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アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ハタ・ヨーガからクリヤ・ヨーガへ

2022-11-15 10:37:17 | ハタ・ヨーガ(冥想法3)neo

◎カイバリヤから世界平和へ

 

今ネットでヨーガと言えば、ハタ・ヨーガのこと。ハタ・ヨーガをやると身体快調で、健康回復、老化防止、気力回復にも役立つなどいいことづくめだと宣伝するものだ。

※クリヤ・ヨーガとはクンダリーニ・ヨーガのこと。

 

だが、パタンジャリのヨーガ・スートラを見ると、ハタ・ヨーガの位置づけとは、身体の快適さ、健康増進ではなく、人間のあらゆる苦悩からの解脱、カイバリヤである。

 

パラマンサ・ヨガナンダの説明では、まずハタ・ヨーガとプラーナを用いた呼吸のコントロール、オームを学ぶ。

 

その後サンヤマ(ヨーガの8行法中の、総持(ダーラナ)、定(ジャーナ)、三昧(サマディー)を同時に行うのをサンヤマ(samyama)という)を行い、最後は、独存(カイバリヤ)と呼ばれる神人合一を目的とする。

 

ただしサンヤマと言っても、有相三昧、無相三昧は、それ自体神人合一だから、サンヤマを経てから独存なのかと見るとわかりにくい。

 

パタンジャリのヨーガ・スートラでは、超能力の説明が沢山書いてあるが、超能力をバンバン使いなさいと言っているわけではなく、超能力を濫用するようでは、先のレベルには行かないので、用いてはいけないと注意のために置いてある。

 

ハタ・ヨーガで得られる健康も、それが単に快適な生活を暮らすことに留まるならば、本当の愛にも真理にも智慧にも出会うことはない。

 

今ウクライナで戦争が始まっているが、ハタ・ヨーガからクリヤ・ヨーガに進んでカイバリヤを実現する人が増えなければ、世界平和はないだろうということはある。

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90歳のブーレ・ババの肉体乗り換え

2022-11-15 10:31:28 | エクスタシス 夢の夢なるneo

◎長時間サマディーにとどまる道具

 

ブーレ・ババのブーレは老いたという意味。アッサムの、90歳になろうとするブーレ・ババは、この肉体は長時間サマディーにとどまる道具にはならないとして、かねて若い肉体の出物を待っていた。

 

ある日彼は、明日50キロ離れたところで若い男が蛇にかまれて死に川に流されるのだが、それは良い死体だと語った。

 

その死体に乗り換えるためにその日20キロ離れた河畔に移動し、彼とスワミ・ラーマは野営したが、翌朝ブーレ・ババはいなくなっていた。

 

スワミ・ラーマはまもなくヒマラヤに帰ったのだが、ある日見知らぬ若い修行者が彼を訪ねてきて、スワミ・ラーマとブーレ・ババの肉体乗り換えに至るアッサムでの出来事を詳しく語り、最後に自分が肉体を乗り換えた時にスワミ・ラーマが一緒にいなかったのは残念だと語った。

 

ブーレ・ババは、このようにして肉体を乗り換えたことを実証してみせた。

 

人間から人間に転生する場合、肉体死から次の肉体に受胎出産というルートをとるならば、最低でも10か月かかるところを、ブーレ・ババは、第三者の臨死の肉体をもって、速やかにそれに乗った。

 

スワミ・ラーマは、この若い修行者には、ブーレ・ババの知識・記憶・性質・癖などほとんどがあったことを確認した。そして熟達した修行者はそれを望むならば、このように別の若い臨死ボディを得て乗り換えさえできると結論づけている。

 

これは、俗人にとっては、単に眉唾な話かもしれないが、「何のために生きるか」に真摯に取り組んできた人間にとっては、一つの選択肢として理解できる人もいると思う。

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自分だけのためのハタ・ヨーガやボディ・セラピー

2022-11-15 10:21:17 | ハタ・ヨーガ(冥想法3)neo

◎流行の癒しの構造

 

ケン・ウィルバーは、人間は、1身体⇒2心⇒3魂⇒4霊(スピリット)と進化する、とする。個は3魂まで、世界全体のアートマンは、4霊(スピリット)。

勿論、出来上がりは、二重のリアリティたる4霊(スピリット)。

 

SNSを見るとハタ・ヨーガやボディ・セラピー(武道、気功、ロルフィングなど)をやる人が非常に多い。人間は、幼児期には、1身体が意識そのものである時期にある。2心は2歳頃から出現しはじめどんどん発達していき、思春期になる頃には、自分の生き生きとした生命の躍動や感情の豊かさを失い、1身体と2心の分離に苦しむことになる。

 

青年になってハタ・ヨーガやボディ・セラピーを行うことで、

失われた1身体と再接触する。充分に1身体と再接触すれば、2心⇒3魂⇒4霊(スピリット)の順路で進み自分を超越することができる。

 

ところが漫然とただハタ・ヨーガやボディ・セラピーを行っている場合、失われた1身体と再接触して、抑圧され疎外され忘れられた幼児期の幸福な感じを得られはする(それも癒し)が、それだけでは自分が強固になるだけであり、4霊(スピリット)に届かず、結局「退行」となる。「退行」にいるままでは、自分を超えられず、真の世界平和はない。

