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天気晴朗ナレドモ浪高シ~「信濃丸」の殊勲

2013-05-23 | 海軍



1905年5月27日午前2時45分、

仮装巡洋艦「信濃丸」は、北航する艦船の灯火を発見。
「信濃丸」艦長の成川揆(なるかわ・はかる)大佐は、後方に接近し追尾を開始します。

丁度追尾を開始して2時間後の4時45分、空が明るくなってきたので、
「信濃丸」は300メートルまで接近して確認すると、

三本のマスト、二本の煙突

の艦艇であることがわかりました。
それは、第二太平洋艦隊、つまりバルチック艦隊の病因船、「アリヨール」だったのです。

いきな寄り道ですが、当時の聯合艦隊の皆さんは、
将官はともかく下士官兵は「外来語」というものに不慣れなので、
英語はもとよりロシア語の艦名を覚えるのに大変苦労しました。
そこで、「三笠」の阿保清種少佐が「記憶法」を編み出しました。

その傑作どころを少しご紹介すると・・・、

「クニャージ・スワロフ」→「国オヤジ座ろう」
「アレクサンドル三世」→「呆れ三太」
「ボロジノ」→「襤褸出ろ」
「アリヨール」→「蟻寄る」
「オスラビア」→「押すとピシャ」
「シソイ・ウェーリーキー」→「薄いブリキ」
「ドミトリー・ドンスコイ」→「ゴミ取り権助」
「イズムルード」→「水漏るぞ」
「アブラクシン」→「「油布巾」

いやー、どうですかこれ。
エリス中尉は個人的に「ゴミ取り権助」に傑作として一票投じますね。

単なるあだ名ではなく、聯合艦隊の将官は皆真面目にロシア艦隊を
こう呼んでいたといいますから、嬉しくなってしまいます。

決戦においても、真面目に

「目標!ゴミ取り権助ェー!」

ってやったんですからね。
誰なの。日本人はユーモアがわからないなんて言ったのは。

さて、閑話休題。

「蟻寄る」ことアリヨールを発見した「信濃丸」。

「これはアリヨールでありよる」(←)と成川艦長が言ったかどうかはわかりませんが、
それを確認すると同時に周りを見回すと、

こんな状況に…

バルチック艦隊…○
「信濃丸」…●

 ○ ○ 
 ○ ● 
  ○○
 ○ ○
 ○ ○


さすがに命の危険を感じました。
というのは「暴走族に囲まれた俺」コピペですが、まあそういう状況です。

そこで「信濃丸」は気付かれないように

○ ○ 
○ → → → → 
○ ○         
○ ○         
○ ○         
             (信濃丸)


その場を離れ、
4時45分「敵艦隊ラシキ煤煙見ユ」、
続けて4時50分「敵ノ第二艦隊見ユ」という歴史的な暗号電報を送信します。

「信濃丸」は排水量こそ約6500トンと大型ですが、
仮装巡洋艦ですから武装はほとんどしていません。
ここで周りの暴走族、じゃなくてバルチック艦隊に気づかれたら、
ひとたまりもなく海の藻屑になってしまうでしょう。

しかし、「信濃丸」はその後一時間あまり、敵方を監視して追尾を続けました。

○ ○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○ ○             ●(信濃丸)
進行方向

え?もうその図はええ、って?


この無線は戦艦「厳島」に中継され聯合艦隊司令部の旗艦「三笠」に届きました
その後、やはり無線を受信した巡洋艦「和泉」が6時45分にバルチック艦隊を発見。
蝕接を保って刻々とその動向を聯合艦隊司令部に打電し続けます。


海上は靄が立ち込め、視界は5海里という悪条件のもと、
「和泉」の石田一郎大佐は敵弾の届く至近距離まで近づき、
その範囲から出入りしつつ、危険を冒して監視を続けたのでした。



この時の功績に対して軍艦和泉の総員に送られた感状。

「和泉」の功績は、バルチック艦隊の動きを早くに把握できたという点で
聯合艦隊の勝利に貢献したということに対するものです。

それはいいんですが。ちゃんと「信濃丸」にも感状は出されたんでしょうね?
まさか、「久松五勇士」の「奥浜牛」さんみたいに
(これ、奥浜 牛じゃなくて奥 浜牛、つまりおく・はまぎゅうかも)
最初の発見者がそう評価されていない、ってこと、ありませんよね?



さて、これを受けて司令長官東郷平八郎大将が艦隊の出動を下命、
同艦より大本営あてに

「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、
コレヲ撃滅セントス
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」

と打電し報告した事で、日本海海戦が開始されたのでした。




どうでもいいが電文を書いた人が達筆すぎて
読めない(笑)・・・・・でも・・・・

あれっ?

