POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





タイの反政府市民団体「市民民主連合(People's Alliance for Democracy、PAD)」がバンコクの国際空港、スワンナプーム空港などを占拠したことから、ウタパオ空港が代替空港となり、11月29日から12月3日まで日本への臨時便が就航していました。

しかし、日本への臨時便は、日本航空、全日空、タイ航空、バンコク航空のみしか運航されませんでした。また、日本からシンガポール航空、キャセイパシフィックを利用してきた旅行客は、予約を振り替えることができ、シンガポールや香港で日本行きへの乗り継ぎができました。スワンナプーム空港の閉鎖が解かれても、全日空は12月4日は、成田-バンコク便の953便・954便、バンコク-成田便の915便・916便すべて欠航しました。12月5日は、早朝のバンコク-成田便の954便は欠航の予定です。

全日空(ANA)
NH953便、10:50成田出発 - 16:05バンコク到着(現地時間)
NH915便 17:30成田出発 - 22:50バンコク到着(現地時間)
NH954便 08:35バンコク出発 - 16:20成田到着(現地時間)
NH916便 23:55バンコク出発 - 07:35成田到着(現地時間)


日本航空は、12月6日より、一部の便(703、704便)を除き、定期便の運航の再開を予定しています。JL703・704便は12月20日(土曜日)を除き、12月24日まで欠航するようです。

日本航空(JAL)
JL717便 10:55成田出発 - 16:00バンコク到着(現地時間)
JL703便 16:00成田出発 - 21:05バンコク到着(現地時間)
JL707便 18:45成田出発 - 23:50バンコク到着(現地時間)
JL708便 08:15バンコク出発 - 16:00成田到着(現地時間)
JL718便 22:30バンコク出発 - 06:15成田到着(現地時間)
JL704便 23:30バンコク出発 - 07:15成田到着(現地時間)


アメリカの航空会社、ユナイテッド航空、ノースウェスト航空は、ウタパオ空港から臨時便を運航せず、この航空会社を利用してタイに入った者は、帰りの便をキャンセルして他の航空会社に変更しなければなりませんでした。ユナイテッド航空のアナウンスを載せてみます。

航空券規定変更(対象航空券:2008年11月25日以前のご購入、対象期間:2008年11月25日から12月15日)

(1)すでにご旅行を開始されているお客様
復路について1回の変更が可能です。通常の変更手数料、事前購入制限、旅行適用日、ブラックアウト、最低または最長滞在制限は免除されます。旅程の出発地および目的地を、バンコク以外に変更することが可能です。変更後のご旅行は、元のご予約日から7日以内に完了する必要があります。

(2)旅行開始前のお客様(航空券が完全に未使用の場合)
同一旅程の範囲内では、1回のみ手数料と事前購入制限のかからない変更が可能です。予約クラスの変更はできません。 新しい旅程にする場合は、1回のみ変更手数料免除にて変更が可能です。新しい旅程や、元の規定および予約クラスの条件にあてはまらない旅程変更については、当初より高い運賃が適用となる場合があります。

ご利用便が欠航となった場合、運賃は全額払い戻しいたします。この規定はマイレージ・プラス特典、非公示運賃、オンライン運賃の航空券にも適用されます。


日本への便を運航している航空会社は、他航空の利用者の搭乗も受け付けるようですが、座席に余裕がある場合(自社の予約者がキャンセルするなど)に限るのは当然で、ユナイテッド航空、ノースウェスト航空を利用して日本からタイに来た旅行者には、搭乗券を手にして日本に帰国するにはある程度の期間を要します。バンコクでいまだに足止めを受けているようなのです。

私たちの今回の旅行は、最初チェンマイに入り、チェンマイ(チエンマイ)→スコータイ→アユタヤ→バンコク→プーケット→バンコクと戻ってくる旅程を考えていました。

しかし、2008年8月26日、政府退陣を要求する「民主市民連合」が集会を開き、首相府を占拠、道路を封鎖するなどの実力行動を出て、市民の抗議行動は各地に波及しました。29日には、プーケット国際空港でPAD支持者5,000人あまりが滑走路を封鎖し、同空港は閉鎖に追い込まれました。

