紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

紅葉撮影ツアーで夕張・富良野・美瑛へ~(3)映画「愛を積むひと」のロケ地へ

2015-10-27 06:00:00 | 旅行

                      <映画「愛を積むひと」の撮影現場となった建物>

 

10月7日(水曜)の紅葉撮影ツアーの最終回は、富良野・美瑛の撮影レポートです。7月7日~9日に、道東撮影ツアーの最終日に富良野・美瑛に立ち寄りましたが、主に富田ファームのラベンダーと美瑛町の青い池が、撮影のメインでした。この時、映画「愛を積むひと」のロケ現場が美瑛町に保存されていることを、新聞報道で知っておりました。時間的に立ち寄るひまがなくて、まっすぐ小樽に戻ってしまいました。

今回の日帰りツアーは、富良野・美瑛については撮影スポットを事前に決めておりません。行き当たりばったりで、ロケ現場だけは寄るつもりでした。ということで、夕張シューパロ湖をあとにして、三笠桂沢湖から、国道452号線で芦別方面に向かいます。途中「三段の滝」を過ぎて、道道135号線(美唄ビバイ・富良野線)で富良野市内に入ります。

夕張紅葉山から富良野までの約80㎞の間には、コンビニも道の駅もありません。ここ三段の滝に唯一トイレが設置されています。滝自体は過去に何度も撮影しているうえ、撮影エリアが狭く何度撮っても同じ画像になってしまいます。なお上記の画像の50mほど下流に滝がありますが、画像のアップは省略いたしました。

富良野市内に入りましたが、前回富良野マルシェ等に寄って撮影してますので、今回は素通りです。富良野鳥沼公園手前から、麓郷方面に向かいます。ご存知のように麓郷は「北の国から」の撮影ロケ地で、五郎の「石の家」や、スキー場のゴンドラをそのまま家に組み込んだ「拾ってきた家」などがあります。今回も麓郷にはゆかず、手前の布礼別で左折して上富良野町に出ました。

先ずは、富良野郊外の鳥沼手前から麓郷方面に向かうと、八幡丘にはいくつもの撮影スポットがあります。平成6-7年にかけて放映されたNHKのテレビドラマ「 春よ来い」で使われた1本の木です。

この道路沿いにはほかにもスポットがあります。以前取り上げた「フェニックス牧場」は北の国からで岩城光一ふんする草太の牧場でした。その後牧場は倒産して(ドラマのことではなく)放置されたままとなって、今回目にしたときには、半倒壊状態でした。またこの先には三好牧場がありました。プロの写真家が絵ハガキにするほど素敵な牧場でしたが、この牧場は造られたシーンで、一時無許可の撮影を禁じるとの看板が建てられたほどですが、今回牧場にあった丘陵は掘り返されて工事中でした。参考までに以前の画像をアップしておきます。

<参考>

 

 テレビドラマ「北の国から」に使われたフェニックス牧場(H15年頃撮影)

三好牧場(H15年頃撮影)、10月7日通ったときには工事中で、赤い屋根の小屋も、木もありませんでした。

 

さて車を進めて、麓郷に入る手前の布礼別交差点付近でいくつかの気になる光景に出合いました。

丁度玉ねぎの収穫の最中のようでした。掘り起こされた玉ねぎが畑に点々と置かれれています。

こちらはゲージに入れられ出荷直前のようです。

さらに進むとひまわり畑がありました。肥料用のひまわりで1週間もすると、畑に鋤き込まれてしまいます。

広大な土地になひまわりが咲いてます。この時2台のレンタカーで中国人らしき観光客がやって来て、とかどかと畑の中に入り込んでいきます。大きな声で畑に入ってはダメですよと注意すると、リーダーらしき中国人が注意を与えていました。

観光客は、何も知らずに畑の中に入り込みますが、靴に付着した細菌類の混入を農家の方は、非常に嫌います。いつぞや新聞紙上にも出ていましたが、美瑛の「嵐の木」の所有者が、立ち入り禁止の看板にもかかわらず畑に入り込む観光客に業を煮やし、塀で囲ったというニュースをご存知の方もおられるかと思います。

