ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

令和4年度映画ギャラリー その3

2023-01-08 | 映画


平成4年度掲載映画の挿絵を挙げながら振り返るシリーズ、3日目です。

■ 「サブマリン爆撃隊」Submarine Patrol
ジョン・フォードの傑作コメディ戦争映画


時はおりしも第一次世界大戦勃発時。

ニューヨークにあったブルックリン海軍工廠に、
ふとした気まぐれで海軍に入りたくなった富豪のドラ息子が、
海軍の思惑でよりによって駆潜艇の機関長として配備され、
そこで実戦を通し、海軍の任務やら真実の愛やらに目覚める話です。

駆潜艇(英語ではサブマリン・チェイサー)とは、
当時Uボートに対抗するために設計されたもので、
爆雷を主力武器とする小型の艦艇です。

全てをなめてかかっていたボンボンが、生死を分ける戦いを経て、
一人前の海軍軍人としてこれからスタートするでしょう、
というところまで運ばれるストーリーは、さすがジョン・フォード監督
ところどころに海軍リスペクトをふんだんに盛り込みながら
(フォードは筋金入りの海軍オタク)最後までこちらを引き込んでいきます。

研究材料のマウスを船に持ち込んでいる大学生、
陸にレストランを持ち船の給養と掛け持ちしているコック、
年齢をサバ読んで16歳で入隊してきた少年、
人の顔を見れば金を借りようとするタクシー運転手。

キャラの立った駆潜艇の乗員たちのエピソードも、
このストーリーに見応えを与えている要素でした。

プレイボーイのタウンゼント3世が海軍工廠で見初めた、
輸送船の船員でもある美女スーザンとの恋愛模様や、
それに反対する父親の輸送船船長が間違いで駆潜艇に乗ってしまい、
一緒に難局を乗り切って娘の相手として認めさせるという展開も、
お約束な展開とはいえかえってワクワクさせられます。

かといってふざけてばかりでもなく、
真面目に?輸送船を護衛したりUボート基地を急襲し、
当時にしては迫力のある特殊撮影などを使っていますし、
スロウ8やマストの星、士官の乗艦時のしぐさなど、
海軍についてその内部を民衆に紹介しようという姿勢も感じました。

さらに女性の観客は、タウンゼント3世自身のゴージャスなムードと、
乙女の夢を叶えるような素敵なデートの演出をさぞ楽しんだことでしょう。

白黒映画で画質も決して良くありませんが、
昨今の画像だけはいい穴だらけの設定の戦争映画より
よっぽど1時間半を費やす意味がある佳作だと思います。

■ 「グラマ島の誘惑」
皇族軍人と女たちの「逆アナタハン」

ディアゴスティーニの「戦争映画コレクション」の配布でこれを見たとき、
とにかくその発想の奇抜さと忘れられない展開に驚愕しました。

戦争末期、無人島に流れ着いたのがよりによって
皇族軍人(とお付き武官)と9人の女たち。
しかもその女たちのほとんどが、本来皇族とは決して縁のなかった
慰安婦だった、という破天荒な設定は、
終戦当時世間を騒然とさせた「アナタハン島」の惨劇に着想をえています。

宮様兄弟、香椎宮為久と為永殿下を演じるのが
森繁久彌とフランキー堺、御付き武官桂小金治
その他有名俳優女優をありったけ揃えたことからも、
映画会社の力の入れ具合がわかるというものです。

女性陣も慰安婦の二人を除く全員が有名女優ばかり。
ただしダンサーだった春川ますみはこれが映画初出演です。

映画では、美貌の未亡人を弟宮と現地のカナカ人(と見せかけた脱走兵)
が取り合ったり、御付き武官を慰安婦(轟由紀子)と従軍画家(淡路恵子
で取り合ったり、いつのまにか兄宮が智慧の遅れた宮城まり子を孕ませたり、
と思いつく限りのややこしい男女関係が入り乱れて大騒動に。



この映画の一筋縄でいかないところは、終戦になって彼らが
米軍の手によって内地に送り返されてからが山場になるという展開です。

為久の嫁(久慈あさみ)は夫の行方不明中、パトロンを得て
銀座のど真ん中に「大銀座温泉」なるスパを経営し、
もう皇族という身分を失う夫に引導を渡そうと虎視眈々。

弟宮の為永は、吉原ソースなる商品を海外に輸出して成功し、
従軍画家坪井(岸田今日子)は島での出来事の暴露本でベストセラー作家に。

慰安婦たちはやり手の一人を除き、風営法施行後に
戦前のビジネスに手を染め引っかかりお縄になるという成長のなさ。

為久との間に子供を作り流産した「あい」(宮城)は
二人で船に乗り脱出する途中、死亡してしまいますが、
なぜかニュースでそれを知った彼女の妹が現れ、
為久をソフトに恐喝してお金をせびるという・・・。

こんなてんやわんや(死語?)が息つく間も無く展開され、
最後は、グラマ島に残った脱走兵と未亡人の二人が
水爆実験に巻き込まれることを暗喩して映画は終わります。


さて、この絵はブログでは採用しなかったバージョンです。

この映画の紹介ログを制作し始めた頃は、
どうせたいして取り上げることもないだろう
と思い、1日で終わらせるつもりでこのタイトル絵を描きましたが、
進むうちにとても収まらないことがわかり、この絵を三分割して
三日分のタイトル画を作ったというわけです。

当ブログ映画シリーズは、最初に絵を描いてしまうため、
ときどき(というか結構頻繁に)こういうことになってしまい、
そうなると、最初の絵を2〜3日分に分けて制作し直す羽目になります。

(という、ブログ制作の舞台裏でした)

アナタハン事件、皇太子殿下(現上皇陛下)のご成婚、
そしてアメリカの太平洋における核実験、華族制廃止、
そういった時事を取り上げつつ、今まで誰も触れたことがなかった
「雲の上の人」を下々の民とごちゃ混ぜにするという、
あり得ない展開ですが、評価すべきは、そんな扱いであっても
皇族を表現する筆致にどこかしら愛と哀しみが感じられたことでしょうか、



■「潜航決死隊」Crash Dive
タイロンパワー主演 ロマンス過多プロパガンダ潜水艦映画


1943年、第二次世界大戦真っ只中、
タイロン・パワーとアン・バクスターを使ってプロパガンダ映画を作る。

しかもフィルムはこの当時にしてカラー。

やっぱりアメリカってとてつもなくお金持ちだったんだなあ、
こんな映画からもしみじみ彼我の戦力差を思い知らされます。

同じ頃、白黒アニメで少年向け戦意高揚作品、
「桃太郎の海鷲」を制作していたアニメーターたちが、
ある日日本軍が戦地で拾ったか押収したディズニーのアニメを見て
これは戦争負けるわ、と打ちのめされたという話をつい思い出します。

さて、この映画を観たとき、何やらデジャブを感じたと思ったら
それは、今日冒頭にご紹介した「サブマリン・パトロール」でした。

本作監督アーチー・メイヨージョン・フォードの関係は知りませんが、
3歳違いと同年代で、二人ともそれぞれ第一次・第二次世界大戦開戦時、
海軍のためにロマンス多めの戦意高揚プロパガンダ作品を監督。

その作品の内容も、大富豪と海軍一家というバックボーンを持つ、
傲慢な美青年が、自分の意志に反して方や駆潜艇に、方や潜水艦に乗せられ、
どちらも実戦を現場で叩き込まれて、最後は海軍魂に目覚めるというもの。

これはどう考えても後発のメイヨーがフォードの作品をパク、
いや、リスペクトしてアイデアを拝借したのでは、という気がします。

わたし個人でいうと、それまであまり好きでなかったタイプの
タイロン・パワーという俳優が、実は当時現役軍人で、
ウィングマーク持ちの航空士官(パイロット)であったことを知り、
俄然印象が爆上がりしました。

本稿にも書きましたが、パワーは戦闘機を志望しながら
年齢制限のため輸送飛行隊で勤務し、クェゼリン、硫黄島、
そして沖縄における輸送ミッションに参加して叙勲されています。

44歳の若さで急死したときも予備役少佐であり、その葬儀は
現役軍人に対する栄誉を伴う儀式によって行われました。

ストーリーは、魚雷艇乗りでブイブイ言わせていた海軍一家のホープが、
人手不足の潜水艦に副長として配置される所から始まります。

フォードの「サブマリン・パトロール」と同じように、
主人公はここで上官である艦長とぶつかります。
フォード版との違いは、なんとこちらのバージョンでは、そうとは知らずに
この艦長の恋人(アン・バクスター)をパワーが好きになり、
ガンガンと非常識な、とても男前ならやらないようなアタックをかけて
元々現状の恋人に物足りなさを感じていた女性の気持ちを揺すぶります。

「戦時下の三角関係」




女が性悪(って言っちゃう)なものだから、
二人が一人の女性を巡って取り合っていた(というか二股かけられていた)
ことを艦長が知った時には時すでに遅し。

女性の気持ちはすっかりイケメン金持ち海軍一家のホープに移っていました。
まあ、タイロン・パワー相手なら勝てないよね普通。

おり悪しく、それが判明した直後、彼らの潜水艦は出撃を迎えますが、
個人的な感情はとりあえず横に置き、二人はUボート基地に潜入、
上陸して倉庫を爆破するという快挙を成し遂げます。

その後艦長はパワーに女譲るという敗北宣言?をし、
帰国したパワーはいきなり彼女と結婚をすませてロマンスにカタをつけ、
やおら、自分を潜水艦勤務に追いやった?叔父の海軍提督に向かって、
自分が乗り込んだ潜水艦はもちろん、全ての部隊が素晴らしい、
アメリカ合衆国海軍万歳、と取ってつけたように海軍礼賛を始めて、
観ている人すべてをあっけにとらせて?終わります。

コネチカット州グロトンの当時の潜水艦基地の様子や、
潜水艦乗りの慣習などをちょいちょい挟んだり、
とにかくお金がかかっていて映像も大変綺麗ですが、
ロマンス部分と海軍宣伝部分の割合があまりにキッパリしすぎて、
まるで一つの話の中に二つのストーリーが流れているように感じ、
さらに主人公やヒロインの人物描写があまりにイージーで、
その行動に共感を得にくいという無理も随分感じさせます。

骨子は似た二つのストーリーではありますが、
「サブマリン・パトロール」と「クラッシュ・ダイブ」、
この2作品を評価するなら、画質と白黒対カラーのハンディを勘案せずとも、
圧倒的に前者の圧勝だとわたしは声を大にして言うでしょう。

結論:やっぱりジョン・フォードの名前はダテではなかった。
=腐っても鯛。

続く。







令和四年度掲載映画ギャラリー その2

2023-01-06 | 映画

令和4年度に掲載した映画紹介ブログをタイトル絵で振り返るシリーズ、
二日目です。

■ 「水兵さん」
海軍省検閲済みの海兵団リクルート映画

日本の戦況が目に見えて不利になっていた昭和19年5月、
海軍は戦地に送り込む対象年齢をさらに引き下げるため、
海兵団への志願者を増やすための国策宣伝映画を松竹に作らせました。

30年後となる昭和の時代、この映画をベースにして、
「水兵さん」のその後の運命を描いた作品が
東宝映画の「海軍特別年少兵」であることを、
わたしはこの作品を取り上げることによって初めて知りました。

海兵団に入団者を増やすためのリクルート映画ですから、
基本募集側の都合の悪いことは書かれませんし、
最初から最後まで作り物の綺麗事に終始するわけです。

わたしはこのような映画をみると、たとえばあの
映画「ハワイ・マレー沖海戦」に主演した若い俳優が、その後、
実際に出征して戦地で命を落としたと知った時に感じたような
なんとも言えないやるせなさを持たずにいられないのですが、
幸か不幸か?本作に出演する少年たちは、
当時海兵団に入団資格があるような若年層ばかりなので、
実際に年少兵になるようなことでもなければ、
戦地にやられるという事態にはならなかったはずです。

映画のストーリーは、海兵団に入りたい少年が、まず父親の反対を押し切り、
試験を受け、近所の人や幼なじみに応援されながら入団を果たす。
その後、海兵団での彼らの生活と訓練が紹介され、
仲間の失敗に連帯責任を取らされたり、病気の団友を気遣ったりしながら
最後には海兵団の課程を修了して卒団するところで終わります。


1972年制作の「海軍特別年少兵」と同じく、この映画は
海兵団の水兵に無名の少年たちを起用している代わりに、
彼らを取り囲む軍人に有名俳優を登場させます。

海兵団員を直接指導する鈴木教範長に、小沢栄太郎。



小沢栄太郎というと、こんなイメージしかありません。
この映画の35歳のときの小沢は、随分と丸顔の小太りで、
映画のクレジットを見るまで全く気がつきませんでした。

でね。
この教範長というのが、不気味なくらい優しいんですよ。
安全装置をかけ忘れたまま銃を収納してしまった訓練生を
殴りつけるでもなく、道場に二人で正座し、

「お前の不注意は俺の教育が足りなかったためなんだ!俺の責任だ」

なんていうわけです。

その他、海兵団の分隊長で、出征し海戦で赫赫たる戦果を挙げる、
山口中尉役に原保美

この人が歌人原阿佐緒の息子だったことを知ったのが
この映画を取り上げたことの成果の一つでしたが、この俳優、戦後は
「聞けわだつみの声」で、学徒士官を虐める悪士官を演じたりしています。

そして、山口中尉が出征した後の、後任の分隊長が笠智衆という具合です。

当時の横須賀(当時の『三笠』の姿も見られる)の様子や、
陸戦訓練をする辻堂の風景、父親が働くようになった
海軍工廠の様子などを見ることができますし、なんといっても、
この映画のシチュエーションをほとんど流用して作られた、戦後の
「海軍特別年少兵」と比べて鑑賞されるのもまた一興かもしれません。

 「ビロウ」Below
潜水艦ホラー

「呪いの潜水艦」

2022年の夏、わたしのアメリカにおける最も重要なイベントは
シカゴ空港から目的のピッツバーグまで車で移動しながら
途中の、主に五大湖沿いにある海軍遺跡を訪ねることでした。

そして、何を隠そうその壮挙を思いついたきっかけは、
他ならぬこの二流ホラー潜水艦映画を観たことに始まります。

映画に使われたのが、ミシガン湖沿いに展示されている
第二次世界大戦のガトー級潜水艦「シルバーサイズ」であると知り、
ピッツバーグに縁があるうちにチャンスがあればそれを観てみたい、
ついでに五大湖の海軍博物館をしらみつぶしに訪ねたい、
とひそかに野望をつのらせていたところ、願いが聞き届けられたのか、
夏の渡米のとき、シカゴからピッツバーグまでの便が取れなくなりました。

これはもう、五大湖ネイバルミュージアム巡りをせよという、
東郷平八郎閣下のお告げに違いない。

その結果、思ったよりたくさんの博物艦をめぐることができ、
わたしはそのアイデアをくれたこの映画には感謝しています。

ストーリーは、病院船をドイツ軍艦と間違えて撃沈してしまった
アメリカ海軍の潜水艦幹部が、その事実を隠すために
よりによって艦長を亡き者にしてしまうのですが、
病院船の生存者である女性看護師とイギリス人船員、そして
病院船に乗っていたドイツ兵士を救出し乗艦させたときから
不思議な霊的現象が相次ぎ、幹部が一人ずつ謎の死を遂げていく中、
潜水艦は撃沈した病院船の沈没地点に引き戻されていくというものです。

「見える敵と、見えない敵」

主人公のオデール少尉は、潜水艦の幹部たちが艦長を殺害した経緯を
哨戒に最初から乗っていたはずなのに全く知らないという設定で、
このプロットの穴はいくらなんでも変すぎないか、と
わたしは非情にもブログで突っ込みまくりました。

アメリカ海軍の当時の潜水艦の哨戒について知識があれば、
艦長が死亡したのに潜水艦が帰投せず平常任務を続けるのも、
ましてや哨戒途中で少尉だけが乗り込んでくるばかりか、
艦長の死亡についてなにも聞いていない、
なんてことあるはずないとわかるはずです。

この不思議な状況設定について、わたしは、
「外から乗り込んできた女性看護師だけでは主人公として弱い」
ことから、アメリカ軍側に「謎を解く係」としての主人公を
なんとしてでも一人据えたかったからだと決めつけてみました。

おそらくこれは当たっていると思います。

そして、潜水艦を病院船の沈没地に呼び寄せたのは、
果たして艦長の霊だったのか、ということについても考察してみました。

ちなみに本作をきっかけに見学を果たした「シルバーサイズ」シリーズは、
まだしばらく続きますので、どうぞお付き合いください。(宣伝)

■ 「世界大戦争」
日本版「渚にて」 核世界終末もの


1961年(昭和36年)、当時冷戦から宇宙戦争へと緊張する米ソ間で
「U-2撃墜事件」などが起こり、核戦争への懸念が起こっていた頃、
その不安に乗じるように創作物を通して終末思想が語られました。

1960年にはオーストラリアを舞台とした「渚にて」がヒットしましたが、
この作品はその舞台を日本にしてもっと派手にやってみました風味です。

のみならず、当時の大手映画会社はこぞって似たような終末ものを製作し、
民心を不安で煽り立てるようなあざといマネをしていました。

本作では米ソと具体的な国名はなく、「連邦国」「同盟国」と称され、
わかりにくいのですが「連邦国」が西、「同盟国」が東側となります。

西側潜水艦が東側海域で哨戒中拿捕されたことをきっかけに、
地中海沿岸で両側の小さな衝突が頻発し、
それがどんどん拡大化してついには核戦争に・・という設定です。

戦後の混乱を逞しく生き抜いて、これから幸せを掴もうとする
運転手(フランキー堺)一家、その娘と彼女の婚約者である航海通信士、
彼の船の給仕長(笠智衆)の娘が保母を務める保育園の子供や関係者、
そんな市井の善男善女の日常を描きながら、その生活が
ある日終焉を迎えてしまうまでを描きます。


映画は軍事衝突にもリアリティを持たせるべく、
各方面の軍人たちがどのように最終衝突を回避するかを描きます。

二日目の挿絵では、皆瞬間しか登場しなかったものの、
展開を盛り上げた各国の軍人たちを描いてみました。

左から同盟国ミサイル基地司令、自衛隊司令、
左下西側国日本基地司令、在日ミサイル基地司令の面々です。

ざっと終末=人類滅亡に至るまでを箇条書きしておきます。

西側ミサイル潜水艦が東側海域で拿捕される

地中海沿岸で軍事衝突が起こり軍用機が撃墜される

西側ミサイル基地(在日本)に大陸間弾道ミサイルが導入される

東側、偵察によってそれを察知、対抗するためミサイル発射準備

西側基地で核ミサイル発射命令が降るが間違いとわかり寸前で中止

朝鮮半島38度線で軍事衝突

東側国、氷山で核弾頭実験していて雪崩でショートし、起爆装置稼働

東側基地司令、命懸けで配線を遮断し発射を寸前で中止

38度線で一旦停戦

と思ったらベーリング海でF戦闘機とMok(MiGのこと)が交戦

世界各地でここぞと紛争が顕在化 おおごとに

いつのまにか世界中で核爆弾を発射する流れに

東京の中心部にどこからか核ミサイルが飛んでくる

核発射に対する報復が始まり、世界壊滅←いまここ


途中まではままあるというかいい線いっていたのに、
世界各地の暴動が起こった後、あっちこっちが核を発射する、
という流れがなんとも映画的かつ非現実的です。

それを決定する大元である国家の中枢部が日本国以外全く登場せず、
一体誰がいつどんな結論で核のボタンを押したのか、
説明されないままというのが、詰めの甘い脚本だとしか思えません。

