紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

札幌初夏の風物詩YOSAKOIソーラン(その2)

2012-06-29 06:00:00 | 祭り・イベント
札幌YOSAKOIソーラン祭りは、市内16の会場に分かれています。メイン会場は、特別観覧席があって、表彰式での演武が行われる大通西8丁目会場です。ついで大通パレード会場で、北コース、南コースに分かれています。1区画離れたすぐ近くに三越、丸井今井前会場があります。両会場の出場チームや時間割をチェックしながら撮影場所を決めるという忙しさです。休憩している間に北海道大学「縁」チームの出番が迫ってきました。11時36分大通北コースで始まります。


(おやっ、着ている衣装が去年のオレンジから深緑に変わった?リバーシブルになったようです)


(さすが学生チーム、大きく何度も、何度も飛び跳ねます)


(踊りは去年と大差ないようです)


(咆哮!)


(女子学生も負けてはいない)


(出ました、赤フンが、観客席からはやんやの喝采と激励の言葉が浴びせられる)

観覧席の無い9丁目、10丁目で撮り終えて、時計を見ると12時を回っています。西6丁目公園のフードパーク内で昼食を済ませることにします。しかしどこの屋台も、ちょうど昼時間帯とあって混んでいます。去年は確か名古屋市内業者の出展ブースで、名物味噌カツ定食を食べ美味しかった記憶があります。今年もと思い並ぼうとしましたが、ものすごく大勢のお客さんで、とても時間待ちできそうにもありません。隣の割とあいている滝川市の名物ジンギスカン定食にしました。う~ん、筋と脂が多く、ほかのモノにすればよかったと反省しきり。


(公式ガイドブックから会場のマップ)

ガイドブックで大通会場の午後の部の出場チームを見ましたが、見覚えのあるチーム名が見当たりません。13:00から一番街三越前で、ロシアサハリンチームの演舞があるようです。さらに13:42からは再度北海道大学「縁」チームの演舞があります。早速三越デパート前に移動です。すでに大勢の観客が立っていて、カメラを構えるスペースがありません。しかし、演舞終了と同時に前方の茣蓙席の数人が立ち上がり歩道に出て行きました。すかさず、茣蓙席の一番前に陣取ります。


(サハリンチームは、いくつかの民族がそれぞれの民族衣装で踊ります)


(民族名はわかりませんがモンゴルに近いのかな?)


(茣蓙席の目の前に!う~ん、ワイドレンズを持ってこなかった)


(美人が多い 目移りしてしまう)


(男性も親しみのある顔で…)

次に演舞するのは台湾の体育大学の学生チームと言うことです。ここで外国からの3チームのうち2チームを見ることができるとはラッキー!です。


(金色の蝶が跳ねているように見えました)


(さすが体育大学学生の演舞、見事に揃っています)


(適度に肌を露出していて、観客サービスにも配慮)


(おっと、男子学生もいました 足並みが…そろっていない)

と言うことで、北海道大学「縁」チーム、海外2チームを紹介しましたが、撮影はこれだけにとどまっていません。多数のチームが同時に演舞しますので、撮影していてもチーム名を失念してしまいます。最後にいくつかのカットを紹介します。


(三越会場での演舞ですが、この会場については公式ガイドに出場チーム名の記載がありません)


(名古屋の学生チームでした)


(AOMORI花嵐桜組の写真撮影担当者かな、なかなか避けてくれず、沿道で撮っている方はいら、いら…)

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札幌初夏の風物詩~YOSAKOIソーラン(その1)

2012-06-25 03:57:52 | 祭り・イベント
札幌初夏の風物詩と言って、まず思い当たるのは大通公園のライラックやトウモロコシ売りでしょうか。さらに雪まつりに匹敵する規模に膨れ上がった「札幌YOSAKOIソーラン祭り」ではないでしょうか。今年も6月6日(水曜)から10日(日曜)まで5日間にわたり行われました。海外3チームを含め271チーム(団体)、参加者約27000人(踊り子他スタッフ)、観客数約198万人と言う規模でした。出来れば9日、10日と両日撮影に行きたかったのですが、あいにく9日(土曜)は孫の運動会。10日に写友5人で出かけました。

当初雨の予報でしたが、時折日差しが射す絶好のYOSAKOI日和。演武開始前に札幌駅に着いた時には駅前広場は、YOSAKOI衣装の人たちであふれかえっていました。JR札幌駅前会場で演舞するチームがあちこちで準備に余念がありません。衣装を整える踊り子、化粧をチェックする踊り子とまさに絶好のスナップチャンスが目の前に転がっています。


