アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

私はソーマを飲んだのか?

2022-12-30 21:19:08 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo
◎天上の神々なぞ私の爪の垢にも匹敵せぬ

ソーマ賛歌は、古代インドのヴェーダの中にも類似したものがあり、向精神性薬物であるソーマにより大悟徹底、神人合一、宇宙意識への突入を目指すものであるという立場が明らかにされているが、散佚したのか、最初からバラバラに採録されたのかは解らないが、通して読んでも盛り上がりを欠く。

そこで、ダンテス・ダイジが、それを翻案し、『ソーマ賛歌』を歌い上げた。

『ソーマ賛歌
果てしなく吹きあれる嵐のごとく
それが私の眼を目覚ましめた
私はソーマを飲んだのか?

たくましき軍馬が戦車を引いて天翔るように
それが私を限りなく成長させた
私はソーマを飲んだのか?

母なる牛が子牛を抱くように
激しい歓喜が私を包んだ
私はソーマを飲んだのか?

戦士が戦車のうちに魂をこめるように
私はこの歓喜にすべてを委ねた
私はソーマを飲んだのか?

世界のあらゆる国々なぞ
私の眼のちりほどにも価値はない
私はソーマを飲んだのか?

天上の神々なぞ私の爪の垢にも匹敵せぬ
私はソーマを飲んだのか?

輝かしい光明のうちに
私は天空と大地のかなたを越えた
私はソーマを飲んだのか?

私は地球やあらゆる星星をつまみあげ
ここに あるいはあそこに置いてみては戯れる
私はソーマを飲んだのか?
それともソーマが私を飲んだのだろうか?

ハリ・オーム・ソーマ
ソーマ・アムリタ・ソーマ』
(ダンテス・ダイジ/メディテーション・トラベルガイドから引用)

不思議なことに似たような気宇壮大な情景を歌った出口王仁三郎の歌もある。
『日地月あはせて造る串団子星の胡麻かけ喰ふ王仁口

日地月星の団子も食ひあきて今は宇宙の天界を呑む』
(出口王仁三郎著作集 第2巻第2部社会批判の展開/吾人の現代観)

出口王仁三郎は、明らかにソーマ・ヨーギではないが、その境地は卓絶したソーマ・ヨーギ、例えばヤキ・インディアンのドン・ファン・マトゥスと同様のものであることがうかがい知れる。

ドン・ファン・マトゥスは、カルロス・カスタネダにより、1960年代、70年代アメリカのドラッグ・シーンに大きな衝撃を与え、その影響は未だに続いているし、悪影響も大きい。

ソーマ・ヨーガは廃人になったり日常生活ができなくなる危険性をはらむが、クンダリーニを勝手に上げたり、我流で気を回したり、ただ固定した姿勢で静坐し続けたりしても、妄想にとり殺される様なことがある。またセックス・ヨーガであるカーマ・ヨーガにも依存性とカルマをぐちゃぐちゃなものにされる危険性をはらむ。

しかしながら、どんなまともな行法であっても、人生のすべてを賭けねば大きなリターンはないという原則は共通しており、また賭けたからといって必ずしも成功するとは限らないものである。

だが道教の魏伯陽の故事を見てもすべてを賭けられるものだけが、道に至る。

それでもソーマ・ヨーガは、古代インドでもゾロアスターのペルシャでもハオマと尊称され、重要な悟りに至るメソッドとして命脈を保ち続けている。

ダンテス・ダイジの別の詩にはソーマを水先案内人と見ているものもあり、またもう少しで大悟しそうな人や、一度大悟した人がもう一度それをゲットしたり、維持したりするためにソーマを用いる場合もあることが唆めかされている。

酒をソーマとして使う人もいる。
北欧神話では、ミーミルの泉の水である。
インドラ神は、卑しい漁師の姿になって、不死の聖水アムリタを多量の尿として、ウッタンカ仙人に与えようとした。この尿もソーマである。
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アヤワスカ-2

2022-12-30 21:04:11 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo
◎すべての人を許す愛
藤本みどりさんのアヤワスカ体験の続きです。
『次の日から、私は毎朝ボビンサナ(薬草の一種)を摂取しはじめた。額や頭頂に圧迫感を感じる。虫が体のどこかから上がってくる感じに襲われた。

5日目には、愛を全身で感じた。自分のどこにこんな深い愛があったのだろうと思うくらいの愛だ。すべての人を許す愛がだれにでもあるということが理解できる。光が踊り、母なるアヤワスカにしっかり抱かれているのがわかった。

6日目は、ボビンサナを飲んだとたんに立っていられなくなった。光の渦が見えて体の震動が始まったのだ。そのあと巨大な緑色の蛇がズルズルと動いてこちらに向かってきた。ときどき舌を出すそのヴィジョンが鮮明に続く。酔いが強い。後頭部や背骨の辺りが、エネルギーを発生して熱い。

激しいエクスタシーが襲ってきた。宇宙と一体になり、自然と一つになって愛を感じる。恍惚感と言うと、普通男女が性的行為によって得られるものと限定しがちだが、実は分裂していたものが統合されることによっても得ることができる。こんな経験は初めてだった。

人間がなぜアルコールや幻覚剤を飲みたがるのかわかるような気がした。わたしたちは、元来震動であり、エネルギーの流れなのだ。その震動や回転を思い出すために、無意識のうちに「酔う」という行為を選んでいるのだろう。

