珊瑚の時々お絵かき日記

夫と二人暮らし、コロナ自粛するうちに気がついたら中国ドラマのファンになっていました。

タラバガニ

2009年12月30日 | 日々のこと

お取り寄せしていたタラバガニが、今朝届いた。
今年は足だけ、しかも訳ありで、我が家と母に一つずつ。

母は大のカニ好きで、私たち夫婦二人で余すほどの分量を一人で平らげる。
カニさえ与えておけばご機嫌という面倒無しの人なのだ。

でも、あの硬い殻を剥くことができない。
手先に力が入らないのだ。
2.3年前ははさみで切って身を取りやすくしてあげるだけでよかったが、今は完全に身だけにして届けている。
母のために身を取り出す作業をしながら、母に大好物があってよかったと心から思う。
こんなちょっとしたことで、母が喜ぶのだから

旅行にも何度か一緒に行った。
いつかいつかと言わないで、行ける時に行って良かったと、思う。
母の足腰が弱って長時間の移動ができなくなるまで、あっという間だった。
あんなにお出かけ好きな人だったのに

親が年をとっていくのを見るのは悲しい。
でもそれは仕方がない。
みんな年をとるのだから

あと、母が喜ぶことは何だろう?
情けないが思いつかない
きっと日常的なささやかな思いやりなのだろう。
それをついつい疎かにしてしまう。

来年の抱負の一つは、母への思いやりにしよう














おせち

2009年12月29日 | 日々のこと
年をとると月日のたつのが早く感じるというけれど、ほんとうにそうだ
3日後にはもう来年なのだから、驚いてしまう。

スーパーのあちこちに貼ってあったクリスマスケーキ予約のポスターがはずされ、おせち一筋になっているし、かかっているBGMも聞きなれたお正月ソングの繰り返しだ。

毎年、デパートかホテル、スーパーのでもよいから、あの段重ねのおせちを買ってみたいと思う。
そして毎年、家族の反対にあって断念している。
見た目はいいけれど、食べて美味しいものってないじゃない、というのが反対の理由だが、実は私もそう思う

おせちはもともと保存食だ。
お正月の間、主婦が台所仕事を手抜きしてゆっくり休めるようにとできあがった料理だ。
だから本来美味しさを追求したものではないのだ。
もちろん今は冷蔵庫というものがあるから、保存食の意味合いはなくなって、お正月のご馳走というポジションを獲得している。
だからこそ、買って見たいのだが、きんとんや蒲鉾、伊達巻、うま煮、昆布巻き、思い浮かべてみると、何も一まとめに買うこともないかと思ってしまう。
それより、家族それぞれ好きなものを食卓に並べるほうが喜ばれる。

今年のお正月は娘が帰ってくるけれど、彼女は家族一のおせち嫌いだ。
だから、おせちは話題にもならない。

それでも、デパートのおせちの見本を横目で見てしまう。
やっぱり、一度買ってみたいなぁ

子ども手当てって?

2009年12月22日 | 日々のこと
子ども手当てに所得制限を設けるかどうかと議論されていたけれど、設けない方針ということで決着したらしい。

しかし、子ども手当てって何なんだろう?
子どもを社会全体で育てていくための予算というのは良い。
でも、なぜ現金でばら撒かなければならないんだろう??
子どものいる各家庭に支給されたお金は、ほんとうにすべて子どものために使われるのだろうか?
親の都合でほかのことに使われることはないのだろうか?

私なら、学校にかかるすべての費用を高校まで無料にする。
もちろん高校は義務教育だ。

給食は無料、制服も無料貸与、修学旅行も無料で参加できる。
今までどおりでは無理だろうから、一泊旅行で我慢してもらう。
それならば、少なくとも貧しくて学校に行かれないという子どもはいなくなる。
一日一度、昼食だけは栄養のある食事ができる。
一番公平だ。

事務処理にかかる費用だって、シンプルでかなり削減できるんじゃないだろうか。

更に、保育所を増やして、お母さんが収入を得られるようにする。
お金の問題だけでなく、社会参加することは母親の精神衛生上重要なことだと思うから。
子ども手当てより、生活保護より、親が安心して働ける環境が一番大事なのではないかしら?

