「アッシジ(Assisi)」で見るべきものは、「ポルツィウンコラ(Porziuncola)」であるとたびたび述べてきましたが、それでも、「アッシジで一つしか訪れることができないとしたら、どの場所を選びます?」という質問をされたら、即座に「サン・フランチェスコ大聖堂」と答えるでしょう。やはり、アッシジを代表する建物は、「サン・フランチェスコ大聖堂(Basilica di San Francesco)」であることには間違いありません。
2011年10月27日、ローマ教皇「ベネディクト16世」は列車でローマを出発し、アッシジに到着後、「サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会(Basilica di Santa Maria degli Angeli) 」に赴き、講話を行う予定です。「真理の巡礼、平和の巡礼」と名付けられており、「世界平和と正義のための考察、対話、祈りの日」となるそうです。1986年10月27日から25週年になることを記念したいというベネディクト16世の意向によるもののようです。
帰郷したフランチェスコは、1206年、「サン・ダミアーノ教会(Chiesa di San Damiano)」の十字架から「早く行って私の壊れかけた家を建て直しなさい。」との声を聞き、教会の修復を始めます。次第に互いを兄弟と呼ぶ同志が増えていき、「小さき兄弟の修道会」(Ordo fraterorum minororum)と名乗ることになります。
((23)クララ修道会の修道女たちの最後の別れの挨拶)
フランチェスコは死期が迫っているのを知ると、弟子の修道士たちにポルツィウンコラに自分を運ばせます。1226年10月3日、ポルツィウンコラの裏の「トランジト礼拝堂(Cappella del Transito)」でフランチェスコが亡くなると、その亡骸は、木の枝に載せられて、アッシジの町に運ばれます。アッシジの町では、キアラや他の修道女たちが待っていました。
「ファヴァローネ・ディ・オフレドゥッチオ(Favarone di Offreduccio)」とその妻「オルトラーナ(Ortolana)」の娘として、アッシジで生まれた「キアラ(Chiara、クレア(Clare)、クララ(Clara)とも)」は、フランチェスコの活動を知るようになります。18歳になると(1212年)、キアラは家を出て、フランチェスコの力をかりて、信仰生活に入ります。キアラは、聖フランチェスコに最初に帰依した者の一人であり、フランチェスコ会の女子修道会「クララ会(清貧の女性修道会)」の創始者ともなります。