紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

孫と一緒に運河周辺散策

2011-01-29 06:00:00 | 街中ウォッチング
前回の日曜日(23日)のことです。孫達にせがまれ小樽文学館で開かれている児童冬休み作品展を見に行くことにしました。一番上の孫(小5)は朝早く室内での野球練習に出かけたので、下の孫娘二人を連れて行ってきました。

旧手宮線横の文学館に着き、入ると作品展は26日(水曜)からとのこと。事前に確認せず孫たちの話を鵜呑みにしてしまいました。仕方がないので、運河付近で孫をモデルに写真でも…と思い、先ずは駐車場に車を入れました。途中運河工芸館の中に、孫たちはすたすたと入っていきます。なんか嫌な予感…


(ガラス小物に目をきらきら輝かせる孫娘姉妹)


(触っちゃダメだよと言う忠告に、思い切り目を近づける姉の悠里)

遂に来た、来た孫たちの「あれ買って、これ買って」攻撃が…、ジジたまらずOKサインを出してしまった。300円ほどの小物を買うのに30分近く迷う孫たち。そんな孫をよそにジジは、ガラス作品を激写。ここ運河工芸館は、店内写真撮影OKです。


(出入り口近くにある展示品)


(階段横のディスプレイ)

運河工芸館を出て、運河方面に歩いていると、小樽博物館・運河館の蝶々展に孫たちの目が止まりました。瑠璃色の蝶の羽に魅せられたようです。うん、ここは孫たちにも勉強になる、それに小学生は無料、と言うことで大人300円のみで入館しました。

かつてはここが小樽市の博物館でしたが、今は手宮の旧交通記念館、緑町の旧青少年科学館とあわせ、小樽市総合博物館(本館は手宮)となりました。この分館となった運河館に入館したのは10年ぶりくらいです。


(手宮古代文字のレプリカが設置されていた)


(蝶の展示そっちのけで、古い電話機で遊ぶ悠里)


(博物館の中庭には滑り台が…)

この日持参したのはPEN E-P1のみ。E-P1は、動くものが苦手?滑り降りるカットを10枚ほど撮りましたが、いずれもタイミングが合いません。シャッター半押ししていても、ここぞと言う時に切れないんです。被写体がフォーカス範囲外になってカシャリ。う~ん、また一つE-P1の欠点が分かりました。

さて、孫たちは喉が渇いたと今度は飲み物の要求。隣の運河プラザで一息つくことにしました。例によってジジはコアップガラナの瓶、一番下の孫もガラナ(キリン)、二本並べてパチリ。


(小原飲料の瓶ガラナ、キリンのガラナ、いずれも道内限定販売品)

昼近くにもなったことだし、結局帰ることにしました。外に出れば、舗道と車道の間には3-4mの雪の壁が出来ています。車道と隔離されて、安全と言えば安全だが…市は予算不足を理由に除排雪をなかなかしない。


(この日は久しぶりに快晴)


(カモメが空高く飛んでいた 北運河・北海製罐の建物)

ああ、半日孫たちに振り回されてしまった。


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中古カメラが5台やって来た

2011-01-25 06:00:00 | カメラ
過日母方の叔母から電話があり、亡夫の遺品を整理していたら古いカメラが出てきたとのこと。カメラに興味があれば引き取って欲しいとのこと。そういえば、義理の叔父さんが亡くなって数ヶ月、土建業の前に、一時DPE店を経営していたことがあったけ。などと思いながら、即引き取りに行ってきました。

カメラ3台に三脚2台、ビデオカメラ1台が、段ボール箱に無造作に放り込まれていました。営業用に使っていたものらしく、DPE店を廃業して40年近くも経とうか。カメラは埃りだらけ、一部にサビもあります。

(1)NIKON M型 昭和24年発売
最初ケースから出してみたときに、ひょっとしてNIKONのS型かなと期待しました。終戦後作られたNIKONの中でもS型、SP型はきわめて高い評価があり、SP型の復刻版(H17年)は、1台60万円以上で売りに出された記憶がよみがえります。


(残念ながらS型(昭和25年)ではありませんでした どうやら昭和24年製のM型のようです)