なぜ政府は、こういう根本の政策に力を尽くさないのだろう。
現金ばら撒きが、直で票に繋がると思っているからだろうな。

選挙より国民のことを真剣に考えてほしい。



雪かき開始

2009年12月21日 | 日々のこと
眠っている間に、大雪が降った。

朝、窓から外を見たらかなりの積雪だ。
出かけるときは雪かきをしなければならない

この間の雪は、ちょっと寄せるだけでよかったのだけれど、今日は融雪機を使わなければならないだろうな。

融雪機とうのは、地中に埋めた大きな箱に雪を押し入れて溶かして流す装置で、取り付けている家は多い。

この冬初めて使うことになるけれど、ちゃんと機能するかちょっと心配。

やれやれ、イヤだけど頑張るか

声から

2009年12月19日 | 日々のこと
昨日仕事で電話をかけていたら、一オクターブも高くなった自分の声を不快に感じて、相手の方の耳が痛くならなかったかしら?と心配になってしまった
なぜ電話になるとこうも声が高くなってしまうのかしら?
いやだと思うけれど、ほかの人たちも多かれ少なかれそうだから、仕方がないんだろうな・・・

そんなことをつらつら考えていると、ずっと前に読んだミステリーを思い出した。
パトリシア・コーンウェルの女性検屍官シリーズの一つだ。

このシリーズは何冊か読んだから、その中のどれかははっきりしなくて、amazonに行ってコーンウェル作品の説明をいくつか読んでみた。
それで、多分、きっと、一作目じゃないかと思う。
連続女性レイプ殺人事件を担当する女性検屍官 スカーペッターが犯人に迫っていく話だ。
時代背景は多分1980年代だろう。
正直なところ、ストーリーは殆ど忘れている。
だから、ほんとうにこの小説の中のことなのか、実は30%ほどは自信がない
もしかしたら、このシリーズでもなかったりして…
まあいいわ。

スカーペッタが検屍官を務めるバージニアの州都リッチモンドで、女性が次々と襲われ殺害されていくという事件が起こる。

警察は一つの手がかりも掴めず、被害者はさまざま、お互いに何の共通点もない。
捜査は難航、犯人を逮捕どころか目星もつかない。

そんな時、女性検屍官 スカーペッターが一本の電話をかける。
相手は、捜査関係の一人だったか、たまたま未遂で助かった被害者だったか、記憶にないのだけれど、とにかく一人の女性に電話をかける。
そして、その後で彼女を訪ねて行くことになる。

会ってみるとその相手は黒人の女性だった。
そのことでスカーペッターは内心大いに驚く。
彼女は、電話での相手の落ち着いた声と教養ある話し方から、その女性が白人だとばかり思い込んでいたからだ。
現在、教養ある黒人女性はたくさんいるが、30年前のその頃だって少なからずいたに違いない。
それでも、当時はスカーペッターの感覚が一般的なものだったのだろう。
けれど、さすがに彼女は自身の迂闊さを恥じていたように思う。

それはともかく、このことから、彼女は、犯人は被害者を声で選んでいるのではないかと、考え始める。
そうならば、犯人は被害者たちの声を聞く機会があった人物ということになる。
結果を言えば、これが大当たりで、思いがけない犯人が逮捕されるのだ。

だからどうだと言うわけではないけれど、このスカーペッターの勘違いが何故かとても強く記憶に残っている。


アホになる・・・

2009年12月16日 | 日々のこと
先日友人の家にお茶をしに行った。

お互い最近の旅行のことなど話して楽しく過ごし、お茶でおなかもがぶがぶになった頃、おトイレを借りた。

彼女はインテリアのセンスがある人で、トイレの中にも写真や花、可愛いな置物などで飾って、気を配っている。
最近家を一部改築したところで、トイレはピカピカの最新型だ。

