紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

今週の一枚…春遅い北国にも桜が開花

2024-04-24 10:45:17 | 今週の一枚
         メルヘン広場「銀の鐘1号館」前のエゾヤマザクラ(後方はオルゴール堂)


このところ、5~6日気温の低い小雨交じりの寒い日が続いていました。4月も下旬に入り23、24日と久しぶりに朝から太陽が顔をみせました。メルヘン広場の桜たちも待ってましたとばかり、一斉に開花。観光客も盛んに桜をバックに写真撮影しています。中にはベンチでアイスクリームを食べる人たちも。

ところでメルヘン広場に次いで、気になるのがJR南小樽駅の桜です。こちらは、駅舎が作られて以来の老木で、樹齢100年を超えていると言われています。幹が途中で分かれており、正確な本数はわかりませんが…、とにかくメルヘン広場から入船町の高架脇を上がっていきます。途中住吉公園を見ると桜は3分咲き、子供がボールを蹴っていました。ところが道路1本上向こうの民家の桜は、まだつぼみだけ。

JR南小樽駅の桜は、1分咲き程度やっと数輪開いた程度、歩道橋の金網越しに見てもまだまだ蕾状態でした。





メルヘン広場には8~9本のエゾヤマザクラがありますが、殆どがピンク色に染まっていますが…2~3分咲きが多いようでした。




こちらの1本は満開。後ろのシラカバも緑色の葉が出てきました。




数日前には茶色の葉が出ていませんでしたが、昨日、今日と陽が差したので、葉が芽吹いてきました。やっとエゾヤマザクラらしくなってきました(笑)。




ルタオのベンチでは、アイスクリームをほおばる人も。さて、南小樽駅の桜を見に行ってきましょう。ここから入船町に進み、高架線に沿って上がります。




途中住吉公園では、子供たちがボール遊びをしてました。桜は2分咲き程度。




こちらは、殆どが蕾状態でした。歩道橋からホーム側面の桜を見ても、殆どが蕾状態でした。


☆なお、画像はすべて4月23日撮影です。














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ミズバショウを撮りに…

2024-04-18 09:26:43 | 写真
            中央園路から30m程右に入ると、「ミズバショウの湿地」があります


4月も中旬に入ると、さすが暖かい日が続き、北国にもやっと春が来た、という感じがします。ミズバショウが咲き誇る、市内長橋なえぼ公園が4月10日に開園したと言う記事を目にし、急遽公園に行って見たくなりました。

しかし、去年夏に車を手放し交通手段がバス&徒歩に限られるし…、市内を巡るバスも相次ぎ減便、区間縮小されているし…、駄目なら仕方がないと思いつつ。カメラをバッグに放り込んで、小樽駅前のバスターミナルへ。

運良く、旧国道5号線長橋十字街経由の余市行のバスが数分後に出るという。慌てて乗車、10分ほどで長橋十字街に到着。下車して十字街から一旦桜陽高校方向に向かいます。上り坂でもあり、ゆっくり周囲の店舗を眺めながら歩きます。

今まで車で来たときも、次の十字路(塩谷街道の入口?)の黄色い建物が気になってました。喫茶店かレストラン風のおしゃれな建物です。丁度昼食時間だし、寄ってみることこに。やはり飲食店でした。入り口には「ただ今準備中」の札が…、あれれ残念。昼食時間(AM11:30頃)が近いのに?と思いつつ、自販機の缶コーヒーを購入し、歩みを進め公園入口へ。なんと公園管理棟(森の自然館)には「休館日」の看板が…そうか今日は月曜日だったか!(自分のドジさに呆れる)





引き返すわけにもいかず、ミズバショウを求め、そのまま中央園路沿いを進むことにします。





園路沿いにはフキノトウが群生をなしている。なお、道産子はフキノトウを食べる風習がありません。キタキツネが持つ病原菌(エキノコックス)が怖いからと言われています。




小川の縁にはフキノトウやミズバショウがあちこちに。





雪解けから目覚めたミズバショウは、一部が枯れていたりして、決して美しいとは言えませんが…生き生きとしています。
中央園路を進んで「ビオトープ沼」(トンボ等の昆虫やオタマジャクシ等が住む)へ向かいます。
(注)「ビオトープ沼」「ミズバショウの湿地」「ミズバショウの群生地」「シラカバの小径」「中央園路」等の名称は、なえぼ公園(管理棟事務所)が名付けた地名です。





