珊瑚の時々お絵かき日記

夫と二人暮らし、コロナ自粛するうちに気がついたら中国ドラマのファンになっていました。

朱鞠内湖

2011年08月29日 | 国内旅行

 

母を伯母のところへ送り届けた後、私達の宿泊する朱鞠内湖へ向かった。

朱鞠内湖は、水力発電用ダムのため、3本の川を一つに集めてせき止めて作った人造湖だ。

そのせいか、自然の湖、摩周湖や阿寒湖などに比べると、知名度はぐっと落ちる。

でも、複雑な地形がたくさんの島を作って、知らなければ、とても人造湖とは思えない景色だ。

平日だからだろう、観光客もほとんどいない。

釣りをしていた人たちも帰り支度をしていた。

遊覧船が見えたのでいってみると、船長さんが所在無さげに文庫本を読んでいた。

「今日はお休みですか?」

と、声をかけてみると、

「いえいえ、やってますよ」

と言う返事が帰ってきた。

「でも、二人じゃ船はだせないでしょうね~」

ときくと、

「何人でも出しますよ」

と、言うので、乗ることにした。

20人くらいは乗れそうな遊覧船を貸切だ。

 その日は、雨こそ降っていないものの、どんよりとした曇り空だった。

それでも、目の前に開ける幻想的な景色に飽きることがない。

まるで、「天空の城ラピュタ」の空に浮かぶお城。

千と千尋の神隠しで、千と顔無しの乗ったバスが走った一本道。

神様がお出ましになりそうな森。

不思議な世界に迷い込んだよう。

夕闇を運ぶ白い馬。

 

お天気が良かったら、素晴らしい夕焼けが見られただろうな。

 

 湖水に一番近いレークハウスという、宿泊施設に予約していた。

夕食はダッチオーブン料理だというので、楽しみにしていた。

大きな鉄鍋のふたを開けると、鶏が丸々1羽。

ポテト、人参、タマネギ、ピーマンが取り囲んでいる。

ああ、美味しそう~~

それにフランスの何とかいうお塩を振りかけるだけ。

ほんとうに美味しかった

ずっと禁ビールしていたのだけれど、つい飲んでしまった

ま、いいか

伯母を訪ねるために仕方なく訪れた朱鞠内湖だったけれど、良い意味で予想を大きく外れた。

ほんとうに素晴らしくて、来年母を連れて伯母を訪ねるのが、私達もとても楽しみになった。

 

 


伯母を訪ねて

2011年08月27日 | 母のこと

伯母を訪ねて、小旅行をした。

車で片道3時間半から4時間かかるから、結構な距離だ。

伯母は母の姉で、90歳、老人施設でお世話になっている。

母の兄弟姉妹は5人いたけれど、今は長女の伯母と、三女の母と二人になってしまった。

伯母は3年前に施設に入居したけれど、20年程前に伯父が亡くなってから、暮らしなれた家で一人暮らしをしていた。

とても元気な人で、施設に入居した理由は、雪かきができなくなってご近所にご迷惑がかかるからというものだ。

それまで、雪かきはもちろん、家の裏の畑でたくさんの野菜も作っていたのだから、驚いてしまう。

「会いたいから遊びに来て」

という電話が、母によく来ていたらしいけれど、腰痛持ちの母は、長時間車に乗っている自信がなくて、なかなか行くと言わなかった。

けれど、90歳と85歳ではいつどちらに何があっても不思議じゃない。

この辺りで一度行っておかなければ後悔するかもしれない。

そう思って、やっと重い腰を上げて、行ってみることにした。

母の体力ではとても日帰りは無理だから、母は伯母の部屋で、夫と私は近くで一泊することにした。

宿泊すれば、夕食と朝食は必要だ。

施設に電話して訊いてみると、有料でも一切外来者の食事の面倒はみないという答えが帰ってきた。

最近は、入寮者の家族が宿泊する場合、有料で食事を出してくれるところは少なくない。

まして、その施設はっきり行ってかなりの僻地にあるのだ。

それに、子供が遠くの都会で働いていると言う人も多いはず。現に伯母もそうだ。

「それじゃ、家族の方たちはどうなさってるんですか?」

と重ねて訊くと、

「みなさん、コンビニなんかで買ってご自分で用意してらっしゃるようですよ」

とのことだった。なるほど。

でも、その界隈にはコンビニどころか、店の類さえ一切ないのだ。

食べに出る飲食店もない。

入寮者の食事は出しているわけだから、一人分増えたからといってどうということもないだろうに。

何日か前に予約するとか、一泊に限るとか、規則を設ければいいだけのことだと思うけれど、何とも融通のきかないことだ。

そういう施設が姥捨て山にならないように、少しでも家族が来易いよう便宜を図るべきなのではないかと、私は思うけれど。

と言っていても仕方がない。

途中でコンビニ弁当を二食分買っていった。

 