(背中の風林火山は甲府のチームです 演武会場に向かうようです)


(編笠をしっかり締め直す踊り子)

JR札幌駅前会場は狭くて込み合いますので、撮影には不向きです。場所を移動することになりましたが、写友4人はサッポロファクトリー会場へ、私は大通公園会場へと向かうことにしました。事前に公式ホームページで、大通公園会場で演舞するチームの時間割を把握していましたので、撮影したいチームが出る方を選んだのです。「AOMORI花嵐さくら組」が大通南コースを10:12出発、「北海道大学縁」が大通北コースを11:36発です。この二つのチームの撮影が出来ればよしです。早速地下鉄で大通公園に向かいます。


(入線する地下鉄をスローで…)


(地下鉄駅から地上に出ると青森チームの演武が始まっています 7丁目、8丁目へと先回りして待ちかまえます)


(似たカットが多いと飽きるのでPhotoshopで変化をつけてみました)


(もう一つ変化球を…)


(スローシャッターでブレを強調)


(目が回る…)


(衣装が次々と変わり、踊りも終盤近い)


(最後の決めポーズ)


(旭川の社会人、学生と千歳、深川の学生による混成チーム「すさび&光一天」)


(魅力的な女性をアップで…)


(すさび&光一天チームの3連発)

さすがにこれだけ連続して撮影していると疲れてきます。公式ガイドブックを見ても有力チームである北海道大学縁の演武までには多少時間があります。しばし休憩です。9丁目の公園内では演武の終わったチームが公式写真を撮影しています。ふと見るとAOMORI花嵐桜組の踊り子たちが集まって雑談をしております。カメラを向けると一瞬指をさしました。


(どうやら私の後方の西8丁目のメイン舞台会場で演舞しているチームを指さししているようでした)


(大通南コースを演舞する「花昇舞」 三重県津市からの参加)


(ひょっとこのお面を頭の後ろにつけて…)


(参加最高齢者ではないかな? じっちゃもばっちゃも鳴子両手によう踊る♪に合わせて鳴子を)


(思わす、おおっと声が出た! 次の瞬間パチパチと連写のおと… 鉄パイプがなければ…)

次回、札幌初夏の風物詩~YOSAKOIソーラン(その2)に続く。
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今週の一枚~芍薬を撮る

2012-06-22 06:00:00 | 今週の一枚
5月25日から7月5日まで、小樽貴賓館(旧青山別邸)で牡丹・芍薬祭りがおこなわれています。今週の火曜日(19日)に撮影に行って来ました。幾分時機を失したかなと思いましたが、芍薬が結構咲いておりました。牡丹は5月下旬から咲き始め、ピークをすでに過ぎたらしく、見かけませんでした(あったのかもしれませんが…)。と言うより、私自身牡丹と芍薬の見分けがつかないんです。両者ともに、牡丹科牡丹属ですので素人が見分け付かないのも無理はありません。

一般的に、牡丹は1~1.5mほどの木になって冬を越します。一方芍薬は草であって冬には立ち枯れて、球根で越冬します。簡単に言うと木と草の違いでしょうか。それにはの形状も幾分違います。牡丹は一枚の葉に切り込みがありますが、芍薬の葉は幾分細く切り込みがありません。


(この日は東京の高校生の団体が来ておりました 修学旅行の見学ポイントになっているとは驚きでした)


(葉っぱがスレンダーですね、芍薬の特徴)


(ひょっとして牡丹かもしれません)


(赤い日傘を取り込んで幾分アートっぽく)


(最初見たとき、あれ!ハスかな?とおもってしまいました)

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立川市で過ごした2年余

2012-06-19 06:00:00 | 日記
平成12年3月から14年7月まで、八王子に勤務していたころ官舎が立川市にあった関係で、立川市内のあちこちを撮影しました。単身赴任の気安さから土曜日曜には自転車にカメラ機材を放り込んで、昭和記念公園や多摩川沿いの土手、時には隣町の日野市にまで出かけました。なぜ、今頃立川市のことを、と思われるでしょうが、どういう訳か、Twitterのフォロワーの方々の中に立川市の方が5-6人おられます。Twitterで立川のことを取り上げた記憶がないのですが…

