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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

冥想十字マップ狂言について-6

2022-12-18 06:18:58 | アヴァターラ神のまにまに

◎自分が変容すれば、世界も変容する

この世には、二元対立のあるものが多い。そこに自分の苦悩や不安がある。そうだとしても、そのような現実に対して、逃げずに素直に直面していくしかない。

実はこの世の二元対立の中で最も深刻なものは、あらゆるタブーの中に隠れている。ところが、そこには恐怖と恐怖からの解放がある。

もっとも二元対立そのものは、のっぴきならない現実ではあるが、本源的な原因ではない。その源流は自分とその欲望にある。

自分とその欲望の正体を言葉で解説したり、言葉で理解したりすることは、その根本的原因の解決にはならない。いくら文章で描写しても、いくら発言、解説しても誤解は誤解を生むだけで、結局出口には到達できない。

にわかには信じられないかもしれないが、ここにその二元対立を利用して、人類を絶滅させて再度ネオ人類でやり直しを図ろうとする勢力があって、何百年前から世界的に活動している。それは、世界全面核戦争を構想するものだが、平素から性善説でお人よしな人には気づかれないように、自由と平和と平等と秩序や正義などの名の下に、人を生きづらくさせる細かく大きな施策多数を打って、最後は人の叫びを極大化させ、国家対立を先鋭化させ人類絶滅を狙うものである。

その構想は、古くはイザヤ書や古事記などに見える。

そうしたネガティブな巨大構想があろうがあるまいが、あるいはそのような構想を信じようが信じまいが、身近な目先の二元対立による苦悩と絶望と不安は解決しないままであることに変わりはない。

『自分が変われば世界も変わる』というのは、にわかには信じられないかもしれないが、聖者覚者が口をそろえて言っていることである。

『自分が変われば世界も変わる』とは、禅の十牛図風に言えば、世界全体である牛が自宅に隠れた後に、自分はなにかもかもない一円相になり、その悟りの体験の薫風をもって日常を生きるということ。

あるいはクンダリーニ上昇離脱風に言えば、私がメンタル体で頭頂から離脱し、個なるコーザル体は世界全体なるアートマンに変容し、アートマンは、中心太陽に突入し、私はそこから帰還し、生まれ変わって日常を生きるということ。

不思議なことだが、禅の一円相後の人生が、『自分が変われば世界も変わる』ということ。
不思議なことだが、クンダリーニ上昇後の中心太陽からの帰還後の人生が、『自分が変われば世界も変わる』ということ。

このように自分一人だけにそうした体験が発生すれば、世界全体が一斉に善に向くというのは、これまたにわかには信じられないかもしれないが、古今東西不易の真実なのだ。自分が変容すれば、世界も変容するというのは、主観でも客観でもなく、あまりにもシンプルな現実だ。

ピントのずれた眼鏡をかければ、世界は二重に見えたりする。そのように、本当の自分に出会っていない人が、聖者覚者の言説を読むと彼が二重の世界観に生きていることに気がつく。

そしてまた真の側の世界観に生きるには、真剣な、ぎりぎりの、命がけの努力が必要となる。かつまたそれは、目的をもった冥想であってはならないというジレンマを抱える。

あきらめるのは簡単だ。だが、本当の幸せ、本当の生きがいを生きるには、そのような情熱にあふれてチャレンジすることが、どうしても必要なのだ。

 

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