しばらく上富良野町方面に進むと、初雪をかぶった十勝岳連峰が美しく見えてきました。

森の中を見ると、民家の煙突から煙がなびいています。周囲の紅葉とマッチし、里の秋を感じました。

上富良野町の郊外のパノラマロードを通って国道237号線に出て、美瑛方面に向かう途中に神野ファームがあります。観光シーズンを過ぎていることもあって、花も観光客もまばらです。

赤いサルビアも近くに寄ってみると、かなり傷んできています。

この神野ファームから国道を挟んで反対側には、嵐の5本の木が見えます。

 

さてここで一旦美瑛町の観光協会に立ち寄ることにします。観光協会で、愛を積むひとの舞台となったセット跡がどこにあるか聞きました。マップに経路を書き込んでもらって…途中まではマイルドセブンの丘方向です。角に看板があって…と教えてもらいましたが、看板を見落としたのか、何度か行きつ戻りつしてやっと、小さな看板を見つけました。

写友が倒れかかった看板を見つけました。

<2015年6月20日全国ロードショー「愛を積むひと」について>

原作は米国のエドワード・ムーニーJr.著の「石を積むひと」。日本で一番美しい村、美瑛町を舞台に移し、夫婦とそこに集う人々の愛と交流の物語。

第二の人生を大自然に囲まれた美しい土地で過ごそうと、美瑛に移り住んだ夫婦、篤史・佐藤浩市と妻良子・樋口可南子。良子は篤史に家を囲む石塀づくりを頼んだが、かねての心臓病で亡くなってしまう。悲しみの篤史のもとに、ある日良子から手紙が届く。次々と見つかる手紙に導かれて、篤史は周囲の人々に関わり、疎遠となっていた娘と再会する…やがて見えてくる希望…

観光協会のチラシから

道路わきの駐車場から砂利道を10分ほど歩くと、1軒の建物に出会う。これが撮影に使われた建物と石塀。

建物は施錠されカーテンが曳かれ、中の状況はほとんどわからない。 

私たち以外にも数組の観光客が訪ねてきましたが、外観だけしか見ることが出来ない。かなりがっかりした様子でした。10分近い砂利道の途中には大型バスが駐車できるほどのスペースが、2か所ありました。なぜ入り口で駐車させ、奥の駐車場を使わせないのか疑問です。足の悪い人や車椅子の方はとても来ることが出来ません。

もう一つ、いかに観光シーズンが過ぎたからと言って、カーテンまで閉め切っては、興味半減です。ロケ現場を観光目的にいかすのであれば、観光客目線で管理・運営してほしいものです。砂利道といい、締め切ったカーテンといい不満の残るものでした。

 

さて最後の撮影スポットは、四季彩の丘です。花の最盛期はとっくに済んでいるはずですが、ここ四季彩の丘は手入れが行き届き真夏と一見変わらないほど鮮やかに咲き誇っています。ただ近寄って一本一本の花を見ると、真夏程のいきいきかんないようです。離れてみる限りは…、それにしても中国、韓国の観光客が相変わらず多いのには驚きです。

十勝連峰の初雪が、さらに花を添えています。

 赤いサルビア身近寄ってみると幾分いたんでいますが…

大型トラクターでコースを回りますが、大きな後方の車輪の外側には1個50kgのオレンジ色の重りが2個、両輪で200㎏の負荷をかけています。さらにトラクターの先端には1個45kgの重りが8個、360㎏に負荷を、トータルで560㎏の重さを加えて、2-3台の客車をけん引します。これだけ負荷をかけないと前輪が浮き上がって、トラクターが丘を登れないそうです。

さて本日の撮影は当初の予定通り順調に進みすべて終了しました。あとは富良野、桂沢湖を通り、岩見沢に出て高速道路で小樽まで帰ります。三笠郊外から岩見沢に出る農道の途中で夕日が沈む瞬間、下記のような画像も撮れました。

 

 

 

 

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紅葉撮影ツアーで夕張・富良野・美瑛へ~(2)シューパロダム湖の枯れ木

2015-10-21 07:15:52 | 旅行

                 <エメラルドグリーの湖面に枯れ木の白が、よくマッチして…>

 

 

前回のブログでは、国道274号線沿いの朝露とモヤに霞む風景等をご紹介しました。今回は夕張滝の上公園の紅葉と清水沢の大夕張鉄道そしてシューパロ湖ダムを取り上げます。撮影時期が10月7日と、紅葉時期としては1~2週間早かったこともあって、山々一面紅葉と言う訳にはいきませんでした。

