アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

OSHOのヴィパッサナー-4

2022-11-10 10:39:12 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎取扱注意が必要な呼吸覚醒

 

ダンテス・ダイジの『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』の呼吸法の分類は3種類であって、(1)基本呼吸法(2)完全呼吸法(丹田呼吸法)(3)片鼻呼吸法を挙げている。もう二つ挙げるとすれば呼吸が無いようなのと、呼吸を意識しない=自然に任せるのがある。

 

これらは肉体レベルの呼吸のことだが、エーテル体レベルの気・プラーナの呼吸のことを言う場合もある。勿論肉体レベルの呼吸であっても、気・プラーナの呼吸が伴っていないことはないのだろうから、肉体レベルの呼吸とエーテル体レベルの呼吸を別のものとすることに意味があるかどうかは疑問である。

 

さてヴィパッサナーの中心技法である呼吸を見守るという技については、ダンテス・ダイジは呼吸法としては挙げていない。ダンテス・ダイジは冥想の前段階の下ごしらえとして呼吸法を挙げているのであって、本番としての呼吸を見守る技についてはその著書では触れていない。

 

ダンテス・ダイジが呼吸覚醒をメインの冥想法として挙げていないことには、帰神(神降ろし、憑依)をメインの冥想法として挙げていないことと同様のある種の意図を感じさせられる。つまりこの2種つまり呼吸覚醒と帰神は現代人にはフィットしない冥想なのではないかということである。

 

現代人にフィットしない冥想法として、他に積善陰徳のカルマ・ヨーガや、バクティ・ヨーガもあるのだろうと思うが、これは迂遠であるというような特性があるためではないか。

 

迂遠と言っても、スピーディなのは、只管打坐だけであって、ハタ・ヨーガもクンダリーニ・ヨーガも迂遠だから、只管打坐以外は、皆迂遠とも言えるように思う。ただし窮極に至る手法としては、迂遠なのも否定されることはない。個人のキャラクターに応じてオールド・スタイルなのが最適の場合があるだろうし。

 

一方OSHOバグワンは、ヴィパッサナーの第一の方法は、醒めていること、意識化。第二の方法は腹式呼吸。第三の方法は呼吸を見守るとして、3種合わせてヴィパッサナーという位置づけである。

 

OSHOバグワンのもう一つの呼吸覚醒への言及であるシヴァの呼吸法では、「鼻孔で息を見つめよ」のビの字もない。この中の息の全休止こそ呼吸覚醒・ヴィパッサナーの根幹部分なのだろうが、呼吸覚醒法修業の特徴、メリット、デメリット、必要な準備についてなどの説明がほとんどない。ここにOSHOバグワンは、呼吸覚醒を推そうということではなく、様々な冥想手法の品揃えのひとつとして呼吸覚醒を紹介しただけという、いつもの親身でない雰囲気が感じられる。

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OSHOのヴィパッサナー-3

2022-11-10 10:37:00 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎入息出息を鼻の先で見守る

 

OSHOのヴィパッサナーの三通りある方法の第三番目。

 

『そして第三の方法は、息があなたの鼻孔から入ってゆくとき、その入口で息に気づいていることだ。鼻の先端で感じるのだ。腹の対極で、鼻で、息を感じなさい。入っていく息は、鼻孔に一定の冷たさを感じさせる。それから、息が出てゆく・・・・・息が入る、息が出てゆく。これでもよい。

 

これは女性よりも男性にとって容易だ。女性はどちらかという腹を意識している。ほとんどの男性は腹まで呼吸することすらない。彼らは胸を上下させる。というのも、間違った体操が世界中に広まっているからだ。たしかに胸が熱く、腹がへこんでいれば、肉体はより美しく見える。男性は胸でしか呼吸しないため、胸はさらに大きくなり、腹は引き締まる。そのほうが彼をスポーツマンらしくみせる。

 