(シリアルNo.の前にMの記号があります これがM型を示している)

軍艦部(カメラの頭の部分を言います)を見ると、シャッタースピードダイアルが二重になっています。25分の1以下の低速部分は外側に、30分の1以上は内側のメインダイアルになっています。終戦後に作られた多くのカメラがこのように二段方式となっています。(5)で取り上げるミノルタ35も同様です。なお、底部には、「made in occupied japan」の刻印があります。米軍占領下の日本で作られたものなんですね。


(布幕シャッターは、長年放置されたせいか、ボコボコで、塗料の剥れも見られます)

最後にNIKON M型の特徴として、フィルムサイズがその後主流となったライカ判(24mm×36mm)ではなく、24mm×34mmであることです。残念ながらシャッターは切れるんですが、露光されるかどうかは不明です。

(2)Minolta Autocord 昭和30年発売
残念ながら、これも長年放置されたためか、シャッター羽が、固まって開きません。夏になって暑くなれば、シャッター羽のグリースが緩み切れるかもしれません。ミノルタオートコードは、二台目になります。


(マクロレンズ、YO2フィルターつきです 裏蓋の外し方忘れてしまいました」

(3)MAMIYA 6×9 昭和35年発売
どえらいカメラが…やって来た。先ずは画像を見てください。マミヤプレスと言う業務用のカメラです。一般の人が趣味で使うカメラではなく、新聞報道や、集合写真を撮る業者が使うカメラです。


(首から提げたら、30分も持たない)

業務用だけあって、フィルムは6cm×9cm判8枚撮りのブロニー120型フィルムを使います。建築物撮影用に、歪みが補正できる「あおり」や「チルド」撮影も可能です。


(後部フィルムとの間に蛇腹があり、あおり、チルドが可能 昔懐かしい「ASA(いまのISOのこと」の文字が…)


(フィルムパックを交換することで、手札版のシート撮影や6×6判、6×4.5・セミ判も可能)

なおこの大型カメラは、レンズぴかぴか、シャッターかしゃり、完動品です。でも、このような大型カメラを振り回す機会は多分ないでしょうね。早速ビニールに包んでお蔵入りです。

(4)フラッシュガンとバルブ(発光電球)
現在では内臓ストロボやクリップオン型のストロボを使いますので、若い方はこのような発光装置は見たことがないかもしれませんね。


(シャッタースピードや、被写体との距離でガイドNo.を割り出して…とにかく面倒でした)

ストロボが普及しだしたのは、確か、私が中学生の頃ですから、昭和30年代前半のことです。当時学芸会のスナップを、業者から充電式のストロボを借りて撮影した記憶があります。

義理の叔母から譲り受けた8mmカメラ等がありますが、紹介するのは以上の4点とします。最期にもう1点挙げておきます。このカメラは、以前属していた北海道写真協会小樽支部のT氏から頂いたものです。

(5)Minolta 35 Model 2型 昭和24年発売
財団法人日本写真機光学機器検査協会の「日本の歴史的カメラ」によれば、昭和24年発売のミノルタ35(改良型)に該当するようです。改良型以前のミノルタ35は昭和22年に発売されましたが、フィルムサイズが、24mm×32mmであったため、主要輸出国の米国基準にあわず、占領軍によって改変させられたようです。その結果改良型(フィルムサイズ24mm×34mm)となったということです。

この辺の事情は、先に(1)で取り上げたNIKON M型の前のI型と同じようです。終戦後日本の工場で作られたレンジフアインダーのカメラの多くが当初24mm×32mm判(フィルム孔7穴)でしたが、占領軍の意図で24mm×34mm(フィルム孔8穴)ないしは24mm×36mm(ライカ判、8穴)に変更させられたようです。


(保管状況が良かったせいか、レンズ、シャッターとも全く異常無しの完動品)

このブログを書き終えて(19日)、後は公開待ちにしていたところ、再度叔母から連絡があり、もう一台出て来たので取りに来いとのこと。なんでも亡くなった義理の叔父が、新聞社のカメラマン助手をしていた頃のカメラだと言う。それが次のカメラです。

(6)Minolta SR-7 昭和37年発売
露出計にCdS(硫化カドミュウム)を搭載した世界初の一眼レフということです(ウイキペディアによる)。従来のカメラは、露出計にセレン光電池(トンボの目玉に似た)を使っていましたが、CdSによって感度範囲が広がり、受光部が小さくなりました。画像の右側の丸窓がそうです。


(フィルターで保護されていたせいか、レンズはピカピカ Auto Rokkor-PF F1.4 58mm付き)

なお、SR-7と言う名称の由来は、米国の宇宙船「フレンドシップ7号」にレンズシャッター機「ミノルタハイマチック」カメラが搭載されたことによると言う。このカメラは、シャッター幕に多少のシミがあるものの、低速、高速とも全く異常がない。近いうちに、(5)のカメラとあわせ試し撮りをしたいと思っています。
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ある日の出来事

2011-01-21 06:00:00 | 写真
といっても、つい数日前の1月18日(火曜)のことです。翌日19日からは学校が始まります。この日夕食も済んで、2Fの自室(寝室兼書斎)でいつものようにPCに向かっていると、1Fの茶の間から孫たちの声が聞こえてきます。いつも、食後TVの子供向け番組が終わると、2世帯住宅に住む孫たちが攻めてきます。

そうだ、最近、外で写真も撮っていないし、この際、孫たちの写真でも撮ろうかと、PEN E-P1片手に1Fに降りて行きました。孫娘二人が何かやっております。小3の悠里はカレンダーを製作中、小1の綺里は、ばあちゃんのPCでゲームに夢中。


(悠里は、明日19日から学校が始まるので慌てて自由課題に取り組んでいる最中 右下ネコが尻尾を立てて横切った)

なんと、明日の始業式目前になって、宿題に取り組んでいたのだ。一方綺里は、宿題は全部終わっているとのこと。余裕のヨッちゃんでゲームに取り組んでいる。オヤ、もう一人の孫小5の紀斗がいないけれど、どうしたの?と聞くと、自宅で猛烈な勢いで宿題に取り組んでいるとのこと。サザエさんの家のカツオと同じだ。


(今の小学校では、1年生の時からPCを取り扱うらしい 時代の変化を感じます)

さて、悠里のほうはカレンダーが完成したようです。おや!8月がどうして欄外で、しかも小さいの?升目の計算ミスに気づいて後で書き足したとのこと。8月はジジの誕生月だから良いでしょう、とは…


(途中で気が付いて8月を欄外に追加…まあいいか、)


(そのゲーム面白いの?次から次へとゲームを変えていく ネットのゲーム欄を操作しているようだ)

さて10枚ほど撮ったので、早速PCに画像を取り込んでみるか。やや、30カット近く画像がでてきたぞ!と思ったら、前回のブログで紹介した「ISOブラケティング」機能を解除していなかったのだ。それで3倍に増えたと言うわけ。電源をオフにしただけでは、ブラケテング機能が解除されないことを改めて知りました。

と言うことで、3番目、4番目の画像はHDR加工してあります。特にPCを操作している4番目の画像を見ていただくとはっきり分かります。通常であれば、PC画面は1番目、2番目の画像のように白飛びしてしまいますが、ゲームがくっきり写りこんでいます。(失敗転じて成功となすとはこのことかな…)
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OLYMPUS PEN E-P1のISOブラケッティングを試す

2011-01-17 06:00:00 | カメラ
ちょっと標題が難しくなってしまいました。PEN E-P1をゲットしてから約9ヶ月が経過し、今ではサブカメラとして十分使いこなしております。イヤ、こなしてると思っていたのですが、実は「ISOブラケッティング」なる便利な機能に、気が付いておりませんでした。

ブラケティング撮影とは、通常被写体に明暗差があるときに、「標準、+補正、-補正」して3カット撮影し、その中から最適カットを選ぶための撮影方法です。或いはその3カットを元に、HDR(ハイ・ダイナミック・レンジ)加工するための手段です。(HDRについては、2009.3.4付け当ブログ「HDRに挑戦」を参照してください)

同じ被写体を3カット撮影するわけですから、通常は三脚でカメラを固定して撮るか、或いは、手持ちの場合は高速連写で撮ります。画角の変動やブレを防ぐためです。多少の画角の変動は、HDR加工する際にソフトが自動調整してくれることもあります。

私の場合は、EOS40Dでブラケッティング撮影する際は、撮影モードを「高速連写」にして手持ち3カット撮影しておりました。ところが、PEN E-P1の場合は、ワンカット撮影で、ISOを変化させて3枚の画像が得られるのです。これは便利です。どうしても試してみたくなります。そこで晴れの合間を縫って、JR小樽駅から運河方面に撮影に行ってきました。


(先ずは小樽駅裕次郎ホームにて Paintshop ProX2使用)

普通に撮ると、ホーム右端の明るさに露出が引っ張られて、この裕次郎ホームは暗くなって、これほど鮮明に裕次郎の写真も屋根の骨組みも写りません。もう一枚駅近くの都通のアーケードの中から撮影して見ました。上のやや小型の画像は、HDR加工前の三枚の内の一枚(標準露出)、下は加工済みです。




(アーケードの外の風景はそのままで、アーケード内が明るくなりました)

アーケード上部にぶら下がっているのは、魚の干物ではありません。千羽鶴なのです。この千羽鶴まで映し出そうとすれば、露出の幅を小刻みにもっと広げて、4~5枚のカットを撮って加工する必要がありそうです。もう一枚運河付近の交差点を逆光と言う厳しい条件下で撮って見ました。


(普通に撮ると、空の調子が飛んでしまうか、日陰の部分が潰れてしまいます WB=日陰モード)

と言うことで、このPEN E-P1のISOブラケティングは、今後益々出番が増えそうです。なお、ここでEOS40Dブラケティング撮影し、HDR加工した画像を紹介しておきます。(撮影地美瑛、H22.10.3撮影)


(普通に撮ると手前のキガラシに露出が引っ張られ、下の画像のように空は白く飛んでしまいます)


(元画像のうちの一枚)

なお、上段のキガラシの画像は、HDR加工したままではこれほど空と雲の状況が出ません。PhotoshopCS3で多少調整しております。またキガラシについても、風になびくように、元画像自体スローシャッターで撮影しております。さて、HDR加工についてはここまでとして、1月の小樽運河の風景を以下でご紹介いたします。


(中央橋から浅草橋・札幌方面を見る PEN E-P1の14mm側では画像が結構湾曲します)


(反対に浅草橋から中央橋・余市方面を見る)


(人になれたカモメ 餌をくれる人を知っている)


(自作の絵葉書を売るM氏、寒い日には熱々のコーンスープが美味い 足には滑り止めのビニールテープが)
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札幌のホワイトイルミネーションを見に…

2011-01-13 06:00:00 | 祭り・イベント
話は前年に遡りますが、年末の24日、26日の両日、ホワイトイルミネーションを見に行ってきました。撮影に行ったと言うのが正しいかもしれません。毎日のように、午後6時台の道内HNKニュースの最後に、テレビ塔の展望台から大通りのイルミネーション会場が映し出されます。その都度、撮りに行かなくてはと思いつつ、延び延びになっておりました。

24日は、クリスマスとはおよそ縁のない写友3老人で撮影に、26日は孫たちと行ってきました。今年は大通り会場に、青いLEDで飾られた鶴と雪原が目新しいオブジェでした。


(青いLEDに照らされ鶴が4-5羽おりました)


(センターフォーカスフィルターで鶴の頭部を切り取る)


(同じフィルターでサンタを切り取って見ました)


(さらに捻って、ツリーの丸いガラス玉を…)

毎年ホワイトイルミネーションを撮りに来ているので、撮影ポジションやアングルがマンネリ化してしまいます。そこでセンターフォーカスフィルター(中央部に穴が開いていて、周囲は凸レンズ)を使ってみましたが…いまひとつ決まりません。このあと写友と、西2丁目会場のミュンヘンクリスマス市でソーセージセットを食べて小樽へ戻りました。

26日は家族で見てきました。孫たちも久しぶりの札幌のイルミネーションに、気持ちが高ぶって…と思いきや、関心は全く別のところにあるようです。この日は冷え込みが激しく、歩行者用の通路がコチンコチンに凍っています。孫三人ともイルミそっちのけで、走り回り、長靴スケートに興じております。


(路面はミラー状態 長靴スケートに興じる孫たち 走ると危ないぞ!忠告もなんのその)


(大人は、おっかなびっくり手摺に掴まり、小幅なステップで…エンカリ(融雪剤)撒く予算もないのかな?)