さて、陽が高くなるに274号線沿いのモヤは和らいできましたが、遠くに見える山々の裾野にはまだモヤがかかり、付近に川があると、川からキリが発生しています。車から出て撮影していても、かなり気温が低いせいか、ジャケットを通して寒さが染み込んできます。夕張紅葉山交差点の15-6㎞手前に「滝の上公園」があります。ここにはいくつもの撮影スポットがあるので、ここでまずは撮影です。

レンガ色の建物は、「滝の上発電所」です。石炭産業旺盛な頃はここの水力発電が、大きな動力源でありました。しかし、今はその役目も終わり、築80年のレンガ造りの建物は、老朽化しています。立て直すにしてはコストがかかりすぎるし、取り壊すにしても壊せない状況にあるといいます(河川法上の諸問題等)。現在は北海道炭鉱遺産に指定されています。

夕張川をまたぐ公園内の赤い鉄橋の上からは「千鳥ヶ滝」が望めます。長い年月を経て流れが侵食した渓谷、奇岩はいつ見ても写欲が掻き立てられます。モヤが晴れず、とても寒く、本来であれば、この鉄橋を渡って対岸に出たいところです。そして右手に進むと、赤い橋があって、素晴らしい景観があるのですが…とにかく寒くて断念です。

 

 橋の上から上流を見ると、これが「千鳥ヶ滝」です。

 

同じ位置から下流方向を見ると、左奥にかすかに赤い橋が見えるのですが…、ここを「竜仙峡」と言います。多少震えながら撮影です。この二カット撮ってすぐに駐車場方向に戻ります。

 

モヤが晴れて、ピーカンの天気になれば、一段と紅葉が映えるのですが、こればかりは如何ともしがたいです。

 

公園の駐車場には満天星(どうだん)つつじが咲き誇ってました。花音痴の私がよくわかったなって?いえいえ同乗者のF氏に教えて頂いたのです。

防寒対策はしてきたつもりなのですが、さすが山間部の地域で、おまけに陽が隠れているため、一向に気温が上がりません。早々に車に乗り込んで先に進みます。午前7時半過ぎ、腹も減ってきましたので、紅葉山交差点付近のコンビニで、朝食と温かい飲み物を買うことにします。そして国道274号線に別れを告げ、道道452号線(夕張~三笠~芦別)に入り、清水沢に向かいます。

 

午前8時前交通指導員のおばさんがおりましたので、ダム管理事務所の方向を教えてもらいました。進行方向に雲海らしきものが見えます。上手くいけばシューパロダムに雲海が…という期待感が膨らみます。

 

さらに進むと、後方の夕張山地の下に雲が流れ、住宅街の方まで流れてきています。 

 

先ずはシューパロ湖ダム管理事務所わきの展望台(らしきスペース)に到着しましたが、残念ながら雲海は全く見当たりません。湖面は結構水量があって、三弦橋は水没したままです。今年の2月に撮影に来た時にはダム供用開始前で、鉄橋は全面結氷の湖面から顔を出していました。

 <H27.2.20撮影>

右のベニヤに張られた画像は、水没前の鉄橋。左は、徐々に水嵩がまして水没直前の鉄橋。

 

シューパロ湖は一見何の変哲もないように見えますが、よく湖面を見ていると、風の具合、太陽の高さ、時間帯等によってさまざまな表情を見せていることに気が付きました。

 

遠方の湖面は空の青さを写し込んでマリンブルーに輝いていますが一部に後方の樹木の色を写し込んで緑色にも輝いています。

 

緑色の湖面に枯れ木のアートが…

 

先程の撮影場所から1㎞程離れ、時間帯が違うと…多少濁った色合いになりました。

 

水没していた枯れ木も、樹木の種類によって色調が微妙に異なる…

 

鮮やかな水色の湖面に枯れ木がシンメトリーに映り込んで…

 

対岸に目を写せば白い枯れ木がモノクロームの世界となって表れてきました、そこを白黒調にして撮ってみました。

 

モノクロ撮影ですが…枯れ木が水面に映り込んで、何か不思議な感じがしますね、シンメトリックなような、そうでないような…上部の枝が揺れている?あれっ、画像逆さまだったかな?

