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天皇海山列とロバート・シンクレア・ディーツ

2015-05-15 | 日本のこと

ちょっと今日は息抜きに変わった話題をお届けします。

先日、息子が学校で科学のプロジェクトに「火山」というお題をもらいました。
息子の学校では歴史や科学に、研究課題が出され、それについて調べて
一冊の冊子を作るというような授業が行われるのですが、一つのテーマについて掘り下げ、
文章をタイピングし、必要であれば図面や写真を盛り込んで、
まるで大学でやるような研究(学習ですけど)レポートを書き上げるのです。

先生は一つ一つのレポートに目を通すのですが、Wikipediaなどの規制の文章を
コピーアンドペーストすることは絶対に禁じられていて、一つでもそれがあると
点数が貰えません。

「そんなのどうやってわかるの」
「わからないけどそういうの探すソフトでもあるんじゃない?」

今の時代、先生も丸ペケだけで点数をつけていればいいわけではないんですね。
愚息はこういった研究課題形式のものが得意で、いつも高得点を取ってくるのですが、
実はその陰には父親であるTOの身を惜しまぬ協力が(少しは)あるのでした。

「こんど研究課題いつでるの」「出たら教えてね」

というのが彼の口癖で、特に科学系課題はドラフトを書かせ、それに目を通して、
「先生の立場で」それを読み、ここはどうしたらいいとかアドバイスするだけでなく、
実際に関連書籍を買い込んできて自分も仕事の合間に読み込み、
必要とあらば実際にその関係するものを見に連れて行ったり・・・。

孟母三遷ではありませんが、こんなことに関してだけは協力を惜しみません。
むしろ、自分が楽しむために手伝っているのではないかと思うこともしばしば。

息子の課題に「火山」が出た時には、TOは何冊かの本を読むうち
すっかり火山博士になってしまっていたようですが(笑)、あるときその検索の過程で

「こんなのあるの知ってた?」

と教えてくれたのが、本日タイトルの天皇海山列でした。
冒頭写真の妙に男前の科学者が、天皇海山群の命名者である

ロバート・シンクレア・ディーツ(Robert Sinclair Dietz)1914~1995

です。
教えてくれたTOも、もちろんわたしも初めて知ったのですが、この天皇海山群は、
アリューシャン海溝と千島−カムチャッカ海溝の結合部から南に向かって
約2500kmにわたって海底に存在する海底山脈です。



わかりますかね。
画面の中央に少しだけ右に振れるように降りてきている線がそれです。
線は降り切ったところで右に向かっておおきく曲がっていますが、
そこからは「ハワイ海嶺」と称する海底火山で、長さは3,500kmあります。


天皇海山列一発見・命名のいきさつ と生成の謎一杉山 明 より


海の中の山脈のことなど、大抵の人は何の関心も持たずに一生を終わるのだと思いますが、
今回わたしとTOがこの海山列にふと関心を持ったのは、その名前が、
「天皇」の名の通り、我が日本国の歴代天皇の御名より取られていたからです。

この上の図を大きなモニターで見ておられる方は少し良く見てみてください。

「桓武」「応神」「推古」「応仁」・・・。

古くは8500万年前にできた海底山に、日本の天皇の名をつけたのが、
先ほどの男前学者、ロバート・シンクレア・ディーツだったのでした。



もう一枚、男前だから写真サービスしちゃう。
海底火山の研究なんて地味なことをやってる学者でなければ、
どこかでプロデューサーのの目に止まって科学者の役で映画に出そうだわ。


さて、このイケメン科学者がどうしてこの海山群に天皇の名をつけたのか。
地図をお借りした杉山博士の論文によると、この海山列の現在の正式名は

「北大西洋海山列」Northwest Pacific Seamount Chain

というものらしいです。
こういう名称は「海底地形名統一のための小委員会」という機関で決められ、
こちらの名前は日本人の研究者、田山利三郎が1952年に命名したものです。

ところが、その2年後の1954年、ディーツが

「天皇海山群」Emperor Seamount Chain

と同じ海山群を名付けました。
ディーツは田山氏の論文を知らなかったから、という説と、
知っていて無視をした、という説があるそうですが、どちらかわかりません。

研究のデータは、わかっているところによると1935年、
日本の淀鑑という船が測量を行ったものが元になっているようですが、
ディーツは1953年にアメリカの海洋研究所が行った測量を基にし、
このときに発見された火山群に対して個々の名前をつけたというわけです。

それでは、日本に近いところから順番に名前を記していきます。
名前の後ろの数字は海面から頂上までの距離です。
すなわち、少ないほど「高山」ということですね。

「明治」 2,009m
「デトロイト」 309m
「天智」 1,819m
「神武」 1,296m
「推古」 1,029m
「用明」 980m
「仁徳」 959m
「神功」 792m
「応神」 1,608m
「光孝」 18m
「欽明」 1,095m
「雄略」 11m
「大覚寺」11m
「桓武」 280m

こうしてみると「デトロイト」の異質さが謎ですが(笑)、
この「デトロイト」は、あの「キスカ島」「アッツ島」に最も近い海山です。
それにしても「雄略」「大覚寺」の11mというのは、ほとんど海のすぐ下にあるわけですが、
これがある日海面から顔を出して
島になってしまう可能性なんかはないんでしょうか。