ついてみると、施設は驚くほど立派だった。

そこで、出迎えてくれた伯母は、相変わらず元気で一安心。

 

母をおいて、私達は更に一時間ほど走って朱鞠内湖へ向かった。

その界隈唯一の観光地だ。

 

翌日、お昼ごろ母を迎えに行った。

久しぶりに姉妹で一晩語り合った後で、別れが辛いのだろう、伯母が母にもう一晩泊まって行ってと盛んに言う。

とはいえ、私たちにも都合がある。 

「また、連れてくるから」

と約束して帰ってきたけれど、少し切なかった。

途中の峠は、10月に入ったらいつ雪が降ってもおかしくない。

「また」は、来年の夏になるだろう。

それまで、二人とも元気でいてほしいと思う。

 

写真は、道路沿い一面のそば畑。

収穫が近いのだろう、茎が変色している。

もう少し早い時期だったら、真っ白できれいだったのだけれど。

少し残念。

 

 

 


指輪のリフォーム

2011年08月23日 | 日々のこと

             

お友達から、指輪を2個リフォームしようかどうしようか迷っているんだけどと、相談された。

5~6年前に私が、自分の立て爪を娘のプチネックレスにリフォームしたことがあったからだ。

 

その指輪は、お盆に実家を訪ねたとき、お母さんからいただいたのだそうだ。

お母さんが指輪に限らずアクセサリーというものを身に着けているのを見たことがなかったから、

「これあげる」

と、二つの指輪を出してきたときは、ほんとうに驚いたそうだ。

彼女の実家は自営業で、かなり前に仕事がらみで買ったか、買わされたかしたのを、お母さんが大事にしまいこんだままにしていたらしい。

見せてもらうと、1個は総数0.5カラットの5個のダイヤが並ぶV字リングだ。

2個目は立て爪で、何と0.85カラットのダイヤがセットされている。

V字はやや流行おくれの感はあるけれど、石が輝きがあってきれいだし、そう邪魔になるほどの高さでもない。

同じタイプのものをしている人を、まだよく見かける。

何でもそうだろうけれど、リフォームは高くつく。

石が5個ということは、手間がかかる分工賃が加算されるということだ。

指輪の台の地金を使うから、費用は工賃のみだとしても、下手をすると買ったほうが安かったなんてこともありえる。

だから、しばらくそのまま使ってみて、いよいよになってから考えたら、と勧めた。

 

でも、立て爪リングは、指の上にそそり立つほどの高さとボリュームで、やはり、とてもそのままでは使えない。

石は、あまり上質ではないけれど、大きさがあるので、私は、ネックレスにすることを勧めた。

でも、彼女は指輪にしたいと言う。

私がリフォームしたお店に一緒に行って、デザインを選び見積もりをしてもらったら、5万だという。

うう~む、5万か・・・・。

0.85カラットの一粒ダイヤの指輪だ、そこそこのダイヤでも、買えば50~60万はするだろう。

でも、このダイヤの場合、大きさにはあるものの質に少し問題ありかなと思う。

5万の工賃をかける値打ちがあるかと考えると、少々悩まないでもない。

でも、リフォームしたいという気持ちには「、お母さんの指輪」という、数字では表せない部分がある。

私が自分の指輪をネックレスにして娘に贈った時は、「あなたと一緒にいて守ってあげる」という気持ちを込めた。

お母さんの指輪を身に着けているということで、彼女も、守られているように感じられるのではないかしら。

リフォームは、損得ではなくて、気持ちでするものだと思う。

だいたい、実際のところ、質なんて遠目ではわからないしね。

 あと一軒、心当たりのお店を訪ねて、見積もりをしてもらって決めることにしたけれど、さて彼女どうするか。

 

それにしても、宝石がらみとなると、自分のものでもないのに、どうしてこんなに力が入ってしまうのかしら?