日本を除いた世界中のどこでも、すべての運動選手とその指導者たちは胸式呼吸に力点を置くため、胸を広げて腹を引き締めようとする。彼らの理想は、胸が大きく腹の小さなライオンだ。ライオンのようであれ---というのが体操選手や肉体に働きかけている人々の規範となった。日本は「広い胸、引き締まった腹」に注意を払わない唯一の例外だ。

 

腹を引き締めるには特殊な訓練がいる。だがそれは自然ではない。

日本は自然な道を選んだ。だから日本の仏陀の像を見れば驚くだろう。それこそ仏像がインドのか、日本のかを即座に識別できる方法だ。インドのゴータマ・ブッダ像は、まさに運動選手のような肉体をしている。胸はとても広く、腹は小さく引き締まっている。だが日本の仏陀はまったく別だ。彼の胸はほとんど沈黙している。なぜなら、彼は腹から呼吸しているからだ。だから腹のほうが大きい。みかけはそれほど良くない。というのも、世界に広まっているこの考え方は非常に古いものだからだ。だが複式呼吸のほうがより自然でくつろいでいる。

 

夜眠っているときには、胸でなく腹で呼吸している。だから夜とはそれほどにもくつろいだ体験なのだ。眠りの後、朝には、とても新鮮で若々しく感じる。というのも一晩中、自然に呼吸していたからだ・・・・あなたは日本にいたのだ!

 

これが二つのポイントだ。腹式呼吸、息の出入りへの注意が体操選手のような見かけを破壊すると恐れるなら・・・・・・・人々は体操選手のような見かけのほうに関心があるのかもしれない。それなら彼らにとっては、息の入る鼻孔のあたりで見守る方が容易だ。見守りなさい。そして息が出る時にも見守りなさい。』

(新瞑想法入門/OSHO/市民出版社P159-163から引用)

 

 

第三の方法は鼻孔のあたりで入息を見守って、また鼻孔のあたりで出息を見守りなさいというものだが、この文章の大半は、第二の方法である腹式呼吸の説明に費やされている。逆に第三の呼吸を見守る方法についてはほとんど説明がない。これで第三の方法のコツも効果もわからないままになっている。第三の方法こそ釈迦の覚醒メソッドのはずだが、ここでもその秘密が明かされることはなかった。

 

第二の方法の説明だが、呼吸において「女性はどちらかという腹を意識している」とは、女性は生まれながらに腹ができている、つまりスワジスターナ・チャクラが使えていることを意識しているのだと思う。オバサン・パワーとはスワジスターナ・チャクラの働きなり。

 

第一の方法は、醒めていること、意識化。第二の方法は腹式呼吸。第三の方法は鼻孔で呼吸を見守る。OSHOは三種同時にやってもよいというが、同時にやることに殊更にこだわることはないのではないか。

 

第一の方法は、最後には眠っている間も醒めているという、ヨーガで一つの到達点とされる境地を意識した奥深いものである。

第二の方法の腹式呼吸も、最後にスワジスターナ・チャクラの開顕となれば、大安心という一つの到達点がある。

第三の呼吸を見守るのも「呼吸による覚醒」という、そのものズバリのメソッドではある。

 

どの方法も窮極へのメソッドだが、このように説明が途中でそれまくるのが、OSHOバグワンの特徴なのだが、「禅」、「禅」と語るわりに、その教えがわかりにくいのは、話題が飛びまくることが、必要以上にいろいろな誤解を生んでいるせいもあるのだと思う。人はどちらでもとれる話を自分の都合のよい方に解釈しがちなものだ。

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OSHOのヴィパッサナー-2

2022-11-10 10:33:13 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎出入する腹への気づき

 

OSHOのヴィパッサナーの三通りある方法の第二番目。

 

『第二の方法は呼吸だ。呼吸に気づくようになることだ。息が内に入ると腹がふくれ、息が外に出るともとに戻る。第二の方法はこの腹に気づくことだ。

 

腹の出入りの動き・・・・・上がり下がりする腹への気づき。腹は生命の源泉にとても近い。なぜなら、子供は母親の生命とへそでつながっているからだ。へその後ろにこそ生命の源泉がある。

