その時代に、生まれた場所はみなローマではありませんが、ローマに惹きつけられてローマで活躍した3人の天才が現れます。画家のカラヴァッジオ(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ、Michelangelo Merisi da Caravaggio、ミラノ(北イタリア、Milano)生まれ)、彫刻家のベルニーニ(ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ、Gian Lorenzo Bernini、ナポリ(南イタリア、Napoli)生まれ)、建築家のボッロミーニ(フランチェスコ・ボッロミーニ、Francesco Borromini、Francesco Castelli、ビッゾーネ(現スイス、Bissone)生まれ)です。
この3人の作品を1日で鑑賞しようとするならば、「ナヴォーナ広場(Piazza Navona)」に行ってみるのもいいでしょう。広場の中央には、4つの大陸を流れる大河、インダス川(アジア)、ナイル川(アフリカ)、ラプラタ川(南アメリカ)、ドナウ川(ヨーロッパ)を擬人化した彫像4体がオベリスクの周りに配され、噴水となっている「四大河の噴水、Fontana dei Quattro Fiumi」があります。この彫像は、ベルニーニによって造られたものです。
ローマ帝国でキリスト教が公認されたのは、313年です。ユダヤ教のラビ(宗教的指導者)であったナザレのイエスが形式主義に陥ったユダヤ教から離脱し、弱者の救済を訴えて布教活動を展開し、ユダヤ教徒との対立を生み、処刑されて亡くなります。紀元30年前後の頃だったと言います。イエスの教えは、やがてユダヤ人を離れ、ユダヤ人以外の中へと広がっていきます。2~3世紀になるとローマの都市生活者の中にキリスト教の信者が増えていきます。ローマのアグネス(アニェーゼ、Agnese di Roma)は、291年にローマの上流階級のキリスト教徒の一家に生まれます。
アグネスは聖人に叙せられ、聖堂が建設されます。それが「聖アグネス聖堂(Chiesa di Sant'Agnese、チエーザ・ディ・サンタニェーゼ)」です。アグネスの骨はローマのサンタニェーゼ・フオリ・ラ・ムーラ聖堂(Complesso monumentale di Sant'Agnese fuori le mura「壁の外の聖アグネス記念堂」)に、頭蓋骨はアグネスの墓があるカタコンベの上に建てられたサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会(Chiesa di Sant'Agnese in Agone、サンタニェーゼ聖堂)にそれぞれ保存されていると言います。サンタニェーゼ聖堂は、その正面を「四大河の噴水」に向けています。
「サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会」の裏手から東に数分のところに「サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂(Chiesa di San Luigi dei Francesi、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会)」があり、その左奥にあるコンタレッリ礼拝堂にカラヴァッジオによる「聖マタイと天使(San Matteo e l'angelo)」、「聖マタイの召命(Vocazione di san Matteo)」、「聖マタイの殉教(Martirio di San Matteo)」の三部作があります。