えにされていますが、
実は世界的には「悪法には従うことなかれ、たとえそれが自分で死を選ぶことになっても」
という解釈となっています。

東京裁判で日本が「裁判を受諾」したのだから、戦勝国による一方的な価値観までを
認めて未来永劫「反省」し続けなくてはいけない、
という言論には、
どうもこのソクラテスの逸話の改変と同じような匂いを嗅ぎ取ってしまいます。

ちなみに、裁判後、この裁判の正当性に疑問を呈したのはインドのパル判事が有名ですが、
裁判長のサー・ウェッブ、そしてマッカーサーも個人的な見解としてそのように述べています。
返信する
反省 (雷蔵)
2015-01-06 05:36:25
刑に服した時点で受諾は終わり。だったら、東京電力も福島第一原発事故に関して賠償が終われば、あとは反省する必要はないということになりますが、そんなことを言ったら、失笑を買うことはあっても、共感は得られない気がします。

人に言われていつまでも反省し続けるのはどうかと思いますが、いつまで謝り続けるんだ!と叫んでプライドを満足させて揉め事を起こすより、多少、自分を曲げても、大多数の支持を得る方がお得じゃないですか。いい悪いじゃなくて、バランス感覚の問題であり、信条を取るか成果を取るかの問題です。

安倍首相は、戦後70周年に関して、歴代内閣の歴史認識を引き継ぐというコメントを出されました。ご自身の信念がどうだか知りませんが、人以外の資源は大してなく、外国との商売で食って行かなきゃ成り立たない我が国首相としては、なかなかのバランス感覚に成長されたなと安心しました。
返信する
歴史に反省は必要ありません (エリス中尉)
2015-01-06 09:16:07
誤解を恐れず言わせていただくと、起こってしまった「歴史」は
いかなるものであっても反省する必要はないと私は考えます。
なぜなら歴史というのは一国のこうなりたいという意向だけで決まることではなく、
その時の世界状況、日本であれば日本と世界とのパワーバランスと大国の意図が
複雑に組み合わさった結果であり、そこに一国の反省や逆に意図など何の意味もないと思うからです。

日本はそれではあの時どうするのが良かったのですか?

未来永劫反省せよとおっしゃる方々は、敗戦という結果だけを受けて
「それは断じて避けられるべきだった」
とおっしゃいます。
わたしも日本が戦争をしなければこんな過去はなかったのに、
とこのブログのために調べた様々な悲しい事実を前に、しょっちゅうそのように思います。

しかし、あのとき日本が大国の非道を受け入れ、服従することで
そのとき日本は戦争を起こさずとも、その後別のファクターにより
別の戦争が起こらなかったと誰に言えるのでしょうか。
それを不満としたクーデターが起こったかもしれませんし、
何が何でも日本に戦争を起こさせたかったアメリカがさらなる圧迫を加えてきた可能性はあります。

現にアメリカが突きつけてきたハルノートの内容を具体的にご存知ですか?
自らは一点の妥協も損もせず、ただ日本が要求を呑んで、丸裸になれば、ABCD包囲網を
『どうするかそのときになったら考えてやっても良い』
というのがその内容です。
飲んで国力を削がれた後に「やっぱり包囲網はそのままで」と言われても、もうどうすることもできないのです。
ブレイクニーが裁判で証言したように、日本政府はハルノート以前まで、
対米関係に置いて必死に修復の努力を続けていました。
しかしハルノートはその努力が一切無駄であることを日本側に突きつけました。
すなわち日本の選ぶ道は要求を飲んでも死、飲まずとも死を意味していたのです。

日本人被告に無罪判決を出し、裁判の正当性に疑問を呈したインドのパル判事が
「ハル・ノートのようなものを突きつけられたら、モナコやルクセンブルクのような小国でも、
矛をとってアメリカに立ち向かうだろう」
と評したのが全てです。



そしてもうひとつ付け加えておくと、第二次世界大戦の勃発は1939年です。
日本の真珠湾攻撃によって始まったわけではありません。


わたしは国のために戦った我々の父祖を戦勝国の名で裁き「戦犯」の汚名を着せたまま、
名誉回復を許さないことが「反省」だとは思いません。
さらに戦勝国の一方的な裁判によって日本が「戦犯国」であるとした結果を
戦後も未来永劫引きずることが「反省」とも思いません。

おっしゃる原発事故における「反省」とはなんでしょうか?
賠償が終わっても、二度と同じ事故を繰り返さないために今までの機構を見直し、
改善すべき点はし、と具体的に進み続けることです。

反省が過去の失敗を繰り返さないことと定義するなら、
戦後日本は平和国家として一発の銃弾すら撃っていないではありませんか。
おかげで特定アジア諸国以外からは十分な信頼を得ています。
わたしは日本はこの70年間、十分「お得なバランス感覚」を身につけた国家になったと思いますよ。

しかし、これが日本の弱みとばかり「歴史の直視」を言い立てる一部の国に配慮し、
「反省」の名で日本と英霊を貶めることだけは日本人として許せないだけです。
返信する
再度東京裁判について (お節介船屋)
2015-01-06 15:02:33
エリス中尉のご指摘でインターネットを探して昭和30年国会において満場一致で採決された事が分りました。
ありがとうございました。
それにしても社会党議員がエリス中尉の記述の発言をしていたとは!
その後の社会党、現在の社民党は先輩議員の発言など全く意に介さずどころでなく、自分たちの過去の行動、発言すら責任を持ちませんので。
これ多くの政治屋(あえて屋です)のくせかな?

私達夫婦では良く政治の話はしますが、夫婦とも思うのですが友人、知人との会話は十二分に注意しないと政治の話で齟齬をきたすどころではない状況になる事もあります。
歴史問題でもそのようになる事もあります。
なぜだろう?
その時代の背景、状況等が抜け落ちてその事項だけ議論するからではないだろうかと思っています。
慰安婦しかり、戦争しかり。
船屋の分際で偉そうな事は言えませんし、資料、文献(偏ってます!)についてもエリス中尉のように分析、咀嚼も出来ませんがただ多く読んでの感想です。
今後とも宜しくお願いします。
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