 

だから腹がふくれるときには、まさしく生命のエネルギー、生命の泉が息とともに上下している。この方法もむずかしいものではない。おそらく単一の技法であるがゆえに、むしろ容易であるかもしれない。

 

最初の方法では、まず肉体に気づかなければならない。それから精神作用に気づき、感情や気分に気づかなければならない。そこには三段階ある。第二のアプローチでは方法はひとつだ-----。出入する腹への気づき。だが結果は同じだ。腹に気づくようになれば、精神作用は静まり、ハートは静まり、気分は消え失せる。』

(新瞑想法入門/OSHO/市民出版社P159-163から引用)

 

OSHOは、それぞれのボディでそれぞれの呼吸と言う。肉体では酸素と二酸化炭素を呼吸し、エーテル体では、気・プラーナを呼吸する。アストラル体では、感情を呼吸する。メンタル体では想念を呼吸する。

 

ここではそういう観点ではなく、スワジスターナ・チャクラ=丹田呼吸の前段となる、出入りする腹に気づくことで、気分や想念までも調整され始めることを言う。ストレス解消、ヒーリング効果があるということ。

 

つまり呼吸自体はそれぞれのレベルで同時並行に起きるが、丹田へ意識を向けるというのがこのポイントになるだろうか。

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OSHOのヴィパッサナー-1

2022-11-10 10:31:07 | 【エーテル体】【ザ・ジャンプ・アウト-06】neo

◎想念と行動の意識化

 

OSHOバグワンの「シヴァの、宇宙への帰一の方法」としての呼吸テクニックでは、ボディごとの呼吸を分離して取り扱ってはいない。呼吸は呼吸一本であり、エーテル体の呼吸だけが、独立して説明されてはいない。あるボディにおける独立した呼吸についての説明は、意味がないとでも言いたげな説明であった。

更にOSHOバグワンのヴィパッサナーについての説明。

 

『ヴィパッサナ

 

ヴィパッサナは、他のどれよりも多くの人々を光明に導いてきた瞑想だ。それはこの瞑想がまさに本質的なものだからだ。他の瞑想も同じ本質を備えてはいる。だが非本質的なものもまた付随し、異なった形態になっている。しかしヴィパッサナは本質そのものだ。そこからは何一つ落とせず、また改良の余地もない。

ヴィパッサナはとても単純だから、幼い子供でもできる。実際最年少の子供のほうがあなたより上手にできるだろう。

 

ヴィハッサナは、三通りの方法ですることができる。自分に最も適したものを選べばよい。

最初の方法は--自分の行為、肉体、思考、感情に対して気づいていることだ。歩くときには、気づきをもって歩きなさい。手を動かすときには、自分が手を動かしているのを充分に意識しながら、気づきをもって動かしなさい。ややもすると機械的に、意識せずに動かすこともあり得る。たとえば朝の散歩をしているとしよう。あなたは両足に気づくことなく歩き続けることもできる。

 

自分の体の動きに油断なく醒めていなさい。食べているあいだは、食べるのに必要な動きに油断なく醒めていなさい。シャワーを浴びているときには、その冷たさに油断なく醒めていなさい。降り注ぐ水とその大きな喜びに、ひたすら油断なく醒めているのだ。それらを無意識状態のまま起こらせておくべきではない。

 

マインドについても同じだ。どんな思考がマインドのスクリーンを通過しようと、「見守る者」でありなさい。どんな感情がハートのスクリーンを通過しようと、「観照者」のままでありなさい。自己同一化してはならない。何が良く、何が悪いと判断してはならない。それは瞑想ではないからだ』

(新瞑想法入門/OSHO/市民出版社から引用)

 

ここでは、クンダリーニ・ヨーガの基本である。見守る、聞き守るから入り、意識的であれと指図する。そしてその対照と合体することを禁じる。つまり見ている自分を残しなさいということである。観照には見ている自分が必要なのだ。

 

