紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

花、華、はな…その1

2020-04-28 12:58:11 | 日記

                              <倶知安町 三島さんちの芝桜庭園から見た風景>

 

このところのコロナウィルス騒ぎに伴う、緊急事態宣言にいう、三密回避、外出自粛要請を、まじめに守っております。なので自宅でごろごろ、時折ネコと遊んだり、時代劇「鬼平犯科帳」をテレビで見る程度。趣味の写真撮影での外出は、2月の10日の札幌雪祭りが最後。札幌市の雪まつり担当職員がコロナに罹患したと報じられた時、一瞬やばい、感染したかと思いましたが、よく考えたら、発生の感染源と目される外国人とも接触してないし…あれから二月以上経過しても、コロナの兆候もなしで、一安心。

ブログに新規掲載できるネタもなく、このところ古いモノクロ写真を2回取り上げました。モノクロ写真はそれなりに良さがありますが、続けると物足りなさも感じられるので、今回は2週続けてカラー写真を取り上げます。春が来ておりますので春の花を中心に、選んでみました。花と言っても色々ありますので、まずは見ていただいて…

 

☆春の花と言えば、桜と梅ですが…まずは桜から

 


小樽市内の天狗山の「天狗桜」 天狗山は(標高532m)、冬季はスキー場で斜度38~40度を超える中上級者用コースが人気。ここからは、小樽市内はもとより、対岸の増毛連峰や積丹半島も見えるとあって、観光スポットとしても人気が高い。標高が高いだけに、年によっては桜の開花と周囲の残雪が同時に見られることもあります。

 


「北海道庁の八重桜」 雨の日もしっとりとしてまた美しい。
雑誌サーイ・イサラ「桜を撮るコンテスト」優秀賞「雨の日」

 


「桜吹雪」 同じく北海道庁前で撮影。
H23年 さくら芸術文化応援団(レナジャポン)主催 「あなたの桜色コンテスト」 写真部門最高賞「桜吹雪」 
審査員講評:こんな色濃い桜の花びらの動きのある写真は、まるで花火の様です。少女の上着の色ともマッチして、色バランスが素敵です。
東京渋谷の某超高層ビルで表彰式があって、出席しました。宿白代、往復飛行機代(+賞金)は主催者負担でした。

 


「散ってなお、流れとなって、美を競う」 八王子支店在勤時、昭和記念公園で撮影。疎水に散った花弁が集まり、緩やかな流れとなり、渦を巻きながら流れるさまは、水彩画を見ているようでした。

 


H25年 TAMRONマクロレンズフォトコンテスト 入選「水中花」

 

☆芝桜と言えば…
道内では、東もこと芝桜公園と滝上公園の芝桜が有名です。いずれも10万平方m(東京ドーム約2個分)を超える広さがあって、しかも丘陵になっているので、その美しさは、ただただ見事というしかありません。
近年は、倶知安町の「三島さんちの芝桜」が人気急上昇で、東南アジアからのバスツアー客が大勢押し寄せています。

 


滝上公園の芝桜 H18年に、上湧別のチューリップ公園とここ滝上公園の芝桜の見学バスツアーに参加した時の画像です。

 


三島さんちの芝桜 元農業の三島さんが、個人的に開放している芝桜庭園、入園料なし。規模は4000平方mとそれほど大きくはありませんが、なんと言っても残雪の羊蹄山が正面に見えるのが素晴らしい。また、ご自身の居宅もグリーンで統一しており、ピンクと調和していて、美的感覚に優れている。

 


芝桜の中に、白とピンクの芝桜で、羊蹄山を模しており、ここで後方の残雪の羊蹄山をバックに、撮影するカップルが後を絶たない。

 

☆菜の花
本州では2月ころから咲き始めるようですが、北海道では、5月中下旬ごろが開花のピークです。また美瑛・富良野方面では、肥料として畑に漉き込むことが多くて、春から秋にかけて咲いていることがあります。

 


滝川市江部乙町の菜の花畑 歌にある「菜の花畑に、入日薄れ…」(朧月夜)を想像しました。

 


菜の花娘たち H3年から6年まで青森支店に勤務していた折に、管内の横浜町商工会に招かれて、菜の花祭りに参加した折に撮影。当時関東以北最大の作付面積と説明を受けましたが…
江部乙町もそうですが、その年によって作付け場所が変わるので、正確な比較はできないようです。

