年が明けても、一向に就職は決まらない
能天気だった私達親子も、ことの深刻さに気づかないわけには行かなかった。
選ばなければあると世間は言う、私もひと様のことならそう言う。
でも、我が子のこととなるとそうはいかない。
大学受験での苦労を思い出し、就職先が人生をある程度決めてしまう日本の現実を考えると、やはりどこでも良いというわけにはいかない。
娘と何度も話し合い、1年卒業を延ばすことを、私から勧めた。
卒業してしまえば大学に来る募集情報を得ることができない。
それに、社会的身分を失った状態で居ることは、本人にとって精神衛生上良くないような気がした。
いわゆる就職浪人を決断したわけだけれど、それでも就職できなかったら、アルバイトをしながら大学院に行くということに決めた。
娘は文系だったから、大学院に進めば就職は尚更困難ということはわかっていた。
けれど、とりあえず何か進む方向が必要だった。
さて、就職浪人となった娘だけれど、その後就職状況はますます悪化、それは男子学生にまで及んでいった。
娘はやはり採用されることはなく、秋ごろには就職活動を諦めてしまった。
それまで挫折を経験せずに来た娘 、肝心なときに社会から拒絶されたショックは想像以上に大きかったことと思う。
東京勤務を受け入れたお友達は就職できたのだから、地元にこだわった私も少なからず責任を感じないではいられなかった。
何となく暗い日々が続き、嫌な夢もたびたび見た
結局娘は大学院の申し込みもしなかった。
「目的がないのに大学院へ行っても、意味がない」という娘の言葉は、私にも理解できた。
”留学という道もあるし、とにかくアルバイトでお金を貯めるわ”という娘の言葉に、”それも良いかも知れないね”と答えるしかなかった。
そう決めたらお互い気持ちも落ち着き、どの道を行っても、それなりに何かが開けるかもしれないという気になっていた。