行動や想念の不断の意識化の努力は、平素の労働や就学時にはまずできないだろう。つまり「しまった。今無意識だった。」などと、毎度意識化に向かうことを繰り返す・・・そんなことばかりしていたら、ボヤボヤしているんじゃないと注意されるのがオチだからである。職場や学校でのしっかりした管理者であるほど、そうした意識が仕事や勉強に向いていない人を見分けられるものである。だから本業とは別に瞑想の時間を持たねばならないというのが現実的な動きになると思う。

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それぞれのボディの呼吸

2022-11-10 10:27:35 | 現代冥想の到達点neo

◎気・プラーナの機能

 

肉体では、酸素を吸って、二酸化炭素を呼く。エーテル体では、気・プラーナを呼吸する。アストラル体では、感情を呼吸する。メンタル体では想念を呼吸する。

 

ヴィパッサナーで見つめる息とは、そのどれだろうか。

 

全部?・・・・それでは、この4種は同時に起こるものなのだろうか。

 

シヴァが、宇宙への帰一の方法を問われた時に語った呼吸テクニック。

-1-

光り輝く者よ、この体験は二つの息の間に起こる。

息が入った後、息が出る直前-そこに賜物がある。

 

-2-

息が下降から上昇に転じるとき、

そして再び息が上昇から下降に転じるとき、

この両方の転回を通じ、覚れ。

 

-3-

あるいは、入息と出息が融け合うその瞬間、

そのエネルギーなき中心、

エネルギーに満ちた中心に触れよ。

 

-4-

あるいは、息がすべて出終わり、ひとりでに止まるとき

あるいは、息がすべて入り終わり、止まるとき

そのような全休止において、人の小さな自己は消え去る。

これが難しいのは不純な者のみ。

 

-5-

眉間に注意を集中し、マインドを思考の前に置く。

息の精気をもって身体を満たす-頭頂まで。

そしてそこから、光として振り注がせる。

 

-6-

日常的生活の中で、ふたつの息の間に注意を保つ。

それを実行していけば、数日のうちに生まれ変わる。

 

-7-

額の中央の不可触の息、

それが眠りの瞬間にハートへと達するとき、

眠りを支配し、そして死をも支配せよ。

 

-8-

最大限の献身とともに、息のふたつのつぎ目に中心を合わせ、

そして知るものを知る。

 

-9-

死んだように横たわる。

激しく怒り、そのままとどまる。

あるいはまつ毛を動かすことなく凝視する。

あるいは何かを吸い。そして「吸うこと」そのものになる。

(内なる宇宙の発見/OSHO/市民出版社から引用)

 

まず出息と入息の切り替わる一瞬にそれがある。これが基本。しかしその逆転の瞬間を意識せよなどとはまずいわないのが、このテクニックの眼目。

 

5の息の精気とは気・プラーナのことで、気で身体を満たし頭頂から降り注ぐという観想だとOSHOは説明する。またアジナー・チャクラに集中すると観想が容易になるというこつも披瀝する。白隠の軟酥の観にも一部似ている。

 

7の不可触の息とは、気・プラーナであるとOSHOはいう。死の6カ月前から、それ以前とは逆に、入息でプラーナを摂取しなくなるので、プラーナは流出し始め、その逆転現象が発生したのを見ることで死期を予測できるとも語る。

 

彼は、まさに眠りに入ろうとする瞬間をつかまえて、気・プラーナをハートに送り込めという。その時それが起こる。

 

空気呼吸は肺でする。プラーナの呼吸は臍下丹田(スワジスターナ・チャクラ)でする。この技法では、いわゆる呼吸コントロールとして使っているのは、気・プラーナであるように見えるが、その背後で動いているレベルもあるのだろうと思う。

が、それは意識する必要はなかったり、意識することが邪魔になったりするのだろう。

 

OSHOの説明にもあるが、結局、息とは深いボディから肉体への架け橋であり、より微細なボディとの連結ユニットみたいなものなのだろうと思う。

 