風があるためか写り込みが…いまひとつ。さらに奥に進むと…





「ミズバショウの湿地」があります。さらにここから右に50m程入ると「ミズバショウの群生地」があります。




ミズバショウの群生地で撮った1枚。日当たりの関係でこれ1枚のみ、上げておきます。



<参考>

北海道新聞朝刊「くらし」のページ(R3.4.11)、杣田美野里さんの記事「花と語れば」に水芭蕉についての解説が掲載されていましたので、紹介します。白い花びらに見えるのは「仏炎苞(ぶつえんほう)」と呼ばれ、葉が変化したもの。中の鬼の金棒みたいのが、花です、緑色が雌蕊、黄色が雄蕊、下から、上へと咲き昇ります。





一旦中央園路に戻りますが、道が雪解けと重なり、ぐちゃぐちゃなので、戻ることにします。





「シラカバの小径」青空に向かって、見ていても気持ちがいい。





でも、周辺はまだまだ雪に覆われていて、歩くとズボッとぬかる。





園路沿いで見かけた可愛い花。名前はわかりませんが…





森の自然館から、長橋十字街に戻る途中で見かけた瘤(ハチの巣ではない)のある老木。この瘤は何だろう?この周辺、あちこちに瘤のある老木が多い???




帰り道、再度黄色い飲食店に立ち寄りましたが、開店準備中のままでした。月曜日は休みだったようです。入り口から覗くと、椅子+テーブルが7-8組。よく見ると、障碍者雇用云々とありました。
この後、バスで長橋十字街から小樽駅前に向かい、長崎屋1Fで遅い昼食を済ませ、自宅に戻りましたが、車の無い不便さと、自分のドジさを痛感した一日でした。ああ疲れた。












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小樽思い出の一枚…ツールド北海道

2024-04-14 18:03:46 | 写真
                 あえてズーミングでぶらしてみました


ツールド北海道は、1987年(S62)に第1回が開催されて以降、原則、9月上・中旬に毎年行われています。2024年(R6)で、38回になりますが、途中、胆振東方沖地震、コロナウィルスの蔓延、人身事故の影響等で中止となった年もあります。

走行エリアは、道央、道南、道東、道北など全道ですが、小樽を通過するレースは数えるほどしかありません。小樽は、交通量の多い国道5号線がネックとなっているのか、過去数回郊外を走ることがありましたが、5号線に沿って走ることはありませんでした。

今回紹介するのは、2007年(H19)9月13日の第20回レースで、国道5号線を横切り、富岡町、緑町を通過するレースでした。当時のレースの詳細は忘れましたが、警察署前にあった歩道橋(その後この歩道橋は撤去された)から数カット撮影しました。




先導車両、報道関係車両を先頭に、集団がやってきました。街中はスピードを抑えろという指示でしょうか?



先導車両に続きバイクが数台続きます。いずれも丸いマーカーを出して指示しています。



ここは上り坂ですが、結構なスピードが出ています。





あっという間に歩道橋を潜り抜けました。上の画像とは連写です。一番手前の黄色いウエアに青いヘルメットの選手に注目。連写の間に数m進んでいます。




あっという間に、左カーブを進んで、見えなくなりました。




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小樽思い出の一枚…石原裕次郎記念館と石原プロワールド

2024-04-08 11:08:05 | 街中ウォッチング
                                  記念館は、裕次郎思い出の地小樽築港マリーナ沿いにあります



さて、11回目の「小樽思い出の一枚」は、当ブログでも何度か取り上げたことのある「石原裕次郎記念館」と、マイカル小樽に開設された「石原プロワールド」、そして運河沿いに開設された「おもしろ撮影館」について取り上げます。

裕次郎記念館は、1991年7月(H3年)に小樽築港マリ-ナ沿いに建てられました。小樽に建てられたのは、裕次郎が、父の転勤に伴って3歳から9歳までの幼年期を小樽で過ごし、小樽への思い入れが強かったからだと言われています。

記念館への入館者数は、延べ1800万人に達しましたが、裕次郎時代を知る世代の減少や、建物が潮風にさらされ老朽化が進んだことから、2017年8月末(H29年)をもって閉館しました。