 

湖面にばかり気を取られていますが、道路の反対側にも面白い光景があります。ダム満水時には水に埋もれていたであろう枯れ木が絡み合って、面白い作品になってました。殆どモノトーンでしたので敢えて、モノクロで撮ってみました。

 

とにかく湖面上にはまだまだ紹介しきれないほどの、面白いアートがたくさんありました。それらはまた別の機会に紹介するとして…、肝心の紅葉はイマイチでしたので敢えてアップしませんでした。ということで、シューパロ湖での撮影を切り上げて、富良野・美瑛方面に北上します。途中道路わきに保存されている「三菱大夕張鉄道車両」(北海道遺産)に立ち寄りました。

 

ラッセル車でしょうか、とにかくごつい機関車です。ま~、ヒグマが出そうな森林地帯を走っていたわけですから、多少の障害物なんぞ跳ね飛ばしたのでしょうね(勝手な想像です)。

 

乗客車両があるということは、石炭だけでなく沿線住民の足として利用されていたんですね。

<三菱大夕張鉄道 ウィキペディアから>

明治44年開業の炭鉱専用列車で夕張線(夕張鉄道)の清水沢駅と南大夕張駅を結んでいたが、昭和14年にさらに奥地の大夕張炭山まで延伸。主に石炭、木材を運搬していたが沿線住民の足として利用された。

昭和44年以降、相次ぐ閉山、周辺人口の減少、合理化等によって、昭和62年に廃線となった。現在は客車など6両が「大夕張シネマトレイン保存会」の手によって、歴史遺産として整備・保存されている。

 

この列車も、シューパロ湖を横断するあの三弦鉄橋を走ったのであろうか?

 

次回は紅葉撮影ツアー最終回で、富良野・美瑛での撮影画像を取り上げる予定でいます。

 

 

 

 

 

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紅葉撮影ツアーで夕張・富良野・美瑛へ~(1)朝モヤに包まれる大地

2015-10-15 06:00:00 | 旅行

                     <小豆畑の向こうに広がる山々には雲海が…>



9月の下旬から10月上旬にかけて、台風やら爆弾低気圧の襲来を受けて道東ではかなりに被害が出ました。今回は道内一円、広範囲に暴風雨の被害が及びました。災害の少ないといわれる小樽でも、倒木が相次ぎ、電車や国道が通行止めになる事態も起こりました。そんな中、10月上旬の数日の晴れ間を見て写友と日帰り紅葉撮影ツアーに出かけてきました。

10月7日(水曜)午前4時に小樽を出発して、夕張のシューパロ湖、さらに脚を伸ばして富良野・美瑛に行くというスケジュールです。翌8日午後は台風23号接近の予報も出ているため日帰りにせざるを得ませんでした。ともあれ星空を眺めながら、札樽道、道央道の高速道路で大谷地インターまで向かいます。夕張まで高速に乗る手もありますが、大谷地ICから夕張紅葉山までの国道274号線は、走りやすいので、274号線を行くことに決めます。

大谷地ICを抜け長沼に入る頃から東の空が明るみ始めました。進行方向の東の地平線がだんだんとモヤが濃くなってきます。


午前5時10分、夜明けまでにはまだ30分ほどあります。正面に見える山々は、夕張山地。


路肩に車を止めてモヤに煙った風景をとります。近くに石狩川の支流である千歳川が流れていて、そこからモヤと言うかキリが湧き立っているようです。


川面から湧き立つキリ(モヤ)。
<モヤとキリの違い 気象庁気象用語から>
☆モヤ(靄):微小な浮遊水滴や湿った微粒子により視程が1km以上、10km未満となっている状態。
☆キリ(霧):微小な浮遊水滴により視程が1km未満の状態


カメラを太陽が上がる東方向から、90度ほど北に向けれと、画像の赤みは全く出てこない。ナナカマドが真っ赤に色づき、葉も一部紅葉している。


足元の雑草は水滴が金色に輝いて、とてもきれい。


274号線道路の反対側を見ると、霞むモヤの中に、灌漑用構築物が見える。左側にダストが映り込んで…よく見ると鳥が飛んでいました。

さらに275号線を東進すると、AM5時45分過ぎ、朝日がそろそろ顔を出す時刻となり明るさが一段と増してきましたが、依然モヤに包まれたままです。道路わきの樹木が切れて視界が広い地域に出てきました。面白い看板を見つけたので、下車です。さらに雑草の中に水滴まみれのトンボを見つけました。