(凍った路面に反射してかえって綺麗かも…)


(オブジェの一つ、アーチの前で孫たちを、この場合、アーチの20-30cm後ろに立たせるのがコツ アーチと同じ位置では顔が黒くなります) 

前年に比べて、イルミネーションの数全体が縮小されているような気がしました。6丁目会場にあった「好きです札幌」のイルミが今年は見当たりませんでした。どこも予算的に厳しいのか、イベントそのものが縮小されているようです。

小一時間も会場にいたでしょうか、孫たちは今度は腹が減ったと騒ぎ立てます。会場から、地下街ポールタウンを通って、ススキノにある娘婿の経営する飲食店「未和久」に行くことにしました。当日予約が入っているにもかかわらず、孫たちはパパの店だと大騒ぎ、矢継ぎ早に食べ物の注文、ハラハラのし通しでした。


(一番下の孫娘 食べている時だけだ、おとなしいのは)


(外に出れば、いつものススキノのネオン街が…ああ、疲れた一日でした)

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1月7日はどんど焼き

2011-01-09 06:00:00 | 写真
年末から三が日にかけて穏やかだった天気も、正月気分も空けた6-7日は、猛烈な寒気と吹雪に襲われました。7日の朝は15cmも積もっていたでしょうか。9時頃スコップ片手に外に出てみると大半のお宅はすでに雪かきが終わっているようです。

我が家は、両隣数軒で除排雪を業者に委託しておりますので、舗道の半分近くまで除雪されております。後は車庫のシャッター前程度を除雪すれば良いだけです。昨日今日と結構降りましたが、幸いなことに湿気がなく雪質が軽いので、比較的楽に除雪が出来ます。

除雪の話はここまでとして、今日はどんど焼きの日です。正月中に飾った注連縄や松飾を神社に持って行き、焼いてもらいます。内地では地域によって呼び方が違います。どんと焼きとか左義長などとも言われ、1月15日の小正月に大々的に行われる行事のようです。

11時頃、猛烈な吹雪の中近くの住吉神社に行ってきました。国道5号線は、吹雪とどんど焼きの車で渋滞しております。続々と松飾等を抱えた人たちが鳥居をくぐって行きます。


(出店も出ているようです 鳥居をくぐって左手が会場)


(法被を着た氏子が、プラなどの不燃物はありませんか、と声をかける)


(近くの幼稚園児たちも先生に習って、無病息災を祈願)


(新年のお札が勢いよく燃える…)


(正月飾りが次々と火の中へ 煙を浴びて無病息災を祈願する人々)

祈願を終えた人たちの一部は、石段を上がって神社本殿に向かって行きます。又どんど焼きの入り口には、石段を上がれない方たちのために賽銭箱が置かれ、ここで祈願する人もおります。


(あ!写真撮影に夢中で賽銭入れるのを忘れた、今年はご利益がないかな~)


(でも、わざわざここに賽銭箱を置くとは…神様もなかなか商売上手よナ~)
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小樽の街のイルミネーションは続く…

2011-01-05 06:00:00 | 写真
年々と街をイルミネーションで飾る都市が増えてきているようです。年末恒例のイベントの一つになってきております。私の属している壁紙写真部と言う写真投稿サイトにも全国からイルミネーションの写真が投稿されています。

しかし、その殆どが12月25日のX'masが終わると同時にイベントが終了してしまうようです。わが小樽では、2月の中旬に開催される「雪あかりの道」まで続いております。小樽ウイングベイ向かいの小樽マリーナでは、ヨットに電飾が施され、2月の雪あかりの路終了まで市民の目を楽しませてくれています。


(ウイングベイの5F駐車場からマリーナを見る)


