ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

インド海軍INS「シヴァーリク」と「カモルタ」〜国際観艦式外国艦一般公開

2022-11-17 | 軍艦

お気づきのことと思いますが、今回の外国艦一般公開で
わたしが内部を見学できたのは、オーストラリアとニュージーランド、
合計3隻だけだったので、実は内部観覧報告は終わりです。

パキスタン海軍は列が進まないので脱落し、ここならいけるだろうと
並び出したカナダ海軍の列は、開場して1時間だというのに
もうすでに「待ち時間100分」の告知が出されていました。

とりあえず並び出し、列を一往復進んだところで
暑さとマスクの息苦しさに耐えられなくなって戦線離脱。

あとを頼む、と知人を置いてとっとと帰ってしまいました。

しかし、このイベントに全て参加し、あるときは木更津に、
あるときは田浦に、あるときは横浜に、あるときは観音崎に、そして
千代ヶ崎砲台跡まで見学されたスーパーお元気なKさんが、
その全行動を写真に収めて送ってきてくださっています。
(これがあったから当方の戦線離脱が早かったという噂もあり)

ここから先は、Kさんの写真にわたしの写真を申し訳程度に混ぜながら
ともかくも最後までご紹介していきたいと思います。

■ インド海軍



先日、パキスタン海軍の歴史を調べたところ、
その歴史はそのままインドとの戦争の歴史といってよく、
わたしの思っていた以上にシリアスで洒落にならん関係でした。

海軍同士のつながりというのは国家間の関係とはちょっと別、
という言葉もありますが、実際最近までやり合っていた同士、
(しかも2001〜2002年には不穏な睨み合いもあったらしい)
よく同じところに錨を降ろす決断をしたものだと・・。

ここは、海上自衛隊がいい意味で空気読まずに、
インドには「うちの観艦式、パキスタン来るけど来ない?」(・∀・)
パキスタンには「観艦式、インド来るけどお宅も来るよね?」(・∀・)
と声をかけて、

「何っ、インドが行くなら出ないわけにはいかん!」
「パキスタンだけにいいカッコさせられるか!」


となるように競争心を煽ったのではないかとすら思えます。

ただ、観艦式の順番とかそれこそ係留する埠頭の位置とか、
自衛隊はかなり神経使ったんじゃないかと思うがどうか。

インド海軍

パキスタン海軍は分離独立を果たしてから、
インド海軍が分かれてできたような経歴ですが、こちらは
植民地化されてからずっとイギリス海軍としての歴史があります。

第二次世界大戦ではイギリス軍でしたから、
それこそ日本海軍からも猛烈な通商破壊戦で何隻も喪失しました。
この頃の保有軍艦は8隻でした。


オーストラリア、ニュージーランドと同じく、
ロイヤル・インディアン・ネイビーとして、1950年から2001年まで
このようなホワイト・エンサインを使用していました。


2001〜現在

現在のインド海軍は

「他の連合国軍と連携し、戦時・平時を問わず、インドの領土、国民、
海洋権益に対する脅威や侵略を抑止・撃退すること」

「インドの政治、経済、安全保障上の目的を推進するため、
インドの海洋権益地域に影響力を行使すること」

「インド沿岸警備隊と協力し、インドの海上責任水域における
良好な秩序と安定を確保すること」

「インドの近隣海域で海上支援(災害救援を含む)を行うこと」


を使命に掲げています。



■INS「シヴァリク」



INS 「シヴァーリク」 (F47) 

は、「シヴァーリク」級ステルス マルチロール フリゲート艦で、
インドが建造した最初のステルス軍艦です。

国産で、2001年に建造が開始され、2009年に完成し、
2010年4月29日に就役しています。

前級である「タルワール」級よりもステルス性と陸上攻撃性を向上させ、
また、インド海軍の艦艇としては初めて、

CODOGCOmbined Diesel OGas)推進システム

を採用しました。
ディーゼルエンジンとガスタービンエンジンを組み合わせた推進方式です。

全長142.5m
ビーム16.9m
喫水4.5m
標準積載時 約5,300トン
満載時 約6,200トン

乗員 約257名
うち士官37名


兵装は、ロシア、インド、西側の兵器システムを混合装備。

3インチ (76 mm) オートメララ海軍砲

超音速対艦ミサイル Klub と BrahMos

対空ミサイル Shtil-1

RBU-6000 対潜ロケットランチャー

DTA-53-956 魚雷ランチャー

近接武器システム(CIWS)32セルVLS発射のバラックSAMとAK-630

艦載機 2機のHAL Dhruv Sea King Mk.42Bヘリコプター


■ インド海軍の国際的立ち位置

日本との関係で言いますと、2012年、INS「シヴァーリク」は
インド海軍の駆逐艦とフリートタンカー4隻編成で、

JIMEX 2012(日印海洋演習)

に派遣され、インドにとって初の日本との海上共同訓練を行なっています。
自衛隊からは、護衛艦2隻、哨戒機1機、ヘリコプター1機が参加しました。

このときインドから参加した4隻の艦船は、東京に3日間滞在しましたが、
この訪問は、日印国交樹立 60 周年の記念行事となりました。

その後定期的に行われているらしいJIMEX(後欄参照)に関しては、
在インド日本大使館のページなどでも紹介されており、令和2年度は
「かが」「いかづち」などが参加したと報じられています。

日印共同訓練令和2年

安倍晋三元首相が提唱した日米豪印クァッドQUADの設立時、
インドだけはこれが中国包囲網とかではないということを言明しました。

確かにインドと中国の関係性は我々が思うより密接です。

たとえばINS「シヴァーリク」も、日本の訪問の後中国に立ち寄りましたし、
青島で人民解放軍海軍 (PLAN) の 65 周年記念式典が開催されたときは
インド海軍も出席して、中国、インドネシアと共に
ハイジャック対策を含むハイレベルな演習を実施しています。

また、2014年には、ロシアと、海・陸軍対テロ演習である
INDRAウォーゲームに積極的に参加しています。

元々インドは勢力図で言うとレッドチーム寄りで、
パキスタン海軍がブルーチームだと言われていましたね。

ただ、インド海軍が頻繁に他国との軍事演習を行うのは有名?な話です。
これまでインドが行ってきた多国間防衛訓練を表にしてみました。

お節介ながら冷戦時の西側諸国を青東側諸国を赤で記しておきました。
カタールは冷戦時まだ独立していなかったので黒のままです。

Milan Multilateral 1995~2022 10回
VARUNA 🇫🇷仏海軍 1983〜2019 17回
KONKA 🇬🇧英海軍 2004〜2019 14回
INDRA 🇷🇺ロシア海軍 2003〜2021 12回
MALABAR 🇺🇸米海軍 🇯🇵海上自衛隊 1992〜2020 24回
SIMBEX 🇸🇬シンガポール海軍 1994~2020 27回
IBSAMAR 🇿🇦南ア海軍 2008~2018 6回
SITMEX 🇸🇬シンガポール海軍 🇹🇭タイ海軍 2019~2020 2回
SLINEX 🇱🇰スリランカ海軍 2012~2020 8回
NASEEM-AL-BAHR 🇴🇲オマーン海軍 1993~2020 12回
AUSINDEX  🐨オーストラリア海軍 2015~2019 3回
JIMEX 🇯🇵海上自衛隊 2012~2020 4回
ZA'IR-AL-BAHR 🇶🇦カタール海軍 2019~2019 1回
SAMUDRA SHAKTI 🇮🇩インドネシア海軍 2018~2019 2回
BONGOSAGAR 🇧🇩バングラデシュ海軍 2019~2020 2回
Zayed Talwar🇦🇪 UAEアラブ首長国連邦海軍 2021~2021 1回
Al-Mohed Al-Hindi 🇸🇦サウジアラビア海軍 2021~2021 1回


趣味:他国との軍事演習というくらいの実績でしかも相手を選ばず。
いろんな国を巻き込んで軋轢を作らない方向性というか、
インドにすればこれが宿敵パキスタン包囲網のつもりだったりするのかも。

で、一応念のために確認しておきますが、
インドは冷戦時はレッドチームだったんだなこれが。

■INS「カモルタ」



INS「カモルタ」Kamorta P 28

は、インド海軍のために建造された

対潜水艦「カモルタ」級ステルス コルベット

で4隻建造された同級のネームシップです。

先ほど、インドが世界中の海軍と演習をしまくっていることを書きましたが、
インド海軍は「真のブルーウォーター・ネイビー」を目指してきており、
現在は晴れてそのブルーウォーターネイビーの一員と目されています。

外洋海軍、ブルーウォーターネイビーは、反対の意味の地域海軍が、
その国の沿岸のみで活動する海軍力しか持たないのに対し、
広範囲での制海権を行使する海軍力を持つとされます。

艦船や潜水艦を国内で設計・建造することができる、というのも
ブルーウォーターネイビーの条件であり、このためにインド海軍は
自国艦建造の自立を目指し、「カモルタ」建造もその重要な一歩でした。

同級は、2003年に承認されたプロジェクト28の一環として、
GRSEによって設計・製造され、2010年進水、2014年に就役しました。

INS 「シヴァリク」と同様、インド産の高級鋼材を使用した、
インド初の国産対潜コルベット、初の国産ステルスコルベットです。

鋼材には、国営インド鉄鋼公社がビライ製鉄所で生産する
独自開発の特殊級高張力鋼 (DMR249A)が使われました。


「カモルタ」はインドのニコバル諸島にある島の名前です。
ちなみに同級の名前は

「カドマットkadmatt」「キタンKitan」「カヴァラッティKavaratti」

で、命名基準はインドの島の名前です。

■「カモルタ」の最新性能

当クラスの特徴は、そのステルス性ですが、もう一度写真を見てください。

2枚めの右側の艦体と、この上の写真からお分かりのように、
艦体と上部構造が、途中のくびれた「X」字型なのがお分かりでしょうか。
この傾斜側面のため水中音声信号やレーダー断面が低くなります。

また、インド海軍艦として初めて炭素繊維強化プラスチックで建造され、
重量を軽減、ライフサイクル・メンテナンス・コストを削減しました。

センサーや兵器システムの大部分は艦体に包含されており、
これらもインド国内の各企業が手掛けました。

赤外線抑制、音響静粛システムなどのステルス機能も強化されています。


コンピュータで作成した、プロジェクト28カモルタ級コルベットの設計図

また、折りたたみ式のハンガードアも特徴です。
(あああ〜見学したかった)

推進力は5,096馬力 (3,800 kW) のディーゼルエンジン4基を
1,050 rpmで搭載しており、最高速度32kn (59 km/h; 37 mph) が可能。

乗員は約180名、将校は15名。



BELRavathi レーダー これもメイドイン・インディア



L&T RBU-6000 ASW ロケットランチャー(爆雷)
原型はソ連が開発、L&Tはインド企業



バラット・エレクトロニクス社(インド)開発の火器統制レーダー


流石にこれだけはイタリア製オトーメララ

ここまで調べて、わたしにはわかってしまいました。

つまり、今回のインド海軍、世界に、特に宿敵パキスタンに、
この自他ともに認めるブルーウォーターネイビーの証を見せびら・・
おっと、見せつけるために、自慢の国産艦を、
内部まで惜しみなく一般公開したのに違いありません。

って、観艦式=軍事パレードと考えるならどこもそれが目的なんですけどね。


続く!


PNS「ナスル」「シャムシール」とパキスタン海軍〜国際観艦式外国艦艇一般公開

2022-11-15 | 軍艦

観艦式はもうとっくの昔におわたのに、相変わらずのんびりと
外国艦艇一般公開についてのレポをお送りしている当ブログです。

さて、前回で南太平洋艦隊を見学し終わったわけですが、
知人が桟橋を奥に進み、次はパキスタン海軍の列に並ぼうと言ったので、
特に考えもないわたしはそれに従うことにしました。

オーストラリア海軍のHMAS「スタルワート」艦橋から見たところ、
パキスタン海軍からは大小の2隻が来日していました。



その名も「ナスル」と「シャムシール」。
(看板の説明を熱心に点検しているお子あり)

わたしが知る期間だけだと、パキスタンからの観艦式参加は初めてです。
せっかくこうやって日本においで頂いたのも何かのご縁。
我々日本人がほとんど知ることのないパキスタン海軍について、
今回はその歴史について語ることを試みます。

っていうか、これはわたしにとって全く未知の領域。
皆様の中にも興味のある方がおられるにちがいない・・と信じて。


■ パキスタン海軍 波乱含みの誕生 

【パキスタンとインドの分離独立】

1947年8月15日にイギリスから独立した英領インドが
主に宗教上の理由でインドとパキスタン王国に分離します。

パキスタン海軍は、そののち、消滅したインド海軍から移管された
人員と装備でスタートしました。

パキスタン海軍の最初の装備は、スループ2隻、フリゲート2隻、
掃海艇4隻、海軍トロール船2隻、ハーバーランチ4隻
というものです。

この譲渡の時から、インドとは早速悶着が起こりました。

インドは分離独立したパキスタンに対し、ボンベイ造船所の機械はもちろん、
たまたまパキスタン国内にあった機械すら譲渡を拒否してきたのです。

発足当初のパキスタン海軍の人員は200人の将校と3,000人の水兵のみ。
最上級は大佐で、しかも軍人としてほとんど未経験。
士官のうち20名がインド海軍の執行部出身で、機械技術者は6名のみ、
兵器システムや艦船全体専門の電気技術者等は皆無という状態です。

パキスタン海軍は、創設早々から、人員不足、運用拠点の不足、
財政的支援不足、技術的・人的資源の不足に悩まされることになります。

当時三軍のうち陸軍と空軍の力が強く、防衛計画も予算も
陸空軍中心に組まれたという事情があったからです。

造船所もなく(当時地域唯一の造船所はボンベイにあった)、
次世代を担う人材の育成をする場所にすら事欠く国内事情も加わり、
パキスタン海軍の出だしには暗雲が立ち込めていました。


PNS「シャムシェール」
1947年インド海軍から譲渡されたパキスタン海軍の最初のフリゲート艦
訓練艦として使用された

今回来訪しているフリゲート艦と同名ですね。


■ 始動1947年~1964年

【第一次印パ戦争】

イギリスから分離独立したインドとパキスタンの間には
カシミール地方をめぐって1947年から第一次戦争が始まりました。

戦闘は陸空で展開したため、ほとんど出番のない海軍は、
駆逐艦でパキスタンからインドへの移住者の移送などを行っていました。

新海軍のトップはイギリス海軍から送られた英国人将校が占めていました。

ただ、このお陰で第一次戦争が終わった後、パキスタンは
イギリス海軍から寄付と譲渡により多数の護衛艦を得ることになります。

【イギリス統治が続くパキスタン海軍】

1950年、ついに海軍の国有化が行われることになります。
陸空軍から多くの将校が海軍に志願し、下士官は将校として任官しました。

政府は海軍のトップにパキスタン人を任命するよう交渉しましたが、
体制が覆ることはなく、その後も指揮権はイギリス人少将に、
パキスタン人は参謀長以下にしか任命されることはありませんでしたし、
非戦闘任務全てが常に英国海軍の支援監督の下に行われました。

政府は1954年、潜水艦を調達するためにイギリス政府に働きかけましたが、
貸与すら拒否されたため、パキスタンは、自国海軍の近代化のために
アメリカに、駆逐艦の貸与と金銭的な支援を求めて交渉を持ちかけました。

1955年、これを受けたアメリカ海軍の顧問がパキスタン海軍に派遣され、
パキスタン海軍に踏襲されていた英海軍の影響は一掃されました。

Royal Pakistan Navy から「ロイヤル」という接頭辞は削除され、
名称はPakistan Navy』PN に変更されることになりました。

三軍の優先順位も、海軍-陸軍-空軍から陸海軍-空軍へと変わります。

しかしその後も、どこから軍艦を調達するかなどの折衝をめぐって、
陸海軍の間に激しい内部対立が生じるようになってしまいました。

まあどこの国にもよくある話なんですが。

その後パキスタン政府が反共チームに参加した結果、
英米からは駆逐艦2隻、沿岸掃海艇8隻、油送船1隻が調達されました。



■ 印パ戦争とその後の戦時配置1965年-1970年

「パ海軍初の潜水艦『ガージ』取得」

海軍近代化のために潜水艦をなんとしてでも調達したいパキスタン海軍は、
カラチにある海軍工廠に英国関係者の指導を要請、同時に
インド洋で作戦展開するための訓練支援をアメリカ海軍に要請しました。

1963年ごろは、ソ連海軍がインド海軍に潜水艦を貸与する、
という情報があったため、潜水艦調達に対して米英は協力的だったのです。

当時西側がピリピリしていた反共というポイントをうまく利用し、
の協力を取り付けた結果、1964年、ついに待望の
PNS「ガージ」Ghazi が就役しました。


1965年、戦場でのPNS「ガージ」

 アメリカ海軍の「テンチ」級潜水艦USS「ディアブロ」Diablo S S-479
として就役し、その後パキスタン海軍に貸与されて
PNS「ガージ」として就役させることになったのです。

そんな折の1965年、カシミール侵攻が勃発します。
これにより印パの間で第二次戦争が勃発。

配備された最初の長距離潜水艦「ガージ」は、
インド海軍の空母INS 「Vikrant」の脅威に対し情報収集を行います。

その後パキスタン艦隊はインド空軍のレーダー施設、
ボンベイのインド海軍西部海軍司令部に対して砲撃作戦を展開しました。


その頃、パキスタン海軍は海軍航空の設立について、
戦闘機とそのパイロットが海で失われることを恐れ反対する派と、
この考えに敵対する航空AHQスタッフとの間で、対立が起こっていました。

そして、パキスタンには東パキスタン(現バングラデシュ)
との間の外交問題も起こっていました。

パキスタン海軍が戦争に対して準備不足で、
戦略は現実から切り離した結果でしかないのは明らかでした。


■ 第三次印パ戦争とPSN「ガージ」沈没

第三次戦争のきっかけは東パキスタンに起こった災害でした。

当時実権を西パキスタンに握られて植民地状態だった東パキスタンに
サイクロンが起きて国土が水没したのですが、中央政府の対応をめぐって
住民の不満が爆発し、独立運動が起こってしまったのです。