 


美瑛町のマイルドセブンの丘付近で撮影 菜の花かキガラシか区別がつきませんが、一面黄色でとてもきれいでした。厳密には菜の花とキガラシは若干異なりますが、親戚同士と言うことで、いいかも…

 

☆青春まっただ中の若い娘たち…ジャンプ一番
これぞ花の中の華とかってに私は思っています(笑)。

 


H25年3月江ノ島海岸で撮影 
GG Awardというイオン関連のフォトコンに入賞、横浜ランドマークタワーのホテルペア宿泊券をいただき、その折、江ノ島まで足を延ばしました。浜辺で彼女たち盛んに撮影しあっていましたが、うまく撮れないのか、一眼レフで撮ってほしいとのこと。数十カット撮影したうちの1枚。おへそ丸出しジャンプ、今春看護系の学校卒業の仲良し仲間とか。青春のいい思い出になったかな。

 


美瑛町 神野神野ファームで出会った陽気な娘さんたち、色々ポーズを変えて結構撮りました。

 


「青春バンザ~イ」 H22年9月ボルボカレンダーコンペティション 入選「青春バンザ~イ」
コピーライターによるキャッチコピー「おヘソまで出して思いっきりジャンプしている若い女性たち。はじける青春の1シーンを垣間見る。
東京のボルボ支社で行われた表彰式に出席してきました。入選12点のうち最優秀1点について、スエーデンの本社招待旅行がありましたが、残念なが、そちらは駄目でした。



H26年8月 ニセコ町曽我のミルク工房のひまわり畑で出会った大学&大学院生の彼女たち。3-4回ジャンプしてもらいましたが、何度ジャンプしても、一人タイミングが合わない娘がいる(笑)。

 

今回は、フォトコンテストで入選した作品がほとんどなので、無断転載はご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

 

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モノクロ写真の数々(2)

2020-04-20 11:30:39 | 日記

               <昭和55年当時の旧小樽運河 運河埋め立て論争を経て、昭和61年に臨港線沿いのみ半分埋め立てとなった>

 

前回は、私が中学生のころ(昭和31年~34年)の写真を紹介しましたが、今回はその続きと、旧小樽運河、平成9年に小樽港に入港した空母インデペンデンス号を取り上げ、さらに3回目以降は、平成11年に完成した大型商業施設「小樽マイカル」、赤外写真等ほかを取り上げます。

中学生の頃は、戦後の食糧難からやっと出して、経済が復興から、高度経済成長にまさに移らんとする時期でした。カメラ・写真に興味を抱いたのもそのころで、最初は日光写真がきっかけでした。お祭り等の縁日で売っている日光写真機と画像のもとになる絵の描かれたパラフィン紙を挟んで太陽光に5-6分当てると、出来上がり。

日光写真


中央の箱がカメラ部分、と言っても単なる紙箱 ガラスの窓枠があって、印画紙と、ネタ絵を挟んで、日光にかざすだけ、夢中になったものでした。

 

☆懐かしき中学時代(続き)

 


U君 蛇腹のカメラを持っていますね。

 


こちらのT君も、蛇腹のカメラです。机の上に弁当、果物がありますが、中学卒業式当日の謝恩会があったからです。現在の謝恩会とはかなり異なるかも…

 


前回紹介した中で遠足の画像がありましたが、その時の写真です。60数年経ても、彼女たちの苗字名前は覚えております。左端の子は、山、山…駄目だ、下の名前が出てこん。

 

☆旧小樽運河
明治以降小樽の貿易港としての役割が高まるとともに、沖合に停泊中のの貨物船から荷を陸揚げするために、小樽運河が作られました。大正12年に完成しましたが、日本で唯一の、海岸埋めたて方式でした。全長1140m、幅40mでした。昭和41年に、役割を終えた運河を埋めて、交通渋滞を解消する計画が持ち上がりました。
しかし、市民の間からは運河を守る会が生まれ、10数年の運河論争を経て、臨港線側半分だけ埋め立て、残りの北運河側はそのまま残すことで決着。この間の経緯についてはウィキペディア「小樽運河」を参照してください。

 