名物「赤字丼」?初めて聞きましたが、どのような丼なのでしょうか、気になりますが、周辺を見渡してもそれらしき飲食店はありません。


午前5時50分霞む山の上に太陽が顔を出したようです。集合住宅のような、何かの設備等のような建物の窓と壁に、朝日が反射して鏡のように煌いてます。


トンボの翅に水滴がびっしりついてます。右手の丸ボケは大型トラックのライトです。


このトンボのバックに上ったばかりの朝日を入れてみました。


見渡すと、トンボはあちこちで背の高い草につかまっています。ネコじゃらしがとても綺麗です。
☆ネコじゃらしは俗称で、正式には「エノコログサ」と言います。元々はイヌの尻尾に似ているところから「いぬっころぐさ」と呼ばれていましたが、それが転じて「エノコログサ」と言う呼称になったとか。漢字では「狗(イヌ)の尾の草」と書くそうです。なおネコじゃらとよぶのは、ネコがこの穂にじゃれつくからだそうです。


さらに進むと、刈り入れが終わった畑に牧草ロールが点々としています。視界が1㎞ないのでこうなるとこれはキリと呼んだほうがいいのかな?


畦道の雑草にびっしりついた朝露。牧草ロールをバックにすると、より一層露が輝いて見える。


ネコじゃらしが、おいで、おいでと呼んでいるようにも見えます。歩き回っていると、スニーカーが濡れてぐっしょり。


今の時期珍しくタンポポの綿毛を見つけました。

周辺にはまだまだ撮影したい光景が広がっていますが、夕張シューパロダムと富良野・美瑛での撮影が主たる目的ですから、先を急ぐことにします。しばらく進むと、またもや撮影意欲を刺激する光景が待ち構えていました。標題の画像にも使いましたが、刈り入れの済んだ畑の向こうに集落や、モヤに霞む畑と防風・防雪林や山々が見えてきました。しかも雲海らしき雲が山間部を流れています。


モノクロにすれば墨絵のようにも…なるかもしれないと思い、標題の画像を、モノクロ変換してみました(下の画像)。


余り特徴のない画像になってしまいました。ここでちょっと悪戯心から…ネガ反転してみると…


あれまあ~、真冬の樹氷林になってしまった…


時間とともに、靄は薄れていくようですが、山の間には依然雲海が漂っています。


完全に陽が登りきると、朝焼けのオレンジ色が薄れて普通の光景に戻りました。なお山間部には雲が漂っています。


再び、夕張のシューパロ湖を目指して進みます。


夕張紅葉山交差点で、左折すると夕張方面に向かいます。右折すると、樹海ロード・日勝峠を通って帯広・釧路に向かう道路となります。時間はちょうど午前7時です。交差点付近のコンビニで、朝食を摂ることにします。その2では、夕張滝の上公園の紅葉を、シューパロ湖の紅葉等を取り上げます。

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昭和レトロ~その1・S30年代頃

2015-10-09 06:00:00 | 写真
過日堺町通りの観光街を歩いていて、小樽出世前広場にある「小樽歴史館」にふらりと立ち寄って見ました。いつもは素通りするのですが、この日は観光客が多くいて、この出世前広場右側の飲食店に入って行くお客も結構います。地元にいながらこの周辺にどのようなお店があるのか、詳しくは知りません。入れ替わりも激しいエリアと言うこともあって…

広場左手の小樽歴史館には何度かはいったことがありますが、昔のものがよく並べられているな~程度の認識でしたが、じっくり時間をかけて見ていると、興味の惹く展示物が色々あります。小樽博物館・運河館の民間版、俗っぽい感じがします。そこで今回は昭和レトロと題して、これらの展示物の一部及び私の古きアルバムから、懐かしい昭和30年代を振り返ってみたいと思います。


<小樽歴史館から>

この歴史館には小樽の古き時代の写真や当時使われていた家庭用器具等が展示されています。また小樽にゆかりの深い人物等の写真やエピソードがポスターとして貼られています。入ってまず目に付くのは、このカラフルな若き女性たちの顔写真…