まあしかし、それもこれも、映画ではとにかく
「地球最後の日の市民の姿」を描くことを目的としていたので、
その辺はむりやりそうなったことにしているわけですね。

「人類最後の日」

人類最後の日、運転手フランキー堺の高野家では
晴れ着を着てありったけのご馳走を作り、
日常をすごしながらその瞬間を迎えようとします。

最後まで「核を受けた唯一の国日本は核保有の反対を訴える」
とこの後に及んでそれしか結論が出なかった日本国政府の長、
総理大臣山村聡は、国会議事堂で一人閣議室の丸テーブルにに座っています。

笠智衆の娘の保育園長は、子供たちを寝かしつけ、
自衛隊のミサイル防御基地では、モニターを全員が凝視しながら
各々の配置についたまま、そして、
航海中だったため無事であった高野の娘の婚約者の船は、
(ちなみに船長は東野英治郎)壊滅した故郷、日本に向かいました。

家族と愛する人とともに、祖国の土になることだけを目的に。


このエントリ内でも、当時発生したばかりだったウクライナの戦争について
取り上げましたが、年を越した今現在も、それは終わっておりません。

映画では、全ての軍人たちが核戦争を回避するために
東西のいずれかにかかわらず努力をする姿が描かれており、
この世に戦争をしたい人などいないということを強調していましたが、
それでも起こってしまう戦争ってなんでしょう、
と当たり前の疑問をぶつけてみました。

ネットなどでは第三次世界大戦などという言葉が散見されますが、
それが絶対に起こり得ないことだと誰にも言えないのももどかしい現実です。



続く。




令和4年度掲載映画ギャラリー その1

2023-01-04 | 映画

しばらくMKが帰国してお出かけが続きブログに手をつけられず、
間が空いてしまいましたが、恒例のお絵描きギャラリーをやります。

平成4年は、実質わたしもイベントで外に出ることがなく、
おうち時間を満喫したといってもいいかもしれません。

よかったことは、特に食事をいろいろと見直し、
ドックを受けたりその結果を受けてメンテナンスしたりと、
健康に留意する機会になったこと、そして
時間があったので映画のブログをたくさんアップできたことです。

それでは、例年通り一昨年の12月掲載分からです。

「太平洋機動作戦」Operation Pacific
ジョン・ウェイン出演 第二次世界大戦潜水艦エピ紹介映画

その1

2011年の12月にはなんと2本映画を紹介していました。
そのうち一つがジョン・ウェインの海軍もの、
「太平洋機動作戦」Operation Pacificです。

ウェイン出演の戦争映画の邦題は似たようなものが多くて、
紹介しておきながらその邦題を忘れてしまうことが多いのですが、
この作品も少し経つと題名を忘れてしまいました。


有名な戦時中のエピソードや実在の人物を彷彿とさせるのは
戦後のアメリカ戦争映画あるあるですが、この映画は
負傷した自分を置き去りにして艦を潜航させよと命じた
潜水艦USS「グラウラー」のハワード・ギルモア艦長のエピソードが登場し、
さらには潜水艦USS「クレヴァル」がネグロス島から女子供含む
一般人を収容して脱出したという実際の話が織り込まれています。

後半には、有名な「信管不発問題」を海軍一丸となって解決した、
あの「日本軍艦花魁事件」も登場します。

映画ではジョン・ウェイン扮するギフォード副長に対し、
左下の「パップ」ペリー中佐が潜水艦「サンダーフィッシュ」の艦長で、
この艦長が日本軍との交戦で傷ついた自分を放棄して

「Take her down!」

と艦を潜航させる命令を下すという展開です。

”Take Her Down!”

映画によってその時の気分で絵のタッチを変えていますが、
この度もアメコミを意識して描線多めで描いてみました。

これは、「サンダーフィッシュ」が、かつて「グラウラー」と
日本の「早埼」の間でも起こったように、艦体をぶつけ合った
(実際は突撃してきたのは『早埼』の方だった)
という史実をベースにしており、この場合、彼が主人公なので、
敵への突撃を、自ら艦橋に立って(まぢかよ)命じているシーンです。



また本作ではサイドストーリーとして、ウェインとかつて夫婦だった看護師、
メアリー・スチュアート中尉との絡みがあります。

二人はかつて愛し合って結婚したのですが、ギフォードの多忙が続き、
そんなときに最初の息子が生まれてすぐ亡くなってしまいます。
それがきっかけで二人は離婚してしまうのですが、
実はお互いを(特に男の方は)忘れられない・・・という状況です。

そうはいいつつ、メアリには新しいパイロットの恋人がいて、
ウェインの方はなんとか彼らの仲に割り込もうと必死。

航空と潜水艦は微妙に仲が悪い、という
世界共通の認識をここでもうっすらと思い出させる設定です。

乗員が「デスティネーション・トーキョー」を鑑賞するシーンがあります。
ケーリー・グラント主演の有名な潜水艦映画で、公開は1943年でした。

現在進行形で紹介している潜水艦「シルバーサイズ」で実際に起きた、
哨戒中、突如虫垂炎を発症した乗員を薬剤師がオペする、
というエピソードが盛り込まれているということを知り、
わたしもこの映画を当ブログでも紹介したくて探したのですが、
日本では公開されていないせいで、DVDも輸入するしかないようです。


それはともかく、劇中、潜水艦副長であるウェインが、
この映画を観た若い通信士官にどうだった?と聞くと、

"Oh, all right I guess, sir...
the things those Hollywood guys can do with a submarine."
(ハリウッドスターが潜水艦でできること、って感じですかね)


と本職ならではの感想を漏らすのですが、のちにこの士官が、
実際の戦闘に遭遇し、周りを敵艦に囲まれて思わず、

「俺もう一生ハリウッドの戦争映画バカにしねー」

と呟くのが個人的にツボでした。



「Uボート 最後の決断」In Enemy Hands
潜水艦ファンタジー「呉越同舟」


”Meningitis"(髄膜炎)


久々に映画として楽しめた戦争映画でした。
「Uボート 最後の決断」の原題は、イン・エネミー・ハンズ=「敵の手で」。

もうタイトルでネタバレもいいところですが、何かの弾みで
Uボートに呉越同舟することになってしまった独米サブマリナーが、
敵と手を取り合って難局を脱しようとするという話です。

どうしてそんなあり得ない状態になったかというと、
まずアメリカ側のUSS「ソードフィッシュ」の副長が髄膜炎を発症。
そのうちそれがUー429と遭遇し、新米艦長の指揮する米潜水艦は撃沈。

”Laconia-Order"


米潜の面々が捕虜にされ、Uボートに連れ込まれてしまうという展開です。

そもそも狭いUボートに捕虜を収容するという展開からして
ありえないわけですが、そのありえなさを、かのデーニッツが発布した
「捕虜救助禁止令」ラコニア令を歴史的に紐解きつつ、説明してみました。

繰り返しになりますが「ラコニア事件」とは、1942年、
大西洋西で沈没したRMS「ラコニア」号の生存者を救出した
ドイツ軍のUボート3隻が、赤十字の旗を立てて、
連合軍兵士と多くの女性子供が乗っていることを示していたにも関わらず、
米軍のB-24リベレーターの爆撃を受け、そのほとんどが死亡した事件です。

これに激怒したデーニッツは、

「今後沈没した敵船の生存者を救出する努力を禁ず」

という「ラコニア令」をドイツ海軍全軍に布告しました。
(映画では事実をぼかして、これがヒトラーの非情な命令だったとしている)


しかし、この映画は「呉越同舟」の状況ありきなので、
あえてそれについては触れずに、Uボートに米軍を救出させています。

しかも、この設定にこだわるあまり、
なぜUボートの艦長が上の命令に逆らってまで捕虜を取ったのか
最後まで全く説明されません。


その後、米軍側がUボートに持ち込んだ髄膜炎は瞬く間に蔓延し、
ドイツ軍は壊滅状態に。

もはやこれまで、とドイツ側艦長は、乗員の命を救うため
アメリカへの投降を決意し、さらに米潜メンバーに
操艦を共同で行うことを提案するのでした。

その後はもうご想像の通り、別のUボートに裏切り者として攻撃されたり、
米駆逐艦からも攻撃されるはめに。

しかし波瀾万丈の展開を経てなんとか終結します。

”In Enemy Hands"


映画の非現実的でツッコミどころ満載の設定はともかく、
この作品の扉絵を作成するのは、とても楽しい作業でした。
個性豊かで男前な米独サブマリナーたちは、
その衣装を含め、たいへん描きがいがあったといえます。



「太平洋航空作戦」Flying Leathernecks
赤狩りの中生まれた朝鮮戦争戦意発揚ウェイン映画

前編

当時アメリカの映画界に吹き荒れた赤狩り旋風で、
制作側は露骨な踏み絵を映画関係者に踏ませました。

その一例が、

「わたしは共産主義者と結婚した」

という映画の監督のオファーを断れば、アカとしてブラックリスト入り、
というようなあからさまなやり方でした。

本作の監督、ニコラス・レイは超のつくリベラルであり、
この面白くなさそうな映画の監督を拒否しましたが、
ブラックリスト入りを見逃してもらう代わりに、罰ゲームとして?
この国策映画のメガホンを取ることになったと言われています。



レイはウェインに対抗させるため、あえて彼と対立する部下役に
リベラル俳優ロバート・ライアンを配しましたが、
蓋を開けてみると全く問題は起こらず、映画の撮影はスムーズでした。

彼らは政治的な立場を脇に置いて、プロとしての仕事をやり遂げたのです。

この映画は、日本語字幕をつけられたバージョンでは、
収録時間の関係で大事なところがあちこちカットになっており、
さすがはリベラル監督というのか、セリフも複雑で通り一遍ではないので、
実際の脚本を見ると、原語で試みられていた深い会話が
ことごとく台無しになっているのがなんとも残念に思われました。

翻訳の限界はたいていの外国映画に共通する宿命ですが、この作品ほど
日本語訳で観た印象と実際がかけ離れていると思ったことはありません。

それはほとんど原作の冒涜に値する思うほどでした。


ジョン・ウェインの戦争ものでは、だいたい彼の演じる軍人は
彼の見た目よりかなり若い年齢が就くべき階級ですが、
これもある意味ウェインものの宿命と言ってもいいかもしれません。

彼のモデルはカクタス航空隊のジョン・スミス少佐ですが、
当時38歳だったスミスを演じるには、ウェインは老けすぎでした。

実際の年齢の44歳より明らかに彼は老けて見えるくらいです。


ストーリーは、海兵隊の前線部隊に赴任したウェインが、
部下に慕われ次期隊長を目されていた副長の上に立ち、
彼にダメ出しをしながら指揮官とは何かを叩き込むというもので、
その間に彼らの部隊のパイロットは、いろんな理由で戦死していきます。

そして部下たちも、副長のグリフも、仲間の戦死を通じて、
戦地の過酷な現実と、戦争という任務の遂行には、
時として非情にならざるを得ない司令官の宿命について、
その真実を目の当たりにすることになるのです。

帰国してまた前線に戻ったカービーは、
同じ部隊の指揮官として日本軍との死闘に臨みますが、この戦いで
副長のグリフは作戦成功のために部下を見捨てるという辛い経験を強いられ、
今度こそ上に立つ者の苦悩を思い知るのでした。

中編 
後編

最後にカービーは、自分の後任として隊長に推薦したグリフに、
初めて司令官としての本音と真実、そして自らの苦悩を告げ、
戦地を去っていきます。

翻訳と大幅なカットのせいで外国人には本当の良さが分かりにくいですが、
アメリカでは大変高い評価が与えられている戦争映画です。


続く。



新年あけましておめでとうございます〜京都と靖國神社

2023-01-02 | お出かけ

前回のブログのタイトルで思いっきり年号を間違えておりました。
いやはや、もう令和になって5年目ですか。
体感的には?今年4年目くらいがちょうどだと思っていたのですが。

と、新年早々言い訳から始めてしまいましたが、
みなさま、明けましておめでとうございます。
今年も精進して参りますのでご指導ご鞭撻よろしくお願い申し上げます。

今日は年末の京都旅行の続きからご報告です。



京都人はパンとコーヒーを特に好むことで有名です。
学生街でもあることから喫茶店文化が根付いている土地であり、
昔から老舗の珈琲店には一杯のコーヒーで何時間も過ごす
大学生の姿が京都らしさでもあったわけですが、
古いものだけに固執するばかりが京都ではありません。

おそらくスターバックスが登場した時も、そして
ブルーボトルコーヒーがサンフランシスコからやってきたときも、
京都にはそれを受け入れて取り入れてきました。



前回の京都で南禅寺のブルーボトルコーヒーに行き、
ここでも紹介しましたが、今回は京都に3店舗あるといううちの
もう一軒の、烏丸三条駅近の六角カフェに行ってみました。



ここも京都ならではの町屋の半分を改装して2階をカフェにしています。

写真を見ればわかりますが、建物の半分は自転車屋さんで絶賛営業中。
自転車を売ったり修理する以外にレンタルが中心みたいですね。



ドキドキするくらい古い自転車が、ブルーボトル側の外壁に。

辻森自轉車店
TEL(22)5732番


という宣伝のためのプレートはこの轉という字から判断するに
当用漢字制定の1946年以前のものだったことがわかります。
タイヤは劣化して全体が泡だったようにブツブツしています。



土壁をむきだしてそこにブルーボトルのマーク、
この手法は南禅寺の同店にもみられたものです。


マイナーフィギュアズ製オーツを使ったラテは、
ハートの尻尾から吸い込んでいくように飲む仕掛け。

人大杉以外はとてもいいカフェでしたが、残念だったのは
トイレがひとつしかなく(狭いから仕方ないですが)、
その使用法が日本と違う国からきた観光客のせいで、
視覚的にも嗅覚的にも不快な思いをさせられたことでした。

オシャレなお店的にはやりたくないかもしれませんが、
これはやっぱり中国語か図解で使い方を掲示するべきでしょう。



京都最終日はもはや定宿と言っても過言ではない祇園の料理旅館に宿泊。



TOは京都での仕事での会合や懇親会など食事の利用は続けていましたが、
わたしは久しぶりの宿泊となります。


お部屋は最近家族で来ると必ずチョイスする別館です。
本館とは川と道ひとつ隔てたところにあります。


お正月を迎える床の間の掛け軸は可愛らしい寿老人で、
その下には小槌の飾りがあしらわれていました。



到着するとまずお茶とお菓子でもてなされます。
この日は抹茶の味がなんとも京都らしいあんこ餅でした。

チェックアウト時間と朝食時間のご案内も
女将手書きで和紙に書かれているのが「ここ」らしさ。



夕食は、ちょうどアメリカから観光に来ていた
MKの友人二人を招いて本館でいただくことになりました。



彼女ら同士はサンマテオの高校の同級生だったという関係。
一人はMKと同じ大学院工学部で知り合い、もう一人はシカゴ大学を出て
シアトルにある、誰でも知っているビッグテックカンパニーMで
コンピュータ技術者として働いています。

日本ではわざわざ工学部に枠を設けて増やそうとしているリケジョですが、
アメリカでは普通に「いるところにはいる」んだなあとしみじみ。

それどころか、MKによると、彼の大学院には、
リケジョかつオリンピック選手、いう人がいるそうで、
アメリカ人としても背が高く目立つ人だなあと思ったら、
オリンピックで金メダルを取った水球の選手だったということです。

Mackenzie Wiley



夕食会場は昔わたしの姉妹が泊まったことのある部屋で、
妹が撮ったこの庭に板前さんらしき人影が写っていました。

今回初めて女将にその話をしてみたら、

「はあ・・先代も先先代もまだ生きてますし、
それより前の板前やったとしても多分わからしまへんやろなあ」

と言外に物怪の類の存在を否定されました。
うーん、このかわし方、さすが祇園の女将。



さて、見た目は日本人ぽいがアメリカ人二人を加えた夕食会、
八寸は干し柿にカラスミ大根、ホタテのスモークなどを
名前は忘れましたが柑橘類の皮の入れ物にあしらったもの。

配膳の女性は、さすが世界的に名前の知れた料亭に勤めるだけあって、
メニューを全て英語で説明していきます。



メインの焼き物は最初カニと伺っていましたが、
MKが肉の方がいい、といったのでステーキになりました。

なんでも「幻の京都牛」をバルサミコ酢で味付けたものだそうで。
たいへん心苦しかったのですが、わたしには全部食べられませんでした。


本当の?メインはフグ鍋で、中居さんはこれを、

「フグは日本語のハピネス=フクと発音が似ているので、
おめでたい席には登場します」

といいつつ、フグの毒は免許のあるシェフによって完全に取り除かれている、
と外国人の心配を和らげることも忘れていません。

ところがそこで、TOが、

「いや実は本当に美味しいのは毒のあるところなんですよ」

などと言い出すので困惑するアメリカ人女子(笑)
ややこしいグルメ知識を外人に垂れ流すのやめれ。

写真はフグを食べた後のお出汁に柚子を投入した雑炊です。


次の朝、朝食までの時間鴨川を散歩しました。
冬の朝の京都はきりりと冷えた空気がまた一段とよろしおすなあ。
と思いながらテクテク歩いていると、携帯に電話が。



朝食の時間を30分勘違いしていました。
慌てて宿に帰り、カウンターでの朝食に加わります。



ご飯は普通とお粥から選べます。
だし巻き卵は卵3個は余裕で使ってそうなボリュームでした。



部屋に帰ると、女将からのお手紙が。

今回の関西旅行、TOが「腰が痛いから」と新幹線で行ったため、
わたしとMK二人で音楽を聴きながら楽しくドライブで往復しました。

おりしも巷では帰省ラッシュが始まっていたので心配しましたが、
少なくとも出発してしばらくは快調に進みました。

しかしやはりそのまま順調に行くわけもなく、
昼過ぎに新東名で事故が起こり、あっという間に渋滞が12キロに。

車のナビ(愛称ルードヴィッヒ)が提案するまま、
芦ノ湖をながめる湯河原と箱根の山道をうねうねと進み、
さらにルードヴィッヒの道案内で平塚市の海の見える道を通って
予定より2時間近く遅く自宅に帰りつきました。



女将の手紙に「富士山が見えるとよいですね」とありましたが、
新東名を走っているとこれでもかとその姿を眺めることができました。



大晦日、MKはお嬢さんたちと1日「日本観光」に出てしまいましたが、
日付が変わる頃明治神宮で並んでいる写真を送ってきて、
変わった瞬間「あけおめー」と電話してきました。

初詣が済んだ後は彼女らのホテルのソファで寝たそうです。

と言うかこの写真も外人さんが多いね。



さて、2023年、令和5年が明けました。
わたしはコロナ禍と渡米で行けなかった靖國神社に初詣に行きました。

行動制限が解かれた久しぶりの元旦となったわけですが、
明らかにその前とは人出が少なくなっている気がします。



それでもたくさんの参拝客が列を成して神前に出るのを待っています。



前回から大きく変わっていたのが手水のしくみでした。
柄杓をとって手に掬い口に含んで出す、という方法ができなくなり、
竹筒から流れ出す水で手を洗うだけになりました。
疫病蔓延を防ぐため、口に含むのは禁止です。



しかし上を見ると、手水の正しい作法が図解で記されているのであった。
これをそのまま置いているということは、
いつか従来の方法に変わることもあるということかな?



