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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

元陸幕長の語る「我が国の防衛」

2014-04-07 | 日本のこと

陸自と言えば、昨日習志野駐屯地の桜祭りに行かれた方おられますか?
わたしはM24さまに教えていただいていたので前日まで行くつもりをしていたのですが、
当日一人で行くことを心配した家族に不安定な天気を理由に止められ、

「転んでまた手の骨を折る夢を見た」

とまで云われました。
確かに手を庇いながら傘をさし、さらにカメラというのはいかに覚悟のできた
(底を見たってことです)わたしといえども辛いものがあります。

「来年には治ってるから。お天気もいいかもしれないし」

といわれて、一年後に延期を決めました。
まあ、最近の時間の経つのは異様に早いので、一年なんてあっという間さ。 


さて、冒頭写真はわたしが聴講した講演会で登壇する元陸幕長です。
前回この元陸幕長が中隊長であったときの逸話を漫画化しましたが、
この人物がまだ若くて バリバリだった頃ならあっても不思議ではないと
(というか本当にあったんですが)思われませんか?

 

因みにこの後ですが、全員伏せの状態になってしまい、本人も
二発撃った後、どうやって引っ込みを付けるかを考えだした頃、
部下(小隊長?)があたかも銃乱射犯人の説得をするかのように腰を低くし、
手で「押さえて押さえて」のポーズをしながら

「ちゅうたいちょおお~~~」

とささやき声で呼びかけつつそろそろと近づいて来て、 銃を奪い受けとったそうです。

という前日の「予習」によって聴講がいっそう楽しみになったわけですが、
さてどんな話が聞けるのでしょうか。



当日会場となったのは前日から泊まっていたホテルの宴会場。
宿泊には全く力をいれていませんが、この日のような経済界の朝食会など、
宴会や会合には重きを置いている模様。



宴会場から見える庭にはなんと人口滝まであります。
東京オリンピックに合わせて開業したそうですが、現在は前にも書いたように苦戦中。



ガーデンウェディングを行うために作ったと見た。



この日は前日ご一緒した元副官のK1佐は来ておられませんでした。
その代わり、かつての元幕僚長とK副官を思わせる陸自の2人組が。

わたしたちと同じく、経済同友会の朝食会が終わってから、
元幕僚長の講演だけを聞きに来た陸将補以上陸将以下の陸自幹部。
この陸将(ってことにしておきます)も、かつてバリバリイケイケだったときには
元陸幕長並の豪快な逸話の一つや二つありそうな雰囲気をお持ちでした。

副官はタバコの灰と吸い殻を始末するために携帯灰皿を持ちつつ近くで待機(多分)
海自と空自はどうだか分かりませんが、陸自の場合、
酒もタバコもやらんで部下の気持ちがわかるか!みたいなところで
どちらもガンガン、という隊長が多いような気がします。



主催者のお計らいで前列に席を取っていただきました。
今司会者が経歴を紹介しているところです。
以降、元陸幕長が語っているという設定で話を進めます。


【東アジアの戦略環境】

中国と台湾の問題、南北挑戦の分断、日本とロシアの関係、そして我が国の領土に関する問題。
今東アジアが置かれている問題の全ては、冷戦、そして第二次世界大戦の残渣と言えます。

まず竹島。
日本が敗戦後武装解除されているときに占拠され、その後サンフランシスコ講和条約で
否定されたにもかかわらず韓国が実行支配し領有権を主張しています。

北方領土問題も、日本が8月14日にポツダム宣言の受諾をしたとたん、
ソ連軍は上陸し、その後実行支配している。

台湾の問題も、終戦後、大陸で共産党に追い出された国民党がなだれこんできて、
日本を追い出した後に武力制圧のような形で支配した。

これ全て、遡れば日本が戦争に負けたことから始まっているんです。

中国の台頭というのは、中華思想に基づく膨張政策なんですね。
中華民族というのは「世界は中国のものでしかない」と考えており、国境なんて
便宜上引かれた地図上の決まりでしかないのだから、いくらでも修正されるべきだ、
そして我が領土は我が力の及ぶ範囲である、という考えです。

中国人は日本人と見かけは似ていても、中身は似て非なるものです。
話して分かる相手ではない。
道徳観念も価値観も、こんなに近い国でありながら全く違う。
厄介な隣人なんですよ。

もっとも、その厄介な中国人も中華街が作れない国もあり、
こちらはもっと厄介な隣人といえるかもしれません。(会場笑い)

彼らにとって膨張していくのは民族の本能であり、沖縄も尖閣もその膨張の先に
たまたまあるからやっているにすぎないんです。
その膨張の触手は、だから日本だけでなく中国本土の四方八方に及んでいます。


対して、最近は大国アメリカの力に陰りがみえてきました
シリアやクリミアの件もそうですね。
あれは単にオバマ大統領の個人的資質の問題かもしれませんが、いずれにせよ
国防費の大幅な削減によって、軍事力は確実に低下しています。

そして日本はどうでしょうか。

経済力では世界のトップ3です。
しかし、にもかかわらず政治的影響力はほとんどないに等しい。
発言力がないんです。
実にいびつな国家といえるかもしれません。


東アジアはいまや世界の近代軍が集中する地域となっています。
米軍を除く通常戦力は

陸軍:350万人、海軍:250万トン、空軍:5000機。

核戦力のことをいいますと、米、露、中、北朝鮮に囲まれています。
中国の核がどこを向いて設置されているか、知っていますか?


【尖閣諸島問題】

冷戦時代、自衛隊は「仮想敵国」をロシアとして、特に北の護りを重点にしていました。
そのころはたとえ日本に政治的な影響力が全くなく、発言権がなくても
それは対して問題にならなかったのです。
しかし、今はそれではだめです。

冷戦時代の北日本に対する脅威と、今の尖閣地域での緊張は比べ物になりません。
わたしは戦後最大の危機であるという風にも思っています。


わたしは軍同士の交流で人民解放軍のトップと話したことが何度となくありますが、
向こうの軍人は尖閣のことを

「明の時代に中国人が見たから我が国のものだ」

なんてことを平気でいうんですよ。
日本人から見ると道理が全く通らない、話が通じない、これが中国人です。
法的な権利とかファクトではなく、とにかく「中国が一番」の中華思想なんです。
だから、

「今中国は強いから尖閣の所有を主張しても良い」

従って尖閣は中国のものである、こんな認識なんですね。
それではその危機とはどのようなことが予想されるか。
こののシナリオについてお話ししてみます。

例えば尖閣で日本と中国が衝突したとします。
そうなった場合、戦域を尖閣だけに封じ込めることは不可能でしょう。
戦火は瞬く間に中国全土に飛び火します。

(エリス中尉註:さらに中国は2007年、在日中国人に対して有事の際に軍務を優先し、
国と軍が民間のヒトとモノを統制する「国防動員法」 を制定している。

たとえば尖閣でことが起こった場合、現在日本に大量にいる中国人は、
日本にいながらにして破壊活動や軍事活動を開始する要員となる可能性がある。
この法適用は国内企業のみならず外国企業も含むので、現在中国に進出している日系企業は、

そのときには中国軍の意志一つで全ての財産や技術を没収されることになる。
工場施設はもちろん、日本の最先端技術も。
親族の法曹関係者からの最新情報によると、今中国、韓国から撤退するための法律相談が

大手弁護士事務所に引きも切らず持ち込まれているそうだ)

さて、もし尖閣にことあらば、沖縄には在日米軍の主力が集結することになります。
想定される最悪の状況は尖閣諸島が中国に奪取される、ということですが、
もしそうなれば日米同盟は危機的状況に陥ります。

 逆に言うと、

日米同盟が有効に機能することは、つまり
日米と中国の全面戦争が生起するということ

なのです。

しかし、実際はどうでしょうか。
戦後最大の危機であることには違いないですが、かといってこのようなシナリオは
現実問題として可能性はほとんどないといってもいいのではないでしょうか。

先ほども言ったように、尖閣問題は中国の覇権主義の延長にある。
膨張しながら手を伸ばしている、その先が尖閣であるからこのようになっているのであって、
果たして中国は日米を敵に回して全面戦争するほどの価値が尖閣にあると思っているか?

わたしはだから逆に計画された戦争は起こりにくいと考えます。
もし何かあるとすれば、それは尖閣諸島周辺に置ける不測の軍事衝突
端を発するという形でしょう。

もし現地でそのようなぶつかり合いがあったとき、懸念されるのはまず中国側では
人民解放軍の、つまり軍の暴走です。
はたして中国共産党は、習金平は人民解放軍をコントロールできているか?
中国は文民統制など機能していません。
軍を政治がコントロールできるという政治体制ではないんですよ。

そして我が国の問題はそのときも世論が冷静であるか、ということです。
民主主義というのにも欠点はありまして、その一つが

「有事に際して世論が沸騰した場合、簡単に一つの方向になだれ込んでしまう」

ということなんです。
かつて日本が戦争に突入していったのだって「軍部の独走」 だけが原因じゃないんです。
そこには戦争を後押しし、政府を弱腰だと非難する、つまり沸騰する世論があった。

そして懸念の第三点目は、米軍の抑止力がそのとき機能するかということです。
もし中国側と日本側で戦闘行為が突発的に起こったとき、米軍は自動的に軍事介入するか?

わたしは絶対にそれはない、今の米軍は介入してこないと思います。

局地的に起こった戦闘が最悪の広がりを見せた場合、それは沖縄に飛び火し、
(なぜならそこに在日米軍がいるから)さらに日本全土に波及することになり、
アメリカにまで及ぶかもしれません。

機能的戦域は核戦争、サイバー戦争にまで至ることになります。



【尖閣諸島問題の本質】


尖閣問題は、日中両国の全体の関係から見ればそれほど大きな問題ではありません。
しかしながら領土問題には妥協はないのです。
島が小さいから、というだけの問題ではありません。

問題の本質は、領土問題ではなく、中国の中華思想に基づく膨張政策の始まり、
その象徴が尖閣であるということなのです。
つまり、中国という国が今まで通りである限り、この問題は終わることはない。
彼らにすれば膨張し自分の領土を広げていくという欲望に終点はないのですから、

いずれ日中の衝突は避けられないかもしれません。


日本と中国の関係は、いまだに「決着がついていない 」んです。
中華思想は「決着」「上下」を付け、その序列の上に自分があるとするものですが、
日本との間は今のところ一勝一敗です。

663年の白村江の戦い。(中国の勝ち)

このとき日本は唐・新羅連合軍に大敗しました。

(エリス中尉註:この敗北は、日本史上でも大東亜戦争後のアメリカによる占領を除けば
日本が外国の占領下に入る危険性が最も高くなった敗戦であったとされる)

1274~81年の元寇。(日本の勝ち)

鎌倉武士も頑張ったし神風も吹きましたが、結局フビライが死亡したので
決戦が回避され、日本に勝ち星が上がりました。

1941年、日本敗戦。

しかし、これは中国と決着がついたわけではありません。
無条件降伏はしましたが、中国に負けたわけではない。
つまり、未だ雌雄を決した関係ではないのです。
中国が力をつけてきて、より先鋭化した膨張政策を進める中、

「日本との決着をつける時代だ」

と考えているとしても全く不思議ではないのです。


【当面の対応】


中国の狙いは日米の離反です。
しかし、実際に日米が同盟を解除することがあったとしても、
それは必ずしも日本の滅亡や中国の属国化を意味しません。
より自主的で米国にも中国にも依存しない大国日本の誕生になる可能性があります。

日米の絆は核です。
日本も核を持ち、中国、アメリカ、日本と鼎立するという構図も可能性としてはあります。
しかし、それは皆に取って幸せなことなのか?

軍事的大国になることは日本に取って幸せなことなのか?

そんなことは日本人は望んでいないでしょう。
沖縄の小学校では、自衛隊員の子供を入学させない、という話もあります。
理由は「人殺しの子供はうちの学校に入れない」です。
戦後一人の人間も殺していない軍隊なのにです。

こういう人たちは自衛隊は戦争をしたがっていると言いますが、
実際自衛隊ほど戦争が嫌いな集団はありませんよ。
だって、戦争になったら自分たちがまず死ぬんですから。
何があっても戦争は回避してほしい、そう心から願っているのが自衛隊員です。



それでは当面、どのように対応していけばいいのか。
まず日米同盟の強化でしょう。
沖縄の在日米軍の再編はいわば過去の遺物です。
そして、集団自衛権の行使です。
武力の行使と武器使用を法改正によってできるようにすることです。

武器といっても武器だけではないんですよ。
例えば自衛隊の持っている野外手術システム。
これは集団的自衛権の足かせで現行は使えないことになっています。

そして、大事なのは多国間協力です。
特に連携をはかっているのはインド、ベトナム、そしてオーストラリア、台湾。(韓国)。

(エリス中尉註:つい最近もオーストラリアのパースで豪海軍主催のシンポジウムがあり、
我が海自からも出席があったと幹部の方からお聞きしたばかりです)

安倍首相は就任以来精力的に世界を回り緊密な関係を構築しようとしています。
各自衛隊の質的な強化も進めていくべきです。

そして、戦いを自衛隊だけに丸投げしないことですね。

防衛産業の強化は勿論ですが、国民にも戦う覚悟を持ってもらいたい
自衛隊は国防の尖兵ですが、いざとなると主力は国民なんです。
これは徴兵するとかそういうことではなく、今の軍事情勢に対して無関心でいないこと。
いざという時も大局に立った冷静な世論を構築するためにも。

敵対するだけでなく関係の宥和も必要です。

今もし何かが尖閣で起こったときに心配なのは、日中間にホットラインがないこと。
ホットラインの創設は提案されたこともありますが、今はストップしたままです。
当面、この創設に向けて努力することと、将来は人民解放軍と自衛隊で共同訓練まで行えればいいんですがね。

(エリス中尉註:中国主催の観艦式に海自を参加させなかったため、
米海軍がそれを不服として出席を取りやめたというニュースがあったばかりです。
リアルUSA! USA!状態で、佐藤正久議員も評価していましたが、それにしても中国、
なんというか、大国としてはかなり余裕がないというか、小っせーな、というか)


【靖国神社とケネディ大使】

ケネディ大使の「disappointment 」ね、
あれはもしかしたら日米同盟の崩壊の序曲になったかなと思います。
だって、あれは明確に

他国のナショナリズムの否定

をしたわけですからね。
靖国神社は墓じゃないんです。
魂を祀っている、つまり心の有り処と感謝の場を否定してしまったんですから。 
日本が独立した後、アメリカは靖国神社については表明したことがなかった。

(註:ブッシュ大統領は来日時に靖国神社参拝を主張したが叶わなかった)

こんなことを言えば日本国民が皆不快感を抱くくらいのこと、今まで
アメリカはわかっていたんですよ。
それが、中国韓国の大騒ぎに黙っていられなくなって口を出してしまった。

アメリカもなんというか、余裕がなくなっているなと思いますね。


【終わりに】 


国民が自国を守る意思を明確に
世界に向けて示さなければなりません。
誇り高き国に生まれ変わるには自主憲法の制定が不可欠です。


わたしが自衛隊だから言っているんだろうと思われるかもしれませんが、
陸幕長として世界中の軍隊を見て来て確信しているのは、
日本国自衛隊の能力は世界でも最も優秀だということです。
アメリカ軍よりもわたしは上だと思っています。

しかも、強い軍隊であるのにもかかわらず常にその視線は「下から」で
国民の従僕であることを以て任じています。
こんな素晴らしい軍隊が世界のどこにありますか。

我が国は世界でも最も自由で、豊かな自然を持ち、安全でしかも美しい国家です。
こんな日本を、素晴らしい日本を少しでも良くして子孫に残すことが
今のわたしたちの責務であり義務であると思います。




(当日の講演に参考資料の文章を加筆し、筆者の補足を加えて構成しました) 

 





 

 



 


佐村河内事件を音楽関係者の立場から語ってみる。

2014-03-09 | 日本のこと

右手骨折のリハビリ期間ですが、イラストも久しぶりにやってみました。
復帰第一作が佐村河内ってのはどうよ、という声も(自分の中で)ありますが、
まあ、この程度の雑な絵なら無理もせずちゃっちゃと描き上げられるようになりました。
本当にデジタル絵画の技術とはありがたいものです。


さて、おそらく日本のクラシック音楽界空前絶後のスキャンダルといえる
この事件については皆さんもご存知のことと思いますので
ここで改めて説明することはいたしませんが、世にあふれる意見の中で
音楽が分かっていないと陥りがちな誤解があると感じたので、
少しそのことをお話しします。

医者や弁護士、自衛隊もそうでしょうが、ドラマで描かれる特殊な世界は
ほとんどがその当事者から見ると「ないわー」ということだらけで、
所詮その中の世界はその中の人にしか完璧に理解できるものではない、
ということを、おそらく「中の人」たちは日々実感しているでしょう。

今回の事件における「ゴーストライター問題」についても、世間の人と関係者では
おそらくかなり考え方も見方も違っているものと思われます。


ジャズミュージシャンの隠語で「バイショー」という言葉があります。

バイショーとは商売のことで(ジャズ屋は何でもひっくり返す傾向にある。
トーシロ、シーメ、チャンバー、ビータ、ノアピなど。実に恥ずかしい)
彼らにとってはホテルのラウンジやパーティの仕事のことをさすのです。
プライドだけは高い彼らは、ライブハウスの「自分がやりたいジャズができる」仕事なら
安くてもいいが、バイショーならこれだけ貰わないとやってられん、という
不思議な価値観を持っており、わたしの昔の知り合いの音楽事務所の人は、

「なんなんでしょうねー。
これからホテルのラウンジに「ライブハウス」って看板かけようかしら」

とぼやいていたことがあります。


話が寄り道から入りましたが、今回の事件でゴーストライターであることを告白した
作曲家の新垣氏にとって、18年前から佐村河内のオーダーする曲は所詮この
「バイショー」であったということなのです。

クラシック、というか純音楽を志す学生というのは、好むと好まざるに関わらず、
音楽大学では無調の曲を書かなくてはなりません。
クラシックというのは文字通り「古い」ということであり、入学時に
古典の手法で曲を書いて入って来る音楽学生は、入学した段階で
すでに調性音楽の基礎はできているという前提で、そこから勉強を始めます。

わたしがまだ高校生だったとき、無調の現代音楽発表会のコンサートに一緒に聴きにいった
やはり音大志望の先輩は、ため息をつきながら

「大学入ったらこんな曲書かないといけないのか・・・」

と嘆いていたものです。
そんな彼はその後優秀な成績で卒業し、某音大の先生になりました。

つまり、新垣氏のような純音楽の書き手にとって、音楽を書くというのは
研究者にとっての実験のようなもので、古典の時代から連綿と続いて来た音楽の流れを
さらにとどまることなく新しい手法そして音を開拓するための挑戦なのです。

シェーンベルグが12音技法を創始したのが戦前のことで、日本の作曲家も
「海行かば」の信時潔はそのシェーンベルグの楽譜を日本に持ち帰っていますから、
つまり現代の、というかそれから80年後の「現在の」音楽というのは、
調性音楽をもう過去のものとしている、ということをまず前提にしていただきたいのですが、
その観点で、さらにこの新垣氏の実力から考えた場合、佐村河内の依頼した楽曲とは

「現代音楽を勉強した者になら誰にでも書ける」

というイージーモードでのいわば余技であり、純音楽、つまり自分のやりたい音楽では
「市場価値が無い」(つまり稼げない)現代音楽作曲家にとって、生活の糧を得るための
「バイショー」であったということなのです。

しかし、口ではそういいながら音楽をすることが好きでミュージシャンになったジャズメンが、
たとえバイショーの仕事でもいい加減にせず、それどころか案外楽しんでやってしまうように、
新垣氏は、間違いなくこれらの作曲の仕事を「楽しんでいた」はずです。
それが証拠に、

「売れる訳が無いと思っていた」

といいながら、その反面

「自分の曲が音になるのはうれしかった」

と言っているではないですか。

音大の講師としての給料、個人レッスンの礼金、そしてこういった「バイショー」である
編曲や作曲の仕事をして、純音楽家はむしろ自分の追求する音楽のために
それらのお金をすべてつぎ込む傾向にあります。

何かの弾みでコマーシャリズムに乗り、映画音楽などを任されるようになれば、
初志を忘れてそちらが「本職」になってしまう人もいるみたいですが、(例・三枝某)
おそらく現代音楽の第一線で頑張っている作曲家はそれを「堕ちた」と見るのではないでしょうか。

新垣氏が恩師の三善晃氏が亡くなったのでゴーストライターを告白した、というのは
恩師に「堕ちた」と見られるのが何より辛かったからだとわたしは思っています。



今回、佐村河内の会見をわたしは怪我療養中で引きこもっているのをいいことに、
全編ニコニコ動画で見ることが出来ました。
怪我をして良かったことの一つです。(もちろん冗談です)

その中で、佐村河内氏が新垣氏への非難と攻撃に終始し、ついには
「絶対訴えます。名誉毀損で」と言い出したときには驚きましたが、
氏の新垣氏批判の中で、新垣氏がギャラを釣り上げるために

「最初の金額提示には首を横に振り、二度目はうーんと首を傾げ、
三度目にニッコリと笑った」

ということをした、とあたかもそれが金に汚いような印象であるかのように
吹聴したとき、わたしは何かすごく腑に落ちた気がしました。
これは、音楽家、ミュージシャンに共通の

「仕事で金の話を直接してこなかった人種」

のありがちな反応だからです。

わたしの身内に法律関係者がいますが、わたしが音楽業界で仕事をしていた頃、
その契約のいい加減さに、ほとほと呆れていたものです。

「ギャラの契約書なんてないの」「ない」
「勤務に対する取り決めとか、判子を交わしたりとか」「しない」
「よくそんないい加減なギョーカイで問題が起こらないなあ」「よく起こってるよ」
「・・・・・」


特にジャズ系の仕事ではどんな仕事でもミュージシャンはあまりギャラについて聴かないし、
下手したら仕事に入るまでいくら貰えるのか知らないこともしばしばで、
逆にはっきり金額の提示を求めたり、交渉をする人が疎まれる傾向にあるといったら、
もしかしたら皆さんは驚かれるかもしれません。

クラシック系の仕事はその点まだちゃんとした上で行われることが多いですが、
それでも事前の契約書などほとんど交わさないのが普通です。
ギャラがいくら欲しいか、はっきりと言わないし言えない、というのは
どこかに「お金のために音楽をやっているのではない」というジレンマが
どんな音楽家にもあり、新垣氏もまたその一人であったということでしょう。



わたしは今回の事件を「詐欺」と見た場合、世間の人々の少なくない数が言うように
「新垣氏に責任がある」とは全く思いません。

ゴーストライターを使って芸能人や歌手が自分をよりたくさん「売る」というのが
この世界では常態化しており、その「下請け」には「バイショー」と割り切って彼らのために
曲を書いている無数の音楽家がいるのを、よくよく知っているからです。

ここで言う訳にはいきませんが、何人かの知り合いは「え、あの人の」といわれる
ソングライターのゴーストをしていますし、出版界にはもっと多くの「幽霊」がいるでしょう。

逆に言うと、自分の本当にやりたい仕事のためには「持ち出し」も致し方ない、
そんな芸術家たちにとって、それらの仕事は大事な「飯の種」なのです。



「世間では当たり前とされているゴーストライターがいたからといって、
それを責められるのはおかしい、佐村河内のどこが悪かったんだ」

と、むしろ新垣氏を責める人がいるらしいですが、今回の問題は、
プロダクションが「商品」として売っているソングライターのために
安定した作品を提供させるためにゴーストライターを使う、という構図ではなく、
最初から「ゼロ」の男が、自分では全く何もできないのに、100パーセントの
部分である新垣氏を使って作曲家を詐称していたことにあるのです。

新垣氏の誤算は、この稀代の詐欺師が、作曲家として自分を売り込むために
よりによって障碍者を詐称し、それを「障害にも負けずにそれを克服する物語」
が大好物の大衆に向かって売り、儲けようとするメディアが、その存在を
思ってもいなかったほど肥大させてしまったということだったでしょう。

一度転がりだした雪玉のような「聾の作曲家の物語」は、新垣氏の

「売れる訳が無いと思っていた」

という当初の予想を大きく裏切り、NHKのドキュメンタリーで佐川河内氏が
今見れば「どんな気持ちでこれやってたんだろう」と唖然としてしまうような
三文芝居をそれらしくドラマに仕立ててしまったことでよりいっそう神格化し、
もしソチオリンピックで高橋大輔がメダルを取ったら、佐川河内はもちろん、
新垣氏もはや引くに引けないところに追いやられてしまう所まで来てしまった。

「なぜ今告白したのか」

と佐川河内本人も、世間もそのように新垣氏を責めていたようですが、
新垣氏にすれば今も何も「一刻でも早く」しないと、手遅れになるというところだったのでしょう。



佐川河内は楽曲の著作権を手放す気はなく、その理由として

「緻密な設計図」

を書いたのは自分、つまり、創作への自分の関与を挙げたそうですが、
あの「設計図」を見て、わたしは声を上げて笑ってしまいました。

こんなもんで交響曲ができたら誰も苦労せんわ。

そして会見途中で、ある記者が設計図の中の謎の用語の中から指を指し、
「これはなんですか?ペンデュラム
と尋ね、その答えが

「覚えてません。宗教用語だと思います」

だったのでもう一度笑いました。
ペンデュラムって・・・・振り子ですよね?


断言してもいいですが、新垣氏はあの、訳の分からない「設計図」とやらは
全く参考にしていないどころか、おそらく見てもいないと思います。

本当にあの設計図を渡していたら、ですが。

そしてこれもまず間違いなく、新垣氏は佐村河内のことを心の中で
何の素養も無いのに作曲家のふりをしたがるアホとして蔑み、
この設計図に書かれている、音楽関係者なら笑ってしまうようなあれこれの
小賢しい指示とやらも馬鹿にしていたに違いありません。

(わたしならそうすると思うけど、新垣氏は優しい方みたいなので断言しませんが)


もう一つ、わたしが佐村河内の小賢しさを笑ったのが

「調性音楽の復権を目指していたのにそれが半ばで挫折したのが残念」

みたいなことをのたまったときです。
前半で縷々述べたように、純音楽というのは、もはや人々が楽しみで聴く音楽とは
別の次元で発展し進化させる「創造者」「挑戦者」によって行われています。

調性音楽はこれら先端の音楽にとって、すでに「克服」されたものであり、
進化済みのものでもあるわけですから、もはやそこに復権などしようがないのです。

そもそも調性音楽とは現代に生きる私たちにとっての「普通の音楽」であり、
同時に「人々が聴きたいと望む音楽」であり、「売れる音楽」であり、
・・・・つまり、調性音楽のフィールドというのは、
最先端の音楽と棲み分けをしたうえで存在している訳ですから。

クラシック業界にとって「わかりやすい調性音楽」で純音楽の現場に斬り込むのは、
いわば竹槍で敵に向かうようなもので、負けるとわかっているから誰もしようとしない。
ただど素人である佐村河内だからこそ、こういうことを思いつきそれができたといえます。

その際、彼がただの素人なら単に討ち死にで終わることでも、佐村河内の場合は
「耳が聞こえない」というとんでもない(笑)障害があったとされました。

つまりこの障害あらばこそ、たとえ彼が竹槍を振り回していても許されたということです。



その音楽に純粋な学術的意味は無いとわかっていても、音楽家は皆
なんだかんだ言って、大衆と同じように調性音楽でないと駄目みたいなところがあります。
「現代音楽の仕事なんて嫌い」
とはっきり言うオケマンをわたしは一人ならず知っています。

もちろん純音楽を本当に好きで聴いている人もいるでしょうが、一般的に専門家ほど、
好き嫌いとは別に佐村河内作品のような既存の手法で書かれた作品は
「映画音楽みたい」「何何そっくり」などと馬鹿にするのが常です。
しかし本来なら「いい曲だけどまるでマーラーだね」と冷ややかに批評して終わるところ、
実はこれは聾者が頭をゴンゴン壁に打ち付けながら苦しんで作った曲だとなると、

「まあそういうことならいいんじゃないか。良い曲だし」

と、ペダンチックな態度を緩和するための言い訳を、そこに見出すことができたのでしょう。
戦前から連なる現代音楽の歴史を知りもせず、そういった「お目こぼし」を受けながらも

「調性音楽を復権することが出来ていた」

などと本気で思っていたらしい佐川河内とは、
どこまで怖いもの知らずのお目出度い奴だったんでしょうか。




さて、音楽関係者の立場から思ったことを書いてみましたが、
もう一つ、義手の少女バイオリニストについての記者とのやり取りで気づいたことを書きます。


神山記者「なぜ舞台上で義手つけろと言ったんですか?」 
佐村河内「そのほうが感動するでしょ」 
神山記者「目の前で義手つけると感動する?」 
佐村河内「・・・感動すると思いますけど・・・。感動しません?」


わたしはこのやり取りに慄然とするものを感じました。
世間の倫理的常識というもののスタンダードから言えば、
こういうことを平然と言える人間を、大抵の人は「鬼畜」と呼びます。

もし自分自身が本物の障害に苦しんだ経験があったら、おそらくは
このような非道なことは、たとえ心の底で思っていたとしても決して人前で、
ましてやこのような会見で口に出すことはできないでしょう。

にもかかわらず、佐村河内はそれを言った。しかも、あっさりと(笑)


彼の言い方はそれがどう思われることかについて全く疑問すら感じていない、
むしろ無邪気とも思える調子がありました。

会見最初に、障碍者を利用していたとされることについての弁明として

闇に沈む人たちに光を当てたい」

と言ったこともそうですが、わたしはこれを聴いたとき、
この人間こそが精神の闇を抱えていることを確信しました。


まあつまり「そういう人」だったということで話が終わってしまうのですが、
わたしの着目は、むしろ彼がそれを全く悪いことだと思わず 

「感動しませんか?」

と無邪気に言い放った相手が、その障害を持つアーティストに実力以上の評価を与え、
健常者の優れた音楽家よりも宣伝し持ち上げて、今回のいくつかの番組のように
物語を付加してまで売ろうとする、マスコミの人間だったということにあります。

記者はこの質問に答えませんでした。

「ええ、(世間は)感動します。
障害者が奏でる音楽でもないと今時クラシックなんて売れませんよ」


これが、じつは佐村河内を持ち上げた(そして今落とそうとしている)マスコミの本音です。

佐村河内のこの問い返しを、肯定しても、否定しても、
マスコミは自分たちの日頃の姿と倫理的常識の二律背反に陥ることになるのです。

つまりあれは、自分たちが公開リンチで追いつめ非難している佐川河内という存在が
本人に自覚は無いながら鏡となって、メディアの姿を写し出した瞬間だったわけです。

あの会場に居並んだ、マスコミの「当事者」たちの中で、
この痛烈な皮肉に気づいた人間は果たして何人いたでしょうか。

 

 




 


台湾・高雄の「二・二八事件」

2014-02-28 | 日本のこと

ここ何日か「226」ならぬ「228」の検索が多いらしく、
このエントリに閲覧数が増えています。
今日は2月28日ですので、映画「銃殺」をベースにした2・26事件シリーズにはさみ、
台湾旅行で見学した228博物館について書いたこのエントリを再掲します。

ちょうど怪我療養中で毎日アップできなかったので・・・(あ、この手があったか)。 

 

さて、台北に続く台湾第二の都市が高雄です。
打狗(ターコウ)、犬を叩くという現地人の音から統治時代に日本人が命名し、
以降「たかお」、戦後は国民党政府によって「ガオション」になりました。

戦後、日本の統治が終わって大陸から来た中国国民党によって、
台湾には政治的腐敗や社会的無秩序が運ばれました。
「旧日本パージ」とともに自分たちの利益だけを貪り肥え太ろうとする蒋介石始め
国民党幹部の姿が、それまで台湾人が知っていた公明正大で規律を重んじる
日本人のそれとば真逆であり、彼らは大きく失望するとともに、そのやり方に
不満と不安を抱いていました。

そんな中、起こったのが「2・28事件」です。

わたしは、今回の台湾旅行では大まかな計画として

「日本が統治時代に建設し現存する建築物をこの目で見る」

というテーマを決めていました。
同じ統治国であった朝鮮半島や日本にさえあまり残っていない、日本政府手による
戦前の建築物が、台湾ではいまだにあちこちで使用されているのです。

また後日このテーマでお話ししようと思っていますが、そんな「旧日本の名残」
である建物の一つが、ここ高雄にもあることがわかりました。



高雄は、大きな川沿いに比較的海岸に近く開けた都市で、中心部には
このようなウォーターフロントがあります。
川沿いには高級ホテルや住居、テレビ局などがあり、この日はヨットに興じる市民の姿がありました。



これが旧日本統治時代に市役所であった建物で、今は博物館です。
ここにきてわれわれは「引き寄せの法則」ともいえる偶然に驚愕しました。



台湾の悲劇、「2・28事件」が、ここで特集展示されているのに気づいたのです。
この展示は一年前にオープンしたということでした。

わたしは恥ずかしながら今回台湾に来てからくわしく知ったくらいで、
一般的にも日本であまり有名な事件ではありませんが、実はこの228、
日本にもある意味深くかかわっている、戦後の台湾史上もっとも有名な悲劇なのです。

一言でこの事件をを説明すると、それは

「戦後大陸から来た国民党政府が台湾人を殺戮した」

ということになるのですが、「日本とのかかわり」というのはどういう意味かというと、
統治政府によって、日本式の社会を与えられていた台湾人に、
大陸の外省人である国民党が中国式の迫害を加えたという部分です。

統治するには民衆は愚昧で在らねばならぬのに、国民党にとって残念なことに、
日本統治後の台湾の文明は、中国本土が及ばぬくらい先に進んでいました。

民度においても同じでした。
金さんとともに台湾でお話を伺った蔡焜燦さんですが、国民党が来てから、
警察官は無実の人間に難癖をつけて警察に引っぱり、釈放金を要求したり、
ちょっとした財が築けるくらい先生は生徒から賄賂を貰うのを常としていたり、
とにかく社会全体が「腐り果てていた」ことを著書で述べています。

そんな大陸人の政府が恣意的で放埓な統治を行うのですから、ただでさえ
日本語や台湾語を禁止されていた台湾人の不満は日に日に膨れ上がりました。

そんなある日、1947年の2月27日のこと。
密輸取締りの警官が、煙草を売っていた未亡人を銃の台座で頭部を殴り、
それを批難した群衆に発砲してけが人が出ました。
群衆はこれに怒り、警官の引き渡しを求めて専売局の前に押しかけたのですが、
専売局は二階バルコニーに警備兵を立たせ、丸腰の彼らに機銃掃射を加えたのです。

この暴挙によって台湾人の国民党政権に対して燻っていた怒りが爆発しました。

台北市内から台中、そして台南、ここ高雄にも人々の抗議と行動は飛び火し、
「打倒国民党」を叫ぶ人々が声を挙げましたが、これに対し、
国民党政府の取った行動は大量虐殺とそれに続く弾圧だったのです。

この博物館でこの展示をやっていると知り、すぐさま見学を決めたわたしたちは、
この日本統治時代の建物に入って行きました。



この建物がなぜ「歴史博物館」となっているのか、その意味を全く知らずに。

何気なく入って行ったわたしたちですが、気のせいかそこにいた人たちが
わたしたち日本人に対して、何か物言いたげな風を見せるのに、
とくにそういう雰囲気についてはわりと敏感であるわたしは気づきました。
入り口で入館料を査収する館員、そして展示室の入り口にいる係員が一様に、
そういった何とも言えない空気を湛えてこちらを見るのです。

これをわたしは「外国人、ことに日本人に対して理解と同情を求めている」
という風に解釈してみたのですが・・・・。


展示室は三部屋に分かれており、決して広いものではありません。
最初の部屋にはパネルとモニターがあり、この事件の概要と流れについて
説明があり、ここで内容をほぼ理解できるようになっています。




日本が去り、国民党政府が台湾にやってきたとき、人々はこの
同民族政府を歓迎しそしてこれから始まるその治世に期待しました。
すぐにそれは失望と怒りに変わることになります。



高雄地区は国民党政府が本土から軍を派遣する前に国軍の鎮圧を受けた場所で、
それは事件全体の広がりに対し深刻な影響を与えました。



司令部から軍隊が侵攻してきた様子。
市役所と中学に向かったのは、制圧する対象を
「日本の教育を受けたインテリ層」に特定していたということでしょう。
高雄駅は、人の出入りを防ぐために制圧されました。

先日台北で金美齢さんとお会いした話をしましたが、金さんの亡夫で、
台湾大学から東大に留学し、その後東京理大の教授であった周英明氏は、
この高雄の出身で、高雄中学の一年生でした。

周氏はその日、通学途中で三人の中学生が銃殺されてトラックで運ばれてきて、
その遺体が高雄駅前の路上に見せしめとして放置されたのを見たそうです。



高雄駅。
ご覧のように日本が造った駅舎で、一部今もそのまま残っています。



この駅舎は今移築保存が計画されていて、使われていません。
前に停められているのは工事関係者の車。
現在高雄駅は改装工事が進められ、すべてが超近代設備に置き換えられつつありますが、
どうやら駅舎は歴史的遺産として後世に遺してくれるようです。



これは台南駅の地下道ですが、同じような地下道が高雄駅にもありました。
たまたまこのときに駅にいた人々は、地下道に銃で追われて詰め込まれ、
動乱の広がりを抑えるために長時間拘禁されていました。
身動きしたりどこかに行こうとする者は容赦なく銃で撃たれたということです。



高雄で犠牲になった人々の姓名。
死亡、失踪、負傷、拷問、財産を失ったり名誉棄損された人々・・。

この死亡欄の下から二行目、一番右に「顔再策」という名前があります。
この名前を、わたしは、昨日読んだ金美齢さんの著書の中に見つけました。

周英明氏が高雄で目撃した「両足首を縛られ両手を後ろに括られていた死体」。
その括った手首に「顔再策」の名前が書かれた札が付けられていたのでした。
他の二人の銃殺された少年たちと同じく、彼もまた高雄中学の生徒でした。


このような説明展示を胸が塞がれるような思いで見学していたわたしたちは、
ここにきて愕然とあることに気付きました。

今いるこの建物が、惨劇の一つであった当時の市役所庁舎であることに。



説明を一通り見終わって次の部屋に進んだわれわれは息を飲みました。
そこには巨大なジオラマによって、この惨劇が再現されていたのです。



「ここで在ったんだ・・・・・228・・・・」

わたしたちは信じられない思いでただジオラマに見入りました。

















国民軍が侵攻してきたとき、高雄中学の生徒は自衛軍を組織したそうです。
しかしそれにしても、なぜ彼らは虐殺されねばならなかったのでしょうか。

今、大陸の中国共産党が現在進行形で行っているさまざまなこと、
天安門事件、チベット虐殺に始まって法輪功への弾圧、そして
国民に対しても全く人命を顧みない人権無視の上に立ったあれこれ、
また民間においても暴動や日本に来て起こす凶悪犯罪の手口を知る我々は、
このような殺戮を同民族に対して加えることに対し何とも思わないのが
まさに彼の国の人間であると誰もがこのように理解しています。

つまり、これが民族の特性なのです。





しかし、当時ほとんどの台湾人はそれを知りませんでした。
その民度の低さに眉をしかめながらも「まさかこれほどとは」
と信じたくない思いが働いていたのかもしれません。

翻って、国民党がなぜここまで残虐な手段で暴動を鎮圧したのかというと、
彼らがもともと大陸でこのような統治方法を取っていたからでした。
基本武力と弾圧による恐怖政治によって対立する力を捻じ伏せる、という従来のやり方が、

「日本統治により進んだ文明社会を享受していた台湾人へのコンプレックスと恨み」

によってさらにいっそう拍車がかけられた結果がこの虐殺だったと言えます。











対して、台湾人はそれまで受けてきた日本統治により、メンタリティが
すっかり日本式の「性善説」に成り立っていた、ということもできます。

暴動が起きた当初、旧日本軍の軍服を着るなどして武装をし、
放送局を占拠して「君が代」や「軍艦」を流しながら日本語で
「台湾人よ立ち上がれ」
と呼びかける本省人(台湾人)たちの蜂起に対し、
中華民国の長官府は劣勢を感じ、一時対話を呼びかける姿勢を見せました。

しかし、在台湾行政長官兼警備総司令陳儀は、その呼びかけに対し本省人が
対話に応じようと騒乱を一時休止するや、大陸の国民党政府に向かって援軍を要請しました。

陳儀が援軍を求めて蒋介石に打った電報にはこのように記されています。
(その電報の写真もここには展示されています)

「台湾人が独立を求めて組織的に反乱を起こした。
これを武力で鎮圧すべきである」

すっかり油断していた台湾人に向けて、国民軍の容赦ない殺戮が始まります。

つまり、日本の統治を受け、日本式の常識や道徳が身についていた彼らは、
まさか同じ民族である中国人が非武装の民衆を無差別に殺戮することなど、
全く想定に無かったのでしょう。
身についた「性善説」が最悪の想定を遠ざけ、つまり、
援軍を呼ぶための時間を国民党に与えてしまったとも言えます。

全てを観終わって重苦しい気持ちで展示室を後にした我々は、
もはやさっきと同じ気持ちでこの建物にいることができなくなっていました。



 

左は、外から見ることができないので写真で展示されているジオラマの「室内」。
細部まで驚くべき緻密さで造られているジオラマは、1年前から展示されています。
おそらく資料に残る惨事ができるだけ忠実に再現されているのでしょう。

「この階段とか大理石の床って、そのままだよね」
「柱は一緒だね。床はもしかしたら変えたかもしれないけど・・」

 

どちらにしても、これだけの惨劇の起こった建物を壊さず、
そのまま使い続けていることは「負の歴史から目を背けない」という姿勢に通じます。

現在の台湾は、政府は勿論マスコミにもいわゆる「大陸人」が占めていて、
国民党に対して都合の悪いことは報道しないというような
「報道機関が占拠された状態」が続いているそうです。

どこかの国のようですね。




戦後40年にわたる弾圧政治、戒厳令下の「白色テロ」時代には、
日本統治のことを「過酷であった」などと教えさせようという動きもあり、
いまでも反日的な言動をする台湾人のほとんどが、大陸人である外省人だと言われています。

しかし、この事件の在った当時、おそらく台湾語と日本語で生活していた本省人にとって、
北京官話という「外国語」を話す外省人が同胞を殺戮する姿は
どんなにか恐ろしい獣のように見えたことでしょう。

その獣に、自分の身内が虐殺されたり、いまだに連れ去られたっきり行方も分からない、
という台湾人たちが、そんな情報操作に騙されるわけがありません。
外から見えれば同じ台湾に住む台湾人としか認識されないこの国に住む人々の心には、
実ははっきりとした、決して晴らされざる怨恨と深い対立がが横たわったままでいるのです。
たとえ当事者が死に絶えても、その子孫に未来永劫引き継がれるであろうルサンチマンとして。

台湾には今日も228にまつわる展示が開催され、街には慰霊碑が立ち、
決してこうしたことがここでは忘れられていないということがわかるのですが、
しかし一方では、巨大な蒋介石像や、その聖地化された居住跡や、
さらには「台湾の靖国神社」であるところの慰霊廟などもまたそれ以上にあり、
この国の歴史の複雑さを感じます。

台湾人として自分のアイデンティティに深く悩むことを、たとえば金美齢さんは
この国に生まれたものの「宿命」だと考えているようです。

彼女のような人間に言わせると、日本人として生まれてきた瞬間、
我々はそのアイデンティティに悩まなくて済む権利を与えられているのです。
それがいかに幸せなことであるかを、わたしはこの台湾で複雑な思いとともに確認しました。

わたしたちをあの何とも言えない、理解を訴えるような眼で迎えた受付の女性、
切符を渡して「写真を撮ってもいいか」というと、何度もうなずいたボランティアらしい老婦人、
彼女らは、もしかしたらずっとこの地に住んで、変わりゆく台湾を見てきて、
あるいは自分につながる誰かや仲の良かった誰かを不幸にして動乱で失ったか、
あるいはそのような話を語る親族や知人を持つのかもしれません。

台湾という国が現在も置かれている「主権不在の状態」を知るとともに、
この記念館の見学はわたしの心にひどく重たいものを残したのです。





金さんの夫である周英明氏は、弾圧時代の台湾で受験勉強中、
古本屋で日本の学生にもおなじみである数学の「赤本」を手にしました。

ぱらぱらとめくっていって、裏表紙に書かれた以前の持ち主の名前に、
周氏ははっとして目を見張りました。

「高雄中学 顔再策」

あの日殺害されて高雄駅前に遺体を転がされていた青年の名前。
その遺体にくくりつけられた紙に書かれていた、その名前です。

周氏はこの本を買い求めました。
学業半ばで命を絶たれた青年の遺志を継ぎ、彼の無念を引き受けるかのように、
兵役に就いているときも、大学で助手になってからも、いつもその本を傍らに置き、
ひたすら勉強をつづけたということです。




*おまけ


台湾で製作され昨日公開された「KANO」予告編。
統治時代甲子園で準優勝した台湾の高校野球チームの実話ベースのお話。
映画には八田輿一(大沢たかお)も登場します。
高砂族の生徒もいたということですが、NHKの皆さんにはぜひ観ていただきたいですね。

 
 

 《KANO》六分鐘故事預告
 


長野県松本~雪と温泉と靖国参拝(その2)

2014-01-08 | 日本のこと


そう。


この日は12月27日。
安倍首相が靖国参拝した次の日だったんですね。

信濃毎日という新聞は、一部「支那の毎日」と言われている、まあなんというか
御本家の毎日新聞と意趣同じくする思想の新聞であるわけですが、
たまたまここ長野にいて、ここのメイン新聞らしい信濃毎日を見、
わたしは思わずTOと新聞を指差して笑ってしまいました。

「現職小泉氏より七年ぶり」の次にくるのが

「中韓に『直接説明したい』」ですよ。
これは、

「中国様、韓国様、安倍が靖国参拝しやがりましたぜ!
ささ、早く非難を!とっちめてやってくださいまし!」

というメッセージを持って作られた一面だといえましょう。 



はい、同じく信濃毎日三面。


「なぜ今」

じゃねーっつの。
なぜも何も、じゃいつならいいのよ。

政権を取って一年の間春秋の例大祭、終戦記念日と、安倍首相は配慮して

参拝を見送って来たけど、この一年中国の尖閣に対する動きは露骨さを増し、
韓国の大統領は世界中に日本の悪口を言って回る「告げ口外交」を行い、
その他「徴用した企業」とか「仏像」とか、「慰安婦の像」とか、
もう日本人が我慢の緒をぷつんと切るくらい好き勝手してきたではないですか。

「なぜ今」

じゃないんだよ支那の毎日。
ここで安倍首相が参拝してくれなかったら日本人はどうなっていたかっていうくらい、
言わばぎりぎりのタイミングで、遅過ぎるといってもいいくらいなんですよ。




「中国、強烈な憤慨表明」

「韓国、強硬な対応は必死」
「米国も刺激の懸念」
「中韓との亀裂深まる」

大変だ。中国様と韓国様がお怒りになるぞ!

しかもお怒りになる前から煽ってますねえ。
中国と韓国中国と韓国。(ときどき米国)

もういい加減にしてちょうだい。

あんたらマスゴミがこうして煽るから中韓がその尻馬に乗って来たんでしょうが。
中国と韓国との亀裂深まる?
何を今更。
じゃこれまでの亀裂とやらは靖国参拝してもいないのにどうしてできたの?

「総理が靖国参拝しないことは配慮とは思わない、関係ない」

ってあなた方の大好きなパク大統領がおっしゃったばかりではないの。
してもしなくても同じなんだったら、日本の政治家が多数日本国民の意向を反映して
靖国参拝をすることになんの不思議があるのか。



A級戦犯あがめて「不戦の誓い」では理解得られぬ
安倍総理の靖国参拝

「対話のドアは常にオープン」はまやかしか。
自ら閉ざした隣人との関係

この短い文章で色々と物語っておりますなあ。色々と。

ツッコミどころが多すぎるのですが、一つわかったことは、
この「豆らんぷ」を書いた記者はどうも日本人ではないらしい。
少なくとも「日本の立場」から記事を書いているのではありませんね。

まずこの記者は「A級戦犯」というものが何を意味しているのか、ご存じないらしい。
そして靖国参拝が「A級戦犯を崇める行為」だと言い切るのは、まさに中韓の視点。

いまだに靖国に東条の墓や位牌。ヘタすると遺骨があると思い込んでいる
中国人や韓国人とまるで同じようなことを言っているということですよ。

次の一文にも言わせてもらえば安倍首相が

「対話のドアは常に開いている」

といっているのに、
「その必要はない」と対談を申し込んでこなかったのは他ならぬ中韓ではないのか。
ドアを開けていたけど全く入って来る様子もない。
そんな折たまたま懸案だった靖国参拝を年内にしてしまおう、ということだったわけでしょ?

どうして開いているドアから一向に入ってこようとしない者に配慮して、
いつまでもドアを開けてしかも腰を屈めて待つようにと日本だけが強いられるのか。
どうして日本だけが、今年色々あった両国からの仕打ちに一言も非難めいたことすら言えず
戦争で亡くなった方の慰霊すら両国から禁じられなくてはならないのか。

さらに不思議なのは日本人(だとしたらですが)でありながらそれを中韓と一緒になって
日本人に強いるマスコミです。
もしかしたら日本のマスコミのほとんどは日本人ではないのではないだろうか、
わたしはこの「豆らんぷ」という囲み記事にまでもれなく反日ぶりを展開する
この「信濃毎日」を読まされる長野県人に心から同情しました。

まあ、大抵の人々はインターネットでその欺瞞と偏向ぶりを検証し、
わたしとTOがそうしたように紙面を指差して笑っているのだと信じたいですが。



この館内は主にヴォーカル中心のジャズが流されていましたが、
その柔らかい音が流れて来たのがこれ。
なんと真空管アンプによるオーディオセット。
一階のロビーにもこれが使われていました。

いたる隅々にまで配慮が行き届いています。



温泉宿は基本的に連泊が少ないので、昼食は出さないところが多いのですが、
ここは希望者には予約すればおそばを出してくれます。

わたしは空腹を感じなかったので頼みませんでしたが、TOについていったら
「おざんざ」
という名前の納豆を錬り込んだそばを出していて、
美味しそうだったので追加して食べてみました。

そば粉とつなぎのソバよりもツルツルで、弾力のある食感。
もしかしたら、ソバよりもこちらが好き、という人もいるのでは、
と思うくらい美味しかったです。

そして、二日目のディナーとなりました。
会場は朝ご飯を頂いたレストラン。

ここにもジャズが流れていましたが、どうしたことか、
ガーシュウィンの「ポーギーとベス」という黒人ばかりのオペラの、
「I loves you, Porgy」(なぜか一人称にSがつく)というアリア?の
ピアノ演奏がエンドレスでずっと鳴っていました。

ごくわずかな音量なので、おそらくわたし以外のだれもそんなことに
気がついてさえいなかったと思いますが・・。

いずれにしても、同じ一曲の繰り返しは、音楽関係者としてかなり精神に来ました。 



「こういうものが出て来て美味しいと思ったことがない」


という代表のようなロブスター料理。
さすがにこれも「美味しい!」と唸りはしませんでしたが、
ハーブで味わいを深めたソースは、「まあまあ美味しい」くらいまで
評価できるものとなっていました。

どちらにしても、美味しくないよね。こういうのって。 

 

出て来たとき一瞬パニーニかと思ってしまいましたが、

アワビの(トコブシだったかな)からの上に塩で蓋を作り、
蒸し焼きをしたもの。

この塩の蓋は、工業用塩なので食べられません。



普通の温泉旅館なら着物の仲居さんがガスライターで時間が経ったら消える固形燃料に
シュボっと小鍋の火をつけるところですが、ここではそんな野暮なことはいたしません。

ちゃんと練炭の熱したのを持って来て、こうやって鍋物の前にくべてくれます。

 

この日のメインは土鍋で焼く肉と野菜。
決して牛肉が好きではない我が家ですが、これは全員が
その美味しさに舌鼓を打ちました。

TOも息子も獅子唐がダメ(アレルギーらしい)なので、わたしのところには
三人分の獅子唐が集まりましたが、これを焼くのが大変。
ご覧の通りドーム型の焼き皿に乗っけると、灰の中に転がり落ちそうです。

「落としたらお取り替えします」

とお店の人はわざわざ最初に断ったくらいですから、落とす人は結構多いのでしょう。



こういうところに二泊すると大変なのは食べ過ぎてしまうこと。
この、最後に作ってくれた雑炊も、わたしたちの誰一人手が出ませんでした。

ああもったいなや。



開けて次の日。
前日部屋を変わったので、内風呂はこんな感じ。
ちなみにこの開いているのは窓ではなく下半分にガラスがはまっています。



お酒でも飲めたらここで朝酒朝湯を決め込むのでしょうが・・。
朝起きて真っ先に切り裂くような冷気に満たされた浴室に飛び込み、
こんな雪景色を見ながら首まで熱い湯に身を浸しました。



はあ極楽極楽。(ばば臭っ)



しかしわたしの息子も14にして「温泉楽しみだなあ」という

立派な爺むさい子供に育って、温泉好きのDNAはしっかり受け継がれております。
息子は温泉が好きすぎて、露天風呂で長湯して逆上せ、倒れかけたそうです。 


 

インテリアか実用かはわかりませんが、干し柿が。



これは角茄子という植物なのですが、見ての通りキツネみたいなので
「フォックスフェイス」とも呼ばれています。
いちいち顔が書いてあるのは、新しい干支の馬のつもりかも。



じつは、この下に見えているのは「露天風呂」。

7時半から9時半までは女性専用となっているので、
わたしも一度行ってみました。
ちょうど雪に変わる前の雨が降っていて、ふとみやると菅笠が置いてあったので
それを被って浴槽に浸かり、それもまた風情がありました。



さて、ここに着いたとき、いわゆるドアマンにあたるお迎えの人が
黒いフェルトの帽子に同じく黒の「トンビ」といわれるマントを着ていたので

「中原中也がいる!」

と家族で盛り上がったのですが、これもなんというかここの「演出」のようです。
チェックアウトの日、中原さんはおられませんでしたが、もう一人、
グレーのトンビの方がいたので、写真を撮らせてもらいました。

見送りの女性が

「一緒にお撮りしましょうか」

というのを「いえ、わたしはいいんです」ときっぱり断り

「すみません、このバス停の横に立って下さい・・・。
あ、視線は左に。もう少し上を見て」

モデル撮影会じゃないんだからさ。
でも、なんかそういう写真に撮りたくなる風情だったんですよ。



ね?


松本市内まで戻ってくると、あら不思議、雪は跡形もありません。
どうやら全く降らなかったようです。

電車に乗る前に見つけた野良ネコ。
もしもし、舌しまい忘れてますよ~。

というわけで、ご当地マスコミの実態をとんだ形で知った長野の旅でした。
ちなみにインターネット界における「信濃毎日」のランクは、

今一番神に近い新聞 : 東海新報 
神のお膝元にある新聞 : 伊勢新聞

を頂点とするヒエラルキーの第4段目。

諸悪の根源:朝日新聞 共同通信
誤惨家 : 沖縄タイムス

とランクを同じくする「早く消えて欲しいあの世」カテゴリでした。

さもありなん。
 

 

 


靖国神社に初詣~新藤総務大臣の靖国参拝

2014-01-03 | 日本のこと


靖国神社に着いて、今年の参拝客の人出に驚いたわたしたちです。

「毎年、明治神宮や伊勢神宮の参拝客の人数を新聞が発表するけど、
 靖国神社の人出を報告した方が、ある意味日本の『世相』ってものがわかるけどな」
「今年は安倍首相の参拝もあって例年の三倍の人出でした、って?
産經新聞以外そんなこと書くわけないじゃない。
朝日新聞の今朝の第一面なんか『韓国済州島の英語教育の試み』だよ」
「元旦の第一面が?・・・どこの国の新聞だ」
「日本じゃないことは確か」




靖国の話を語りだすと、話はどうしても「マスコミ批判」になります。
靖国を問題にしたのは他でもない朝日新聞であり、中国にしても韓国にしても、
自国の利益のために渡りに船とそれに乗っかっただけに過ぎません。

今回の首相参拝も、中国はなにやら考えることがあるのか、年末年始で
それこそ前のようなデモに発展させるわけにいかないせいか、
非難はあっても政府の見解としては想像より「おとなしめ」であると感じます


韓国も思ったよりは大統領本人からの激しい非難がありませんし、
むしろ、この問題に火をつけ例によって大騒ぎにしたいと一番望んでいるのは、
日本のマスコミではないかとわたしには思えてなりません。

それにしても、この国のマスコミは日本をどうしたいんだろう・・・。




境内には獅子舞が来ていました。
帰りに見たとき、小さな子がお獅子に噛まれてギャン泣きしていました。
お獅子に噛まれると一年無病息災、というので噛んでもらったのですが、
彼には少しハードモードだったようです。
お獅子で泣く子供って、実は多いんですよね。

わたしも小さいときには怖かったのでよくわかります。




境内の舞台では、代わる代わる伝統芸能的な出し物が。
つのだ☆ひろさんもよくここで奉納ステージを務めるとか。
一度聴いてみたいなあ。(実は結構好き)




入り口で受付をすると、封筒の上に名前と住所を書き、
さらに神主が名前を読み上げるので、必ずふりがなを振るようにいわれます。

封筒の中には祝詞代?を入れますが「お一人2000円以上であとは篤志」。

下限はあっても上限は無い、このあたりが神社らしいところ。



申し込みをしたら、何人かまとまって参拝するので、アナウンスがあるまでここで待機します。
ジュースの自動販売機もありますし、お茶のディズペンサーもあり、
さらに席には社務所の方が熱いお茶とお菓子をもって来てくれます。




こうやって待っているとアナウンスがかかり、皆で本殿の手前にある拝殿まで移動。
昇殿参拝したことのあるかたはご存知かと思いますが、

拝殿に行く前に手水場があり、ここで手と口を清めます。

言ってはなんですがこんなことに全く興味を持っていなさそうな、

茶髪ロングヘアの若い男の子が同じ集団におり、手洗いのお作法を知らないのか
柄杓に直接口をつけて水を含んでいました。

まあでも、昇殿参拝にまでわざわざやってきたわけで、それだけで全て許す。
何度か来るうちに周りを見てマナーも学んでいけばいいんじゃないでしょうか。

拝殿にぎっしりと並び、清めのお祓いを受けた後、神職が
しばらくお待ち下さい、と告知をしました。

しかし、大鏡のある本殿には人影がなく、わたしはそのときに


「今から誰かが参拝に来るのでは」

とぴんときました。
目を凝らして見ていると、いかにも位の高そうな神職が先頭に立ち、
モーニングの男性と和装の女性、子供二人を率いて右手から入ってきました。

(本来は拝殿から出て本殿には左から入り右から退場するので、
本来とは違う特別参拝であることがわかった)

神職の後ろの背の高い男性を見たとたん、それが新藤義孝総務大臣であることがわかり、

となりのTOに

「新藤総務大臣」

と囁いたのですが、国会中継を見ず、テレビも見ない人が知っているわけがありません。
案の定後で、

「新藤総務大臣って名前知ってた?」

と聞くと、

「知らなかった」 
「新藤大臣って、栗林中将の孫なのよ」
「栗林中将ってだれ」
「硫黄島で玉砕した軍の司令官」
「・・・渡辺謙の?」
「そう、ケンワタナベがやった人」


たまたま彼が「硫黄島からの手紙」を観ていたので
ここまで話が行って初めて理解してもらえました。やれやれ。

新藤大臣の後ろには白地の遠目にも美しい着物を纏った夫人、
そしてまだどちらも幼児といっていいほどの一男一女の子供たち。

家族は立ったまま神職の挙げる祝詞を受け、
二拝二拍手一拝をして本殿を去りました。

あっというまに、という言葉そのままで、おそらく新藤家の人々が
本殿にいた時間というのは数分以内といったところだったでしょう。

しかし、靖国神社から帰るタクシーの中でスマートフォンを見たわたしは
ニュースの見出しに

「新藤総務相が靖国神社参拝」

と出ているのを見て驚きました。
わかってはいましたが、ニュースにするほどの参拝はたった3分の出来事なのです。

しかも新藤大臣は例大祭など、就任以来一年の間に6回靖国に参拝しているそうで、
まさにわたしの言う「何かにつけて参拝」をそのまま実行されています。

祖父が陸軍軍人で、靖国神社の英霊となっている方であれば、
公人だろうと私人だろうと、
そこにお参りするのが当然のことですよね。

三分間の参拝を直後に大ニュースにするマスコミっていったい何?
とやはり安倍総理のときのような単純な疑問を感じずにはいられませんでした。

しかもです。


帰ってからそのニュースを読んでみると、

 参拝を終えたあと、新藤総務大臣は記者団に対し、
自分の心の問題として、私的な参拝をさせていただいた。
戦争で命を落としたたくさんの方々に対し、尊崇の念を込めてお参りした。
また、二度と戦争が繰り返されないように、平和への思いを新たにした」

と述べました。また、新藤大臣は安倍総理大臣の靖国神社参拝について、
「諸外国に、きちんと説明していく必要はあると思うが、
どの国でも、自分たちの国のために命をささげた方々に対し、
同じような行為がなされていると思うので、とりわけ問題とは思っていない」

と述べました。(NHKニュース)


なぜわざわざ「私的な参拝である」ということをあえて強調せねばならないのか。
たとえ新藤大臣がそのように言ったのだとしても、

「諸外国にきちんと説明していく必要」

などと、あたかも参拝が疾しいことのような書き方をなぜしなくてはいけないのか。

そしてまるで参拝が「犯罪」であるかのような報じ方。
そもそも「きちんと説明していかねばならない土壌」を作ったのは、
どこの誰だったか?ということをこの記事を書いた記者に聞いてみたい。

「心の問題」「私的な」

こういう新藤大臣の言葉を「諸外国への言い訳」のように思わせる手口は
あいかわらず自分の都合のいいように物事を解釈し報道するマスコミですね。

たとえばもし、


新藤総務相の祖父は第二次世界大戦における硫黄島の戦いで
陸海軍守備隊の総指揮をおこなった栗林忠道中将(戦死後昇進して大将)。
栗林中将もまた、ここ靖国神社に英霊として祀られている。

という事実をこの参拝報道の最後にに付け加えたとします。

これで、ずいぶん受け手の新藤大臣の参拝に印象というのは
違ったものになってくるでしょう。

関係のない諸外国の人々は勿論のこと、

たとえ靖国神社に反対するという考えの人間であっても、

「お祖父さんが祀られている場所に私的な思いで参拝すると言っているのだから、
たとえ大臣であっても誰にも文句を言われる筋合いはないよなあ」

とは思いませんかね?
朝日新聞、毎日新聞、そしてNHKほかマスゴミの皆様、
なぜこのことをあなた方は断じて報じようとしないのでしょうか? 

しかも、ついこの何日か前、新藤大臣は、記者会見において
「参拝が諸外国の批判を浴びているが」といつもの調子で切り出した朝日新聞の記者に

「諸外国ってどこですか」
「中国とか韓国とか」
「中国と韓国以外にはどこが非難しているんですか」
「・・・・・二カ国だけですけど」(くっ・・・悔しいニダ

と鮮やかに釘を刺したばかリ。
(実はもう一国非難している国があるはずだけど、
この人はなぜその国の名前を言わなかったのかしら)



新藤大臣のいう、

「諸外国への説明」

が、マスコミの報道するような「言い訳」という意味ではないことは、
大臣の普段の政治信条やこのような言動を見れば
誰にだってわかっていると思うのですが、あえてそれを「言い訳」と感じるような手法で報ずる。

やっぱりマスコミってゴミだなあ、と新年早々実感するニュースでした。 



新藤大臣の家族が参拝を住ませた後、我々は本殿に移動しました。
つまり、わたしは新藤大臣の次に参拝した、ということになります。


本殿では一人一人の名前を祝詞に読んでいただきます。
我が家はこと靖国に関してはわたしが権限を持っているので、
わたしの名前を代表として読んでいただきました。

退出の渡り廊下で巫女さんの盃でお神酒を受け、
もう一度三週間でお供物のお裾分けを頂き昇殿参拝終了。



大事な用事が済んだので、福引きをしました。

 

「一等景品ってなんだろう」
「ハワイ旅行とか」
「パールハーバーで英霊を追悼するツァーにご招待!」

人に聞かれたら顰蹙間違いなしの与太話をしながら並びました。
景品は小さな家電が多いように見えました。
フィリップスの電気フライヤー(油無しで揚げ物が出来る)、
ちょっと欲しかったのですが、年末にとんでもなくくじ運を使ってしまったため、
不思議なことに当たる気がまるでしません。


予想通り三人で4回くじを引き、全員が6等(はずれ)でした。



4等があたっていたらこのDVDつきの「零戦21と堀越次郎」
をもらっていたと思います。



広場には出店が並んでいました。



遊就館の前で記念写真。



軍犬の像が今日ははちまきをしてもらっています。
「必勝」とか「報国」とかだったらどうしよう(ってどうしようもないですが)
とおもったのですが、「合格」でした。



鳩もなにか巻いてもらっていますが、ここからはわかりませんでした。



甘酒が振る舞われており、いただきました。
「振る舞い」といいつつ前には篤志をつのるトレイが置かれており、
そうなるとただ小さな紙コップ一杯の甘酒に100円玉を出すのが日本人。
お金を置かずに甘酒だけもらう人は見たところ一人もいませんでした。



そのまま待たせたタクシーに乗るために出口に向かったのですが、
門のところでいつも写真を撮っている写真館のおばちゃんが目に留まりました。

「今日は撮ってもらおうか」

ついそんな気になり、聞いてみるとポラロイドなら一分でできるとのこと。



菊の御紋をバックに家族で一枚撮ってもらいました。
写真をもらうとき、おばちゃんにTOは

「別嬪さん捕まえてよかったねえ」

とお愛想を言ってもらったそうです。
明らかに着物マジックというやつで、馬子にも衣装だと思いますが。



この時間になってもこれから拝殿に参拝しようとする人はこの通り。



さっきより列が明らかに長くなっています。
安倍参拝効果恐るべし。



間の道路には機動隊の皆さんや警察車両が待機。
本当に警視庁の皆さんにはお正月はありません。

ここに警察車両が止まっていたせいで、
いつもここに止めている菊の紋を付けた右翼の街宣車が今日はいませんでした。

ふと思い出したんですが、安倍首相が参拝した日、
靖国にトルエンで放火しようとした韓国人の裁判があったんですね。
あのトルエンを来日したばかりの外国人に渡したのは、
いったい誰だったのか、裁判では明らかになったのかしら。

それと、あの騒ぎになったとき、いつも意味なくたむろしている右翼の皆さんは
靖国を守るために韓国人を袋だたきにしようとかしなかったのかしら。

右翼って、靖国神社を反日勢力から守るためにあそこにいるんだと思ってたわー(棒読み)



さて、というところで参拝は終わりました。
明治神宮と掛け持ちしよう、などと当初考えていたのですが、
次の日に参拝した明治神宮では、正面にたどり着くのに二時間を要しました(笑)



法務省の前を通ったので一枚。
この日はホテルを移動です。



この日の遅いお昼ご飯。
なんと「すしの天ぷら」です。
マグロを巻いた巻き寿司をそのまま天ぷらに。

スシ・テンプラというと、ガイジンが真っ先にかんがえるところの
日本の代表的料理ですが、その二つを合体させてしまうとは・・・。

あ、お味は大変結構でした。
日本人にとっては寿司でも天ぷらでもないものになっていましたが。



部屋に用意してあったウェルカム・フルーツ&まんじゅう。



なぜ眉毛がある・・・。


ところで、次の日も明治神宮のために着付けをしたのですが、
その着付師さんは、帯をこのようにされました。



左上はバラの花びら、下部分は「千鳥」を表すそうです。
「龍村」の帯の名前を出すのは、昨日の方によると

「大阪の方は名前を見せたがるが、江戸っ子はそういうのを嫌う」

そこで、ネームを折込んで縫ってしまうのだそうですが、
昨日は何しろ帯を箱から出して印すら外さずもって来たものですし、
ましてや着物の知識のないわたしにそんなこと知るすべもありません。 

この着付師さんは、

「勿論名前を出すのは野暮です。
でも、 締め方によっては銘を出さずにできるんですよ」

やっぱりね。
昨日の「名前見せ」は、仕方ないとはいえわたしも野暮だと思っていたの。

何が粋で何が野暮か、はその道に明るくなければわかりにくいこともあるけど、
共通する「美意識」というのはやっぱりありますよね。

傍目にも野暮な帯の締め方で昇殿参拝をしたのは少し心残りでしたが、
まあこれも一つの勉強。
来年は(日本にいるならだけど)今年より着物をもう少しましに着こなして、
靖国神社にお参りしたいと決意をあらたにしました。 





 


靖国神社に初詣~安倍参拝効果

2014-01-02 | 日本のこと

あらためて、明けましておめでとうございます。

昨日の「あけおめ」は、年末に作成したエントリなので、
実際に今年初めてのエントリ作成になります。

例年海外に旅行に行ってしまう我が家ですが、三年に一度くらいは
日本で迎えており、その際には都内にホテルを取ってそこから初詣に参ります。

 

今年大晦日に年越しのために泊まったホテルは、カウントダウンパーティがありました。
わたしは部屋でエントリを作成するのに忙しかったのですが、
息子が興味があるというので降りてみました。



思わず「晩ご飯食べなきゃよかった」と思うほどの豪華なお料理が
迷うくらい並んでいます。
息子はどうも小腹が空いていたらしく早速サンドウィッチをパクリと。

しかし、時間はと言うと12時10分前。
いつもなら飲んだり食べたりは厳として慎む時間です。

「うーん・・・・美味しそうだけどな」

と迷っているとTOが

「明日の朝のお節とお雑煮を美味しく食べたいならやめといたら?」

そうそう、朝はここの和食のお正月膳を予約していたんだったわ。
いつもはそういった理性を働かせることなく、目の前にあるものを
なんでも頂いてしまうTOも、こういうことになると怖いくらい自制心が働きます。

勿論わたしも言われていつもの自分を取り戻し、素直にウーロン茶だけを啜っていました。



カウントダウンには音楽も入っていました。
なんとお洒落な。
アコーディオンとヴァイオリンのデュオで、アストル・ピアソラの
「リベルタンゴ」「オブリビオン」、和製タンゴの「奥様お手をどうぞ」
などのレパートリーをもつ女性二人(しかも見た目もオシャレ)が、
年を越すにはぴったりに思われるライブ演奏をしていました。



カウントダウンが始まる前に、シャンパンが配られます。



20秒前からカウントダウンは始まり・・・・



2014年、日本の年明けぜよ。

というわけでその瞬間、わたしはカメラのシャッターを押していましたが、
皆様はどのようにお過ごしでしたでしょうか。



起きて目覚めると、初日の出が・・・・・。

といいたいところですが、ここは東京のビル街。
太陽も素直に出てきません。
初日の出のように見えるのは、じつはビルのガラスにうつった「にせ日の出」。



昨夜、カウントダウンの後部屋でいろいろと仕事をしていたので、
睡眠時間は短くなりましたが、目覚めは爽やか。
美味しいお正月のお膳をいただく予定の前には、眠気も吹っ飛びます。



すっかりお正月のしつらえをした和食レストランに赴くと、
皆さん「あけましておめでとうございます」とご挨拶をしてこられます。

うちや海外で迎えるお正月もそれなりですが、こういう朝を迎えると、
やはりお正月は日本で迎えるのが一番いいかな、と思います。



食事の前にはお屠蘇が出てきました。
甘くてかすかな薬草のような香りがして、食欲が進みそう。
ただ、わたしはこの後着物を着ると言う大事業が控えているので、
顔を赤くするわけにはいきません。

残念ですが、一口まねごとだけ頂きました。



お待ちかねのお雑煮。
すまし汁の京風で、何と鴨肉が底から出てきました。



そしておせち。

しんじょや紅白蒲鉾、黒豆に数の子、ごまめ。
どれも関西風のあっさりした味付けです。



窓の下には東京駅舎。
この美しい駅舎を見るたび、往時のままに建築を保存してくれた関係者に
心から感謝したい気持ちに鳴ります。

食事のあと、少しだけ時間があったのでラウンジでお茶を一敗いただいて
部屋に戻ろうとすると、ロビーでなにやらにぎやかな音が。



獅子舞が来ていました。
写真を撮るためだけにロビーに降りて見ていたのですが、
このおかめひょっとこの無言劇が、なかなか面白く、
思わず見入ってしまいました。
宿泊している外国人観光客は実に興味深そうに写真を撮っていましたが、
お正月に日本に観光に来る外人は日本人ですら今やみることのできない
こういった伝統芸能を見ることが出来て、ラッキーですよね。



エレベーター前で獅子舞チームとばったり。
カメラを構えたとたん皆でポーズしてくれました。

さて、このあとは初詣に備えて着物の着付けと髪を結ってもらいました。
着物を着る、というのは、特に普段着慣れない人間に取っておおごとで、
用意から始まってすべてを人に頼まないといけないため、
わりとやる気というか気力が要ります。

しかし、わたしには今年着物を着なければいけない理由(わけ)があったのです。



そのわけはこの帯。
鳳凰と獅子の紋様が金糸銀糸で織り込まれたものです。



金は糸を着色したものですが、銀は箔。

し・か・も!



獅鳳瑞彫文 たつむら

と書いてあります。
「龍村の帯」
これは、着物に詳しい方ならご存知かもしれません。
三越ならばとんでもないお値段で売っている「ブランド品」。

この帯、実はTOが某クラブの忘年会のくじ引きで当てたものなのです。

年末のある日、立派な桐の箱を抱えて帰って来たTOが、

「くじ引きで一等賞品の帯当たった!」

去年、奇しくも当ブログで最近わたしはくじ運がいいみたいなので、
年末ジャンボ宝くじでも買ってみようか、と書いたことがありますが、
昨年のくじ運のよさは留まるところを知らず。
ついにTOの運までが本人のTOではなくわたしに向いてしまったと見えます。

某クラブの忘年会賞品はよほどどれも豪華なものだったらしく、一等とはいえ、
このようなものがいただけるなんて。

まことに暮れから?縁起がいいわい。

せっかくこんな素晴らしい帯が手に入ったのだから、
この帯を締めるためだけにもお正月は着物を着ましょう。

というわけで、久しぶりに着物を着て初詣にいくことになった我が家でした。



三年前にもご披露しましたが、わたしの(唯一の)着物は貝紫。

かいむらさき、とは文字通り貝から抽出した紫色のことで、英語名はロイヤルパープル
(王の紫)、またはティリアンパープル(Tyrian purple)とも言います。

この名前は、この色がもともと
プルプラ貝という巻貝の鰓下腺(パープル腺)
から得られた分泌液を化学反応させて染色に用いたことに由来します。

貝紫染料は10㎝ほどのプルプラ貝12,000個からわずか1.5gしか採れません。
ですから、貝紫を部分ではなく、総身に使ったこの着物は大変希少なものなのですが、
これも何となく初めて着物を買うことになったときわたしの元にやってきました。

この話にも帯の話にも言えることですが、わたしは分不相応なものやことが、
人のご縁のおかげで手に入るということがわりとよくあります。


こういうのを「棚ぼた体質」とでもいうのでしょうか。 




朝、部屋に着付けと髪結いの方に来てもらい、支度が整いました。
かんざしは組紐でできています。
昨日お話しした長野の温泉旅館のショップで購入したばかリ。



ホテルのフロントロビー。



車に乗る前に、ホテルのお嬢さんたちと皆で記念写真。
成人式の振り袖を自前で持ち込み、朝着付けをしてもらうのだそうです。
ただし、誰でもきることができるのではなく、フロントとかゲストリレーションとか、
『目立つ係の従業員だけ」なのだとか。

勿論真ん中がわたしですが、やはり若いお嬢さん方の振り袖とは
なんと言うか落ち着き方が違うっていうか。


わたしにもかつてこんな煌びやかな大振り袖を着た日がありましたが。(遠い目) 




タクシーで靖国神社に向かいます。
これは、丸ノ内にある「三菱系」のビル。
ここは皇居から東京駅にかけて「国粋企業」の一つである三菱系が
がっつりと皇居を守るかのように取り囲んでいます。

何でも皇居の周りに「外国企業」を置かせないためだとか。

そして靖国神社に到着。



ハイヤーをチャーターしたので、駐車場で待ってもらおうとしたのですが、
それどころではありません。
駐車場を待つ車は靖国通りに延々と列を作り、
とてもではないけどわたしたちが参詣している間に入れそうにありません。
仕方ないので運転手さんには電話番号をもらい、適当なところで
待機してもらうことにしました。

うーん・・・・それにしても今年は以前と何やら様子が違う・・・。



なんと。
参拝の順番を待つ団体の長い列ができています。

手を洗う手水場より遥か後ろ、二の鳥居のあたり。
ここから約20人くらいが横一列の大変な列です。

それは8月15日の靖国と全く同じような混雑ぶりで、
三年前のお正月に訪れたときとは全く違った眺めがそこにはありました。

「何これすごい」
「前、こんなに混んでなかったよね」
「これってもしかしたら・・・・安倍さんが参拝したから?」
「ああ・・・そうなのかも」

一週間前に安倍総理が靖国参拝をし、それを新聞やテレビが大騒ぎしたこと。
それを「平和への逆行」だの「近隣諸国(じつは二カ国)への配慮がない」だの、
実にくだらぬ非難をすればするほど、多くの日本人が

「靖国神社とはなんなのか。
日本のメディアがなぜこんな大騒ぎをするのか」


と考えるきっかけとなり、そういった人たちがテレビや新聞でなく、
インターネットによってメディアの「魂胆」を知ることになったのかもしれません。
そして、その結果多くの人こうやって靖国神社を訪れ「日本人の意思」を
一人一人が表明しようとしているのではないか。



もし中国や韓国が言うように実際「日本が右傾化している」のだとすれば、
それは日本をそうやっていわれの無い非難で貶める中韓と、
またその中韓におもねる主要メディアによって気づかされたせいで、
外圧に対する反感が「憂国」へと変わったからではないのか。

そんな皮肉な因果関係を思い、わたしは内心苦笑いする思いでした。




三人で代わる代わる手を洗ってその後も並び続け、
ようやく山門のところまで来ました。

そこでわたしがふと、靖国神社から送られて来ていた
「福引き券」に「昇殿参拝」ができるということが書いてあるのを思い出したのです。

「もしかしたら列にこのまま並ぶより、いっそ昇殿参拝した方がいいんじゃない?」


何のために毎年更新して崇敬奉賛会に入っていると思っていたのか。
こんなときに昇殿参拝できるという「会員特典」をわたしはすっかり忘れていました。

というわけで、列を離れ、昇殿参拝を申し込むために、
わたしたちは参集館に移動しました。

そして、そこでわたしは非常に印象深いある光景を目撃したのです。




続きます。


 


開設1000日記念ギャラリー~安倍首相靖国参拝と従軍慰安婦問題

2013-12-31 | 日本のこと

          

早いもので、今年もまた大晦日となりました。
毎年三ヶ月くらいの体感速度で一年が過ぎていくような気がするのですが、
このブログも本日で1352日目。
今年の一月に始めた「開設1000日記念ギャラリー」も、最終回となりました。

本日は、ブログ開設初期頃に「中指」で描いた画像ばかりを集めました。
初めてこの「中指画像」という言葉を聞く方のために説明しておきますと、
まだ絵画ソフトを導入していなかった頃、当時の絵は、gooブログに付属している機能
「おえかきツール」
というのを使って描いていました。
画面に絵画パッドが出るので、ノートパソコンのホイールパッドを指でなぞり、
あの直径役4センチ程の円の中だけで絵を描くわけです。
わたしの場合中指が一番安定した線が描けたので、使うのはこの指のみ。
一作描きあげたあとには腱鞘炎になりそうなくらい指が攣ったものです。

で、今更のようにそうやって描いたこの絵を見ると、自分でも驚いてしまいますね。
とくにこの絵は、

「沈み行く戦時徴用船」

 というエントリのために描いた、

「本船と運命を共にした『ぶら志る丸』の大野船長」。

 
大久保一郎画伯が描いた幻の戦争画を、靖国神社の図書館でコピーして持って帰り、
縮尺線を引く等の苦労をしておえかきツールで描きあげたものです。

全く、久しぶりに自分のこういう「才能の無駄遣い」
(おえかきツールで絵を極める究極の無駄な努力という意味です)
を目の当たりにすると、昨日の「講評者」さまではありませんが、

「何の役にも立たないこんなことにこれだけを注げる情熱というのは
一体どこから湧いてくるのだろうか」

と自分のことながら不思議で仕方ありません。

ただ、一つ確かなことは、この絵を図書館で見つけたとき、
文字通り心が震え、彼らを悼む気持ちと戦争の悲惨さに対する憎悪で
涙を抑えることが出来ないほどの衝撃と、
これほどの力を持つ絵でありながら秘匿されていたゆえに誰も
それを観ることを許されなかった、ということに対する義憤が、

「ならばこのわたしがどんな方法であってもそれを再現してみせる」

という無謀な努力への原動力となった、ということです。
それは、同じエントリのために描いたもう一つの絵、

「沈没寸前に日の丸を揚げる『瑞穂丸』」

  

についても言えることで、この船が軍艦ではなく、徴用された民間会社の船であること、
つまりここで従容と死に往こうとする海の男たちが、軍人ではないということに
わたしの衝撃の原点がありました。

舳先で万歳をする船長も、身体を波にさらわれながら「瑞穂丸」に国旗を揚げようとした船員も、
そして沈み往く船の艦橋で佇む人影も・・。

日本という国が戦争をすることになったとき、戦うことを定められた軍人のみならず、
こうして名も無い日本人たちもまた、自分の任務を完遂することによって「戦死」していきました。

そこで是非お話ししたいことがあります。
今、日本のマスコミと中国韓国が大騒ぎしている安倍首相の靖国参拝。

産經新聞以外のマスコミ始め反対派はそこに何が祀られているかすら知らず、知ろうともしないで、

「ヒトラーの墓」

などと気の利いたことをいったつもりになっているタレントキャスターと
大同小異の確信犯的無知をさらしています。
(自分が間違っているとは夢にも思っていない、といういみの確信犯ですよ)

安倍総理が、

「中国や韓国を傷つけるつもりは無い」


と発言したという報道がありましたが、これも元発言を聞かないうちは、新聞社が
安倍発言の中から自分たちの主張に都合のいい部分だけを抜き出したに違いない、
とつい懐疑的にみてしまいます。

が、もしこれが本当なら、参拝するという決断をし実行した安倍総理は、
『相手に餌を投げ与える』がごときこのような発言はやめていただきたいと思います。

わたしが今後の安倍政権、日本政府にしていただきたいのはつまりこういうことです。


靖国神社にどういう人々が祀られているのかを世界に向けて周知させる。

これを読んでいる方々の中にも、もしかしたら靖国には、大東亜戦争で亡くなった将兵の御霊だけが
祀られていると思っている方がおられるかもしれないので、ここではっきり書いておきましょう。

大東亜戦争よるずっと昔の、明治に創建した「東京招魂社」が基である靖国神社には
戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなられた学徒、
軍属・文官・民間の方々も数多く含まれているのです。


つまり、この絵に描いた徴用船が沈められた際波間に散った民間人の魂も、
ここには祀られているのです。

さらに、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者
シベリア抑留中に死亡した軍人・軍属、そして大東亜戦争終結時に
「戦争犯罪人」として処刑された方々などの神霊も祀られています。

繰り返しますがわたしが日本政府に広報をお願いしたいのは、

「靖国神社の目的とはなんぞや」

それはすなわち、

「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰するその一点にのみ」

にある、ということをあらためて世界に告知させていただきたいのです。

身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)
その数246万6千余柱は、すなわち

「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」

でありこの絵に描かれた海の男たちも、その御霊として靖国におわします。


このような場所であることを知ってもまだ靖国を「戦犯の墓」などと言い募る人間は、
おそらくたとえ国籍が日本人あっても精神まで日本人ではないのでしょう。

逆に、たとえ日本人ではなかったとしても、もしそういった事実を知れば、
むしろ首相が参拝できない方が異常であり、
その問題は単に国家間の戦略に起因するものにちがいない、

と大抵の人間は真実に気づいてくれるだろうと思われます。


日本人というのは権謀術数を「卑怯なこと」として蔑む傾向にありますが、

そんな武士道的正々堂々さは、国家間の利益の奪い合いにおいて全く通用しません。

日本政府には、こういうロビー活動を、情報戦を戦うつもりで
公費をそのために歳出してでも真剣にやっていっていただきたい。


安倍首相の参拝は「快挙」でしたが、問題はこのあとです。

決して首相の行為から日本政府が「梯子を外す」ようなことにならないように、
しっかり日本を内外の敵から守るために掩護していってほしい、とわたしは思います。


 軍人さんの奥さん





今年、靖国神社参拝とともに近隣反日国に利用されたのが、
「旧日本軍従軍慰安婦問題」です。

この話も実にシンプルで、古今東西どこの軍にもあった「慰安施設」を、
女性の人権を無視して非統治国から拉致して従事させた、という風に
曲解捏造して騒いでいるというだけの話。

日本国政府が関与したかどうかの問題について証拠は無く、
慰安婦の実態とは普通に貧しい親が娘を女衒に売ったというだけのことなのですが、
まず朝日新聞がこれに「火をつけ」、「煙を煽って」、
その煙が海を渡り、韓国がここぞと大騒ぎを始めたという構図です。
この騒ぎの元凶となった記事を書いた植村記者の義母は在日韓国人であるとの由。

韓国というのは昔中国、統治前と統治下は日本、そして戦後はアメリカ、
風向きを観ては中国と、何れにしても節操無く事大を繰り返して来た国です。

韓国はアメリカの議会に「国際的問題」としてこれを認めさせ、
さらには全く日韓に関係のない米国の都市に、日本を非難するために、
慰安婦のモニュメントや像を建て、つまり外圧からも反日させようとしています。
これも「トラの威を借るキツネ」たる韓国の「事大」です。

このため、在米韓国人が異常なくらいの熱意を注ぎ込んで、
アメリカ国内にはその手の記念碑がいくつかすでに建っています。

大抵のアメリカ人はそんなことに無関心ですし、たまに関心があると思えば
要するにそれは韓国系のコロニーで票が欲しい政治家だったりするので、
日本政府の消極的な姿勢をいいことに、すでにあちこちに像が建つ事態になってしまいました。

ところが、アメリカ人にもやはり、そういった他国間のいざこざが
アメリカ国内に持ち込まれるというのを非常に不快だと感じたり、
あるいはもう少し深化した情報を知り、その慰安婦というのが全くの捏造で、
そもそもアメリカの最高裁ではその存在をとっくの昔に否定されている、
ということを知る人たちも出てきました。

このたび、そのような「無関心ではいられないアメリカ人」の一人、
トニー・マラーノさん、通称テキサス親父がホワイトハウスのサイトに、

グレンデールの慰安婦像を撤去するための誓願

のための署名を集めています。
また、今日のニュースですが、
慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」をめぐり、
日本維新の会が年明けに河野談話の撤回と、
河野氏の国会への参考人招致を求める署名運動を全国で展開するそうです。

談話の根拠となった韓国での元慰安婦への聞き取り調査報告書は
「ずさん」だったことが産経新聞の報道で明らかになっており、
維新は署名運動を通じ見直しの機運を盛り上げたい考えです。

安倍政権誕生後、いろんなことが少しずつですがまともになっていく、
すくなくとも機運らしきものが高まりつつあります。 



反日国である中国と韓国は勿論、日本が白人の世界支配を終焉させたことを

実は遺恨にしており「日本が戦犯だった」ということにしておきたい国は、
このことを「右傾化」「平和への逆行」などと非難していますが、
日本はそんな「鏡を見ろ」と言いたくなる国の批判なんぞに怯んではいけません。

だれがなんと言おうと、我が国は戦後70年間戦争をせず、逆に世界に手を差し伸べる国として
その実績をつみあげてきたではないですか。
どこかの国のように現在進行形の虐殺もしなければ、戦争もしていない。
戦後のどさくさに他国の領土を不法占拠するというどこかの国のような無法を働いたわけでもありません。

今回の件でアメリカ大使館が

「日本の指導者が近隣諸国との 緊張を悪化させるような行動を取ったことに、
米国政府は失望している」

という声明を発表しました。
これは靖国参拝そのものを批判するつもりはないが、緊張が悪化することがわかっているのに、
なぜ今やるの?今まで我慢してくれてたじゃない?という意味だと思うのですが、
参拝に反対する日本のマスコミと中韓は「それ見たことか」
とこの発言を大きく取り上げて批判の材料にしています。

しかし、たちまち大使館のFBは日本人からの抗議の声で埋まったそうです。

曰く

「イミョンバクが竹島に上陸したときには 
あんたたちは何か声明でもだしたか?
大人しく物分かりが良い日本だけに我慢させるな。
日本国民の大多数は 我慢の限界だからな。」

 
すでに日本人は、黙って耐えるだけでもなくなってきたみたいですね。
ただ、今回はこのFacebookで文句を言っている人は少し落ち着いて最後の文章を
じっくり読んでみることも必要かもしれません。
でないと、マスゴミの「切り取り。印象操作」の手に乗ってしまったことになる。

「米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する」

 

「短現オールド・ネイビーの涙」




元エントリを読んでいただければ分かりますが、

一昔前の政界には、軍人出身の政治家がそれなりにいました。

海軍出身の短期現役主計士官たちは当時も帝大出のエリートがなったので、
戦後も政府の要職に就いた者が多かったということなのですが、
国会会館で行われたネイビーの会で、元短現士官が見せた涙の意味は・・・。

という内容のエントリなのですが、今日はこの元短現士官の中でも
もっとも「出世」した中曽根康弘首相のことを取り上げます。

というのは、今日のテーマである「靖国参拝が問題になってしまったきっかけ」
は、何を隠そうこの中曽根首相が作ったからです。

1985年、それまで日本国の首相は春秋の例大祭に靖国参拝をしてきましたが、
中曽根首相はこの年の8月15日に靖国参拝をしました。
その日は何の声明も出さなかった中国が、まず朝日新聞が「御注進報道」をしたことを
受けて非難声明を後日出します。

翌年、中曽根首相はその動きを事前に察知して、参拝を取りやめてしまいました。
これは本人が「仲の良い胡耀邦が失脚しそうだったから」とどこかで言ったそうですが、
先日お話を伺った石平氏は、

「それはウソですね。
胡耀邦の失脚はもうそのとき既に決まっていたのですから、靖国とは無関係だった」

と仰っていました。
つまり、これは中曽根首相の言い訳に使われただけだったようです。
実際は国内事情なのかなんなのか、とにかく中曽根首相は参拝を取りやめ、
中国はそれをすかさず「日本は過ちを認めた」としてしまったわけです。

つまり、日本のアキレス腱は歴史問題で、これを持ち出すと日本政府は折れる、
日本の総理大臣は圧力をかけると引く、つまり自分たちが強く出れば良い。

そのような経験則を中国に与えてしまったのです。
ですから、わたしは戦後の日中日韓との関係を拗らせた「A級戦犯」は、

「村山富市」「河野洋平」に加え 、この

「中曽根康弘」

を挙げさせていただきます。

よりによって海軍士官であったという中曽根氏にこのような厳しいことを言うのは

わたしとしても大変心苦しいのですが、もし中曽根首相がこのとき強気に
当時最貧国で、日本の技術や資本を喉から手が出るほど欲しがっていた中国に

「日本の支援が欲しければ戦死者の慰霊に文句を付けるな。内政干渉だ」

と一言ピシャリと言っていれば、おそらく彼らは黙ってしまったでしょう。
そういう国家間の駆け引きもできず、情実に流されて将来に禍根を残すことになった
この中曽根首相の外交は、全く国益を失うものであったとしか言えません。

さて、それではこれからこの非難に対し、安倍政権はどう立ち向かうか。

もしかしたらわたしの意見を聞きたいと思ってくれている方がいるかもしれないので、
簡単に述べておくと、わたしは「小泉方式」をリメイクすればいいと思います。

7年前、小泉首相が参拝したあと、中国も韓国も反発しましたが、
中国の場合はむしろ「メンツを潰された」ということが問題であって、
その後の参拝するしないのかけひきについてはずいぶん振り回されて
「いちいち反応するのに疲れてしまった」といった感がありました。

つまり、靖国カードの主導権を持っていたのは、中国ではなく、小泉首相だったのです。
むしろ、メンツの問題だけであった当時の中国としては
裏でこっそり頭を下げてでも「行かないで欲しい」と言いたいところだったでしょう。

福田政権になって、このプライドだけは高い首相が
「近所の人が嫌だということはしない」
などと、まるで町内会の会長のような発言をして参拝せず、
さらに第一次安倍政権で安倍氏は靖国に行きたいと口では言いながら、
就任してすぐに北京訪問をし、ここでも完璧に誤ったメッセージを出すことになります。

思い出したくもない民主党政権では、靖国参拝などまずされる心配もなくなり、
中国は図に乗って中国船の領海侵犯始め、尖閣への欲望を露にしだしました。


中国韓国に配慮して靖国参拝を取りやめた7年間で、
両国の日本に対する反発は年を追うごとに露骨になっていき、
尖閣問題、竹島へのイ大統領の上陸、天皇陛下侮辱発言等々、
土下座せんばかりに中韓に配慮していた民主党政権下では
最悪の状態にまでなってしまいました。


つまり、7年前の小泉首相のときが今よりも両国との関係はマシだったということでしょ?

崖っぷち経済で自分が転がり落ちていくのを踏ん張りながら反日している
韓国という国のことはこの際放っておいて(笑)、
中国に対しては、小泉さんのときのように「根負け」させればいいのです。

具体的には、もう一回参拝してしまったのですから、
春秋の例大祭は勿論、終戦記念日、就任記念日、
政権獲得記念日、自分の誕生日、奥さんの誕生日、
病気が治ってカツカレー食べたカツカレー記念日、
なんでもいいから月一回ペースで行けばいいんです。

毎朝ジョギングでもしてついでに参拝するっていうのもいいかも。

あ、それから、小泉式のリメイク、というのは当然
前半に述べたところの


「靖国神社の存在意味を世界に英語で発信する」

ということを、政府の仕事としてお願いしたい。
半ば冗談ですが、わりと本気ですればいいと思ってます。


来年こそ靖国の英霊の皆様が安心して眠れる日本になりますように。

それでは皆様も良いお年を。







これでも特定秘密保護法案に反対しますか

2013-12-13 | 日本のこと

先日、特定秘密保護法案についての考え方のポイントを挙げて、
「反対派」とはいったいなんなのかを分かりやすくしてみました。

当ブログ、決して政治系ブログではありませんが、旧軍に始まり
現代の自衛隊、そしてそれを取り巻く歴史と現代の世相を語る以上、
このような問題について無関心でいるわけにはいきません。

というわけで、本日も少しお話しておこうと思うのですが、
皆さん、どうおもいます~?(笑)

一言で言って、「悪あがき」ですよ。
マスコミの覚めやらぬこの法案に対するバッシングは。
そもそも「強行採決」「数の論理」と錦の御旗でも上げているつもりで言うけど、
朝日新聞のいう「強行採決」って、これ実は多数与党による「賛成多数」ですよね?

「強行採決」の朝日的定義は、
民主党のもとであるか自民かで、ずいぶん変わるんですね。

ちなみに、民主政権下行われた文字通りの「強行採決」は9回。
何度かは「自民欠席」で行われていますが、マスコミは一切非難せず、
それどころか報道すらしませんでした。



そして、この憤懣を(笑)なんとか焚き付けて阿部内閣不支持に持って行こうと、
もう今や誰もその結果を信用しない「世論調査」で煽っているわけですが、
そのアンケートが酷い。
まるで誘導尋問ですよこれは。


◆国会は今、自民党だけが大きな議席を占めています。
国会で自民党だけが強い、いわゆる自民一強体制をよいことだと思いますか。
よくないことだと思いますか。 


よいことだ 19 よくないことだ 68 

◆最近の国会の状況をみて、安倍内閣や自民党に
国民の声を聞こうとする姿勢を感じますか。感じませんか。 


感じる 16 感じない 69 

◆特定秘密保護法は、国の外交や安全保障に関する秘密を漏らした人や
不正に取得した人への罰則を強化し、秘密の情報が漏れるのを防ぐことを目的としています。
一方、この法律で、政府に都合の悪い情報が隠され、
国民の知る権利が侵害される恐れがあるとの指摘もあります。
特定秘密保護法に賛成ですか。反対ですか。 


賛成 24 反対 51 

◆この法律は、衆議院に続いて参議院の委員会でも与党が採決を強行しました。
特定秘密保護法について与党が採決の強行を繰り返したことは問題だと思いますか。
問題ではないと思いますか。 


問題だ 65 問題ではない 21 

◆特定秘密保護法の国会での議論は十分だと思いますか。
十分ではないと思いますか。 


十分だ 11 十分ではない 76 

◆特定秘密保護法ができることで、政府にとって都合の悪い情報が隠されるなどの
恣意(しい)的な運用が される不安を感じますか。感じませんか。 


感じる 73感じない 18
 

しかし、おかしいと思いませんか?
これらの朝日の設問はつまり「国民の知る権利」ばかりに向けられ、
その内容、とくに国際情勢から見た視点がすっぽりと抜けてしまっています。

誰だって「秘密があっていいとおもいますか」と聞かれたら、
「何かわからんが、秘密はないのがいいに決まっている」
「権利が侵害されることはいいことだと思いますか」と聞かれたら
「もちろん権利は侵害されない方がいいに決まっている」
となるに決まっています。

朝日新聞は、本来こういう質問を入れるべきなのです。


国際間の外交軍事では、情報戦の遅れが危機につながるというのはもはや常識です。
重要な情報を他国から得ようと思えば当然、その機密は守られなければいけません。
日本に機密情報を伝えたら、すぐに他国に漏れて流れてしまうということになったら
防衛のために必要な情報を得ることもできなくなるのです。

情報を提供してくれる同盟国の信頼を得るためには、そのような法律があることが
前提だと思いますか、思いませんか。



まあ、そんなこんなで朝日は電話アンケートでは満足のいく結果を得たわけですが、
それに気を良くして、可決前、今度はネットによるアンケートを行いました。

結果はご覧の通り。

http://www.asahi.com/topics/word/特定秘密法.html

ずっと下の方に升目がありますのでそこまでスクロールして下さい。
圧倒的に「日本の安全が脅かされているので、賛成」が多く、
その意見を見るとかなりの人がマスコミ、朝日の報道姿勢を非難しています。

報道でさんざんその「危険性」を訴え、麗々しい言葉で理念を訴え、
国民の知る権利だの戦争が起きるだの煽り、さらには
「こんな(立派な)人たちが反対しているのですよ」
とばかりに各界の反対派の錚々たる名前を発表し、すっかり洗脳完了、
と満を持しておこなったネットアンケートですが、

残念なことに、少なくともネットで情報を得ようとする層は、
いくら朝日が笛を吹いても踊ってくれなかったみたいですね。

いや、「朝日が反対するのだから、それは日本のためになるのだろう」
と単純に逆をいった人が多かったのではないでしょうか。

今までこの手でうまくいっていたのに、御愁傷様なことでございます。^^

さらに、朝日はもう自分で何を言っているのかわからなくなったとみえ、
今日はこんな記事を見つけました。


「秘密保護法はいらない。
国会が成立させた以上、責任をもって法の廃止をめざすべきだ」


なりふりかまわず狂乱状態、とはこのことでございましょうか。
それにしても皆さん、二行目の意味、わかります?
この「責任を持って法の廃止をめざすべき」の主語は何?

「国会が成立させた以上、朝日新聞社が責任を持って法の廃止を目指すべきだ」

かしら。
なんで「成立させた」と「廃止をめざすべき」が「以上」でつながってるんですか?

昔、受験国語に天声人語の内容が出題されていたころもあったらしいんですが、
この文章を設題されたら、わたしは絶対に点を取れない自信があります。

「これを書いた筆者の意図を一言で述べよ」

と言う問題だったら

「悔しい~~~!」

で間違いないと思いますがね。

さて、法案の反対派には日本国旗がない、ということを前回言いましたが、
どうやら法案反対派は、

九条信者であり、
米軍基地反対派であり、
原発廃止派である、

とくれば、

最近はやりの「(在日韓国人に対する)レイシズムだけは許さない」
という「あの」方々と同じ孔の狢であろうことが容易に想像されます。

冒頭画像は委員長席に詰め寄り恫喝する民主党の皆さんですが、
ここに見えている少なくとも二人は



こういう出自だったり、
また日本に帰化した後も通名を使わず当選したことは
まあいいとしても、



こういう立場を隠さなかったりする人であるわけです。

反対派がなぜ決して日の丸を持たないか、よくわかりますね。

さて、わたしは今日、ご存じなかった方々のために、
平成12年以降起こった自衛官の情報漏洩事件とそれに対する罪名、
処分を一覧にしてみることにしました。

(1=誰が、2=どの国の、3=誰に、4=何をして、5=どんな罪で、6=どんな処分になったか)

【平成12年 ボガチョンコフ事件】

1 海自三等海佐
2 ロシア
3 在日ロシア大使館の海軍武官に
4 海上自衛隊の秘密資料を提供
5 自衛隊法違反
6 懲戒免職

【平成14年 シェルコノゴフ事件】

1 元航空自衛官
2 ロシア
3 在日ロシア通商代表部員
4 アメリカ製戦闘機用ミサイル等の資料の入手・提供を要求
5 MDA秘密保護法違反(起訴猶予処分)

【国防協会事件】

1 元自衛官(国防協会役員)
2 中国
3 在日中国大使館駐在武官
4 防衛関連資料を提供
5 電磁的公正証書原本不実記録および供用罪(起訴猶予処分)

【イージスシステムに係る情報漏洩事件】

1 海上自衛隊二等海佐
2 中国
3 →別の三等海佐→別の海上自衛官三名、二佐の中国籍の妻のPCから押収
4 イージスシステムに係るデータをCDに記録して流用
5 MDA秘密保護法違反、収賄(起訴猶予処分)
6 懲戒免職

尚、中国籍の妻は国外追放されたが、再入国して横浜中華街に潜伏していた

【内閣情報調査室職員による情報漏洩事件】

1 内閣情報調査室職員
2 ロシア
3 在日ロシア大使館書記官
4 職務として知った情報を提供

5 国家公務員法違反 収賄
6 懲戒免職

【中国潜水艦の動向に係る情報漏洩事案】

1 情報本部所属一等空佐
2 日本
3 部外者に口頭で伝達
4 職務上知り得た「中国潜水艦の動向」に関する情報
5 自衛隊法違反 収賄(起訴猶予処分
6 懲戒免職


いずれも、懲戒免職にはなっているものの、刑事罰としては非常に軽い罪です。
つまり、これまで、機密を保護する法が日本にはなかったということなんですね。


国家機密もろくに管理できない法律を戦後ずっと押し頂いて来た結果、
日本は主権国家でありながら笊で水を汲むような「情報だだ漏れ国」になりました。

こんな日本にも昭和60年、「スパイ防止法」一度上程されたことがありますが、
廃案になっています。
そのとき、その法案を反対した「反対派」が、一体どんな連中だったのか、
次の事実から皆さんも推理してみて下さい。



冷戦崩壊後、ロシアのKGB職員であったミトロフィンという人物の文書が、
イギリスで出版されたということがありました。

その本には、戦慄すべきこう言う事実が書かれていました。

昭和30年から、日本政府の与野党の人物の何人かが
「KGBのエージェントとして働いていた」ということ。

各メディアの中にはコードネームで呼ばれる人物が存在していたということ。

そして、それは現在も続いているということ。




あるいは、上海総領事館員自殺事件を思い出して下さい。

自殺した上海領事は総領事館と外務省の間の通信事務を担当していた通信担当官で、
彼が交際していた中国人女性を連絡役として、情報当局が接触し、
それをスパイ容疑として逮捕したのち、釈放。

すべて仕組まれていたことで、つまり「逮捕」は館員に恩を売るための芝居でした。

これを機にして中国当局の館員に対する強迫が始まります。
この館員は、中国側がさらに重要な情報である領事館の情報システムを要求すれば、
日本領事館の動きや外務省の意思は、全て中国側に筒抜けになり、
外交の上で決定的に不利な状況に置かれると考え、自殺したのです。

総領事あての遺書には、

「一生あの中国人達に国を売って苦しまされることを考えると、
こういう形しかありませんでした」

「日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、
この道を選びました」

と記されていました。

外務省は中国政府に複数回抗議を行っていますが、 中国当局は事件に何ら責任が無いこと、
館員は職務の重圧のために自殺したこと、日本メディアが事件を報道するのは
日本政府が故意に中国のイメージを落とそうとする意図があるからだと主張しています。

 
これも対日工作の一環と言うことなのですが、しかし、これは氷山の一角に過ぎません。
死んだこの一人の領事館員の陰に、死ななかった、つまり


「日本を売ることに何の痛痒も覚えなかった、そして覚えない多くの日本人」

がいた(いる)わけです。

皆さん、考えていただきたいのですが、もしあなたがその一人だったら、
今回の法案をどうお感じになりますか?

・・・怖いのではないですか?


さて、朝日を筆頭とする「反対派」は一様に
「国民の知る権利が侵害される」
ということをその理由に掲げているのですが、わたしに言わせれば
その当のメディアこそが知る権利を侵害しているのです。

あの尖閣沖中国漁船衝突事件のとき、海保職員の一色氏は、
職を賭して、海上保安庁が機密としたわけでもない尖閣ビデオを流出させました。
その理由はもうわかっています。
政府が国民にこれを秘匿したからです。

それでは一色氏はどうしてそのビデオをマスコミに持ち込み、

マスコミを通じて公表しようとせず、YouTubeにあげたのか。

それは一色氏本人がその著書でも書いています。

「メディアの信頼性が疑われたからだ」

と。
さらに、今回、朝日新聞の記者が東国原元知事に、

「特別秘密保護法案に反対であれば記事にする」

とネゴしようとした話も本人から公表されてしまいました。

ほかにもこのような例は後を絶ちません。

靖国神社に放火しようとした韓国人テロリストのニュースを、

NHKでは全国ネットで放映しませんでしたし、この、
在日朝鮮人の犯罪に関しては、各メディアことにNHKは「配慮」して
通名のみの報道をするというのも、わたしは何度も目撃しています。 

つまり、マスコミというのは恣意的に情報を操作し、それによって
国民の知る権利を著しく侵害している先鋒だということなのです。

こんなマスコミに「国民の知る権利」などと訴える資格はありません。

朝日新聞と毎日、中日新聞の記者は、おそらく「会社の方針」に逆らえず、
自分の出世や地位収入の安定だけを考え、それが日本の本当に国益になるかなどとは
夢にも考えずに「結論ありきの反対論」で国民を誤った方向に導いているのです。


最近、日本を取り巻く状況、とくに北東アジアの状況は
ほとんどの国民には「危機」として捉えられるようになって来ています。


ネットの無い時代ならいかようにも操作できた世論は、
「国民が自分で情報を選択する」ことが可能になって、マスコミの思うようにならなくなり、
しかも、最後のごり押しでマスコミが主導して成立させた民主党政権下で、
その危機感はいまや最大値まで押し上げられてしまっています。

だれももう、マスコミにだまされることはありません。

このような情報の漏洩を罰する法律すらなかった今までの日本で、
どれだけの国益が「確信犯」(自分では気づかずに情報提供者となっている)
や「上に逆らえずに記事を書く記者」など多くの「売国奴」によって失われてきたことか。

「今そこにある危機」は、つまりこのような日本、
機密を保護する法律すらなかった
そのあまりに甘い危機管理に、
「反日勢力」が巣食うことによってつくりだされたものにほかなりません。



皆さんは、「自衛官」罰則が科され、懲戒免職などの
懲罰を受けている上記の表をみて「恐ろしい」と思われたかもしれませんが、
もっと恐ろしいことがあることをわかっていただきたいのです。


それは、罪に問われたりましてや罰されることなく、

のうのうと、今日も、日本人として、日本を「切り売りし続けている」人間が、
あなたの隣にいるかもしれないということです。


 

 



 


特定秘密保護法案成立~日の丸のない反対デモ

2013-12-07 | 日本のこと

2013年12月7日未明、特別秘密保護法案が成立しました。

この法案にはメディアと民主党、そして「市民」が大反対を唱え、
絶対阻止を合い言葉に深夜というのに国会の周りを取り囲むなどの、

「かつて来た道」

が見られました。
かつて来たというのは、つまり古くは自衛隊の設立、日米安保に始まって、
成田空港や自衛隊の海外派遣などで反対を唱えたのと全く同じ、
「サヨクと野党、そして左派メディアによる狂乱の反対ぶり」
が再び見られたということです。

このとき国会を取り囲んだ「市民」には、団塊世代が多かったということですが、
冒頭写真の籏に見られる今回の反対デモの

「革マル」「民青同盟」(この若い人たちはバイトであるという噂もある)

の一員としてかつて安保闘争に参加し、

「就職が決まって髪を切って来たときもう若くないよと君に言い訳」

した人たちが、ノスタルジーにかられて

「いちご白書をもう一度」

とばかりに最後の力を振り絞っている、の図、かも知れません。


しかし、今回は報道の偏向ぶりが一段と酷かったですね。
ほとんど「情報操作」のレベルで、各メディアは一斉にこの法案に反対していました。

産經新聞、読売新聞以外の、大手では朝日毎日、そして
それと主旨を同じくする地方新聞、そしてエネーチケーを筆頭とする
在京テレビ局の報道からこの法案についてを知ったとしたら、
おそらく、彼らの印象誘導によって、まるでこの法案によって国民の知る権利が失われ、
目と耳を塞がれる暗黒の社会へと突入するかのように思ってしまい、
それゆえ気分的反対派になっている人がいるかもしれません。

今日はそんな方にこそお読みいただきたい。


以下、中日新聞の記事からの抜粋をお読み下さい。

正しい情報を与えられない国民は、正しい判断ができないことをよく示している。
この状態は日露戦争にとどまらず、太平洋戦争に至るまで引きずる。(略)

個人個人が政治や社会を動かしていくために、「表現の自由」が定められている。
国民が正しい判断をするには、正しい情報を得る「知る権利」が欠かせない。
報道もその一翼を担う。

「報道は民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、
重要な判断の資料を提供し、いわゆる知る権利に奉仕するものである」
と、最高裁判例にある。

特定秘密保護法は、この原理の基本である「知る権利」に絶対的にマイナスに作用する。
いわゆる「沖縄密約」など、政府の違法秘密も隠蔽(いんぺい)できる。
秘密にしておきたい「核密約」などの情報も意図して「特定秘密」に指定し、秘匿化できる。

「安全保障上の支障」というだけで、国会への情報提供もブロックされる。
司法権の監視も受けない。
判断権はすべて行政府が握る仕組みは、三権分立からの逸脱に等しい。
まさに行政権に白紙委任する“装置”である。
重要情報を独占する官僚制はやがて独善に陥り、暴走する。

中国や北朝鮮などを眺めても、正しい情報が伝えられない国民が悲劇的であるのは明らかだ。
言論統制が敷かれた戦前の日本も同じ状態だった。

罰せずとも検挙するだけで効力は抜群だった。
今回の法律も特定秘密に接近しようとしただけで処罰の規定がある。
「話し合い」が共謀に当たるのだ。
容疑がかかるだけで、家宅捜索を受け、パソコンなどが広く押収されうる。

しかも、「主義主張を国家や他人に強要する」活動が、テロリズムと解せられる条文だ。
どのように法律が運用されていくのか、暗然とするばかりだ。

国連の人権高等弁務官が
「表現の自由への適切な保護規定を設けずに法整備を急ぐべきでない」
と懸念を表明したのに、政府は無視した。
国内の研究者や文化人らの反対にも聞く耳を持たない。

安倍首相は
「民衆の強硬な意見を背景にして有利に交渉をすすめようとするのは、
外交ではよくつかわれる手法だ」とも書いた。

国家は民衆の声すら自在に操る力を持つわけだ。
国民主権が空洞化する懸念を持つ。

 
これだけ読むと、まことにごもっともな「暗黒法案」への懸念に見え、
ことに権威たる新聞が冷静に判断することを呼びかけているように
思う読者はおそらくたくさんいるのでしょう。

しかし、ちょっと待って欲しい(笑)。

これ、戦後の民主主義の「権利」についてを述べ、その権利が脅かされることだけを
センセーショナルな脅し文句で煽っていますが、たとえば

「国家は民衆の声すら自在に操る力を持つわけだ」

民衆の声を自在に繰ることができるのは・・・・・それ、まさに国家というより

メディアのことなんじゃないんですか?

この記者は「国家」と「民衆」を相対するものとしてしか認めていないわけですが、
そもそも日本は民主主義国家で、選挙制度によって政府を選ぶことができ、
施政を担う政府というものが、民衆によって選ばれている、という大前提を
全く無視して物事を語っています。

そして、決定的に説得力が無いのは、この麗々しい文章の中に、

一つもこの法案に対する具体的な敷衍がなく、「特殊な例」を「誰にも起こりうること」
と勘違いさせるギミックに満ち満ちていること。

「話し合いが共謀になるのだ」

って、なんなんですかこれは・・・。
昔、オランダ統治下のインドネシアでは、300年というもの、道ばたで
三人以上のインドネシア人が話をするのも禁じていましたが、
それと同じことをこの法案はしようとしているとでも言うのでしょうか。

だいたい、今回のこの法案についている「特定」という言葉について、
メディアは意図的に触れず、それが誰にでも適応されると意図的にミスリードしています。


さて、それでは、エリス中尉はこの法案についてどう考えるのか、
とお尋ねがあったような気がしますので明言しておくと、
わたしはこの法案は、戦後になってほとんど初めて生まれた、
日本をまともな国にするための画期的なものだと思っています。

先進国では当たり前になっている、国家機密に関する情報の漏洩に対する罰則が
日本には今まで存在していなかったのですよ?
それができた、ということなのですから。

国の中枢に入り込んで、情報を流出させる可能性のある役職に、
思想信条、バックグラウンド、国籍、帰化か否か、そして経歴、
このようなことが全く問われぬまま就くことができていた、
今までの日本が異常だっただけのことです。

今回、この法案がいかに「人権を脅かすものであるか」を、各新聞は、
知恵を絞って、愚民にもわかるように()具体的な記事にしてくれています。

その例をご紹介しましょう。
前もって言っておきますが、飲食しながら読まないで下さいね、
あまりのあまりさに吹き出してしまうかもしれませんから。


 ★【静岡】特定秘密とは隣り合わせ 自衛官の胸騒ぎ 

(中略) 

◆法律施行なら 日常会話にも影響 

特定秘密保護法案が成立すると、秘密に携わる公務員の一家は、
日常会話にもこれまで以上に神経をすり減らすことになる。


例えばこうだ。
四歳の息子と妻、そして自衛官の夫の三人家族はつつましやかに暮らしていた。 

 夫  「パパは明日から出張に行ってくるからね。いい子にしているんだよ」 
 息子 「えっ。パパ、明日からいないの? どこ行くの?」 
 夫  「ごめんな。言えないんだ。お土産もこれからはないから」 
 息子 「なんで?」 
 夫  「だって、お土産で行った先が分かってしまうだろ」 
 妻  「あなた、出張先も言えないの? 前は教えてくれたじゃない。
     本当に出張なの? まさか…」 


隠されたショックと両親の険悪な雰囲気に息子が泣きだした。 
仕方なく自衛官の夫は言う。

「パパはね、明日からハワイ沖でアメリカ人のお友達とおしゃべりをしてくるんだ」- 

ハワイ沖での任務が特定秘密に指定されていた場合、
家族が誰かに話したら処罰対象になる可能性がある。 


国会審議の中で、森雅子担当相は

「特別管理秘密を取り扱うことができる職員数は
警察庁、外務省、防衛省でおよそ六万四千五百人」

と答弁。

「都道府県警察職員のほか、契約業者も対象になる」と述べている。 

多くの公務員とその家族の間では、これまで普通だった会話さえ、
躊躇(ちゅうちょ)することになりかねない。 


http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20131204/CK2013120402000091.html 


これをお読みの自衛官、特に海上自衛隊の皆様、ご感想はいかがなものでしょうか。
おへそがお茶を沸かした方、思わず

「ふざけるな、こんな自衛官の妻がいるか」
「何がアメリカのお友達とハワイでおしゃべりしてくるだそんなこと子供が知りたがるかアホ」

と毒づいた方、呆れて開いた口が塞がらず地面についてしまった方・・・。
一般の企業にお務めの方、公務員、そして医師弁護士のかたがたは

「この中日新聞の記者は『守秘義務』という言葉を聞いたことがないのだろうか」

と、記者の学歴や出自国籍までもを疑ってしまうかもしれませんね。

この暗黒法案が施行されたら、自衛官は家庭不和を避けるために
あえて守秘義務を漏らし、それがばれて犯罪者となる、
一家の主は職を失い家庭は崩壊。

妻は夜の仕事、子供はグレて犯罪グループへと・・・、

ってか?
中日新聞さんたら、いつもは自衛隊に冷淡なのにこんなときだけ妙に優しいのね。涙が出ちゃう。


さあ、次参ります。
今回の法案可決を最も「恐れていた」と見え、その発狂ぶりは度を超していた、
朝日新聞。 

朝日の記事をイラスト付きで今日の昼は見られたのですが、見られなくなっているので、
それを揶揄した(って言ってもいいよね)産經新聞の記事を。


大まじめに書かれた新聞記事を読んで笑う、
というのは天に唾するようなものだが、久々に大いに笑わせていただいた。 

朝日新聞(6日付)に載った「規制の鎖 あなたにも」と題する
特定秘密保護法の危険性を、イラスト入りで解説した記事にである。

▼防衛産業で働く男が、「あまり知られていない」発射に失敗して
海に落ちた北朝鮮ミサイルの軌道について 同窓会で話し、
その内容を同窓生のA子がブログにアップしたら、
捜査機関から取り調べを受け「有罪」になった、 というお話。

怖い話だが、実際にはこんなケースはあり得ない。 

(略)

▼第一、抄子の同級生や知人に「防衛産業で働く男」が何人かいるが、
飲み会で機密をペラペラとしゃべる者は誰もいない。
危険性を熱く語るのも結構だが、大げさなつくり話は、読者を鼻白ませるだけである。 


▼むろんこの法律は、小欄も書いてきたように、もろ手を挙げて賛成できる代物ではない。
重要法だという割に 担当大臣は危なっかしく、
毎日のように急ごしらえの「新機関」が登場する始末だ。 


▼それでも賛成せざるを得ないのは、あの国やこの国のおかげで
東アジア情勢が急激に緊迫
しているからである。
情報の「官僚独占」を許さない仕組みや不十分な点は、次の国会以降、どんどん改めればよい。
付け 
加えると、この法律が施行されて畏縮するような記者は小紙にはいない。

ちょっと格好良すぎるが。 


産經新聞抄子氏、最後で「なんちゃって」と照れてます。

後半の賛成理由にはわたしも同感で、法案の不備は国会で改めればよろしい。
そのための国会であり、そのために選挙があるのですから。

朝日も中日も「いかに酷い法案であるか」を説明する段になって、
それまでの抽象的で高邁な理想論からはがくっとレベルを下げて、
この法案が恐ろしいものだという説得力が無くなってしまっています。

逆に国民のほとんどが、

「いやこれ、罰則必要だろ?
むしろ今までどうしてこれに対する法整備がなかったの?」


と不思議に思ってしまうでしょう。

ここで、当ブログのサービスとして、分かりやすく(新聞社が分かりやすくないので)
法案のポイントをまとめてみます。

「特定秘密とは、なんですか?」

【防衛】

●防衛、警備等に関する計画
●防衛に関し、自衛隊が収集した画像情報
●自衛隊が通信内容を秘匿するために用いる暗号
●潜水艦のプロペラの材質や形状、戦車などの装甲厚
●誘導弾の対処目標性能、潜水艦の潜水可能震度

【外交】

●領域の保全に関する外国との交渉のための対処指針
●北朝鮮による核・ミサイル・拉致問題に関するやりとり
●外国が弾道ミサイルを発射した場合に取る措置の方針
●特定の国の外交方針について友好国政府から提供を受けた情報
●公電に用いる暗号
 
【スパイ防止】

●外国からの不正アクセスによる政府機関の情報窃取防止のための防護装置
●大量破壊兵器関連物質の不正取引を防止するための計画
●外国の情報機関から提供を受けた大量破壊兵器関連物質の不正取引に関する情報
●情報収集活動の情報源

【テロ対策】

●重要施設警備の実地計画
●重大テロが発生した場合の治安機関の対処方策
●外国の情報機関から提供を受けた国際テロ組織関係者の動向
●情報収集活動の情報源


もうお分かりですね?

これらを「知る権利」が、どうして一般国民に必要だっていうんです?
そして、どうしてそれを知りたいんです?

わたしはたまたま渡部昇一さんのお話を聞く機会があったのですが、
渡部氏ははっきりとおっしゃっていましたよ。

「よほどこの法案が都合が悪い人たちがいるんですね」

都合の悪い人たち。
つまりこういう情報を切り売りして利益供与を受けている、あるいは
日本ではない別の国家に忠誠を誓っている・・・・?

反対派というのは要約すると

国民の知る権利を奪うことは、戦前の情報統制の再来であり、
日本が再び『戦争する国』になることである

という理由から反対しているのですが、わたしは彼らに聞きたい。
「都合の悪い人たち」ではなく、その尻馬に乗って「いちご白書をもう一度」をしている人に。
この「特定秘密」の「特定」の意味を本当にわかって反対していますか?


今回、この法案に対する「立ち位置」を、自分たちの意見でバイアスをかけた
曖昧な報道しかしようとしないメディアからは、その公平な視点がわからず、
どうしていいか決めかねている国民も多いと思います。

しかし、わたしはシンプルに考えて下さい、と言いたい。
今回の反対デモの写真を見ればよろしい。

「人間の鎖」「ダイイン」「官邸の壁に落書き」「国会に靴を投げ込む」・・・

どれもこれも、普通の日本人なら違和感を覚える行動ばかりです。
そして、決定的なのは、彼らのデモには

「日本の国旗が全く見当たらない」

ということです。
もう、反対しているのがどんな連中であるか、これだけでお察し、です。
ね?シンプルでしょ?


わたしは産經新聞の抄子さんの記事、
「今のところ不備不足ゆえ万全とは言えないが、

しかし、今の日本の置かれた危機的状況を考えると」という部分に同感で、
この法案が傍目には拙速と言われる(わたしはそう思いませんが)状況でも
とにかく可決になったことで、ひとまず現下の危機は逃れられそうだと安堵しています。

「不備不足」についても同じで、それらが正しく運用されるようにしていくのが国会であり、
その国会に代表者を送り込むのが我々国民なのですから。

しかし今回の可決はある意味諸刃の剣とも言えます。
つまり今後二度と、民主党のようなのに政権を取らせてはいけないということです。

刃物は持たせる相手を間違ったら、その刃は敵ではなく確実に自分に向くからです。


可決から1日、メディアの発狂ぶりは、もう大変なことになっています。
曰く、

「独裁」「国民の声を無視」「国民のほとんどが反対」・・・

しかし、メディアにはまだわかっていない。
いや、わかりたくないのかな。
民主党が前回の選挙で「引き摺り下ろされた」のはなぜなのか。

今回は大々的にこの法案の反対意見ばかりを報じているメディアが、
民主党がこっそり通したかった悲願の「人権擁護法案」「外国人参政権」
については「報道しない権利」を振りかざして全く情報を遮断したにもかかわらず、
国民はこれらの法案とそれを通そうとする政権に対し、ノーを突きつけたからですよ。


もし、朝日やNHKが言うように「国民のほとんどが反対」
しているのならば、次期選挙で自民は与党の座を失うはずです。

しかし、国民は「民主というババ」を掴ませたメディアの口車にはもう乗せられないでしょう。
マスコミが今回のことを奇貨としていくら国民を煽っても、
「日本国旗の嫌いな人」以外、誰も踊ることはないとわたしは思いますが。







 

横須賀米軍基地ツァー5~慶応三年のドライドック

2013-12-04 | 日本のこと

このツァーの前半のクライマックスとでもいうべき見学は、この
ドライドックでした。
ドライドックとは、船舶の建造、修繕、船底清掃等のため、
フネを引き入れて排水し、フナ底を露出させることの出来る施設です。

驚くべきはこの施設が慶応3年(1867)に着工し、4年後に竣工していたことです。
プロジェクトは慶応元年から始まりました。
慶応年間というのはたった3年で明治に変わったとはいえ、
日本人がまだちょんまげ結って着物を着ていた江戸時代ですからね。

大政奉還により江戸幕府は倒れ、明治新政府へと変わったわけですが、
慶応元年に横須賀製鉄所として立ち上がった施設の建造を新政府は受け継ぎ、
日本の近代化に向けてこの計画を一層強く推し進めました。


さらに驚くのは、ここには全部でドライドックが6基あるのですが、
この江戸末期から作られ始めたドライドックは、
現在も米海軍と海上自衛隊の艦艇修理に現役で使用されているということです。


このドライドックの建設は、即ち日本が近代化への一歩を踏み出した
最初の一大国家プロジェクトであったわけで、当時の世界的規模から見ても
列強に勝るとも劣らない規模のものでした。

日本は世界にデビューするなり海国としてトップを目指したのです。
そして、そういう道筋を作った人物の一人が、ここに製鉄所を作ることを
計画した小栗上野介忠順(オグリン)でした。



当時幕府は、外国から購入した故障の多い船に要する修理に
頭を悩ませていました。

小栗は国内で修理をするため、早急なドライドック建設の必要性を説きましたが、
幕府は当初財政難を理由に決定を渋りました。


小栗はそれを押し切る形で了承を取り付けます。


江戸幕府の命を受けてこの事業に取りかかった小栗ですが、
その後、彼は統幕後の江戸城開城のときに徹底抗戦を唱えたため、
維新政府によって斬首されてしまいました。

つまり彼は「明治」の夜明けを見ぬまま、というかそれに反逆して死んだことになりますが、
彼が中心となった製鉄業の勃興は、他でもないその明治新政府が遺志を受け継ぎ、
日本をその後、重工業国と成していったというわけです。

なんともこれは、歴史の皮肉という他ありませんね。



ドライドックが現役であるので、当然こういった建物も、
毎日ではないでしょうが現役で使用されているのでしょう。
うーん、中が見たい。

建物のA-7、というのはAドックの7番の建物、という意味でしょうか。





まさにドライドックが現在進行形で使われていることを証明する、
この甲板。

「横須賀造修補給所ドックハウス」。

造船・修理のことを造修と称しているのですね。

自転車立てがあり得ない角度で屹立していますが、
この不便そうな自転車立てにちゃんと駐輪してあります。

場所が場所なので、放置してはいけないことに決まっているのでしょうか。 



見よこれが日本で最初にできたドライドックだ。

設計は小栗が招聘したフランス人技師ヴェルニーによって行われました。
このときなぜフランス人にこの依頼がいったかというと、なんと、
小栗が江戸幕府の勘定奉行に就任したときの目付というのが、
フランス帰りでフランス語ペラペラの栗本 鋤雲だったから、ということです。

勿論、江戸時代にフランス語がしゃべれる人がいても不思議ではないのですが、

この修行僧みたいなおじさんが「コマンタレブー?」「トレビア~ン」
なんて言っていたことを想像するのは少し難しい気がします。





ん?
なにやら英語と日本語を使った標語が、妙な取り付け方をされた看板に。



STOP/立ち止まる

LOOK/見直す

ACT/行動する

LISTEN/聞く

REPORT/報告する

これらを「スター計画」(STAR PLAN)と称するようです。
なんと言うかごもっともすぎて何の突っ込みようもないのですが、
当たり前のことをあらたまって標語にするのが、日本の職場というものです。

ここは米軍接収後も、進駐して来た米軍にそれに相応する組織がなかったため、
戦中に従事していた従業員がそのまま米軍のために仕事を続けました。
つまり、一度も米軍に取って代わられたことがない職場なのです。

このような「標語体質」が見えるのも、一度もその本体が
「アメリカ型」にならなかったからではないでしょうか。





この全く同じ大きさに切り出された石は、
新小松石といって、真鶴から熱海にかけて産出されたものだと推定されます。

当時の工事ですから、これらの石を運んだのはおそらく牛車であったでしょう。



140年まえに造られたドックの向こうに見える現代のショッピングセンター。

この一号ドックは昭和10年~11年に渠頭部分を延長しています。



この写真の右側手前の部分をご覧下さい。
他の部分が石積みなのに対し、コンクリート部分が見えますね?



その境目アップ。

このコンクリートで造られているのが、後に延長された部分です。
手すりのある階段の部分も、そのときに作られたように見えますね。
手すりがぐにゃりと曲がっていますが、ドック入りしていた船に潰されたのでしょうか。

つまり、




この石は、建造当時のままのものなのです。(感動)

関東大震災でもこのドックはびくともせず、液状化現象も起きませんでした。

この理由はヴェルニーのドック候補地選定や石などの素材を見る目の確かさ、そして
技術の高さに加え、利権を求めて群がる有象無象には見向きもせず、
自分の目で確かめて機械や技術者を選定する真摯な態度などにあったといわれます。




知れば知るほど、このヴェルニーという人は、すごいんですよ。


横須賀市観光局は、もっとヴェルニーの功績を讃え、
ゆる(くなくてもいいけど)キャラ化でも何でもして、郷土の、のみならず
日本の近代化の恩人として、その名前を国民に知らしめるべきだとわたしは思います。



向こう岸の様子は様変わりしていると思いますが、
おそらくこちら側は何も変わっていないはず。
ちょっと雰囲気を出してモノクロームで加工してみました。



冒頭の写真と同じものですが、これは第2ドック。
三つの中で最も大きなドライドックです。
1884年に竣工しました。

第一号が出来てから9年後、ヴェルニーは退任し帰国していたので、
やはりフランス人技師のジュウエットが、途中まで指導し、
あとの施行はここで研鑽を積んだ日本人が手がけました。
つまり初めての「日本人製」のドライドックということになります。




第2号ドックを海側から見たところ。
船が入るときはこのBと書かれた部分が上がり、海水が湛えられたのち、
修理をする船舶が入ってきます。
その後、ポンプで海水を排出し「ドライドック」にするのです。




ふと向こう岸に目をやると、今朝朝ご飯を食べたスターバックスと、
以前参加したことのある「軍港巡り」の船が見えます。
ちょうど今から客が乗り込むところですね。
ガイドさんによると、この軍港巡りができるのは日本でここだけだそうで、
非常に人気があり、週末はなかなか乗ることができないそうです。

でも、このクルーズ、とても楽しかったですよ。
前もって予約してでも、是非一度経験されることをお勧めします。
参加したこのわたしが、価値があったと太鼓判を押します。
 



これ、なんて言うのでしょう。
ウィンドラス?
船の係留をするものには間違いないと思うんですが。




ツァー参加者と、特別参加の米海軍軍人さん二人。
友好ムードを盛り上げるために米軍からお借りして来たボランティアです。

男性よりこの女性の方が階級が上なんだろうなあ、と思っていたのですが、

ツァーの道すがら二人が世間話をしているのに耳をそばだてると、
女性の方は本国で弁護士事務所で働いていたことのあるロイヤー。
水兵さんの方は、サンフランシスコ生まれで、カリフォルニアの
海軍基地から赴任して来たと言っていました。

軍人がたくさんいる上、彼らは階級が全く違うので、
どうもこの日が初対面であったらしく、

「どこの生まれ?」とか
「ここに来る前なにしてたの?」
「アメリカでわたしこんな仕事してたんだけど」

みたいな初対面同士の会話をしていました。


左の青いジャージは通訳ですが、ツァーの皆さんはシャイで、
軍人さんたちに写真を一緒に撮ることは要求しても、
話しかけたりすることがなかったので、二人は思いっきり
「時間つぶし」という感じで同行していました。



おそらく昔から変わらない石畳。
小さく書かれた数字は何を意味するのでしょうか。




確か2番ドックのブリッジを通過するときに、下に降りるためのはしごを見つけました。
どうしてこんな囲いをはしごにつけなくてはいけなかったんでしょう。
万が一ドックに船がいるときに上り下りしていて地震が起こったとき、
船体に身体を挟まれないため・・・・?かなあ。




ところで、このドック見学の間、ここにトイレ小屋?があり、
トイレ休憩となったのですが、この仕様がアメリカ式。
つまり、個室のドアが下部30センチくらい開いている、あれだったんですよ。

このときに利用していた女性陣が、
「ドアの下が開いている!」
と結構盛り上がっておられました。
アメリカでは公衆のトイレは全てこれなので、わたしは何とも思わず、
皆がそう言っているのを聞いて「ああそうだっけ」と思いだしたくらいでしたが。




お?
海自専用の建物あり。
すわ、とばかりに一応写真を撮ってみましたが、
"BY Y-RSF"の意味が分かりません。

もしかして・・By yourself? 




三つ並ぶここのドライドックで一番小さな第3号ドック。

実は、こちらの方が第2号より10年も先、1874年に出来ています。
第1号から左に並んでいる順番に番号をつけたため、これが第3号と名付けられたんですね。

まだこのときはヴェルニーがおり、彼が設計を手がけました。

この一番小さなドックでも、当時海水を排水するのに4時間を要したそうです。

現在のポンプは、この第3号ドックで1時間半で排水を完了してしまうそうですが、
現在の技術でどんなに急いでもそれだけかかるのなら、
130年前の4時間って
案外凄くありませんか?






Wikipediaから拝借した航空写真。
一番下に見える第1号ドックはドライのまま。
第2号ドックには船舶が入れられ、ドライ、つまり現在修理中です。
一番左にあるのが小さな第3号ドックでここにも小さな船が入っていますが、
今からドライにするのか、それとも出て行くのか、海水が満たされた状態です。

これを見て初めて気づいたことがあります。

この見学ツァーはこのドックを見るのが
大きなイベントなのですが、
少なくともここにフネがドック入りしている時には、

船舶の国籍日米問わず、一般人が至近距離でそれを見ることは出来ないはず。

ツァーが定期的に行われないのも、この第1~3号ドック入りのスケジュールを
考慮して日程を設定しないといけないからだったんですね。

現にこの日も、一つのドックには艦艇が修理中だったため、
そこだけは見学できないということになりました。





というわけで、ひょんなことからこのツァーの企画における
関係者各位の御苦労のようなものが垣間見えた気がします。

これだけの価値あるツァーを、ボランティアだけで無料で運営してくれるなんて、
横須賀市観光協会と米海軍にあらためて、多謝。







 


横須賀米軍基地~防空識別圏問題と民主党政権

2013-12-02 | 日本のこと

この基地見学ツァーに参加したのはもう一ヶ月近く前のことになるのですが、
ご報告すべきイベントが目白押しで、こんな時期にエントリをアップすることになってしまいました 。

いやこれね。

もしツァーが先週だったら、中止になってたんではないかしら。
というのも、こんな出来事がありましたからね。

中国「防空識別圏決めたからこっから入って来たらお前ら撃墜アル」
日本「何それこわい」
米軍「B52二機飛ばしたが何か」
中国「え・・・・・」
空自「黙ってたけどその前にF15飛ばしてたよ」
中国「・・・・な・・・・」
海自・米海軍「♪合同演習♪合同演習」
人民軍「こ・・・こっちは皆把握していたアルよ!スクランブルかけたアル!」
防衛省「中国機が接近する等の動きは全くありませんでしたー」
日米「『エアー』・フォースかw」「ぷークスクス」
世界「調子こいてるんじゃねーぞ中国」
中国「・・・・ぐぬぬぬ」
韓国「・・・・・防空識別圏拡大したニダ
日本「どさくさにまぎれてうちの識別圏に来てんじゃねーかコラ♯
オーストラリア「次はうちも行っちゃおうかな。中国の抗議うざいし」
中国「 ・・・・」

ええ、すっかり度胸試しの場と化している東シナ海でございますが、
中国が防空識別圏設定を言い出した日はさすがに緊張が走りましたからね。
その後の沖縄での日米合同演習をどうするかなど、
米海軍としてはやはり「基地見学ツァーどころではない」
となっていた可能性もあったのではないか、と今にして思います。




さて、見学ツァーにからめて時事ワンポイント解説ができたので、

一石二鳥の有効な出だしとなりましたが、前回、
横須賀駅を10人単位の小グループに分かれて、観光しながら
ヴェルニー公演からドブ板通りを抜け、海軍基地の前までやってきたところ、
正面の陸橋から「写真禁止」を言い渡されたところまでお話ししました。

なぜ陸橋までが写真撮影禁止なのかというと、そもそもこの陸橋は
同時多発テロのあとできた「バリケード代わり」だから。
ここに陸橋があることでどういう想定に対し防御となるのか、
軍事の素人であるエリス中尉にはさっぱり分かりませんでしたが。


陸橋を渡ったところには団体が溜まれるほどのスペースがあり、

グループはここに集合して、全員でまず挨拶をかわします。
ここで、まず行程1の「セレモニー」が行われるのです。
セレモニーといっても、海軍儀仗隊の栄誉礼とか国旗掲揚とか、
そう言ったものではなく、基地司令の挨拶がメインです。
お忙しい中基地司令が時間を割いてやってきて、
歓迎の挨拶の辞を述べる、というものなのですが、その前に

「司令は日本語を勉強しておられる段階なので、
たとえ変に聞こえたりしてもくれぐれも笑ったりしないでください」

という、まるで小中学生に向かってするような注意を受けます。
だれもそんなことで笑ったりしませんよ~。

というか、今までそんな失礼な日本人がいたのかしら。

待つことしばし、やっと出て来たのは、在日米海軍司令。
紙を出して、おそらく英語で読みを振り、日本語がわかるスタッフ相手に
何度か練習したらしい日本語で、このツァーで米海軍を理解していただき、
日米の友好を深めたい、というようなことを挨拶しました。

そしてその後は全員が点呼を受け、名簿順に列を作り、
パスポート等の身分証明書を確認してから、出発。
ゲートは、団体見学用に開けてもらったところをできるだけ列をつめ通過。
ここで米兵によるチェックはしません。



かなりの樹齢を経ていると思われるイチョウの大木が目を引きます。
ゲートを入ってすぐに見える景色です。



意外なくらい手つかずで残されている自然の部分に少し驚きます。
しかし、この中の歴史的建造物はほとんどが旧海軍の横須賀鎮守府時代のものなのです。
ただ「米軍基地を見学」するのではなく、日本人が昔建造し、
実際に海軍が使っていた建築物を見る
歴史ツァーも兼ねているからこそ、
人気なのですね。


「日本人の歴史的遺産が日本人に公開されないのは
いくら米軍基地内とはいえ昔と違って占領しているわけでもないのだしおかしい」

というような意見が出た結果生まれたツァーかもしれません。



基地内の行動は全て規制され、例えば道を渡るのも皆一緒。
見学行程の2番であるこの「関東大震災の碑」ですが、
このときには近くに行くことすら許されませんでした。

遠くて分かりませんが、この球体の部分は正面に時計が刻まれ、
地震発生の11時58分を針が指しています。



アメリカ国内と全く同じ仕様の通りを書いた表示板。
アメリカというところは住所をブロックではなくストリートで表示します。
それはいたってわかりやすく、道路の一方に偶数、反対側に奇数のナンバーの家があるので、
全く初めての場所でも簡単に住所から場所が確定できるのです。

どんな小さな私道にも名前がついていて、一つのシティに同じ名前の通りは二つありません。

向こうに見えているのは、第七艦隊のレーダーとアンテナ塔で、
アンテナ塔の立っている建物は窓がないそうです。



そうかと思えば、こんなバス停も。
なぜ日本語なのかもなぞですが、それよりこの
「定期バス停」とは何なのか。






ここにもあったよ。鳥居代わりの道路標示が。

アメリカ軍がこれをやるのは単に

「ここは日本だから、日本文化の雰囲気をちょっぴり拝借してみました」

といったリスペクトアピールを兼ねて便宜上使っているだけで、

実質深い意味があってのことではないのは明らかなのですが、
日本人としても、そんなことに目くじらを立てるような大人げないことはしません。

しかし今回、横須賀海軍基地のことを調べていて、こんな不愉快な記事を見つけてしまいました。

”横須賀基地見学記 米軍の意外な日本への軽蔑的態度”

これは、中国環球時報の記者が、

日本の国会議員の協力のもと←注意

ジョージワシントンに乗り、基地を見学し書いたある記事のタイトルです。
ちょっと面白いので、それを全文掲載します。
(URLを貼るのはなんか怖いからやめます)



日本の議員の協力の下、環球時報の記者は8月28日に横須賀基地訪問を申請、

同月31日に許可が下り、中国に最も近い米軍空母「ジョージ・ワシントン」に乗船した。

◇日本を象徴する神社は米軍にとって飾り

在日米海軍が直轄する6つの基地のひとつである横須賀海軍司令部の建物は
かつての旧日本海軍の「横須賀鎮守府」の所在地だ。
建物のロビーには両国の重要な海軍将校の肖像画が掛けられている。

ネイランド事務官は19世紀の日本海軍の肖像画を指差し、
「彼らは友だちだ」とし、その横の太平洋戦争時代の日本海軍の将校は「悪人」扱いした。


基地の食堂の前には1941年の皇太后の基地訪問を記念する記念碑と、
日本海軍が東京の方角を確認し、皇居に向かって敬礼するのに使った羅針盤があった。

これらの歴史がつまった遺物はすでに米軍施設の飾りとなっていた。

日本人にとって非常に神聖な神社でさえそれは同じだった。
佐世保基地の入り口や横須賀基地の一部の門は神社の鳥居の形になっている。

記者がネイランド事務官に何か特殊な意義があるのか聞くと、
いや、何も。ただの装飾品だ」との答えが返ってきた。


記者は横須賀基地入りする前、沖縄のバーにいる在日米軍と接触、
彼は意外にも日本に対して軽蔑的な態度を示した。

スティーブンというこの若い軍官は、

「日本の自衛隊の実力なんてたかが知れている。沖縄の8%の経済は米軍基地に関係している」

と指摘、

「数年前に米兵が沖縄の少女を暴行してから、彼らは我々を追い出そうとしているが、
本当にいなくなったら誰も物を買わなくなる。

そのときになって我々の前に跪いて、早く戻ってきてくださいと懇願するだろう」と語った。


「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年9月5日


いやいやいやいや(笑)。

日本のメディアというのも大概だと思いますが、
中国の記者って言うのは、
さらにどうしようもないですね。
明確な日米離反工作を行うという目的があるわけですからね、


そもそもこの記者、横須賀にわざわざ取材に行って、
ジョージワシントンにも乗ったのに、
そのことには一言も触れず、
鵜の目鷹の目でただひたすら

「在日米軍の日本に対する悪感情の発露」を探してるんですから。

しかも、横須賀基地を取材したと言いながら、最後の
「日本に対して軽蔑的な米兵」
というのは沖縄基地所属で、しかも「バーでの取材」(笑)
まあ、こんな風にクダを巻くアホなアメリカ兵もバーならいるでしょうけどね。


鳥居がアメリカ人にとって「ただの飾りだ」というのは日本人が良く知っているわけで、
そう言ったネイランド事務官の意図も、それ以上でもそれ以下でもなく、
別に「軽蔑している」ということではないと思いますよ?

それと、沖縄の酔っぱらった若い兵隊スティーブンの意見がなんで米軍の総意になってるの?

確かに、沖縄の米軍基地では、過激派の左翼が(ポスターはハングルらしいです)
米軍軍人に酷い嫌がらせをしている、というのが最近ニュースになったけど、
その糸を後ろで引いているのは、沖縄から米軍を追い出したい中国共産党だと
かねてからわたしは思ってるんですけどね?

まあ要は、この記事も、日米安保を破棄させ米軍を日本から追い出す、
という共産党から指示された工作の一環だとわたしは思います。

それよりも、冒頭の一文ですが、

「日本の議員の協力のもと」

って、何なのこれ?
日本の議員って誰なの?

記事の書かれた日付をみると、

2011年9月5日

ああ、民主党政権下ですね。納得。
民主党の議員が中国の新聞記者を米軍基地に手引きしたってことですね。

もちろん自民の議員である可能性だってないではありませんが、
民主党には当時帰化人政治家が半数くらいいたという噂もありますし、

今から考えると信じられないことですが、もっと見えないところでは
いろいろ手引きや情報の垂れ流し、売り渡しなんかがあったんでしょうね。



ここで冒頭の話に戻るのですが、皆さん、今回の防空識別圏問題、

もし民主党政権下で起こっていたらどうなっていたと思います?

そう、まず間違いなく身内が中国に権益を持つイオン岡田が、
中国の防空識別圏には絶対に入らないことを自衛隊、海保に求め、
民間航空会社には航行計画を提出させ・・・・。

要するに中国のやりたい放題にさせていたことは火を見るより明らかです。


本人は否定していましたが、この男には尖閣での中国船衝突事件の後、
中国側に異常な「配慮」をした前科がありますからね。

当時、民主党は米軍と自衛隊とで行われるはずの離島奪還訓練を中止させましたが、
その提言をしたのは当時の副総理であった岡田克也であり、
それは中国でのAEONの収益を見据えてのことであったと言われています。
さらに、
『民主党政権下で海上自衛隊の艦船と中国軍艦の間に十五海里、
28キロの距離を置くことを決めていた』

と、産經新聞に記事を書かれたわけですが、当時の国会答弁によると

(当ブログでは『ブーメラン戦隊ジミンガー』というタイトルで記事にしました)
安倍首相に、

「政権交代後、事務方から聞いた『ファクト・事実』である」

と言われて岡田は沈黙してしまいましたっけ。(捨て台詞付きで)

その後、岡田が産經新聞を訴えた様子もないし、これやっぱり本当だったんですね。
あのとき、民主党政権は、日本は殴られても蹴られても「中国様」に叩頭します、
というサインを中国に対して出してしまったのです。

中国は次はより強硬な策に出て来るだろうと思わせるに十分な売国行為でしたが、

案の定今回のような事態になりました。

(まあ、結果として中国は今回盛大に自爆してしまったという気はしますが)


中国をここまでの「モンスター国家」にしてしまったのは、
丹羽元中国大使や岡田克也のような
親中侮日の商売人や政治家であり、
さらに現下の危機を招いたのは、
この国が戦後七十年間、
自らで国家の独立や安全を維持すると言う事を考えず、

軍事的にはアメリカの完全な属国として生き続けてきてきたことのツケが、
一挙に回ったためであると言わざるを得ません。


そして、日米同盟を破棄させたい中国さんの策略というのは、
逆に日本を覚醒させ自衛を強化させることにしかならないとわたしは思います。

今回のことでもわかるように、同盟の有る無しに関わらず、
アメリカは日本のためではなく自国の利益のために列島線を死守するわけですから。

あの地域で日本を叩けば、アメリカがもれなく出てくるってことを、
近平ちゃんは想定していなかったんでしょうか。



というわけで、案の定時事問題になだれ込んでしまい、どこが基地ツァーだ、
という内容になってしまいましたが、長くなったので今日はここまで。


 

 


「JAPANデビュー問題」NHK番組訴訟で原告逆転勝訴

2013-11-30 | 日本のこと

以前もまとめとしてエントリをアップした「NHK集団訴訟問題」に、
逆転原告勝訴の判決が出ました。

もしこの裁判について詳細をご存じないようでしたら、
そのエントリをご覧になれば、ここでまとめてあります。

「JAPANデビュー」問題に置けるNHKの問題点

産經新聞が、これを受けて台湾パイワン族の指導者たちの声明をこう報道しています。

「本当に安心しました。民族の誇りを大切にするわれわれの気持ちが認められた」。
踏みにじられた名誉を取り戻そうと訴えた原告の台湾先住民族パイワン族らの思いは、
敗訴した昨年12月の1審判決を経て、2審でようやく通じた。

台湾から東京高裁の判決を見守った原告の一人でパイワン族の指導者、
華阿財(か・あざい)さん(75)は逆転勝訴の知らせを受けて、
「取材を受けた本人が、全く不公平な番組だと主張していた。
早く関係者に知らせたい」と声を弾ませた。

問題となった番組では、日英博覧会にパイワン族が出演したことを「人間動物園」と表現。
訴訟では、この表現が博覧会出演者の一人だった男性とその娘の名誉を傷つけたかが争われた。
NHK側は「取材時には『人間動物園』という言葉を使わなかったが、
趣旨を説明し、恣意(しい)的な編集はしていない」としていた。

華さんは「『人間動物園』といわれ、パイワン族は本当に傷ついた」と振り返った。

 

この二審の東京地裁での判決文を、法律的な言い回しを安易に替え、
分かりやすくリライトしてみました。

まず、原告側の主張から。


NHKは「見せ物」と「人間動物園」は同じ範疇の概念であるかのように強弁するが、

「見せ物」は「珍しいもの・曲芸・手品などを人に見せる興行」
「多くの人に面白がってみられること。またそのもの。」
であって、価値中立的な言葉であり、演劇もスポーツも一種の見せ物である。

ところが「人間動物園」は、人間を動物として展示するということであり、
「見せ物」とは次元をことにする概念であり、人種差別的なものである。

NHKが日英博覧会におけるパイワン族の展示を「見せ物」だと言うのなら、
パイワン族集合写真の字幕を「見せ物」とすればよかったのである。
「見せ物」では平凡すぎて番組の衝撃度が少ないから、あえて
「人間動物園」としたところにNHKの主張の破綻がある。

NHKはこの二つの言葉を使い分けて、パイワン族の一員である
高許の父親を侮辱するとともに、その子である許進貴をも侮辱したのである。

控訴人は、100年前、父親がイギリスで屈辱的な経験をしたという認識を
取材前には持っておらず、取材時にそのような説明を受けてもいなかった。

それにも関わらず、NHKは、番組において高許の父親が
「人間動物園」として展示され動物扱いを受けたことを「悲しい」と述べた、
と理解するように狡猾な編集をして、高許に精神的打撃を与え、
控訴人高許のプライバシーの権利を侵害し、事故の情報をコントロールする権利を
根底から否定したのである。 


また、彼女に対するこのような侮辱は、パイワン族全体に対する侮辱である、
としています。


これに対し、第二審の出した判決はこのようなものです。

「NHKの行為は、高許の社会的評価を低下させ、その名誉を侵害するものである。

本件番組は、日本の台湾統治が台湾の人々に深い傷を残したと放送しているが、

本件番組こそ、その配慮のない取材や編集等によって、台湾の人たちや
特に高士村の人たち、そして、79歳と高齢で、無口だった父親を誇りに思っている
控訴人高許の心に、深い傷を残したというべきであり、
これに上記認定のとおり、本件番組の内容や影響の大きさ等の一切の事情を斟酌すると、
控訴人高許の被った精神的苦痛を慰謝するには100万円をもって相当というべきである」


この裁判で問題になっている「人間動物園」という言葉については、
第一審でわたしが当ブログにも書いたように、NHKが、

「2万6千冊の台湾総督府関係のの資料を丹念に読み解いた結果、
後年学者の間で(スタンダードとして)
使用されている言葉だとわかった」

というような主張をしていたわけですが、この判決文による「人間動物園」の出典とは、

東大社会情報研究所助教授の吉見俊哉が、パリ博覧会で行われた
模造の集落の中で原住民を生活させ展示させるという企画について、
「大衆動員に結びつく博覧会の目玉を求めていた万博主催者たちが
この『人間動物園』の人気に目を付けないはずはなかった」としている


つまり、「人間動物園」を造語したのは、他でもないこの吉見教授であり、

一人の学者の恣意的な便宜的定義

にすぎないというのが現実なのです。



判決文における放映までの経緯はこのようなものです。

NHKの制作担当者濱崎および島田は、事前調査で、日英博覧会に
当時の日本がパイワン族を連れて行き、その暮らしぶりを
「見せ物にした」と考えるに至り、そのことを取り上げることを前提に
パイワン族への取材を決めました。

彼らは取材した高許に対し、そのときのパイワン族の写真を見せながら
彼女の父親が日英博覧会の会場で「見せ物」にされていたと説明しました。

しかし、彼女は父親からイギリスに行ったことはあるとは聞いていたものの、
博覧会に出演したことは知りませんでした。

濱崎、島田は、この取材のときにはまだ「人間動物園」という言葉があるのを
知らなかったのですが、その後上記のような記述があるのを知り、
その番組でこの言葉を大きく取り上げることにし、このようにそれを使用しました。

そして、彼女が父親の博覧会出演を知らなかったことを、
あたかもそのことが父親にとって語りたくない辛いことでもあったように

「父親は生前、博覧会について子供たちに語ることはありませんでした」

意味有りげな説明を加えて(判決文より)報道したのです。



番組でこの言葉がどのような位置づけであったかは以下の通り。


【導入部分】

「世界の一等国に上り詰めた日本は、何故坂道を転げ落ちて行ったのか」
という問題提起の後
「台湾、日本の最初の植民地となった場所です」
「その原点はこの地にあります」
というナレーションで、元台湾人日本兵であった人たちの映像が流れ、
その後、画面に民族衣装で正装したパイワン族の写真が映し出され、
その写真の下部に「人間動物園」という文字が映し出される。

日本は台湾をアジア進出の拠点として激しい抵抗運動(日台戦争
を武力で制圧して進出したが、統治が混乱したため、
後藤新平を民政局長に起用してあめとムチの政策を推し進めたと続く。

【日英博覧会に関する説明】

台湾領有から15年後の明治43年、日英博覧会が行われた。
これは日本とイギリスの友好関係を祝う催しとして企画された。
日本は、

台湾統治の成果を世界に示す絶好の機会と捉えて

パイワン族の暮らしぶりを見せ物にしたと言う説明。
イギリスやフランスでは当時植民地の民族を盛んに見せ物にしており、
日本はその「人間動物園」を真似た、と説明する。

【パスカル・ブランシャールの映像と発言】

当時西欧列強は植民地の人間を「野蛮な劣った人間」と考えていた。
番組は、日本が自らを「民族の階層の頂点にある」と考え、
その下にアジアの他民族がいるという世界観を持つにいたった、とする。

ブランシャールの発言、として番組は、
西欧列強と日本は植民地を差別していた、と何度も強調する。


【控訴人許進貴と高許の紹介】

台湾南部高士村の映像に
「連れて行かれたのはこの村の出身者たち」
というナレーションが被せられる。
許氏が写され、
「展示された青年の息子、許進貴さん」

高氏は何かを見ながら笑みを浮かべて
「かなしい」と日本語で述べる。
さらにナレーションは
「父親は生前博覧会について子供たちに語ることはありませんでした」


【まとめの部分】

日本が世界の民族自決の動きに逆行して差別と同化政策を推し進め、
台湾議会開設の請願を認めず、この地を日本のアジア進出の拠点として
軍部が南方の海洋国家を目指した、とし、
再びパイワン族の写真にブランシャールの言葉としてナレーションが
「今も残る日本統治の深い傷」などと締めくくって番組は終わる。


うーん。


濱崎と島田とやらは「日本の植民地支配は悪」という大前提に立ち
これを番組で糾弾することだけしか見ておらず、実は戦後台湾の歴史、つまり

国民党が大陸から入って来て日本が出て行った後のこと、
白色テロの時代のこと、これらを全く知らなかったとしか見えませんね。

もし台湾の人間が未だに「歴史的傷を持っている」としたら、それは日本統治ではなく、
228で台湾人を殺害し、その後言論統制を敷いた、民主化に至るまでの
国民党の政治のほうだと思うのですが・・・・。

それはともかく、問題の日英博覧会の「展示」にしても、吉見教授とやらの造語がまずありきで、

「植民地経営がうまくいっていることを誇示するためにパイワン族を
西欧に対し一段劣った人間として『人間動物園』で晒しものにした」

というストーリーを勝手に組み立てた上で番組を作って、
家族への取材は最初から

「人間扱いされなかった父親の身を思って心を痛めた」

という創作の補強に使うことを前提にしていた、というのは明らかです。

裁判長は、この部分に対し判決文で

「実際に当時はまだ『人間動物園』という言葉はなかった。
『人間動物園』というレッテルを貼られることによって、その展示の対象とされた者は、
人間ではなく動物と同じように扱われていたのではないか、との意味を含むことになり、
結果的にその人格をも否定することにつながりかねないところに、
この『人間動物園』という言葉の過激性があることは明らかである」

と述べています。
さらに、こう言っていいのかどうかためらわれるところですが、
わたしが個人的に快哉を叫んだのがこの部分。

「島田らは、日本を代表する報道機関のディレクターとして、
全ての人に人間の尊厳を認め、公平かつ平等な報道を心がけるべきであり、
報道によって徒に人の心を傷つけることがないよう細心の注意を
払うべきであるにもかかわらず、

一部の学者が唱えているにすぎない

「人間動物園」いう言葉に飛びつき、

その評価も定まっていないのに、その人種差別的な意味合いに配慮することもなく、

これを本件番組の大前提として採用し、
上記のパスカル・ブランシャールを番組の随所に登場させて内容を組み立て、
1910年の日英博覧会に志と誇りをもって出向いたパイワン族の人たちを
侮辱しただけではなく、好意で取材に応じた控訴人高許を困惑させて、
本来の気持ちと違う言葉を引き出し、『人間動物園』と一体のものとして
それを放送して、父親がパイワン族を代表してイギリスに行ったことがある
との思いを踏みにじり、侮辱するとともに、彼女の社会的評価
(パイワン族を代表してイギリスに行った人の娘という)を傷つけたことは
明らかである」


「高許らパイワン族の間では、父や父祖の世代の人たちがイギリスに行ったことは、

良い想い出として語り継がれており、だからこそ、NHKは彼らを捜し出すことができ、
高許らも、そのような前提で
島田の取材に応じた」

「もし、島田が事前に、
『父親が人間動物園で展示され動物と同じように扱われたことについて
取材したい』
と申し入れたなら、誰一人としてこれに協力したり、
放送に同意したりはしなかったであろう」

「(コーディネーターの陳は)こんな批判的な内容になるなどとは全く考えず、
純粋に日本に対する好意に基づいて協力したものである。

それにもかかわらず、このような内容となり、陳は、高許に対してだけではなく、
高士村の人たちに対しても申し訳ないような、肩身の狭い思いをしている。
そのような好意を裏切った島田らの行為は、報道に携わる者としてのマナーに反する」


原告の訴因には、番組の

「日本は台湾に対する加害者であり、台湾には今も日本統治の深い傷が残っている」

とする番組の主旨に対する台湾の人たちの「不快な思い」というのもありました。


しかし、これに対しては判決文は

「理解できないわけではないが、憲法によって認められている表現の自由は
民主主義の健全な発展にとって欠くべからざるものであり、
さまざまな立場による報道も十分に尊重されるべきであるから」

とするにとどまっています。

ただ、その手段として、その言葉の持つ差別的意味合いや不快な響き、

あるいはこれによって傷つく人たちが入るかもしれないという配慮など、
十分な検討や検証を経ることもなく

刺激的な真新しさに飛びついて『人間動物園』という言葉を使用して
表現したことは、日本を代表する報道機関の看板番組の一つとしては
軽率であり、批判されても致し方ないものではある」

としながらも、番組の主旨が

「日本の統治を非難したもので、パイワン族を野蛮と報道したわけではない」

ということで、控訴請求の一部を退けています。


この判決に対しNHK広報局は
「主張が一部認められず残念。今後の対応は判決内容を十分検討して決める」
とのコメントを発表しました。
NHKは判決を不服として控訴するんでしょうか?

そんなことより、前エントリから言っているように、この件を
クローズアップ現代で取り上げて下さい。
タイトルは・・・そうだなあ。

「JAPANデビュー裁判—ディレクターたちは何故暴走したのか」

なんてのがいいんじゃないでしょうか。
ぜひご検討くださいませ。

☆ チン  〃   ∧_∧
 ヽ___\(\・∀・)
   \_/    ⊂ ⊂_)
  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
 |淡路たまねぎ|/


 







伊勢神宮参りの旅~御師=仕掛人兼トラベルデスク

2013-10-27 | 日本のこと

伊勢参拝は江戸時代に庶民の大ブームとなったのですが、
これには仕掛人がいました。

御師という宗教家で、神宮の神髄を説きながら全国を布教して回り、
お札や伊勢暦などの勧誘グッズを配り、参詣曼荼羅などのカタログで
庶民の憧れを誘い、一大ブームの元を作り上げたのです。

このとき配ったお札は、一年間神棚に祀ったのち、木箱に入れて処分する、
という慣習もでき、これが「お払い箱」の語源となっています。

 

御師はまた、伊勢参りの旅のコーディネイトもしていました。

人々は伊勢までの費用を賄うために「講」という積み立て制度を作り、
村単位で旅費を貯め、くじで代表を選んでお参りをさせたのですが、
この講からは前もって御師にお金を送金します。

旅行代金は先払い、ということです。

御師はその代金で道中の茶屋や宿を予約しておくのですが、
予約がなくとも、「契約済」の店であれば、予約者はお金を払わずに
宿泊や飲食をすることが出来ました。

まさに、現在のトラベルデスクのパッケージツァーの仕組みです。

このような信用商売がしかも全国ネットで成立していたというのが、
日本人の「民度」の熟成を現していると思いませんか?




何でもない敷石ですが、これも「お地蔵さまに見える」と言われているそうです。

「いくら日本の神様が寛容でも、そのこじつけは不適切なのでは・・・・」

でも、そのうち誰かがこれにも手を合わせ始めるんだろうなと予想。



この日は平日の午前中ということで、かなり空いていたとのことです。

 

ポツンと放置されたベビーカー。
中には生後3ヶ月くらいの赤さんがいました。
周りのばばたちが大騒ぎして、

「子供捨てる気なん?」
「放置して親はどこいったん、親は!」
「さらわれたらどうする気これ?」

などといきりたっていました。
アメリカじゃあるまいし、日本で、しかもお伊勢参りの客が赤ん坊を連れて行くだろうか。
とはいえわたしが親でも絶対これはできませんけどね。

この写真を撮った直後、向かいから2歳くらいの男の子を抱えて、
若いお母さんが必死でベビーカーのところまで戻ってきました。
きっと、上の子を急いでトイレに連れて行く極限状態だったのでしょう。
子供を育てたことがある母親として、理解できます。
本当にどうしようもないときって、あるんですよね。

泣きそうな顔をしてもう大きな子供を抱えていましたが、
ベビーカーのところで待ち構えているばばたちから、これからさぞかし
鬼の首を取ったような調子の非難叱責を受けて、悲しい思いをするのだろうと、
心からこのお母さんに同情しました。



これは立て替え前。
20年経つとこのようになるという見本です。
逆にどうせ20年したら建て替えるのだから、
という意識で作っているので、そう堅牢なものではないという感じ。

しかし、どんな地震が来ても鳥居だけは倒れず、残るのが
今や世界の不思議となっています。
揺れがねじれて伝わるからなんですね。一言で言うと。

 

タクシーで内宮へと向かいます。
鳥居の中は右側通行。
ここは車を留めることができないので、ガイドなし。
おじさんはそんなときのための解説本を貸してくれました。



内宮のことを皇大神宮というのが正式の名称です。

 

橋の上流側に立っていた柱。
何のためなのか分かりませんでしたが、川が氾濫したときに、
大きな木材が橋桁を直撃するのを防ぐため、と予想。
本当はどうだかはわかりません。



境内でのライブ・パフォーマンスもあり。
外国人観光客が食いついて写真を撮りだしたのは・・・・。



15歳くらいに見える巫女さんの舞。
神楽舞楽といいます。



江戸時代の一生一度の伊勢参りの目的とは、
この御神楽をあげることと言われていました。

神楽とは「神遊び」ともいい、神事です。
神楽殿では申し込みによって神楽奏奏をしてもらうことができます。



興味津々で値段を見たところ、一番安価なもので1万5千円。
最も高価なランクが「50万円以上」とのことです。



神楽奏奏は初穂料を添えて住所氏名を書き申し込みます。
ちゃんと名前にはふりがなも書かなくては、

神様に伝わらないのだそうです。

神職が名前を読み上げてくれ、そのあと、

「自分がスポンサーになって行われるショウ」

によって、神様を楽しませ、ついでにお願いを聞いてもらう。
御神楽を捧げるとは、つまりこういうことなのです。

「じゃ、たくさんお金を出せば神様もお願いを聞いてくれ易いってこと?」
「そう。地獄の沙汰も金次第ってやつですね」
「・・・・そのたとえはさすがに適切ではないのでは」



この巫女さんたちは、いわゆる¥50万クラスの舞いをするのには
少々若くて経験不足のクラスではないかと言う気がしました。

ところでここだけの話ですが、わたし、その昔(学生時代)アルバイトで
結婚式の巫女さんをやったことがあります。
知り合いに頼まれたので3ヶ月の間、土日に一件くらいの割りでやりました。

あのときエリス中尉の注いだお神酒でかための杯をし、
ついでに振った御榊で結婚の儀式をされた何組かの夫婦の方、すみません。
こんなインチキ巫女の御仕えで一生一度の大切な神事を執り行うことになって。

今でもお幸せでおられるといいなと心から思います。

 

さて、そんな懺悔の気持ちを(笑)全て水に流す場所がここにはあります。
ここはいわば神様にお願いをするためのの一大アミューズメントパークですから、
当然そういうコーナーもちゃんと用意されているわけです。

それがこの河原。

水辺に立って、流れで手を清めれば、過去の色々を流し去ってくれるという
脛に傷持つ大抵の煩悩深い人間には非常に都合のいいありがたいコーナー。 

危なっかしい足取りなのに、それでもこんなところに無理矢理立つ老人。
やめろー!


 

隣でおばあさんがよろめいたのでヒヤっとしました。
昨日の雨で増水していて流れも早く、
お年寄りが水に流されたらまず助かるまいと思われます。
もしそうなったら、
これが本当の三途の川を渡ったってやつですか。

「さすがにその例えは適切ではないのでは・・・・」

 




落ち葉かきや枯れ枝を拾ったりする作業のための道具にも、
ポリバケツのような無粋なものは決して使いません。
おしゃれな手編みのカゴ。



消火用ホースだってこの通り。
これも20年おきに作り替えるんですね。

 

高床式の神事に使う道具を収納する倉。
新しいので檜の香りが満ち満ちています。





こんな風に周りを囲ってある木があれば、皆がなぜか両手をつきまくって
「千年のパワーをもらおうとしている木」もありました。
そんな木は通りがかる人が次々と同じことをするので、
つるつるになってしまっていました。

 

こちらは、神様がすでに転居された古いお社。
新しいのは隣に建っていて、皆が祈りを捧げていますが、
そちらは撮影禁止です。
古い方はこれから壊すので、写真を撮ってもOK。

 

ここまでお参りをして疲れた善男善女のために、真新しい休憩所が。
伊勢神宮にまつわる映画をずっと流しているほか、
自動販売機もありますし、無料でお茶もいただけます。



頂いたあとの湯のみを入れる場所。
この男性は「お茶、美味しいわ」とつぶやいていました。
わたしは水を頂きましたが、お水も美味しかったです。

 

帰りに、また先ほどの欄干のある橋を渡ります。

 

日本の国旗が高いところに見えるように翻っています。

ここ伊勢神宮の内宮に祀られるのは天照大神。
つまり、高天原の神が地上世界を治めるために自分の身内を送り込んだ、
その子孫が天皇であり、地上の代理統治を神から託されたのが天皇である、
というのがここ伊勢神宮と皇室とのゆかりなのです。

伊勢神宮に祀られているのが「皇祖伸」であるがゆえに、総理大臣の参拝も
昔から慣例的になされてきたわけですが、そういう歴史を何も知らずか、
浜口首相以来の安倍総理の遷御参列を

「戦前回帰」「政教分離に反する」「賛否両論」

などと書き立てるマスゴミというのは、つまりこの「日本の旗」「天皇制」
に反対している一派と同じ考えってことでいいですか?



この欄干だけがツルツルに光っているのは、これをなでると
お願いが聞いてもらえるという言い伝えがあるからです。
たまたまそれを知っていたわたしたちが立ち止まって触ると、
それまで周りに誰もいなかったのに、急に欄干をなでるための人だかりができました。

三ツ石の「パワー」とやらも、最初になんとなく思いついてやる人がいて、
通りがかりの人が次々とそれをみて同じようなことをするので、
いつのまにか囲いまでができてしまったんでしょうね。



ここには毎月一の付く日のみ、神馬(しんめ)が繋がれます。
馬ならぜひ見たかったのですが、やはり神様の馬なので白馬だと言うことでした。

ここには境内を歩き回る鶏がいて、それは
天石屋戸神話(天の岩戸伝説)に登場する「長鳴き鶏」、
つまり天照大神の神使として大切にされている「神鶏」なのですが、
どちらもこの日見ることが出来ませんでした。

ところが鳥居を渡りきったところに・・・。

 

妙に人馴れした、人懐こい猫がいます。
尻尾を前足の上にちゃんと乗せてお行儀も良い。

屈んでなでてやると、身体にすりすりしてきて、
尻尾も握らせてくれました。
驚くほど毛艶が良く、触るとまるで天鵞絨のような手触り。


後で運転手さんに言うと、ここには三匹の猫が可愛がられていて、
近所のお店から餌ももらっているとのこと。
後二匹は白黒の猫だそうですが、どれも人馴れしていて、
参拝客のアイドルなのだそうです。



わたしたちの次は、ほら、この通り。
誰ですか「猫になりたい」なんて思ってるのは。

「でも、ここに住み着く猫って賢いよね」
「伊勢参りに来るような人たちが、いじめたりするわけないしね」

そのせいなのか不思議なくらいおっとりして気品の感じられる猫。
神馬も神使も見られなかったけど、この神猫みたいなのに会えたので大満足です。






 


靖國神社放火事件に思う

2013-10-01 | 日本のこと

サブタイトルにその名をつけている割に、そのものについて語ったことは
ほんの数回しかありませんが、わたくし、 國神社に定期的に脚を運んでいます。
バーキンを持っていくかどうかは全く別にして(笑)

定期的にここで行われる講座を聴講するほかにも、近隣で所要があり、
空き時間ができたときなどにもお茶を飲みついでに立ち寄る、という気軽さですが、
どんな日であってもここにくると鳥居をくぐるたびに背筋が伸び、居住まいを正さずにはいられません。

どんな喧噪にあってもこの中の空気は独特の張りつめた静謐に満ち、そこに立つと
日本人であることに対しまるで何かを課せられているような緊張感をいつも感じるのです。

これは決してわたしだけではないと信じています。
ここで見かける人々の多くが鳥居の前を通過する際、(ただ通りがかりでも)神殿に向かって一礼していきます。

多くの日本人にとって、ここは日本を護るために往った人々の約束の場であり、
だからこそかけがえのないな場所であることをいつも思います。



今年の三月くらいの映像です。



山門入ってすぐ。




白バトがいたのでふと目をやると・・・。



木の近くで憩っていました。
8月15日には放鳩式も行われます。
一万羽に一羽しか生まれない白鳩が、ここには300羽います。



ふと気の上を見ると、そこには「白バトの花」が咲いていました。



普通のドバトよりノーブルで姿もいいような気がするのは
やはりこの特別な場所で飼われていると思って見るからでしょうか。

白の鳩、というのはいわゆる「アルピノ」(メラニンが欠乏する遺伝子欠陥)
なので、考えようによっては少し不思議な光景のはずなんですがね。


ところで、神社内、あるいは遊就館の売店などで、最近不愉快な思いをすることが増えました。

原因は中国、韓国からの観光客です。

國神社を観光にくる外国人旅行客は決して少なくありません。
行くと必ずカメラを携えた欧米系を一組ならず見ます。
彼らはもちろん一目でわかる外貌をしていますが、中韓からの団体も、
かなり離れていてもそうだとわかります。

日本人が鳥居の前で一礼し、参拝して手を合わす様子を物珍しげに固まって観ていたり、
遊就館の売店では戦史もののDVDを手に取ってあれこれ言いあって居たり、
特に中国人はそんなところでも声が大きいので(笑)

そういう風に観光客を装って入ってきて、誰も見ていない時に池に放尿したり、
山門にライターで火をつけるふりをしている写真を得意げにアップしてきたんですね。

要するに國神社にわざわざ観光に来る中国人や韓国人は、
「肝試し」のようなノリで来て、隙あらば何かやらかして公にしないまでも帰国後の土産話にする、
今までの例から、観光の目的はそんなことでしかないと思っているので、
彼らを見るたびにわたしはどうしても嫌な気持ちになってしまうのです。



それにしても、なかなか興味深いことですが、ここに来る特定アジア人は、
皆一様に落ち着きのない様子になぜかニヤニヤ笑いを浮かべています。
何かに構えたような、また内心の不安を虚勢で糊塗しているような、不思議な表情です。

大きな声でしゃべる彼らをはっきりと非難の目で見る日本人もおり、
それがただ「外国人の不作法」をとがめる目なのか、あるいはこの神社に対し、
彼らの祖国や何人かの国民がしてきた不作法や無法に対し非難しているのか、
分からないままに「居心地の悪さ」を感じているからではないでしょうか。

 






通るたびに気になっている黒い部分。
これがかつての「放火未遂」の後でしょうか。

先日も来日した韓国人がトルエンを持って敷地内に潜んでおり、
見つかったと思った瞬間それを投げたという事件がありましたね。
それだけではありません。
今年の4月の例大祭の前には、あろうことか敷地内の池に放尿し、

それをインターネットにアップして韓国では「英雄」となった男すらいました。

わたしはその直後、國でのある会合に参加していたのですが、
出席者の70歳くらいの男性がが、公開質問の中で

「いつまで我々日本人はこんな行為で貶め続けられなければならないのか」

と拳を震わさんばかりに激昂し、そこにいた一同にも深い怒りが醸成されているのを
目の当たりにしたものです。


こういった日本人の韓国に対する内包的な怒りを、ある団体が「嫌韓デモ」で表明しました。
おとなしい日本人が特定の国に対してデモを起こしたのは、
もしかしたら有史始まって以来のことだったかもしれません。

それに対し、さっそくメディアや一部の団体、言論人などが「ヘイトスピーチ」だとして、
法的規制をしようとするなど、対抗しているようです。

しかし、これらの「デモ反対派」は、近年のこういった事件によって水面下で日本に充満する
韓国に対する怒りというものを全て「レイシズム」にすり替えてしまい、
たとえば、韓国という一国の首長による天皇陛下への「ヘイトスピーチ」や、
民間の野蛮な挑発、世界各国で彼らが展開している日本へのアンチロビー活動について
意図的にでしょうが、全く触れることすらしようとしません。

なぜ日本人がこれだけ怒っているのか、なぜデモが起きるのか、
その根本の理由とその原因を全く語らず、行為そのものを「レイシズム」と決めつけることは
実に非論理的な主張でありそれこそが「レイシズム」であると言わざるを得ません。 

朝日新聞をはじめとするほとんどの新聞社、NHKを初めとするすべてのテレビ局もそうです。

こと韓国中国のこととなると、天下の公器が中立性も論理性もかなぐり捨ててしまう。
今や「ネット言論」とあるいは「肌で感じる嫌韓」に対する「カウンター」として
これらのメディアが存在するという状態になってしまっているのです。

現在の日本が陥っているこの状況は、思想による言論の「捻れ」とでもいうものですが、
今となっては日本人の不満はそんな片方の側にだけ立った上から目線の反論では収まるはずもなく、
ただ水面下の憎悪を増幅させるだけのものになっていると思うのはわたしだけでしょうか。

 

 

 

 




ナヴォイ劇場のオペラ「夕鶴」

2013-09-06 | 日本のこと



小学生のころ、「ワシリイの息子」という題の子供向けの本を読みました。

ある日、少年の家にやってきたロシア人の少年。
少年たちの父親は、その昔シベリアで知り合いだった。
抑留されていた父と、コサック兵として囚人の見張りをしていたロシア人ワシリイ。
極寒のシベリアで重労働をする日本人に同情を寄せるワシリイは、
次第に少年の父と心を通わせていく。

戦争が終わり、日本に帰っていった亡き父の友人をはるばる日本に訪ね、
「ワシリイの息子」は、何を伝えようとしたのか―。

この童話によってわたしはシベリアに抑留されていた日本兵のことを知りました。
そこの受労働が過酷なもので、たくさんの日本人が劣悪な環境のもと、
二度と日本の土を踏むことができなかったことを。

この抑留による死者数は事実上34万人、名簿があるのはわずか数万人。
このソ連の行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証した
ポツダム宣言に背くものでありました。
ロシアのエリツィン大統領は1993年10月に訪日した際、

「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」

と表明しています。

その抑留中に日本人が造った建築物が話題になったことがありました。
中央アジアに位置するウズベキスタン。
8 月末に首都タシケントにある「ナヴォイ劇場」で、
團伊玖磨作曲の「夕鶴」が上演されたときです。
このときに、当時抑留者としてタシケントにいた元陸軍軍人が、
日経新聞に手記を寄せていますので、ご紹介します。


私は客席で感無量の気持ちを抑えきれずにいた。
ナボイ劇場は戦後、旧ソ連軍の日本人捕虜だった我々が
建設に従事したオペラ・バレエ劇場だ。
そこで日本人が作曲したオペラを聞ける時が
80 歳の今日になって来るとは、
信じられない思いだった。

ナボイ劇場は延べ床面積 15,000 平方メートル、
観客席 1,400 で煉瓦(れんが)造りのビザンチン建築物である。
1947 年に完成し、
同地の大震災の時もほとんど被害がなかったという。

 

航空修理厰(しょう)の陸軍技術大尉だった私が
約240人の仲間と第四ラーゲリ(収容所)についたのは45年10月。

まだ25 歳だったが少佐以上の将校が別の場所に送られたため、
私が「タシケント第四ラーゲリー」の隊長となった。

後に収容所の人数は増え450人を超えた。


ナボイ劇場は第二次世界大戦中、建設工事が中断していた。
戦後、現地のウズベク人、ロシア人などが劇場建設を再開し、
捕虜のドイツ人は所内で靴修理に従事していた。


劇場建設に関わった我々の作業は、土木、煉瓦積み、彫刻、鉄工、
配線、大工、
左官、電気溶接、測量など多岐にわたっていた。
朝六時に起き、八時から昼の十二時まで作業。
午後は一時から五時まで働き、夕食後から消灯の九時までは自由時間だった。


隊長としては皆が無事に帰国するまで絶望せず、
肉体的にも衰弱せずに過ごすよう気を配らねばならなかった。
将校は私も含め大学や専門学校卒業直後に入隊した20 歳代前半の者が多く、
労働や食事なども仲間と同じだった。


我々の隊は元来飛行機の修理が仕事である。
機械、電気、板金、エンジン、計量器、配管、溶接と専門家がそろっていた。
中でも若松律衛君という大卒の建築技術者がいろいろアドバイスし、
ソ連側も一目置いていたようだ。
私は仲間に以心伝心で疲れぬように働けと伝えたつもりだったが、
それでもソ連側の期待以上に作業は進んだ。


気晴らしの道具もすぐに見つかった。
作業上の床板などで麻雀(マージャン)牌、将棋の駒、碁石などを器用に作った。
麻雀のレートは千点で配給の砂糖小さじ一杯分だった。


さらに現場の資材の利用で舞台、幔幕(まんまく)、衣装、
バイオリンをはじめ楽器類なども作った。
本職の役者がいて演技指導し、「国定忠治」や「婦系図」などを上演した。
こうなるとソ連軍将校が関心を持ち「次は何をやるか」と聞いてくることもあった。


無論,不幸なことに変わりはない。
食事は常に不足して、私も栄養失調で歩くのがやっとの時期があった。
南京虫には悩まされ、月一回のシャワーは石けんを流し終える前に湯が切れた。
冬は建設現場の足場板を持ち帰って部屋の薪にしていたが、
後にばれて厳禁となった。
二人の仲間が事故で亡くなった。


それでもシベリア労働などに比べれば恵まれていた。
現地の人々と風ぼうが似通っていたこともあり、
作業現場では人種差別もなく片言で会話を交わし、良好な関係だった。

47年の完成間近に,バレエなどの練習を見せてもらった仲間もいたという。
ナボイが完成するとみな別々のラーゲリに分かれ、
やがて帰国した.私は 48年7月に舞鶴に到着した。


ウズベキスタンと日本の関係が近くなったのは同国が91年に独立してからである。
民間の日本ウズベキスタン協会が発足し、昨年(平成12年)は
羽田孜元首相とカリモフ大統領との会談がきっかけで夕鶴公演の話が進んだという。

今年(平成13年)5月になくなった團さんも,生前大いに乗り気だったという。
私もかつての収容所仲間とともにタシケントを訪れ、一週間滞在した。
演出家の鈴木敬介氏はナボイ劇場の歴史の重みを感じ、涙混じりでリハーサルをしたという。



当日は一、二階だけではなく普段は入らない三階席まですべて埋まる盛況ぶりだった。
鶴の恩返しをテーマにしたオペラだから、現地の人々にも理解しやすかったのだろう。
最初に10人近くのウズベキスタンの子供たちが日本語で歌を歌う場面があり、
強く心を揺さぶられた。

フィナーレでは観客が総立ちになって拍手していた。


戦争終了後異国で強制労働に従事させられ、
青春の数年間を抑留生活で失ったことは、取り返しのつかぬ損失と思っている。
しかし、今回戦友の墓参りが出来、またナボイ劇場で、
我々の建設当時とほとんど変わらぬ姿であることを確認できたのは大きな喜びだった。
完成時に劇場の庭に植えたポプラやプラタナスの若木が20メートル以上になっていた。
この木が枯れぬよう友好が続いてほしいと願っている。

 (元タシケント第四ラーゲリ日本軍隊長 永田行夫陸軍技術大尉)

 日本経済新聞,平成13 年9月26日版
 
 


タシケントは人口約250万人の大都市で、政治、経済、商工業の中心です。
1966年4月26日にここで大震災が起こりました。
この震災では町の建物のほとんどが瓦礫と化してしまいました。

ところが、ナボイのオペラ劇場など、
第2次世界大戦後シベリアに抑留されていた日本人が
強制労働で建設した建物だけが、この震災に耐え、びくともしませんでした。
 
この地には日本人の敷いた道路が何キロにもわたって町を走っています。
何キロにもわたって、舗装の下には煉瓦の敷き詰められた道路です。
それだけではありません。
未だに人々が使用している建物、学校だったりアパートだったり。
運河も日本人の手によるものです。

そしてこの地方のどこを訪れても、日本人が働いていた様子が語り継がれており、
日本人は勤勉で規律正しい人達だだった、嘘をつかない人々だったと
人々は口をそろえて言うのだそうです。

あるウズベキスタンで生まれ育った人の話です。

「子供の頃、日本人が入っていたラーゲリ(収容所)の近くに住んでいた。
日本人は毎朝、挨拶をし隊列を組んで仕事場に出かけていった。
夕方また隊列を組んで戻ってきた。
ある時お腹が空いていることだろうと思って、
友達とラーゲリの垣根の壊れたところからパンと果物を差し入れた。
そうしたら二、三日後に、手作りの木のおもちゃが置いてあった。

親から、『日本人は規律正しい人々だ。
勤勉で物を作ることがとても上手な人達だ。
そしてお返しを忘れない律儀な人々だ。
あなたも日本人を見習って大きくなりなさい』と言われて育てられた」



タシケントの日本人墓地には強制労働で亡くなった方のうち、
氏名が判明した79名が今も眠っています。

そして劇場敷地内にある記念碑には、
日本語で次のような言葉が刻まれているのです。

「1945年から1946年にかけて極東から強行移送された
数百名の日本兵士が、この
アリシェル・ナヴォイ劇場建設に参加し、その完成に貢献した」


苦しい抑留生活の中でも規律正しく、優しさと日本人としての誇りを失わず、
その高潔な振る舞いで現地の人々に尊敬された抑留兵の方々。

日本人として心から敬意を表し、感謝を捧げたいと思います。