週刊明星も週刊平凡も、昭和33年、34年に相次いで創刊され、大衆芸能誌として100万部前後の発刊数を誇った。両誌ともカラフルな表紙と若き女優たちのグラビア写真が大人気であった。


昭和のにおいがプンプンする。丸いちゃぶ台、足踏みミシン、鏡台、湯たんぽに富山の置き薬、道民にはなじみの「フルヤのウィンターキャラメル」
☆フルヤのキャラメルは、札幌が本社の古屋製菓が大正14年に発売、一時本州にも進出したが、明治、森永、グリコなど大手に太刀打ちできず敗退。昭和56年に倒産。また小樽が本社の池田製菓から昭和26年に発売された「バンビキャラメル」も人気があった。


ストーブは道民にとっては必需品であった。燃料の石炭を冬期間保管するための石炭小屋が建物には併設されていました。


広場奥の建物には、昔の写真がいっぱい展示されています。小樽にゆかりのある女優さんたちのスナップ写真です。名前は…忘れました。多分ロケに来た時のカットだと思います。


このポンプは田舎に行くと今でもみられるかも…昔は水脈まで穴を掘ってポンプを設置したものです。


コーナーの一角には小樽にゆかりのある人物についての説明がありました。その中から「赤い靴」の少女についてアップしました。
☆赤い靴の少女の銅像は全国に7-8カ所ありますが、中でも横浜の山下公園にある「赤い靴はいてた女の子の像」が有名です。平成19年には小樽市の北運河にある運河公園にも親子の像が建てられました。
大正11年に、野口雨情作詞、本居長世作曲で童謡が作られましたが、父親の鈴木士郎が、小樽日報社で野口雨情と同僚であったことから、この歌が生まれたという。社会主義運動や開拓の厳しい時代子供を手放さざるを得なかった苦悩がうかがえる。なお、3歳だった岩崎かよ(母は鈴木と再婚)は、すでに肺結核に侵され、渡米前に東京の孤児院に預けられ、そこで9歳で亡くなった。(赤い靴…Wikipedia)


<昭和30年代 冬はとてつもなく厳しかったが、のどかな時代だった>

戦時中疎開した雨竜で生まれた私は、隣町の滝川高校を卒業するまで雨竜町で育ちました。昭和30年代前後からこの田舎町(当時は村、S36年に町に移行))にもカメラブームが押し寄せ、同級生とあのカメラがいい、このカメラが欲しいと、カタログを取り寄せては話し合ったものです。所詮お金のない子供にはカメラは高根の花。そんな時にオヤジが、それならばと買ってくれたのが「コニレット」と言うカメラ。次いでオヤジ自身も大枚はたいて「パールⅢ型」を購入。

コニレットは、フイルムが30㎜×36㎜裏紙付と言う、特殊なフィルムのために使いにくい。田舎では、35mm版(24㎜×36㎜)のフィルムは簡単に手に入るものの、イレギュラーなコニレット用のフィルムは、手に入りずらかったこともあって、もっぱら親父のパールを持ち出して、学校へ持って行ったものです。


中3の時のセルフポートレート。足元はケラれていますが別カットを見ると、サンダル履きでした。今のようなプラしチック製ではなく木製のサンダルです。そういえば下駄ばきで自転車通学してましたね。


セミ判(4.5cm×6㎝)のスリーブフィルムをスキャンすると、時々6㎝×9㎝のフィルムと勘違いして、アウトプットしてきます。下段の画像は昼食の時間で、教室で弁当を食べています。空席があるのは、食べ終わると一目散に体育館に行くからです。


この画像の撮影の経緯は忘れましたが、当時は全員弁当持参です。給食は、小、中、高校と一度も経験したことがありませんでした。

弁当箱に注目してください。深さ5㎝ほどのアルマイト製(アルミニュームを被覆加工したもの)で、さすが農家の子供が多く、真っ白いご飯がびっしり詰まってます。真ん中に梅干しを入れた「日の丸弁当」が普通でした。梅干し弁当を長年使うと、弁当箱の隅々はよく腐食したものでした。なお当時は白いコメを食べられるのは、裕福な家庭と農家の子供たちでした。裕福でない家庭は麦入りご飯が普通で、それが恥ずかしくて、手で隠して弁当を食べた記憶があります。


