珊瑚の時々お絵かき日記

夫と二人暮らし、コロナ自粛するうちに気がついたら中国ドラマのファンになっていました。

ホームズによると

2010年12月20日 | 日々のこと

30年も前に読んだものだから、記憶は定かではないけれど、シャーロック・ホームズシリーズの中のどこかで、ドクター・ワトソンがホームズについて、こう語っている。

ホームズの知識は驚くほど多岐にわたり、その博学にはいつも驚かせれるけれど、その反面、世間一般の常識的な知識にかけていたりする。

あるとき、ホームズが地球が太陽の周りを回っていること、所謂地動説を知らなかったことを知って、さすがに唖然としてしまった。

”それはほんとうか?”と真顔で尋ねる彼に、”君はそんなことも知らないのか!”と呆れて言ったら、ホームズはなんら恥じることも無く、”僕は無駄なことは憶えないことにしているのだよ”と答えてすましている。

ホームズによると、人間の記憶能力には限りがあり、一つ憶えたら一つ忘れるという。

だから、無駄なことを憶えておくことは、それこそ無駄ということだ。

そんな感じの内容だったと思う。

 

ホームズといえども、限界まで記憶能力をフル活動させているとは思えないから、天才である彼の脳には地動説を憶える余裕はまだ十分あると思う。

そんなことも知らないのか!と言われてむっとしたホームズがワトソンを煙にまいたのだろう

 

最近 テレビの番組で、学者の方が”物忘れ”について話しているのを観た。

その方によると、記憶というのは脳という大きな箪笥の、脳細胞という引き出しに、情報が一つずつ無造作に放り込んである状態らしい。

お目当ての情報が開けやすい場所の引き出しのほうにあればすぐに見つけられるけれど、上のほうや下のほうの引き出しに入っていたらなかなか見つけられない。

これが一般に言う”物忘れ”だそうだ。

人は生きている間、情報を蓄え続ける。

年をとると物忘れが増えるのは、脳が衰えるからばかりではなく、膨大な情報のなかから捜し出さなければならなくて、なかなか見つけられないからだそうだ。

そうか、確かに10個の引き出しの中から1個を探し出すのは容易だけれど、100個、1000個10000個の中からとなれば、だんだん難しくなるよね。

人間60年やってれば、それなりにいろいろな情報を吸収しているものね、

確かな情報と言うのはほんの少しで、うろ覚えが殆どと言うのは悲しいけれど。

さて、脳には無限の可能性が潜んでいるとはいえ、実際のところ、凡人のその引き出しの数には限りがあるのだそうな。

そこで、いっぱいになっているところへ新しい情報を一つ押し込もうとすると、一つ捨てなければならないわけで、その場合はほんとうに忘れてしまうらしい。

なるほど、そうなるとやはり、ホームズは正しい。

無駄な知識は蓄えておかないほうが良いと言うことになる。

 

ホームズに比べて、私の脳の箪笥はあまりに小さい。

尚更余計なこと憶えておくことないな。

なーんて、言い訳。

その小さな箪笥の数少ない引き出しさえいっぱいになっていないのに

 

 


娘が就職浪人だった頃 4

2010年12月15日 | 日々のこと

被った猫が剥がれ切った後も、娘は先輩達に可愛がっていただいて、人間関係にはほんとうに恵まれた。

就職浪人の1年は、この職場に巡り合うための準備期間だったのかとさえ思われた。

その10年後、一向に結婚の話もなく仕事が好きな娘、東京本社へ転勤の機会が巡ってきたとき、”一生キャリアウーマンで過ごすなら、東京の空気を吸っておいで”、と私は言った。

一度出してしまったら、もう帰ってこないかもしれないと思ったけれど、娘には大きな世界で自分を試してみて欲しかった。

良い人に出会えるかも知れないとも期待した

そちらの期待には一向に沿ってくれないけれど、生き生きと働いている姿を見ると、送り出してやってほんとうに良かったと思う。

今、あの頃のことを思い返してみると、オーバーな表現だけれど、まるで奇跡のように就職へと導かれたような気がする。

 こういうことを”縁があった”と言うのだろうか。

 

縁は人それぞれだから、一年卒業を待ったからといって、皆が就職できるわけではないだろう。

娘はラッキーだったのだと、正直なところ思う。

だから他人に勧める気はない。

でも、卒業してしまったら大学経由の情報は得られない。

難しいな~。

社会人として自立するはずの若者達が職がなくて自立できない現状、本人はもちろん、家族の心労、金銭的苦労、将来への不安、言葉に尽くせないものがある。

こんなこと、絶対おかしい、間違っている

ほんとうに早く景気を回復させて、若者が皆職につけるようにして欲しい。

でないと、日本の未来が怖過ぎる


娘が就職浪人だった頃 3

2010年12月14日 | 日々のこと

食と住の面倒はみてあげるということで、あとは卒業を待つだけとなった2月、殆ど大学へ行っていなかった娘が、事務に用があって、久しぶりに顔を出した。

すると、事務の方が、”良い募集がきてたよ、見に行ってごらん”と教えてくださったという。

すっかり就職活動に嫌気が差していた娘だけれど、たまたま登校してみたらそういう話、何となく縁があるような気もして、ダメもとで応募してみる気になった。

企業名は娘も私も知らなかったけれど、夫は知っていた。

あまり一般に知名度はないけれど、知る人ぞ知る企業だったのだ。

 