昇殿参拝を申し込みましたが、やはり人は例年より少なめでした。

昇殿の時間になるまで、申し込んだ人はお金を払い、
神主の祝詞で読み上げてもらう名前を記述して、
あとはお茶などいただきながら床暖房の効いた快適な待合室で待ちます。

わたしの後ろには女二人、男一人の3人グループがいましたが、
そのうち一人の女性(おそらく二十歳くらい)が、モニターを見て、

「英霊って何?」

と発言したのにはたまげました。

大人になるまで英霊を知らずに生きてきた人も世の中にはいるでしょうけど、
問題は、英霊という言葉を知らない人が、なぜここにいるかって話です。

彼女の言葉に、男性が、

「戦争で亡くなった人のこと」

といったあと、ちょっと取り成すように、

「こういうところに来ると、やっぱりそういうこと考えるよね」

と言ったのですが、それに対し、彼女が言い放ったのは、

「わたしそういうのあんまりー」

という言葉でした。(二人はそれに対し無言)

「そういうのあんまりー」な人がなぜここ靖國神社にいるんだろう。
しかもお金を出して昇殿参拝しようとしているんだろう。

とつぜん前の席から振り向いて、

さて、ここでクイズです!
今あなたがいる神社の御祭神は、次の三つのうちどれでしょうか?
1、英霊、2、明治天皇、3、お狐様」


とか言ってやろうかと思いました。言いませんけど。



元旦は6時で早々と参拝を終了です。
福引も今年は行われていませんでした。


参道はいつの間にか整備されて新しい休憩所ができ、
突き当たりの広場には出店のコーナーになっていました。

休憩所兼レストランでは、「鳥濱トメさん(特攻の母)の親子丼」
などというメニューもいただけるということです。



MKはというと、元日を友達と遊び倒したようです。
六本木ヒルズの展望階から元旦の夕日を楽しんだり(冒頭写真)
今ヒルズでやっているアニメ展などを見たりと。



夜になってヒルズにMKを迎えに行き、3人で家に戻りました。
ヒルズ横のけやき坂では、名物ライトアップに多くの人が集まっていました。

皆様はどんな年の初めをお迎えになったでしょうか。







令和四年最後の京都旅〜無鄰菴と龍安寺

2022-12-31 | 日本のこと

いつの間にか令和四年最後の日になりました。

前回から我が家の年末旅行についてゆるーく語っています。
いつもはお正月に旅行をすることの多い我が家ですが、
今年はMKの学校の始まりの関係で年末に出かけることになりました。

泊まりたいホテルはお正月はもう予約いっぱいで、
さらにどこもお正月特別料金で高いという理由もありましたが。



旧任天堂本社ビル跡の丸福楼ホテルをチェックアウトし、
次のホテルにチェックインするまでの時間、
山縣有朋の京都での住居跡、「無鄰菴」(むりんあん)に行ってみました。

山縣有朋は長州出身の明治政府の立役者で二度内閣総理大臣を務め、
日本陸軍の中心人物として軍備の充実にも携わった政治家でしたが、
趣味人でもあり、築庭においてはここ無鄰菴だけでなく、
今ホテルとなっている東京目白の椿山荘他の庭にも関わったそうです。



まずは山縣有朋閣下が京都滞在の時に生活していた家屋部分から入ります。
靴を脱いで上がると、その後ずっとその靴を入れたビニール袋を持ち歩き、
帰りも捨てる場所がないので持ち帰らなければなりません。

1986年に完成したという家屋は、120年近くの時を経て木が歪み、
完璧にパースがあちこち狂っていました。



四角い坪庭を四方から眺めることのできる回廊式の作りです。



10分間の解説とお茶菓子というコースを申し込みましたが、
始まるまで時間があったので先に庭を見学しました。



かつては生い茂っていた木が朽ちて、残るは石の柵のみ。
このような時の流れを感じさせずにいられない遺構にこそ心惹かれます。

この庭を手がけた庭師(7代目小川治兵衛)は作庭家として有名で、
解説によるとその当時まだ30代だったということです。

若いですが、昔は修行を始める時期も早かったため、
小川治兵衛が襲名したのはまだ19歳のときといいますから、
30代は庭師としてはむしろ脂の乗り切った時期だったかもしれません。



庭の一角にある煉瓦造りの洋館に要人との会見が行われる部屋がありました。

日露戦争開戦前の1903年(明治36年)4月21日、ここで行われた
「無鄰菴会議」では、元老山縣有朋、政友会総裁伊藤博文、
総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎
の四人が
その後の日本の方針について会議を行なっています。

洋館が完成したのは、このわずか5年前だったということです。

そんな重要会議を行なったにしてはあまりに小さな椅子とテーブルですが、
まあ本当にこの家具が使われたかどうかについてはわかりません。

当時、ロシア帝国は強硬な南下政策をとっており、桂は、

「朝鮮における日本の権利をロシアに認めさせる、
これを貫くためには対露戦争も辞さない」

という方針に対する同意を伊藤と山縣から取り付けようとしたのです。
この時に決定し御前会議に出された方針は以下の通り。
  1. 露国が満州還付条約を履行せず、満州より撤兵しない時には抗議する

  2. 満州問題を機として、露国と交渉を開始し、朝鮮問題を解決する

  3. 朝鮮問題に対しては、我が優越権を主張し、一歩もロシアに譲歩しない

  4. 満州問題に対しては、露国に優越権を認め、朝鮮問題を譲歩させる

国内には当時すでに「露国討つべし」の世論が高まっていましたが、
元老と政府首脳陣はまだ外交交渉によって戦争を回避しようとしていました。



こちらは山縣有朋愛用の書見台付き椅子。


こちらの長椅子、家具も本物。
カーテンは長さが合ってないし多分後からつけたものではないかと。



石炭式のストーブも本物です。

京都の底冷えする気候にあって、石造りの洋館の床は
靴を脱いで歩いていると、まるで氷を踏み締めているようでした。

「ストーブを焚いたくらいじゃ意味なかったかもね」

というと、

「さすがに靴履いてたんじゃない」

とMK。
そりゃそうだ。
このときの無鄰菴会議のメンバーにしても、


当時総理の桂太郎はドイツ留学経験者


小村寿太郎はハーバード大学に留学


ご存じ長州ファイブの一人だった伊藤博文はイギリス留学(後列右)

山縣有朋も西郷従道と一緒に海外留学をしていますから、
洋館では普通に洋風の慣習に倣い靴を履いていたことでしょう。



お庭を見ながらガイドの説明を聞き終わったあとは、
カフェで抹茶とロシアケーキをいただくという趣向です。

このロシアケーキですが、ケーキと言いながらどう見てもクッキーです。
Wikipediaによると二度焼きしたクッキーにジャムなどを塗ったりしたもの、
ということで、ロシア人の洋菓子職人が伝えたという以外ロシア要素なし。

ロシア人もロシアケーキの存在は知らないだろうということです。
イタリア人がナポリタンを知らないみたいなもんですかね。



この日の宿泊は岡崎にできたホテルオークラです。

卯年を迎えて盛り上がる岡崎神社(狛犬ならぬ狛ウサギがいる)の横にあり、
丸福楼と祇園白梅の「つなぎ」として二日目に予約したのですが、
予約後になんとこのホテル駐車場がないことを知りました。

「車で来た人はどうするの」

「近くのコインパーキングに停めてくださいだって」

「それは・・・珍しいホテルだね」

写真はホテルのエントランス、車寄せというところですが、
普通のホテルにある地下への通路などは無論ありません。

ホテルマンは車から荷物を下ろすのを手伝いますが、
客がその後自分で車を外に停めにいくのを黙って見送るのみ。

しかも、岡崎神社前のコインパーキングは年末年始特別料金で
40分六百円という謎の料金設定となっており、
ホテルはパーキングとの提携は一切していないようでした。

つまり、土地が貸借地で、地下を掘ることができず、
しかも景観規制で3階以上の高さにすることもできないので、
何を削る?そうだパーキングだ、ということになったようです。
知らんけど。

いやそもそも何だってそんな条件の土地にオークラなんぞ作ったかな。
と最初から最後まで不思議で仕方ありませんでしたが、
今にして思えば、車を持たない外国人観光客をターゲットにしたのでしょう。

その後コロナのせいで全てのアテが外れ、現在に至ると。


エキストラベッドを入れると、もうほとんど足の踏み場なし。

窓の外はバスが通る道に面した低層だし、
照明は洗面室もどの鏡の前も真上から強烈な光がまっすぐに落ち、
顔に濃い影を作って誰でももれなく凶相に見えるという仕組み。

少なくともこの部屋の設計者は、間接照明で人の顔を綺麗に見せる、
などという気遣いの感性を全く持たなかったに違いありません。



窓の外の眺めはほとんど東本願寺岡崎別院の借景です。

このホテルのオークラブランドとしての売りは何、
と思わず問い質したくなっていたわたしですが、
アメニティはバムフォードだし、スイートルームなら庭に向いていて、
シモンズベッドで快適だしと、サービスそのものは悪くはありません。



朝食はさすがのオークラという豪華さ(入れ物が)でした。
これはアメリカンブレックファストで、
和朝食みたいなお膳風の木の重箱に並んだものが出てきます。

わたしはポーチドエッグを頼んだのですが、間違えて茹で卵が出てきました。
面倒なので黙って出てきたものを頂きましたが。



この頃、京都はどこも人がいっぱいで、夕食の予約に苦労しましたが、
なんとかおなじみの鶏料理八起庵のカウンターを取ることができました。



鶏料理の梅コースには、鶏南蛮の小鉢が付いてきます。
コースの最後には小さなご飯の卵かけご飯が食べられるのですが、
わたしはパスし、TOとMKは頂いていました。

店主の名物親父さんは、TOが京都に行くたびに寄るので、
MKが留学していることも知っていて、奥から出てきたとき、
アメリカで日本食を食べたりするのかと聞いて来られました。

MKが、美味しいのは高いしたいてい美味しくない、というと、

「昔アメリカに店を出すのに憧れて、伊藤忠が話を持ってきた時
その気になったんんですが、結局出しませんでした」

と言っておられました。
向こうで鶏肉を扱うのが難しかったというのもやめた理由の一つだったとか。

確かに、京都で丹波鶏を使って作るからこそこの味になるのであって、
向こうで同じ味を再現しようと思ってもまず鶏が違うし、
輸入したら採算の点でいろいろと障害がありすぎたかもしれません。



MKが、「日本の作務衣風のジャケットが欲しい」と言い出したので、
京都ならそういうのもあるかも、とネットで調べてお店を回りましたが、
彼がアメリカで見つけたようなフュージョンっぽいものではなく、
お寺さんの御用達の作務衣を売っているところばかりでした。

何軒か見て諦めたところで近くに龍安寺テンプルがあったので、
一度も見たことがないというTOとMKのために行くことになりました。



いつ来ても、その割にあまりに小さいので軽く驚きます。
幅25メートル、奥行き10メートルですから実際にも小さいのですが、
そこに配置された15個の石による枯山水は、その広がりが
世界の思想家に小宇宙を感じさせるとまで言わしめました。

この石庭は、どの位置から眺めても必ずどこかの1つの石が見えません。
これはある石に別の石が重なるよう設計されているからです。


腰掛けて庭を眺めることができるように、
縁側には一段低く足を置く場所が設けられています。

この日もいろんな国の人々が思い思いに時間を過ごしていました。


前に来た時には世の中に存在していなかった携帯でパノラマ写真を撮る。
確かにこれで確かめても、一番西側の島にあるはずの3個のうち
1個の石がどうしても見えません。

ちなみに、左から石の配列は、5、2、3、2、3だそうです。



石庭を臨む座敷に展示されていた古文書は、
それぞれが龍安寺について言及されたものとなっています。



知足の蹲踞(つくばい)と呼ばれるものです。

-蹲踞は茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢のことで、これは
水戸藩主徳川光圀の寄進によるもの(の精密なレプリカ)です。

蹲踞の上部に「五・隹・疋・矢」という文字が四方に書かれ、
これに四角くくり抜かれた水溜めを「」編と見立てると、それぞれの字が

「吾」「唯」「足」「知」

となります。
この4文字をつなげて、

「吾れ唯だ足るを知る」

と読むのだそうです。



順路に従って池に沿って庭を左回りに回っていくと、
納骨堂と「パゴダ」が現れます。

「ビルマ派遣軍自動車廠戦没者英霊の碑」

と案内がある石段を上がっていくと、パゴダは現れます。
パゴダはビルマ風の名前であり、実際にもビルマ風です。

「先の第二次世界大戦にてビルマ派遣軍自動車廠参戦した
龍安寺第58代松倉紹英住職等の発願により
尊い生命を捧げた亡き戦友達の慰霊の為に
無事復員した戦友一同の募金により
このパゴダが昭和45年8月に建立された」


とパゴダには記されています。

どこを見てもこれ以上の説明はどこにもありませんので、
書かれている通り、龍安寺の住職が出征し、無事に帰国してから
龍安寺の境内に戦友の霊を慰めたい、という思いから
ここに納骨堂を建立する運びになったものでしょう。




こんな立派な納骨堂もありましたが、
関係者以外は立ち入り禁止とされていました。




それではみなさま良いお年を。



任天堂旧本社社屋跡 丸福楼ホテル@京都

2022-12-29 | お出かけ

よこすかYYのりものフェスタシリーズも終わりましたので、
今日は我が家の年末についてゆるくお話しします。

ようやく空港で長時間足止めされたり、バスで遠隔地に拉致されて
そこで隔離されたりするようなことがなくなったので、
クリスマス休暇にMKが帰国して以来の家族イベントです。



と言いながら全く関係ない歯医者からの帰りに撮った写真。
イタリア街のアクセサリー屋さんで、いつ通り掛かっても
営業しているのかしていないのか謎のお店でしたが、
先日は店主が膝に矢を受けたらしく休業していました。

MKに画像を見せたら、これゲームからきたミームだよと。

ロールプレイングゲーム「The Elder Scrolls V: Skyrim」の衛兵の、

「昔はお前のような冒険者だったのだが、膝に矢を受けてしまってな...」
"I used to be an adventurer like you. 

then I took an arrow in the knee... "

というセリフからきているのですが、シュールなことに、
スカイリム全土の町々に駐在する衛兵たちは、
全員が全員とも膝に矢を受けて引退した元冒険者であるらしく、
全員がこれをいうのだそうです。

店主、スカイリムの衛兵だったのか。



MKが帰国してすぐ、再会を祝うディナーとして、
たいへん予約が取りにくいと評判のペルー・フュージョン料理、
MAZ(”まず”ではなくマスと読む)に行ってみました。

東京紀尾井町ガーデンテラスの隅っこに、
これでもかとわかりにくいドアが開くと、そこで展開している、
摩訶不思議なペルー料理のお店です。


「東京にいながらにしてペルーの豊かな生態系を料理で体感できる」

がコンセプト。
南米のペルーというところは、日本と違い季節という感覚がないかわり、
アンデスの海中から海抜4000mの標高によって全く違う気候を持ちます。
そのさまざまな生態系を9皿の料理で再現するという試みです。

「何種類ものジャガイモやカカオなどの農産物、
また現地のアーティストがこの店のためだけに作った食器や自然の音まで、
味覚のみならず、視覚・聴覚を用いるプレゼンテーションは、
ペルーの自然や文化、芸術にまで触れることができる新しい美食体験」


ということです。
どの皿も珍しく驚きがあり、しかも美味しいので
ついつい出されたものを全部調子に乗って食べてしまい、
これがわたしには大失敗でした。



最後のカカオやシャーベット、ブリュレなどは、
唯一パスできる「馴染みの味」だったのに、ついこれも食べてしまい、
3人の中でわたしだけお腹が痛くなってしまいました。



別の日。
クリスマスには関西に行くことが決定していたので、
クリスマスのお祝いディナーを早めに、
赤坂プリンス旧館のクラシックハウスで頂いてきました。



メインのステーキを鴨に変えてもらいました。

まわりは一足早くクリスマスを祝うカップルや家族がいっぱい。
クリスマス当日はどうしても一緒にいられないので、
この日にディナーを、という人たちもいたかもしれません。

MAZ以降の食事はかなり量に気をつけたので、
(多そうならそっと家族パスするとかして)
その後腹痛の惨事は起こっていません。

そして、クリスマス当日、わたしは愛車で新東名をかっとばし、
夕方には神戸に来ておりました。



今回の旅行の目的は、

1、MKの学費をプレゼントしてくれたわたしの母にお礼を言う
2、偶然来日しているMKの大学の友人に京都でご馳走する
3、旧任天堂社屋を改装したホテルに泊まる


まずわたしの母からタスク攻略することになったので、
最初に実家に近い神戸オークラに宿泊しました。



関西在住時好きだった懐かしのホテル。
一階フロアにコンビニができた以外、ほとんど変わっていませんでした。



この日はおりしもクリスマスでした。
うちの家族はめったにケーキを食べないのですが、
家族が揃っているクリスマスにはやはり気分として欲しくなります。

そこで、ホテルのベーカリーにケーキを買いに行きました。

これは実は最後の一個で、買いに行ったTOによると、
お勘定をしていたら、うしろから中年のご夫婦がケーキを買いに来て
売り切れましたといわれてがっかりして帰ったということです。

そんなラストワンケーキ、もう筆舌に尽くし難いくらい美味しかったです。
クリームはもちろん、スポンジケーキのとろけるような舌触りは、
3人とも躊躇いなく二つ目をお代わりしたほど。



次の朝ホテルのカフェで朝ごはんを食べました。
しかし、残念なことに昔とても美味しかったコーヒーの味が落ちており、
クリームも、ポット入りの本物でなくポーションに変わっていました。

そこでホテルの近くで見つけたブルーボトルコーヒーに寄ることにしました。

お店は旧居留地(アメリカ大使館)の近くにあり、
となりはヨージヤマモトという、なかなかとんがったビルに入っていて、
当然のように店内はとてもいい感じです。



ブルーボトルコーヒーでオーツラテを注文すると、
わたしが全てのオーツミルクの中で一番美味しいと思っている、
マイナーフィギュアズで作ってくれるのです。

これは銀座であろうが神戸であろうが全て同じ。



昼過ぎに実家に到着し、そこでお礼や近況報告を済ませ、
京都の旧任天堂本社ビルにできたホテル丸福楼に到着しました。

昔、このブログでも京都の町屋ホテルに宿泊したとき、
旧本社ビルの写真をご紹介したことがあります。

その後、プランドゥシーという会社がここを買い取り、
任天堂の遺構としてのイメージを残したホテルを開業しました。



かつてのトランプ・たるか(なぜか”かるた”は右から読む)
製造元山内任天堂という門標はそのまま残されています。



このデザインは、部屋の鍵にそのまま使われているのでした。
カードキーはなく、真鍮の鍵が部屋にひとつという、昔ながらの方式です。
部屋数が少ないのでこの方式も可能。



ドアを開けると大正時代にタイムスリップ。
石の壁にタイルの床はおそらく当時のまま。



入るなり目を引く鷺の彫像。
台座に据えてあったそのままでしょうか。



任天堂とステンシル入りの木箱は、
倉庫にあったのかそれともどこかの古物店に出ていたものか。



旧社屋ビルと外壁の間には、通路が整備されています。



歩いて行くと、別の客室棟でした。


客室は全部で18室のみ。
なかなか予約が取れないホテルと言われているようです。

クラシックなオリジナルの雰囲気を残しながらも、
所々モダンを取り入れたインテリア。



エントランスから地下に続く階段。
階下には昔何があったのでしょうか。



改装工事を施す前の写真が残されています。
右下の手洗いはなぜか廊下にあったのだとか。



かつて社屋であった時代に建物に貼られていた各種プレートが
ひとつ残らず歴史を留めるために保存されています。

下京区の消防協力管理証、電話局や関電の管理番号、
家屋調査済証、今では珍しい、水洗便所設置済みの印も。



宿泊した部屋は3階にありました。
これが最上階です。



平成4年に行われた棟上式のときの札には、
施主の他、プランドゥシー、安藤忠雄事務所、
大林組の参加者の名前が書かれています。



こちらは昭和5年に社屋落成を寿いで設られた石板。
どちらの施主も山内さんです。



エントランスの内側はフロントになっていて、
ここで荷物も預かってくれます。



「大統領」とだけ書かれたナポレオン風の肖像は、
トランプの図柄の原画でしょうか。



ラウンジに飾られているこの絵は間違いなく花札のですね。



ラウンジには飲み物とちょっとしたお菓子があって、
好きな時に好きなだけそれらを楽しむことができます。



大正モダニズムとマッチするレトロな版画。



フロント以外の一階のスペース全てがラウンジとなっていて、
ヴォーカル中心のスタンダードジャズが雰囲気とマッチしていました。

ラウンジの角に建物の模型がある!と近づいてみたら、
なんとこれレゴで製作したものでした。
レゴがこのキットを販売したという話は知らないので、
もしかしたら0からオリジナルで作った可能性があります。


ラウンジのソファの後ろにあるカーテン、
このカーテンを通り抜けると、客室へのエレベーターがあります。



丸テーブルでトランプもできるように椅子も4人分あります。



ちゃんと各部屋には大統領印のトランプも備えてありました。
手前のトランプ風のカードは電話用のメモです。



エキストラベッドを作ってもらいました。



モニターからはHuluやAmazonプライム、
YouTubeなども簡単にアクセスできるようになっています。



ちょっと50年代を思わせるテーブルや椅子。



ホテル敷地の周りは寂れていて、手付かずの空き地と古い町屋が並び、
ホテル内部の今風の空気に対してシュールな雰囲気を醸し出しています。



部屋には安藤忠雄先生の落書き・・じゃなくてサインが。
オープニングセレモニーの日付が記されています。
18室全てにサインして回ったんでしょうか。



さすがプランドゥシー、クローゼットはウォークインで使いやすい。



シンクは二つ、ゆったりと広い洗面所は、
ライティングにも工夫がみえます。
ときどき、洗面所を真上から強烈に照らす照明が顔に影を作って
化粧がやりにくいと感じるホテルもありますが。



大きなバスタブ、外が見える窓はいかにもプランドゥシーらしい設計です。


大きな冷蔵庫に電子レンジ、なんと洗濯機まで設置されていたのにはびっくり。
さっそくこの晩は洗濯させてもらいました。
ホテルクリーニングのシステムがないからかな?



部屋の入り口にはさりげなく椅子。
ブーツを履く時は荷物を置くのに便利です。
とにかく気遣いが細やか。



大きなライトはこの部屋の主役のようです。
これも60年代〜70年代を思わせるインテリアです。



翌朝、朝食を取りにレストランに向かいました。
前回同じ場所にきたときと明らかに大きく違っているのは、
旧建築の間に突如挟み込まれたガラス張りの新築部分。
ここで新旧の「新」を主張しているということでした。


昔の呼び鈴(CALL)はちゃんと残っています。



レストランは同じ敷地の中ですが、別の入り口から入ります。
細川元首相の親族の方が監修した健康的な料理を、
宿泊客をメインに提供しています。
一般の人も利用できますが、週二日だけということでした。


陽の光を大きく取り入れた明るい空間は、
朝食をいただいていてとても気持ちのいいものでした。



朝食は和食洋食から選べます。
わたしはおにぎりをパリパリの香ばしい海苔で巻いて食べる
暖かいおにぎりがついている和食をいただきました。


エントランスにあった寄せ書き帳にあった素敵な絵入りメッセージ。

どうもこれを書いた人は日本人ではないようです。
日本語を勉強するくらいアニメやゲームなどの日本のカルチャーが好きで、
任天堂発祥の地に「聖地巡礼」にきた人ではないかと思われます。

そういえば、部屋数が少ないわりに外国からと一目でわかる
宿泊客が多いなあと一晩泊まってみて感じました。

まあなんだ、やっぱりNINTENDOは世界のブランドってことなんだなあ。




護衛艦「いずも」(と海自情報漏洩事件に思うこと)

2022-12-27 | 軍艦

さて、長々と語ってきたよこすかYYのりものフェスタシリーズも、
ついに最終回となりました。
最後はやっぱり日本国の旗艦たる護衛艦「いずも」シリーズです。



まずは遠景から。
横須賀基地入場前のヴェルニー公園からのショットです。
まだオープンして間もないのに、艦上に人影が見えていました。

わたしを誘ってくれた知人も、開門1時間前から並んで入ったそうですが、
皆根性あるなあ・・。


「いずも」ほどの大きさとなるともやいの張り方も複雑です。
艦首部分だけで6本をブイに係留しています。



この日は先日の観艦式の直後だったせいか人出は少なく、
岸壁に設けられた順番待ちの人のためのロープは出番がなかったようです。



こちらは艦尾側。
海上保安庁の巡視船「あしがら」の乗船待ちをしている時に撮りました。



ご存知の通り現在の自衛艦の中では最大級の「いずも」。

全長は248メートル、最大横幅が38メートル、
深さ23.5メートル、吃水7.1メートルというものですが、
「ロナルド・レーガン」は333メートル(見学した時に、これが
東京タワーと同じ高さと聞かされて忘れられない)
最大幅76.8メートルと3倍違います。

まあ空母ではないし、推進も違いますから比べても詮無いことですが。


しかしこれをご覧ください。
wikiに載っていたのですが、左が「いずも」。
真ん中がイギリス海軍の空母「クィーン・エリザベス」

「いずも」は「レーガン」といるとお兄ちゃんと弟みたいに見えますが、
これだとわりと同じサイズで安心しますよね(何が)



「いずも」「ひゅうが」などヘリ搭載型護衛艦は、
岸壁に向かって大きく開かれたハッチから乗艦します。
傾斜のある(ただし滑り止めがあって特に下りは歩きにくい)
ラッタルを渡るとそこはハンガーデッキです。

この日は見学者のために(なのかいつもあるのかは知りませんが)
巨大な艦のロゴマークが描かれたバナーが正面にどーんと飾ってありました。

ロゴマークは一般公募の中から選ばれたデザインで、
剣のバックに八匹の龍があしらわれた日の丸です。

八匹の龍ははご想像の通り“ヤマタノオロチ”であり、
剣はヤマタノオロチを討伐した“天叢雲剣(草薙の剣)”だそうです。


さて、デッキから右手(艦首側)には艦載機用エレベーター。


上から降りてくるのを待つわけですが、見学者があまり多くなかったので、
この時間は全く待ったり並んだりすることなく上にエレベーターに乗れました。


「一般見学」「艦載機エレベーター」というと、
わたしなどどうしても昔あった見学者の転落事故を思い出すのですが、
今は事故防止のために中央に柵を設け、対処しています。



写真を撮っている人もどうしても端っこに寄りがちなので、
柵とネットの設置は一般公開の際のマストです。



エレベーターを降りると皆艦首に向かって歩き出し、
最初にこのCIWSと対面します。

(実は最初これをSea RAMだと思っていてそう書いたのですが、
これはCIWSだ馬鹿者!とunknownさんのご指摘を受けました。
しかし流れとしてここでSeaRAMの説明を始めてしまったので続けます。

両者の違いは『レーダーが一体化されているかいないか』
このポイントも新たに知ることができました。
ありがとうございます<(_ _)>)

Sea RAMのシーは海、つまり艦載仕様と言う意味ですが、
あまり知られていないこととしてRAMとは

Rolling Airframe Missile

つまり「ローリングする機体状のミサイル」という意味です。

何がローリングするかと言うと、ミサイルそのもので、
周りながら飛翔していくのでこの名前があります。

RIM-116 Rolling Airframe Missile (RAM) は、
小型軽量、赤外線ホーミング地対空ミサイルで、
発射前に独自のセンサーを使用することができないため、
艦船の戦闘システムと統合し、ランチャーを目標に向けます。

西ドイツとデンマーク、ゼネラルモータースのミサイル部門が共同で開発し、
その後はデンマークが脱落し、GMは買収されて現在はレイセオンが製作し、
アメリカ海軍とドイツ海軍の軍艦で運用されており、
特にドイツ海軍では新型艦船すべてにRAMを搭載することになっています。

SeaRAMの開発は超音速海上スキミング対艦ミサイルに対抗するため、
ファランクスに付随する自衛システムとして設計されました。
(あーファランクスに似ているのはそのせいかー)

アメリカ海軍では

「ジェラルド・R・フォード」級航空母艦、
「ニミッツ」級航空母艦、
「ワスプ」級水陸両用攻撃艦、「アメリカ」級強襲揚陸艦、
「サンアントニオ」級水陸両用輸送艦、
「ウィドビーアイランド」級ドック揚陸艦、
「ハーパーズフェリー」級ドック揚陸艦、沿岸戦闘艦(LCS)


で運用されています。

ところで水陸両用攻撃艦の「アメリカ」級の一番艦「アメリカ」。
なんでこんなに主語が大きいの?
気になって調べたら、2番艦以降は「トリポリ」「ブーゲンビル」
「ファルージャ」
(予定)と普通に古戦場です。
命名基準などあって無きが如し。



これを撃ったらどうなるかというと。
空母USS「セオドア・ルーズヴェルト」から発射された
ローリング・エアフレーム・ミサイル(RAM)。


ところでシーラム(SeaRAM)兵器システムの概要ですが、
ファランクスCIWS Mk-15 Block 1B (CRDC) のレーダーと、
電子光学システムを11セルのRAMランチャーと組み合わせ、
外部情報を必要としない自律型システムにより防衛する武器です。

ファランクスと同様、あらゆるクラスの船に搭載することができます。
メーカーのレイセオンによると、SeaRAMは

「ファランクスと全く同じ船上設置面積で、同じ電力を使用し、
船上での改造は最低限で済む」

ということでこれからも運用は増えていくことでしょう。



ちなみにこれが「いずも」艦尾側ですが、
遠目にはCIWSとSea RAMが同じように見えたりします。

「いずも」はそれぞれを2基ずつ搭載しています。


2008年、USS「インディペンデンス」に搭載されたのが
最初のSeaRAMシステムで、現在は「インディペンデンス」級の各艦に
1つのSeaRAMが装備されています。



艦首近くから見た「いずも」甲板全容。
実際に上がったことがある方はご存知と思いますが、
艦載機を乗せる甲板の床は滑り止めのため新型艦ほどギザギザです。

このとき、わたしの近くにいた女の子が、はしゃいで走り出し、
(親が止めないんだこれが)たちまち床に足を取られて転びました。

瞬時にその辺を圧する彼女の泣き声が・・。

「あー・・・やっちゃった」

「ここで転んだらさぞ痛いことでしょう」


「けがもしてそう」

「しかしよりによってこんなところでで走りますか」


わたしたちがそちらを見ずにこんな会話をしていると、
わらわらと、という言葉がふさわしいくらいたくさんの自衛官が、
たちまち彼女の声に反応して集まってきてしまいました。

「あああだんだん大ごとに・・・」

昇降機の転落事故に通じることですが、自衛隊の艦艇というのは、決して
一般人にとってフレンドリーかつ安全に配慮されているわけではありません。

もしうっかり、あるいは今回のように親がちゃんと子供を監視せず、
怪我が発生すると、誰が迷惑するかと言うとそれは自衛官です。

一般人の理解を得るために公開した施設で、一般人のミスによって
一般人が怪我をしたとしても、責められるのは公開した自衛隊なのです。

わたしもかつて掃海艇の中で滑って転んで周りを一瞬騒然とさせたことがあり、
どんな注意していても起こる事故はあると理解していますが、
それでも、昇降機の端っこに立って下を覗き込んで落ちたり、
走る子供を放置していて転ばせてしまったりという事故は、
十分予測できるインシデントであり、心掛け一つで避けることもできるはず。

自衛隊施設を見学するすべての人に留意していただきたいものです。


構造物の下に列ができていますが、これはエレベーター待ちの人たちです。
たくさんいるように見えますが、これだけの人なら
全員が乗って降りることができると思います。



航空機を艦載する艦で重要な消火設備としての消防車。
正確な名称は

艦上救難作業車 P-25J

といい、「ひゅうが」にも搭載されています。
水を2840リットル、薬液を227リットルを搭載しており、
ターレット(自動噴霧)で約90秒 ハンドライン(手持ち)で約470秒、
同時に約76秒の射出が可能です。

作業車の近くには、銀色の消防服を着た乗員が立っていました。

アメリカ製なので、米海軍の空母にも搭載されているのと同じでしょう。


「いずも」の甲板は広いですが、見学するところはそうありません。
エレベーターを降りたら一周して終わり、ということになります。


構造物沿いに歩いていると、なぜかそこに艦長が降臨。
520名の「いずも」乗員を率いる司令官です。

現在の「いずも」艦長は5代目で、2022年1月着任された
防大38期の小城尚徳一等海佐です。



エレベーターを降りたらあとはハンガーデッキの見学です。
ここには作業車各種が展示してありました。


たとえばこの自走式クレーンもKOBELCOですし、
作業車は外注で民間から導入することになっているようです。



司令官旗は海将補を表す二つ桜が揚がっていました。
「いずも」の所属する第一護衛艦隊の司令官が海将補であることを表します。

ところで自衛隊に関心のある内にかかわらず、先日の
海上自衛隊一佐の機密漏洩事件について衝撃を受けた方は多いでしょう。

わたしもその一人ですが、詳細がわかってみると、
あれ?っという内容です。

井上1佐は情報業務群司令を務めていた2020年3月19日、
かつての上司で自衛艦隊司令官を務めて退職していた元海将に
安全保障情勢に関するブリーフィングをした際、
周辺情勢について収集した情報といった特定秘密のほか、自衛隊の運用状況、
自衛隊訓練に関する情報といった秘密を故意に伝えた疑いがある。

つまり1佐はもう一般人となった「元海将」に機密を漏洩してしまったと。

情報を受け取った元司令官は、安全保障に関する講演をすることが多く、
最新の情勢を知りたいと20年1月ごろに海自側に要望し、
ブリーフィングを受けたわけですが、その際1佐は

「(元司令官に)畏怖の念を抱いており、
通り一遍ではない秘密の情報を伝えたいと思った」


加えてそのブリーフィングが業務命令であるとの誤った認識が、
1佐の正常な判断をゆがめた、と周りでは見ているようです。

元海将が現役にブリーフィングを要求したというのも、引退してもなお、
本人は自衛隊に影響を持ち続けていると認識していたからこそであり、
事実元海将は1佐に対して
「自分は将来、海上自衛隊に助言する立場になる」
という趣旨の発言をしていたといいます。

助言って・・・影のフィクサー的な?
それは少なくとも公的にはあり得ない話のような気がします。

ニュースの第一報を聞いてすぐは、懲戒免職になるほどの事案ならば
それは外患誘致に通じるような決定的な情報漏洩だろうと思いましたが、
今回の漏洩事件、漏洩した方もされた方も、
情報を金銭に変えたり悪用するつもりではなかったのは確かです。

素人考えでは、当事者の1佐より、過去の階級意識のまま、当時の部下に
情報を求めた元海将の方が、罪は重いのではないかという気がします。

この場合、「退官した自衛官はもはや自衛隊になんの影響も及ぼさない」
(少なくとも法的な権利はない)という認識が元海将に希薄だったこと、
かつての上下関係が、部下であった1佐の規範遵守意識を曖昧にしてしまい、
則を超えさせてしまったことが不幸な結末に繋がったといえるでしょうか。

誰にも悪意はなく、誰も悪人ではなく、陰謀も計画もなく、
ただ各自の認識が甘かっただけの事件、とでもいいますか。

なのでなおさら、海自が苦渋の判断として当事者を懲戒免職という
大変厳しい処分を下さざるを得なかったことを残念に思います。






海上保安庁巡視船「あしたか」〜よこすかYYのりものフェスタ

2022-12-25 | 軍艦

USS「ハワード」の見学を終わり、岸壁に降りてきました。



我が海上自衛隊の「しお」型潜水艦「うずしお」が背中を公開していました。
ラッタルを渡り、文字通り「くじらのせなか」を歩いて出るだけ。

それでも時間があればやってみたいところですが、残念ながらこの日は
この後のスケジュールがタイトだったので、外から写真を撮っただけです。



潜水艦の艦尾旗はここに掲揚します。

平時において、自衛艦は、停泊中午前8時から日没までの時間、
航海中は常時、艦尾の旗竿ないし斜桁(ガフ)に軍艦旗を掲揚します。
万が一戦闘があった際は、戦闘旗として掲揚される予定です。

自衛艦において定時に自衛艦旗を掲揚し又は降下するときは、

定時10秒前に喇叭を以て「気を付け」を令して
定時に喇叭「君が代」を1回を奏するものとし、当直士官は、
艦橋又は後甲板付近に措いて掲揚(降下)を指揮しつつ、
自衛艦旗に対し挙手の敬礼を行う

艦橋及び露天甲板にある者は、自衛艦旗に対し挙手の敬礼を行い、
その他の場所にある者は、姿勢を正す敬礼を行う

海上自衛官は、陸岸において自衛艦旗の掲揚又は降下を目撃するときは、
その場に停止し、当該自衛艦旗に対し敬礼を行うものとする

大きな自衛艦旗であろうと、潜水艦の小さな旗であろうと、
当然ですが、同じ時間内で掲揚を行うということですね。



セイルの上には桜一つの尾鰭状切れ込みがある隊司令旗が揚がっていました。

正確には隊司令旗(甲)といい、この場合の隊司令、すなわち
横須賀基地潜水隊司令は、一佐をもって任じられることになっています。

この旗は、
隊司令の乗り組んでいる自衛艦等に乗艦して
部隊の指揮をとる場合、又は検閲若しくは巡視のため、
その指揮下にある自衛艦等に乗艦する場合においては、
乗艦から退艦までの間、その自衛艦等に掲揚
されます。

ということは、今この瞬間隊司令が乗艦しているってことですか?
潜水艦ですし、さすがにそれはないような気がするのですが・・。



セイルの上のリースみたいなのはなんだろう?
もしかしたらクリスマスの飾り?