約120便がキャンセルとなり、8月31日に空港が再開されるまでに約15,000人の乗客が足止めされることになりました。今回の事態の予兆とも言える事件でした。韓国とシンガポールは不必要なタイへの渡航を自粛する勧告を出し、オーストラリアと台湾は渡航に際して特段の警戒を呼びかけました。

この時点で、プーケットへは行かないことにしました。簡単に封鎖されてしまうようなセキュリティの空港を利用するのはリスクがあると考えたからです。陸路ということも考えないわけではなかったのですが、道路封鎖には対応できません。

今回の政争は、タクシン・チナワット(Thaksin Shinawatra)元首相に端を発していますが、彼はチエンマイの出身です。チナワット家はタイの名家の一つで、広東省出身の客家系の華僑である「丘」家が築いたものです(タクシンの中国名は「丘 達新」)。チナワット家は代々、チエンマイ周辺のシルク産業を独占し、現在は、通信産業へ進出しています。

チエンマイは、タクシンの出身地で、PADが入り込む余地がないので安全だといわれています。交通手段も往路は空路なら問題がないだろうということになりました。しかし、陸路を戻って来なくてはなりません。これも今回の政争が静まるまで行かない方が、子連れなのだから、いいだろうということになりました。2008年2月11日に「「チエンマイへ」日記1 - チエンマイって? 」という記事も書いていたのですが、、、

ソンティ・リムトンクン(Sondhi Limthongkul)という人物がいます。1947年生まれ。中国名を「林 明達」といい、父親は中国の国民党員だった人物で、タイに移民すると中国語の本の印刷事業などを手がけていました。ソンティ氏は、台湾で中国語を、アメリカで英語を身につけ、1973年に帰国し、新聞編集者、雑誌発行などを経て、1983年にタイ字経済紙「プージャッカーン(Manager、経営者)」を創刊しました。

新聞の発刊から携帯電話、通信衛星と事業展開を図りましたが、1997年のアジア経済危機で経営が破綻。1990年にタイ証券取引所(SET)に上場を果たしたマネジャー・メディア・グループ(Manager Media Group Plc、MGR、経済紙の発行元)も会社更生手続きに移されます。

再建されたMGR(その後、民事裁判所は2008年11月19日に破産を宣告)は、2001年の下院総選挙で全社を挙げてタクシン愛国党を支持。2001年、タクシンは首相の座につきます。タクシンとソンティの蜜月時代はしばらく続くのですが、2005年、ソンティ氏は強硬な反首相派に転じ、テレビのトーク番組などで、政権の汚職や権力乱用を激しく批判し始めます。

この動きにチャムロン(Chamlong Srimuang)元バンコク知事らが同調し、バンコク市内で大規模な抗議集会を開催し、2006年4月にタクシン首相を事実上の辞任に追い込みました。2007年12月に下院選挙が行われます(この選挙期間中、私たちはバンコクにいました。しかし、リスクを避けて、すぐにベトナムへと移動しました。結果としては、大きな事件は起こらなかったのですが)。下院選挙ではタイ愛国党の議員のほとんどが移籍した政党「人民の力党(PPP)」が勝利をおさめ、2008年1月には同党を中心にした連立政権が発足します。

これで、タイは安定期に入り、私たちは、タイを周遊できると考えたのですが、、、

最後にこの記事を紹介しておきます。

Today the PAD movement resembles a political cult. Sondhi himself was a former cheerleader of Thaksin Shinawatra but is now a repentant man on a mission to eradicate Thaksin and his proxy from power. This gives him an almost messianic aura and mission. And there are ritual supporters have gone through over the past two years, in order to prepare them for their "final battle".

Never mind if the expression "final battle" has been used many times by leadership - like some born-again Christians who await the Judgement Day, the date can always be re-set to fit the expired deadline. (THE NATION)


         (この項 健人のパパ)

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