採用はたったの一人。

2月とはいえ、最後の望みで応募者はかなりいるはず、。

書類選考と筆記試験は通ったけれど、今までも一時面接までは殆ど通っていたから、それは予想のうちだった。

問題はこれからだ。

二次面接で三人に絞られ、最後の支店長面接 まで来た。

その三人は、娘と、同じ大学の違う学部の子が二人だった。

三人まで絞られたところで落ちたら、ここまで来れたと考えるべきかも知れないけれど、なまじ期待を持たされた分落胆も大きいだろうなと、先の心配をせずにいられなかった。

その面接を受けて3日後くらいか、その社の部長さんとおっしゃる方からお電話をいただいた。

娘に取り次ぎ、耳をダンボ並みに広げて、私もドキドキしながら会話を聞いていた。

その電話が終わった途端、”採用だって”と娘が弾んだ声で言った

当時現役だった夫にさっそく電話で報告、夫の、”そうか、良かったね”という声に喜びが滲んでいる。

筆記試験の結果では2番だった娘が採用された理由が、入社して少し経つとわかってきた。

会社側が採用決定にあたって最重要視したのは協調性だったそうだ。

何匹も猫を被るのが得意の娘、そのあたりは上手くやっていけるだろう。

その猫がはがれるごとに、”癒し系だと思ったのに・・・”と、支店長が嘆いたとか嘆かなかったとか

あ、大変!出かけなければ


娘が就職浪人だった頃 2

2010年12月06日 | 日々のこと

年が明けても、一向に就職は決まらない

能天気だった私達親子も、ことの深刻さに気づかないわけには行かなかった。

選ばなければあると世間は言う、私もひと様のことならそう言う。

でも、我が子のこととなるとそうはいかない。

大学受験での苦労を思い出し、就職先が人生をある程度決めてしまう日本の現実を考えると、やはりどこでも良いというわけにはいかない。

娘と何度も話し合い、1年卒業を延ばすことを、私から勧めた。

卒業してしまえば大学に来る募集情報を得ることができない。

それに、社会的身分を失った状態で居ることは、本人にとって精神衛生上良くないような気がした。

いわゆる就職浪人を決断したわけだけれど、それでも就職できなかったら、アルバイトをしながら大学院に行くということに決めた。

娘は文系だったから、大学院に進めば就職は尚更困難ということはわかっていた。

けれど、とりあえず何か進む方向が必要だった。

 

さて、就職浪人となった娘だけれど、その後就職状況はますます悪化、それは男子学生にまで及んでいった。

娘はやはり採用されることはなく、秋ごろには就職活動を諦めてしまった。

それまで挫折を経験せずに来た娘 、肝心なときに社会から拒絶されたショックは想像以上に大きかったことと思う。

東京勤務を受け入れたお友達は就職できたのだから、地元にこだわった私も少なからず責任を感じないではいられなかった。

何となく暗い日々が続き、嫌な夢もたびたび見た

結局娘は大学院の申し込みもしなかった。

「目的がないのに大学院へ行っても、意味がない」という娘の言葉は、私にも理解できた。

”留学という道もあるし、とにかくアルバイトでお金を貯めるわ”という娘の言葉に、”それも良いかも知れないね”と答えるしかなかった。

そう決めたらお互い気持ちも落ち着き、どの道を行っても、それなりに何かが開けるかもしれないという気になっていた。

 

 

 

 

 

 


娘が就職浪人だった頃 1

2010年12月01日 | 日々のこと

ガイヤの夜明けという番組をよく観ている。

先週は就職活動に苦戦する若者達がテーマだった。

就職氷河期と言われて久しいけれど、今年は史上最悪で、50%もの若者がまだ内定をもらえないでいるそうだ。

その中の一人、早稲田の学生さんが紹介されていた。

彼は、来年3月の卒業を9月に延ばして、新たに就職活動をしようと考えているのだが、母親に言い出せないでいた。

いよいよ彼がそれを切り出したその時を、カメラは追っていく。

夕食の団欒が緊張の場に変わる。

母は当然ながらショックだったに違いない。

感情を抑えながら息子に言う。

問題を先延ばしにしたいだけなんじゃない?卒業を遅らせたら解決することなの?もっと大変になるんじゃない?

いちいちもっともで、息子は返す言葉が無い。

とはいえ、息子の気持ちは決まっていた。

翌日、学校へ向かう息子に、「やはり卒業を延ばしますか?」と記者が問いかけると、彼は「はい、そうします」ときっぱり答えて去った。

それを観ながら、この長く続く就職難はほんとうに罪だと思う。

お母さんの声と表情に表れている、努力が足りないんじゃないか、逃げてどうする、ふがいない、などという怒りが、とてもよく理解できる。

でも、ないものはしかたがないじゃないかという息子さんのやりきれない気持ちもよくわかる。

 

15年ほど前、我が家も大学4年の娘を抱えて同じような状況にいた

就職氷河期と言われ始めて2年目くらいだったと思うけれど、そのころは男子はまだましで、被害は女子学生に集中していた。

女子の就職は大変だと、巷では言われていたのに、親も本人もどこかには決まるだろうと安易に考えていた。

ところが、実際のところは、まさにその通り、そもそも求人がないのだ。

そのうえ、 男女雇用均等法のせいかどうかは知らないけれど、企業が”男子のみ募集”ということを明記しないものだから、面接にいってみたら、実は女子の採用予定はありませんと、その場で返されることも相次いだ。

でも、その場で返した企業はまだ正直で良いほうかもしれない。

中には採用する気もないのに面接まで引っ張り、ふざけた質問で時間を埋めてお茶を濁した企業もあったという。

道外の就職を希望していればまだ良かったのかもしれないけれど、娘を手放したくなかった私は地元を希望し、お友達と離れたくない娘も同意していた。

 

おっと、大変、でかけなければ!