旧小樽運河・中央橋から札幌方面を撮影。昭和55年1月撮影、現在観光スポットとなっている「浅草橋」はまだできておりませんでした。画面右端に半分沈んだ船が見えます。メタンガスがぼこぼこ噴き出していて、悪臭がひどかった記憶があります。大学時代、ここの道路を通って学校まで通っておりました。

 


おなじ中央橋から倉庫街を見た画像です。左端のしゃちほこのある倉庫が、現在の運河プラザと小樽博物館(運河館)です。小型ボートの横に大きな平らな船が幾艘も繋がれていますが、これが「艀(はしけ)」と言って動力をもたない運搬船なのです。沖合に停泊している貨物船から、荷を積んで、動力船(タグボート)でここに運んでくるわけです。一度に300トンほどの荷物を運んだと言われています。

 


上の画像のさらに北運河側を見たものですが、当時は倉庫が数多く連なっておりました。これらの倉庫群も現在は半分ほどが取り壊され別の建物となっています。

 


もう少し角度を変えて、海側(右)の建物も取り込んでみました。右奥に見えるのが、北海製缶の工場です。これらの画像は、運河が埋め立てられるというので、東京勤務のおり、正月休みで帰省したさいに撮ったものなんです。もちろんネガカラーでも数本撮影しております。

<参考 カラー写真>


同じ日に、カラーで撮影した画像 右下にわずかですが日の丸国旗が見えています。なので撮影日は、1月の3日頃だったかも…

 

☆小樽港に米艦空母インデペンデンス号(横須賀が母港)が寄港
平成9年9月5~7日米国の航空母艦インデペンデンス号が親善のために、小樽港寄港しましたが、これは米空母による日本の民間港への初の寄港となりました。こののち、平成12年と18年には米空母キティホークが2度寄港している。

 


横須賀を母港とする米国の空母インデペンデンス号は、全長319m、幅40m、搭載機70-90機、兵員3950名、総排水量8万640トンと言われています。

 


艦載機の一部を切り取ってみましたが、戦闘機がずらりと並んでいて、圧巻ですね。

 


船内見学があって、見学者が長蛇の列をなしています。確か事前に希望をとって、抽選で決めたようでした。応募は致しませんでしたが…

 


この画像は、小樽港マリーナです。同じ日に上の画像と連続して撮影しておりますが、画面上段右奥に、インデペンデンス号が係留されています。ヨットが多数陸上にも係留(と言うのかな)されているのが見えます。この平成9年ごろは、マリーナの左側に、大型商業集積「マイカル小樽」が建設されるのです。参考までに、下に画像も掲載しておきます。なおこれらはすべて、桜町の平磯公園の駐車場付近から撮影しております。

 


平成9年9月撮影 JR小樽築港駅は手前の草木に隠れ見えません。マイカル小樽は、中央左手に、建設されます。イタドリの葉(地元ではドンガイという)に隠れていますが…。中央の白っぽい(白飛び)建物は、肥料会社のサイロ群です。

 

次回は、マイカル小樽の開業当初の画像や赤外フィルムの写真を取り上げる予定です。

 

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モノクロ写真の数々(1)

2020-04-12 14:36:22 | 写真

                   <ハノイ日航ホテル前 夕方5時ころには決まってスコールがやってくる H23年6月撮影>

 

このところ、新型コロナウィルスの蔓延で、非常事態宣言やら外出自粛要請が続き、観光都市小樽市内の人出はめっきり減少。カメラを担いで外出する機会がめっきり、というか全くなくなりました。特に高齢者の罹患が多く重症化する例が多いという理由で、家族からも外出を止められています…

過去に撮影した画像の整理とか、フォトコンの応募、あるいはPCゲームをするなどして時間をつぶしています。そんな中、FBを見ていたら、「B&Wモノクロ写真マニア」というサイトを発見。覗いて見てみると、結構面白い。FB友も結構投稿しています。なるほど、これぞモノクロ写真の醍醐味、という画像が続出、早速グループに入れてもらいました。会の規定はかなり厳しく、シェア不可、色の偏り不可等々ありますが…

ともかく数点投稿したところ、1週間で、500件以上の「イイネ」が付いたりしてびっくり。改めてモノクロ写真の良さを再認識。ということで、数回にわたって、モノクロ写真を取り上げます。すでに何かの折に照会した画像も含まれていますが、ご了承ください。