宇宙ロケットは燃料タンクを切り離してスピードを上げる。同じようにわたしたちも波動を上げるためには、いらないものを捨てる必要がある。しがみついていた手を放さなければならない。そうすれば、これからはあらゆるものからほどかれ、身軽になって旅立てるのだ。

意気揚々とセンターにもどり、私はアヤワスカに心から感謝した。』
(アヤワスカ/藤本みどり/成星出版P207-208から引用)

5日目の『すべての人を許す愛』というのが、大慈悲の体験であり、メンタル体のアナハタ・チャクラが開顕するという体験なのだと思われる。オカルティストやニュー・エイジャーが言うところの『愛』とは、このレベルの愛であって、他のものではないだろう。いつか憎悪に変わる愛ではなく、このような絶対的な愛だけが本当の愛なのだ。そして本当の愛は、こうした精神の絶対的な極限状況を通過していかないと出会えるものではないと思う。
このレベルは、本当の窮極ではなく一つの中間点だが、これこそが現代人の目標とすべきレベルの一つである。

6日目の『宇宙と一体になり、自然と一つになって愛を感じる。・・・・実は分裂していたものが統合されることによっても得ることができる。』の分裂していたものとは、神と人間個人であり、男と女というあらゆる分裂のこと。ここで著者は、男女両性具有を感じ、「実在、智慧、歓喜」に出会った感動を表明している。神、宇宙意識に出会ったのだ。
この体験以前に友人フランツは、彼女に、これからは天国だけでなく地獄も見ることになる、と天国と地獄の結婚を示唆していた。フランツは相当達者な人物なのだろう。

藤本みどりさんは、ソーマ・ヨーガという冥想を選んだが、その人にはその人にふさわしい冥想がある。
ソーマ・ヨーガでもそこまで充分に行けるものであるということを、わかりやすく示してくれた著者に感謝したい。
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アヤワスカ-1

2022-12-30 20:41:44 | ソーマ・ヨーガ(冥想法5)neo
◎現実からのジャンプアウト

アヤワスカ(Ayahuasca)という南米の植物のつるを、吹きこぼれないようにして、八時間煮詰めた液体が、アヤワスカという精神活性物質である。アヤワスカの煮汁を飲むと強烈な吐き気に襲われるそうなので、毒性もあるのだろう。

既に故人であるが、藤本みどりさんという人が、アヤワスカによる典型的なソーマ・ヨーガ(薬物冥想)の遍歴を披露してくれている。彼女は気功の心得があり、体内に気をめぐらすことができ、また坐禅(公案禅)を実習していた。アヤワスカはペルーでの話だが、その前にいたネパールでも精神活性物質(薬草)を探求していた。水晶ドクロの前で一週間も坐禅したり、冥想修行者として、極めて積極的な取り組みを続けている人であるという印象を受ける。

次の文は、アヤワスカによる直感のひとつであるが、これは、ソーマの本質を見抜いたものであり、ベーダのソーマ讃歌と同じ感動の表現である。

『人間はもともと単なるイメージの世界に棲んでいた。ところがやがて耳で聞いたことにとらわれ、自分で見たことを価値判断して束縛されるようになった。いまは皆が現実のささいなことにとらわれ、自分のエネルギーを使い果たしている。アヤワスカはそんな人間をもっとレベルの高い世界に導いてくれる』
(アヤワスカ/藤本みどり/成星出版P207から引用)

と、アヤワスカは現実の世界にとらわれているわたしたちを迷いから目覚めさせ、単に幸せな気分にひたらせるのではなく、存在の根本から浄化し、変革していく、魂を揺さぶってくれる精霊の植物だと述べている。 

アヤワスカは我々を現実の外側にジャンプアウトさせる発射台であるとして捉えているのだ。そして彼女は、ジャンプアウトしていくことになる。
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ベンジャミン・フルフォードとアヤワスカ

2022-12-30 20:38:54 | 時代のおわりneo
◎宇宙全体の仕組みも見えた

ベンジャミン・フルフォードのブログもたまに見に行くことがあるが、ぶっ飛び過ぎていて読み続けられない。でも彼のアヤワスカ(アマゾンにある向精神性植物の一つ)体験を見ると、まじめな求道者な面があったことがわかる

『もともと若いころから、わたしは別次元の世界に興味を持っていて、その手の本を読みあさっていた。十七歳のとき、家出をした。南米のアマゾンに一人で出かけ、ある呪術師の弟子になった。師匠はインカ帝国の知識を引き継いだ人で、アヤワスカと呼ばれる超能力を体験できるような薬も飲んでいた。呪術と薬の両方を使って、いろいろな世界にアクセスしていたのである。

(中略)

わたしはその呪術師に付いて、いろいろな神秘体験をした。たとえば、アマゾンにいながら、カナダの友達が今何をやっているか見に行くことができた。時間と場所を移動できるのだ。あるときは、川でカヌーをしている姿が浮かんできた。後でその友達に尋ねたら、本当にその日カヌーをしていたと答えた。

それから、ずっと遠い過去にも行ってみた。何度も例に挙げている、カンブリア大爆発の時代をのぞいた。初めて大きな生命が出始めるときで、どの生物も躍動し、喜びにあふれでいるのがわかった。それぞれの個体にとって初めての体験であり、いろいろな音を交換し合い、大合唱しているような雰囲気に包まれていた。