我ながら可笑しい

 

 

 

 

 

 

 


イチジクは東京の味

2011年08月21日 | 日々のこと

             

今日、スーパーの果物コーナーに、私の大好きなイチジクが並んでいた

4個入り1パックが399円、例年に比べてかなり安いような気がする。

待ってましたとばかりに購入。

 

小学校に入る前、何年か東京に住んでいた、らしい。

その頃のことは殆ど憶えていなくて、写真や親の話から、ああそうだったんだと思うしかない。

でも、たった一つ、確かだと感じる記憶がある。

何かとてつもなく美味しいものを食べたという記憶だ。

ところが、そのとてつもなく美味しいものが果物のような気はするけれど、それが何かわからない。

だいたい自分でも説明できない。

味はおぼろげに蘇る気がするけれど、それを自分以外の人にわかってもらうのは到底無理だ。

中学生くらいの頃に、母に聞いてみた。

「東京に住んでいた頃、私が大好きだった果物って憶えてる?札幌にはないみたいなんだけど」

すると、母はしばらく考えて、

「東京で食べたけれど、札幌にはないものといったら・・・イチジクかな~」

と、あまりはっきりしなさそうに言った。

それが、ほんとうにイチジクだったとわかったのは、修学旅行で東京へ行ったとき。

自由時間に新橋の八百屋さんの店先で見つけて、買って食べたときだ。

ああ、そうそう、これこれ、美味しくて、懐かしくて、思い出の味だった

 

最近は、札幌でもイチジクはそう珍しいものではなくなった。

それでも、スーパーに並ぶのは年に何度かで、仕入れた分がなくなったらそれで終わりという感じだ。

だから、見たらほぼ必ず買うけれど、茨城出身の夫は味にうるさい。

どれを食べても、「こんなもんじゃない」そうだ。

木に生ったまま完熟した実を、おやつに食べていた人にとっては、そうだろう。

その味を知らない私にとっては、それでも十分美味しい。

二人で2個ずつ、あっという間に完食。

夫にとっては子供の頃を思い出す味。

私にとっては、「東京の味」とでもいうのかしらね

 

 

 

 

 

 


キンキ 70%オフ

2011年08月19日 | 日々のこと

18日、ヨーカドーが5%オフの日だった。

晩御飯を食べた後で、それを思い出した。

もうこんな時間だし、車をだすのも面倒くさかったけれど、買いたいものもいくつかある。

そこで、どっこいしょと、重い腰を上げて出かけて行った。

5%オフの日とあって、遅い時間にも関わらずけっこう賑わっている。

朝食用の食パンやら、50%オフになっている出来合いのおかずなど、カゴに入れながら売り場を回って、鮮魚売り場へ。

値下がり品をまとめて置いた陳列台に、カレイやイカに並んで、あら、高級魚キンキが2パック。

1パックに1匹で980円のところ、何と70%オフの値札が。

約300円だ

冷凍とはなっていたけれど、1匹300円は超安い。

といっても、すでに冷凍は解け、パックに汁が溜まっているし、見るからに活きが悪そうだ

そりゃそうよね、だから今まで残っていたのよね。

どうも美味しくなさそうで、やめておこうと思ったときに、お友達Kさんが話していた事を思い出した。

2ヶ月ほど前、Kさんが、ここヨーカドーで70%か80%か忘れたけれど、キンキを破格のお値引きで買ったと言っていたっけ。

Kさんは4人家族だから、4パックあったのを全部買って煮付けにしたら、とても美味しかったのだそうだ。

「そうか、キンキなんてこんなときしか手が出ないしね。300円ならいいか」

と、Kさんの話に背を押されて買うことにした。

母にも食べさせたいので、2パックとも買った。

さて、帰宅して、さっそく煮にかかる。

ラップをはがすと、やはり生臭い。

ただ、活きの良いキンキの臭みがどんなだか知らないので、これが異常なのかそうでないのかわからない。

とりあえず、熱湯で一茹でしてから煮る。

臭み消しの酒、しょうがをかなり多めに入れて、いつもの煮魚より時間をかけて煮た。

できあがりをタッパーに入れて冷蔵庫で保存。

昨夜の夕食で食べたら、味が沁みてとても美味しい

うむ、Kさんの言う通りだ。

 美味しいのを確認したので、今日、午後から母に持っていってあげようと思う。

 

それにしても、キンキって、いつからこんなに高くなったのだろう?