と思ったらさすがにそれは違いました。
うずしおSS592と書かれていますが、輪が小さいので
さすがに救命用の浮き輪ではないと思います。
これは何するもの?

ちなみにこの「浮き輪」、端っこに取っ手みたいなのがついてます。


「うずしお」の手前には、海上保安庁の警備船、
「あしたか」が公開されていたのでこれに並ぶことにしました。


海上保安庁の巡視船「あしたか」は、
びざん型巡視船の3番船となります。

第3管区海上保安本部の横須賀海上保安部所属で、
竣工は1994年、三井造船玉野事業所で建造されました。

つまり「あしたか」はもう就役して28年のベテランということですが、
同級は最新船の「きりしま」が2022年12月21日(あれ、今日だ)
竣工予定であることから、同型が今後も増えていくのかもしれません。



電光掲示板ならぬ布には、「ようこそ あしたかへ」の文字。

あ、これ知ってるぞ。
この掲示布で、不審船に向けて「武器を捨てよ」「止まれ」などと
中国語やハングルや英語で警告するんですよね?

こういうことを言えるのも、海保の観閲式に参加して、
模擬捕物?シーンを見たからこそです。



というわけで、見学の列に付きましたが、進まないんだこれが。
船が小さい上、ソーシャルディスタンスを考慮して
入り口で人数を制限しているため、船上にいる人もほとんど動かず。

この日は暑くも寒くもない見学には好天だったので、
待つのに何の苦労もありませんでしたが、
「いずも」と警備艇の写真ばかり時間つぶしに撮りまくりました。


例えばこんな写真とか。
マスキングしていますが、ボートの上の家族の顔は
全員明らかに固くこわばっています。

まあ、遊園地のライドみたいにはいかないよね・・。


下船しただけの人数を乗船させるというシステムなので、
20分くらい待ってようやく甲板に立つことができました。

「びざん」型巡視船M61バルカンで武装しています。

6砲身からなるガトリング回転式のキャノン砲で、
日本で開発&ライセンス生産されたJM61–Mをもとに、
箱型の単装砲塔に組み込んだJM61-RFSというタイプです。
こちらは赤外線捜索監視装置との連接により、
目標追尾型遠隔操縦機能(RFS)を備えています。



見学通路は甲板を左回りに進み、上部構造物の船内に入っていきます。
入り口に立っている保安官は、船内に入るまでの間、
目の前の人に丁寧に説明したり質問を受けたりしていました。

このとき彼から、この巡視船が就役してかなり経っていること、
かつては尖閣で警備活動していたこと、そして巡視船というものは
武器などをアップデートしないということを教えてもらいました。



キャビンに入るとすぐ右手にキッチンがあります。

「どうぞ奥まで入って見てください」

と言われましたが、本当にどこかの家にお邪魔している気分。
どこかの家と違うのは、もう30年近く経つのに、
油汚れやシミなどが一切見当たらず床も綺麗なことです。

毎日の掃除がいかにちゃんととされているかってことなんでしょう。



ニンジンはありませんでしたが、じゃがいもと玉ねぎがあるので、

「カレーの材料ですか」

と聞いてみたところ、昨夜はカレーだったというお返事でした。
近くにいた人が、やっぱり金曜日はカレーなのかと聞いていましたが、
それは海自ならではの慣習で、うちでは決まっていないということです。



ここが乗員の食堂兼居間、休憩所。
小さい船なので、ここにファクシミリやコンピュータが置かれています。
LANケーブルなんかも、就役当初はなかったらしく、
配線工事をしたっぽい形跡が。


炊飯器はおかわりしやすいようにか、台所の外、食堂の一角にあります。
動揺で転げ落ちないようにするための枠は乗員の手作りっぽい。



USBとSDカードの所在を表すためのホワイトボード?

「主航士」「航士補」「機士」「通士」

どれもこれも海自とは全く違う名称です。
これらはまず階級ではなく、職務上の資格を表し、
「航士」は「航海士」、あと「機関士」「通信士」の略です。

階級は、海自の尉官・佐官にあたるのが「保安正」「保安監」ですが、
自衛隊とは微妙に区切りが違っています。
海自の三佐は海保では一等海上保安正ですが、
一尉も海保では保安正であり(二等)、二尉は三等保安正となります。

保安士は所謂下士官、曹であり、
兵員にあたるのが「保安士補」となります。

ちなみに海上保安大学校は卒業時に学士号が授与される高等教育機関で、
4年9ヶ月の教育機関にわたり幹部保安官としての教育を受けるため、
難易度も国公立大学受験と同程度となっています。

決して簡単に門をくぐることができる大学ではなさそうです。



大ヒットした「海猿」以降となる海保を舞台にしたドラマ(のようです)。

『DCU』は、2022年1月〜3月放送されていたドラマで、
海上保安庁に新設された水中事件や事故の捜査を行う
架空のエキスパート集団DCU(Deep Crime Unit、潜水特殊捜査隊)が、
従来の海上水域だけでなく、警察の捜査では困難な
「危険極まりない日本全国の河川や湖」など、
あらゆる水中に潜り隠された証拠を探し、
「水中未解決事件」を解決する活躍を描くミステリー、ということです。

キャッチコピーは「水は嘘をつかない」

隊長が50歳の三等保安監(阿部寛)と言う設定がすごすぎ。
今見ていたら、古田敦也元監督が政治家役で出ていたのを知りました。
結構いろいろドラマとかにも役者で出てたんですね。びっくり。



操舵室はこの一階上にあります。
レーダー装置や警救情報(この言葉も初めて知った)表示装置など、
見学する人にわかりやすい説明もありました。

コクピットは非常にアナログっぽい作りです。



船長が座るのは右側の羅針盤の前でしょうか。



船室の後ろ側にはまるでバスのようにシートが並んでいます。
現場に急行する時などには全員がここに座るのでしょうか。



「あしたか」の主機はディーゼルエンジン、
推進装置はここにもせつめいのあるウォータージェット推進器です。
船底から汲み上げた海水を後方に高圧の水流として噴出し、
それを推進力にする仕組みを持ちます。

現地の説明によると、「バケット」なるものを上下させると、



水流の向きが変わって後進(下図)に切り替えることができます。
ちなみに「フリーダム」「インディペンデンス」級など、
アメリカ海軍の沿海域戦闘艦もこのシステムを採用しています。

これはこの方式が高速急行を要する場面の多い任務に適しているからで、
低速では燃費が悪いため、自衛艦で搭載している例はありません。



デッキに出て外を見てみました。
右側が例の「警告バナー」です。



コクピットの後ろは、左舷側がシート、
右側がこのような、おそらくナビゲーション室があります。
ここには通士という役職の乗員が勤務するのでしょう。


右のラッタルから降りてくるとそこはもう後甲板でした。
30年近く一度もリノベーションしていないというだけあって、
かつては白であったと思われる幕や天井のキャンバスは真っ黒です。



後甲板には複合艇が設置されていました。



おとなりに展示されている「うずしお」。



複合艇は海保では「高速警備救難艇」が正式名称です。
全長約5メートル、幅2メートルで定員は6名。

本船では出入りが困難な、浅瀬や狭い海域などで使用されます。



これどうやって海中に投下するんでしょうか。
ダビッド(というのかどうかもわからない)ごと動いて、
アームのように海上に人が乗った艇を下ろすのかな。

今写真を見てつくづくどうするのか不思議に思ったのですが、
現場にいた乗員の方に聞くことをそのときは思いつきませんでした。

一般公開あるあるです。


さて、この後、わたしは知人二人と合流して陸自の装備を見た後、
最後に「いずも」の見学に向かいました。

続く。








「ナンデモシツモンシテクダサイ」〜USS「ハワード」よこすかYYのりものフェスタ

2022-12-23 | 軍艦

よこすかYYのりものフェスタで公開されていた
アメリカ海軍のミサイル駆逐艦、USS「ハワード」の艦橋にいます。

ブリッジには透明のボードがあって、航空機とのコンタクトなどを
現在進行形で状況を書いていく仕組みになっています。
透明ボードは今まで見てきたアメリカ本土の古い展示艦でお馴染みでしたが、
現役の艦でも使われているのにちょっと驚きました。

超アナログですが、アナログならではの便利さもあるのかもしれません。

それと、この透明ボードそのものは自衛艦では見たことはなく、
アメリカ海軍同時のカルチャーなのかなという気がします。
(自衛艦で搭載されていたらすみません)



といいつつ、ちゃんとその後ろにはコンピュータがあったりする。

ここに写っているのはほとんどが通信用の機器。

左は館内アナウンスの機械、その上にあるのが非常時のアラームベルで、
右のグレーが「フライト・クラッシュ」航空機事故
黄色が「コリジョン」衝突事故、緑は「ケミカルアタック」化学攻撃
赤は文字が読めませんが「アバンダン・シップ」総員退艦・・・かも。

気になるのが手書きの文字ですが、一字隠れているので
これが「METAL」でいいのかどうか悩みました。
だとしたらメタルがどうしたというのだろう。



左舷側のウィングに出てみます。
探照灯や測距儀、双眼鏡などこれは世界共通の機器ばかり。

偉い人が座るシートのついた椅子があるのが違いでしょうか。



わたしを含め何人かがここに出ていると、
一人の士官が出てきてにこやか〜〜に

「ナンデモシツモンシテクダサイ」

と日本語でいいました。
(このセリフをカタカナにしたのは、ちばてつや先生リスペクト)

横須賀勤務になるということで日本語を勉強されたようですが、
そんなことを言って、日本語でバンバン質問されたらどうするんだろう、
と心配していたら、近くの男性の質問には、即座にスマートフォンを出して
答えを日本語で示して説明していました。

さすがイマドキの海軍さんです。



写真を撮っていたら二人が出て行ってわたし一人になったので、
知らないから聞くというより、彼の質問への対応が知りたくて、
「ハワード」のバトル・エフェクティブネス・アワード、
戦闘効果賞
について聞いてみました。

前にも書いたことがありますが、この文字の「E」は
エフェクティブネス=効果から取られており、
「バトルE」といい、その艦に与えられる評価の印です。

毎年海軍内で行われるコンペティションに勝利した艦のみに与えられ、
この賞をめぐる戦いに勝利するのは、実はなかなか熾烈なのです。
なぜなら、同じ部門における全ての海軍艦艇の中で
Eを取ることができるのは、ごくごくわずかな艦だからです。

それは司令部内の作戦環境において、持続的な速さを保ち、
かつ模擬戦闘に勝つことが条件で、選考対象となるには、
6つの司令部優秀賞のうち最低4つを受賞し、
さらに司令部の直属上司から推薦を受ける必要があります。

年間を通じて実施される、認定と資格試験での優れた実績に加えて、
日常的に優れた実績を示すこと(平常点的な?)が条件となり、
訓練、武器検査、戦術準備検査など、16の項目が審査されます。

「ハワード」の受けた賞について書いておくと、左から
ブルー "E" =ロジスティクスマネジメント 物流管理優秀賞
黄色「E」=海軍陸上軍(CNSF)船舶安全司令官賞
赤 "E" =エンジニアリング/生存能力優秀賞
緑 "E" =コマンド&コントロール 指揮統括優秀賞
緑「H」=「 フォースヘルス&ウェルネスユニット賞」


繰り返しになりますが、最後のHは「ヘルス」であり、
艦に置ける健康増進とか医療の充実が受賞の対象になります。

彼はわたしの質問に対し、

「艦の受ける評価の印で、ウチはHを2回取ってます」

と答えました。

これも前に説明しましたが、評価は重ねて同じものを取れば、
「ハワード」のHのように下線が加えられ、それは3本までで、
もしそれ以上になると、今度はEの上に星のマークが付けられます。

艦歴の長さを考慮すると、「ハワード」はこのコンペで
超優秀というわけではないけれど、取っていない艦よりは取っている、
という微妙な?評価になるかと思われます。

ちなみに、超絶優秀艦として有名らしいのが、現在も横須賀勤務の
USS「チャンセラーズ ビル」のようで、
その優秀さは、バトルEのwikiに引き合いに出されるくらいです。

さて、ひととおり彼の説明を聞いてから、話の次穂に困って、

「あなた艦長さん?」

と聞いてみたら、

「いやそんな偉くないっす」

というので初めて目を落として彼の袖を見たら金線一本でした。

「あ::エンスン(ensign)ね」

「そうっす、エンスンっす」

ということはどう見積もっても20代半ばか。
どうりで若いと思ったぜ。

丁寧に少尉くんにお礼を言ってブリッジに戻りました。



先ほど記念撮影をしていて見られなかったこの謎の機器。
なんか一昔前のSFドラマに出てくるテレビ電話みたいだけど、何かな。
そして何のために二つ同じ機器があるのか。

今までのアメリカの古い艦でも見たことがないですが、
なんかもう不安になるくらいアナログな雰囲気が漂う機器です。
少尉さんにこれ何か聞けばよかった・・。



ハンドルがあればそれを回して見たい、それが少年の習性である。
乗員の監視のもとでやりたい放題。



男は永遠に少年であるという言葉がふと浮かびました(棒)



反対側ウィングにも永遠の少年たちがいっぱい。




ウィングからは前甲板がこのように見えます。



こうしてみると一人で訪れる女性も結構います。



艦橋の屋根の上にはドームを被せたレーダー。



モップがブリッジに立ててありました。
ジェシカとキティとかいう名前ついてそうです。



さりげなく隅っこにモップ。
掃除道具も日本とは仕様が違うのがおもしろい。


左舷側をブリッジの階から下に眺める。
おぢさんたちが撮っているのはおそらくスパイレーダーの写真。



構造物の上部にも至る所にセンサーが。



左舷には作業船が横付けされていました。
ホースと舫が雑然と見えながら秩序を持って配置されています。
この作業船を運行しているのは日本の会社かな?


さて、というわけでUSS「ハワード」の見学を終わり、下艦すると、
岸壁では乗員がTシャツを売っているお店がありました。

過去このような「艦グッズ」をその場の気分で買ってみたものの、
結局利用することがなく、タンスの肥やしになっているので、
最近ではめったなことで心は動かず、このときも、
写真だけ撮っていいですか、と乗員に断って撮影しただけでしたが、
こうしてみると、特に「ハワード」の龍についてのエピソードを知ると、
右側の赤い龍をあしらったTシャツなどちょっと惜しかった気もします。

まあ、そう思っても着ないんですけどね。



「ハワード」で大満足したあとは、その後ろの海保の船に並びました。
これがまた乗るのにえらく時間がかかってしまったのですが、
見学内容は次回にします。



続く。

ドラゴンとVICTORYの旗 USS「ハワード」艦橋~よこすかYYのりものフェスタ

2022-12-21 | 軍艦

さて、アメリカ海軍の駆逐艦「ハワード」の見学、
甲板から左舷側を周り、ブリッジにたどりつきました。



中から出てくる人と狭い通路ですれ違いつつ進みます。



上の番号はここが艦のどの位置なのかを示す住所で、
乗員ならこの数字を見ただけで自分がどこにいるかわかるそうです。

其の下のヘッドフォンの絵と一緒に書かれているのは、

「危険な騒音は聴覚障害を起こす可能性があります」

聴覚保護が必要

✅その他の操作中(ソナー)

✅プラグとなにか
(写ってませんでした)

其のためにヘッドギアで耳を保護しましょうということのようです。
ソナー音が聴覚に障害を起こすほどのものとは知りませんでした。

関係ない話かもしれませんが、イルカや鯨などある種の海洋生物は
自然のソナー(音波探知機)を使用して移動や狩りを行います。

彼らにとって人間が起こす「騒音」が、影響を与えることが知られており、
海洋哺乳類だけでなくイカなどの頭足類も、
低周波のパルス音に弱いと言われています。

たとえば低周波音に集中して暴露されると、イカなどの生物は
外套膜が溶け、筋肉が損傷し、平衡胞に障害を受け死滅するのです。

この実験は海軍のソナー演習と同じような強さと周波数なので、
世界的にみて海軍のソナーが生態系に影響を及ぼしているといえます。

人間はソナー音の騒音を防げばそれでよしという考えもありますが、
低周波が人体に与える影響はまだわかっていないことも多いそうです。



その上で「ハワード」のブリッジにあったこの鯨早見表を見ると、
アメリカ海軍の海洋生物(特に鯨)に対する気遣いが垣間見えます。

海面に見える尾の形、ジャンプする様子、海面にどう見えるかで
クジラが何をしているのかわかる仕組みです。

「水面で動かず ただ浮いている」

「フラッキング 深く潜るまえに尾鰭を空中に持ち上げる」

「ロブテイル 吸虫を水に叩きつけて退治している」

「泳いでいる ひれやしっぽを使って推進している」

「スパイホッピング 頭を水面から高く垂直に上げる」


「ブリーチング 体を頭から空中に上げて水飛沫を上げて戻る」

「フリッパーズラッピング 転がり水飛沫で鰭を水面に叩きつける」

これを知っていたら艦隊勤務においてなにがどう役に立つのだろう、
と漠然と思うわけですが、おどろいてはいけない。

このチャートを制作し配布しているのは他でもない、アメリカ海軍です。

鯨に遭遇したら、「ハワード」艦橋では誰かがこのチャートを持ち出し、
みんなでわいわいと観察するんだろうなあ。



入ってすぐのところにある火災時用の散水ホース。


写真を失敗したので小さな写真ですみません。

ブリッジの後ろ側にあるので何か大事なものが中にあるのかと思われますが、
扉に貼られた紙には、(読みにくかった)

「受信、送信。録音、増幅、情報処理、および写真機器
(テープレコーダー、ステレオ、テレビ、カメラ、携帯電話など)
はセキュリティスペースに持ち込むことはできません」