四万年後の未来も見に行った。しかし、全然状況が理解できなかった。縄文人を現在の東京にいきなり連れてきたら混乱するのと一緒なのだろう。ただ、地球は水と緑にあふれ、非常に健全で、人類がほかの惑星と連絡を取っている様子も見た。

自分の最期も見た。百八十歳くらいになって、瞑想状態になった身体から魂のようなものが抜けて離れていった。不老不死の延命技術が発達したのだろう。わたしたちはまだこれから百数十年生きられるらしい。

ほかに見えたのは、人類の終わりらしき状況。人類が一つの大きなエネルギーとなって渦を巻いている。ちょうど卵の中に渦巻きがあって、最終的にはその渦巻きが卵を出てどこかへ行ってしまう。まさに「産卵」である。この現実を完全に捨てていく場面だと思われた。

宇宙全体の仕組みも見えた。すべての現実が共存していて、プラスマイナスに忙しく切り替わっていた。

一緒にアヤワスカをやったベルー人は違うことを言っていた。彼が見た世紀末は、聖書に描かれているような場面だったという。この薬の特徴は、夢が起きている状態で見える
こと。未来にはあらゆる可能性が存在するから、人によって違うものが映し出されるのだろう。』
(闇の支配者に握り潰された世界を救う技術/ベンジャミン・フルフォード/講談社P223~225から引用)

これは全体として見れば、例の未来予知実験で見えた未来が4者4様だったのと同じ。人類の最後とか宇宙全体の仕組みを見て、その後の人生航路を転換するような感動があったかどうかわからないが、この本には書いていないだけだろうか。

記述が淡々とし過ぎていて、何か愛と感動が不足している印象を受ける。そういう感じでないと、あれほどまでに行動的には生きられないのだろうと思うけれども。

一緒にアヤワスカをやったペルー人と比べて結構すごいところまで行っているし、その土壇場で何が起きたかを知る感受性と冷静さがあると見るべきなのだろう。
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未来透視実験での四つの未来

2022-12-30 20:35:01 | 時代のおわりneo
◎本物はどれ

サンフランシスコのヘレン・ウォンバックは、退行催眠で過去世に遡れるように、29年間をかけ約2500人もの人々に、未来を退行催眠で見ることにチャレンジさせた。この未来透視実験はアメリカとフランスで行われた。

この結果、ほとんど全員が地球の人口が激減していることを確認した。指定された様々な未来の時代に自分は肉体として存在しさえしていなかったと語る者も多かった。

『それに加え、被験者は、それぞれが異なった未来と関連している四つの分類に見事に分かれたのである。

ひとつのグループは、ほとんどの人間が宇宙ステーションに住み、銀色っぽい服を着て、人工食品を食べているという、よろこびも感じられぬ味気ない未来を語った。

もうひとつのグループ「ニューエイジ派」は、いまよりずっと幸せな、自然環境の中でのより自然な生活を報告し、そこでは人々が互いに調和のとれた生き方をして、何かを学ぶため、そして霊的な進化のための生活が営まれていた。

第三のタイプ、「ハイテク都会派」は、人々が地下都市あるいはドームや巨大な泡のような屋根でおおわれた都会に住んでいる殺伐とした機械的未来を語った。

第四のタイプは、大災害を生き延びた人々で、地球規模のなんらかの災害(おそらく核戦争だろう)に襲われた後の世界に生きている。このグループの人達は、都市の廃墟から、洞窟、あるいは孤立した農場まで様々な形態の住居に住んでおり、手縫いの簡単な服(毛皮製が多い)を着て、食べ物の多くを狩猟に頼っていた。』
(ホログラフィック・ユニヴァース/マイケル・タルボット/春秋社P305-306から引用)

この退行催眠では、世間でよくあるような、やたらに前世が有名人や歴史的人物だったりすることなく、9割以上の過去世が小作人や労働者農民だったので、信憑性が高いものと思われる。

また未来の人口激減は、「人類三分になる」という大本系の予言を思わせるものがある。ただ四種の未来と第五の肉体として存在していないという現象は、まず地球での輪廻転生が連続する人としない人がいることを示唆しているのではないだろうか。第三のタイプは別惑星または霊界の可能性がある。

未来のビジョンの見方で常に問題となるのは、霊界と呼ばれる集合的無意識もレベルがいくつかあって、常に争闘を事としている低次な霊界を見ている場合と、平和的な高次な霊界を見ている場合があることである。

いつも未来を見ているシャーマンのビジョンにもシャーマンによってレベルの差があるように、同じ退行催眠だからといって同レベルの未来ビジョンを見るとは限らないのである。見ているもののレベルの差により、「当たる当たらない」の差は当然にあるものだと思う。

またこのような集団的輪廻転生のメカニズムについては、きちんと説明したものを見たことがないので、その仕組みを見た人であっても、おそらくは言葉にできにくい部分があるのではないかと考えている。一人の個人がいつの時代でも1人が1人として転生して回るという連続シリーズではないように想像しているが。


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チャネリングとアストラル・トリップ

2022-12-30 16:33:46 | 究極というものの可能性neo
◎遠隔透視における比較

三島由紀夫の小説「英霊の声」は、古神道の作法に則った帰神を舞台に、憑依した英霊に三島の天皇観、戦争観を語らせる趣向。この小説では、18歳の時に事故で失明した20歳ばかりの川崎君が霊媒である神主を務めた。帰神の最後に特攻隊員らしき霊がかかり、その霊の去ると同時に、川崎君は命までも持って行かれてしまった。