子供の頃煮魚が嫌いだったという人が多いようだけれど、私もそうだった

だから、母がお皿に取ってくれた分にいやいや箸をつける程度で、それが何の魚かなんて気にしてもいなかった。

それでも、キンキと言う名はよく聞いたような気がする。

 だから、私が子供の頃は、普通に食卓に並んでいた魚だと思うけれど。

それとも、

「キンキって高いよね~」とか「なかなか食べられないよね~」とか、

そういった会話を耳にしていたのだろうか。

あとで、母に会ったら聞いてみよう。

 

あ、雷

と思ったら、雨が降り出した。

あ、また、すごい雷

近づいてるみたい


百合を見て

2011年08月17日 | 日々のこと

                

お盆が過ぎた。

16日は一日雨で、送り盆のお墓参りには行かなかった。

9月3日が父の命日だから、そのときでよいと母が言うので、取りやめたのだ。

お盆が過ぎたら、すぐに秋の気配が近づいてくるだろう

 

一昨日、百合が原公園へ行ってみた。

駐車場について車のドアを開けた途端、百合の香が漂っている。

百合の群生を期待して中へ入ると、近くにいくつか咲いている箇所はあったけれど、殆どは花が終わって、摘み取られていた。

あんな少しの花であれだけの香りを放つとは、ほんとうに百合ってすごいな~と思う。

もう少し早く来るのだった。

摘み取られた花が咲いているときに来ていたら、きっと、素晴らしい香りに包まれただろう。

 

夫の実家を初めて訪ねたときのこと。

夫の両親や近くに住んでいる姉妹とその家族に会ったりして、すっかり疲れてしまい、夫が使っていたという部屋でうとうとと眠ってしまった。

目が覚めてみると夫がいない。

慣れない家に一人残されて心細い思いで泣きそうになっていた。

すると、廊下から甘い香りが漂ってきて、すぐに夫が現れた。

手には、見事な白い百合が一本。

たった一本で、部屋に満ち溢れるような芳香だった。

地元の山に自生している山百合だという。

私が眠っている間に採って来たのだ。

もう時期も終わりで、一本しか見つからなかったそうだ。

嬉しかったけれど、一人にされた腹立たしさで、素直にありがとうと言えなかった。

あの後、あの百合はどうしたろう・・・

きっと、花瓶を借りて飾ったのだろう。

あれから39年、波乱万丈とは程遠い、平穏無事な生活を送ってきた。

ひとえに寛大な夫のお陰だ。

これからも二人で、今まで通り生きて行きたいと、心から思う。

あらら、百合を見て、何だかじんとしてしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 


アガサ・クリスティーの食卓

2011年08月16日 | 読む

            

この連休に、北野佐久子さんというハーブ研究家が書かれた、「アガサ・クリスティーの食卓」という本を読んだ。

かなり前に、アマゾンの古本コーナーで買ってあったのだ。

題名の通り、アガサ・クリスティーの小説に出てくる食事や食材について書かれている。

ポアロやミス・マープル、クイン氏、トミーとタッペンスが活躍した事件の、ちょっとした場面に登場した、食事、お菓子やお茶、など、思い出すものもあり、思い出せないものもあり、本棚を探して、その場面をまた読んでみたくなった。

フィッシュアンドチップス、サンドイッチ、スコーン、クロテッドクリーム、など、私も旅先のロンドンで食べたことのあるものについても書かれていて、そのときのことを思い出してなかなか楽しかった。

題名から、どうしても、何かミステリーがらみを期待してしまうのだけれど、それはほとんどなくて、著者のイギリス滞在中の思い出を、アガサ・クリスティーの作品に絡めて書いているという印象だ。

各章が2~3ページしかなく、短いので気楽に読める。


犬の遠吠

2011年08月15日 | 日々のこと

           

 今日はお盆の中日だ。

きっと、たいがいのお宅は今日お墓参りに行くのだろう。

我が家では、母が迎え盆と送り盆だと言って13日と16日に行きたがるので、15日はお墓に行かない。

父の命日が9月3日なので、すぐにまた行かなければならないのだから、お盆は一回のお参りで済ませたいというのが私の本音だ。

でも、普段面倒なことを言う母ではないから、こればかりは仕方がない。

というわけで、今日はのんびり家で溜まったドラマの録画など観ている。

 