我が家の何かのお祝いの日の夕食だったと思います。役場の官舎ですが、古い建物で、冬は隙間から雪が吹き込むので、新聞紙を短冊形に切って、目張りをしたものです。30年代も後半にはビニールシートなるものが出現して、窓一面にビニールで覆った事を記憶しています。


雨竜は豪雪地帯です。雪掻きや雪おろしは子供の仕事でした。光線引きで見ずらいですが、玄関横に石炭小屋があります。冬期間使う石炭を貯蔵するためです。その小屋に雪掻き用のジョンバ(いまはプラスシックの雪かき)が立てかけられています。梯子は屋根の雪下ろしをするために使います。


前の画像の建物とこの建物は繋がっていて、2戸建てです。左右同じ間取りです。こちらが我が家です。


右が私で、左が同級生のT君。T君のうちは豆腐屋さんでもあり、その一角で兄姉が理髪店もしておりました。カメラが欲しくて、二人で夏場に豆腐売りのバイトをしたこともあります。ところが砂利道、豆腐が割れて、売り物になりませんでした。


オリエンタル主催のモデル撮影会に、T君と二人して参加しましたが、見事二人とも選外。当たり前ですね、モデル撮影なんぞ初めてだし、カメラ歴も1-2年、それほど甘くはありません。場所は雨竜神社の境内です。過日中学校の同期会を沼田町で行った際に、立ち寄ってみましたが、バックに見える記念碑はありませんでした。


以前にも一度アップしましたが、同級生たち。


中学校3年の卒業当日(あるいは数日前かも)撮影、卒業以来一度もあっていない方も数人います。

さて、高校は雨竜から滝川に通っていたことは記しましたが、いざスキャナーで取り込もうとネガを探したのですが…数本しか出てきませんでした。捨てたわけではありませんので、撮る機会が減ったということかと思います。学校祭のネガが数本と卒業式当日のネガが数本のみでした。結構受験勉強に多忙だったことが原因かもしれません。


3年生の学校祭の時に撮ったもの、男子生徒に大もてだったNさん、卒業後数年で病死されたと聞いたときは大ショックでした。


昭和37年に滝川高校を卒業して、4月から小樽商大に進みました。大学に入ってからは気分的にも時間的にも余裕が出たせいか、再び写真撮影に取り組むようになました。昭和レトロ・その2では、学生時代とその後について取り上げるつもりでいます。
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秋の気配が深まる中で~グルメ巡り・秋の味覚を求めて

2015-10-03 06:00:00 | グルメ
              <10月が近づくと、このカボチャをあちこちで見かけるようになります>



自称味音痴を標榜する私にとっては、グルメの記事は極力避けたい項目の一つです。当ブログでもグルメ・味覚について取り上げた記事は、過去6年半の645記事中わずか4回だけです。グルメブームなのか、最近はFacebookの「小樽の仲間たち」に投稿される記事も、食べ物に関する記事・写真が結構多いのですが…興味のない私は大半をスルーしてしまいます。アップされた方、ごめんなさい。

さて、好天の時を見計らって、今回は家内の運転で、赤井川村と仁木町に秋の味覚を買い出しに行ってきましたので、そのレポートと言うことでまとめてみました。食べ歩きツアーではなく、あくまでも食材の『買い出し』です。買い出し?この言葉もう死語に近いかもしれませんね、なんせ戦中育ちなもので…。数日前に赤井川村の〇〇農園さんに電話して、新米の入ったことを確認したので買いに行ってきました。小樽から赤井川村の道の駅までは約小1時間、秋の風景も撮影しながらです。


田圃は黄金色に染まり、深く穂を垂れています。


ちょうど昼になりましたので、ここ道の駅で昼食。カレーライス+ソフトドリンク飲み放題=700円、う~んやはり自家製のカレーのほうがいいかな…。家内はここ道の駅のベーカリーでパン・菓子類を購入です。結構いい値段と思いましたが、家内に言わせると、普通とのこと。あんたが買い物音痴(値段音痴)なんですと一言。