チャネリング=帰神では、かかる神の真贋・高低が問題とされるが、チャネリングで世俗の情報を得ようとする人々にとっては、また違った視点でチャネリングが見える。

以下は、アストラル・トリップで軍事的に有用な情報を得ようとする人々の見方。遠視者はアストラル・トリッパーのこと。リンは、遠隔透視プロジェクトの上官のひとりで、かのマクモニーグルの同僚の一人でもあった。

『翌朝は遠視者ふたりとチャネラーふたりのあいだで衝突が起きた。遠視者のあいだでは、チャネリングの効力について、大きな議論がある。

チャネリングにはその性質上、口頭もしくは文書によるデータのやりとりが含まれる。チャネラーはセッション中、いわゆる“霊の導き”に頼る。
導きを通じて、チャネラーは接触した“存在”と話をする(ことになっている)。

陸軍スパイ業界の文脈からすると、このアプローチには明らかに致命的な欠陥がある。
(中略)
リンはスケッチを添えた完全な報告書を求めたが、キャロルから上がってきたのは、「現場にはブルーがある」とか、その種のほとんど無意味な結論ばかりで、リンはその結果に満足していない。

遠視者であるリンは、このナンセンスを、チャネリングと遠視をいっしょくたにする危険性を示す証拠としてレヴィに提出すると主張した。リンはベテランの遠視訓練官で、潜在的に優秀な遠視者が、効果の実証されていないチャネラーのメソッドで能力を無駄にすることを不愉快に思っている』
(スターゲイト/デイヴィッド・モアハウス/翔泳社P193から引用)

こうした技術を利用しようと思うのはアメリカ人らしいが、その反面の危険性を顧みないでやっているという印象を免れないように感じる。もともとこの手法は、そんなことのためにあるものではないのではないか。
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オリーブの栄光

2022-12-30 10:19:36 | キリスト者の秘蹟neo
◎誰もペトロ2世を名乗れない

オリーブの栄光とは、聖マラキの予言で、最後から2番目の教皇とされる人物のことである。

聖マラキは、12世紀に活躍した北アイルランドの司教で、歴代教皇を幻視して、最後の教皇のことまで予言している。

現代も活動するカトリック教会最古の修道会であるベネディクト会に伝わる言い伝えに、「世の終りの前にはベネディクト会から教皇が立つ」というのがある。ベネディクト会はまたの名をオリーブ会と呼ぶところから、これはマラキ予言の最後から2番目の教皇がオリーブの栄光と呼ばれることと符号する。

ベネディクト16世がベネディクト会出身かどうかは調べきれなかったが、ベネディクトを名乗る教皇が必ずしもベネディクト会出身ではないことはわかった。

予言というのはそのものズバリではなく、霊統がベネディクト会出身であることを見て、「オリーブ」の名をあてることもあるのだろうから、物理的にベネディクト会出身でなくともハズレと断定はできない。

前教皇没後に枢機卿たちの選挙で次の教皇を決めるが、これをコンクラーヴェという。コンクラーヴェで選出された教皇は、その法名を決めるが、「ペトロ」だけは選んではならないしきたりになっている。

というのは、「ペトロ」は、漁師出身の初代教皇聖ペトロであり、歴代教皇は、漁師の指輪をつけ、漁師の靴をはき、この世の舟を操る。聖ペトロを憚(はばか)るためである。

つまり今のしきたりでは、新教皇は絶対にペトロは名乗れないはずなのだが、聖マラキ予言では、最後の教皇の名はペトロ2世。

つまり、カトリック教会が存続を危ぶまれるほどに追い込まれて、その教会組織全体の最期が見えるような段階にならないと、新教皇がペトロ2世を名乗るようなシチュエーションにはならないだろうから、教会に対する迫害の終りにペトロ2世が出るという意味はよくよく考えてみなければならないと思う。
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聖マラキの予言

2022-12-30 10:17:00 | 時代のおわりneo
◎苦難のことは書かない

聖マラキの予言とは、歴代ローマ法王を幻視して、一言づつ評を加えていったもの。当然関心のあるのは、いまの法王と最後の法王ということになる。

109番目は、ヨハネ・パウロ1世で、「月の半分」。在位33日で奇怪な死を遂げた。
ベネチアの別名が半月の町であり、そこの大司教経験者。

110番目は、ヨハネ・パウロ2世(在位1978-2005)で「太陽の骨折り仕事」。ポーランドの貧しい労働者の家庭の生れから、法王に昇り詰めた。ソ連解体後の1990年代の東欧の自由化全体に大きな影響を与えたと言われるが、その役割の全貌は明らかになっていない。

111番目は、ベネディクト16世で、「オリーブの栄光」。オリーブは旧約聖書で平和の象徴だそうですから、ベネディクト16世在位中は、世界戦争はないと見るのでしょう。

112番目は、最後の法王で、「ローマ聖教会が最後の迫害を受ける間、ローマ人ペテロが教皇に就く。彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町(ローマのこと)は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。」

その苦難とはなんだろうか。
出口王仁三郎に興味のある人しか読まないが、瑞能神歌という予言書がある。

『『瑞能神歌』(大本神歌)(三)に「いよいよ初段と相成れば、西伯利亜線を花道」のシベリヤ線とあるのは、アラスカ、シベリヤ、モスコーの線のことで、シベリア鉄道のことではない。天羽英二内閣情報局総裁も言っていた。それならば鉄路とか線路とか書くのである。