なお建物は同年11月に解体され、かろうじて裕次郎の愛艇コンテッサ号が敷地の一部に飾られているだけで、現在も(2024年、R6年)更地のままとなっています。

一方、石原プロワールドは、マイカル小樽(その後WingBay小樽)が、1999年4月(H11年)に開業すると同時に「西部警察」としてオープンしました。当初話題性もあって、46万人の入場者があったものの、翌年には半減。僅か2年で閉鎖しました。

おもしろ撮影館は、高速札樽道から繋がる臨港線の運河沿いに、2012年4月(H24年)開設されましたが、これも半年経ずして閉鎖(同年9月)されました。


☆石原裕次郎記念館
私自身は2度ほど入館したことがありますが、特別裕次郎ファンであったわけでなく、TV放映された西部警察も一度も見た事がありません。ともかく撮影禁止区域が多くて、紹介したくても、出来ず、殿様商売に嫌気がさし、写真撮影を趣味とするものには興味のない記念館でした。石原プロワールド、面白撮影館にしてもすべて、利用客視線に立っておらず、当初から長続きしないと思っておりました。個人的な感想は別として、画像を中心に取り上げていきます。



一歩、記念館に入ると、西部警察で撮影に使われた車が数台と、裕次郎、渡哲也の等身大パネルが出迎えてくれます。右手に入館券販売所(当時1500円だったと記憶)があり、関連商品の販売コーナーもあります。




1Fには、映画「嵐を呼ぶ男」のモノクロポスターがあり、のちに妻となる北原三枝が写っております。カラーのポスターが多い中、このモノクロポスターは、ひときわ目を惹きました。手前に植木鉢があってなおさら目を惹きました。





さらに進むと、出演した映画のポスターが、大小さまざま展示されています。




さらに進むと映画の撮影機材やポスターが壁いっぱいに展示されています。





西部警察の大きなパネルがありました。西部警察については、映画もテレビも見た事がありませんので、コメントのしようがありません(笑)。
(注)朝日系列TV で1979年~2004年放映された、大門刑事(渡哲也)を中心としたアクションドラマ(ウィキペディア)。





周囲の壁にも撮影時のパネルが貼られています。




さらに2Fにも、展示品がありますが、撮影禁止エリアとなっているので、画像は紹介できませんが…。先ず代表的映画が9分ほどにまとめられた映像が、スタジオ観賞(ミニ映画館風)できます。さらに進むと、「黒部の太陽」の発破のシーンが再現されています。

次いで裕次郎のヒット曲のレコードジャケット数百枚(もっとあったかも)、レコード大賞受賞曲のプレートが並んでいます。さらに「栄光への5000㎞」で使用した高級車がずらりと展示されています。中には、閉館に当たって、小樽市博物館に寄贈された高級車もありました。

さらに順路に沿って進むと、北原三枝との私生活で使われた日常品、また裕次郎自身が使用した服飾品等が多数展示されています。

展示コーナーを抜けて、さらに進むと、2Fに喫茶店があります。座席数20程で小樽築港マリーナに面しており、店名が「ハレ・コンテッサ」となっていました。 




よく見ると、椅子もかなり傷んでいる。




窓際の席で、緑茶+ケーキを頂きました。2Fにあって、マリーナを見渡せる絶好のスポットと思いましたが…。
この喫茶店、記念館を訪れた客専用で、外部に階段があるにもかかわらず、鎖で施錠されていて外部からは入れません。ここにも殿様商売の一端が見られました。





という事で、2017年8月(H29年)をもって閉館することが決まりました。建物の老朽化は、補強すれば解決できますが、如何せん入館者の減少を止める努力が全くなされない現状では、当然の帰結と言えます。





閉館決定後の、小樽雪あかりの路で、記念館前に作られた雪像。中央が裕次郎かな?