パキスタン軍が出動してこれを抑えるため制圧をおこなうと、
難民がインドに流れ込んでしまい、これにインドが怒って
第三次戦争が起こってしまったのでした。

【印パ海軍の戦闘】

戦闘が始まると、インド海軍はパキスタンの海上国境を突破し、
ソ連製の「オーサ」級ミサイル艇 で最初のミサイル攻撃を成功させました。

 このとき発射されたのは対艦ミサイルであるスティックスで、
時代遅れのパキスタン軍艦はこれに対する防御の術を持たず、
結果、軍艦2隻を沈没で失い、1隻が修復不可能な損傷を受けました。

さらにパキスタン軍の兵舎を狙ったインド海軍のミサイル地上攻撃では
1700名が死亡するという大惨事となり、
パキスタン海軍には心理的なトラウマを抱えると共に、
その後の戦闘能力を大きく低下させていくのです。

しかし対するパキスタン海軍は、潜水艦「Hangor」
インドのフリゲート艦INS「 Khukri」を沈没させたこともあります。


INS「ククリ」

これは第二次世界大戦後初の潜水艦による軍艦の撃沈となりました。
インド海軍はこの沈没で18人の将校と176人の水兵を失いました。

そんなときパキスタン空軍のF-86 戦闘機が、
フレンドリーファイアーで海軍艦を攻撃するという事件が起こり、
パキスタン海軍 の作戦能力は事実上消滅し、士気は急降下しました。

そして、この戦争で配備されていた海軍唯一の長距離潜水艦
「ガージ」が、謎の状況下で沈没してしまったのです。

この沈没理由を、パキスタン側は機雷の爆発により沈没したとし、
インド海軍は撃沈したと主張して、いまだ原因は明らかではありません。

ともかくも、これが心理的に決定打となって、
パキスタン海軍は士気を明らかに喪失してしまうのです。

実際この戦争で海軍は従来の半分の戦力を喪失することになりました。

【パキスタン軍の敗北の理由】

後年の研究者によると、このときのパキスタン海軍の敗北は、
最高司令部が海軍の役割を定義することをせず、
海軍を『軍隊として考える』ことに失敗したから、とされています。

どういうことかというと、為政者が、海軍を軍として十分に理解せず、
またシーレーンを守ることの重要性も理解していなかったため、
海軍が本来持つべき力を発揮させられなかったということでしょう。

第三次印パ戦争ではインドの圧倒的な勝利となり、
東パキスタンはバングラデシュとして独立を果たしました。


■近代海軍への再編成と構築 1972年~1989年

戦後、海軍の近代化が押し進められます。
1972年ブット政権は、海軍の上級提督5人を解任し、人事を刷新。

1977年にアメリカから旧「ギアリング」級駆逐艦「エッパーソン」
PNS 「タイムール」Taimur を取得。


PNS「タイムール」

1974年には、ついに海軍航空部門が設立されます。
イギリスからウェストランド・シーキング・ヘリコプターが供与され、
1979年にはインド海軍に対抗し、偵察機から陸上発射できる
地対艦ミサイル・エクゾセの試射を実施。
南アジアで初めて陸上弾道ミサイル搭載の長距離偵察機を保有しました。

潜水艦は、フランスの「アゴスタ70A」級潜水艦を購入、
「ハルマット」「ハシュマット」として就役し、このことは
インド海軍に対する海底での優位性をもたらしました。

当時アメリカはレーガン政権で、経済復興と安全保障支援を目的とした
32億ドルの対パキスタン援助案をアメリカ議会に提出し、
海軍はハープーンシステムの入手交渉に成功しましたが、
アメリカ国内におけるインドの強いロビー活動の妨害があったそうです。

こうして互いに軍備拡張を競い合った結果、インドとパキスタンは
互いに相手を封じ込めることができると確信していました。

やがてパキスタン海軍は、中東諸国への戦時展開を開始し、
アメリカ海軍を支援するためにサウジアラビアに戦力を展開しました。

■ 自立・交戦・秘密作戦(1990年-1999年)

1989年にロシア軍がアフガニスタンから撤退すると、
ブッシュ政権は秘密裏に行われていた原爆開発計画の存在を暴露し、
パキスタンに対する武器禁輸措置を発動します。

1990年にリース期限切れの装備を全て返還させられ、
海軍はいきなり資金調達の問題に直面してしまいました。

この禁輸措置は海軍の活動範囲を著しく狭めることになります。

ちなみに潜水艦の取得先を中国で検討していましたが、
あまりに静謐性がないためこれを断念したという話です。

どうも大人の事情というのか不可思議なのですが、アメリカの
禁輸措置にもかかわらず、米海軍はパキスタン海軍との関係を維持して、
原潜や空母の運用に関わっていたようです。

パキスタンもアメリカと繋がって損はありませんから、ソマリア内戦では
米軍の行動に参加し、ソマリア沿岸で戦時哨戒を行っています。

その後米国議会で禁輸が解除され、海軍は哨戒機を譲渡されました。


パキスタン海軍のP3Cオライオン

1999年8月10日、インド空軍が海軍航空隊を撃墜し、
将校を中心とした16名の海軍関係者が死亡する事件が発生。

1999年8月29日にはP3Cオライオンが事故により失われ、21名が死亡。


撃墜の件でパキスタン海軍はインドを国際裁判所に提訴しましたが、
後に裁判所の権限が過大であるとして請求は棄却されています。

 ■アフガニスタンでの対テロ戦争と北西部での作戦
(2001年~)

海軍は潜水艦への核兵器搭載を検討しましたが、実現していません。

2002年から2003年にかけて、パキスタン海軍はインド洋に展開し、
海上からのテロに対抗するための海軍訓練に参加し、最終的に中国と
誘導ミサイルフリゲート艦の設計・建造技術の獲得のための防衛交渉に入り、
F-22P誘導ミサイルフリゲート艦が2006年から建造されました。

2004年以降、インド洋に展開し、多国籍軍基地NAVCENTで
重要な役割を果たし、CTF-150やCTF-151の指揮を執るとともに、
「不朽の自由作戦」にも積極的に参加しています。

■ PNS 「ナスル」


今回国際観艦式に参加しているPNS「ナスル」Nasr(左)。

2008年には、インド洋でアメリカ海軍と共に、海上テロ防止のための訓練
「インスパイヤード・ユニオン」に参加した艦歴があります。

PNS 「ナスル」Nasr (A47) は、パキスタン海軍の905型補給艦です。
中華人民共和国の大連造船工業公司で建造され、1987年に就役しました。

連れの言葉に従って、「ナスル」の見学をしようと列に並んだのですが、
並んでいるわたしたちに、自衛官が、

「ナスルはグループごとに乗組員が付き添う形で乗艦します」

「艦内の写真撮影は禁止されています」


と注意しているではありませんか。
いうてなんだが、1987年建造の中国製補給艦のどこに、
撮影禁止にしなければいけないような機密があるというのか。


艦体錆すぎ

と思いましたが、桟橋一つ置いて宿敵海軍が停泊しているのだから、
日本人のふりをしてスパイする人がいないとも限らない、
と慎重になった結果かもしれん、とその時は思ったのです。

で、並び出したのはいいですが、列が全く進まんのよ。

グループごとに乗員が一人付き添って中を案内、
おそらくカメラは全部カバンに入れるか没収?
付き添いはこっそり写真撮らないか見張るため?

いずれにしてもピリピリした感が満載です。

なんならそういう非日常を味わうためにも乗ってみたかったのですが、
あまりに列が動かないので、堪え性のないわたしは離脱してしまいました。

ちなみにKさんによると、パキスタン海軍、終始マイペースで、
こんな状態で長蛇の列ができていても全く意に介さず、
誰か来たら見学者を止める、お祈りの時間になったら
全てを放棄して見学客を放置して甲板で祈り出す。

うーん、面白すぎるぞこの海軍。

「ナスル」の艦歴をざっと見てみたところ、

1998年、カラチで商業タンカーに突っ込まれたことがある

2004年のインド洋地震・津波ではモルディブへの救援活動を行い、
外国勢として初めて現地で救助活動を開始した


そしてまたしても面白すぎたのが、

2014年にオーストラリアで行われたカカドゥ軍事演習に参加したとき、
ダーウィンで乗組員が脱走するという事件があった。

すぐに見つかって連れ戻されたそうですが。


浦賀水道を航行する「ナスル」 K氏写真

乗員:士官26名、下士官兵120名
搭載武器:ファランクスCWAと37ミリ二連装銃、12.7ミリ機銃
艦載機:ウェストランド「シーキング」、
エアロスパティアル「アルエットIII」SA316


 
■ PNS「シャムシール」Shamsheel



「ナスル」の隣に係留してある小さな艦艇が
パキスタン海軍のフリゲート艦であることがわかって、
見学者の撮影を禁止したわけがようやくわかったわたしです。



「シャムシール」は2009年に就役したフリゲート艦で、
近代的な電子装備を全て保有し電子戦も行えます。

この建造も中国海軍で、もしかしたら撮影禁止は
中国からの意向もあったのかもしれないと思ったり。


Kさん提供

「シャムシール」、今回、日本の観艦式に出席する途中、
荒波のため行中の乗員二人が怪我をしていたことを知りました。

かなりの怪我だったらしく、同艦はフィリピンに遭難信号を出し、
サンタアナ港に臨時寄港して負傷者を搬送していたのです。

うーん、知らなかったわ。


横須賀を出港する「シャムシール」 Kさん提供



現在のところ、パキスタン海軍はインド洋での作戦範囲を拡大し続けており、
2013年に原子力潜水艦のプログラム構築を開始すると先に発表し、
また、トルコとの防衛交渉に成功したと報告されています。


Kさん提供

出待ちのパキスタン海軍軍楽隊の皆さん。
マスクをずらして楽器を咥えている人がいます。

続く。


船首形状いろいろ〜国際観艦式に伴う外国艦一般公開

2022-11-13 | 軍艦

さて、外国海軍艦の一般公開、開場と同時に入場し、
オーストラリア海軍の「ホバート」の甲板までを見終わりました。



「アオテアロア」のハンガーを通り抜けて下艦します。



バスケットゴールの向こうには充実のジムが。

この後、ラッタルを降りて下艦したのですが、
このラッタルがすごかった。

説明しにくいのですが、「アオテアロア」備え付けのラッタルが
もっと低い岸壁に係留するための仕様なのか、
階段部分の角度が傾いてしまい、その上を歩くわたしたちは
まるで鉄のハシゴを渡るようなスリルを味わうことになりました。

靴との接地点が少なく、しかも踏み板は下に向かって傾いているので、
手すりを持たないで歩くのは不可能。
下にネットは張ってありましたが、段と段の隙間は大きく、
足を滑らせたら色んな意味で人生終わると思われました。

軍艦がバリアフリー仕様でないことくらいは百も承知ですが、
それにしてもこのラッタル、今まで自衛艦とアメリカの展示艦を
たくさん見てきたわたしにとっても、特にスリル満点なものでした。


この写真を見る限り、乗艦は上甲板階に、
下艦はその一階上から梯子を降ろしているように見えます。

ということは、上甲板と格納庫は同じ階ではなかったということか・・・。


さて、というわけで、RANとRNZNの3隻の軍艦を見終わりました。
これはKさん写真ですが、わたしがいたのと同じ時間っぽいです。

埠頭に出たわたしたちは、というかわたしの連れが、
この奥の艦を見ようといい出したので、左手に向かって歩き出しました。

そこでこんな光景を目撃したのです。

■「スタルワート」のバルバス・バウ



「スタルワート」の作業艇が、錨の塗装をしていました。

観艦式においでくださったお客様に対してこんなことを言うのもなんですが、
このとき見学した「アオテアロア」「スタルワート」「ホバート」、
どれもつい最近建造されたにも関わらず、艦内を歩くと
結構いたるところにサビが目立つので驚いた直後のことです。

海の上に浮いている鉄の塊・軍艦がすぐに錆びるのは当然とはいえ、
我が海上自衛隊の執念と思えるくらいの行き届いたメンテナンスと、
特にイベント前には彼らが必ず化粧直しすることを知っているので、
ついついこういうサビが目についてしまうわけです。

連れと、観艦式に呼ばれた時くらいはきれいにしてから来ようよ、
などと軽口を叩きながら甲板を見て回った後に、この光景を見たのです。


オーストラリア海軍、展示の間は暇だからか、観艦式を前に、
目立つ錨だけはきれいにしておくことにしたらしいのです。

作業艇にはペンキがかからないように、ちゃんとカバーがかかっています。



指揮官はオーストラリアンハットの人かな?



あっという間に錨を塗り終えて去っていく作業艇。
錨より、その収納部分に頑固にこびりついたサビを何とかしろと。



というところで、この「横顔」です。
まず「スタルワート」のバルバス・バウをご覧ください。

バルバス・バウ(Bulbous Bow)は日本語だと球状船首ともいい、
船が進む時の造波抵抗を小さくするための構造です。

バルバス・バウだとどうして造波抵抗が小さくなるかというと、
突き出している「球根」部分は艦体より先に進んで波を作り、
その波が艦体部分で位相が逆になって打ち消されるという原理です。

お分かりいただけただろうか



ところで「スタルワート」の艦体に描かれているコレですが、
「この先→バルバスバウあり〼」
という注意喚起に違いありません。(確信アリ)


錨を塗り替え真っ最中の写真をもう一度ご覧ください。

後ろに見えているのはフリゲート艦「ホバート」の艦体ですが、
よく見るとここにも「バルバスバウあり〼」のマークが見えます。
(これがそのマークだとすればですが)


素敵すぎるバスバスバウの有効利用 HMAS「キャンベラ」




■ 環境配慮型”エンビロンシップ”「アオテアロア」


前回さらっと流して書いた、この「エンビロン・シップ」という言葉ですが、
あまりピンと来る方はおられなかったのではないでしょうか。

これは一般名詞ではなく、ロールスロイスの製品名となります。

船首部分を細くして前方の浮力を小さくするデザインは
隣のバルバス・バウとは全く違う思想で抵抗を小さくするもので、
一般的にウェーブ・ピアシング・ハルWave-pirecing hullといい、
「アオテアロア」の艦体は初めてこれを採用したものです。

環境問題という言葉を、英語では

Environmental Problem

といいますが、「エンビロン・シップ」は、要するに艦艇建造に
環境配慮&次世代型コンセプトを盛り込んだ計画ということができます。

ロールス・ロイス社の「Environship」コンセプト
について説明しておくと、まず、CO2排出量についての取り組み。

搭載されているベルゲンBシリーズのリーン・バーン・ガスエンジンは、
ディーゼルエンジンに比べてCO2排出量が約17%少なくなっています。

また、このガスエンジンの採用により、
窒素酸化物(NOx)排出量は約90%削減
され、
硫黄酸化物(SOx)排出量もほぼないと言えるほど少なくなりました。

これらの排出量は、2016年に施行される予定の
IMO(国際海事機関)の第3次環境規制
の制限値内にすでに収まっています。

ロールス・ロイス社独自のプロマス推進システムは、
舵とプロペラを一体化したもので、これだけでも
船舶の効率を5~8%向上させることができます。

そして、この「アオテアロア」で目を惹く革新的な船首形状。

この船首形状と船型は、抵抗を最大8%低減するため、
燃料消費と排出をさらに削減することができるのです。

隣のバルバス・バウとはあまりに違うその形状は、
「垂直」

見れば分かりますが、もうとんでもなく、空前絶後に垂直です。

軍艦で、海面とキッカリ垂直のバウを持つ船は、寡聞にして、
後にも先にも、この「アオテアロア」しか見たことがありません。

たまたま隣にいるオーストラリア艦のバルバス・バウは、
2段階に波を起こし、打ち消して抵抗を減らすという思想ですが、
垂直船首形状は、それに加えて荒波の中でも速度を維持することができます。

これを波浪貫通船首といいます。

この画期的かつ特徴的な波浪貫通船首、世界をリードするガスエンジン、
革新的なプロマス推進システムを組み合わせることで、
ロールスロイスは燃料効率を最大18%向上させることを可能にしました。

さらに「アオテアロア」は、南極での厳しい気象条件下での活動があるので、
艦体には耐氷性の強化および寒冷地対策が施されており、
推進システムもポーラーコードに適合させていることを付け加えておきます。

ポーラーコードは北極と南極における船舶運行に関する取り決めで、
IMO(国際海事機関)によって定められたガイドラインです。

ニュージーランド海軍が、この度「アオテアロア」という
最新式の環境配慮型軍艦を持ってきてくれたことそのものについて、
我々はもう少し注目してもいいかもしれません。



桟橋を歩きながら後ろを振り返ってみました。
手前の「ホバート」がバルバス・バウを持っているようには見えません。


■ パキスタン海軍の軍楽隊



「スタルワート」の艦橋からY-3桟橋に係留している
パキスタン海軍の「シャムシール」を撮っていると、
目立つ白い軍服の一団が整列しているのに気が付きました。


この雰囲気は軍楽隊じゃないかな?と想像。



この後、そのパキスタン海軍の艦を見学するつもりで、
桟橋を歩いていると、向こうからその人たちがやってきました。
やっぱり軍楽隊で、手に楽器ケースなどを携えています。



桟橋は区切られていて、この右側がパキスタン艦、
左側がシンガポール海軍の「フォーミダブル」見学ラインにつながります。
真ん中は退出用の通路です。

続々と向こうから歩いてくるパキスタン海軍軍楽隊の皆さんですが、
カメラを向けるのはこれも失礼な気がして、
下の方にカメラを持ったままさりげなくシャッターを押しました。
(つまり隠し撮りってやつです)

この時、軍楽隊は、横須賀中央通り、ドブ板通りで開催された
「横須賀パレード」に参加するために移動していたことがわかりました。

このパレードには停泊している海軍艦艇の軍楽隊はもちろんのこと、
防衛大学校儀仗隊、横須賀消防音楽隊、そしてフィナーレには
海上自衛隊横須賀音楽隊がマーチングを行ったということです。

パキスタン海軍軍楽隊@ドブ板通り

ところで、パキスタンの音楽隊ってどんな曲を演奏するのでしょう。
西洋音楽とかは全く演奏されたり聴かれたりしないでしょうし、
と思って調べてみました。

'Ceddin Deden' by Pakistan Army - Ottoman Empire Song


オスマン帝国の「ジャッディン・デデン」らしいです。
パキスタンとトルコってなんか関係あったっけ?
と思いあらためて地図を見ましたが、地理的にも結構離れているし、
歴史的にもあまり絡みはなさそうだし、なんで演奏しているんだろう?