それにしてもどうしてディーツは海山群に天皇の名前をつけたのでしょうか。

彼はアメリカ人なので、命名といっても「Meiji 」「Kanmu 」「Yomei」という調子で、
いまいち我々にはいい命名とは思えないのですが、それはともかく、戦後、
まだまだ戦争の傷がお互い癒えていない時期に、アメリカ人の学者が
自分の発見した海山群に、日本の歴代天皇の名前をつけたわけです。

学者らしく、戦争のあったことには全く拘泥しなかった、ということでもありましょうが、
先の杉山氏の論文によると、

「日本の古代史に興味を持っていたから」

ということを後で当人が言っていた、という話があった、という話です(笑)
ディーツはフルブライト研究者として東京大学に留学し、海上保安庁水路部において
研究を行っているので、やはりそれは本当だったのだろうと思います。

世の中には自分の嫌いな国に留学に来て、留学先でその国をわざわざディスる国民もいるそうですが、

ごく常識的に考えれば、敬意を払える国であるから留学に来るのが普通だろうと思います。

どうしてディーツが天皇の名前をつけたか、ということについては、
かの偉大な知恵袋において、いくつか質問がなされています。
そのうちの一つに、こんな回答が寄せられていました。

命名するときに日本に居たから「たまたま」じゃないでしょうか?
あくまで想像ですが、こういう命名って学者さんは途中から真剣に考えなくなるんですよね。
当たり前ですが、生まれてくる我が子の名前を必死に考えるようには考えません。

ちなみに台風の名前も適当すぎるんですよ。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html
日本の名付け分でも「コップ」だの「コンパス」だの適当です。

そんなもんですよ。意味なんか無いと思います。
強いて言えば少なくとも皇室に敬意は持っていたんでしょうが・・・


うーん・・・なんでこの回答者はこんなに必死なのか。
「たまたま」とか「真剣に考えなくなる」とか「必死ではない」とか、「適当」とか
「意味がない」とか、言葉を尽くしてこの命名を矮小化しようとしているけど・・。

だいたい学者の命名がほとんど適当であるなんて、想像だけで決めつけていいの?
学者ならなおさら、自分の死んだ後も永遠に残されるであろう学名に、
「意味もなく」名前をつけるはずはないんですが。

 台風の名前と比べているのもなんだか変ですよね。
台風に名前をつけた人の名前って、 台風と共に記録に残るようなものですか?
そもそも台風って、学者の業績と比べるようなもんですか?


最後でお茶を濁しているけど、実はこの人、天皇の名前が使われたこと
そのものが、
気に入らなくて仕方がない人なんじゃないかと思いました。




というわけで、こういう話になると、こういった皇室反対論者なんかが噛み付いてくるし、

今のところ気づかれていないけど、「日本海」という名称を変えさせようとしている国が、
もしこのディーツの命名に気がついたら、発狂してえらいことになるのは必至なので、
海保の地図には、「天皇海山群」ではなく「北大西洋海山列」とだけ記されているのかなあ、
などと穿ったことを考えてしまいました。



最後に超蛇足になりますが、息子の火山プロジェクトは父親の影の助力の甲斐あってか、
99%(つまり99点)のA+がつきました。<(_ _)>
もしかしたら・・・?などと、早速ディーツのような科学者になる将来を想像し、
悦にいる親バカ全開のわたしでございます。

 



 



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3 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
コピペ (佳太郎)
2015-05-15 22:01:13
私が大学生の時くらいにコピペを見破るソフトの話題が出始めましたねー、教授とそういう物について話してました。
この頃ですかね、今時の大学生はレポートもコピペであるとか新聞とかTVで言い出したのは…

しかし息子さんの宿題を手伝うとはいい旦那様ですね。私は父に宿題手伝ってもらったことは…ないですね。そもそもこんな感じの課題等が無かったので…
教育も日々変化しているのですね…
いいお父さんだ! (雷蔵)
2015-05-16 05:28:27
25歳で父親になり、30歳までに三人のお子が出来たので、はっきり言って子供に育ててもらったようなもので、エリス中尉宅のような立派な子育ては出来ませんでした。

上の子には自分の価値観を押し付けるようなしつけをして来ましたが、下に行くに従ってこちらもきつくなり、上の子には字を教えたりもしましたが、結局のところ、下に行く程、手抜きになったにも関わらず(というよりも、むしろ手抜きしたためと言うべきか)頭の出来はよく、親の至らなさを痛感する結果となりました。

エリス中尉家はいいお父さんだ!
突っ込みどころが (エリス中尉)
2015-05-16 11:17:17
お二人ともそこですか(笑)

佳太郎さん、やっぱりそういうソフトって存在するんですね。
いちいちグーグルで検索をかけるのかと思った。

お二人ともmy TOの父親ぶりを褒めてくださっていますが、息子が幼児~低学年のころは
彼は仕事で忙しすぎて家にいる時間が短く、従って教育はほとんどわたしの担当でした。
またたとえ時間があったとしても、そのころの宿題は興味を持つようなレベルでないので、
もっぱら「遊び担当」だったように思います。
彼が参入してきたのは息子の学校が論文形式の課題を出すようになってからですね(笑)

雷蔵さんは結婚が25歳ですか。
道理でもうお孫さんがいるはずだ!
下の子は要領がいいので、親の教育とは関係なく上を抜くことがあるみたいですが、
やはり長男が一番しっかりしているというお家もあるし、ほんと家庭それぞれですね。
うちは一人っ子なので、もし下がいたらどんなだっただろうと時々ふと思います。

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