昭和16年12月8日から初段目が開かれたのである。「天の鳥舟天を蔽ひ、東の空に舞い狂ひ、ここに二段目幕が開く」とあって、次に「三段いよいよ開くとき三千余年の昔より、国の御祖の選まれし、身魂集まる大本の・・・・とあって、途中(二段目)が書いていないのは、あまり悲惨だからである。」(昭和18年3月)』
(新月の光/八幡書店/木庭次守編から引用) 

初段は、第二次世界大戦。二段は、第三次世界大戦であり、シベリヤ線を花道にして、天の鳥舟舞い狂う、熱核ミサイル戦争なのだろう。三段は、戦後の新時代。とあるが、二段目はあまり悲惨なので、聖マラキも、王仁三郎も詳述していない。二段目を幻視してショックを受ける人もあるやに聞く。

シベリヤ線には、米ロの核兵器が集中配置されているのだろうから、出口王仁三郎はそれを見ていたのだろう。

この予言も100年前のもので、いまはもうかなり変わっているはず。良いほうに変わっていればいいけれど。

世界戦争の原因を考える時に、戦争に誘導していく指導者だけが悪者と考える人が大勢である。世界も自分も一つという立場から、自分もその戦争の原因の一翼を担っていることが問題だと見る人は、少数なのだろう。
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最後の法王

2022-12-30 10:11:24 | キリスト者の秘蹟neo
◎我ら平民の覚醒と連動

ローマ法王ベネディクト16世(85)は2013年2月11日の声明で、高齢を理由に2月28日をもって退位すると表明した。
ローマ法王庁(バチカン)報道官によると、実質的に終身制の法王の退位は約600年ぶり。ローマとフランス・アビニョンに法王庁が分裂し、法王が3人乱立していた時代、分裂解消に伴って1415年にグレゴリオ12世が退位に同意して以来の引退である。

聖マラキの予言によれば、ベネディクト16世は、「オリーブの栄光」であり、次に選ばれる法王がペテロ2世という最後の法王となる。

このブログで過去にマラキーの予言に言及したものは、以下のとおり。しかし日本の天皇家の悠仁様のご誕生の件や、最後のダライラマの引退の件など、その予言がすんなりいくかどうかは、我々平民の多くが覚醒・悟りを開けるかどうかにかかっている。
次の法王が最後の法王になるかどうかは、他人事ではなくて、我々自身の動きにかかっている。

聖マラキの予言 (苦難のことは書かない)

オリーブの栄光(誰もペトロ2世を名乗れない)
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白魔術とは-2

2022-12-30 10:07:31 | 【クンダリーニ・ヨーガの全貌】【ザ・ジャンプ・アウト-02】neo

○天意を読み順う

さらに唐代の禅僧普化の例を挙げる。彼は臨済録で知られる臨済の同僚である。

ある時普化が、「俺もそろそろ冬支度なんかで、ちゃんとした服装がほしくなった。」と言い出した。すると周りの本当に普化の価値をわかっている檀家が、きれいな衣を普化にあげるが、普化は「そんなもの駄目だ」と断る。

そうすると臨済だけがわかって、棺桶を作ってあげた。
普化は「臨済が俺の服を作ってくれた。」
「臨済が俺の服を作ってくれた。」と言って棺桶にひもをつけて、引きずりながら、村中を練り歩く。
それを見に村の野次馬が集まったところで、普化は、「俺は、明日北の門で死ぬことになる。俺は午後3時に死ぬぞ」と宣言する。

翌日午後3時、物見高い村人が、北の門にそれはそれは大勢集まった。ところが普化は大分遅れてやってきて「今日はちょっと日が悪いな。うん明日にしよう。俺は、明日南門で死ぬから。」とまたも予告する。

その翌日午後3時、好奇心旺盛な村人が、南の門にそれは大勢集まった。ところが普化は大分遅れてやってきて「今日はちょっと肌寒いしな。うん明日にしよう。俺は、明日東門で死ぬから。」と予定変更する。

そのまた翌日午後3時、本当に物好きな村人が、東の門に若干名集まった。集まった村人は、「普化は、きちがいだとか聖者だとか言われているが、さっぱりわからないけれど、死ぬ時にはわかるかもしれない。」などと考えている。
ところが普化は遅れてやってきて「今日もちょっと調子悪いなあ。うん明日にしよう。俺は、明日西門で死ぬから。」とまたも延期する。

そのまた翌日午後3時、西門には誰も来なかった。普化が棺桶を引っ張ってきて、周りを見ていると、一人の旅人が通りかかる。普化がその旅人に「頼むからここに穴を掘って、俺が棺桶に入ったら、そこに釘を打って、それから埋めてくれればいいから。」と頼む。
それで、普化が棺桶に入って、釘を打ってもらって、土をかけてもらった。

旅人はびっくりして、「なんか乞食坊主みたいなのが、西の門の原っぱで生き埋めにしてくれって言うから、そのとおり、棺桶に入れて生き埋めにしたけれど、あれどうなっているんだ。」などと言うと、村人は、驚いて西門に駆けつけて、掘ってみると棺桶に釘が打ってある。それをこじ開けて中を見ると草履が片方残っているだけで、もぬけの空。そして突然ちりーん、ちりーんと音がして、ずっと空の方に上がっていって、『ワッハッハッハ』なんて大笑いが聞こえてくる。