読めないなりに読んでみると、これ、変ですよ?

「(アテヨイカヌ)ミユトノケイホウニセツシ
(ノレツヲハイ)タダチニ(ヨシス)コレヲ(ワケフウメル)セントス
テンキセイロウナレドナミタカシ」

つまり暗号文で打たれた電文だったわけですが、
直接軍令とは関係のない

「天気晴朗なれど波高し」

だけが平文となっています。
あと、ところどころだけが「伏字」状態ですね。

しかし、この「平文」、解読されても単なる「時候の挨拶」と取られかねない
この一文に、重要な情報が詰め込まれていたわけです。

天気が良く、視界がはっきりしていて、しかも動揺が多い。
こうなると、射撃の練度が高い聯合艦隊に有利である、という意味なのです。

聯合艦隊、ことに阿保清種(あぼ・きよたね)砲術長率いる「三笠」では、
「砲身のらせんが擦り切れるのではないかと心配するほど」
訓練が重ねられました。

内筒砲訓練」と言われたこの訓練法は、砲身に小銃を据え付け、
その小銃を発射して的を狙うことによって精度をあげんとするものです。

因みにこの時の訓練の激しさをして海軍の
「月月火水木金金」の嚆矢であるとする説もあるそうです。





映画「海ゆかば 日本海大海戦」より。
打電する通信兵の横になぜかいる(笑)秋山参謀。

いくら原稿発案者でも、通信室でちゃんと打ってるかどうか
見張らなくてもいいと思うの。

 

何十年も前の映画の字幕に突っ込むのもなんですが、
これ、間違いがあるのにお気づきですか?

よく「敵艦見ゆ」とされるこの最初の一文ですが、
「敵艦」ではなくバルチック艦隊すなわち「敵艦隊」です。



昨日、聯合艦隊の勝因をいくつかあげたわけですが、
逆にバルチック艦隊の敗因の一つに、「日本の無線を妨害しなかった」
ということがあるそうです。
これは決して「正々堂々と戦おう」などという殊勝な意図などではありません。

聯合艦隊は、哨戒艦がバルチック艦隊を発見し、海戦に至るまで接触を続け
無電によって情報を送り続けましたが、バルチック艦隊は日本の無線を傍受しながら
探知されることを恐れて電波封止をしていたこともあって、

妨害しようにもできなかった

からなのです。

しかし、もしロシア側に秋山真之レベルの参謀がいたなら、
この無線をつかって陽動と妨害によって聯合艦隊をかく乱させるなどの作戦を取り、
案外結果が変わっていたってことはないでしょうか。

よって、わたしとしては「秋山参謀」と「三六式」が、
日本海海戦の勝因の最たるものと位置付けたいところです。


さて、六三式無線の威力と、その日本海海戦における働きは目覚ましいものでした。
日本海海戦は「インテリジェンス」の戦いであったとする説もあります。

ここで日本がインテリジェンス、つまり情報の重要さに目覚めて、
この技術を特化して研究していれば、大東亜戦争の結果はひっくり返らないまでも、
かなり違ったものになっていたはずだと思うのですが、
ご存知の通り、この戦争におけるレーダーの方面で日本は決定的に後塵を拝すことになり、
そのため手痛い敗北を喫する戦闘も多くあったわけです。

日本海海戦から、今後の戦争は情報戦であるという教訓を得たはずであるのに、
その教訓を生かすための長期的な展望を持ち、それを推し進めるだけの力を持った
秋山真之並みの参謀―保身に走りがちな「上層部」を跳ねのけてまで
その智謀を発揮する軍人が日本軍の組織に存在しえなかったことが、
その後の日本そのものの不幸だった、ともいえます。











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1 Comments

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通信妨害について (フリーマン大佐)
2021-02-27 19:26:46
電子戦に関する本では「日本海海戦でロシア海軍が日本海軍の電信に妨害を行ったのが初めてと言われている。」という記載もあり、どうやって行ったのだろうと思っていました。
まず、相手の周波数がわかるのだろうか?昔の無線機はごく限られた周波数しか送信できなかったけど、両軍の周波数はあっていたのだろうか?そもそもバルチック海軍は日本の暗号解読できるの?
そして当時の無線機って送信機がこわれるから長く送信できないし・・・。と考えだしたら夜も眠れません。(誇大広告です。)

一つ前の三六式無線の詳しい解説ありがとうございました。これと今回のブログを読んで、バルチック艦隊がもし妨害を行ったとしても無線封止の禁を破って、電鍵を数秒押し続けて、後日妨害したと言った関係者がいたことにぐらいが実態なのかなと想像しています。(公式には無線封止なので記録されていないのでしょうね。)
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