音楽センス?に通じるものがあるのかな?
と思って別の音源を探してみましたが・・・

Pakistan Navy Brass Band:パキスタン海軍軍楽隊演奏(カラチ)
 

練習とかその辺でやっていたと言うわけではなく、
何かのイベントで演奏しているところに
海外協力隊の方がたまたま居合わせて撮影したようです。

うーん・・・わからん。

続く。


HMAS「ホバート」の艦歴〜国際観艦式に伴う外国艦艇一般公開

2022-11-11 | 軍艦

オーストラリア海軍の補給&給油艦、「スタルワート」の艦橋から下を見ると
そこには紛れもなく駆逐艦らしき艦がいました。



HMAS「ホバート」HOBART DDG39

です。
イージスシステムを搭載していることは艦橋に装着された
8角形のAN/SPY-1Dレーダーを見れば一目瞭然。

艦橋前のMk41垂直発射機は海上自衛隊の護衛艦でお馴染みですが、
RANの駆逐艦でこれを搭載しているのは「ホバート」級だけになります。

あとは全てフリゲート艦ですが、よく言われる
フリゲート艦とデストロイヤーの違いは、一言で言ってサイズです。

フリゲート艦は駆逐艦より小型で、対潜水艦に使用され、
全てではありませんが駆逐艦は対艦・対空誘導弾向きです。

フリゲート艦は自衛隊には長年存在しなかった言葉で、
「くす」型護衛艦(アメリカ海軍のタコマ級フリゲート)
「かや」以来ご縁がなかったわけですが、

もがみ型護衛艦、Mogami Class Frigate

が建造されて、半世紀ぶりにフリゲートを持つことになりました。
艦種となるFFMはフリゲートを表す「FF」に機雷の「M」からきています。

少し前、掃海部隊の規模縮小と掃海艦の引退がありましたが、
従来型と違い、機雷戦能力を導入した「もがみ」型は
この部分を埋めるタイプとして機雷戦能力を搭載しています。

「もがみ」と「くまの」

「もがみ」級の命名基準は一目瞭然、「河川」です。
今後続々と就役する予定の「もがみ」型護衛艦の名前は、

FFM-3「のしろ」
FFM-4「みくま」
FFM-5「やはぎ」

までが決まっており、さらにはFFM-10までが将来的に計画されています。
どんな名前が付くかも楽しみですね。
(個人的には『しなの』『くま』(球磨)『あぶくま』なんかが欲しい)


おっと、閑話休題、「ホバート」です。



名前が掲げられています。


とりあえず「ホバート」甲板に立ってみました。
赤いカンガルーが眩しい。


これは「赤いカンガルー」シリーズから貰ってきた、
多分ファンネルのカンガルー。

カンガルーの向きが逆ですが、どっちに向けてもいいみたいですね。
この辺がおおらかというか、オージーらしい(単なるイメージ)というか。


「ホバート」はRANの航空戦艦の主力艦です。

前回も触れたように、隣の「スタルワート」と同じく、建造者は
ナバンシアNAVANCIAというスペインの会社で、
ナバンシアが「ホバート」のベースにしたのは、

「アルバロ・デ・バサン」級フリゲート艦
Fragatas clase Álvaro de Bazán


でした。


2番艦 F-102 アルミランテ・ファン・デ・ボルボーン

ちなみに、バサン級一覧

F-101  アルバロ・デ・バサン
SPS Álvaro de Bazán

F-102 アルミランテ・ファン・デ・ボルボン
SPS Almirante Juan de Borbón

F-103 ブラス・デ・レソ
SPS Blas de Lezo

F-104 メンデス・ヌーニェス
SPS Méndez Núñez

F-105 クリストーバル・コロン
SPS Cristóbal Colón

どれも名前長すぎ。

こちら「ホバート」

ちなみに今時の造船は全てそうなのかもしれませんが、
「ホバート」もプレハブモジュールを組み立てる方法で建造しました。

ただし、この工事でモジュール(ブロック)は建造が遅れたため、
結局三か所に分けて同時進行で工事を行い、艦首部分のブロックだけを
建造責任であるナバンティアが建造したという話です。

遅れた理由というのが、途中でキールブロックが歪んで着底したからで、
その原因は設計者ナバンティアの図面が間違っていたからでした。

結局「ホバート」の建造は予定より30ヶ月も遅れてしまいました。
もちろん予算も超・超過してしまったとか。

そしてオーストラリア海軍に引き渡されたのは2017年6月。

まだ就役して日の浅い艦なので、実績らしい実績はありませんが、
2019年に北部と東南アジアに展開する(つまり”対C国”ですな)
RAN機動部隊の旗艦を務めていますし、
2020年には、リムパックにRANから唯一の参加を果たしています。


目隠し加工にマスクを使ったらすごく不気味になってすみません

「ホバート」は乗艦はさせてもらえましたが、ラッタルを渡った瞬間、
回れ右して帰ってくるようなスペースしか公開していませんでした。

これは、海自の一個連隊がラッタルを通過するのを待っています。
この後、「ホバート」から「スタルワート」に戻った瞬間、
「ホバート」の乗員が何か呪文を唱え出したのでビクッとして振り向いたら、
ちょうど偉い人が下艦していくところでした。

サイドパイプが吹鳴されるはずなのですが、聞こえませんでした。
ロイヤル・オーストラリアンネイビーではやらんのか?
と思って調べたのですが、やらないということはないようです。


手のひらを立てるのがオージー風

ちなみにオーストラリアとニュージーランドでは、
∠( ̄^ ̄)はイギリス式だと思うのですが、
この写真を見る限り肘を横に張る陸軍式に見えます。

呪文が聞こえて立ち止まって見ていると、
いかにも偉そうな金ピカがやってきて通り過ぎたのですが、
あまりにも近くを通って行かれたので、カメラを向けるのは遠慮しました。

ちなみにわたしが聞いた乗員の「呪文」は、
「Piping the side」
に類することを言っていたはずですが、今回わかりませんでした。



さて、現在の「ホバート」は、RANにとって三番目の同名艦となります。



初代「ホバート」(I)英国海軍のHMS「アポロ」を譲り受けたもので、
第二次世界大戦勃発後は地中海掃討作戦の支援に従事していましたが、
日本の参戦後は極東海域に移動し、日本軍の激しい爆撃に耐えました。

連合軍艦隊の一員として活動した際には、13回もの攻撃を受け、
当時の「ホバート」艦長は、その時のことを

「爆弾は、炸裂の赤い閃光が見えるほど近くに落ち、
爆発の熱を顔に感じることができた」

と書き遺しています。

「ホバート」はその後珊瑚海海戦に参加し、1942年5月7日には
日本軍の魚雷爆撃機8機と重爆撃機19機の標的にされましたが、
戦闘機の援護がない中、回避行動で3機を撃墜し、何とか被害を免れました。

1943年7月20日には、ついに日本軍の潜水艦による魚雷攻撃を受け、
13人の将校と水兵が死亡し、さらに7人が負傷しています。

その後終戦を迎えた時、唯一のオーストラリア艦船として
東京湾での歴史的な日本軍の降伏に立ち会いました。

そして1962年「ホバート」は退役してスクラップになりました。
売却され解体したのは何の皮肉か日本の企業だったそうです。


二代目となるHMAS「ホバート」(II)は、RANのために米国が建造した
「パース」級誘導ミサイル駆逐艦(DDG)3隻のうちの1隻でした。

1965年ボストン海軍工廠で就役し、母港シドニーに翌年係留されてからは
ベトナムに3回派遣され、米第7艦隊の「砲列」で艦砲射撃の支援や、
米空母打撃群の見張りや護衛を担当しました。

1967年7月29日、空母「フォレスタル」の火災事故が発生したとき、
「ホバート」は同艦の支援に向かっています。

また、同艦の2度目の配備となった1968年6月17日には、
米空軍機が誤って同艦に向けてミサイルを3発発射し、
乗員2名が死亡、他数名が負傷する事故が発生しています。


この時被害を受けた上部構造物と犠牲になった電気技師長ヘンリー・ハント

ちなみに、この事故の時、「ホバート」と一緒に行動しており、
航空発射ミサイルの被害を受けたと申告したアメリカ海軍艦がいました。

それがなんと、わたしがこの夏、ミシガン湖畔で見学した駆逐艦、
USS「エドソン」です。

まさかRANの記事で、実物見学したばかりの米軍艦の名前を見ようとは。

その後「ホバート」は改装と近代化を重ね、誘導ミサイル発射システム、
バルカンファランクス近接武器システムの搭載が行われ、
1999年には、就役以来100万海里の航海を達成し、
これはRANの艦船としては3番目の快挙となりました。

そして2000年、同艦は艦名の由来となった都市ホバートを最後に訪問し、
退役して南オーストラリア州のヤンカリラ湾に沈んでいます。




■ HMAS「ホバート」(III)


GROW WITH STRENGTH


現在の3代目HMAS「ホバート」(III)は、
「ホバート」級誘導ミサイル駆逐艦3隻の一番艦です。

姉妹艦は、

HMAS「ブリスベーン」 Brisbane (III)
HMAS 「シドニー」Sydney (V)


「ホバート」は、沿岸部の陸上部隊やインフラに加え、
随伴艦の護衛、ミサイルや航空機に対する自己防衛を行います。

最新鋭のフェーズドアレイレーダーAN/SPY 1D(V)を搭載した
イージス戦闘システムは、SM-2ミサイルとの組み合わせにより、
150km以上の距離から敵機やミサイルを交わすことができる
高度な防空システムを海軍に提供しています。


東オーストラリア演習場において、ハープーン爆破実験

「ホバート」には監視・対応用ヘリコプターが搭載されており、
水上戦では、長距離対艦ミサイルや、陸上部隊を支援するための
長距離弾薬を発射できる艦砲を今後搭載する予定です。

水中戦に対する備えとして、最新のソナーシステム、デコイ、地表発射魚雷、
効果的な近接防御兵器の数々を装備する予定です。


マリナー・スキル評価期間への出発前、シドニー湾でのHMASホバート

「マリナースキル・エバリュエーション」

とは、安全な乗船作業に必要な能力を備えていることを証明するために
海軍のシー・トレーニング・グループから
数日間にわたって受ける厳しい評価試験のことです。

海上における船舶の安全維持に必要な様々な能力、
緊急事態を克服する能力を試すもので、最初は艦隊基地で、
その後出港して海上で実施されます。

評価対象は、乗艦するチームだけでなく、チームを送り出すボートクルー、
情報を提供するオペレーションスタッフ、
チームを支えるロジスティックスタッフ、チームが準備する武器、
ボディアーマー、無線を割り当てるその他のスタッフ全てとなります。


マリナースキル評価期間を終了しシドニー湾に入港する「ホバート」

「ホバート」前方でローレベル・フライパストを行うリアジェット35。

HMAS Hobart's Combat System Ship Qualification Trials

イージスシステム、VLS発射の映像に

「THAT'S LETHALITY」(それが致命的)

「思考する海軍 戦う海軍 あなたのオーストラリア海軍」

というロゴが現れる「ホバート」のイメージビデオです。


立ち入り禁止だった「ホバート」の後甲板を見ると、
勤務をオフしているらしい乗員さんたちが、
Tシャツに短パンで甲板から海を眺めていました。


最後に、Kさんからいただいた写真から、
観艦式のために観音崎を通過する「ホバート」の美しい姿をどうぞ。


続く。


HMAS「スタルワート」の観艦式進行表〜フリートウィークに伴う外国艦公開

2022-11-09 | 軍艦

オーストラリア海軍の艦艇に乗った話をしようと思ったら、
今まで全く知らなかったRAN(ロイヤル・オーストラリアン・ネイビー)
の艦尾旗の歴史、赤いカンガルーとその他の徽章など、
面白いネタが次々と出てきてしまい、一項を費やしてしまいました。

今日は気を取り直して、HMAS「スタルワート」に乗るところからですが、
その前に、前回部隊章、インシグニアの特集をしたので、
ニュージーランド海軍の徽章についても言及しておきます。


これが今回参加したRNZNのHMNZS「アウテアロア」の徽章。
真ん中にあるのはおそらく昔の錨なんだろうと思います。
ニュージーランド海軍の正式なマスコットが「錨」だからでしょう。

錨がマスコットというのもなんか違う気がしますが。

今回一隻だけの参加となったニュージーランド海軍。
海軍全体の人口は2,334人、艦隊は、

フリゲート2隻
洋上巡視船2隻
陸上哨戒艦2隻
水陸両用戦艦 1隻
補給艦 1隻
潜水支援船 1隻

が全てという規模ですので、
逆によく貴重な補給艦を送ってこられたなと思うくらいです。

(ただし、第二次世界大戦の時には全部で60隻保有していたそうです)

元々、ニュージーランドは1840年から大英帝国の植民地であったため、
海岸線の防衛はずっと英国海軍が責任を持っていました。

第一次世界大戦の時も正式なニュージーランド海軍は存在せず、
イギリス連邦軍のニュージーランド部門として参加していました。

第二次世界大戦の時にはニュージーランドは自動的にイギリス側として
ドイツに宣戦布告を行いました。
ニュージーランド海軍がHMNZSのプレフィックスを戴くようになったのは
1941年、第二次世界大戦中のことです。

軽巡洋艦HMNZS「リアンダー」は、この時
ニュージーランド遠征軍を護衛して中東に向かい、
その後帝国海軍の「神通」の撃沈を支援しています。

「神通」を攻撃するHMNZS「リアンダー」とUSS「セントルイス」

そして戦争が終わった1945年から、ニュージーランド海軍は
同じくドミニオン(被占領国)海軍だったオーストラリア海軍と同じように、
イギリス海軍のホワイトエンサインを使っていました。↓



オーストラリア海軍が独自の艦尾旗を制定したのと同じ1968年に、
ニュージーランド海軍もオリジナルを制定しました。

RANの艦尾旗変更の理由は前回お話ししましたが、
RNZNの変更理由も、

あるドミニオンと敵対関係にある国が、
別のドミニオンとは敵対していない
という状況が
独立した国家の外交政策の足を引っ張るから

というものでした。

オーストラリア海軍が独自の軍旗を制定したのと同じ1968年、
ニュージーランド海軍も艦尾旗を独自のものに変更しました。

ユニオンフラッグのトップクォーターはそのままに、
英国海軍旗にある赤いセントジョージクロスを、
国旗にも使われている南十字星に置き換えたものです。


つまり国旗を白くしただけという話も


余談ですが、ニュージーランドは核を持たない国の一つで、
同時に左派政権下では明らかに反核思想を持つ国でもあります。

1973年、フランスがムルロア環礁で核実験を行った時、
ニュージーランドはフリゲート艦HMNZS「カンタベリー」と「オタゴ」
核爆心地に送り、それぞれの艦に核実験の間近での監視を命じました。

まさかニュージーランドともあろう国が、自国海軍に特攻を命じたのか?