とあります。


艦橋は今までアメリカで見たことのあるいくつかの軍艦のそれの
延長線上にあるような既視感を感じるものでした。

窓ガラスの外にワイパーがついているのに初めて気づいたのですが、
これって自衛艦にもありました・・・・よね確か。

窓際にある機器に書かれたSIMRADとは、ノルウェーのオスロに本社を持つ
船舶用電子機器メーカー、SIMRAD yachtingを意味します。

戦後の1947年に無線会社から始まって、今では
そのマリンエレクトロニクス部門がNavico に買収され、
GPSの分野で地位を確立しています。


ブリッジにお子様が登場すると、米軍さんも大歓迎モード。
親子の写メを中尉さんが撮ってあげたりして和気藹々です。


アメリカ海軍には自衛隊のように「椅子の色で階級を表す」
というカルチャーはありませんが、座る場所は厳密に決まっています。

「COMMANDING OFFICER」

と金のプレートに刻まれた椅子で艦長気分を味わう人。



「ヘルム・フォワード・ステーション・ユニット」

とありますので、キーボードで打ち込むタイプの操舵システムでしょう。
モニターは消されていますが、各画面の下には
赤いプレートに「シークレット」と素敵な文字が書かれています。


コンソールに貼られていた「ハワード」のパイロットカードです。

ここには「ハワード」のコールサイン(NHOW)をはじめ、
マストの高さと橋梁などを通過する際の安全な高さ、
ビームの最大値、重量、そしてナビゲーションレーダーの番号、
プロペラや錨の諸元、プロペラの回る方向など、
主に艦が操舵の状態にあるときに必要な情報が書き込まれています。



無線通信などの情報が記されています。
右側はなかなか面白くて、船舶の種類とその状況、
その際の信号(国際と国内とで少し違う)が一覧表にされています。

たとえば、

「動力船」が「水上を進んでいる」はツー・トンを2分間

「進行中の動力船」が「しかし停止:水路を通り抜けない」はツーツー、


みたいな感じです。
船同士で交信する暗号みたいなもんですね。

左にも

「あなたを左舷側(右舷側)に残すつもりです」

「右舷(左舷)側でおいこすつもりです」

「あなたがわたしの右舷側を通過することに同意します」

「同意できません/理解できません」

「危険です あなたの行動が理解できません/異議を唱えます」

などという会話?例が挙げられています。



USS「ハワード」のTSO

コンバットシステム・テンポラリー・スタンディングオーダー

ということで、1のリファレンス部分はわたしには理解不可能な呪文です。
それもそのはずで、1の1)~3)は

「コンピュータの水力制御が失われる可能性を軽減するための手順の説明」

なのだそうです。
かろうじて理解ができるのは3の、

「関連する人員:甲板将校(OOD)司令官(CON )操舵手、
リー・ヘルムスマン(エンジンルームにエンジン命令を伝える船員のこと。
各命令をコニングオフィサーに繰り返し伝える。
各命令を実行した後、実行されたことを航海士に通知する)
当直戦闘システム士官(CSOOW)、
電子支援システム(ESS)スーパーバイザー、当直技術士官(EOOW)」


それはここにいるほとんどの人間ではないのかと。
しかし、こんなことをわざわざ書かなきゃいけないもんなのかしら。



ジャイロというのは、どんな船でも中央線に置かれているものです。
ということが、このジャイロに書かれている

「センターライン」

という言葉によってはっきりしました。
その上に

「ジャイロ・エラー 0.4E
REP. エラー 0.0
日付 22年12月1日」

と手書きされています。


席の後ろのプレートはマスキングされていますが、
この席に座る人がシモンズさんであることはわかりました。
(座席に名前入りのバッグが掛けてある)



足元に描かれた「ハワード」のロゴマーク。
前回現役で亡くなったチャールズ・ハリス元艦長の着任の辞で
ロゴマークに刻まれたモットーの

「Ready for Victory」

が使われていたのを知ったばかりです。
そして、ロゴに描かれているドラゴンは、

「ハワード」艦長はそうしてドラゴンを率いた

という記事をの一文を思い出させました。

さらに調べてみたところ、このクレストは艦名の由来である
名誉勲章受賞者ジミー・E・ハワード海兵隊一等軍曹と、
第二次世界大戦中に活躍した同名の「ウィックス」級駆逐艦「ハワード」
紋章の一部をモチーフにしているようです。
(そちらの『ハワード』さんは第一次世界大戦で殉職した艦艇指揮官)



ここで、2021年6月7日、
「ハワード」がサンディエゴを離れる時に揚げていた赤い旗をご覧ください。
ドラゴンと「VICTORY」の文字が描かれているのがわかります。

同艦が自らを表すためにドラゴンを選んだのには、理由があります。

アメリカには、米軍で使用されている紋章と部隊徽章のデザインを管理する
軍運営の紋章学研究所(TIOH)なる組織があるのですが、
そのウェブサイトにある記述によると、

「東洋のドラゴンは、太平洋における活躍と、
ハワード砲兵軍曹の指揮下で小隊が発揮した闘志を表している」

と説明されています。

ジミー・ハワードの功績についてはすでにこのシリーズでお話しましたが、
叙勲理由となった「ヒル488の戦い」についてはこんな映像もあります。

The Battle of Hill 488

恐るべきはこれを撮っているカメラマンもまたここにいるってことです。

叙勲されたハワード一等軍曹は、1993年に死去し、
それを受けてDDG-83が「ハワード」を冠されることが決まりました。

そして「ドラゴン」ですが、これは先代の「ウィックス」級「ハワード」が
1943年、太平洋戦域に移され、マリアナ諸島やフィリピンへの侵攻など
さまざまな島嶼攻略作戦を支援したことから付けられました。

「アジア地域で暴れた艦」=ドラゴン

というアメリカ人の抱きがちな?イメージによるものでしょう。

そして、USS「ハワード」は、20年あまりの間、主に太平洋で活動し、
空母打撃群11の一員としても活動してきました。

2年ごとに行われる環太平洋合同演習(リムパック)や、
東南アジアで毎年行われる洋上即応訓練(CARAT)など、
数多くの演習に参加し、また、
太平洋地域での人道的な救援活動も支援してきました。

USS「ハワード」は、その名にまつわる歴史と、
どんな任務においても常に「勝利」を追い求める、という
彼らのモットーを反映した伝統的なドラゴンの旗を掲げて、
こんにち横須賀の米軍基地の戦闘艦の重要な一角を占めています。



続く。






USS「ハワード」装備あれこれ〜よこすかYYのりものフェスタ

2022-12-19 | 軍艦

よこすかYYのりものフェスタのとき、海上自衛隊横須賀基地で公開された
アメリカ海軍のミサイル駆逐艦USS「ハワード」についてお話ししています。

前回は、前甲板の主砲に其の名を顕彰されていた、
前艦長(就任して3ヶ月で癌のため急逝した)である
チャールズ・ハリス中佐についてわかったことを書いてみました。

さて、今日は甲板から艦橋までの見学通路を歩きながら
目についたものをご紹介していこうと思います。



前甲板を左舷側から後ろに回り込んでいくと、
そこから階段を上っていって艦橋に入るコースです。

「アーレイ・バーク」級はイージスシステムを搭載しており、
フェーズド・アレイ・レーダーPARが装備されています。
「ハワード」が搭載しているのは

AN/SPY-1

というタイプで、ご覧のような8角形のアンテナ
(パッシブ・フェーズドアレイ・アンテナ)を4面に固定設置して
目標の捜索や追尾、艦対空ミサイルの誘導を行います。

「アーレイ・バーク」級ミサイル駆逐艦は40番艦まではSPY-1Dですが、
「ハワード」など41番艦以降はSPY-1D(V)を搭載しています。



日本でこ全く同じ型を搭載しているのは「あたご」「まや」型となります。

また、今回の観艦式に王立オーストラリア海軍から参加した
駆逐艦HMAS「ホバート」も同タイプ搭載です。

単にレーダーといってしまえばそれまでですが、この凄いところは、
探知の際、

「全周の半球空間中の所定の空間を
約1ミリ秒の間ペンシル・ビームで捜索する」

というこの一行に表されている気がします。(気がするだけですが)

走査パターンは常に最も効率的に捜索するように制御され、
ある1つのビームで1つの目標を初探知すると、コンピュータは目標に対して
複数のビームを集中的に指向して捕捉し、追尾に移行します。

「SPYレーダー表示画面に目標を視認すれば、そこには目標が存在する。
表示画面に目標を視認しなければ、そこには絶対に目標は存在しない」


とアメリカ軍が豪語するのも無理からぬことと言えましょう。

ちなみに構造物の4面に貼って使用することから、
アンテナ重量は比較的軽く設計されているそうです。


舷側の通路に木箱が無造作に置いてあるのがアメリカ海軍。
自衛隊ではおそらく絶対にやらないと思われます。



ちょうどここで舷門の後側にやってきました。
DDG83とは他でもない「ハワード」のことですが、
それよりこれは「何かを隠すためのカバー」?
それとも日頃はカバーをかけておかなくてはならない装備?

これがなんなのかお分かりになる方おられますか。

Mk.36 SRBOC
Mark 36 Super Rapid Bloom Offboard Countermeasures

艦橋に行くには右側に見えている階段を上るのですが、
幅が狭くて一人しか通行できないので、降りてくる人が途切れるまで
けっこう長時間待っていなくてはなりません。

この日はのりものフェスタというイベントの性質上お子様も多く、
小さな子が親の助けも借りずえっちらおっちら降りてくるのを、
ひとの子なのにハラハラしながら眺める場面などもありました。
(こういうときすみません、というのが日本の親。
アメリカ人の親はThank you.という)

わたしは人の流れが切れるのを待ちつつ、チャフランチャーの撮影を。

このデコイシステムは自衛艦でもお馴染みのスタンダードタイプで、
「スーパーアーボック」などと呼ばれたりします。

ランチャーはあっちこっち好き勝手な方向に向いているようですが、
実は1列は45度、もう1列は60度に設定されていて、
発射されたデコイを効率よく拡散するようになっています。

発射速度は75m/sです。

各ランチャーには12~36発の弾丸が搭載されており、(艦によって違う)
搭載されるランチャーの数や配置は艦船の大きさによってこれも違い、
小型戦闘艦は2基、空母だと8基まで搭載します。




Mark 38 25ミリマシンガンシステム

高速機動水上標的(HSMST)、浮遊機雷、
敵の遊泳者に対する短距離能力を艦船に提供する。

これはもしかしたら海中にいる人を狙うという意味?(;゚Д゚)

また、陸地に近い艦船では、敵の人員や軽装甲車両に対して使用する。
低コストな兵器であり、昼夜・天候に関係なく運用することができる。
軍艦の配備要件に合わせて恒久的または一時的に設置することが可能。


とにかく価格はお安いってことですね。



ちなみに海上自衛隊での使用はなく、観艦式参加組でいうと、
オーストラリア海軍の「ホバート」級駆逐艦と、
シンガポール海軍の「フォーミダブル」級フリゲートが搭載しています。



全く何にするのか想像もつかないものがありました。
赤い札や「警告」などというプレートがびっしりとお札のように貼られ、
大変危険なものであるのは確かです。

まず正面の赤いプレートには、

MK58 スモークフロートオペレーター手順

ステップ1:スモークの上からプラスチックカバーを取り外す

ステップ2:スモークフロートの上部にあるアルミニウムのタブを引いて
ポケットにいれる

ステップ3:水中の人に向けてスモークフロートを投げる

注記;浮遊する煙は海水で活性化されます

警告;タブがスモークフロートの上部から取り外されると、
交換することはできません。
詳細なガイダンスについてはOP4の最新バージョンを参照してください

これから類推するに、どうもスモークを使って

"Man overboad !"「人が落ちた、実際」


の際になんとかする装備のようです。
煙で水上の要救難者の位置をピン留めするのでしょうか。


こういうオレンジスモークで場所が特定できるようにするのです。

昔掃海艇から乗員が落ちた事故がありましたが、
この装置のように落水者の近くにすぐさま位置特定するための
フロート式マーキングは自衛艦に搭載されているのでしょうか。

今までの見学で気にしたこともありませんでしたが・・。


右舷側の25ミリマシンガンシステム。
「アーレイ・バーク」級はこれを両舷に1基ずつ、合計2基備えています。


舷側から岸壁を見ると、乗員がお菓子を打っているテーブルが見えました。

拡大してみると、お菓子はほかにもお馴染みハーシーズなどがあり、
ほかにも「ホバート」のパッチ、シール、第7艦隊のパッチ、
そして「ハワード」のキャップ、マグカップなどもテーブルに乗っていて、
まわりに群がっている男性たちのお目当てはこちらのようです。

自衛隊の公開イベントにいくと、かなりの高確率で
米軍のロゴの入った帽子やワッペンをつけた男性とすれ違いますが、
そういう人たちはこういう機会にグッズをゲットしているんですね。


海洋業務・対潜支援群
Oceanography ASW Support Command


この写真にもこのワッペンをバックパックに付けている人がいました。
鯨に蛇の絡まった銛、桜二つは、司令官が海将補であることを表します。


さらに上甲板階より臨む「ハワード」後部。
艦に搭載するこのようなゴムボートのことを、

複合艇 Rigid-hulled inflatable boat:RHIB RIB

と呼びます。

「アーレイ・バーク」級は重量対策を兼ねて、従来の内火艇、
ダビッドを廃止してRHIBでその任務を行なっています。

軽量ではありますが、高性能・高容量のボートで、
船底が硬く、側面に形成されたエアチューブが接合されており、
高圧の空気で膨らませ船底に沿った側面に復元力を持たせた構造は、
安定性、軽量性、高速性、耐航性に優れています。

チューブ式のゴムボートは、パンクしないように中は何層にもなっており、
チューブの破裂を防ぐための圧力の調整も自動的に弁を使って行われます。

「ハワード」が現在搭載しているのは

ゾディアック社製のハリケーンH733

ウィラード社製シー・フォース

のどちらか(判明せず)であるようです。


わたしが乗艦したときにはほんの少しだったのに、
あっという間に見学を待つ人の長い列ができていました。



階段を上がると、そこはもうブリッジです。
それではいよいよ中に入っていくとしましょう。


続く。


チャールズという名の主砲〜USS「ハワード」前艦長に捧ぐ

2022-12-17 | 軍艦

YYよこすかのりものフェスタで公開されたアメリカ海軍の駆逐艦、
USS「ハワード」の見学レポート、続きです。



見学者はまず前甲板を左回りに歩いていくことになります。
普通の艦艇見学でつまづきやすい錨鎖の部分は立ち入り禁止なのに、
ここでは何の制限もされていないので、ちょっと驚きました。

というか、自衛隊での見学に慣れていると、
つまづきやすいところに黄色と黒のテープが貼ってあったり、
赤いリボンがしてあったり、危なそうなところは立ち入り禁止だったり、
あるいは狭い階段などのそばには必ず見張りの人がいて
場合によっては交通整理するやり方というのは、
アメリカでは全く採用されておりません。

全てに対して言えることですが、日本以外の国は基本、
自分から望んでそこにやってくるからには、
何をするのも自己責任の上であり、結果も然りという考え方です。



艦首にはアメリカ軍の国籍旗が翻っています。

2001年に同時多発テロが起きたとき、アメリカ軍は、
一時的に赤い線に蛇あしらわれ、
「Don 't tread on me」(わたしを踏みつけるな)
というロゴの入った南北戦争時代の旗、



ファースト・ネイビー・ジャック
(First Navy Jack)

が使用されていました。

わたしがコネチカットの潜水艦基地に展示されている
原潜「ノーチラス」を見学した時も、これが掲げられていた記憶があります。

その後2019年の6月4日のミッドウェイ海戦戦勝記念日に、
海軍は国籍旗を従来のユニオンジャックに戻すことを決めました。



艦首近くに立ち米軍の基地を眺めれば、そこには

USS「バリー」(Barry)DDG-52

が。

1995年就役から27年も経過している老齢艦で、イラク戦争、
リビア内戦などにも出動し多経験を持ち、2016年に
USS「ラッセン」の配置換えにともない、近代化を完了し、
このときにイージス・ベースライン9という
航空機・巡航ミサイル・弾道ミサイル・水上艦・潜水艦・
陸上目標に対する防御・攻撃が可能な最新の戦闘システムを換装しました。

ですから、老艦でありながらQOLを重視した環境を備え、
艦橋も完全統合された近代的なもの、そしてなにより、
調理室には最新式の設備が備わっているのだそうです。

外見は今ひとつでも、中は凄いんです。(多分)



何をするものかはわからず。
赤いオリジナルカバー付き。



甲板の上は満員御礼状態でした。



この範囲の見張りのために立っているのはこの水兵さんただ一人でした。
ただ立っているだけとはいえ、だらしない様子は全くなく、さすがは軍人、
立ち続けることには慣れきった様子です。(退屈そうでしたが)

ときどき英語の喋れる人にいろいろ質問されていましたが、
彼は性格なのか、終始無表情で淡々と任務をこなしていました。



キャプスタンに日本語も交えて「立ち入り禁止」と書かれていますが、
これは錨鎖のなかに足を踏み込まないでね、という程度の軽い禁止で、
基本的にどこを歩いても水兵さんから怒られることはありません。

レイクショア(LAKE SHORE) Inc.は、民間、防衛のどちらもの分野における
海事関係の装備や機材を設計し供給する会社で、
従業員の15%がアメリカ軍の退役軍人からなる会社です。

クレーン、ドア関係、荷物の積み込みのための装備、エレベータ、
給油システム、錨周りシステム、そしてキャプスタンまで広く請け負います。

同社は、わたしがこの夏徘徊していたミシガン湖の左上にあります。


■ ”チャールズ”という名の主砲


「ハワード」の主砲には「チャールズ」と名前がついています。
武器に愛称をつけるのはアメリカ軍では多々あることなのですが、
今回はこの”チャールズ”の由来についてわかったことをお話しします。

まず、「ハワード」の主砲のスペックから見ていきましょう。

MK.45 5インチ砲
(5"/54 caliber Mark 45 gun)
5-inch (127 mm)/62 Mk 45 Mod 4
 (lightweight gun)

Mark 45マウントに127 mm (5 in) L54 Mark 19砲を搭載した砲で、
水上艦、対空、水陸両用作戦支援のための対岸砲撃用に設計されています。

砲架は20発の自動装填装置を備えており、弾丸は完全自動制御で発射され、
最大発射速度で弾丸を使い切るのに1分少々しかかりません。


1960年から開発が開始され、最初に配備されたのは1971年。
「ハワード」が搭載しているMods4は2000年から運用されています。
もう22年目になりますが、次のバージョンは出てくるのでしょうか。

採用されなかったMods3を除いて、今まで3回改装がされてきましたが、
Mods4になってからの大きな違いは、自動装填装置の搭載で、
従来、継続的に使用する場合に、甲板下に6名の乗員
(砲塔長、パネルオペレーター、弾薬装填手4名)が配置され、
弾薬を継続して補給していたのが、これ以降はマウント内に人がなくても
20発の弾丸を発射することができるようになったことです。


Mods.4

アメリカ海軍では「タイコンデロガ」級と「アーレイ・バーク」級が、
海上自衛隊では「もがみ」型「あたご」型、「まや」型、
「あきづき」型、「あさひ」型
護衛艦にこのMods.4が搭載されています。

導入されて20年も経っているのに軒並み新しい護衛艦が採用するのは、
それだけ主砲として安定した評価をされているのだと思われます。

■ チャールズ・アルパンゾ・ハリス2世元艦長



甲板に出たその瞬間から、わたしはこの主砲の後ろに書かれた

Dedicated to
CDR Charles Harris
1979-2021

Guns Up, Ready to Fire.