呼吸は無意識に行われているのものだが、かくの如く「それ」への、「未知」への巨大な関門としてそびえ立ってもいる。

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呼吸法のステージ-5

2022-11-10 06:34:15 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎止

 

さて、呼吸法の数息、相随、止、観、還、浄のうち観から後の3段は、見仏(観)から悟った後の聖胎長養(還)、そしてそうした絶対的なものを持って陋巷に暮らす(浄)ことであるように読めた。

 

それでは、悟りを得るには、やはり第三段の止をもう一度参究してみる必要があるだろう。

 

大安般守意経の止の説明では、数息、相随、止、観、還、浄ともすべて呼吸は鼻から出入りするので鼻にこだわりがあるのであるとする。(意識の中心は)鼻にあって止することもあれば心にあって止することもある。

 

このこだわり・執着のあるポジションで止としている時に邪念が兆して意が乱れたならば、呼吸法に打ち込むことで(直ちに一事を観じ)、諸悪念が起こっても心は動じないものの、心は(その乱れの起こることを)恐れるに決まっている。

 

つまり止なる定が鼻で起こる、心で起こるなど気にしてはいけないということだろう。

 

入息至り尽せば鼻頭止なり、とあり、入息の終った時には悪念は兆さない。しかし、出息至り尽せば鼻頭にこだわり、悪念が兆しはじめるとする。

この手の呼吸では、出る息は意識してやれば、入息は気にする必要がないなどと説明をされるものだが、出息の終りこそが、ピンチとなることがわかる。

 

これは鼻頭止に限った注釈だが、肝心の息心止の説明がないようだ。

 

「問う。第三の止は何を以ての故なりや。

止は鼻頭に在りや。

報う。数息、相随、止、観、還、浄を用いるに皆鼻より出入す。

意習う故に処また識り易しとなす。

この故に鼻頭に著けるなり。

悪意来れば断つを禅となす。

ある時は鼻頭に在って止す、ある時は心中に在って止す。

著する所あるを止となせば、邪来りて人意を乱さば、直ちに一事を観じ、諸悪来るも心は当に動ずべからずも、心は之を畏れずとなさんや。」

(釈尊の呼吸法/村木弘昌/春秋社から引用)

 

「止に四あり。一には数止、二には相随止、三には鼻頭止、四には息心止となす。

止とは五楽六入を制止すべきものなり。

入息至り尽せば鼻頭止なり。

謂く悪復た入らず、鼻頭止に到る。

出息至り尽せば鼻頭に著く。

謂く意復た身を離れず、行い悪に向うが故に鼻頭に著す。」

(釈尊の呼吸法/村木弘昌/春秋社から引用)

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呼吸法のステージ-4

2022-11-10 06:31:29 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎還

 

大安般守意経における呼吸法の6バリエーションのうちの第五である還。

 

「還は尚有身亦は無身なり。

何を以ての故に、有意は有身、無意は無身なり。

意は人の種なり。

是を名付けて還となす。

還とは意にまた悪を起さぬことをいう。

悪を起せば是を不還となす。」

 

意は人の種だということならば、個別性のない無身から個人たる有身になることを有意とし、有身とするということ。

 

これを還と呼ぶとは、親鸞のいう往相「還」相と同義であり、ニルヴァーナからこの世に帰還することを「還」と呼んでいるのだと思う。

 

意に悪を起こさぬ個別性はコーザル体レベルだろうが、そうなるのはなかなか難しい。仏に出会うか、仏に作(な)るか、どちらかでしか意に悪を起こさぬなどという芸当はできるものではない。

 

ここで還が出てくるということは、この前段の「観」で究極にワンタッチしないと還はありえないという組み立てになっているということになる。

 

これによって、後半の三段である観、還は、それぞれ、悟り、個別性(人間への回帰)であり、その感動を持ちながら生きるのを浄と名付けたように見える。つまり後半の三段はほとんど呼吸法には見えないのだった。

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呼吸法のステージ-3

2022-11-10 06:27:55 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎観

 

大安般守意経における呼吸法の6バリエーションのうちの第四である観。

 