とこれだけ書くと勘違いされそうですが、ご安心ください。
HMNZS「カンタベリー」Canterbury F-421は、
当時最新鋭のフリゲートであり、RN 監視レーダーと ESM を備え、
核汚染からも効果的に隔離されうる機構を持ち、
遠隔操作で無人化できるビームレアンダー蒸気プラントを装備していました。

つまり、核爆発地域での作戦において、
密閉した城塞を提供できる軍艦だったのです。

ニュージーランド政府が「カンタベリー」を核実験場に送った理由は
核実験に対する抗議行動でした。

「カンタベリー」は搭載したコンピュータで付近の放射線レベルを測定し、
電子機器はすぐさまフランス軍のP-2ネプチューンが
付近を「掃除」しているのを検知しました。

また、1971年の「メルポメーヌ」実験も観測し、それを公表。

ニュージーランド海軍は、「カンタベリー」の存在は
フランス政府に政治的・作戦的に大きな困難をもたらしたと信じています。

それが本当だったかどうかはともかく、これ以降、フランスは
大気圏内における核実験をやめ、地下実験に切り替えたのは事実です。



クック海峡のRNZN艦隊

ニュージーランド海軍はペルシャ湾でのアメリカの不朽の自由作戦に参加し、
アフガニスタンでのアメリカおよび同盟国の活動を支援しました。
海軍は正規軍と予備役で構成され、それぞれの人数は
2014年6月30日現在でRNZNは正規軍2,050名、海軍予備役392名です。

民間人が RNZNVR に参加できるのは行政、海務(陸上巡視船への勤務)、
海上貿易組織(旧海軍船舶管理)の部門に限られています。

特殊なのは、RNZNの財政で、国会の「投票」で資金調達が決まることです。
それでは軍事装備取得などの大型プロジェクトはというと、
やはり国防省が行っているようです。

■ HMAS 「スタルワート」

自衛隊の案内には「ストールワート」と表記してありますが、
発音が「スターウォー」なので、あえて「スタルワート」とします。

どちらにしてもカタカナ表記は言語と全く違うので、どっちでもいいかと。

ちなみに前回書いたように、「スタルワート」は
「サプライ」級給油艦の二番艦ですが、それでは一番艦はというと、
やっはり「サプライ」というそうです。

艦名が、「補給」。
うーん、それってどうなの。



「スタルワート」には、隣の「アウテアロア」の甲板に掛けられた
階段を昇って移乗していきます。

「スタルワート」はニュージーランド海軍最大である「アウテアロア」より
これだけ甲板が高いということになります。

幅が狭く一人しか通過できないので、係が常駐していて
向こうから来る時には反対側を通行止めしなくてはなりません。

わたしがここを最初に渡ったときには全く待ちませんでしたが、
帰りには多くの人が下で待つ事態になっていました。
その時まだ10時頃だったと記憶しますが、昼頃にはどうなっていたことやら。


さすがはオーストラリア海軍の給油艦。


この作業艇も、



この救命艇も、階段の上から撮ったものです。



甲板にはテニスコートが二面くらい取れそうなスペースがあります。

補助艦であって戦闘艦ではないからということなのか、
甲板から続く細くて険しいラッタルを昇ったり降りたり、
(運動靴で来なかった人は絶対無理なハードモード)
なんと艦橋の高さまで昇らせてもらえました。



ふう、やっと艦橋のウィングにたどり着いたぜい。

日頃歩いているので階段を登るのは全く平気ですが、こういう時は
カメラが重いし、iPhoneも手に持ったままで大変なのよ。



ウィングにあるパネルは出入港時に何かを操作するものですが、
このパネルに書かれている「NAVANTIA」ナバンティアというのは、
「サプライ」級給油&補給艦のシップビルダーです。

スペインのマドリードに本社を持つ造船業者で、
2005年に会社を立ち上げたばかりなのに、既に
最新鋭のイージスシステム搭載フリゲートや潜水艦の開発、
大型強襲揚陸艦の建造が可能な技術水準を持つ実績をあげています。

オーストラリア海軍のためには、今回一緒にきている「ホバート」の
「ホバート」級駆逐艦、「キャンベラ」級強襲揚陸艦を建造しています。

元々「サプライ級」は、ナバンティアがスペイン海軍のために建造した
「カンタブリア」型補給艦をベースにしています。

スペイン海軍「カンタブリア」A-15

と「スタルワート」・・・あまり似ていないのだが

というわけで、「スタルワート」も隣の「ホバート」も、
実はスペイン生まれであったことがわかりましたね。

でっていう話ですが。


生まれて初めてオーストラリア海軍艦のブリッジに足を踏み入れる

なんと「スタルワート」、なんでも見てくださいとばかりに、
ブリッジですらどんどん人を入れて見学させているではありませんか。


ところで正面のパネルには、12.9mという数字が見えます。
これは、つまり岸壁からの距離ということでよろしいか。


こちらiPhoneの写真。
見張り?も二人だけというおおらかさです。



そして、この艦橋の広いこと。
そして操舵システムとパネルが一列に並んだコンソールの美しさを見よ。

色は全体的に黒で、インテリアはシックです。
パネルの配置もとにかくまず見た目がすっきりしていました。

椅子も黒革調でスマートで、事務的だけではない、
スペインらしい華やかテイストがそこはかとなく匂うゴージャスな作りです。

最近の建造ですから、コクピットは全て最新式のコンピュータ搭載、
その分ミニマイズされているということでしょう。


「フリート・エクササイズ」つまり観艦式のことですが、
プログラムが几帳面な字で書かれ掲示されていました。

ところでその下にあるヘッドセットの赤の色使いがとっても素敵です。



せっかくなのでこのプログラムを公開してしまいましょう。

艦隊航行プログラム

HMAS
「スタルワート」

1000-1100 READY FOR SEA(出航準備)

CHECKS(点検)

1100−1130 EN EMBARK(出航)

1130 DEPARTURE BRIEF(出航後ブリーフィング)

1500 PILOTAGE(水先案内)

1415 PROCEDURE ALPHA(アルファ進行)

1500 BERTH(バース・着岸)

CN DEPARTS(誰かが下艦)

1600 DRESS SHIP(満艦飾)

2030 SELF DEFENSE FLEET RECEPTION
(海上自衛隊艦隊レセプション)

時々わからない用語がありますが、概ね了解しました。
CNというのは「Chief of Navy」のことぢゃないかと思うがどうか。



環境からは隣の「ホバート」が見えます。
こ、これは駆逐艦・・・・っ!



Y-3桟橋のパキスタン海軍の艦が見えています。
なんて盛りだくさんな眺めなの。



艦橋レベルから甲板まで降りてきました。
ところどころに木製ベンチがしつらえられていてちょっと和みます。

乗員の休憩に使うらしく、これが結構あちこちにあるのですが、
縄で繋いで倒れないようにしてある光景は自衛隊では見られないものの一つ。

そしてベンチの右側のメッシュのバッグには紙コップが装備されていました。

ところで、Kさんは観艦式本番前日、横須賀での抜錨を見てから
車で先回りして観音崎展望園地でお見送りをされたそうです。

送っていただいた写真に「スタルワート」もいました。



赤いカンガルーと南十字星のホワイトエンサインが確かに。
この甲板を歩き、艦橋に足を踏み入れたのか・・・・。

この時艦艇の皆さんは本番前に相模湾で一晩待機したようです。


続く。



国際観艦式 フリートウィークに伴う外国海軍艦一般公開〜RANの赤いカンガルー

2022-11-07 | 軍艦

さて、当初全く参加のつもりがなかったにもかかわらず、
ぶっちゃけノリで行ってきた外国艦一般公開の報告続きです。

この日は素晴らしい秋晴れ、絶好の艦日和となりました。
しばらくぶりの大々的な艦艇公開であることもあってか、
長らく「ネイビー愛」を封印されていたファンがどっと繰り出してきた結果、
この日公開されたほとんどの艦は、開場して1時間後には
乗艦するのに100分という、ディズニーランド並みの待ち時間になりました。

わたしの場合、連れが早くから並んでくれていた上、
埠頭の奥に並んでいる艦から見るという提案が功を奏し、
ニュージーランド海軍の「アウテアロア」には全く並ばずに乗艦できました。

そして「アウテアロア」が、オーストラリア海軍艦2隻と並んで
3隻目指しにして係留してあった関係で、
これら全部を一気に見学をすることができたのです。


■ オーストラリアとニュージーランドの国際関係

ところで、今回観艦式に参加した国の中には、
国際関係が良くない国同士も含まれます。

ぶっちゃけ日本と韓国なんかが典型的なそれなんですが、
一応は「同じ側」という建前なので、参加を招聘すればきちゃうわけです。

いっそ中国海軍のようにきっぱり参加を拒否すればイイものを、
イヤイヤやってきてはプロトコルを無視して笑いものになったりするのです。

なんで友好を深めるつもりもないのに来るのか。

それは、全く売れないのに日本の自動車市場に臆面もなく何度も参入してくる
ヒュンダイ自動車の目的と同じだと思いますよ。
ズバリ偵察、情報収集。(技術者の引き抜きと技術の盗み出しも)

前回の観艦式では、わたしも韓国海軍艦を目撃しましたが、
受閲されているのにも関わらず、逆に甲板や艦橋に何人も立って
海自艦艇の航行をカメラで撮影していた姿が忘れられません。

こんなでも、日本政府は韓国との間には領土問題は存在していない、
という立場をとっている以上、表向き友好国ということになっています。


しかし、今回はそんな生ぬるくはない関係の国同士も来ています。
それがパキスタン海軍とインド海軍です。

両国は元々イギリスの植民地から独立した一つの国でした。

しかしその際、イスラム教と仏教という宗教の違いで国を分かち、
その後、カシミール地方を取り合って紛争が勃発。
思想面でもレッドチーム(印)とブルーチーム(パ)に分かれ、
米中両国をバックにつけて代理で資源争い・・と、
全く仲良くなる要素が見当たらないくらい仲が悪いのです。

もう、埠頭でガンつけたとか肩が当たったとか(不良かよ)いう理由で
喧嘩が始まっても全く不思議ではないくらい一触即発の関係。

何なら、アメリカでも、インド料理と称していても
ほとんどはパキスタン人が経営していて、
互いに嫌いあってるとか、まあ色々あるようです。
(日本のインド料理レストランも実はほとんどパキって知ってた?)

自衛隊もそこのところは気を遣って、
同じ岸壁には係留させていませんが、それでもY-1とY-3ですから
ちょっと埠頭を歩けばお互い出会ってしまうわけですよ。

これ本当に最後まで何も起こらないで済むのかしら。


さて、この印パのように、隣りあった国で仲が良い例はほぼない、
というのが世界の常識となっているわけですが、
その極少ない例外が、ニュージーランドとオーストラリアです。

国は近いとはいえ、どちらも島国で、しかもどちらも先祖が同じ。
互いの国への行き来もビザ不要で無期限なので、実質交流は盛んです。

まあ、スポーツでは、ラグビー、クリケット、ホッケーなど、
お互い絶対に負けられないというライバル意識はあるみたいですが、
少なくとも歴史問題や領土問題は過去にも存在しない平和な関係です。

第一次世界大戦ではガリポリの戦いで一緒に戦って勝っていますし、
いまだにその戦勝の日を両国が祝ったりしているそうですから、
国防の面でも完全な「同盟国」なのでしょう。

そして今回、この二カ国海軍が一つの岸壁を仲良く使っているのを見て、
改めて良好な両国の関係を確認したわたしでした。

(現地で『アウテアロア』を豪州艦だと思いこんでいたのはここだけの話だ)


■ オーストラリア海軍の”ホワイトエンサイン”



HMAS 「スタルワート」STALWART A-304

は、RAN(ロイヤル・オーストラリアン・ネイビー)
「サプライ級」(補給級とはこれいかに)2番艦です。
2021年11月就役ということなので、まだ1年も経っていない新鋭艦です。

オーストラリア海軍がこの「スタルワート」という名前の間を持つのは、

HMAS 「スタルワート」H14
1919〜1925年、駆逐艦

HMAS「スタルワート」D215
1968〜1990年、駆逐艦母艦

に続く3隻目となります。

「stalwart」を英語で発音すると、ほとんど「スターウォー」と聴こえます。
オーストラリアでは非常に良いイメージの言葉らしく、

「忠実な」「断固とした」「強力な」「堂々とした」

「ある組織や大義を堅く支持する人」「強靭な人」「勇敢な人」

「忠誠を誓う人」「しっかりした体格の人」


という意味を持ちます。
日本語だと「丈夫」(ますらお)とか「漢」みたいな感じでしょうか。

語源は、アレクサンダー大王の軍隊で、世界の果てまで喜び従った、
忠実で屈強な兵士たちの名称から来ているという説もあります。

そのイメージから、軍用車や警備会社、金庫などの商品名、
学校の名前にもよく使われていて検索するとたくさん出てきますし、
アメリカには、南北戦争の後、共和党急進(ラディカル)派の
「スタルワーツ」という名称の政治団体が存在したこともあります。

ニュージーランド海軍「アオテアロア」甲板から見た「スタルワート」。



赤いカンガルーのモチーフが目を惹きます。
やっぱりオーストラリア、シンボルはカンガルーなのか。

と早速感心しながら通り過ぎたのですが、赤いカンガルーは
ロイヤル・オーストラリアン・ネイビー、RANのインシグニア、徽章です。

ところで、英連邦海軍がだったオーストラリア海軍が
正式にジョージ5世の承認により、
Royal Australian Navy、RANであると決まったのは1911年のことです。
つまりRANが発足して今年で111年目ってことなんですね。

同時にRANはジャックスタッフとして豪連邦の旗↓

Naval jack(艦首旗)

そして艦首旗として、ホワイトエンサイン、ナーバル・エンサイン
を掲揚することが正式に定められました。

しかしRANとなった1911年にはまだ本体が英連邦海軍であったので、
同じ王を戴く海軍としてイギリス海軍と同じ、
十字の入ったホワイトエンサイン↓




を使用していました。
ちなみに現在のRANが掲げているホワイトエンサインはこれ↓です。



現在の艦尾旗は1967年から使われるようになったのですが、
これにはちょっとした事件がありました。

ベトナム戦争の勃発です。

この時オーストラリアはベトナム戦争に参加することになったのですが、
イギリスは全く関与していません。(そうだったっけ)

そのためRANはちょっと困った事態に陥りました。

イギリス海軍と同じ旗を揚げることによって、事実上他の国、
戦争に参加していない国の旗の下で戦うことになってしまったのです。

そんな折、RANを英海軍だと誤認していた相手との間に戦闘が起きます。
(つまり相手はまさかの英海軍が撃ってきた!みたいな状態だった?)

オーストラリア議会でも、戦時配備された海軍の艦船が
他国の艦尾旗を使用しているってそもそもどうなんよ、
と、問題視する議員が声を上げ始めました。

その上ベトナム戦争で、RANは、アメリカのミサイル駆逐艦を運用し、
共に行動していたため、米海軍艦と間違えられることもあったりして、
これも国のアイデンティティに関わる問題と認識されました。

そこでRANには独自の艦尾旗が必要だということになったのです。

その後、ユニオンフラッグを残した現在のデザインが承認され、
エリザベス二世陛下による王立許可を受け、制定されました。

正式な切り替えは1967年3月1日に行われ、
その日にすべての船舶と施設が新旗を掲揚しました。

ちなみに、RANの艦船のバトル・エンサイン(戦闘章)
つまり戦闘中の旗の掲揚は、艦首マストとメインマストに
ホワイトエンサインを挙げることになっています。


■ オーストラリア海軍と赤いカンガルー🦘

イギリス軍と同じ艦尾旗を挙げていた頃、特に戦争中、
RANの乗員たちは常に誤認される心配をしていました。

第一次世界大戦中、HMAS「パーラマッタ」Parramattaは、



オーストラリアの国旗の上に王冠の代わりにカンガルーを付けて、

「俺らオージーでイギリス海軍じゃないのでよろしくNE」

とアピールしていた、という記録が残っています。

また、朝鮮戦争の時にも、HMAS「アンザック」Anzacは、
真鍮で切り出したカンガルー🦘を目立つところに掲げていました。


第二次世界大戦中も ML802の見張り中水兵さんの後ろ


HMAS「 クィーンズボロー」1955
手のひらマークの上、煙突に描かれたカンガルー

このフリゲート艦「クィーンズボロー」が、ファンネル=上部構造に
カンガルーをあしらった最初のRAN軍艦だと言われています。

ちなみに手のひらのマーク(アルスターの赤い手)は
英国海軍第6フリゲート艦隊の印
で、オーストラリア海軍が
イギリスと同じ海軍旗を使用していた頃のことです。

「クィーンズボロ」は、その印の上に(上、というところがミソ)
あえてオーストラリアを表すカンガルーが来るようにしたのです。

そうしていつの間にか、「赤いカンガルー」は
オーストラリア海軍のシンボルの一つとなっていきました。


中東からの任務から帰還したHMAS「キャンベラ」は、
赤いカンガルーの横に中東から帰ってきたことを表すため、
赤いラクダのマーク🐪を付けて入港しました。

海軍のユーモアはRANにも堅持されています。

■その他のRANシンボル(ブーメラン関係など)

観艦式とは関係ないのですが、ちょっとこれが面白いので、
オーストラリア海軍のその他のシンボルを紹介しておきます。


1976年、RAN潜水艦隊の「オーベラン」Oberang級潜水艦は
分隊章として「Oの字にブーメラン=オーベラン」を導入しました(左)。

「オーベラン」と「ブーメラン」が韻を踏んでいることから
あえてカンガルーの代わりにブーメランを採用したに違いありません。

そう思った理由は、右側の黄色い「E」です。

これは潜水艦隊戦闘効率シールド獲得艦に与えられるマークですが、
(米軍艦にEEEEなどと描かれているあれと同じ意味です)これも

「イーベラン」Eberang  「イーメラン」E-merang

ブーメランと同じライム(韻)なのです。



今回の観艦式にもおいでいただいている、HMAS「ランキン」

ちょっと話にも出ましたが、「コリンズ」級潜水艦は、
マークに「オーベロン」の「O」を「C」に変えたものを使っています。

並んで係留されている同じ「コリンズ級」の
HMAS「ファーンコーム」Farncomb SSG 74
のマークを(ちょっとデザインが違うのが気になりますが)ご覧ください。

そう、「コリンズ」級潜水艦のマークは、その名も
「Cメラン」(シーメランと読んでね)なのです。



こちらネームシップ、HMAS「コリンズ」の皆さん。(強豪だぞ)
セイルに描かれた「シーメラン」にご注目。

どうでもいいけど「コリンズ」の皆さん、全員体格が立派すぎない?
そんなので息切れしないのだろうかとか狭いのにすれ違えるのかとか(略)


さて、あとはいろんな海軍の舞台章をお楽しみください。




水陸両用部隊のマークは王冠に錨と剣、カンガルーと盛りだくさん。
写真はHMAS「トブラク」Tobruk L-50



RAN 警備隊徽章はカンガルーとシドニーハーバーブリッジ。
HMAS「アドバンス」Advance P-83「アタック」級パトロールボート
シドニーが拠点です。



マカジキに数字の2はケアンズ拠点の巡視艇部隊。
HMAS「バリケード」Barricade P-98、これも「アタック」級。



HMAS「ラウンセストン」Launceston
ケアンズがベースのパトロール部隊です。
マークはブルーマーリン。



RANには、哨戒艇が地域間を移動した時、
ファンネルの徽章を交換するという慣習があるそうです。

こんなでかいもの交換してどこに飾っておくのか心配になりますね。

左の写真で交換しているのはダーウィンの巡視隊のバッファローホーンと
西部オーストラリア部隊のブラックスワン。

右はやはり水牛とマカジキの交換シーン。
半ズボンが正式な軍服とは、さすが南半球の海軍です。

巡視艇部隊は地域特有のタスマニデビルとか、
オーストラリアカササギをあしらったりして地域色を出しています。




掃海艇は、機雷マークに赤いカンガルーがデフォルトとなります。
(機雷のデザインがちょっとずつ違う)