ともあれ、彼らのTweetを読んでいると10年前に暮らした立川のことがとても懐かしく思い出してしまいます。そういえば立川での写真がたくさんあるにもかかわらず、ブログで取り上げたことがないことに気づきました。官舎は錦町3丁目にあり、駅まで徒歩で10分ほどです。立川はJR中央線に加え、南武線、青梅線の始発駅でもあります。また多摩都市モノレール線がJR駅そばを走っていて、交通の要所ともなっています。休日には立川駅からJRであちこち写真撮影に行ったものです。


(1) 桜満開のころ

3月下旬に赴任して官舎に入居したときは、桜が満開だったことを覚えています。雪がまだパラついている小樽から、まるで南の国に引っ越したような明るい気分になったものです。


(日野橋手前の立川公園付近 赤外フィルム使用のため土手の芝生が白く映っている)


(立川病院裏手の駐車場も満開) 


(H13.3.31この日は朝から季節はずれの雪が舞う あわてて「満開の桜+雪」を撮りに走る しかし画像からは桜が散っているのか雪かはわからない)


(立川の隣りJR駅国立駅 ユニークなこの駅舎も建て替えられたと聞きました 駅前の大通両側は桜並木が続きます)


(2) 錦町3丁目の自宅(官舎)

2Fのベランダからは富士山も見えますが低層マンションの上にちょこんと山頂が見えるだけでとても絵になりません。平成13年の11月には世紀の流れ星軍団が見られると新聞紙上でも大きく取り上げられましたしし座流星群。19日の深夜ベランダでしし座流星群を撮影しましたが、何分の大都会、光害の上、雲が濃くなり撮影に成功とはいきませんでした。それでも画面片隅に申し訳程度に写り込みました。


(H13.3.19撮影 ネガをルーペで拡大してみると、右隅以外にもかすかにあるのですが…)


(15㎜対角魚眼レンズでデフォルメしています)


(ジェット機が一機日中の月をめがけて…)


(自宅近くには日本で何番目に古いといわれる「立川第三小学校」や朝鮮学校があります 幼稚園児の通学路にもなっている)


(3) 多摩川河畔

立川市と日野市の間には多摩川が蛇行しながら流れています。多摩川の堰堤までは、自宅から自転車で数分です。河岸段丘を下ると堰堤に着きます。冬の空気が澄みきった日には遠くに富士山が姿を現します。夕焼け空をバックにここで何度も富士山を撮影した記憶があります。


(富士山手前の光の流れは、JR中央線の電車の光跡です)


(多摩川河川敷から夜明けを撮ったもの)


(同じような位置からワイドで撮ると…)


(日の出前に日野橋を渡ると、右側にはモノレールが走る立日橋、さらに奥には中央線の鉄橋がある)


(3) お祭り

市内最大の夏祭りは8月下旬に行われる諏訪神社の祭典諏訪祭でしょうか。諏訪際に連動して地域のお祭りも同時開催されているようです。


(お神輿が何基も繰り出され、百数十の露店が並び立ちます)


(路上に置かれた太鼓を興味深げに叩こうとしている幼児)


((東立川の羽衣町では、夏祭りとしてねぶたを繰り出す 商店街会長が青森県木造町の出身であり、その縁でねぶたを借用しているとのこと)


(同商店街主催ねぶたフォトコンテストで「東立川商店街賞」を頂きました)


(4) 昭和記念公園

昭和記念公園の沿革についは、当ブログ(2009.4.23付け「私の好きな撮影スポット」でも触れておりますので、ここでは省略します。自宅から自転車で10分ほどのところにこの国営の公園があります。かつて楓軍基地だったこともあってその広いこと並みの公園ではありません。もっとも半分近くは隣接の昭島市に所属します。


(「満月の 夜に遊ぶは 子狸か」夜桜見物で夜間開放された折、子供たちが近くの遊具で遊んでいるところを撮影)


(クリスマスイルミネーションで飾られたシャンパングラスピラミッド)


(公園内には数多くの銀杏の木があるが、偶然赤いセーターの女の子が両手を広げた)

(5) そのほか

まだまだ紹介したい画像がありますが、次の三つで終わりにしたいと思います。


(青梅レンゲ草祭 転勤直後、家内から全国放映TVで見たよと言われ、あわてて駆けつけました)


(通勤途上で見た富士山 毎日行き帰りこの光景を目にしました)


(御嶽駅近くの「スターの木」と呼ばれる大きな銀杏の木)