「観。息の敗るるを観ずる時、観と身体と異る。

息は因縁ありて生じ、因縁なくして滅す。

心意、相を受くるとは、謂く意、所得あらんことを欲す。

心に因縁を計るに、会うて当(まさ)に滅ぶ。

便ち所得を断って復た向わず。

是を心意、相を受くるとなす。」

 

この観は、観行つまり観想法の意味で用いられているのか、それとも見守る、見ているの意で用いられているのかと言えば、後者のようである。

 

この前段の「止」の説明に「便(すなわち)ち出入の息を察して敗を見れば便ち相を受けて生死を畏(おそ)る」とあるが、「相を受ける」とは、この世界、宇宙、時間全体を一望のもとに見渡すことを言っているように思う。その直観は向こうから来るので、「相を受ける」という受動で表現しているのではないか。

 

こうした全体観が起これば、生死の本質を畏怖せざるを得なくなる。これがこの説明文の

「息の敗るるを観ずる時」であって、こうした全体観が起こるのは、まだ見ている自分がある状態を謂うということだろう。

 

息はメカニズム(因縁)によって生じ、息はメカニズムなどないままに滅す。なるほど息と息の間では滅している。

 

そして観には二種並行してあることを言い、一つには、出息・入息を観じることであり、もう一つは五陰(五蘊)のメカニズム(因縁)を観じることである。これが倶観。出息・入息を見つめながら、世界を見守るというところか。

 

また意と意がお互いに観じ合うべきであるとする(意相観)。これを行う動機には2つある。まず第一に悪を断って道を念(おも)うこと。第二には、世俗の感覚的な刺激(五楽・六衰)についての欲望を断つこと。

 

そこで観とは身体を観ることだとはいえ、息をするのも意(こころ)、息を見守るのも意であるので、ここに意意相観が起こるというところだろうか。

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呼吸法のステージ-2

2022-11-10 06:25:43 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎浄

 

大安般守意経では、仏に六潔意あり、数息、相随、止、観、還、浄、この六事はよく無形を制する。また数息、相随、止、観、還、浄にして、三十七品を行ずれば、仏になれるとある。(※三十七品とは、仏説禅行三十七品経の修行法で、四聖諦、八正道などを説く)

 

無形を制するのも仏になるのも同じような意味だから。「止」の段階まで行っても、更に

観、還、浄が必要だと、この経典ではいう。

さて、止の段階以後も観、還、浄は、ステップとして並べられているのだろうか、それとも並列の冥想法として並べられているのだろうか。

 

まず浄は、究極を指すのだろうか。

 

「何等かを浄と為す。謂く、諸の所貪欲を不浄と為す。何等をか五陰相となす。譬えば火を喩えて陰と為し、薪を相と為す、息より浄に至るを、是れ皆観と為す。謂く、身を観ずれば相随、止、観、還、浄はあることなしとす。」

 

つまりあらゆる自分勝手な欲望(貪欲)が不浄なのであって、それがないことが浄だと謂う。これは随分単純な表現だと思うが、つまり浄は究極を指す。そして、息から浄に至るプロセスは皆これを観であるとする。

 

ここでは火を=不浄の現れた相(五陰相)にたとえ、薪をその原因である貪欲にたとえる。そして身=肉体の不浄であることを直観し徹底すれば、相随、止、観、還、浄などの修行も要らないという意味だろうか。

 

あるいは身という言葉を、有身、無身という表現の総称であるとみれば、無身は仏であり、有身は人間であり現象全体ということなのだろうから、ここは仏も自分もふくめた現象世界全体を観ずれば、呼吸法の修行など要らないという意味になる。

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呼吸法のステージ-1

2022-11-10 06:23:22 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎岩にしみ入蝉の声

 

呼吸法と言っても、大安般守意経を見ると、呼吸のやり方そのもののバリエーションはあるが、坐(冥想)も行じるし、行動や思念において悪を行わないという基本原則もあり、悪行三昧の中で呼吸法だけやればよいというものではない。

 