「トン」級(オーストラリアの艦級って名前が皆ヘン)掃海艦
HMAS  「カーレウ」Curlew M1121。




科学部隊を自認する観測艦のHMAS「クック」Cook GOR 291/A 219

「クック」の当時の艦長が、休暇中に訪れたゴルフ場のレストランの
ビアマットに描かれたタツノオトシゴを見て気に入り、
これを我が艦の徽章にしよう!と思いついたことからこうなりました。




最後に、ハートウォーミングなこの徽章を。

HMAS「キンブラ」kimbra が就役したのは1956年3月26日のことです。
「キンブラ」はRANの最後のレシプロ式蒸気機関動力による防衛艦でした。

どんなに頑張っても時速10ノットしか出せないこの艦を、
RANは愛情を込めて「カタツムリ」と呼んで最後まで可愛がっていました。

そして彼女に晩年与えられた唯一無二のファンネルマークも、
「カタツムリ」🐌
だったのです( ;∀;)

そして1985年2月15日までの29年間で、363,038マイルを
カタツムリの速度で駆け抜けて「キンブラ」は退役しました。

写真はシドニー湾に入港するHMAS 「キンブラ」の最後の姿です。
ファンネルは黄色いカタツムリが描かれています。


「赤いカンガルー」についての原文は、RAN公式ページからのものです。
こちらもよければご覧ください。


続く。


国際観艦式 フリートウィークに伴う外国艦艇公開〜HMNZS「アウテアロア」

2022-11-05 | 軍艦

フリートウィークが始まり、参加されたKさんから送っていただいた
艦艇と横須賀などの写真を見るうち、
久しぶりに実際に艦艇を見たい気持ちが無性に湧いてきました。

それをKさんにメールした後のことです。
長年イベントに一緒に行っていた知人が、
疫病発生以来初めて連絡をしてきました。

「昨日私は横須賀に行きましたが、艦艇公開行かれました?」

あまりにも久しぶりすぎて(携帯番号がこの間変わっていたらしい)
誰から来たかもわからず、そのままにしていたら、電話がかかってきました。

明日の外国艦艇公開に行かないかというお誘いです。

病気のせいですっかり億劫になっていたイベント参加ですが、
気候も良さそうだったし、それじゃ行こうかなという気になりました。

早速、カメラの電池を充電しとかなくては、それからおっと、
(何度かやらかしている)メモリーカードの入れ忘れ厳禁、
と久しぶりのイベントモードに脳内が切り替わろうとしたところ、
カメラがいつものところにないのに気がつきました。

あれっと思ってクローゼットをひっくり返し、
それでも見つからないので必死で記憶をたどったら、アメリカから帰ってから
メモリーカードを抜いたままでデスクの横の棚に放置し、
元に戻していなかったことが判明しました。

この調子だとまたカメラの操作も失敗しそうだなと案じたのですが、
結局この予感は当たることになります(伏線)


翌朝、ガチイベント勢の知人の、

「9時の開門に合わせて1時間前から並んでいるから開門までに来てください」

というありがたいお言葉に甘えて、8時半に横須賀基地に向かったところ、
すでにヴェルニー公園の横の歩道には長い列ができていました。


並んでいる人がほとんど若い男性、時々おじさんあり、高齢者なし



横須賀駅ロータリーの横くらいから並んで、
列が動き出したとき、潜水艦が出航準備を始め、
周りが歩きながら盛んにシャッターを切っていました。

わたしはアメリカ帰国以来始めてカメラを使ったので、
前回のモードがそのままになっていています。

知人に直してもらいましたが、ISO感度が高すぎて、ご覧の通り
どれもこれも散々な出来ですのであらかじめご了承ください。



入場のためのチェックは、2段階で行われます。
まず、いつもの手荷物検査のところでは手のアルコール消毒と、
自動検温器による体温のチェック。

そのテントを出て、今度は荷物検査場に向かいます。


これは他の人の顔が写っていたので、加工なしで

ゲートの前で前の人たちが手を挙げさせられては、集団が進んでいきます。

これは中で外国の船に絶対悪いことをしないと誓う宣誓の儀式とかではなく、
列の前から5列目までにいる人たちに手を上げさせ、
上げた人だけが、荷物検査カウンターに進んでいくという仕組みです。

検査は手前で金属探知棒を持った人にチェックされ、
テーブルで鞄の中を見せるというものでした。


この日艦艇公開を行った外国海軍艦艇一覧です。

アメリカ軍はいつものことなので特に公開なし、
それから韓国海軍は(韓国の)国民感情の関係で?
見えるところに係留すらしておりません。


これはKさんの送ってくれた写真ですが、
その辺をうろうろしてはいるようです。
(まあ、目立たないところにこっそり係留してるんですけどね)

こいつらの面倒臭いところは、参加するだけして、艦艇公開はもちろん、
開催国に来ても満艦飾もせず日本国旗も挙げず。
参加が決まってからも旭日旗に敬礼するしない云々で大騒ぎしてましたが、
何というか、本当に困ったちゃん国家ですね。

「あそことは国同士ではともかく、海軍同士は仲がいい」

と何年か前、海自の中の人に聞いたことがありますが、
その肝心の海軍がこの調子では、それも実際どうなんだろうと・・・。

まだ前の観艦式の時は、横須賀に入港する際にも
皆に手を振るくらいの愛嬌を見せていた気がするんですけど・・。

Kさんもおっしゃっていましたが、今回のこういうのを見ていると、
あまりにも色々拗らせすぎたこの国家、プロトコルという点でいうと
中国の方がまだずいぶんマシではないかとさえ思えます。




手荷物検査を終えると、後はどこから見ても自由です。

連れが「奥から見るのがいいのではないか」という意見だったので、
特に何の意見を持たないわたしとしては、これに従うことにしました。

この日は前に貼った配置図とは係留場所が変わっていて、
検査場の近くにはタイ海軍のフリゲート艦
「プミポン・アドゥンヤデート」
(どこかで聞いたなこの名前)がおり、その向こうには、
カナダ海軍の
「ウィニペグ」と「バンクーバー」
が並んでいます。



「ウィニペグ」上部構造物。

今回の撮影、失敗して何でもブルーがかかって見えてしまうのですが(爆)
カナダ海軍の艦の塗装は本当にブルーがかったグレーです。

生息する海の色によって塗装が違うのかもしれません。



「ウィニペグ」というのは空港もあるカナダの都市名です。
甲板にはヘリを搭載してきていました。
   

向こうに並ぶのはインド海軍とオージー海軍(等)の艦です。

着物を着た人の姿が桟橋に写り込んでいるようにみえますが、
これは写り込んでいるのではありません。


知人のご意向により、このコーナーから攻めることにしました。
それにしても斬新なくらい同じ海軍なのに艦影や塗装が違うのね。



どれもオーストラリア海軍の艦なのに?
と思ったら・・・。



よくよく見ると、

「HMNZS」=His Majesty’s New Zealand Ship

オーストラリアとニュージーランドの国旗があまりに似ている上、
同じ岸壁に目刺しになっているので、てっきり全部
オージー艦だと思っていたのですが、違いました。

一番右の、斬新な形の艦は、ニュージーランド海軍のだったのです。

しかし、あなたはどちらか見せられた時、
すぐにオーストラリアかニュージーランドかわかりますか?
わたしならどちらを見せられてもオーストラリアと言ってしまうでしょう。

イギリス国旗の下に大きな星のあるのが豪州、ないのがニュージーです。

ついでに、「His Majesty」で表されるところの、
ニュージーランドの現在の国王は誰かというと、
イギリス国王であられるチャールズ3世陛下ですので念のため。

ところで、艦名の

「アオテアロア」AOTEAROA

という言葉は、我々日本人にはあほとんど馴染みがない言葉ですが、
ニュージーランドにとって、日本の「大和」「倭」「大八洲」のような
国を表す別称・美称なんだそうです。

いまだにそのものの意味はわかっていないらしいのですが、
ニュージーランドの原住民(って言っちゃいけないのか)
マオリ族の言葉で、ニュージーランドそのものを指し、
国歌の別題のようにもなっています。

ニュージーランド国歌
神よニュージーランドを守り給え(アオテアロア)

そして、ニュージーランド海軍の正式名称も、
Royal New Zealand Navyで略称はRNZNとなります。

ニュージーランドについて思わぬところで詳しくなってしまった。
今まで人間より羊が多いのと、検疫が厳しいことしか知らなかったZE。



ゲートにいた乗員さんに、写真撮っていい?と断ると、
快くポーズを取ってくれました。

水兵さんのTシャツのスクエアカラーがなかなかマドロスっぽくて粋ですな。
女性の方は士官かしら。



さて、「ニュージーランド」こと、この「アウテアロア」です。

まず全体像を見てみます。

建造者が現代重工業だってんでちょっと驚いてしまうわけですが、
動力はロールスロイスのハイブリッドシステムを搭載しています。

就役は2020年7月とのことで、ほぼ新鋭艦と言っていいかもしれません。

HMNZS Aotearoa

HMNZS Aotearoaは、現代重工業によって建造された
極地級維持管理船です。

アオテアロアは、戦闘活動、人道支援機能、作戦、
および訓練支援に真価を発揮するために、目的に応じて建造され、
技術的に強化された資産です。

主な任務は、船舶および航空燃料、乾物、水、スペアパーツ、
弾薬の補給を通じて、ニュージーランドと連合の海上・陸上・航空部隊、
および国連の安全活動にグローバルな支援を提供することです。

最大22個の20フィートコンテナ、
大容量の淡水生成プラント(1日10万リットルを生成可能)、
自己防衛システム、航空・船舶燃料貨物タンク、
デュアル全電気式洋上補給装置、
SH-2G(I)シースプライト・ヘリコプターまたはNH90ヘリコプター、
統合通信・ブリッジシステム、統合プラットフォーム管理システム、
一部の上甲板微熱、氷に対し強化された船体と海底金具など、
冬装備など多くの能力を備えています。

世界初となる海軍の「エンビロンシップ」鉛直船首設計を採用しています。



また、ディーゼル電気とディーゼルを組み合わせた推進プラントは、
旧型船に比べて燃料の排出量が少なくなっています。

また、南極観測やマクマード基地、スコット基地への物資補給など
南極での活動に対応するため、ポーラーコードの安全規則を遵守し、
ポーラークラス6相当の耐氷構造になっています。

ホームポート ニュープリマス、タラナキ
シップスポンサー Dame Patsy Reddy GNZM、QSO、DStJ

指揮官 Dave Barr司令官

となっております。

艦種はAuxiliary ship、補助艦、つまり給油艦となります。

容積 26,000 t (26,000 長トン)
全長 173.2 m (568 ft 3 in)
ビーム 24.5 m (80 ft 5 in)

と、ニュージーランド海軍の保有する最大の艦船です。


早速ラッタルを上っていきましたが、驚きました。
今まで外国艦艇がこんな気前よく内部を公開したことがあったでしょうか。

今年は観艦式に一般からの参加を載せないことになったので、
その分サービスをしてほしいと要請されたのかもしれません。

公開といっても外国艦艇はせいぜい甲板くらいだろう、と思っていたわたしは
来て見るまでこれほどオープンとは夢にも思っていませんでした。

あまりにも甲板が広くて、ハンガーの入り口が狭く見えます


こちらiPhoneで撮った写真。



格納庫の片隅にあるこの黒い器具は何をするもの?


バスケットゴールと二階の各種トレーニング用マシン。
どうもこの二階は全てのスペースをジムとして使っているようです。



甲板に出てきました。
搭載機は SH-2G(カマンのシースプライト)、
NH90(仏独蘭伊の共同開発軍用ヘリ)、
A109LUH(アグスタ)
のどれかだそうです。


RNZNのシースプライト




お隣に係留しているオーストラリア海軍の「ストールワート」から
「アオテアロア」搭載の救難艇がよく見えます。

オレンジの完全密閉型ボートは、パルフィンガーマリーン社の、
タンカー用の最新式ライフボート「ネプチューン」です。
21〜150人を搭載でき(最小人数が決まっているのはなぜ)る大型仕様。

タンカー搭載に特化しているのは、万が一、火災など
緊急避難や事故の場合、乗員全員が脱出するためのものです。

「アウテアロア」は大型艦ですが、乗員は98名なので、
このボートに全員が余裕で一度に乗れるというわけです。

完全密閉式によりオイル火災などが起こっても、
乗員全員が乗り込んで、救命艇が海面に降ろされてから
油圧式オンロードフック解放機構により、
救命艇をダビッドからリリースすることもできるそうです。

パルフィンガーという会社は元々クレーンやアーム系の製造会社で
港湾関係の製品を多く開発していることから、ダビッドも作っており、
その流れでこういう製品展開になっていったのかと思われます。


作業艇はまだ新しくてピカーっとしています。
連れの知人によると何とかいう映画で主人公が乗っていたそうです。
(これじゃ何のことかわかりませんね)

そして当たり前のようにFURUNOのレーダー搭載。


作業艇の収納場所を内側から見たところです。


作業艇に乗り込むための階段。
この二つの写真はiPhoneで撮りました。
iPhoneの広角優秀。




隣の「ストールワート」の艦橋から見た「アウテアロア」。
輸送艦であるため、コンテナを爆積みしています。



積載量は積載量 8,000トン ディーゼル、1,500トン 航空燃料、
最大6.7メートル×6.1メートルのコンテナを格納可能、とあります。


ところで、この日朝から横須賀に出撃したわたしですが、
まだ体調が本調子ではなかったらしく、開始して2時間で
この日の埠頭の猛烈な陽射しの下、マスクをしているのが苦しくなって
脱落を余儀なくされたため、見学はごく限られた艦だけで終わりました。

この後のご報告は、外国艦艇全てではないことを
あらかじめお断りさせていただきます。


続く。


観艦式フリートウィーク4日目

2022-11-03 | 自衛隊

Kさんのフリートウィーク参加による写真続きです。



外国艦艇が横須賀に入港してきました。
写真はマレーシア海軍のフリゲート「クランタン」。
ドイツ製だそうです。

最近マレーシアはチャイナの海洋進出に対抗して、新鋭艦を装備しています。

冒頭は横須賀港の外国艦艇配置図ですが、


そのほかはこのようになっているそうです。



それにしてもこのキャラが猛烈に気になってしまうわたしである。

「感染予防 マスク着用 
手洗いうがいの励行を厳となせ」

だそうですよ。




なんと観艦式に潜水艦で参加ですか。
これって珍しいんじゃないでしょうか。

オーストラリア海軍の「コリンズ」級潜水艦が来ているようです。



これが「コリンズ」級のHMAS「ランキン」だそうです。
海上自衛隊の潜水艦とはずいぶん素材が違いますね。
全く水を弾かなくなったおばあちゃんの肌みたいになってます。

それから、セイルの上に乗員が足をぶらぶらさせて乗っているのが
何とも緊張感ゼロな感じです。

「コリンズ」級の建造はもう20年前に終了しており、引退していく老艦で、
wikiには、

「コリンズ級は設計の段階から様々な問題が指摘されており、
導入後も技術的な問題やオーストラリア海軍の人員不足から
運用に支障が生じるなどした。
オーストラリアのメディアから厳しい批判をあびている」

「コリンズ級は優れた潜水艦とは言えず、騒音は劣悪で、信頼性は低く、
故障も頻発し、時には運用可能な潜水艦がわずか1隻という時すらあった。
オーストラリア国内では、コリンズ級の開発は「失敗」とする意見もある」

と散々な書かれよう。

後継艦を導入するに当たっては、ご記憶の方もおられるように、
日本製に決まりかけていたのに、ひっくり返されて、
フランス(シュフラン級原潜)に取られたーと思ったら
あれよあれよとアメリカとイギリスが出張ってきて、
おいオージー、うちらが原潜の技術供与してやんよ!と言い出したので、
オーストラリアはフラフラ〜っとそっちに行ってしまい現在に至る。

今回来ているのがコリンズ級の6隻のうちどれかはわかりませんが、
もう引退なので、最後に日本観光でもさせてやろうってことなんでしょうか。

潜水艦を観艦式で他の国に見せるのは滅多にないと思いますが、
もうこういうのなら何の秘密もないので、何でも見てちょうだい、
何なら写真も撮ってあげてね、みたいなノリかもしれません。

知らんけど。



4日目は曇って寒く、こんな日にも出撃されたKさんを案じるほどでした。


「いずも」と「ひゅうが」の違いをご覧あれ。



そして誰もいなくなった。

横須賀軍港は観艦式の予行でフネが出払ってご覧の有り様に。

続く(のか?)


フリートウィーク3日目

2022-11-02 | 自衛隊

今年は退院後のせいで、予定していた呉のカレーフェスにも行けず、
フリートウィークもKさんの写真を見ているだけのわたしです。

さて、そのKさんですが、フリートウィーク三日目となり、
またしても横須賀に出撃されました。



遊弋中の潜水艦。
セイルの上にマスクをした乗員の姿が見えます。
こんなところでもマスクしないといけないのか・・・。

まあ潜水艦の中は普段でもしたほうがいいかもですけど。



掃海母艦「ぶんご」。
前に乗艦させていただいたのは確か四国高松だったかな。



そして練習艦「しまかぜ」が出航を始めたのです。



これはすごい。
一気に大移動が始まった?