そうやってごろごろしていると、何かスピーカーで呼びかける声が遠くから聞こえてきた。

だんだん近づいてくるのだろう、やがて言葉もはっきりとわかるようになってきた。

それは、消防署の火災報知機を設置するようにという、落ち着いた男性の声での呼びかけだった。

それに合わせて、ご近所の犬達の遠吠えが始まる。

以前は、お向かいの家続けて2軒で犬を飼っていた。

当時ブームになっていたハスキーと、秋田犬か何かの雑種だ。

どちらかが遠吠えを始めると、片方も負けじと声を張り上げ、喉を競っていた。

うるさいな~と思っていたけれど、やがてどちらも天寿を全うした。

今は天国で張り合っていることだろう。

すぐそばの犬たちがいなくなって、遠吠えもうるさいというほど近くでは聞こえなくなった。

遠くから聞こえてくる遠吠えは、なかなか風情があって、悪くない。

特に、夜は、声音に悲哀が滲んでいるようで、何か目に涙すらためて暗い空に向かって吼えているような気がする。

それにしても、犬はなぜ遠吠えするのかしら?

仲間の呼び声と勘違いして答えるために遠吠えしているという説があるけれど、それは違う、と思う。

 消防車や救急車、パトカーのサイレンならともかく、消防署のスピーカーで遠吠えって、どういうことなの?

勘違いするような音じゃないでしょう、人間の声なんだから。

要するに、

「何でもいいのね、あなたたち」

と、言いたくなってしまう。

そうだ、きっと、何でもいいのだ。

 大きな音が聞こえたら、負けじと大声を出さずにいられないのだ。

そういえば、我が家の息子が幼い頃、お向かいの2頭の犬の遠吠えが始まると、わおーわおーと、一緒に吼えていたっけ

うむ、野生の衝動なのね、きっと


すずめのお宿

2011年08月13日 | 日々のこと

        

数日前のこと、朝、コーヒーを飲みながら、Oさんを待っていた。

Oさんとは、ガソリン代節約のため交代で車を出して一緒に通勤しているのだ。

インターホンが鳴ったので出て行くと、いつもは、鳴らすとすぐ車に戻っているOさんが、困ったような顔をして、玄関ドアの前に立っていた。

「あら、どうしたの?」

と聞くと、何かを包むようにふっくらと合わせた両手を差し出した。

「これ、見て」

そっとその手を開くと、中に小さなスズメが

まだ、子供のようだけれど、どうしてか、ぬいぐるみのように動かない

Oさんが我が家へ向かって車を走らせていたら、このスズメが道路の真ん中で蹲っていたのだそうだ。

逃げるだろうと思ってスピードを落として行ったけれど、すずめは一向に逃げない。

このままでは轢いてしまう。

いや、自分は轢かないけれど、他の車に轢かれてしまうかも知れない。

しかたなく、スズメの前で停車、近づいて行って手を伸ばしても逃げない。

 悪いものでも食べたのか、怖いことがあってショック状態なのか。

とにかく放っても置けない気がして、拾い上げて両手に包みこんだ。

でも、さて、どうしようか?