最初は数息をやるが、数息では四禅まででせいぜいで、それからは呼吸を見つめる冥想に切り替えるようである。数息では入息は短く、出息は長くというが、冥想の深まりと同時に呼吸はだんだんないようになって行き、呼吸の間隔も長くなるものだから、深まっている時でさえ「入息は短く、出息は長く」と意図するものかどうかには疑問がある。

 

最終段階では、やはり呼吸が止まる状態というのがあるのではないだろうかと思う。

 

大安般守意経では、まず数息、相随、止、歓喜と4ステージで進むとある。

相随とは、心の動きが息の出入りに従うのを内観すべしとあるので、そのことをいうのだと思う。

 

止とは、定に入ることをいうのだと思うが、まだ自分が残っている状態で、出息入息の念もなくなって、定にはいる。三昧ではない。

 

※芭蕉の山寺での一句

 しずかさや 岩にしみいる蝉のこえ

  (閑さや岩にしみ入蝉の声) 

 

歓喜とは、気持ちのよい快適な感じで、これが残っているからには四禅以下の段階ということになる。釈迦も歓喜まででの段階では力不足と指摘する。

 

ただし釈迦は四禅から涅槃に飛び込んでいったけれども、だからといって、これから先に何か特別なもの、高い段階があるという邪心を持っては難しいと思う。

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釈迦の呼吸によって至る境地

2022-11-10 06:20:24 | 冥想アヴァンギャルドneo

◎呼吸の効果

 

雑阿含経に、釈迦が弟子に向かって語るには、

3カ月出息を念じてみたところ、入息、出息、長息、短息などの呼吸法をいろいろやってみて得るところが多かった。

 

これによって最初は粗い境地であったものが、更に微細な境地に長い期間入った。これを見て美しい三神霊がやってきて「この境地は、死期が到来したとか、不死が到来したとか、聖者の寂静の境地だ」などとそれぞれに異なる批評をしたものだ。

 

釈迦は、この境地は聖住、天住、梵住、学住、無学住または如来住というべきもので、修行の途中にある人にとっては、呼吸法によって至らざる所に至ることができ、また既に覚った人にとっては、呼吸法によって法を楽しむことができるというものが「呼吸法」の実際のところであるとした。

 

呼吸法といえば冥想の準備である数息や、ヨーガの完全呼吸法などを思い浮かべるものだが、そういったものも含めて、出息入息をひたすら見つめることまで、すべての呼吸にまつわる体系のことを指して釈迦は「呼吸法」と呼んでいる。

 

釈迦自身がこのメソッドで悟ったという話があるからには、無視できない分野として更に調べてみたい。

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預流果から阿羅漢果

2022-11-10 06:18:00 | クンダリーニ・ヨーガneo

◎ノーリターン・ポイント

 

上座部仏教における修行の最上位には4段階ある。平たくいえば、

 

1.預流果

 7回転生すれば、悟りを得るレベル。

 

2.一来果

 一回転生すれば悟りを得るレベル

 

3.不還果

  欲界には再び還らず色界に上って悟るとは、もう一回転生を必要とするレベルの後半くらいの意味か。不退転であるレベルとはノーリターン・ポイントである。

 

4.阿羅漢果

  今生で悟って、二度と再転生しないレベル。

 

全体としては、輪廻して悟りに近づくという世界観なので、クンダリーニ・ヨーガ型である。ヴィパッサナーとは、クンダリーニ・ヨーガ型世界観を前提とした修行体系なのだろう。

 

7回転生すれば悟りを得るレベルとは、地球での転生を選ぶ人間は皆、7回転生後の悟りがセットされたコースだという説もあり、一概に預流果だから悟りに近いなどとは言えない。みんなが預流果からスタートしている可能性はあると思う。

 

阿羅漢果ならば転生しないのは、マンツーマン輪廻説であって直線型の輪廻転生が念頭にあるのだろうが、一人の人間が本当に直線型の転生ルートをたどるのかどうかは、現在の世界人口70億の霊魂が過去も70億本の輪廻転生ルートをたどってきたかどうか確認できないと確たることは言えない。世界人口が過去70億だったことはないのだから。