 

☆FB「B&Wモノクロ写真マニア」に投稿した画像から


「このトンネルはどこへ続くのか」  撮影地は蘭越町ですが、国道5号線だったか、道道だったか忘れてしまいました。イモ畑の田園地帯でした。防風、防雪のためのトンネル(シェルター)で、この先が本来のトンネルになります。「B&Wモノクロ写真マニア」に投稿し、1週間ほどで、500件を超える「イイネ」がありました。

 


「君の目も、大きいよ」 二世帯住宅に住む孫3人のうちの真ん中の孫娘、3-4歳のころウイングベイ(旧小樽マイカル)1Fのスーパーイオンに買い物に行った際、不二家のペコちゃんを見つけ、耳に抱き着いて振り返った瞬間をパチリ。この画像にも100を超えるイイネをいただきました。

 


「孫娘2 中学校を卒業]   ペコちゃんに抱き着いた孫娘2です。中学校の玄関前の階段で、卒業生が記念撮影中。それから3年、この孫娘も、今春無事高校を卒業しました。コロナ騒ぎで、卒業式が中止、卒業証書だけをもらうという異例の卒業式となりました。卒業後、外国留学を目指していましたが、今回のコロナ騒ぎで…どうなることやら。

 

さて話は変わって、私自身は小樽出身ではなく、空知管内の雨竜町です。稲作地帯で、石狩川沿いの人口7000人(昭和30~35年ころ、現在は2300人)ほどの寒村でした。中学生時代(昭和31~33年)に、カメラブームがこの町にも押し寄せ、オヤジが大枚はたいて購入したパールⅢ型機(小西六製、後のコニカ)をよく持ち出して、学校でパシャパシャ撮ったものでした。あまり持ち出すもので、後にオヤジが「コニレット」というカメラを買ってくれました。

 

☆親父のパールを持ち出しては学校へ

 


右がオヤジの「パールⅢ型」、左が「コニレット」 パールはセミ判カメラで、一コマ4.5cm×6cmで、16枚撮りのロール紙付フィルムを使います。コニレットは、30㎜×36㎜という変形ライカ判でコニカの専用フィルム(ロール紙付12枚撮り、)です。35mmのフィルムが使えないという難点がありました。なので、もっぱらオヤジのパールを、盗み出しては学校に持って行っておりました。

 


中3の時のクラスメートたち この年の昭和33年の日本シリーズ巨人・西鉄戦は、球史に残る激戦。西鉄ライオンズが初戦から3連敗、あとがない西鉄は、雨で1日延びた翌日から、稲尾投手がなんと4連続登板して、4連勝の大逆転優勝を果たした。この時西鉄の三原監督が漏らした言葉が「神さま、仏さま、稲尾さま」でした。

 


中学何年生のときか不明ですが、弁当箱に注目、当時はアルマイト製の弁当箱で、級友はほとんどが農家の子供たち。米だけは豊富で分厚い弁当箱に、大きな梅干しと漬物くらいが普通。

 


昼休み時間は、バスケットや卓球に興じていました。腰に手ぬぐいぶら下げて、ハンカチ代わりにしていました。かまやつひろしのヒット曲「我がよき友よ」を思い出しますね。「…奴がやってくる 腰に手ぬぐいぶら下げて…♪」

 


中3の時の遠足は隣町の神社の境内、学校から約7-8㎞もあったろうか。画像は卒業アルバムから転載。

 


遠足に行く途中、石狩川の支流である尾白利加川(オシラリカ、雨竜沼が源流))にかかる釣り橋で遊ぶ仲間たち。

 


なんと言っても学校は農家の子供が多くて、田植えや稲刈りの農繁期になると、勤労動員があって、全校生徒が、駆り出されました。

 

☆コ二レットで撮った画像

 


コニレットで撮影 役場の官舎横で遊ぶ、子供たち。現代のような遊び道具がない時代。女の子はままごと遊びが一般的でした。後方に、肥桶用の柄杓(ひしゃく)があるのが笑えます。水洗などない時代、ぼっとん便所の外の蓋を開け、柄杓でくみ取り、肥桶を担いで、肥料として畑に埋める作業は子供の役目でした。臭いし、ウジ虫が気持ち悪いし…