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6月は運動会のシーズン

2012-06-15 06:00:00 | 日記
梅雨のない北海道では5月の末から6月上旬に小学校の運動会が集中します。今年3月末で閉校となった量徳小学校の児童たちは、汐見台小学校と花園小学校に分かれました。うちの孫たちは花園小学校に通学するようになりました。6月の9日花園小学校で、統合後初の運動会が行われました。グランド補修の遅れで、例年よりも1週間遅れの運動会と言う事でした。

統合によって児童数が5割近く増加したにもかかわらず、グランドの広さは従来のままです。父兄による場所取り競争の激化が予想され、事前に学校側によってルールが決められました。とは言え少しでも良い席を取るべく、事前に定められた順番待ちスペースには、前日の夜半から並ぶ父兄も見られました。私も娘に孫のためだとおだてられ、午前4時過ぎに列に並びました。その時はすでに53番目でした。午前6時の花火とともに、5人一組毎1-2分間隔でにグランドへの入場が許されます。事前のルールが徹底され、大きな混乱もなく場所取りが整然と進んでいきます。場所が確保でき次第、一旦自宅に戻り、運動会開始の9時前に、娘たちと席に着きました。

6月9日は、事前の天気予報では曇り時々雨でしが、前日8日の夕方TVの気象予報では曇りでした。ところが、当日午前4時過ぎに並んだ時には、朝日がまぶしいほどで、絶好の運動会日和となりました。校長先生の挨拶の中でも、統合問題に触れ、児童数の増加で友達の輪が広がり、遊びに勉強に好影響が出ていますとのことでした。運動会でも、今年から全学年二クラスとなり、紅白合戦も一段と熱が入っているとのこと。開会式、ラジオ体操の後は競技開始です。


(事前の天気予報が外れ、絶好の運動会日和となりました)


(全学年による大玉送り 高学年では頭上で玉を送る)


(低学年では列の間を転がす)

団体競技の後は、1~6年生各学年で、個人競技の徒競走が行われます。グランドが小さくて直線で徒競走が行えず、セパレートコースでカーブを走ることになります(量徳小では直線80m走が可能でしたが)。


(3年生の孫は着外…最初のスタートで1コースがフライング再スタートとなるも、5コースの孫は気がつかずに半分ほど全力疾走 残念)


(ぐるぐるUFOキャッチャー 3人一組でポールを回り、次いで踏み台でボールを空中に挙げバケツで受け止める競技)


(内外の回るバランスが難しく、それると時間をロスする)


(父兄による紅白玉入れを応援する児童 次の競技の服装で)


(3-4年生によるYOSAKOIソーラン 訛のきつい伊藤多喜男のソーラン節に合わせて)


(最後の決めポーズもバッチリ)


(駆け足で席に戻る)

その後いくつかの個人競技、団体競技を経て午前の部が終わりました。花園種学校のグランドは高台にあるためか水はけがよすぎて、砂埃がたっています。先生・児童が協力して散水しても、あっという間に、吸収され再び砂埃がタちます。さて午後の一番は、「ありの棒引き」です。旧量徳小学校の伝統競技が、統合後も引き継がれたようです。一本の棹を赤白両側から引き合い自分の陣地に引き込むゲームです。最初は5年生、6年生毎に競い合い、三回目は、5-6年全員による乱取りです。


(5人一組で引き合い、自分の陣地に引き込めば、その組の競技は終了)


(紅組5人のうち二人が手を放してしまった 勝負あった)


(最後まであきらめないぞ!)


(乱取りの始まり、5人一組のルールはなくなり、制限時間内であればどこに参戦しても構わない)


(早々に諦めて別の仲間のところに走り出す児童も…)


(競技中に転倒する児童も多い あわてて先生が駆け寄るが、大したことなさそう)


(競技のつなぎ進行は、放送委員の児童が担当する)

さらにいくつかの個人競技が行われ、運動会最後のレースとなりました。最後は紅白、青黄含め4チームによるリレーです。青は赤チームに、黄色は白チームになります。結果は1位、2位が黄色、白チームで圧勝でした。


(先生がコース取りを指示する)

運動会最後まで好天に恵まれ、午後2時半ころには統合花園小学校の第1回運動会は無事終了しました。孫娘二人とも(3年生と5年生)、運命走、徒競走でそれぞれ入賞を果たし満足気でした。それにしても午前4時からの仕事(と言えるかどうかわかりませんが)、疲れた一日でした。