 

そして何より、現代人には、転生しないということの意味が心に響かない。転生のないキリスト教はどうするんだということもある。

 

今の時代では、二度と転生しないことを関心の焦点にするのではなく、クンダリーニ・ヨーガ型の悟りの本質がニルヴァーナへの突入だったと認めてそれが日常生活とどう関係するのか再評価することのほうが、説得力があるのではないか。一見関係ないけど、それが涅槃、ニルヴァーナ、天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)というものではないだろうか。

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呼吸法(プラーナ・ヤーマ)

2022-11-10 03:47:59 | Overview of the meditation 冥想の全体像

◎【第四章】冥想の準備

◎3.呼吸法(プラーナ・ヤーマ)

 

3.呼吸法

 

只管打坐にはそれに適した呼吸があり、クンダリーニ・ヨーガにはそれに適した呼吸があり、丹田禅にはそれに適した呼吸がある。坐相は、その精神状態に対応した坐相となるように、呼吸も坐に対応した呼吸法がある。

それを踏まえ、以下(1)~(3)は冥想の準備として単独の呼吸法として挙げてみる。

 

⑴基本呼吸

充分にからだを柔軟にして、姿勢を気にすることなく、鼻から一杯に大気を吸い込む、大気が一杯に身体に充満したら、そのまましばらく呼吸を止めて、全身の力をすべて抜き、心を気海丹田の中心に置く。

 

それから大気を口から、どこまでも眺めるようなつもりで吐き出す。しみじみと、静かに、完全に身体の中の大気がからになるまで吐き出すのである。

 

⑵完全呼吸

ハタ・ヨーガの完全呼吸と同じ。

 

①意識を丹田(へそのやや下)において腹をひっこめ、息を十分に吐きだす

②1~2秒息を止めてから、腹の力をゆるめる。すると自然に鼻から息が入り、腹が少しふくれる。

③胸を広げ、まず胸の下部分に息を入れ、次に真ん中とだんだん上方に息を入れていき、最後に肩を上げ、胸の上部にまで一杯に息を入れる。息が胸に滿ちるにつれ、腹は自然に少し引っ込む。意識は、息で膨らむ部位とともに上へ上へと位置を変えていく。

④しばらく息を止め、やがてゆっくり息を吐く。まず腹がすぼまり、次に胸の下部、中部、上部とすぼまりながら、完全に吐く。 意識をすぼまる部分にそって移動させる。

 

⑶片鼻呼吸

ハタ・ヨーガにおけるイダー・ピンガラーの呼吸法と同じもの。

この呼吸法では、激情、興奮は禁物である。

①右手の人指し指を眉間にあてる。(口も閉じる)

②十分に息を吐き出してから、右手の親指で右の鼻孔をふさぎ、左の鼻孔から完全呼吸法と同じやり方で息を吸う。

③吸い終えたら中指で、左の鼻孔もふさぎ、息の出入りを止める。

④苦しくない程度に息を止める。(保息=クムバカ)

⑤右手の親指を外し、右の鼻孔からゆっくりと完全呼吸法と同じやり方で息を完全に吐く。

⑥右の鼻孔から、完全呼吸法と同じやり方で息を吸う。

⑦吸い終わったら、右の鼻孔を右手の親指でふさぎ、息の出入りを止める。

⑧苦しくない程度に息を止める。(保息)

⑨右手の中指を外し、左の鼻孔からゆっくりと完全呼吸法と同じやり方で息を完全に吐く

 (②へ続く。)以下吐息・吸息・保息の繰り返し。

 

⑷題目、念仏、マントラなどの声をあげての読唱も一種の呼吸法としての作用がある。

 

(5)ヴィパッサナー

これは単独の呼吸法ではなく、呼吸を見つめる行を中心とする冥想法の複合体。釈迦がこれで大悟したと言われる冥想法ではあるが、危険度も高いので、安易に取り組むことには慎重に。

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