 


道道275号線、雨竜町を突き切るとおりです。真冬ですが、自転車に乗ってる人が…。右が私で、左がT君。35㎜カメラが欲しくて、T君の実家の家業である、豆腐店で豆腐の外販をすることに。自転車の荷台に豆腐桶を括り付け、遠方の農家に売り歩くバイトでした。如何せん当時は道路が未舗装、1㎞走れば、桶の中の豆腐が粉々、結局このバイトは失敗。

次回に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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我流欧州見聞録…余話

2020-04-03 13:13:40 | 日記

                      <パリ8区のエルメス本店 馬の飾り物が…もともとは馬具屋というから…>

最終回の今回は、H5年11月5日(金)から18日(金)までの15日間各国を研修で回った中からの番外ともいうべき、日本と欧州各国との文化・習慣の違いを、いくつか紹介いたします。なお、当時、欧州各国はさらなる統一に向けた最中で、EC(欧州共同体)からEU(欧州連盟)への過渡期でした。

☆車社会の違い

前回のパリ編で道路が車優先(に近い)であることを取り上げましたが、実は車についても考え方に、大きな違いがあるようす。パリのコンコルド広場の中央に立つオベリスク(エジプトの神殿から運んできた尖塔)を見学した際のことでした。私たちが大型バスで、駐車場に入った途端に、「ガッシャ~ン」という大きな衝突音が聞こえてきました。窓から見ると、縦列駐車中の老夫婦が乗ったルノー車が、前後にと、バンパーをぶつけて、隙間を広げて、悠々と走り去っていきました。ガイド氏によると、バンパーはそのためについているもので、衝撃吸収材なんだ、そうです。これには唖然…


凱旋門近くのコンコルド広場中央に立つ「オベリスク」。尖塔の表面に彫られた絵はエジプト古代文字のヒエログリフ。クレオパトラの時代の絵文字です。従来解読不能でしたが、シャンポリオンがロゼッタストーンを発掘して、解読が可能になりました。

もう一つ、ドイツのアウトバーン(高速道)を走行しているときでした。周知のようにアウトバーンは速度上限がありません(制限区域もある)。150、160㎞で走行するのは普通で、逆に最低速度が60㎞と決められている区間もあります。ただし、トラックやバスは最高速度が決められています。
速度の話は、どうでもいいことで、猛烈なスピードで、我々のバスを追い抜いた赤いベンツの屋根を見ると、鳥の糞だらけ。また対向車線を見ると、高級車と思われる車のスモールランプが壊れ、いまにも取れ落ちそうだったり…。要は、日本では高級車はステータスの一部で、ピカピカに磨き抜かれていますが、ヨーロッパでは、車は、あくまでも移動や運送の手段なんですね。
それに欧州のほとんどの国では、車検制度がありませんから、故障による事故は、あくまでも自己責任になります。

 

☆パリの地下鉄事情

パリ市内の移動は何と言っても地下鉄METROが便利。市内を縦横に走り、改札を出ない限り何度乗り換えても料金は均一で、6.5フラン(約120円ほど)。10枚綴り(=カルネ)だと39フラン(約790円)。使用期限がない。なお、現在は通貨単位がユーローなので、詳細は不明ですが…。

ホームに入るときは、日本と同じで自動改札機に切符を入れて通りますが、出るときはノーチェックで、競馬のゲート状の扉の前のステップに体重をかけると、自動的に扉が開きます。乗車中の検札がないので、入場と同時に、切符をポイ捨てする人がほとんど。

無賃乗車も多いようです。足の長い青年が、改札機を股いで、悠々と去ってしまったり、出口の改札機の下から、長い脚を突き出して、ステップに足をかけ扉を開けて、逆入場したり、いやはやルール無視がはなはだしい。


地下鉄車両のドアは、日本のように自動開閉ではない。降りる人がいないと、自分で開けない限り、ドアは開かない。なお閉めるのは自動で閉まります。

改札口でのある出来事。研修で一緒になった同僚O氏と、地下鉄に乗った時の事でした。私が改札機を抜けた時に、後ろのO氏が、突然「ぎぇ~!」。ふりむくと、たすき掛けにしていたO氏のバッグが…、扉に挟まれ、体ごと後方に引きずられて、首を絞められている。ショルダーバッグが邪魔して、引いても扉が動かない。「おお、Oさん、ここで、一巻の終わりか、Oh, My God!」と思った途端、改札機が開いた。後ろから来たフランス人が、切符を投入したのだ。O氏の一言「ああ助かった」。にやにや笑うフランス人に、私が「Merci、 Merci」と何度も礼を言いました。O氏、どうやらポケットにしまい込んだ使用済み乗車券を、未使用と勘違いして投入したのが原因らしい。