そこで、我が家に餌台があるのを思い出して、持ってきたのだという。

「どうやって運転してきたんだ?この人」

と、思ったら、運転中助手席に置いておいたけれど、やはりピクリとも動かなかったのだそうだ。

餌台にすずめをそっと置いてら、やはりそのままじっとしている。

心なしか、目が虚ろだ。

すずめの目が虚ろというのもおかしいけれど、ほんとうにそんな感じなのだ。

Oさんと私は出勤しなければならないので、お休みで家にいた夫に、餌をやってと頼んで出かけた。

「ほっとしたよー、すずめなんか拾っちゃってどうしようかと思ったー」

と、Oさん。

もし、あのすずめがこのまま居ついたら、きっと夫が溺愛するだろう。

そう思うと私も楽しくて、居ついてくれたらいいなと思う

これから、あの餌台を「すずめのお宿」と呼ぼう。

さて、帰りもOさんに送ってもらい、すずめはどうなったかしらと、少しワクワクしながら二人で餌台を見に行った。

すると、いない。

ああ、やっぱり。

Oさんも私も、何となく予期していたような気がする

何が原因かはわからないけれど、しばしのショック状態から回復して、飛んで行ったのだろう。

Oさんが帰って行って、家の中に入ると、夫が、私が聞くより先に

「あのすずめ、すぐに飛んでいったよ」

と、言う。

夫が餌をやろうと、手をのばした瞬間、ぱっと飛び立ったのだそうだ。

元気に、隣家の二階の屋根を越えて行ったという。

「あのすずめのどこが具合が悪いんだ」

とやや不満げな夫。

やはり、ちょっとすずめを飼ってみたかったに違いない。

しかたがない、すずめのお宿化計画は夢だったわね


トマトの冷たいスープ

2011年08月11日 | 日々のこと

               

今年は、トマトがなかなか赤くならなかった。

我が家の庭の日当たりが良くないせいかと思っていたら、他のお宅でもそうらしかった。

7月の気温が低かったからだろう。

それが、ここへ来て次々と赤くなり一挙に食べごろになってしまった。

トマトは、二人ではせいぜい一度に1個しか食べられない。

そこで、久しぶりに、トマトをたくさん使う冷たいスープを作ってみた。

どさんこワイドというローカルな番組で活躍なさっている、道産子料理家、星澤幸子先生のレシピだ。

道産食材を使った簡単で美味しいレシピが多いので、よく参考にさせていただいている。

 

 

材料 [2人分]
トマト 2個(300g) 

冷水 1/3~1/2カップ 
塩 小さじ1/4 
バルサミコ酢 大さじ2~3 
あらびきこしょう 少々
(あれば)バジルの葉 少々

1.トマトはヘタをとり、おろし金でゆっくり回しながらすりおろし、Aを加えてよく混ぜる。
2.器に注ぎ、こしょうをふり、あればバジルの葉を飾る。

食べる30分くらい前に作っておいて、冷蔵庫で冷やしておく。

 

私個人としては、量が足りるなら冷水はいらないと思う。

バルサミコ酢は、なければ酢を少なめにして使っても良いかも知れない。

バジルの葉は、パセリでも十分。

とっても美味しいので、トマトが余っているときにお勧めです


ミミズの悲劇

2011年08月10日 | 日々のこと

           

観光バスを利用した日帰りや短期のツアーの出発は、旅行会社は違っても、だいたいは札幌駅北口だ。

このたびもそうで、私達は駅から少し離れた場所に駐車しているバスへと向かった。

同じようにバスへと向かうお仲間が、何人も同じ方向へ歩いていた。

すると、前方にミミズが一匹、乾いたアスファルトの上でのたうっている。

10cm以上ある結構大きなミミズだ。

「あら、やだ」

と、避けようと思った途端、やや斜め前方を急ぎ足で歩いていた女性のカートが、あっという間にミミズを直撃。

ミミズは、見事真っ二つ。

え、と一瞬唖然としたら、隣を歩いていた女性からも、あっと小さな声が

ミミズの運命を一瞬にして断ち切ったカートは、何事もなかったようにからからと引かれていった。

残されたミミズは、二つになったというのに、体をくねくねとくねらせている。

命が奪われたことに気づいていないのかしら?

なんだか、とっても哀れ。気持ち悪いけど

まさか、2匹になってそれぞれ何事もなく生きていく、なんてことある?

ないよね。

 

無残やな、カートに轢かれ大ミミズ、

己が悲運を知らずのたうつ

 

うう、鳥肌

気持ち悪くて、ごめんなさい

 

 

 

 


ゆふすげびと

2011年08月09日 | 日々のこと

               

旅行中、このエゾキスゲの花をよく見ました。

北海道では、少し郊外に出ると、これに良く似た花で、カンゾウユリ(甘草百合)をよく見ます。

見た目はそっくりで、同じ花だと思っていたのですが、同じ種類ではあるけれど、違うようです。

エゾキスゲは蝦夷の地に咲くことからエゾキスゲなので、本州のキスゲとは同じなのでしょうね。

キスゲと言えば、中原中也に、この花に因んだロマンチックな詩があったような気がして、思い出そうとしてみましたが思い出せません。

思い出せないとなると、尚更気になって、検索してみました。

ところが、全然ヒットしません

おかしい、その詩の挿絵にあった、「爽やかな風が吹き渡る草原に佇む青年」の姿さえ、私の目の前に浮かんでいるのに。

諦めきれず、いろいろ言葉を変えて検索を続けたら、やっと見つけました。

何と、作者を間違えていました

中原中也ではなく、立原道造だったのです。

やっぱりドジな私です。

私は、詩が好きというわけでも立原道造のファンというわけでもないのですが、絵に惹かれて見ていたら、その説明のように詩が載っていた、という感じで記憶に残っていたのです。

