アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

平田篤胤の養父篤穏の養生法

2022-11-08 09:59:04 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎エーテル体のイメトレ

 

冬らしい気候になってくると、風邪を引く人が多い。江戸時代の禅者白隠は、70歳となって、冬であっても足袋を履かず身体はぽかぽかと暖かいと語るほど健康を維持できた。

 

白隠は生来多病であったが、青年期に京都の白幽子に軟酥の看法を教えられて、それを行ずるようになってからは、病患を去って気力充実して修行に邁進することができた。気力充実するためには体力の裏付けがないと何事もなかなか進むものではない。

 

軟酥の法とは白いバターの固まりのようなものがあると想像して、それが、頭頂から手、足の先まで潤し、しみわたると看ることによって身体の健康、バランスを取り戻そうとする方法である。

 

この国学者平田篤胤の養父篤穏の養生法も、肉体そのものでなく、軟酥の看法のようにイメージでもってエーテル体全体に気を巡らすことにより、健康を維持しようとするもの。

 

『①まず仰向きに寝る

②次いで両足を揃えてかかとを押し出すように強く踏み伸ばせ。

③そして全身の気を臍のあたりから、その下丹田、そして腰、脚、足の裏にまで充たす。

④次には指を折って、呼吸を百まで数えるがよい。

⑤呼吸を百数え終わったならば、踏みしめた力を緩めよ。

⑥これを一晩に四、五回続けるのだ。

 

「これを行なえば、元気が全身に充満して、腹中にあるしこりなども消える。どのような良薬も、この術に優るものはないのだ」と養父は服をはだけてその腹を出した。見れば腹力は充実して張って固いことコツコツと音がするようであったとして,この法の効能を篤胤は強調している。』

(古武術と身体/大宮司朗/原書房から引用)

 

篤穏は84歳の長寿であったという。篤穏の方法には、保息があるところが特徴。効果の遅速についての言及はない。これは、彭祖の長命法をイメージさせるところがある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

禅僧山本玄峰

2022-11-08 09:55:06 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎戦中戦後の首相の相談相手

 

山本玄峰は、終戦勅語の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・・・」の文句を授けた人として知られる。

 

彼は、捨て子として出生。若くして失明しかけたのをきっかけに、四国遍路中に寺のお世話になり、その後必死に修行して開悟。

戦中も戦後も要人の相談相手であって、妙心寺派管長までやった。血盟団事件の井上日召と、武装共産党のリーダー田中清玄の二人を帰依させたことでも知られる。

 

ところが、ダンテス・ダイジの山本玄峰評は辛い。昭和36年山本玄峰は、辞世として「これで浮世狂言も終わりだ」と言って、自分で息を止めて臨終したが、終わるはずもない浮世狂言が終わるとは、これこそ浮世狂言ではないかと喝破している(アメジスト・タブレット・プロローグP113)。

 

浮世狂言のある世界と、そもそも浮世狂言のない世界がある。浮世狂言の終わりとは、浮世狂言のない世界に居ることだが、迷いである浮世狂言のある世界と、悟りである浮世狂言のない世界は、パラレルにあると言えるし、ないとも言える。

 

また悟りだけがあるのではなく、迷いがあっての悟りということもある。

 

それはさておき、自分で息を止めて臨終とは、自殺ではないのかとか、禅の指導者がそれでよいのかなど、長年ひっかかっている部分ではある。もっとも中川球童は山本玄峰の介護をしていたともいう。

 

老禅僧といえば、100歳でかくしゃくたる趙州だが、老いさらばえた山本玄峰も老禅僧。これもひとつの公案、立派な禅僧でも介護を受けねばならないのか。

 

禅宗全体として戦中は軍部を支持、その頂点近くに山本玄峰がいて、出口王仁三郎はその期間牢獄に居て軍部とは無縁。

 

もっとも終戦勅語の草案者と言えば、陽明学者の安岡正篤であって、彼もまた歴代首相の相談相手だった。

 

ネットで政治を見ていると、後だしジャンケンのように、ともすればいかにもその時点ですべての環境、条件が判明していて、判断するだけのように見えるが、そうではなく、出目のわからぬ博打を打っているようなものである。世間的には無謬とされる官僚群を率いて、インテリジェンス弱く、米ロ中の狭間で苦悶しつつ、コロナで追い込まれつつでは、首相も誰かに相談したくもなるのだろう。

 

世間では、世論が正しいと思われているが、軍事教育、愛国教育を一切やってこなかった日本では、まともな外交感覚の人は極めて稀れであって、マスコミもほとんど中国批判をしないので、それも世論の歪みを形成している。まことに今の人心は、マスコミと教育をとればほとんど残らないということがネット世論を見ただけでもわかる。

 

世論が信じられないということは、自分の考えが信じられないということだが、我々はそういう情報環境あるいは巨大なマインド・コントロール下で生きているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮崎奕保禅師の悟り