これは「しらぬい」でしょうか。
改めて見るとかなりこれも丈夫構造物の形が斬新です。



同型艦「あさひ」とのツーショット。
一緒に浦賀水道を目指していったということです。

思わぬ出航ラッシュに遭遇し小躍りしたというKさんですが、
これらの艦艇は、国際間鑑識に参加する外国艦艇の係留場所を空けるため
出港していったということでした。

ということは今日にも外国艦艇がやってくるのかしら。



アデン湾では大活躍だった110「たかなみ」。


3・11では支援物資は建築資材の輸送の主力を担った
4003「くにさき」も今から出港です。
タグボートが今から艦尾に向かいます。



しばらく横須賀には足を向けていませんが、
新しい商業施設COASKA(コースカ?)がもうできてるんですね。

あまりの早さにこっちが驚き。

その前で回頭しているのは新鋭潜水艦のようです。
改めて見るとセイルがこじんまりして丸い感じなのね。

アップにしてみるとフィンの上にも立ってる人がいるぞ(しかも二人)



制服が正装っぽいのはもしかしたら観艦式モードでしょうか。
それにしても、この画像を見てつくづく思うのが、
従来の潜水艦との外観、特に素材の違いですね。

全くツヤがなくて、まるでゴムみたいです。
そして、海面から出ている潜舵の形も明らかにこれまでと違う!


今回の観艦式はご存知のように一般応募による参加は全くなしで行われます。
もちろん疫病対策を講じたためです。



(おまけの潜水艦)



人の写真ばかりで気が引けるのですが、これは
カレーフェスに参加した知り合いが送ってくれたもの。


潜水艦のつもり・・・・なのかな。







海上自衛隊フリートウィークが始まりました

2022-10-31 | 自衛隊

わたしが入院したり退院したりしている間に、
自衛隊のフリートウィークが始まっています。


自衛隊観艦式は、通常3年に1回行われる海上自衛隊の一大イベントで
自衛隊の最高指揮官(内閣総理大臣)が艦隊を観閲することにより、
部隊(隊員等)の士気を高め、
国内外に自衛隊の精強さをアピールするイベントです。

当ブログでお馴染み、Kさんが今年も元気いっぱい
イベントに突撃されておりました。
送っていただいた写真をイベント宣伝がてらお借りすることにしました。

まず、土曜日の横須賀編。

今となっては懐かしい景色

「ひゅうが」かな

通常よりやはり人少なめ?


艦内は単なる通路のようです

今も昔も基本的には変わらない横須賀ならではの艨艟


この日公開されていたのは「いずも」「ひゅうが」「あさひ」とか。


そして日曜日、木更津に突撃されたKさんの
秋の蒼天に映える護衛艦の写真を楽しみましょう。

最新鋭艦「もがみ」、姉妹艦の「くまの」に乗艦されたそうです。



確かにこの形はまごうことなき新鋭艦・・・。
特に最近は実際の自衛艦にご無沙汰していたので、余計に新鮮。


1番艦と2番艦が綺麗に並んでいます。
シンプルすぎて不安になるほどの上部構造物の形状です。
これ一本で足りるんか?



Kさん、「もがみ」に乗艦。
あまりにもステルスすぎて壁に何もありません(小並感)



かつての最新鋭艦も、今は昔。
この日の木更津には「あたご」も来ていた模様。
昔観艦式で「あたご」乗ったなあ。


満艦飾が秋の雲に映えていかにもめでたいフリートウィーク。

と言うわけで、人の撮った写真を紹介するシリーズでしたが、
フィリートウィークの催しは来週が本番です。

最初に貼った通知にスケジュールが書かれていますので、
お天気が良ければ、皆様是非足を向けてみられてはいかがでしょうか。




タスキギー・エアメンの父 ノエル・パリッシュ准将〜スミソニアン航空博物館

2022-10-29 | 飛行家列伝

今まで何度か黒人ばかりの航空部隊、タスキギー・エアメンについて
彼らを描いた映画を取り上げつつお話ししてきましたが、
今回はスミソニアン航空博物館展示からになります。

ちなみに、日本語では「タスキーギ」と書かれることが多く、
わたしも今まで「タスキーギ」と書いてきたのですが、
アメリカ人の発音とスペルを見て、「タスキギー」が正確かなと思い、
今後はそのように表記することをお断りして始めたいと思います。



航空の黎明期に人種偏見を跳ね返し、空を飛ぶ夢を叶えてきた
アフリカ系飛行家の先駆となった人々を紹介する
「ブラック・ウィングス」のコーナーの最後は、なんと言っても
タスキギー・エアメンを持ってこなくてはいけません。

このパネルには、タスキギー出身でのちに将軍にまでなったデイビスと、
タスキギー創設の立役者となったパリッシュをバックに、
モニターではタスキギー航空隊の動画がエンドレスで流れています。

「多くの若いアフリカ系アメリカ人が軍航空に参入することを熱望しましたが
ことごとく人種的な理由で拒否されることになりました。

アメリカ陸軍航空隊はついに1941年、アラバマ州タスキギーで
黒人のための訓練プログラムを開始し、
その中でずば抜けて才能のあった
ノエル・F・パリッシュ
基地司令になりました。
戦争中、パリッシュは訓練課程に対し、
創造的なリーダーシップを提供することになります。

ベンジャミン・O・デイビスJr.は、陸軍士官学校卒。
黒人ばかりの第99戦闘飛行隊の指揮官となります。
デイビスはその後ヨーロッパの戦場でタスキギーエアメンを率いました」

■ 国土防衛〜ノエル・F・パリッシュ



ノエル・フランシス・パリッシュ
Noel Francis Parrish 1909-1987


なぜこの白人さんがアフリカ系パイロットの指揮官に?
と誰しも思うわけですが、当時の飛行隊は黒人の部隊でも
指揮官まで黒人が務めるわけではなかったということです。

パリッシュはタスキギー航空隊の白人指揮官として、
プログラムをうまく運営し、成功させたという功績を持ちます。

映画「レッドテイルズ」の白人指揮官は、記憶に残る限り
それほど黒人たちの側に立っていなかったような印象ですが、
おそらく映画より実物の方が、黒人航空隊の司令官として
彼らにシンパシーを持っていたのではないかという気がします。

というのは、彼は以前紹介した黒人パイロット&教官、
コーネリアス・コフィーと個人的に親しく、
シカゴで開催されたチャレンジャーズ・エアパイロット協会のプログラムを
非常に評価していた人物の一人と言われているからです。

【なぜ”タスキギー”だったのか】

陸軍に生活のために入隊後は騎兵隊から出発して
下士官として航空パイロットの資格を取ったパリッシュは、
飛行教官、飛行学校監査官、訓練部長と順調に飛行畑で出世しました。

そして、1941年、アラバマ州のタスキギー基地に黒人だけの飛行部隊、
タスキギー陸軍飛行学校のが爆誕したとき、
大尉であったパリッシュは、指揮官に就任することが決まりました。

黒人部隊創設を後押ししたのは、公民権団体や黒人記者たちの圧力であり、
ここが「タスキギー実験」の実験場として軍に選ばれたのは、
タスキギー研究所が元々航空訓練に力を入れていたためでした。

施設、技術者、教官、そして年間を通じて飛行できる気候、と、
実験を行うための好条件が揃っていたこともあります。


スミソニアンに残された1941年の陸軍航空隊のプレスリリースですが、
こちらを全文翻訳しておきます。

「ニグロからアメリカ航空隊へ」

歴史上初めて、来週空軍は飛行士官候補生として黒人を募集します。
(最終的な計画はまだ未定、正確な日付は月曜に確認)

有色隊員は白人と全く同じ条件で採用されます。
身体テスト、適正テストも同じに実施されます。
黒人隊員の選択は空軍が現在白人に使用しているシステムと同じ条件で行われ
募集は軍団管区、特にその管区の飛行場で行われます(場所は未定)

優先される入隊者は
CAAトレーニングを受けたことのある者です。
これまでのCAAは
Komingニグロパイロットを訓練してきました。

彼らはタスキギー研究所近くの飛行場で訓練を受けます。

陸軍省はフィールドの建設をまだ開始していないので、
おそらく来年の秋まで実施はできないでしょう。

入隊者は現場で基本から高度なトレーニングを受けます。

予備訓練は承認された契約校で行われ、
地上要員はシャヌート飛行場で訓練を受ける予定です。
パイロットの最初の受け入れ人数は33名。
訓練を行うのは白人教官です。

卒業した者は少尉に任官することになります。

カラード・トレーニングプログラムを継続する場合は、
有色人種の士官としてインストラクターを務めることになります。

黒人の士官候補生は、毎年40人から50人になる予定で、
彼らの先頭中隊は、白人部隊から分離されます。

航空隊の関係者はその考えにうんざりしているようで、
皆あまり良い感触を持っていないようです。
なぜなら彼らは
ニグロの飛行能力に疑問を持っているからで、
特に軍の航空は民間とは違う、という指摘もあるようです。

黒人たちはもちろんこれを歓迎しています。

最後に何やら不穏な報告がされています。
後述しますが、黒人飛行隊については、各方面から
反対意見があらゆる時点で巻き起こることになります。



1941年、エレノア・ルーズベルトがタスキギーの視察中、思いつきで
チャールズ・"チーフ"・アンダーソンが操縦する飛行機に乗り、
基地周辺を40分間遊覧飛行したときの写真です。

ルーズベルト夫人がこの「古代から飛行機に乗っていた人」
とあだ名される超ベテランチーフの飛行機に乗ったことは、
後世の人が思うように偶然や気まぐれの産物ではなかった、と、
わたしは今回確信しましたので、その理由を説明します。

まず、戦争の激化に伴い、飛行要員に有色人種を採用するという案は、
おそらく国家単位の組織から生まれてきたものだと思うのです。

飛行要員の訓練は、長期間を要し、人員の確保が難しく、
しかも本格的に戦争に投入されるとなると、当然予想される、
激しい消耗をどう補うかという問題が起きてきます。

「ブラック・ライブズ・マター」は黒人の人権問題ですが、
本音で言うと、当時二流市民であった黒人の命ならば、
多少の権利を付与したとしても、戦争に投入させるのは
十分見返りがあると考えた結果ではないでしょうか。

しかし、その「多少の権利」というのが問題でした。

それまでの彼らに対する社会的な扱いの低さが酷すぎたため、
この計画は、まず入り口に立ちはだかる人種差別の印象を
なんとか跳ね除ける必要があったわけです。

そこで、大統領夫人が突如気まぐれを起こし、
黒人パイロットの操縦する飛行機にのってフライトを行い、
大統領夫人は大変ご満悦であった、というカバーストーリーを
誰かが描いたのではないか、というのがわたしの想像です。

この事件が、世間の印象を変え(たように報じられ)、
その後、タスキギーのプログラムは拡大され、
第二次世界大戦中のアフリカ系アメリカ人の航空の中心となり、
部隊のメンバーはタスキギー・エアメンとして知られるようになりました。

黒人部隊を創設したい上層部にとっては、
その道筋をつけたこの事件は(もし仕組んだものであったら)成功でした。

だからこそわたしはエレノアの事件が「やらせ」だと信じるわけです。
おそらくこの事件がなければ、創設に漕ぎ着けるのは不可能だったでしょう。

しかしながら、創設の道筋がついた後も、
黒人ばかりの飛行隊に対する反発は凄まじく、
我々が思う以上に問題が山積していました。
まず、当初から起こってきた問題を見ていきましょう。

【初期の問題】

タスキギーに黒人航空要員養成学校ができるというニュースが広がると、
案の定、この地域の白人たちは、猛烈な反対を唱えました。

黒人の憲兵が白人を取り締まったり、軍用武器を振りかざして(と見える)
町をパトロールしていたことも、彼らの「癪の種」だったようです。

これに対し、初代指揮官ジェームス・エリソン少佐は(勿論白人)、
黒人憲兵を保護する立場でしたが、そのせいですぐに指揮を解かれます。

その後に来た大佐は完璧な分離主義者で、早速分離政策を取りました。

黒人系のメディアがこれに抗議すると、上層部は大佐を昇進・異動させ、
ノエル・パリッシュが「訓練部長」として指揮を執ることになったのでした。

タスキギー基地はこの間のゴタゴタで配属が滞り、そのせいで、
任務を持たない黒人士官が過剰になる事態となっていました。

着任したパリッシュは、結果として大規模な人種差別撤廃を断行します。
しかしそれは「逆差別」的な甘やかしではありませんでした。

人事はプロ意識と個人の能力、技術、判断力を基準としたもので、
黒人の訓練生に白人と全く同じように高い水準のパフォーマンスを求め、
その基準に達しない者は遠慮なくプログラムから外されるというものでした。

また、これまでレクリエーションが顧みられない状態だったので
パリッシュは有名人の訪問や公演を手配するなどということもしています。


ジャズシンガー・レナ・ホーンとパリッシュ(右)
左も多分有名な人

タスキギーに慰安のため招聘されたアーティストは、アフリカ系が中心で、

レナ・ホーン、ジョー・ルイス、エラ・フィッツジェラルド、
レイ・ロビンソン、ルイ・アームストロング、ラングストン・ヒューズ


などジャズに詳しい人が見たらレジェンド級の眩い顔ぶれでした。


【タスキギー陸軍飛行場司令官 パリッシュ】

左から2番目:パリッシュ
右へ:飛行教官ルーク・ウェザーズ大尉、
ベンジャミン・O・デービスJr.少佐
タスキギーインスティチュートプレジデント フレデリック・パターソン博士


陸軍航空隊は、1941年、アラバマ州タスキーギ研究所近くに
ついにタスキーギ陸軍飛行場を設立しました。

タスキギー陸軍飛行場(TAAF)の開発と建設などにも
黒人系の建設・施工・土木業者が選ばれたということです。
(これはもしかしたら白人系が引き受けなかった可能性もありますが)

1941年1月にはついに黒人航空部隊の編成が発表され、
すぐに部隊は活動を開始しました。

1942年末にタスキーギ陸軍飛行場司令官に昇進したパリッシュは、
プログラムの成功に重要な役割を果たすことになります。

まず、最初のクラスから5人の生徒が1942年3月に卒業しました。
彼らのうち最初に将校飛行士候補者となった12人は、黒人記者によって

「この国の有色人種の若者の頂点」

と称されるなど、このプログラム自体が黒人の身分にとって画期的でした。


おいっちにーさーんしー

ほとんどの訓練は白人教官が指導することになりましたが、
この体育の授業らしきものは、黒人教官がおこなっているようです。

250名を越える入営者は、訓練を受ける最初の黒人のグループとなり、
2年後には地中海作戦地域に戦闘配置されることになりました。

「タスキギーエアメン実験」を構成したのは黒人パイロット、教官、
整備・支援スタッフ、そしてそれを統率する指揮官でした。


【タスキギー飛行士実験の成果】

「タスキギー飛行士実験」は、黒人が、指導者としても戦闘員としても、
優れた能力を発揮できることが最終的に証明されることになりましたが、
この成果を得ることができたのは、パリッシュの功績でもあります。

この計画が軌道に乗るまで、黒人飛行士官の育成には
人種偏見からくる大きな抵抗があったことは先ほど書きましたが、
司令官として、パリッシュがこれに苦しまなかったわけがありません。

人は人種ではなく、能力によって判断されるべきだと考えていた彼は、
しばしばワシントンDCから落ち込んで帰ってくることがありました。

彼がタスキギーエアメンの直接の指揮を執ったのは、
実は1945年の第二次世界大戦の終わりから1946年8月まで、
わずか1年間にすぎません。

この間、戦争は終わり、その代わり、今度は
アメリカ軍の人種統合の闘いが加熱していました。

そして、事実上すべてのアメリカ軍の部隊司令官が、

「黒人は白人に比べて訓練に時間がかかり、成績が悪い」

とする報告書を提出していたことはあまり知られていません。

これは公民権運動が勃興する何年も前でもあり、白人ばかりの軍上層部は
相変わらず拭いがたい分離の壁をほとんどが築いていました。

しかし、ノエル・パリッシュはそうではありませんでした。

彼は、繰り返しますが、黒人の能力を黒人というだけで切り捨てず、
公平な報告書を提出した数少ない司令官のうちの一人でした。

例えば、パリッシュの報告書には、次のように記されています。

「ヨーロッパで爆撃機のパイロットが不足したとき、
戦闘機の操縦には、爆撃機の操縦とは全く違う技術が必要なのに、
十分に訓練された黒人の爆撃機のパイロットがいるにもかかわらず、
代わりに白人の戦闘機のパイロットが送り込まれた
ことがあった」

「陸軍航空隊の将校は、その科学的な解決力も卓越しているとされる。
工学的人事問題についての知見はなんら問題はないとされるのに、
彼らは得てして
人種や少数派の問題に対して、最も非科学的な独断と
偏見を持った態度でアプローチする
のにはがっかりさせられる事実だ」

「我々が黒人を好きであろうと嫌いであろうと、
彼らは他の市民と同じ権利と特権を持つアメリカ合衆国の市民である」



戦争が終わり、公民権運動の嵐も過ぎ去った数十年後のある日のことです。
タスキギーでタスキギー飛行隊の同窓会が行われました。

会場でノエル・パリッシュ准将の名前が呼ばれると、
そこにいた全員がスタンディングオベーションで彼を迎えました。

黒人である彼ら自身が、この司令官の公平性をよく知っていたのです。


戦後、第二次世界大戦中はあくまでも実験的だった
AAF(アフリカ系航空隊、アフリカンエアフォース)
ですが、軍はその経験から、運用方針を見直す必要があると考えました。

AAFの指導者たちは、黒人と白人の両方のグループを共存させ、
討論し調整することで、積極的な取り組み、リーダーシップ、機会の平等、
より費用対効果の高い軍隊を生み出すという結論に至ったのです。

つまり、タスキギー飛行隊実験は成功しました。

それを受けて、1948年、ハリー・トルーマン大統領は、
軍隊における待遇と機会の平等に関する大統領令に署名します。



【ノエル・パリッシュ准将】

The Rice University alum who became part of history with the Tuskegee Airmen 

パリッシュが卒業し、PhDを取ったライス大学が製作した
「パリッシュなくしてタスキギーエアメンなし」のビデオです。
ちなみにこのビデオでは「タスキーギ」と発音されていました。

だからどっちやねん。


パリッシュは2度結婚しており、2度目の妻は
フローレンス・タッカー・パリッシュ=セント・ジョン博士。
詳しいことは分かりませんが、どうも医師だったようです。

パリッシュはペンネームで雑誌記事を書き、音楽と絵にも関心を持ち、
40歳にして大学で博士号を取るなど向学心にもあふれた知的な人物でした。
外見も魅力的で機知に富み、好感の持てる男性で、
年齢よりも若く見え、女性に大いにモテてもいたようです。


彼はタスキギーに赴任するまでは、黒人の運動などに関わっていません。
が、彼の生まれは全くその問題とは無縁な土地ではなく、少年時代、
3マイル歩いて黒人がリンチされた場所を見に行ったりしています。

後年、黒人のパイロットや整備士を訓練するプロジェクトについて
彼が関わることになった時、その話を聞いた白人たちが、
しばしば「奇妙で心配そうなある種の笑い」を浮かべるのを目にしたり、
ヨーロッパでは、イギリスの飛行エースが、

"Messerschmitt on his tail than to try to teach a Negro to fly".
「黒人に飛行を教えるくらいならメッサーシュミットに追われる方がマシだ」


とまで言い放ったのを実際に耳にしたと告白しています。


ノエル・パリッシュは1964年10月1日に空軍を退役し、准将となりました。

博士号を取得した母校ライス大学の歴史学教授として教壇に立っていましたが
1987年4月7日、心停止によりメリーランド州で死去しています。

彼の葬儀で、黒人将官、デイヴィス・ジュニア中将はこう述べました。

「パリッシュ准将は、黒人が飛行機の操縦を学べると信じていた
当時唯一の白人だったかもしれない」




1948年、ハリー・トルーマン大統領政権下、
アメリカ軍の差別撤廃が決定しました。



タスキギー・エアメンの最高賞は、その名を冠して、
「ノエル・F・パリッシュ准将賞」と名付けられています。


ノエル・パリッシュが、その賢明なリーダーシップと、
黒人士官候補生に対する厳正で公平な扱いによって変えたものは、
軍隊における人種的分離状態だけではありませんでした。

それは、黒人飛行士たちの士気、彼らの生活条件、軍内の黒人と白人の関係、
および黒人と軍隊との関係全てにとどまらず、
タスキギーの町における黒人と白人の関係さえも改善したといわれます。



続く。



魚雷発射の仕組み〜潜水艦「シルバーサイズ」

2022-10-27 | 軍艦

さて、潜水艦「シルバーサイズ」の魚雷についてお話ししています。

■2種類の魚雷

「シルバーサイズ」は蒸気式と電動式、2種類の魚雷を搭載していました。
Mk.14が蒸気式、Mk.18が電動式とご理解ください。

「シルバーサイズ」がMk.14をどれくらい搭載していたのかわかりませんが、
少なくとも、潜水艦「ティノサ」のように、
撃っても撃っても艦体に突き刺さるだけで全く爆発せず、
おかげで相手はまるで花魁のかんざしのように魚雷を突き刺して帰還した、
というような特殊な例には遭遇しなかったのは確かです。

これは、魚雷の当たる角度に助けられて、
信管の故障を疑うほどの失敗に至らなかったせいかもしれません。

残念兵器とまで言われているMk.14ですが、「ティノサ」の例は特別で、
少なくとも「シルバーサイズ」では普通に搭載していたようです。

そして、この後魚雷を装填してから何が行われるかの説明となりますが、
「蒸気式」とあることから、Mk.14についてのものだと思われます。

長さ22フィート、重量3,000ポンドのスチーム「フィッシュ」は、
時速45マイル、有効射程は2,000ヤードを超える
350馬力のアルコール・タービンエンジンを搭載しています。

魚雷は装填されてから、発射管の外側にある各種レバーによって、

●深度(逆回転プロペラの横にあるベーンによって制御)
●速度(高速か低速か)
●ステアリング ジャイロ(ラダーを制御する)


の設定を行います。


トーペックス(torpex、torpedo Explosive)爆薬
は艦首の近くにあり、その後ろには大きな圧縮空気ボトルがあります。
この圧縮空気で、高圧を発射管に送り込むのです。


これが発射バルブとなるのですが、発射バルブを開くのは、手動か、
ソレノイド(導線を巻いたコイル)と呼ばれるレバーを使います


魚雷プロペラは指示方向と逆に回転します。

ちなみに電気魚雷と蒸気魚雷の違いは、速度です。
電気魚雷は遅いのですが、蒸気の跡が残らず、
音響ホーミングヘッドを取り付けることによってステルス性は高くなります。

コンパーメント内に、親切なことに魚雷発射についてわかりやすく、
何が起こっているか書いたパネルがありましたので、それを書いておきます。

フロアデッキの下にはメイン バラスト タンク(MBT)#1、
ウォーター ラウンド タンク(WRT)
さらに
フォワード トリム タンク
があります。

MBTは潜水・浮上装置の一部、WRTは魚雷発射管への注水用水、
前部トリムタンクは魚雷発射後の重量減少を調整するためのものです。

では、魚雷はどのように発射されるのでしょうか?



まず、魚雷発射口を閉じた状態で、魚雷をローラーに載せて
ブロックとタックル(ロープ的な)で魚雷管内に引き込む。

その後、ブリーチドア(後部ハッチ)が閉じられるとチューブベントが開き、
チューブとWRTの間のドレインバルブが開き、
WRTが加圧されて水が引き込まれ、魚雷発射管内は浸水する。


コニングタワーの魚雷データコンピュータで決定された速度、深度、
ジャイロ角度を、チューブ側面の格納式ピンで設定する。

魚雷発射は、コニングタワーから電子制御で行われ、
発射ドアが開き、魚雷が発射される。
魚雷はプロペラに引き継がれる前に、圧縮空気を吹き付けて発進させる。

発射管から出ると、魚雷は正しい深度と速度を想定し、
正しい方位に旋回し、そこからはひたすら直進する。

管内に別の魚を再装填するには、外扉を閉め、ドレーンバルブを開き、
管内を加圧して管内の水をWRTに押し流し、ブリーチドアを開ける。



他のコンパートメントと同様、前部魚雷室は窓もなく、
窮屈で混雑した暑い作業空間でした。
この部屋を見ていると、ここで勤務していた乗組員の勇気、技術、
献身にただ驚かされるばかりです。

文章で理解するのが面倒!という方にはこれを。
最初はマーク14型の残念ぶりを説明していますが、
7:00~からは構造と発射の仕組みが
【ゆっくり解説】欠陥魚雷Mk14・構造としくみ



ところで、前方魚雷室は、圧力船体の前方40フィートを占め、
ボートが水面にあるときもほとんどは水中にある部分です。

ほとんどの潜水艦のコンパートメント同様、
このコンパートメントにも特に重要な部位がぎっしりと詰め込まれています。

先ほど、「前方にチューブは6つある」と書きましたが、


「ガトー」級潜水艦の、前部コンパートメントの断面図をご覧ください。

6つのチューブの後部3分の1だけが見えており、
残りは前方のトリムバラストタンクに埋まっています。(黒部分)


また、潜舵、バウ・プレーン・ティルトシャフトは、
ティルトの機構とともにチューブの上にあります。

これが正直どこを指すかよくわからんのですが、おそらくチューブの上の、
白くて大きな管の内部にシャフトがあるのではないでしょうか。
(ちょっと適当)


また、魚雷チューブの上部をご覧ください。



クロム製のベントブロー・マニフォールドというものがあり、
これで魚雷発射前に管から空気を排出して、管の内部を水で満たします。

魚雷の間にはグリーンの小さなスツールがありますが、
レバーの管理をする乗員の定位置です。



また、高圧空気弁は、発射後に管から水をブローつまり吹き飛ばします。

一発撃つごとにこれだけの準備と、撃ってからも一定時間を必要とするので、
一方の魚雷発射室には6基ものチューブが必要になってきます。


チューブの後ろには、長さ22フィート(約670cm)の魚雷ラックがあります。

ご覧の通り、魚雷発射室は乗員の寝室を兼ねていて、
魚雷の上下にバンクと呼ばれる兵員用ベッドが配置されています。



ウォー・パトロール、戦時哨戒に出発するときには、
合計18基の魚雷を満載していくのが通常だったので、
乗員は別のところ(どこだろ?)で寝なくてはなりませんでした。


部屋の中央頭上に配置されているのは、
油圧モーターを駆動するための電気モーターです、
これらの油圧モーターは、前方の潜水面を傾けたり、
あるいはリグを出し入れしたり、錨を上げ下げするのに使われます。

そして、その後方に、写真には写っていませんが、ここにも
エスケープ・トランクがあります。(図の甲板に続く部分)

沈没した潜水艦から脱出できる耐圧コンパートメントで、
「シルバーサイズ」には二箇所これがあります。


また、この後方には、魚雷を甲板から前部コンパートメントに積み込むための
装填ハッチ(トルピード ローディング ハッチ)があります。



装填ハッチの下が、これ。

そう、ヘッドとシャワー室です。
その他、二つのクロム超音波ソナーシャフト、
多数の電子制御および機械制御がぎっしりと詰まっています。




続く。

前部魚雷発射室 2種類の魚雷〜潜水艦「シルバーサイズ」

2022-10-25 | 軍艦

さて、というわけでいよいよ「シルバーサイズ」に乗艦です。

■入艦



階段を数段降りたところにエスケープ・チャンバーがあり、
ドアを開けて中が見える状態になっていますが、中には入れません。

急いでいたこともあって、この中の写真(特に天井とか)
を撮らなかったことは痛恨の極みです。
(痛恨の極み多すぎ)



「シルバーサイズ」のパンフレットでは、その名も
「BELOW」
としてこのような構造図を紹介しています。

この「ビロウ」はあの「ビロウ」とは別だと思うのですが、
映画にかけた可能性も微レ存。

ここで水密コンパートメントの解説があります。

「シルバーサイズ」には、9つの水密コンパートメントがあります。

各コンパートメントは、防水ハッチによって
隣のコンパートメントから隔離されています。
以下の図はこの区分を図に表しています。


そして、下の潜水艦図に示されている区画のほとんどを
あなたはこれから歩いて通過していくことになります。

1. フォワード・トルピード(前方魚雷室)

2.オフィサーズ・ワード(士官居室)

3. コントロール・ルーム(制御室)
コニング・タワー(司令塔)

4. クルー・クォーターズ(乗員食堂)

5. フォワード&アフトエンジン(前後方エンジン室)

6. マニューバリングルーム(操作室)

7. アフター・トルピードルーム(後方魚雷発射室)

「シルバーサイズ」のスペックも一応書いておきます。

全長 95.02 m
全幅 8.31 m
排水量 1,526トン(水上)
    2,426トン(水中)

乗員:士官8名 兵員72名
(平時)士官、兵員70名
(戦時)士官、兵員80-85名

起工(keel laid)1940年11月4日
就役(Commissioned)1941年12月15日
退役(Decommissioned) 1946年4月17日

除籍(Stricken from Naval Resister)1969年6月30日
国定記念物指定(Declared a National Landmark)1986年
マスキーゴン係留(Relocated to Muskegon)1987年

「シルバーサイズ」鑑賞のポイント:

USS「シルバーサイド」SS-236は、

第二次世界大戦で生き残った最も有名な潜水艦です。
彼女は非常に多くの船を撃沈しました(30隻沈没、14隻撃破)。

また、2名のアメリカ軍パイロットを救出し、
個々のパトロールでは16基もの機雷を敷設しています。

「シルバーサイズ」は盲腸の切除手術をその管内で、
しかもファーマシストメイト(薬剤科員)の手によって行った
史上唯一の潜水艦として有名であり、このエピソードは
ケーリー・グラント主演の映画、


「デスティネーション・トーキョー」

の中でも描かれています。

また、映画「ビロウ」の撮影にも使われました。

そういえば「デスティネーション・トーキョー」、
まだ取り上げたことがなかったですね。

検索してみたら、ちょうど盲腸患者が出るシーンが見つかりました。

Destination Tokio (1943) - Cary Grant

ファーマシストが俺が手術してやる、というと、
盲腸患者の水兵は痛み以上にドン引きしています。(4:08~)

実際の彼も、このときもう俺オワタ\(^o^)/と思ったに違いありません。




階段を降りながら写真を撮りました。

前方魚雷室(Forward Torpedo Room)です。


最初の区画ということで、注意書きがあります。
内容は、上にあったのとほぼ同じで、


USS「シルバーサイズ」(SS-236)へようこそ!

注意

「あなたとわたしたちの安全のために、
バルブ、レバースイッチなど、機器を操作したり、
ハッチやキャビネットを開けたりしないでください。

この潜水艦に搭載されているすべての機器はまだ稼働しています。
メインエンジンやその他の機器も定期的に作動させています。
作動イベントのスケジュールはギフトショップでお求めください。

保護者と成人の方はお子様から目を離さないようお願いします。


皆様のご協力により、この歴史ある潜水艦を
後世に残すことができるのです」


■前方魚雷室



私がここに降りたとき、ちょうどここには
「CREW」と背中に書かれたボランティアらしい若い人(高校生?)
が魚雷チューブの前に佇んで何かをしていました。

そのせいで、近くに行って中を覗き込んだり、
その天井部分の写真を撮ることができませんでしたが、
これはもう致し方ないでしょう。


最初のコンパートメントである前方魚雷室には、
前方の先に6つの磨かれた真鍮の魚雷発射管があります。



魚雷の後ろにあるのが長さ22フィートの
Mark XIV(14)魚雷のラックで、これが魚雷の乗った状態でです。



Mk.14は大戦始まりからずっと使われていた魚雷ですが、
何かと問題が多く、ある日撃っても当たってもさっぱり不発の魚雷に、
こんな魚雷で戦えるかあ!と、業を煮やした
ガトー級潜水艦「ティノサ」のローレンス・ダスピット艦長
ニミッツ提督に直訴して、改良されたものが普及するようになりました。


意外と温厚そうなダスピット少将(最終)

ちなみにこの第三図南丸を攻撃した時の、
絶望を感じさせずにはいられない不毛な魚雷攻撃は、
ダスピット艦長によって次のように報告されました。

「ティノサ」が5本の魚雷を命中させているのに、
全く沈む気配のない船に全員が『?』となってからの記録です。

10時11分:8本目の魚雷を発射。命中。何ら影響は見られない。
10時14分:9本目の魚雷を発射。
命中。何ら影響は見られない。
目標は潜望鏡の視界内にあり、魚雷は正しく航跡を描いている。
ネットの有無を観測したが見当たらない。
10時39分:10本目の魚雷を発射。
命中。何ら影響は見られない。
10時48分:11本目の魚雷を発射。
命中。何ら影響は見られない。
この魚雷は船尾側によく当たり、そのたびに水柱を作っている。
そのあと、タンカーの船尾方向に右へと曲がり、
100フィートほど水面上に出る様子を観測した。
私はこの様子を見ているが、
納得することは難しい。
10時50分:12本目の魚雷を発射。
命中。何ら影響は見られない。
11時00分:13本目の魚雷を発射。
命中。何ら影響は見られない。
反対側で射撃を行っているようだ。
11時22分:高速のスクリュー音を探知。
11時25分:艦首正面方向に、接近しつつある駆逐艦のマストを発見した。
11時31分:14本目の魚雷を発射。
命中。何ら影響は見られない。
11時32分30秒:15本目の魚雷を発射。
命中。何ら影響は見られない。
駆逐艦が1000ヤード以内に入ってきたため、深深度潜航に移る。
魚雷は確かにタンカーに命中し、航行する音も止まったことを確認した。
潜望鏡も下げたが、まったく爆発しなかった。
基地で検査を行うため、最後に残った魚雷を保持することとした。


これはどんな温厚な人物でも激怒しますわ。

写真の印象のみならず、ダスピット艦長は実際にも冷静で、
日頃動揺のかけらも見せないタイプと思われていたのですが、
その彼に直接キレちらかされた太平洋艦隊潜水部隊司令官、
チャールズ・A・ロックウッド中将
も、

「ダンの怒りは相当なものだったように思う」

と(控えめに)述べています。

結論としては、Mk.14型魚雷の磁気信管と爆発尖の不良が原因で、
ターゲットに直角かそれに近い角度で命中すると、
雷管につながるピンが折れて爆発しなくなることがわかりました。

これを受けてアメリカ海軍では早速改良を行うわけですが、
そういえば、この魚雷改良についてのエピソードも、
過去当ブログで取り扱った潜水艦映画で取り上げられていましたよね。

ジョン・ウェインの「太平洋機動作戦」”Operation Pacific”

アメリカの戦争映画のエピソードは、戦中戦後問わず、実際の
世間の耳目を集めた軍事ストーリーを取り入れがちなんですね。



ただし、この改良は最後までうまくいかず、結局「シルバーサイズ」も
おそらくMk.18という電気魚雷を採用していたと考えられます。


後半では魚雷発射のメカニズムについて概要をお話しします。


続く。

スーパー・ストラクチャー(上部構造物)〜潜水艦「シルバーサイズ」

2022-10-23 | 軍艦

潜水艦「シルバーサイズ」の艦内ツァーにやっとこぎつけたと思ったら、
エスケープチェンバーことエスケープ・トランクのことを話し出してしまい、
またもや上甲板から降りていく前に、1項を費やしてしまいました。

しかも今日は上甲板全体についてお話しします。
なかなか中に入っていきませんが、我慢してお付き合いください。



艦内のパネルによれば、甲板全般にあるもののことは
「スーパーストラクチャー」と言えばいいことがわかりました。

さて、ここで「ガトー」級潜水艦のシルエットが出たので、
現代の潜水艦と第二次世界大戦中の潜水艦について一言。

それらは時代の違いが一眼でわかるため、
大きく形も違っていると我々は思いがちですが、
「ガトー」級潜水艦の艦体形状は、実は(あるものを取り除けば)
現代の核攻撃型潜水艦と非常によく似ているのです。


我々が両者を「大きく違う」と判断するその大きな理由、
それこそが「スーパーストラクチャー」です。
「The stuff on top」を意味し、日本語では上部構造物と言います。



これは近代の原子力潜水艦ですが、さっくり言って、
「ガトー」級の潜水艦との違いはスーパーストラクチャーの有無です。

ここでいきなりですが、エスケープハッチを利用して作られた
見学者用の階段を降りていくと、あなたはこんな景色を目にします。


階段の左側の景色です。
まず、写真右側に見えるのがエスケープ・チューブの外側となります。

いかがでしょうか。
実にクラシックな葉巻形状の船殻外側が下部にご覧いただけます。


この頃の潜水艦が、ほぼ薄っぺらなオーク材の甲板によって
艦体をカモフラージュされたものであること、
しかるのちに、圧力球の上に色々な構築物を
「乗せた」にすぎないものであることが一眼でわかります。

実際、水密圧力艦体のほとんどは、艦内では喫水線より下にあります。

そしてボートの最大外幅は27フィートですが、
水密部分の乗員の居住区の内幅はわずか16フィートしかありません。


そして階段を降りながら右側を撮影したのがこれ。
水密区画の外側に色々と構造物があるわけですね。

写真左上部分には魚雷のローディング・スキッドが見えます。

そして、注意深く見ていただければ、スキッドの下側に
前方潜水機構のギア機構らしきもの、圧縮空気タンク、
そしてバラストタンクのエアベントなどもここにあるのがわかります。

これらは全て艦体の中に収める必要のない、
「水没可」のものであるということです。


ところで「シルバーサイズ」を使って撮影された、ホラー映画「ビロウ」で、
不可思議な現象を解明するために、何人かが海中で
ハッチから艦の外に出て、こんな空間に入っていくシーンがあります。


そこは海中でありながらこのような海水の溜まった空間で、
ここで霊の存在によって一人が命を失うことになります。

こんな部分が実際の潜水艦に存在するのかが気になっていましたが、
少なくとも実際の甲板下を見る限り、どこにもなさそうですね。

ハッチを出てしまったら、そこは全て水没しているはず。
なぜってそれがこの時代の潜水艦だから。

万万が一、本当に映画の「ビロウ」のような空間があるなら、
それはもちろん水密区画の外側となるわけですが、
そこは当然「ガトー」級独特の、船殻に穿たれた穴によって、水没します。



そして甲板。
潜水艦が水面にある間、そこは足場であり作業場であり、
銃撃戦の戦場となりました。


デッキの武装は、

4インチ.50 キャリバー・デッキガン
ボフォース40ミリ機関砲、


エリコン20ミリ対空機銃

が装備されています。



現代の潜水艦には存在しなくなった甲板銃は、当時のボートに
「弱い敵」に対する水上戦闘能力を与え、
魚雷を使うよりある意味ではこちらが好まれました。

その理由は砲弾は魚雷より格段に安価だったからで、
「弱い」の基準は「潜水艦を沈めるほどの力を持たない」という意味です。

しかし、この最初の哨戒において、「シルバーサイズ」は
この「弱い敵」(実は武装漁船)に機銃攻撃を仕掛け、
苦戦した上、乗員を失うという手痛い教訓を得たのでした。


「トルピード・ローディング・スキッド」

魚雷装填のためのスキッドは滑り台のようなレールです。
先ほど甲板下の階段から見えていたその入り口です。



クレーンで岸壁から持ち上げた魚雷を、この上まで運び、
スキッドという滑り台から内部に下ろしていくわけですが、
ほぼ手作業でこれらの積み込みを行うのは結構な重労働ですね。

哨戒に出るとき、「シルバーサイズ」は18本もの魚雷を搭載しましたので、
その作業に丸々1日はかかったに違いありません

潜水艦が魚雷攻撃を受けるのはえてして夜間浮上しているときでした。

バッテリーをチャージするためのディーゼルエンジン、
そして乗組員たちには大量に新鮮な空気が必要不可欠だからです。

こんな当時の潜水艦を、「Submarines」(潜水艇)ではなく、
「Submersibles」(潜水することができる艇)だろ、
というツッコミも当時からあったそうです。

まあ、そういう当時の問題を一気に解決したのが
水没したまま永遠に潜航(これが本当のスティル・イン・パトロールってか)
できる原子力エンジンだったわけですが、ディーゼル艦との大きな違いは
エンジンが空気を必要としないこと、これに尽きます。

しかも原潜は、二酸化炭素スクラバーの存在によって、
艦内で生活する人間に必要な空気も常に新鮮に保つことができます。

その結果、艦体がどうなるかというと、
カサ張る上部構造を必要としなくなります。
当然、艦体の合理化が進み、現在の潜水艦の形となるわけですね。

おまけに上部構造物がなくなるということは、水の抵抗はなくなり、
それだけで水上航走時速21ノット、水中9ノットだった頃より
格段の速さが約束されることになりました。



今更ですが、デッキの上のこの構造物を「セイル」と呼びます。
司令塔を多い、水上航行中には士官が立つ「ブリッジ」を形成します。

ブリッジの床にあるハッチは、水面からかなり高い位置にあるため、
航行中、唯一、慣習的に常時開けてあります。


実際にはどこにあるのかわかりませんでしたが、
ブリッジの上には回転トランスデューサーに取り付けられた
二つのターゲット方位トランスミッタ双眼鏡があり、
これで司令塔にある魚雷データコンピュータに視覚的方位を送信します。


ブリッジの上に突き出た垂直のシャフトの配列、
これは英語で「shears」(シアーズ?)と呼ばれます。

二つの潜望鏡、複数の種類のレーダーアンテナ、
そしてラジオマストを支えています。


見張りが立っていたのは、このマストに備え付けられたリングの中でした。
映画「ビロウ」では、海中にアクラングなしで出ていった副長?が
なぜかここに引っかかっていましたっけ。

そして哨戒を成功させて帰還してきたとき、「クリーン・スウィープ」として
慣習的にほうき🧹をシアーズに立てました。




セイルの周りから突き出すようにしてある、これ、

Ammo Scuttle(弾薬台)

だということですが、この名称を主張しているのは、今のところ
検索して見つかった一人のアメリカ人だけだったので、
これが正確な情報かどうかはわかりません。



Ammo Cylinders Protrude(弾薬貯蔵シリンダー)

です。

甲板の兵器に補充する弾薬は、この下に保管されていて、
上部で弾薬が必要になった時には、この下にあるシュートに装填され、
それが手でメインデッキに押し上げられます。



「シルバーサイズ」最初の哨戒での戦闘シーンです。

マイク・ハービン(装填している人)水兵が、武装漁船銃弾に倒れる直前、
どこから弾薬を持ってきていたかというと、
それは間違いなく、この弾薬庫からだったはずです。

そして、今まで気づきませんでしたが、写真左の乗員がいるのは、
このアーモ・スカットルあるいはシリンダーのある場所で間違いありません。

つまり、ハービンと、この人が、交代で弾薬から、
押し上げられてくる弾薬を受け取り、砲に装填していたことになります。
(もしかしたら右側端の乗員も同じことをしていたかもしれません)

この時はたまたまハービン一人が犠牲になって死亡しましたが、
同じ任務について弾薬を運んでいた水兵は、おそらく彼の死後、
ちょっとのタイミングの差で、彼は死に、自分が死ななかったことを、
不思議な気持ちで考えずにはいられなかったでしょう。




司令塔の後方にはオープン・ストレージ・エリアがあり、
掃除用具、ペンキの空き缶、バケツ、ヘルメット、
そして大型の・・・通風装置?
とにかくいろんなものが雑多に置かれているわけですが、
実はここのことを、

「ボースンズ・ロッカー(boson's locker)」

といい、当時から物置として使われていました。

現在でもボランティアの道具置き場となっています。





「ガトー」級の艦尾にしばしば見られるこの構築物、
これはおそらく艦体を衝撃の破壊から守るためのものだと思いますが、
正式な名称は分かりませんでした。

なんだろう・・・「艦体ガード?」

これもまた現代の潜水艦には片鱗さえもないものです。

しかし、ディーゼルエンジン潜水艦の「スーパーストラクチャー」は、
古い帆船の時代と、現代の高速攻撃型原子力潜水艦の間の、
進化を如実に表すものであるということがお分かりいただけるでしょう。


続く。




エスケープ・トランク・ハッチ〜潜水艦「シルバーサイズ」SS-236

2022-10-21 | 軍艦

さて、開始以来、その哨戒活動を順を追ってお話ししてきた、
ミシガンミシガン湖マスキーゴンに渓流展示されている
第二次世界大戦時の潜水艦「シルバーサイズ」。

今日からは、いよいよ実際の艦体を見学して、
その外部内部をご紹介していこうと思います。

まずは乗艦したデッキから始めたいと思いますが、
「シルバーサイズ」の哨戒について調べ終わった今、
最初に挙げた画像の意味がわかったので説明しておきます。

冒頭写真は敵撃沈数マークなどがペイントされたセイルタワー部分。

ペイントされているマークの数は、あくまでも、「シルバーサイズ」が
現役当時撃沈撃破したと信じるところの数に準拠していますが、
この撃沈数も、同じ情報を彼我の資料でざっとくらべただけで、
かなり違っていることがわかってしまったわけです。

ただし、国のために命をかけて戦ってきたベテランに対し、
多少の瑣末な結果の違いより、彼らの認識を尊重すべし、
ということになりがちなのがアメリカの戦争遺跡のリアルですので、
この辺はめくじら立てず、暖かい目で見守ろうと思います。


さて、そしてこれなのですが、今やその意味もわかりました。

まず左の機雷マークの中に書かれた16は、「シルバーサイズ」が
戦争中、各所に敷設した機雷の数となります。

この付近に「シルバーサイズ」が機雷によって
触雷沈没した日本船も確か何隻かあったはず。

そして右の落下傘に書かれた数字、

これは、ニコルズ艦長になってから、通商破壊作戦がなくなり、
その任務をパイロットの救出に切り替えて以降の哨戒で、
彼女が実際に海上から救い上げたパイロットの数です。

一人は陸軍航空隊のパイロット、そしてほぼ同時に
「インディペンデンス」の艦載機パイロットを助けたことも、
当ブログではすでにご紹介済みです。



とスッキリしたところで、乗艦するところから始めます。

「シルバーサイズ」の見学には、岸壁からかけられたラッタル、
ほぼ岸壁と同じ高さとなっている甲板に上がっていきます。



甲板に上がると、対岸まではすぐそこです。

「シルバーサイズ」は、ミシガン湖と、ミシガン湖から流れ込む
マスキーゴン湖をつなぐ運河沿いに係留されています。

運河にはタンカーや貨物船、民間船やヨットなども頻繁に行き来します。
運河の向こう側は緑地帯(キャンプ場が広がっている)、
さらにその向こうは広大なミシガン湖となっています。


「シルバーサイズ」に乗艦する見学者に真っ先に与えられる注意は、
以下の通りとなります。

「『シルバーサイズ』艦上の多くのシステムは、可動します。
ノブやスイッチ、ダイアル、レバー、ホイールなどを
決して触らないでください


ディーゼルエンジン式の潜水艦の艦底にあるバッテリーは、
展示艦となったとき、「シルバーサイズ」から外されました。

大量のバッテリーを除去した前後の艦底部分には、
バランスを取るためコンクリートブロック代わりに設置されています。

このことからも「シルバーサイズ」には、往年と同じような、
潜ったり浮かんだりの動作は無理であることは明らかなのですが、
注意書きによると、電気関係と主機能のエンジンはほとんど生きています。

特にエンジンに関しては、ボランティアの奮闘努力により、
現役時代と同様稼働することができるようになり、
年に一度、戦没将兵へのメモリアルデーに、退役軍人によって
エンジン始動するイベントが博物館の目玉になっています。

ちなみに(興行成績としては大失敗だった)映画「ビロウ」に出演したとき、
USS「タイガーシャーク」こと「シルバーサイズ」
海上を航走しているシーンは、艦体を曳航して撮影されました。

しかし「システムの多くが生きている」というのは本当です。



上部甲板の中央に立って見る艦首部分です。


舫の置き方は・・・・まあ普通。
乱雑ということはありませんが、海上自衛隊のほど芸術的でもありません。


過去の「シルバーサイズ」見学者が挙げた写真ではこんな置き方です。
こんな時代もあったようですが、人が変わったか、面倒になったのかしら。

■ エスケープ・トランク


「シルバーサイズ」内部にはここから入っていきます。

ボランティアによって修復されたデッキには、
見学者のための入り口がまず設置されました。



サンフランシスコに係留してある「ガトー」級潜水艦の
「パンパニート」が、「ダウン・ザ・ペリスコープ」という
潜水艦映画に出演したことがあり、当ブログでも紹介しました。

原子力潜水艦に乗せてもらえず、ディーゼル艦に罰ゲーム的に乗せられた
「落ちこぼれ軍団」が、原潜と対戦するという痛快ドラマ?ですが、
このとき、乗員が最後に「パンパニート」の甲板の
観客用の手すり付き階段からゾロゾロ出てきたシーンがありました。

もちろん、映画評価サイトではあり得ないそのシーンが
「goofs」(間抜けともいう)として指摘されていましたが、
常識的に考えて、現役の戦闘艦が、
一般人の乗降に親切な設計なはずがありませんから、
見る人が見ればすぐにわかってしまうのです。

当然「シルバーサイズ」も、その現役中は、
手すり付きの階段などというものは設置されていませんでした。

それでは乗員はどこから出入りしていたかというと、
上の写真の手すりの向こうに見えているハッチからです。


この写真の位置関係でお分かりだと思いますが、見学者用の出入り口は、
ハッチチューブの横から階段で入っていけるようにしたものです。



この部分の正式な名称は現地の説明によると、

「Escape trunk hatch」
(脱出用トランクハッチ)

となっています。

エスケープトランク、脱出トランクとは、潜水艦が沈没して水中にあるとき、
乗組員が脱出するための潜水艦の小さなコンパートメントです。

今日はこの装備について説明します。

「エスケープ・トランク」とは、エアロックと同様の原理で動作し、
圧力の異なる 2 つの領域間で人や物を移動させるというものなのですが、
とりあえず次の図をご覧ください。
               
映画「ビロウ」でも、海中の艦内から外に出ていくシーンがあり、
また、最後には霊の存在によって精神に異常をきたした副長が、
アクアラングなしでここから海中に出ちゃってましたよね。

で、この図を見て気が付きませんか?
見学者の出入り口って、位置的に「エスケープハッチ」なんじゃないの?

通常、陸上水上での乗員の乗り降りはアッパーハッチを使い、
艦体が水中にあるときのみ、エスケープハッチを使うことになります。



そういえば、この「マンセン・ラング」を着用した水兵さんが
体を乗り出しているのが、ズバリ、エスケープ・ハッチです。

マンセンラングを着用して海中に脱出するところを再現していたんですね。

これをみていただくと、艦によって多少の違いはあれ、
エスケープハッチがこの位置関係に存在したことがわかります。


■ エスケープ・チャンバー(脱出室)のメカニズム

ここでエスケープ・チャンバーのメカニズムについて説明しておきます。

潜水艦が水中にあるとき、外側のハッチの水圧は、
常に潜水艦内の気圧よりも大きく、従って、
ハッチは決して開かないようになっています。

ハッチを開くことができるのは、
エスケープ・チャンバー内の圧力が海圧と等しい場合のみです。

コンパートメントは潜水艦の内部から密閉されており、
水中に出る人は、まずエスケープチャンバー内に入ります。

この後、チャンバー内の圧力を海圧まで上げてから、
エスケープ用のハッチ(斜めに出ている部分)から外に出るのですが、
そのオペレーションについて、順を追って説明します。

1.排水バルブを開く

2.コンパートメントから残留水が確実に排出される

3.
潜水艦の内部と脱出トランクの間の圧力が均等になる

4.排出弁を閉じる

5.水中に出る者がスタンキーフードなど、
水中での呼吸装置をつけてチャンバー内に入る

スタンキーフード

6.海水バルブを開いて、チャンバー内に水を入れる

7.チャンバー内の空気が圧縮され、海圧と等しくなると、
チャンバーの浸水が止まる
水位は、図の水色の破線より高くなるようにする。

8.追加の空気が高圧空気供給からチャンバー内に排出される


9.空気圧が上昇

10.チャンバーの上部にある空気の泡は、外に出る順番を待っている間、
内部の人が呼吸するために残されたままにする

11. スタンキーフード内の圧力は、周囲の空気/水圧と同じにする

12.最初の脱出者は脱出チューブを登り、ハッチを押し開ける。
チャンバー内の圧力が海圧と等しくなるまで、ハッチを開かない

13.チャンバーの外に出ると、スタンキーフードの空気の浮力により、
脱出者はすばやく水面に運ばれる


14.浮上すると、周囲の水圧が低下し、

肺とフード内の空気が膨張するため、
脱出者は、肺から膨張する空気を放出するために、
水面までずっと息を吐き続けなければならない。

15.最後に出る人は、外側のハッチを押して閉める。

16. 脱出が終わると、内部ではドレーンバルブが開かれ、
チャンバーから水が排出され、潜水艦内の圧力と等しくなる

17.チャンバー内は、圧力により、

水が排水バルブから急速に押し出される

18.チャンバー内の圧力を下げると、潜水艦の外の海圧が高くなるため、
外側のハッチも強制的に閉じられる

19.まだ全員の脱出が終わっていなければ、
その後、全員が潜水艦を離れるまで、この手順を繰り返す。

昔は海の中に脱出した乗員が助かる率は大変低かったのですが、
その生存率を引き上げたのがDSRV

Deep Submergence Rescue Vehicle
(深海救難艇)


です。

それまでは、レスキューチェンバーによる救助が主流でしたが、
1963年に起きた原子力潜水艦「スレッシャー」の沈没事故では、
沈没した深度がレスキューチェンバーの限界を超えたところだったため、
全ての救助手段は失われ、乗員は結果的に全員死亡しています。

それが本格的なDSRVの開発が始まったきっかけでした。



続く。