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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

芭蕉の野ざらし紀行

2022-12-26 20:52:13 | 丹田禅(冥想法8)neo
◎捨て子

悟りすました後でも、現実の貧しい生活は変わらないし、思いのままにならない、どうしようもないことばかり多い。「俺は神・仏に出会った。でも、なぜまたその後も毎日しようもない労働をして金を稼いで生き続けなければいけないのだろうか」とは、覚醒した方たちが、等しく思うところの感慨に違いない。

そこで芭蕉の野ざらし紀行

野ざらしを心に風のしむ身かな。
野に捨てられたされこうべである「のざらし」になると決意して旅に出たものの、やはり秋風は身にしみるわい。

猿をきく人すて子にあきのかぜいかに
芭蕉が富士川のあたりを通っていると三歳くらいの捨て子を見かけた。その鳴き声を聞けば誰しも何とかしてやりたいとは思うものだ。このままほっておけば、飢えて死を迎えるのは必定。

ところが芭蕉は、「父がお前を憎んでそうしたわけでもなく、母がお前をうとんでそうしたわけでもなく、ただ天命がそうするのであって、自分の運命(性)のつたないことを泣きなさい。」と、この世に生まれ落ちる以前から、自分でそういう環境を選びとってきたことを思い出せ、と言わんばかりの、まるで一人前の大人に対するような言葉を残してその場を逃げ去ってしまう。

和歌や漢詩で猿の声を風流と聞くような、鋭敏な感性を持つ人は、この捨て子の泣く声を何ときくのだろうか。現代も「虐待」という名の捨て子が増える時代となった。

現実の無慈悲さは変わらないが、本当は無慈悲ではないことを知っている自分があることを見極められるか。
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宗峰妙超の大悟

2022-12-26 04:13:10 | 丹田禅(冥想法8)neo
◎他時異日、別生涯

宗峰妙超(大燈国師)は、鎌倉の高峰顕日から京都の韜光庵の大応国師の門に行くことをアドバイスされ、京都に向かった。

大応国師は、既に病に伏しており、門人に対してすら参禅を許していなかったが、妙超に対してだけは、参禅を認め、膝下に入ってから妙超の透過した公案はおよそ200則に達した。

大応国師が、1305年勅により万寿寺に移動するにあたり、妙超は、「雲門関」の公案を授かって、これを透過すれば、他時異日、別生涯があるだろうと、サジェストを受けた。別天地、別世界。

1307年、26歳の妙超は、執権北条貞時の要請で大応国師が鎌倉の建長寺に向かうのに随行し、途中一時正観寺に逗留した。

そんなある夕方、机の上になにげなく重い鍵がガチャと置かれた途端に、遂に「関」字の公案を透過、満身の汗をかいて、大応国師の方丈に走って、「幾乎(ほとんど)路(みち)を同じうす」と見解を呈示した。
(関を入ってみたら、ほとんど同じ路だったぁ???)

すると大応国師は、「実は昨夜、雲門大師が夢に現れて、わたしの部屋に入ってきたのを見た。お前は実に雲門の再来である。」とその大悟を認めた。

妙超は、これを聞いて耳をおおって退出し、翌日二偈を提出して、「近々故郷に帰ろうと思いますが、お別れにあたって一言頂けないでしょうか。」とお願いすると、大応国師は、偈の余白に「あまえはもうわかっている。私よりお前の境地の方が上である。だから、お前の代で禅は大いに興隆するだろう。ただし、もう20年長養し、人々にその悟りを知らせなさい。」と書きつけた。
その後、同年12月大応国師は示寂。

妙超は、さっそく京都に戻り、20年間の聖胎長養(悟後の修行)に入った。昼は五条の橋の下で乞食と共に過ごし、夜は6、7人の同輩とともに雲居庵で坐禅三昧という生活を続けたが、これを7年で打ち切り、紫野に引っ越した。

悟ってなくてもカルト教団の教祖は務まるが、大悟しただけでは、徹底しないことを禅のお歴々は知っている。十牛図第三図でも世間的には充分「悟り」である。それをどこまで深められたかは、大燈国師遺戒を見るくらいしかない。

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雲門の関の公案

2022-12-26 03:58:46 | 覚醒のアーキテクチャー
◎碧巌録第八則 翠巌夏末示衆

【大意】
翠巌は、夏の冥想集中期間の最終日に衆僧に説法した。
「この夏は諸君のために説法してきた。
私の眉毛は残っているか?」
保福「泥棒野郎は心がやましい。」
長慶「(眉毛が)生えたぞ。」
雲門「関だ。」

※誤った法を説いた者は、罰が当たって、眉が抜け落ちるという。(臨済録示衆にもある)

保福は、そもそも言葉で語れないものを語るから翠巌はびくびくしている、とみる。
長慶は、真理を語ろうが語るまいが、眉毛は生えると見る。
雲門は、関は最後に残る人間臭さと見る。脳という人生ドラマのスクリーンが破壊されても、カルマが残っていれば人生ドラマは、その後も展開する。悟れば自分が死んで却って自分も含む宇宙全体となるが、生還シーンでは誰か知らない他人として生還するわけでなく、もとの自分として生還する不思議。その全体と個のつながりから「関」と名付けるべきか。

眉と眉の間の印堂の上方にアジナー・チャクラがある。本山博は、アジナー・チャクラは、カルマを越えた世界へと上に上がって行く門である(チャクラの覚醒と解脱/本山博P211)というが、これぞ「」である。

【訓読】
翠巌、夏末に衆に示して云く、
「一夏以来、兄弟のために説話す。
看よ、翠巌が眉毛ありや?」。
保福云く、「賊となる人、心虚す」。
長慶云く、「生ぜり」。
雲門云く、「関」。」

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