2022-11-08 09:51:36 | 只管打坐neo

◎ものは一つだと体が覚える

 

宮崎奕保(えきほ)禅師は永平寺の住職もなさった方で、先年108歳で亡くなられた。江戸期以前は当たり前だったが、昨今の僧としては珍しく生涯不犯。若い時分の結核のために片肺を失ったまま長寿の人生を過ごした。

 

NHKの方の素人丸出しのインタビューに答えて言うには、

『---禅師様が、悟りの境地にあると初めて気づいたのは、いつのことでしたか。

 

質問を聞いた宮崎禅師は、しばらく思案した後にこう言った。

 

「それは蓄積や。何かの機会に、ものは一つだと体が覚える。『般若心経』にもそう書かれておるけれど、言葉で分かっても、体では分からん。(悟りというものは)体が自然に体得するんや」』

(坐禅をすれば善き人となる/石川昌孝/講談社から引用)

 

禅問答なら、間髪を入れずに答えるが、ここは素人向けに時間をとって言葉を選んだ。

 

宮崎奕保禅師は非常に坐禅をした。宗派を問わずたくさん坐れる人は本物が多い。開悟した機縁を語っても何の益にもならないと見たか、ここは蓄積と語った。

 

坐って何かが蓄積することを言う。蓄積するとそれを体得することに近づくのだろう。それで、坐れ、只管打坐しなはれと言っている。

 

この本には宮崎禅師が印可されて印可状を回覧された話は出てきたが、何故印可されたかは何も書かれていなかった。

 

坐れば何かが蓄積して悟りに近づくとは、功利的なもの、自分にメリットがあることしかしない人向けの、いわば情けない説明である。冥想すれば何かが起こるなんて期待して坐ってはいけないが、そう説明して、水を向けなければならないほどに、自分を含め腐った人が多いということを、肝に銘じたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柔軟体操

2022-11-08 06:43:43 | Overview of the meditation 冥想の全体像

◎【第四章】冥想の準備

◎1.柔軟体操

 

肉体の柔軟性への配慮がなければ、ノイローゼ(神経症)等に起因する病気にかかりやすい。

次のようなもので自分がそれをすることにより調子が良いと思うものを行う。

⑴ラジオ体操

⑵太極拳

⑶八段錦(太極拳の一種)

⑷ハタ・ヨーガ

通常10種類程度のアサナで十分。

屍アサナ、前屈、コブラ、魚、ねじり、弓、

首立ち、スキなど。

⑸インディアン体操

⑹その他 

 

これは、もともとの出典は、ダンテス・ダイジの冥想道手帳。これをやるこつは、『しみじみとやること』。

ダンテス・ダイジ曰く、『肉体的柔軟への配慮がなければ、禅病にかかりやすい。肉体以前の霊的柔軟さを自覚していないのなら、柔軟体操は役立つ。』(冥想道手帳から引用)

 

禅病とは、禅僧白隠が罹患して軟酥の観で全快させたような病気のこと。

 

私も40年ほど毎朝柔軟体操をやり続けているが、筋力のやせ・低下が顕著になり、以上のようなメニューのみでは足らないことを自覚している。若い時から言われてはいたのだが、特に只管打坐のように不動の姿勢を求められる冥想では、特に筋力は必要なものだ。山本玄峰宮崎奕保らは長寿だったが晩年は坐禅するのが大変だったらしいことを読んだことがある。

 

そこで菊池和子先生の『きくち体操』は老人向けに秀逸なものと感じている。まだ初めて三か月も経っていないが、着実に筋力増加とそれに伴う血行の増加というものを感じている。老人の生活では、フレイル(虚弱)とサルコペニア(筋力低下)が常に問題となるが、『きくち体操』は、人はどのように健常者が老化による前傾から転倒、寝たきりになっていくかを知悉し、そこから逆算して寝たきりにならないためにどの筋肉を鍛えるかをメニュー作りしている印象を受ける。

 

世にストレッチ系の体操は多いが『きくち体操』の特徴は、すべての動作を『意識してやる』、『動かす部位を見る』『脳と筋肉をつなげる』という点。どうも認知症になると号令をかけても動作を号令どおり行ってくれないことから、『脳と筋肉がつながらなくなれば』、『きくち体操』もお手上げで、筋肉回復できないらしい。

 

『脳と筋肉をつなげる』という点では、(初心者意見だが)どこが脳と筋肉との結節点かと言えば、臍下丹田のように感じる。

奇しくも『しみじみとやること』は、きくち体操でも意識されており、きくち体操では、体操中に音楽を聴きながらとか、おしゃべりしながらは禁止している。

またダンテス・ダイジの柔軟体操でも手脚屈伸など動かす際に、同時に息を吸ったり呼いたりする部分もあり、いずれも実は単純な肉体動作ではない。

 

以上により、若い人は、冒頭の6メニューで十分だが、50歳以上はきくち体操も追加が必要だと思う。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする