紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

モノクロ写真の数々(1)

2020-04-12 14:36:22 | 写真

                   <ハノイ日航ホテル前 夕方5時ころには決まってスコールがやってくる H23年6月撮影>

 

このところ、新型コロナウィルスの蔓延で、非常事態宣言やら外出自粛要請が続き、観光都市小樽市内の人出はめっきり減少。カメラを担いで外出する機会がめっきり、というか全くなくなりました。特に高齢者の罹患が多く重症化する例が多いという理由で、家族からも外出を止められています…

過去に撮影した画像の整理とか、フォトコンの応募、あるいはPCゲームをするなどして時間をつぶしています。そんな中、FBを見ていたら、「B&Wモノクロ写真マニア」というサイトを発見。覗いて見てみると、結構面白い。FB友も結構投稿しています。なるほど、これぞモノクロ写真の醍醐味、という画像が続出、早速グループに入れてもらいました。会の規定はかなり厳しく、シェア不可、色の偏り不可等々ありますが…

ともかく数点投稿したところ、1週間で、500件以上の「イイネ」が付いたりしてびっくり。改めてモノクロ写真の良さを再認識。ということで、数回にわたって、モノクロ写真を取り上げます。すでに何かの折に照会した画像も含まれていますが、ご了承ください。

 

☆FB「B&Wモノクロ写真マニア」に投稿した画像から


「このトンネルはどこへ続くのか」  撮影地は蘭越町ですが、国道5号線だったか、道道だったか忘れてしまいました。イモ畑の田園地帯でした。防風、防雪のためのトンネル(シェルター)で、この先が本来のトンネルになります。「B&Wモノクロ写真マニア」に投稿し、1週間ほどで、500件を超える「イイネ」がありました。

 


「君の目も、大きいよ」 二世帯住宅に住む孫3人のうちの真ん中の孫娘、3-4歳のころウイングベイ(旧小樽マイカル)1Fのスーパーイオンに買い物に行った際、不二家のペコちゃんを見つけ、耳に抱き着いて振り返った瞬間をパチリ。この画像にも100を超えるイイネをいただきました。

 


「孫娘2 中学校を卒業]   ペコちゃんに抱き着いた孫娘2です。中学校の玄関前の階段で、卒業生が記念撮影中。それから3年、この孫娘も、今春無事高校を卒業しました。コロナ騒ぎで、卒業式が中止、卒業証書だけをもらうという異例の卒業式となりました。卒業後、外国留学を目指していましたが、今回のコロナ騒ぎで…どうなることやら。

 

さて話は変わって、私自身は小樽出身ではなく、空知管内の雨竜町です。稲作地帯で、石狩川沿いの人口7000人(昭和30~35年ころ、現在は2300人)ほどの寒村でした。中学生時代(昭和31~33年)に、カメラブームがこの町にも押し寄せ、オヤジが大枚はたいて購入したパールⅢ型機(小西六製、後のコニカ)をよく持ち出して、学校でパシャパシャ撮ったものでした。あまり持ち出すもので、後にオヤジが「コニレット」というカメラを買ってくれました。

 

☆親父のパールを持ち出しては学校へ

 


右がオヤジの「パールⅢ型」、左が「コニレット」 パールはセミ判カメラで、一コマ4.5cm×6cmで、16枚撮りのロール紙付フィルムを使います。コニレットは、30㎜×36㎜という変形ライカ判でコニカの専用フィルム(ロール紙付12枚撮り、)です。35mmのフィルムが使えないという難点がありました。なので、もっぱらオヤジのパールを、盗み出しては学校に持って行っておりました。

 


中3の時のクラスメートたち この年の昭和33年の日本シリーズ巨人・西鉄戦は、球史に残る激戦。西鉄ライオンズが初戦から3連敗、あとがない西鉄は、雨で1日延びた翌日から、稲尾投手がなんと4連続登板して、4連勝の大逆転優勝を果たした。この時西鉄の三原監督が漏らした言葉が「神さま、仏さま、稲尾さま」でした。

 


中学何年生のときか不明ですが、弁当箱に注目、当時はアルマイト製の弁当箱で、級友はほとんどが農家の子供たち。米だけは豊富で分厚い弁当箱に、大きな梅干しと漬物くらいが普通。

 


昼休み時間は、バスケットや卓球に興じていました。腰に手ぬぐいぶら下げて、ハンカチ代わりにしていました。かまやつひろしのヒット曲「我がよき友よ」を思い出しますね。「…奴がやってくる 腰に手ぬぐいぶら下げて…♪」

 


中3の時の遠足は隣町の神社の境内、学校から約7-8㎞もあったろうか。画像は卒業アルバムから転載。

 


遠足に行く途中、石狩川の支流である尾白利加川(オシラリカ、雨竜沼が源流))にかかる釣り橋で遊ぶ仲間たち。

 


なんと言っても学校は農家の子供が多くて、田植えや稲刈りの農繁期になると、勤労動員があって、全校生徒が、駆り出されました。

 

☆コ二レットで撮った画像

 


コニレットで撮影 役場の官舎横で遊ぶ、子供たち。現代のような遊び道具がない時代。女の子はままごと遊びが一般的でした。後方に、肥桶用の柄杓(ひしゃく)があるのが笑えます。水洗などない時代、ぼっとん便所の外の蓋を開け、柄杓でくみ取り、肥桶を担いで、肥料として畑に埋める作業は子供の役目でした。臭いし、ウジ虫が気持ち悪いし…

 


道道275号線、雨竜町を突き切るとおりです。真冬ですが、自転車に乗ってる人が…。右が私で、左がT君。35㎜カメラが欲しくて、T君の実家の家業である、豆腐店で豆腐の外販をすることに。自転車の荷台に豆腐桶を括り付け、遠方の農家に売り歩くバイトでした。如何せん当時は道路が未舗装、1㎞走れば、桶の中の豆腐が粉々、結局このバイトは失敗。

次回に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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