これは、もともと臨済録に出てくる話で、それをダンテス・ダイジが座談で語っているのをアレンジしたもの。(素直になる/ダンテス・ダイジ講話録4)


普化は、「北の門で死ぬ」と天意を図り、翌日になると、「日が悪いから明日南門で死ぬ」と天意の変化を告げた。また次の日になると、「肌寒いから明日東門で死ぬ」と天の予兆が変わったことを告げた。最後に「今日は調子悪いから明日西門で死ぬ」とさらに変化した前兆に順うことにした。

もとの文を素直に読めば、観客がいなくなるまで、日を変え、場所を変えたのだろう程度にしか読めない。しかし真相は、神意、天意の転変に随って死すべき場所と時間を何度か変えたのだと思う。

こういうのはバカバカしいとか児戯に等しいと思う人も多いかも知れないが、白魔術師の作法というのは、冷厳、精密である。臨済を超えるほどの悟境の普化の死が、適当な気まぐれで起こるはずはない。

時には質の違いがある。それを利用して、中国の禅者ホウ居士は、時を選んで坐脱し、日本中世の虚空蔵求聞持法修行者は、満行に時を選んだ。もっとも時を選ぶのは白魔術師だけではないのだが・・・・。

またアヴィラのテレサの言うように、奇蹟には時を選ぶタイプのものと時を選ばないタイプのものがある。白魔術師は、時を選ぶタイプの奇蹟に熟達しているのだ。

そして私たちは生まれてくる子宮を自らセレクトし、生まれてくる時刻を自らセットして誕生してきた。この生誕というある種の魔術については、万人自ら執り行ってきたわけである。

最後に、白魔術師と黒魔術師を見分けるということについていえば、自分が悟らなければそれはわかるまい。

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アメリカの戦略ミサイル原子力潜水艦SSBN

2022-12-30 06:39:43 | 時代のおわりneo
◎究極の兵器

アメリカの世界支配の力の源泉が、この戦略ミサイル原子力潜水艦SSBNである。

この潜水艦には、24基のトライデント・ミサイルの発射筒が装備されている。この筒の中に一升瓶型ミサイルが12発格納されており、それぞれのミサイルには10発の核弾頭が装備されている。つまりSSBN潜水艦1隻には核弾頭が2880発ある(24×12×10)。

この核弾頭1個1個はそれぞれ独自に目標めがけて飛ぶが、その1個の破壊力は、広島・長崎の原爆の1千倍の破壊力を有する。この核弾頭をSSBN潜水艦1隻で2880発持つということは、1隻で地球全体を壊滅できるということ。

よって戦略ミサイル原子力潜水艦SSBNは究極の兵器と呼ばれる。アメリカはこのSSBNを14隻有しているので、世界の支配者、世界の警察官たり得ている(2011年現在)。

こうした究極の兵器を北欧神話のシャーマンが幻視すれば、トールの槌や、オーディンの槍に見えるだろう。戦略ミサイル原子力潜水艦SSBNの就役は1979年。もう人間は神々の持つべき最終兵器をその手に入れて久しいのである。

ノストラダムスの預言に、「1999年7の月、空から恐怖の大王が降りてくる。アンゴルモアの大王を蘇らせるために。その前後、マルス(軍神)が平和の名のもとに統治する」とある。

第二次大戦後、アメリカは核兵器を大量に保有することで戦争を抑止してきたからこそ、大規模な戦争が起きなかったという現実がある。この現実こそ「マルス(軍神)が平和の名のもとに統治する」である。

大規模災害は、大三災(風、水、火)、小三災(飢、病、戦)で、戦争は小三災分類である。戦争は小三災だから大したことはないと言えないほどの不安定な時代になったのだ。

浙江財閥の宋家三姉妹の長女は大財閥の御曹司・孔祥熙と、次女は革命家・孫文と、三女は蒋介石と結婚して、ファミリーのリスクヘッジを図ったが、こうしたグローバルなヘッジですら、「人間のさかしら」として相手にされない時代のうねりを感じさせられる昨今である。
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白魔術とは-1

2022-12-30 06:36:45 | 【クンダリーニ・ヨーガの全貌】【ザ・ジャンプ・アウト-02】neo

◎白魔術とは-1
○天意を読みしたがう

一般論として、現代人がオカルティックなものにかかわって生きると、まともな人生にはならない。

アストラル・トリップしたいとか、エーテル体のエクトプラズム出したい、神降ろししてモダンなシャーマンしたいとか、動機はいろいろあるのだろうが、自分が死なない者がそうした死の世界の技術であるオカルティックなパワーにかかわることは、現代の社会人にとっては、ほとんど自殺行為のようなものではないか。

知らぬが花ということはある。一度知ってしまったがゆえにその後思わぬ不満をかこつということもある。そんなものとしては、飛行機でファースト・クラスに乗ったばかりに、以後ビジネス・クラスやエコノミーに乗れなくなるなど枚挙にいとまはない。

飛行機の座席であれば、それに追われると言うことはないが、オカルティック・パワーになれば、足抜けするのは厳しい。クンダリーニ・ヨーガでいえば、悪霊を信じない者は、彼らに殺されることは決してないのだ。