その詩は、「ゆふすげびと」というのですが、ゆうすげ(夕菅)はキスゲ(黄菅)の別名だそうです。

 

ゆふすげびと          立原道造

かなしみではなかった日のながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた、
それはひとつの花の名であった
それは黄いろの淡いあはい花だった、

僕はなんにも知ってはゐなかつた
なにか知りたく うつとりしてゐた、
そしてときどき思ふのだが 一体なにを
だれを待つてゐるのだろうかと。

昨日の風は鳴つてゐた、林を透いた青空に
かうばしい 光のまんなかに
あの叢に咲いてゐた さうしてけふもその花は  

思ひなしだが 悔ゐのやうにー。
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔ゐなく去らせたほどに!

 

恋の詩だったんですね~。

立原道造という人は、詩人でもあり、建築家としても才能豊かな人だったようです。

でも、残念なことに、弱冠24歳で亡くなったとか。

結核でした。

そのことを知って、あらためて「ゆふすげびと」を読むと、「残り少ない日々を、瞳に醜いものを写さず、美しい物だけを写して過ごしたのかな」と、そんな気がします。

言葉が、きらきらと輝いているようですよね。

 

 


七夕

2011年08月08日 | 日々のこと

                   

昨日は、七夕でした。

北海道全域かどうかはわからないのですが、札幌は一ヶ月遅れの8月7日が七夕です。

夕方には小さな子供達が、公園で作った空き缶のランタンを持って

「ろうそく出せ、出せよ、出さなきゃかっちゃくぞ、おまけに引っ掻くぞ」

と家々を回ります

各家では、ろうそくならぬ、お菓子を用意して、小さなお客様を待つのですが、最近は我が家の子供達のころとは、随分様子が変わりました。

昔は、子供達が何人かでグループを作り、好きなように好きなところを回って、お菓子を袋一杯ゲットしていました。でも、今は、子供達が訪問する家が決められていて、同じ家に一つのグループしか行けないことになっています。

同じ家にいくつものグループが押し寄せて、あげるものに困ったというようなクレームがあって、そうなったそうです。

困ったお宅で、1000円札を「みんなで分けなさい」と、言ってくれたりもしたそうで、まあ、確かに子供は違っても、来られる方にとっては何度もということになって迷惑でしょうね

また、ドアのまん前まで来て大きな声を張り上げていたのが、今は道路から控えめに呼びかけていると言う感じです。

これも、うるさいというクレームがあったからだそうで、年に一度くらいいじゃないと思うのですが、我慢できない人もいるんですね~。

そこで、随分前から、前もって回覧板で、「我が家はお菓子を用意して待っていますから、寄ってください」、と申し込んでおいたお宅にだけ回るシステムになっています。

我が家の子供達の頃は、茹でトウキビ1本づつなんていう太っ腹なお宅もあったりして、貰いに回る楽しみ、その後で、広げてお互い見せっこする楽しみ、夜までお友達と外で遊ぶ楽しみと、一粒で何度も美味しいイベントでした

我が家では、子供達がそういう行事に参加しなくなってからも、楽しませていただいたお礼の気持ちで、毎年申し込んでいました。

でも、その日を忘れて出かけてしまい、せっかく訪ねてくれたのにガッカリさせたり、用意をするのを忘れていて、慌ててスーパーへ走ったり

また、呼ぶ声が聞こえなくてあげられなかったり、間違えて違うグループにあげてしまったりと、いろいろありまして、それなりにストレスだったんですね~。

やはり、わが子が直接関係しなくなると、その日を覚えているのも一苦労です

それで、下の子が30才になった3年前に、もうご恩返しも済んだだろうと、卒業させていただきました。

ちょっと寂しい気もしますが、いつ来るか、いつ来るか、と待っているストレスから開放されました

 