チャールズ・ハリス中佐を讃えて
銃を上げ 掃射用意


という言葉に目を惹きつけられていました。
英語でこのような表現がされた場合、(そして書かれた年から想像して)
ハリス中佐という人はお亡くなりになったと考えるのが妥当です。



そこでわたしは構造物近くで見張りに立っていた女性中尉に目をつけました。
目をつけたというのは人聞きが悪いですが、なんとなく
こういうことは士官に聞いたほうがいいような気がしたのです。

彼女は親子連れに頼まれて、子供との記念写真に収まっていたので
それが終わったら、と思ったら、写真を撮るや否や行ってしまいました。

それならば仕方ない、と(ごめんね)わたしは
後に一人残ったアフリカ系の二等兵曹に、
チャールズ・ハリスって誰ですか、と聞いてみました。

その答えは、わたしが想像した以上に衝撃的でした。


左:チャールズ・ハリス前艦長

アメリカ海軍のニュース画像です。

カリフォルニア州サンディエゴ

チャールズ・ハリス司令官は、2021年5月6日、米海軍
「アーレイ・バーク」級誘導ミサイル駆逐艦USS「ハワード」(DDG83)
の艦内で、ソーシャルディスタンスを保った指揮官交代式を行い、
ウォルター・パーカー3世司令官の後任となりました。



潜水艦「シルバーサイズ」の艦長交代について説明した時、

A relieved B as commanding officer.

という構文は、直訳すると「AがBを解任する」となってしまいますが、
これは海軍独特の言い回しらしく、

Aが後任に就いたのでBは離職した
=Bの離職に伴い後任にAが就任した


ということをこのように表現することが確認できました。

前任のパーカー中佐についても言及されています。

ジョージア州出身のパーカー中佐は、2019年11月から指揮官を務めました。
彼の指揮のもと「ハワード」は基本的なフェーズの認証を完了し、
海軍のための最新の武器や、技術のいくつかをテストする
複数のCSSQT演習を実施し、Covid-19 Surgeの展開を実行しました。

『乗員諸君(チームと称している)、
わたしは諸君が共にやってくれたことをとても誇りに思います 』

とパーカー前艦長は述べました。

『この艦と乗組員は、すべての総和をはるかに超える働きをしたと思います』

パーカーの次の任務は、ワシントンD.C.の統合参謀本部です。
「ハワード」の副長は、直近ではチャールズ・ハリス中佐が務めていました。

海軍の軍艦では、副長には必ず艦長と同じ階級の者が配置されます。
それは有事に最も先任である者が指揮をとるからであり、
艦長に万が一のことがあれば、自動的に副長が指令を引き継ぐからです。

さて、そのハリス新艦長の経歴ですが、以下の通り。

USS「ドナルド・クック」(DDG-75)の通信士兼電気士、
英国海軍との人事交流プログラムに参加した際には
HMS「ヨーク」とHMS「エンデュランス」の航海士、
USS「デューイ」(DDG-105)の主任技師、
USSフリーダム(LCS-1)の作戦士など。


陸上では、海軍人事局水上配給部の配置担当官、
米太平洋艦隊副司令官のエグゼクティブ・アシスタントを務めた。


一見して典型的な「艦(ふな)乗り」のように思われます。
そしてハリス新艦長は就任時の抱負をこのように述べました。

「2021年のページをめくった今日、
皆さんの前に艦長として立つことを光栄に思います。

我々は日本に母港を移し、最も厳しい海や水路に出航していきます。
前途はきっと多難なものになることでしょう。
しかし、我々は第7艦隊で最も有能な軍艦を持ち、
最高の訓練を受けた乗組員であります。

『レディ・フォー・ビクトリー』の精神とともに」

これを読む限り、ハリス艦長が「ハワード」に着任したのは2021年5月です。
しかし、わたしの質問にアフリカ系の二等海曹ははっきりと答えました。

"He passed away."

と。

亡くなった年が砲に記されている通り2021年だったとすれば、
ハリス中佐は艦長職に在りながらわずか41~2歳で亡くなったことになります。

さらに検索してみると、2001年9月11日の同時多発テロで亡くなった
ニューヨーク市消防局の消防士、スティーブン・シラーを追悼して
設立された慈善団体で、アメリカの軍人や警察官、消防士など
殉職した人たちを讃え、記憶することを目的にしたサイト、

Tunnel to Towers Foundation

にその名前が見つかりました。



2021年8月28日、米国海軍中佐チャールズ・アルファンゾ・ハリスIIが、
米国海軍での勤務に起因する珍しい進行性の癌で亡くなりました。


ハリス中佐は、5月6日に「ハワード」に着任してわずか3ヶ月後、
「海軍での勤務に起因する癌で」
亡くなったということになります。

これほどはっきり進行性の癌の原因とされた勤務とは何だったのでしょうか。

このページの、在りし日のハリス艦長が「ハワード」の帽子を被った夫人と、
「ハワード」艦上で写したと思われる仲睦まじい写真からは、
直後に病に斃れかえらぬ人となるような様子は気配すら見られません。

「ハワード」の艦長に就任した時には、病状はかなり進行しており、
ステージも進んでいたと考えられますが、人事に影響なかったということは
周りは勿論、本人も病気に全く気づいていなかったのでしょう。


病の原因となったのは数年昔の勤務上の何かであるのは間違いありませんが、
これ以上のことがわからない以上、全ては想像に止まります。



このページにおけるハリス中佐についてのプロフィールは、以下の通り。

ハリスは、米国海軍兵学校で軍歴をスタートさせ、
経済学の理学士号を取得して卒業し、海軍兵学校で軍務に就きました。
その後、USS「ドナルド・クック」(通信・電気担当)
USS「トゥーワン」(訓練担当)USS「デューイ」(機関担当)
USS「フリーダム」(作戦担当)USSハワード(副長)に配属され、
艦長としてUSS「ハワード」に勤務。

また、英国海軍との人事交流プログラムでは、
HMS「ヨーク」とHMS「エンデュランス」で当直兼航海士として勤務。

2021年5月6日、ハリスはUSS「ハワード」DDG83の飛行甲板に立ち、
その艦と強力なドラゴンズの指揮を執ることになりました。

海軍の駆逐艦の指揮官になることは彼の生涯の目標であり、
19年間の激務の末、400日以上の休暇を犠牲にし、
配備のために数え切れないほどの月日を経て、彼はそれを実現したのです。

妻エリザベスは、彼の軍服にCommand at Seaの星章を付けた日ほど、
彼を誇りに思ったことはないと述べています。

米国海軍司令官チャールズ・アルファンゾ・ハリスJr.には、
妻のエリザベスと娘のアニカとクインがいます。



わたしがハリス中佐について質問した二等海曹に、

「彼が艦長のときあなたはこの艦にいましたか?」
(つまりあなたは彼のことを知っていましたか)

と尋ねると、彼はイエス、と答えました。

突如逝ってしまった現役の艦長の名前は、おそらく「ハワード」最後の日まで
主砲に刻まれ、其の砲身は「チャールズ」と呼ばれるのでしょう。


改めて砲に記された献詞を見ていたら、あることに気がつきました。
明らかに以前の「誰かを偲ぶことば」を消した上から書かれています。

消した文字はもしかしたら艦名由来となったジミー・ハワードの名だった?
そして上からあらたにチャールズ・ハリスと書いた?

万が一そうだったとしても、現役の艦長を失った乗員たちの気持ちは
おそらくハワード陸軍軍曹なら察してくれることとは思いますが。


続く。



USS「ハワード」アーレイバーク級ミサイル駆逐艦〜よこすかYYのりものフェスタ

2022-12-15 | 軍艦

今回のよこすかYYのりものフェスタの一番の目玉、
それはなんといってもアメリカ海軍の駆逐艦、

USS「ハワード」Howard(DDG-83)

であったのはまちがいありません。

「ハワード」は、アメリカ海軍の「アーレイ・バーク」級駆逐艦です。
艦名は海兵隊のジミー・E・ハワード一等軍曹(USMC)に因みます。



ハワード一等軍曹は、朝鮮戦争、ベトナム戦争のベテランですが、
名誉勲章を与えられた「ヒル488の戦い」で、
小隊15名の海兵隊員、2名の海軍兵を率いて敵陣の背後に降下し、
ベトコンの1個大隊(300人以上)と交戦し、12時間の戦闘で、
6名の犠牲者を引き換えに、敵200名を殲滅するという働きをしました。

ハワードは敵の手榴弾で重傷を負いながらも指揮を続け、
帰還して無事に退役しています。

ベトナムで一緒に戦った部下は、彼のことを

「ジョン・ウェインのような、ポーカーフェイスのハードな男で、
彼を見ていると『硫黄島の砂』のテーマソングが聞こえてくるようだった」


と回顧しています。

ハワード軍曹は64歳で亡くなりましたが、USS「ハワード」は、
サンディエゴから出港する時、彼が葬られている
フォート・ローズクランス国立墓地(コロナド近くのカプリロ国定公園)
の前を通るときに、必ず敬礼を行う慣習になっています。


ここで唐突に、元自衛官の方からいただいた、
「トップガン」のサンディエゴ聖地マップです(笑)

左にある
『アイスマンの葬儀をやった国立墓地』
ここに、ハワードさんも眠っているわけです。


「アーレイ・バーク」級というのもとてつもなく数が多くて、
「ハワード」はDDG-51からDDG-121までの現役艦、
そしてDDG-139までの建造中、建造予定艦のうち33番艦となります。

同級の命名基準はお察しの通り人名なので、
まあいうたらネタは無尽蔵です。

リソースには全く困らない上、艦名に名前を残すことが、軍人にとっては
至高の褒章となるのですから、言うことなしのシステムですね。

同級にはリチャード・オケインローソン・ラメージ
チャールズ・’スウェード’・モムセンなど潜水艦畑の人、
ジョン・ポール・ジョーンズなど古の海軍軍人、ルーズベルトなど政治家、
ミッチェル、スプルーアンスなどという海軍の英雄がいるかと思えば、
同じ船に乗っていて戦死した三人兄弟「ザ・サリバンズ」などの、
名もない水兵たちの名前もあります。

女性の名前もあります。



第一次世界大戦で海軍看護隊に加わり、女性として初めて十字賞を受けた
レナ・サトクリフ・ヒグビー
(ネットニュースでHigbeeを”ハイビー”としていたけどそれはないかと)
そのミドルネームを含むフルネームを
USS Lenah Sutcliffe Higbee (DDG-123)に残しました。

また、日系アメリカ人の政治家(元陸軍第442日系部隊)の、


左・イノウエ(爆弾で右手を失い医師の道を諦めた)

「ダニエル・イノウエ」USS Daniel Inouye 
(DDG-118)

また、史上初のアジア系アメリカ人将官となった、


Gordon Paiʻea Chung-Hoon
ゴードン・パイア・チュン=フー(1910ー1979)

の名前をとった、

「チャン・フー」USS Chung-Hoon (DDG-93)

さらに、第一次世界大戦時、USS「サンディエゴ」がボイラー爆発した際、
顔に火傷を負いながらも現場を離れなかったフィリピン人の消防士、


テレスフォロ・デ・ラ・クルス・トリニダード(1890-1968)

の名前をつけた、

「テレスフォロ・トリニダード」
USS Telesforo Trinidad (DDG-139)

が、建造予定となっています。

おっと、つい艦名由来の話になると夢中になってしまいます。
先に進みましょう。



持ち物検査は一応基地の入り口で済んでいるということで省略ですが、
「ハワード」に乗艦するためには免許証などの身分証明が必要でした。

乗艦するためのラッタルは通行を制限するため、
(ときどき写真のように荷物の積み下ろしが行われる)
5〜10分くらい並んで待ちました。

この様子を見ていただいてもお分かりのように、
並んでいるのはわたし以外全員が男性です。



積み下ろした物品は、なんとアメリカのお菓子。
TWIXというのはアメリカのパーキングエリアの食堂のレジなんかに
ちょこっと置いてあるようなクッキーバーです。

M&M(これをアメリカ風に発音すれば”エメネム”)とか
チーズイット(チーズクラッカー)なんかも。
艦内のPXの在庫整理をかねて(しらんけど)売るつもりのようです。

ところでセーラー服の二人、全く日本人のようで、
自衛官が制服だけ替えていると言われても信じてしまいそうですが、
この人たちも当然アメリカ軍人なんだなあ。



並んでいたら横でなにやら修理らしい作業をしているのに気がつきました。
乗員と海自の女性隊員、そして民間人らしいアメリカ人のおじさん。
これはどういう状況かな?
(多分ヒントは上から下された青いホース)



ラッタルの途中で通行者の見張り?をしているのも東洋系。
第7艦隊に配属される軍人はやはり東洋系が多くなるのかしら。
日系でなかったらあまり意味がない気がしますが。



舷門には5旒の旗が。
左から、

アメリカ合衆国海兵隊旗
🇯🇵日本国旗
🇺🇸アメリカ合衆国国旗
アメリカ合衆国海軍旗

 POW戦争捕虜/MIA任務中行方不明者の旗

となります。

また、左側の赤いテントに黄色い文字で書かれた、

”READY FOR VICTORY”
(もうこれで勝つる:意訳)

は、「ハワード」のモットーです。



構造物に掲げられている15とトロージャンが描かれたパッチは、

第15駆逐戦隊(Destroyer Squadron 15, DESRON 15)

のもので、「アーレイ・バーク」級DDGの8隻から成ります。



舷門から右側に進み、トンネルのようになった通路を通り抜けます。

「負荷容量」

「パント」(The punt)は少なくとも3人が乗れるものとし、
総荷重600ポンド(人員・機材)でなければなりません。

「パント」とは、一般的に小船の意味なので、
おそらく作業艇のことを言っているのだと思います。


赤い札というのはだいたい危険を告知するものですが、これも

危険
ここ(今いる場所)はミサイル爆破エリアに通じています。
うろつかないでください。
警告なしに発射が行われる可能性があります。


となっています。
ミサイル発射のときに甲板をうろうろしていたら
大変なことになるのはこれを読んできるみなさんならよくご存知ですね。



通路を抜けると前甲板に出ます。



Mk.41 垂直発射システム(Mk.41 Vertical Launching System)

自衛隊のほとんどの護衛艦に搭載されているのでお馴染み。
「あさひ」型以降の「まや」型、そして「もがみ」型もこのタイプです。

今回観艦式に参加した外国艦では、
タイ海軍の「プミポン・アドゥンヤデート」フリゲート
王立オーストラリア海軍の「アンザック」級フリゲート「アランタ」
同じくRASの駆逐艦「ホバート」

などが同じVLSを搭載しています。


甲板に出てとりあえず振り返ってみよう。

上部構造物の正面に鎮座するのは、

Mk.15 20ミリファランクスCIWS

「アーレイ・バーク」級の中には
前部にファランクスCIWSが搭載していない艦もあります。
2002年に就役したDDG-85以降は後部の1基だけになりました。

おそらく代わりに
Sea RAM(Rolling Airframe Missile)
を搭載するようになったからと思われます。

近接防空ミサイルとしてSea RAMを搭載している自衛艦は
「いずも」型護衛艦と「もがみ」型護衛艦となり、
「いずも」型はCIWSを2基にSea RAMを2基、
「もがみ」型はSea RAM のみでCIWSは搭載していません。


続く。

よこすかYYのりものフェスタ

2022-12-13 | 自衛隊

観艦式も終わって間もないある金曜日の夕方のこと、
先日外国艦艇の一般公開に声をかけてくれた方から電話がありました。

明日横須賀でのりものフェスタがあるから行きませんか、とのお誘いです。

外国艦艇公開で久々に上げた重い腰がそのおかげで軽くなっていたことと、
「当日はお天気もいいみたいです」という言葉に促されて参加を決めました。

前回と違って今回横須賀基地で公開されるのは海自艦艇だから、
そんなに朝早くから並ぶ必要はないはず、と、あまり気合を入れず、
開門に間に合う程度に現地に到着しました。



ヴェルニー公園では出店の準備が進んでいましたが、これにはびっくり。
JR職員のコスプレしたお店の人と思ったら、本物のJR職員でした。

鉄オタさんたちにはたまらない、その手のグッズを売っているようです。
電車や貴社のプラモとか、実際に使われたプレートとか。

国有時代ならいざ知らず、現在のJRってこういう「商売」もありなのね。
売るものなら、それこそ売るほど倉庫にあり余っていそうだし、
捨ててしまうくらいなら欲しい人に買っていただこうと。

One man's trash is another man's treasure.

つまりこういうことですね。



前日聴いていた時間より早く、横須賀基地は開門したようです。
もうすでに「いずも」の上には人の姿が見えています。



ヴェルニー公園を歩きながら抜かりなく米軍基地側もチェック。

ところで、いつの間にか海自の潜水艦隊は引っ越しをしたらしく、
今までいつも見えていた岸壁からはすっかり姿がなくなっていました。

あそこは何かと動向が人目につきやすかったからに違いない(断言)

で、これはアメリカ海軍の「ヴァリアント」級ハーバータグボート

「デファィアント」Defiant (YT-804)

ゴムボートかと思ったらちゃんと1隻ずつ名前がついていました。

「ヴァリアント」級タグは全部で6隻あり、タグボートとしてだけでなく
人員輸送、護衛任務もできるような設計になっています。

一応船室は4つあり、機関長とタグマスターがそのうち二部屋を、
残りの4人の乗員が二人で一部屋を使用します。

同級6隻の名前とそのネームシェイクは、それぞれ以下の通り。

「ヴァリアント」(勇敢)
「リライアント」(信頼)
「デファイアント」(反骨)
「セミノール」(Seminole族から)
「ピュアラップ」(Puyallup族から)
「メノミニー」(Menominee族から)


いうてはなんだが、相変わらず遠目にも錆が目立つDDG 52「バリー」



戦艦「陸奥」の主砲に、主砲弾がこめられ寸前ぽく置かれています。

こんな砲弾、前からあったっけ?と思って調べたところ、
元々海上自衛隊横須賀基地内に展示されていた41粍徹甲弾が無償貸与され、
追加で展示に加えられていたことがわかりました。

支援者たちは、横須賀海軍工廠で建造された戦艦「陸奥」に、
ここに主砲を置くことで「里帰り」させたかったそうです。



この後横須賀基地の門を入り、途中のテントでまず体温チェック。
並んでいる人は全くおらず、普通に歩く速さで通りすぎ、
岸壁に入るところで手荷物検査を受けて、これも一瞬で終了。

この日はとにかく呆気に取られるくらい人がいませんでした。

先日の「大河フリートウィークシリーズ」で写真をくださったKさんは、
観艦式で気力と体力をごっそり使い果たされたのか、
自衛艦だけの見学ならまいっか、とお休みになっていたそうですが、
他にもそういう人たちが多かったと見えます。

Kさんもですが、そんな人たちも、まさかこののりものフェスタで
米海軍の駆逐艦が内部公開をするとは思いもしなかったため、
後で知ってから途端に、行けばよかったと思われたようです。


■「こいずも」DDH1.83と「ちびしま」DDG1.74



観艦式でもどこかに展示されていたらしく、別の方から
「こいずも」「ちびしま」の写真をいただいていましたが、
この日は岸壁の、皆が通るところで脚光を浴びていました。

まずDDH 1.85の「こいずも」ですが、これがすごいんだ。



「こいずも」艦長は「いずもん」。

「艦内にヘリコプターを収納できるところを、
おなかに赤ちゃんや貝などを乗せるラッコに見立ててデザイン」

よく見ると制帽にヘリのローターがついているのがダメおし。


「艦内にヘリコプター”を”収納できる」

・・言い切ってはいけない。
収納できるのはヘリコプターだけじゃないだろ!