(マリーナの側の「石原裕次郎記念館」裏手から見ると、ヨット本体もカラフルに電飾されている)


(波のない日は、イルミネーションが海面に反射して…)

2年前までは、ウイングベイの中央部屋外に20mを超えるツリーが飾られておりました。3年ほど前に、強風でツリーの上部が折れたことがあります。翌年以降は、大型ツリーは廃止されてしまいました。


(数年前まで大型ツリーが飾られ、湾曲したガラスの壁面に映りこんでとても幻想的でした 今は見られません)


(大型ツリーのあったところには、ネットにイルミネーションが施されている モデルは一番下の孫娘)

小樽市内では、小樽運河近くの運河プラザにツリーが飾られております。といってもX'masが過ぎると同時に撤去されてしまいましたが…。浮き玉を利用したツリー、イルミネーションは小樽らしさが出ているかな。そして、運河プラザの内部にもツリーが飾られております。


(浮き玉の色が時間と共に変わります)


(孫娘二人をモデルに…中国人カップルが孫に向けカメラを…OKを出しました)

今季は、市内のイルミネーションを撮る機会がなかったので、手持ち画像がありません。
なお今までアップした画像で今季撮影したものは、孫娘の写っている二カットのみです。と言うことで、イルミネーションではありませんが、1枚アップしておきます。撮影場所はウイングベイ2F(小樽築港側)と小樽築港駅とを結ぶ渡り廊下です。


(ガラス窓越しに観覧車を狙うと、半裸の美人が撮って、撮ってと言い寄って来ます)
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新年明けましておめでとうございます

2011-01-01 06:00:00 | 日記
ブログをご愛読いただいている皆様方に、改めて新年のご挨拶を申し上げます。2011年が、皆様方にとって、益々良い年でありますように祈念申し上げます。

昨年を振り返ってみますと、地元や道内など身近なフォトコンで取りこぼしが多く、又夏場に不振が続きました。しかし全体としては、最高賞をトレインの旅フォトコンをはじめ5回も獲得できたのは出来すぎの感もあります。今年も大賞目指して頑張りたいと思っております。

さて正月と言うと、めでたいものに、一富士、二たか三茄子と言う言葉もあります。そこで私なりにめでたい画像をアップして見ました。標題の画像は、ニセコ町にある、「二本のサクランボの木と羊蹄山」です。この日は珍しく快晴で、雪を被った山頂がくっきり見えました。蝦夷富士ということで勘弁してください。


(多摩川堰堤から見た正真正銘の富士山 かつて立川市に住んでいた頃(H14)撮影)

チャリンコで10分ほど坂を下ると、多摩川堰堤に出ます。中央に見えるのが富士山です。富士山の下に見える灯りが、中央線の電車です。


(静岡市三保の松原にて撮影 赤外フィルム使用)

富士と来れば次はタカの出番です。タカを手持ちの画像から探しましたが…ない、ない、ワシならあるが…そもそもワシとタカの違いはなんだろうと言う疑問がここで湧きました。

PCで検索してみると、「ワシとタカは区別がない」と出て来ました。一般には「タカ」は、オオワシ、ハヤブサ、トンビ、ミサゴ、ノリスなどなどの猛禽類のことで、大型のものをワシ、小型のものをタカということらしいです。詳しくはご自信で検索してみてくださ。


(阿寒丹頂センターで撮影 鶴の生餌フナを狙うオジロワシ)

と言うことで、ワシ、タカ及び、三番目の茄子については良い画像がありません。ん?あるじゃないかって?プロフィール欄に「ボケナス」が…。すいません折角の正月気分を害してしまって。お口直しに、もう一つ縁起の良い鳥、丹頂鶴を揚げておきます。


(阿寒岳をバックに羽を広げた鶴 優雅な姿に気持ちが洗われます)


(鶴はペア・家族単位で行動します 鶴の吐く白い息は、-20度近くならないと見られません)


(渡り鳥の習性を捨てた鶴は、このように編隊を組むことは、普通ないのですが…)

最後に、私事ですが、札幌の病院に入院中の実母の症状悪化が続き、場合によってはブログの更新が遅れることがあるかもしれませんのでお断りしておきます。

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