いっとき、この町内会でも子供の数が減って、姿を見ることもあまりありませんでしたが、最近、また増えているようで、小学生や、若いおかあさんに連れられた幼稚園児をよく見かけるようになりました。

世代交代がうまくいっているのかも知れません。 

 

 

 

 

 


ノロッコ号乗車

2011年08月07日 | 国内旅行

さて、三日目、今回の旅のクライマックス、ノロッコ号です

ノロッコ号は、釧路から塘路(とうろ)、塘路で釧路へ折り返します。

私達は塘路から乗りました。

テレビ番組でよく紹介されている、窓の大きな展望車は2号車で、1号車は普通の車両、3~5号車は指定席です。

指定席は、ほぼ完売で、私達は座席確保のために20分ほど並びました。

40分間立ちっぱなしは辛いですからね。

お陰で、席を確保できたのですが、普通車両の1号車です。

展望車は前に並んでいた人たちが殺到し、あっという間に満席に。

でも、展望車の座席は木製、普通車は柔らかい座席、坐骨神経痛の私は普通車でよかったと思いました

窓を開け放せば、写真を撮るにも特に問題はありません。

  

出発して間もなく釧路川が見えてきます。

ここで川がUターンするというガイドさんの説明でしたがU字型に蛇行するという意味でしょうか、多分。

よくわかりませんが

 

列車が川に一番接近している辺りです。

すぐ目の下に釧路川が流れています。

色々な野の花が咲いているのですが、どれもこれも名前がわかりません。

雄大な湿原をお見せしたいのですが、私の年代もののデジカメでは、狭い範囲しか写せなくて残念です。

この釧路湿原、一言で言えば、目の保養。

リラックスさせてくれる自然の姿はとても感動的で、ほっとさせてくれます。

人気なのもわかります。

 

釧路へ着いたら、後は一路札幌へ。

札幌着は、予定では夜の8時半、実際は8時少し過ぎに到着しました。

9時にはもう我が家に帰っていました。

ああ、いい旅だった

このツアーはトラピクスで、二泊三日2万5千円です。

もし4人一室なら2万2千円なんですよ。

格安ですよね~。

 

 


知床へ

2011年08月06日 | 国内旅行

二日目は知床へ。

遊歩道は、最近できたらしいのですが、こんな風に地面から2~3m高くつくってあります。

両側には電気を流した熊よけのワイヤーが張り巡らしてあるので、安心です。

また、高い分見晴らしも良いです。

知床五湖の「一湖」。

今回私達が行ったのは一湖だけ。

二湖から五胡までは、まだ、このような熊よけがついた遊歩道はないようでした。

20年前は、熊に怯えながら、獣道のような道を歩いて、急いで五胡を巡りました。

命がけです

まだ、子供のようです。

鹿はあちことにたくさんいます。

実際増えすぎて困っているようで、食用にするなど、利用法が考えられているようです。

 

さて、いよいよ船に乗ります

船からの景色は、こんな感じ。

20年前は、4人分と言うことで、お財布と相談の結果、乗るのを諦めました。

今回は、ツアーの料金に入っているので嬉しい。

3枚目はカムイワッカの滝が見えています。

この上のほうは割と緩やかな流れになっていて、20年前は、その流れに逆らって上りました。

流れているのは温泉で、裸足でも冷たくありません。

登りきったところに秘湯があるとか。

私達は、足の裏が痛くなって途中で戻りましたが。

登れると知っていたらビーチサンダルかなんか持っていったんですけどね

あの頃は、滝のすぐそばまで車で行けたのですが、今は行けません。

シャトルバスか何かが出ているようですが、今回は海から眺めただけでした。

なかなかの絶景が続きますが、運がよければ、あざらしが見られるそうです。

この後は、摩周湖を経て、阿寒湖へ。

摩周湖は、霧に隠れてわずかに水面の一部が見えるだけ

私達は、摩周湖は何度も見ているので、「それもまたよし」ですが、道外からのお客様にはお気の毒でした。

 

宿泊は阿寒湖のシャングリラ新館です。

ラッキー!と、喜びましたが、格安ツアーでシャングリラ新館に泊めてもらえるということは、観光客が少ないということ。

道民としては、喜んでばかりもいられません。

でも、きれいで、見るからに高そうなお部屋、やっぱり嬉しい

夕食も朝食も品数豊富で、大満足でした。