これとか。

というツッコミはともかく、この「いずもん」ですが、



こんな自衛官は実在する(断言)



「ちびしま」は以前もここでご紹介したことがあります。
その時にはキャラは居ませんでしたが。

だいぶ前だったはずだけど、ちゃんとメンテナンスしているらしく、
ピッカピカで、台座が新しくなっていました。



赤の艦長席でしどけなく横たわっている「ちびしま」艦長「きりまる」。
前回からいつの間に艦長に就任したのだろう。

「イージス艦の8角形のレーダーをアザラシの眼鏡に見立ててデザイン」

こんな自衛官もどこかにいそうな気がする。



甲板にはちゃんとハンドラーの姿もあり。
そうそう、この黄色い線、実際の「いずも」にもありましたよ。

ここで唐突に。

海上自衛隊護衛艦「いずも」F-35B発着艦試験映像(着艦~発艦まで)/U.S. Marine Corps F-35B Lands on JMSDF DDH Izumo

並行に移動してラインの上に降りるとき、つい
「UFOキャッチャー」という言葉がよぎりました。

で、飛行ボス?みたいな人とか、不思議なんですが、
「いずも」のワッペンをつけてるのに、アメリカ軍人なんです。

F-35Bでこの発着艦試験を行った行ったのは米海兵隊だそうですが、
これは、「いずも」がプラットフォームとしてOKかという試験ですかね。

YouTubeのコメントにもあるけど、75年前戦争していた両軍が、
今こうやって一つの艦に乗って同じことをしているって、色々と胸熱です。



「ちびしま」のチャフ・ランチャーの後ろには
トナカイとサンタと普通の人が。

ところで、最近「ざんねんないきものシリーズ」で知ったことですが、
クリスマスにツノを生やしているトナカイは全てメスなんですよ〜。

オスがツノを生やしているのは春先だけで、
その理由は「雌をめぐる争いをするため」ですって。



ところで、ある方から送っていただいたフリートウィークのときの
「こいずも」の甲板のようすをご覧ください。
展示してあった場所はどうも同じなのですが、
わたしは外国艦公開の時にこれは見なかったなあ・・・。

観艦式ではみごとに登舷礼が行われていました。



すごい(色んな意味で)

■岸壁の展示艦


最初の目的地はこの岸壁です。

岸壁に入るところで、入り口が三分割されており、行き先ごとに
「米艦ハワード」「うずしお」「海保船」と通路が分かれていました。


二人が歩いて行っている一番向こうが「ハワード」の通路です。

抱っこした子供に小さな旭日旗を持たせたお母さんが、
岸壁を左に行こうとして自衛官に分かりやすくストップされております。
(”Talk to the hand!"のお手本的な)

もしかしたらパパがこの向こうにいたりするのかな。

わたしはとりあえず今日の最大目標である「ハワード」の通路を選択し、
たっぷりと時間をかけてアメリカ海軍の駆逐艦を堪能しました。



観艦式でパキスタン海軍の「ナスル」らが係留されていた岸壁には
DD110「たかなみ」と同型艦(たぶんDD111『おおなみ』)の姿。

両艦は第6護衛隊の4隻のうち2隻です。



これは「ハワード」の甲板から見た両「なみ」。
こうしてみると結構な擦り傷やペンキのムラがありますね。

「おおなみ」は、この夏、「やまぎり」とともに、沖縄で
米海軍の「ロナルド・レーガン」らと日米共同訓練を実施しています。


この日はシャッタースピードを確認したので、
ほとんど失敗はありませんでした。

風に綺麗に靡く旭日旗。



「ハワード」艦橋ウィングから岸壁を臨む。

これを撮っていてちょっと苦労したのが逆光。
いくらちゃんと使い方を勉強しても、しばらく使わなければ
全てはすっかり脳内から消えてしまっているのだった。

この問題は、「ハワード」を降りて合流した二人のカメオタ友人に
解決してもらいましたが、人任せだからまたすぐ忘れるんだよな。

でも反省なんてするもんか。


■のりものフェスタならでは!「ジェミニ・ディンギー」体験乗艇



この高さから見事に波を一直線に立てて疾走する警備隊のゴムボート。
ボートに乗っているのは水中処分員(EOD)の資格を持つ隊員です。

ボートは処分艇「ジェミニ・ディンギー」が正式名。

ところでですね。


疾走していた処分艇はともかく、この日、
頻繁に海上を行き来していたこのディンギー、
よくよく見ると乗っている人が一般人ぽくない?


なんと、自衛官の他に一般人の親子連れが乗ってるではありませんか。



親同伴の子供に限り、という条件で、
(そらそうだ、もし年齢制限がなかったら、オサーンばかりになっちゃう)
今日はなんと処分艇体験ができたようなんです。

さすがYYのりものフェスタ。
いろんな乗り物に乗れるイベントとはいえ、海自がここまでするとは。



「あしたか」の待ち時間が長かったので、並びながら何組も
家族が乗ったボートが通るのを見ましたが、湾を小回りに一周し、
「あしたか」の横に来たら自衛艦旗を下ろして退出、
というコースは厳密に決まっていた模様。

この日は波もなく、さぞ楽しかろう、と思ったのですが、
写真を撮っていて、ボートの上の人たちが、
親はもちろん、子供ですら、全く笑っていないのに気がつきました。

「あしたか」の近くを通る頃には、皆一様に、なんというか
魂の抜けたような無表情にすらなっていたのは、なぜ?

ボートには水中処分員と自衛官が付き添い、
救命胴衣もつけて万全の体制ですし、何かあっても
人命救助はEODの本業ですから何も心配することはないはずですが、
これはよっぽど乗り心地が悪いんだとみた。

加えておそらく、カメラやスマホでの撮影は禁じられていたため、
大人は手持ち無沙汰だったのかもしれんね。

■ 陸空自装備展示



この日は近くの武山駐屯地から陸自の装備が出張していました。
偵察用バイクに乗る男の子、これぞのりものフェスタならではの光景。


82式式通信車

陸上自衛隊で初めての国産装輪装甲車で、
3軸6輪駆動による装輪式を採用しており、
水深1m程度の渡河能力を有します。


1 1/2t 救急車

中型車両の後部を負傷者等後送用に改造した負傷者搬送車両で、
負傷者などを担架に乗せたまま乗せることができ、
大4名の横臥の状態での搬送をすることができます。

救急車の「アンビュランス」を省略して「アンビ」と呼ばれます。


高機動車

4輪駆動の中型トラック、10名が乗車可。
一般道路での高速走行性能に加え、車体全高は低く、高い最低地上高を持ち、
また前後左右のタイヤ間が広くとられた車体バランスと、
タイヤ空気圧の調整機能を持つことによる悪路での高い走行性能が特徴。
装備しているランフラットタイヤは被弾時も走行性能を保ちます。

わたしの連れは二人で、

「どうですかこれ、普通に欲しくない?高速走れますよ」

「オフロードにはいいでしょうねー」

と真面目に話しあっていました。
こんなもの置くところあるのか。


ペトリオットミサイル

空自からはPAC3がきていました。
ペトリオットミサイルを輸送し、最大16発ミサイルを発射する装置です。



わたしたちが通りかかったとき、横にいて質問に答える係が
PAC-3の整備をしているという可愛らしい女性隊員だったものだから、
おじさん二人は大喜び。

ミリオタ知識を得意になって彼女に開陳し、隊員さんからは、

「よくご存知ですね!」

とか言われてご満悦です。
わたしが彼女に、整備を最初から志望して配属されたんですか、と聞くと、

「空自には飛行機に乗ろうと思って入ったつもりですが、
いつの間にか落とされる側じゃなくて落とす側に・・」

(誰うま)


■ のりものフェスタ



海保からも出店があり、海自と並んで制服お試しコーナーや
キャラクターとの触れ合いコーナーなどで頑張っていました。

オレンジのスーツを着ているのは海保の「海猿」かしら。
海猿なのに猿ではない(シロクマ?)のはこれいかに。



SH-60Kがヘリポートに駐機していました。
操縦席に乗せるなどのサービスはしてなかったようです。

もし見学者を近づけるなら、ヘリのローターは畳みますよね。



横須賀音楽隊の演奏は次の日に行われたようです。



ヴェルニー公園ののりものフェスタは、この時間佳境に入っていました。

なんと運転手の制服を着てバスの運転席に乗れるコーナーまである!
横須賀の少年たちは幸せ者だなあ。


というわけで、艦艇見学以外ののりものフェスタはこんな感じでした。
次回はアメリカ海軍の駆逐艦「ハワード」乗艦報告です。


続く。



観艦式ロスの癒し方〜横須賀軍港模様と青海の艦艇公開・音楽まつり

2022-12-11 | 自衛隊


さて、「あたかも自分が行ったように人の撮った写真で語る観艦式」
シリーズ(少しずつタイトルが変わっている)も、
いよいよ今日で最終回となりました。



最後に、観艦式が終わって帰投する艦写真の続きを。
177「あたご」と「いずも」が反航する瞬間です。

「あたご」は帰路に着いていたはずなのに、とのことです。



こういうときって、お互いに手を振ったりするのかしら。



観艦式に出席したMCHヘリ。
もしかしたら総理大臣を乗せていたかもしれません。

素敵な写真の公開を快く了承してくださったKさんには
心から感謝しつつ、最後までご報告をやり遂げたいと思います。

■ 「祭りの後」の横須賀



さて、観艦式も終わりました。
横須賀には内外の艦艇が溢れています。

ある艦は祖国に向かう準備、そして元の住民である
横須賀の艦艇は、それぞれの係留岸壁に一応落ち着いて・・・。


タイ海軍の「プミポン・アドゥンヤデート」の艦上では
来日記念写真の撮影が行われていました。



今回初めてタイ海軍の軍人たちを見た気がします。


観艦式に参加した補給艦「おうみ」。
今から着岸でしょうか。

ところで「おうみ」の上部をよくご覧ください。


ヒューイヘリが・・・・。

しかし、この画像、どちらが先に撮られたのかわかりません。
離艦したのかそれとも着艦したのか?



ただ、その後の写真がこれ。
「おうみ」から降りて海自のヘリポートに移ったんでしょうか。



それからこれは「いずも」の甲板にいる「アパッチ」。
要人輸送はいつも白いヘリで行うので、
戦闘ヘリであるアパッチがなんのために「いずも」にいたのか?

と思ったら、A H-64D「アパッチ」は観艦式で観閲飛行を行ったようです。


ヘリを離艦させた「いずも」は、休むことなく任務に出て行きました。
わたしがYYのりものフェスタで乗艦したのはこの後です。


巨大な「いずも」を動かすタグボート。
(おそらく反対側にもう一隻いると思われます)
出入港作業でタグボートを見るたび、すげー!と心から驚嘆します。
目立ちませんし縁の下の力持ちですが、カッコいいですよね。



あれ?タグ1隻だったか・・・。
そしてまだ甲板にはアパッチくんがいたのでした。

アパッチは離艦したのではなく着艦したようで、
Kさんによるとローターを回すことなく、
人力で甲板を行ったり来たり(って・・)していたようです。



お手入れ中のアメリカ海軍の駆逐艦USS「バリー」の横を通り
横須賀港を出ていく「いずも」。

「バリー」の名前の由来は、アメリカ海軍の父である

ジョン・バリー(1745-1843)

バリーはアメリカ大陸軍の最初に就役した艦の最初の艦長、
つまり「アメリカ海軍初の艦長」というべき軍人であり、
ジョージ・ワシントン大統領に命名されて最初の海軍士官、
コモドアの階級を付された人物ですので、
アメリカ海軍の艦艇には安定のネーミングとして
過去同名の軍艦はこれを入れて4隻存在します。


3隻目までは普通に駆逐艦でしたが、この「バリー」から
ミサイル駆逐艦になったため、DDG(Gはガイデッドミサイルの意)
となりました。



*アメリカ艦おまけ*

全く別の日ですが、横須賀にとんでもないものが来ていました。

最新鋭駆逐艦「ズムウォルト」・・・全くフネ艦がないんですがこれは。
コンクリートの要塞みたい。



沿海域戦闘艦「オークランド」

これはまたすごい。
この前から見たところ、ジャバ・ザ・ハットの顔を思い出しちゃったよ。

【超高速44ノット三胴船】インディペンデンス級沿海域戦闘艦の最新装備


原潜「スプリング」も密かに来日していたようです。


さて、「いずも」の跡の岸壁には「おうみ」が着岸して。



■ 青梅艦艇公開

さて、この写真をもちまして本当に観艦式は終了したわけですが、
「観艦式ロス」のKさん、このあと青海客船ターミナルで行われた
艦艇公開に突撃されたというではありませんか。

これにはわたしもびっくりですわ。



おお、「もがみ」と「くまの」の兄弟が並んで係留されていると、
なんだかとっても近未来的。

ところで、どうやってこんな位置からの写真が撮れたのでしょうか。



正解はこれ。
Kさんたら、東京水上タクシーをチャーターして、
海側からのアプローチでこのショットを決められたそうです。

因みに気になるお値段は、一艘30分で一万円なり。

こんなに短時間フラッと海上散歩ができるなんて知りませんでしたが、
なんかそう言うことがしたくなった時のためにメモしておこう_φ(・_・

東京ウォータータクシー

タクシーは定員8名だそうですが、(小さい)
Kさん8名でシェアして割り勘されたとのこと。

「これで観艦式ロスが治癒なら安いわ」

ということですが、ごもっともです。




クリスマスのリースが主砲に。
平和そのものである。


「もがみ」と「くまの」に旭日旗を振ってみた



Kさんご一行が水上タクシーから自衛艦旗を振ったところ、
帽子を振って”good job call”をする隊員のみなさん。

自衛官の方々にとっても、こういう応援は嬉しいだろうなあ。
たまたま通りかかって手を振るだけならともかく、
わざわざ旗を用意して船をチャーターして、って。

乗員の方たちは今日は一般艦艇公開のイベントということで、
作業着ではなく、制服を着て乗艦されています。



一度こんな位置から(しかも海面の高さから)
艦艇を見てみるのも、なかなか新鮮でいいかもしれません。
「こちらも海の上」っていうのがライブ感ありますし。



このあと船がエンジンを全速(かどうか知らんけど)し、
30分のツァーは終わったと思われます。

水上タクシー、大変親切で良心的な会社&スタッフだったということで、
Kさんも心からおすすめということでした。



水上タクシーを降りて、国際クルーズターミナルから艦艇を臨む。
この時間なので人がまばらになっていますが、
これは既に甲板見学は終了していたためです。

午前中、見学者のすごい混雑で早々に受付は終了されました。



もしかしたら見学者の順番待ちのためのロープも
結構みっちりとなるくらいの人出だったのかな・・。

芸術的なくらいきちんと設営されたロープの通路は感嘆に値します。

「これぞ自衛隊」。



こちらは「もがみ」。
甲板の主砲の前に上kんが集合していますが、なんだろう。



この後岸壁からも見学。

「もがみ」型の舳先は尖っておらず、なめらかなカーブが美しい。
舷腹はいきなりスパッとカットされたようになっていて斬新です。



「もが美」ちゃんと「もがみ」くん(たぶん)もお出迎え。
バラクラバにお面という超節約モードのマスコットキャラですが、
こういうおもてなしのスピリットがとにかく嬉しいよね。

お面もデザインから頑張って作ったんだろうな。

■ 自衛隊音楽まつり



音楽まつりが再開しました。

今回わたしは入院騒ぎがあったりして、そもそも
応募したりチケットの入手を心配したり、ということを全くせず、
いつの間にか終わっていて、Kさんからの写真で思い出したくらいでしたが。

会場を見ると、客席をひとつづつ空けて感染対策をしていたようですね。

これは予行演習だったそうです。



自衛官じゃないよね?と思ったらやっぱり違いました。

テレビを見ないわたしはその情報に全く疎いのですが、
フジテレビではついに陸自ドラマ「テッパチ!」なんてのをやったみたいです。

(変換したら勝手に!が付いてきたので、まさかと思ったら
『テッパチ!』が正式タイトルだった)

で、この予行演習ならではのサプライズとして、GENERATION
(EXILEの別働隊?)が生歌とキレッキレのダンスを披露したそうです。

【フル尺】GENERATIONS、『テッパチ!』主題歌『チカラノカギリ』
陸上自衛隊中央音楽隊と全力パフォーマンス!
『令和4年度自衛隊音楽まつり』リハーサル公演




国旗掲揚。



第302保安中隊のプログラムはやはり
「陸軍分列行進曲」で最後を飾ったようです。
そのほかの曲は「歌よ」「U」「我が山河」
↓「我が山河」とはこれのことかな。

田辺恒弥:我が山河


途中で「富士山」の一節をアレンジしたメロディが出てきます。
サブタイトルは「富士山を象徴として」



東京音楽隊でのお披露目に立ち会った、
初の男性歌手橋本晃作(36)二等海曹
(36って年齢のことかしら)

Kさんによると技術海曹としての任用ではないかということ。



向こうから、陸、海、海、空の専属歌手となります。

『令和4年度自衛隊音楽まつり』Live DVD/Blu-ray風


規模が縮小されたらしく、参加した外国海軍は、在日米陸軍海兵隊の他は
パプアニューギニア軍楽隊、パキスタン陸軍軍楽隊だけになりました。

パプアは「ふるさと」「上を向いて歩こう」、
パキスタン陸軍は「風の谷のナウシカ」を演奏してくれたようです。

そして、これは聞きたかったなと思ったのは、
空自、陸自、米軍楽隊による「トップガン」の「アンセム」。

Top Gun: Anthem

これをやるのにどうして日米どちらにも海軍はいないんだ?
という疑問が残りますが・・。


さて、というわけで、長々お話ししてきた大河観艦式シリーズを終わります。
長らくお付き合いありがとうございました。

写真を提供くださったKさんには、心からお礼を申し上げます。