無事Passy駅に到着。地下鉄乗車中の出来事。突然車内で、笛とギターの軽快な演奏が始まる。しばらくして仲間の一人が財布らしき入れ物を持って乗客の間を回りお金を求め歩く。フランス人は、見ないふりをしている。
ホームに降りると、乗り換え地下道のあちこちで、バッジ売りや写真売りが商売をしている。私とO氏が乗り換えのため連絡通路を進んでいると、突然「さくら~、さくら~♪」の演奏が鳴り響く。琴の音色をまねているようだ。一見して我々を日本人だと見抜いた眼力に脱帽。つい10FR硬貨を渡してしまった。

 

☆美術館巡り

世界の3大美術館の一つと言われる「ルーブル美術館」に行く予定が…。突然ミッテラン大統領のルーブル美術館視察が決まり、当日は閉館となってしまった。たとえ入館不可得でも美術館の外観や様子だけでも見たいという希望で、早朝行くことに。


正面入り口の前庭にあるピラミッド型の明り取り構築物はよく見かけますね。とにかく寒い朝で、研修生全員の集合写真を撮って終わり。なので同僚のO氏と二人、個人的に「ロダン美術館」に行きました。ところが、入館待ちの客の多いこと。ルーブルが入館不可なので、こちらに回って来た観光客が多いいいためらしい。とくに、警備員のチェックが厳しく、入館までにはかなり時間がかかるらしい。庭園だけ見学できるコースがあって、4FR(約75円)とのこと。庭園だけまわってきました。


彫刻は屋外に結構展示されています。この池は全面結氷、係員が氷のかけらを、カーリングのように飛ばしていました。なお、当時はカーリングなる言葉は、ありませんでした。


ロダンの「考える人」屋外展示だったことを初めて知りました。

さらにもう1カ所、モネの画像が収集されている「オランジェリー美術館」へ、この美術館は、コンコルド広場の一角にあって、睡蓮で有名なモネをはじめ、アンリ・ルソー、ルノワール、マチス、マリー・ローランサンなど有名な画家の作品が所蔵されています。


モネの「睡蓮」の部屋に来てびっくり。「睡蓮」は単作の絵画とばかり思い込んでいましたが、部屋一面、360度が睡蓮の絵です。なおモネの睡蓮は、何作もあって、世界中の美術館が所蔵していますが、パリのここオランジェリー美術館が最大とのことです。


これもこの美術館に展示されているアンリ・ルソーの「ジェニエ爺さんの二輪馬車」です。


モネの「Argenteui=アルジャントゥイユ」題名の意味はよく解りません…、地名なのか?


ルノワールの絵ですが、右側は「ピアノに向かうイヴォンヌとクリスティーヌ・ルローヌ」という題名でした。このほかにも有名な絵がたくさん展示されていますが、機会があれば照会します。

☆最後にパリ市内の大型店に入った時のことを…


ウィンドウショッピングで疲れ、同僚のO氏と喫茶店に入った時のこと。如何せんメニューがすべてフランス語、読めたののは、サンドウィッチとコカ・コーラの二品だけ。さっそく注文。カウンターの奥で、オヤジが7-80cmもあるひょろ長いフランスパンを持っている。ああ先客の注文を…と思っていたら、なんと出てきたのは、フランスパンに切れ目を入れてハムとチーズを挟んだもの。日本で言うサンドウィッチとは全く違う。
入れ歯のO氏は、この硬いフランスパンがかじれず、わたしが食べる羽目に。

 

とにもかくにも、15日間にわたる研修は無事終了しました。なお、ここで照会した事項は、ヨーロッパが変革期にあったこと、また独断あるいは偏見が含まれている可能性もあることを、お断りしておきます。
コロナウィルスで、世間が騒然としている中、皆様方も十分留意されて罹患なきようご留意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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