2017年8月(H29年)閉鎖直後の11月には、建物は、取り壊されました。愛艇コンテッサ号だけは、隣の小樽港マリーナ近くに移設されました。なお敷地は現在(2024年3月、R6年)も更地のままです。




☆石原プロワールド(西部警察)
上の更地を撮影した場所が、WingBay小樽の5Fの駐車場からです。この建物は、当初マイカル小樽として1999年3月(H11年)に建てられました。
船橋市の大型ショッピングセンターララポート以北、最大の商業集積との触れ込みで開設されました。数年で業績悪化、破産等を経て、現在に至っています。
マイカル小樽オープンと同時に、石原プロワールドが2Fに設置されました。当初46万人の入場者数を数えましたが、翌年には半減し、僅か2年で閉鎖となりました。私自身は入館したことがありません。





受付には,警官スタイルの女性がおり、入館料やフォトフレームの販売をしています。以下3点とも撮影日、フィルムの種類が異なります。(撮影日1999年4~6月頃、H11年)




開業当初(1999年3~4月頃、H11年)は列をなしていましたが…




入り口近くの別コーナーには、西部警察の面々が前に立ち並び…、オレンジ色の床には、文字と数字が書かれていますが、壊した車両4000台、使用したダイナマイト300トン等々。



☆おもしろ撮影館
高速札樽道に続く臨港線の運河沿い、現ニトリ「ステンドグラス美術館」の奥側の建物に2012年4月(H24年)オープンしました。当初ここに開設した理由として、東南アジアの方々に知っていただき、裕次郎記念館への誘客を意図としていたようでしたが、同年9月に閉鎖とは…




左門前に展示物のプレートがあり、通行人の注目を引きます。中央奥にETが出迎えてくれます。




孫二人を連れて、大きなスクリーンの前でETと記念撮影。




大きなオブジェや、トリッキーな画像が多くて、大人でも結構楽しめましたが、半年持たずに、同年9月に閉鎖されました。



なお、コメントとは個人的なものですので、ご了解ください。
#小樽思い出の一枚
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さようなら、小樽運河プラザ

2024-04-02 21:33:21 | 街中ウォッチング
                   標題の画像(運河プラザ)は、小樽市のHPから借用


小樽観光のシンボルでもあった運河プラザが、3月31日をもって閉鎖されました。運河プラザは、JR小樽駅を出て、中央通りを海に向かって下ると、徒歩7-8分のところにあります。石造りの倉庫、それが「小樽運河プラザ」です。小樽運河を見学する多くの観光客が立ち寄り、情報収集、休息あるいは土産品を購入する場所でもあります。市民にとってもなじみのある建物でもあり、閉鎖を惜しむ声が出ています。

この石造りの建物は、明治38年に倉庫として造られたもので、その後小樽市の歴史的建造物に指定され、平成2年に小樽市が買い取り、観光物産プラザ、通称「運河プラザ」として開設されました。施設内は、中央通りに面して「一番庫」、運河側に面して「二番庫」、その対面が「三番庫」となっています。丁度、逆コの字型となっていています。

何分、明治時代の建物ですので、今回、4月~9月にかけ耐震補強されることとなり、運河プラザの機能を、新しく出来た道路2本海側の「国際インフォメーションセンター」に移すことになったようです。なお、10月以降については、どのような形になるのか小樽市として、検討中とのことです。個人的には、現状と大きく変わってほしくないと思いますが…

という事で、3月30日、31日の両日、運河プラザに立ち寄ってみました。以下の画像は、両日撮影したものであります。




中央通りに面した「一番庫」には、円形のテーブルが6-7卓置かれていて、いつも観光客が休憩しています。右手には小樽及び近郊の観光案内のパンフレット(数か国語)がおかれていています。




左側には2番庫に通じる入り口があって、そこで飲み物を購入してテーブルで飲むお客が多い。



一方一番庫の左手を見ると、椅子とテーブル(4人掛け)があって、右手の喫茶店で注文した飲み物をここで飲んだり、雑談したりできます。
なお、喫茶店のカウンターの右隣りは「観光案内所」となっています。


さて、3月31日で、一時閉鎖されることが決まると、アオバト情報局の藤間めぐみさんが企画したメッセージボードに、多くの観光客や地元ファンが書き残した付箋が張り付けられています。



佐々木さん、とはこの一番庫で長年喫茶店(店名=一番庫)を経営されていた方で、昭和40年代に運河埋め立て反対運動のリーダーの一人でもあります。ここ一番庫で喫茶店を始める前は、叫児楼という有名なスパゲッティ店を経営していました。




カウンターには、店主佐々木さんの似顔絵が置かれていました。













メッセージボードにはまだまだ付箋が貼られていました。


このように、多くの観光客やファンに惜しまれつつ、観光プラザは、31日をもって閉鎖となりました。10月の再開以降も、現状と同じような運河プラザであってほしいと願うのは、私一人だけではありません。




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