道の駅の裏広場には、桜の木でしょうか、葉が赤くなっていました。一瞬、ナナカマドかと思いましたがエゾ山桜かもしれませんね。


〇〇農園さんに到着。痩せたイヌがお出迎え、冬毛に変わる最中で痩せて見えるんですとのこと。菜食主義でダイエット中かと…


作業小屋の奥の方にこの農園で採れる野菜等が並んでいました。

この農園には何度か米などを購入しております。今回は新米20㎏+カボチャ3個(1個はおまけ)+1個だけ売れ残ったスイカ+数種類の野菜を購入。帰り際にジャガイモ10㎏ほどおまけですとのこと。


スイカは直径30cm余あり、自宅で計ったらなんと8.4㎏、500円でした。4分の1ほどにカットし、孫たちと食べましたが、結構甘く、食べきれない分はカットして冷凍保存。削りスイカならぬ、シャーベット状のスイカに、これが孫たちの大好物。スイカの隣の湯飲みは、寿司屋さんからいただいたもので、比較のために置きました。スイカ+お茶は…合わない。


平地での紅葉はまだまだです。手前の赤い部分はそばの実を刈り取った後みたいです。


アリスファームの近くで見かけた光景。


同じ並木を左側から見ると…結構紅葉が進んでいます。


さて、道道36号線を通って雲海の撮影スポット(早朝または深夜に雲海発生)である旧道の「冷水峠」を超えて一旦余市方面に向かいます。国道5号線に出たところで仁木町に向かうと5分ほどで次の買い物スポットである〇〇園さんに到着です。ここのピンクのトイレが目印ですが、それにしても目立ちます。あれれ、偕楽園と言う看板が写っていた。


こういう言う遊び心を見ると嬉しくなります。


ここのお店の自慢は有機栽培です。残念ながら買いたいと思っていたリンゴ「黄王(キオウ)」の在庫がなく、数日後に再収穫・出荷しますとのこ。事前に電話で確認してから来店して欲しいとのことで、番号入りチラシを頂きました。最近何度か他産地の黄王を食べましたが、比較すると、ここ偕楽園の有機肥料の黄王が一番おいしいと思います(家内がそう言ってるので間違いなし)。リンゴのみならず、葡萄もしかりです。


奥が巨峰=500円(孫と私が写す前にかなり摘まみ食い)、手前がキャンベル等3種類の詰め合わせ6-7房=450円、他店よりも糖度が高く、とにかく安い。女将さんが、店頭に並んだパックにさらに1-2房加えてくれました。次々と車で買いに来る人が続きます。


車のトランクに詰め込みましたが、長靴と三脚、折りたたみ椅子は、写真撮影の際の必須アイテム。

さてこれで終わりかと思ってフルーツ街道から、塩谷~五助沢農道を小樽に向かって走っていると、蘭島付近で毎週週末に営業している「水車プラザ」(農産物直売所)に立ち寄りました。まだ買い足す気らしい。


この旗が目印。


まだ買うものあるのかな?


キャベツ片手に、トマトを見ています。トマト大好きなので安くて量の多いものを…


黄色いトマト2個入って、計11個で500円は安い。スーパーで買うと3-4個で500円前後なので…奥の栗も購入。


この時期、ハローウィン用のカボチャが多ですね。


9月27日が十五夜と言うことで、すすき+ほおずきも購入。すすきは隣の空き地に生えてるのに…。結局十五夜も翌日28日のスーパームーンも見ずしまい。お月さんの撮影は一向に興味なし…、食べるほうがいいわ、ということです。


話しは変わって、このところ小樽市内のメイン商店街「都通り」を何度か通りましたが、平日でも結構人通りが多いことに気づきました。以前はゴーストタウンに近かったのですが…9月26日(土曜)にたまたま通りかかると「みやこ市」が行われていました。毎週土曜日は11時から無農薬野菜市が行われる日です。商店街の何か所かで、人だかりができています。


給料日の直後だからでしょうか?


パンや餅などのコーナーもあり、瞬く間に売れてしまいました。


手前はすすきかな?27日(日曜)は十五夜なので…


秋の花がいっぱい並んでます。


野菜もあれよあれよという間に…

みやこ市は結構人が多く集まり、にぎわってましたが、この賑わいが商店街の売り上げ増加・活性化につながっているのかどうかはよくわかりません。


コメント (4)
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