黒魔術とは、自分の都合で、巨大なオカルトパワーを利用しようとするものであった。

それに対して、白魔術ホワイトマジックとは、先に天意があって、その天意に逆らったオカルトパワーの行使は絶対にしないこと。つまり白魔術師は、必ず天意を読む、天意を窺ってそれを感じ取る能力があること。そしてその天意に沿って動く性質があるものだということ。

典型的な白魔術師としては、明治から昭和にかけて活躍した古神道の出口王仁三郎や在野の神秘的大陸浪人笹目秀和、カルロス・カスタネダの小説に登場するドン・ファン・マトゥスなどがある。

彼らは、まず前兆あることを捉えて、次に初めてミスティック・パワーの行使を行うものだ。

出口王仁三郎は、昭和6年9月8日綾部の鶴山に三体の歌碑を建てて言うには、「これが建ったら満州から世界が動き出す」と。
果たしてその十日後の9月18日に満州事変が起こった。出口王仁三郎は更に日本の行く末を詠みこんだ「「瑞能神歌」の実現期に入った」と語ると、まもなく「瑞能神歌」は発売禁止となった。

これも先に「これが建ったら満州から世界が動き出す」という神意があったことを示す。

※瑞能神歌:
『『瑞能神歌』(大本神歌)(三)に「いよいよ初段と相成れば、西伯利亜線を花道」のシベリヤ線とあるのは、アラスカ、シベリヤ、モスコーの線のことで、シベリア鉄道のことではない。天羽英二内閣情報局総裁も言っていた。それならば鉄路とか線路とか書くのである。

昭和16年12月8日から初段目が開かれたのである。「天の鳥舟天を蔽ひ、東の空に舞い狂ひ、ここに二段目幕が開く」とあって、次に「三段いよいよ開くとき三千余年の昔より、国の御祖の選まれし、身魂集まる大本の・・・・とあって、途中(二段目)が書いていないのは、あまり悲惨だからである。」(昭和18年3月)』
(新月の光(下)/八幡書店/木庭次守編P65から引用) 

初段は、第二次世界大戦。二段は、第三次世界大戦であり、シベリヤ線を花道にして、天の鳥舟舞い狂う、熱核ミサイル戦争なのだろう。三段は、戦後の新時代。とあるが、二段目はあまり悲惨なので、聖マラキも、王仁三郎も詳述していない。二段目を幻視してショックを受ける人もあるやに聞く。

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立替立直しの概要

2022-12-30 06:08:45 | 古神道の手振りneo
◎わが身が神を知る

立替立直しという言葉が流行し出しているようなので、ここに概要を記してみます。

立替立直しは出口王仁三郎の用語。
出口王仁三郎は、戦前の古神道教団トップにして、昭和10年の最盛期には信者8百万を有していた。ところが同年、突如として邪教として全国一斉に教団幹部の一斉逮捕、教団施設の一斉破壊が行われた。

出口王仁三郎の収監は7年に及び釈放は昭和17年8月。仮に出口王仁三郎が獄死していた場合、救世主殺しとして日本人全体が祖国を失うディアスポラの憂き目に遭うようなことも考えられたが、奇跡的に生きて釈放されたのは幸運だった。

日本および世界の21世紀における革命にして再生が「立替立直し」。だが天皇は最終的に世界のトップとして君臨する。

1.公的な側面
(1)日本
日本の立替え立て直しは、明治維新や第二次世界大戦の時のように外国勢力が遂行する。
天皇は残る。上流と下流は濁り、中流の人々が社会を改善する主流となる。
日本については、最終的な生存率2%という極めてネガティブな予言がある。
地震などを伴う地殻変動があり、一夜にして〇千メートルも高度が変化する地域もあるらしい。
最初は小三災の飢餓、疫病、戦争で始まり、最後は風水火。
それがこの世の終わりであって、その時日本は再度軍人内閣であることが予言されている。

(2) 国際政治
出来事の順序は明示されていないが、16人の悪人国家指導者が揃ったら、「立替立直し」が始まる。
私の読むところ、世界的な飢餓、疫病、戦争が広がっていく中で、各国が継戦能力をほぼ喪失した段階で、世界の仲介者として天皇が推されるタイミングがあると思う。

ただし、それまでは、最新の科学の粋を集めた生物兵器、化学兵器、核兵器による悲惨な殺戮戦が世界中に蔓延する。それについては、瑞能神歌で一部予言されているが、余りに悲惨過ぎるので、記述されていない。

(3) 新時代
現代の技術文明は破壊されほとんど残らないが、「電信」だけは残る。
今の航空機は空気の揚力で飛翔するが、各人が羽衣ウェアをつけて飛行できるという(ウダーナ気応用の?)科学技術が発展する。

万人が神を知る時代。苦と悲嘆のない七福神の楽だけの時代にして、万人が長寿となり、悪行を行う者はいない。
この土台の上で、労働は午前だけ3時間。
天候は5日に一回風が吹き、10日に一回雨が降る(五風十雨)温和な気候。     

天皇が世界の君主となり、人々は181段階の身分に組織される(トップは大神)。

人口は大幅に減り、山陽地方に十万都市が一つ、山陰地方に十万都市が一つという程度。金持ちは各地方に一人しか置かず、お金が要る場合は彼から引き出す。
(この人口の縮小は、大量死と裏腹。)