 

2心⇒3魂⇒4霊(スピリット)の順路では、234の高次のレベルは、常に1肉体を包含し、抑圧せず包容する。

 

自分が世界全体、宇宙全体にならねば真の世界平和はないが、

自分が世界全体、宇宙全体になるというのは、社会では絵空事と思われている。だが、そこをしらふで取り組んで行かねば、世界は何も変わらない。

 

(参照:ワン・テイスト(下)/ケン・ウィルバー/コスモス・ライブラリーP58-67)

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背骨をまっすぐにする技術

2022-11-15 10:18:19 | ハタ・ヨーガ(冥想法3)neo

◎日課への組み込みと継続

 

精神状態が坐相、つまり坐った姿勢を決めるという側面はあるが、冥想時に背骨をまっすぐに立てるのは基本中の基本である。

 

クンダリーニ・ヨーギ本山博が、背骨をまっすぐに矯正する体操を説いている。たとえば、一日中マウスを握る仕事だと、右肩が下がりがちなものだ。

 

彼の背骨矯正体操は以下4種

1.飛び出した背骨をもとに戻す。

(1)手足を伸ばしてうつぶせに寝る。

(2)両足首をつかみ、身体を反らして2、3秒止める。

(3)元に戻す。

 

2.引っ込んだ背骨をもとに戻す。

(1)手足を伸ばしてあおむけに寝る。

(2)手を使わないで、腹筋だけで上体を起こす

(3)そのまま上半身を前に倒し、額を膝につけ、2,3秒止める。

(4)元のあおむけに戻る

 

3.背骨の左右のズレを直す。

(1)片足は伸ばし、もう一方の足を尾てい骨の下にかかとを敷くように折って坐る。

(2)右足を折っている場合は、右手、左足を折っている場合は、左手を、伸ばした方の足の膝の外側に当てる。

(3)反対の手は、背中に回す。

(4)右足を折っている場合は、左側にはずみをつけて、上体をねじり2、3秒止める。 

左足を折っている場合は、右側にはずみをつけて、上体をねじり2、3秒止める。

(左右同じ回数やる)

 

上記1から3の体操を日に数回、2、3か月継続することで、背骨が矯正されるという。

(出典:自分でできる超能力ヨガ/本山博/宗教心理出版P68~73)

 

あおむけ・エビぞりと上体ねじりは中高年でもできるが、額に膝が付くのは少々時間がかかるかもしれない。中高年にあっては、筋力の衰えを自覚するものだから、筋肉増強系を第一に考えがちなものだが、冥想にあっては内分泌系の活性化が一番なので、こうした柔軟系の体操を根気よく続けることが必要。

 

老境の禅者が、臨終近くになって、骨折?しても無理やり足を折って坐るようなシーンを時々読むことがあるが、そうならないように冥想修行者ならあたりまえの身体の柔軟性メンテナンスは、老境であるからこそ必要だと思う。

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ハタ・ヨーガ

2022-11-15 06:53:41 | Overview of the meditation 冥想の全体像

◎【第五章】冥想の種類

◎単体冥想の評価と方法

  1. 単体冥想のいろいろ

(3)ハタ・ヨーガ

 

ダンテス・ダイジの定義から

『主に、無数のアサナ と プ ラーナヤーマとムドラーによって、デリケートな感受性と柔軟性を実現していく。その結果、各ボディのブロックも徐々に消えていくわけだが、現代の生存競争と現代物質文明に必須の粗雑な自己防衛機能も消滅するエゴの危険も覚悟しておいたほうがいい。』

(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジ27-28から引用)

※ムドラー:冥想姿勢または体位

 

なるほどハタ・ヨーガに打ち込んでいる人(インストラクターさんなども)には、ある種の繊細さが感じられるものであり、ある程度行き過ぎれば生活できなくなっていくということはあるものだと思う。だからダンテス・ダイジは、アーサナは十種類程度で十分と絞っている。

またパタンジャリのヨーガ・スートラは、最後は完全にクンダリーニ・ヨーガになっており、ハタ・ヨーガで実現した肉体の健康でもって富貴長寿を実現しましょうなどという方向にはなっていない。

 

またよく今生で完全な肉体を作り上げ、来世で本格的にクリヤ・ヨーガに打ち込むのだという構想がある。

その延長線上に90歳の老いたブーレ・ババが亡くなると、すぐさま死んだばかりの若者の肉体に乗り換えるという、道徳観やら個人の尊厳やらもぶっ飛ばした世界観での行動が現れる。

 

そうしたことを前提に、肉体の浄化を主目的としてハタ・ヨーガに取り組むことは、冥想修行において、肉体の柔軟性の確保と体内ガスによる意識下の妄想の発生を減少させるなどの狙いにおいて必要なものだと思う。

 

【関連記事リンク】

ハタ・ヨーガからクリヤ・ヨーガへ(カイバリヤから世界平和へ)
90歳のブーレ・ババの肉体乗り換え(長時間サマディーにとどまる道具)
自分だけのためのハタ・ヨーガやボディ・セラピー(流行の癒しの構造)
背骨をまっすぐにする技術(日課への組み込みと継続)

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