ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

蝶の舌

2009年03月22日 | Weblog


昨日の続き
終わりかと思っていたが、「蝶の舌」という映画を忘
れていた。
これは、フランコが台頭する頃の話。
当時の(大戦ちょっと前)スペインの状況には今ひとつ
明るくないので、詳しくは分からないが、共和制が崩れ
軍事政権が確立する頃ということになるのか。
ある村の、少年と自然を愛す老教師の交流を軸に、当時
のスペインの、多分忌まわしい歴史を描くのが主題であ
ると思う。
信条を捨て、わが身を守るためその老教師を最後に裏切
る少年とその一家が、何とも悲しい。
ただ全体では、ちょっと中途半端に終わっている印象を
受ける(例えば老教師と自然の関係など)。

後は、個人的にこのタイトルに反応した。
「蝶の舌」といわれると、どうも官能的なイメージを抱
いてしまうが(そんな暗喩として使うこともあるだろう
が)、何のことは無い口吻のことだった。
蜜を吸うあの器官を「蝶の舌」と言ってるのだ。
確かに、そう言われれば蝶の舌かと思うが、これも文化
の違いだろう。
昆虫好きの多い日本では、そんな「文学的」表現よりも、
機能として捉え、生物的器官の、味もそっけもない「口
吻」という名称で済ます。
機能からすれば、舌と言うより口になるが、そこを敢え
て舌というのが、流石、官能的世界観のヨーロッパであ
る、なんてね。

関係ないが、ヨーロッパでは蝶と蛾を区別して無という
のを聞いたことがある。
日本の場合、自分もそうだが、蝶のこととなるとうるさ
い人間が一杯いるので、その差は明確(それらの人にとっ
ては)。
こういう国も少ないと思う。
これも日本特有の文化であろう。
そして、そういう人間は、「蝶の舌」(口吻の)を肌で
感じた何て経験を大体している。
ヒカゲチョウの仲間は人間の汗が好物で、よく寄って来
るのだ。
むき出しの肌に止まって、その口吻を伸ばし(ぜんまい
状だから)吸うことがよくある。
その時、皮膚はその口吻の存在をじかに感じる。
「キマダラヒカゲ」や「ベニヒカゲ」で過去体験した
が、瞬間ヒヤッとしなんとも奇妙な感覚を味わう。
しかし、そういう時は、存分に味わわせてやる。
やがて満足した蝶は、飛び立っていく。
たまにしつこく纏わりつくのもいるが、そんな時にも邪
険にせず好きなようにさせる、それが我々の正しい振る
舞いなのである(今勝手に考えた)。
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