2.私的な側面
すべての成人が少なくとも神を見たことがあるか、神人合一体験をしたことがある。

そのために学校教育で冥想をやることになる。古神道なら鎮魂法帰神法だが、新時代において帰神法をやっても仕方ないので、鎮魂法がメインなのだろうと思う。神知る冥想テクニックは宗派にこだわらない。

万人が神知る時代とは万人が霊を知る時代。霊とは、今の時代はきわもの扱いだが、人間は、エーテル体、アストラル体(霊衣)、メンタル体、コーザル体という霊でできていることを万人が肌感覚で知っているのが新時代。

それを前提に敢えて大正時代に新時代の大予言の書として出口王仁三郎は霊界物語を出した。霊界物語とは、霊界ファンタジーではなく、リアリズムと21世紀の予告文書である。

なお、極ジャンプみたいな地殻変動と飢餓、疫病、戦争などによる人間の手になる事件とは必ずしも同時発生するものでなく、別々に発生するものであることもダンテス・ダイジ(出口王仁三郎に縁がある)が指摘するところである。

人間の心の乱れが、昨今の暴風、大洪水等に大きく影響していることや、この社会体制に内在する真善美誠とは異なるメカニズムが飢餓、疫病、戦争を惹き起こしているという実感は、気のせいではない。

心は、エーテル体、アストラル体(霊衣)、メンタル体、コーザル体などで、現実を改変するパワーとして活動しており、その一部がやがて肉体レベル、現実レベルに現実として出現する。

よって立替立直しとは、他人や他国や日本政府が何かをやることではなく、わが身が神を知るということにほかならない。
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アンジェリーナ・ジョリー母娘と癌

2022-12-30 06:03:55 | 時代のおわりneo
◎核戦略、原発政策とピンクリボンのリンク

アンジェリーナ・ジョリーは、トップ女優でありながら、不幸にもその両乳房を切除するという痛ましい人生上のイベントに遭遇してしまった。

アンジェリーナ・ジョリーといえば、危険なシーンを次々と駆け抜けていくトゥーム・レイダーの雄姿とナイス・バディがその代表的イメージである。

今般は、癌の予防医療の側面と彼女の勇気ある決断ばかりにスポットライトがあたっているが、真因は別のところにある。

そもそも乳癌は、1950年代以前はそんなに普通に発生するものではなかった。1950年台から60年台にかけて、アメリカ、ソ連、中国を中心に盛んに行われた大気圏内核実験、それから各国の原発の稼働・運転により、乳癌発生の確率が大きく押し上げられたものと考えられるのである。(参考:「低線量内部被曝の驚異」(ジェイ・マーティン・グールド/緑風出版))

彼女の母親は10年の闘病の末56歳で乳癌で死亡。そして彼女自身にかかわる乳癌発生の高い確率。それを考慮しての決断とはいえ、人はサイボーグに非ず。予後も老後の生活もある。大きな視点からいえば、彼女はアメリカの核戦略の犠牲者の一人ということになろう。

最近日本でも、ピンクリボンの運動をやるようになってきた。ピンクリボンは、乳がん検診の早期受診と治療を推進する運動なのだが、そういう運動が出て来ないとならなかった背景は、日本に設置された50個以上の原発にあるのだと思う。日本だって、1950年以前と最近の乳癌発生の比率を比べると、しっかり激増している。これまでの日本の原発政策が、ピンクリボンを呼んでいたと言ってよいのではないだろうか。

世の大峠の後も、すぐには放射性物質の汚染はなくならないだろうから、体内からの放射性物質排出促進技術の開発が、ますます求められる時代となった。

その意味でも、アンジェリーナ・ジョリーの乳房切除は異形な事件である。こういう自分の肉を削ぐ話は釈迦前生潭ジャータカにときどき出て来るが、そういうのに接すると、人として平常心ではいられないものだ。
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運命は変えられる

2022-12-30 06:01:12 | 占星術  (冥想法6)neo
◎四柱推命の奥義書、滴天髄

四柱推命に滴天髄という奥義書があり、若い時に一生懸命読んだことがある。

最後まで納得できなかったのは、高級官僚が最高の運命体現者であり、百姓や商工業者は一生うだつのあがらないままであるという極太の基本線があったことである。

儒教により君臣の序列、上下の差別はきちんと守りましょうというのは主張としてわかるが、職業は自ずと最初から貴賤があり、その職業に応じて人生にも最後まで貴賤がある。これは、古代インドの富者と貧者の人生が生まれつきで分かれているのと全く変わらない。

中国には科挙があり、その制度で平等を担保しているというのはわかるが、日本は科挙を取り入れることはなかった。

さてそういう世界観のなかで、四柱推命が練られていったが、結局その世界観は、万人が出世、巨富を目指す社会的成功を優先的に希求する時代において通用する理屈であると知った。

万人が悟りを目指そうというこの時代には、四柱推命の滴天髄は人生の半分の側面しか表していない半端なものである。ホロスコープでいえば第7室から第12室までしかカバーしていない代物だったのである。

運命改善、運命は変えられると唱える人がいたら、その人は、人生の全部を変えることを言っているのか、半分を変えることを言っているのか考える必要がある。

運命を変えるとは、自分が自由自在に生きることだが、それは自分が死んだ後大悟覚醒し、スワジスターナ・チャクラ(臍下丹田)の属性を十全に発揮できること。自分個人が宇宙全体に逆転し、天意・天命を生きること。
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