さて気持ちよく用を済ませて立ち上がり、どこで流すのかしら?と押すところを探していると、ジャーっと水が流れた。

おやおや自動ですか、高級ホテルみたいだ

「トイレ替えたのね、便利でいいね」と言うと、彼女が「困ることもあるのよ~」と言う。
どうしてかというと、職場や外出先でトイレを使った後、うっかり流すのを忘れて冷や汗を流すことがしばしばあるのだそうだ。
なるほど、人は楽することにはすぐに慣れるものね。

そういえば、電灯や換気扇など、点けて一定時間がたつと自動的に消えるのが、もう一般的になっている。
つけるだけで消すことは忘れていいのだ

外国でタクシーに乗るとき降りるとき、ついドアが開くのをじーっと待っていて、運転手さんに、不審な顔をされることがよくある。
タクシーのドアが自動的に開くのは、私の知っている限り日本だけだ。

日本人は平和ボケと言われているけれど、そのうち自動ボケにもなるかも知れない

「私たちだんだんアホになるわね~」と、二人でため息をついたが、いやいや、ぼけてはいられない。
自動にも手動にもを対応できるよう、しっかり気を配らねば。

さあ、出かけよう

宝くじが当たる確立

2009年12月07日 | 日々のこと
「たかじんのそこまで言って委員会」でたかじんさんが言っていたのだけれど、宝くじの最高金額が当たる確立は、アメリカ人が雷に打たれて死ぬ確立よりも低いのだそうだ。
なぜアメリカ人なのか?は知らないけれど、多分単純に確立の数字を比べただけだろう。
それにしても、いかに難しいかがわかる。
たかじんさんは一度に100万円くらい買うそうだが、10000円以上当たったことはないとか。
それを聞くと、せいぜい3000円か6000円分しか買わない私が当たることはほとんど有り得ないと改めて思う。
ああーあ、やっぱり駄目か・・・

それでも買ったけどね

パーティーに・・・?

2009年12月06日 | 日々のこと
この間お正月だと思ったら、もう12月。
ほんとうに月日のたつのは早い。

巷では相変わらず景気の悪い話しか聞かないが、それでもボーナスへの期待は多少膨らんでいるのではないかしら。
ボーナスと縁が切れて久しい我が家では、宝くじ意外何も期待するものはないけれど。
それでも、なんとなくデパートをふらふらしてみたくなる

そこで、ふらふらしながらちょっとお洒落なアイテムなど眺めていると、必ずと言ってよいほど店員さんがかけてくる言葉がある。

「パーティーにいいですよ~」「パーティーにいかがですか~」「パーティーにぴったりですよ~」などなど。

そう言うのが若い店員さんなら許せる。
若い人にはいろいろ楽しいことがあるんだろうな~と思って、「おばさんはパーティーなんか縁がないのよ~」などと言って軽く受け流す。
しかーし、そういうのが同年代のおばさん店員さんだと、ちょっと違う。
「何がパーティーよ、普通のおばさんがどこのパーティーに行くのよ」とむっとしてしまう。
もちろん、それは売り文句に過ぎなくて、意味なんかない、と言うことは承知しているから、「ああ、そうね~」とさりげなくその場を離れるのだけれど、行く先々で、その売り文句を聞かされると、いささか虫の居所が悪くなってくる。

先日、少しばかり意地悪な気分になって、相手の店員さんに言って見た。
もちろん、にっこり微笑みながら。
「パーティーって、そんなにみなさん行く機会があるものなの?私は全然ないんだけど。あなたはよく行くの?」
うう~む、意地悪だ

するとその店員さん「え、いえ、私は・・・ないんですけど・・・」と少しうろたえてから、さすが年の功か、すばやく私の言いたいことを悟ったらしい。
「そうですよね、普通の人はないですよね。すみません、決まり文句なのでつい言っちゃいました」とペコリ。
うむ、その変わり身の早さ、アッパレだ。
「ああ、やっぱりそうなの」と私も笑って、しばし世間話をしてその場を離れた。

それにしても、なぜこうもパーティーパーティーと口にするのか。
そう言われた客は、華やかなパーティー会場にいる自分を夢想して思わず買ってしまう、なんてこともないだろう。

まあ、こう言っておけばいいのよ、というなあなあの決まり文句なんだろうな。
でも、私に言うのはやめて欲しい
逆襲したくなっちゃう!