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上海余話

2012-06-11 06:00:00 | 旅行
5月14-15日の上海ツアーについては、二回に分けて取り上げましたが、そのほかの掲載できなかった画像や、その他の上海事情等について、余話として取り上げてみたいと思います。かつては中国では主たる交通機関が、ベトナムや台湾と同様に自転車やバイクでありました。しかしここ十数年の間の経済発展はすざましいものがあります。一部資本主義の導入とともに裕福層が大幅に増えました。その結果、街中には外車が満ち溢れ、交通渋滞を引き起こしています。朝夕の交通ラッシュは目覚ましく、スモッグで視界が遮られるような状態です。


(1) 交通事情

裕福層が増えると同時に増えたのが車です。市内の一般道、高架道ともに渋滞に次ぐ渋滞。ただ市内を走る高速道である「高架道」の場合、渋滞状況が表示されているのが日本と違います。ガイド氏の話によれば、数百万円で車を購入しても、ナンバープレートの取得が容易ではないとのこと。当局が車両抑制のためになかなか発行しないことから、20万円から60万円ほどかかるとのこと。では地方都市ナンバーを取ればいいではないかと言うことになりますが、高架道の乗り入れには日本でいう他県ナンバーは、乗り入れ制約があるらしいのです。乗り入れ制約は乗用車以外の、トラックは許可車以外乗り入れ不可、また日本でいう軽四輪も乗り入れ不可だそうです。日本のような配送専門のトラックは、当局への入札で大手数社に限定されているとのことです。またナンバーの偽造、盗難も多いとか。(なお、伝聞に基づく情報なので信頼性の程は…割り引いてください)


(高架道は片側4車線、中央寄りの2車線が小型車用(普通の乗用車)、外側2車線が小型車・大型車用となっている 分岐点近くでは混用)


(ナンバープレートのサンズイ+戸は、上海の別称 蘇州の場合は蘇の略字「芬」に似た文字、蘇の簡体字は日本語にない)

なおサラリーマンなどの朝夕の通勤は路線バスや、地下鉄を利用しています。地下鉄(1号線~11号線の11本)は市内を網の目のように張り巡らされていて、料金も3~5元(40~60円)と安い。またタクシーもその数が多く、料金も日本比べかなり安いです。基本料金14元(約180円)+距離制ですから300-400円あれば市内観光地は何処へでも行けます。ただ、英語は全く通じません。また漢字を書いても、簡体字が主流ですから、日本の漢字が通じないことも多いのです。


(2) グルメ

朝食は最終帰国日以外すべてヒルトンホテルで取りました。いろんな国の方々が宿泊するせいか、朝食のバイキング料理も実に多種多様で、和洋中華、毎日飽きることもありませんでした。レストランも実に豪華で、大きな椅子が重たくてずらしにくいという難点はありましたが…


(手前のフロアーにも食卓が並んでいて、数百人が一度に食事できるようです)


(孫娘はお粥とパンとジュースだけ、意外と小食 私はパン、ベーコン、ソーセージ、サラダ、チョイ食いすぎでした)


(市内観光時豫園での昼食 小龍包に餃子二種類、みなさん美味しい美味しいと言っていましたが…味付けがどうも合わない、漬物が一番でした 写真には二種類の漬物が載っていません、ほとんど私が食べて尽くしてしまいましたので)


(黄浦江ナイトクルーズ乗船前の夕食 やはり味付けが合わない、ここでも漬物と小エビのから揚げが一番でした 白いご飯が無くチャーハンでしたがやけにぱさぱさしている 娘や孫たちは美味しい美味しいと…)

さすが、翌日の無錫杭州ツアー時の昼食の中華料理にはうんざりしました。写真に撮る気力もありません、ああ、おかかの握り飯に、漬物+おつゆが飲みた~い、と叫びたくなりました。ちなみにこの時の昼食には、スペシャルメニューと言うことで、スペアリブが出てきました。ガイドさんが言います、一人一個分しかありませんので…、見るからにこげ茶色のタレに浸かり美味そう。誰かが言います。うん?味が違う!と。確かにたれの味付けが、日本人向きではありません。結局スペアリブもほとんど手付かずでした。

食事の後は当然お茶です。もちろん中華料理にウーロン茶などがついてきますが、緑茶一辺倒の私には、興味の範囲外。とは言え団体行動ですので、一応ウーロン茶の講義も受けました。


(熱いお茶はこうして飲むのが作法です… 7-8種類のウーロン茶を試飲しましたが、緑茶に勝るものなし 後ろのガイドさん盛んにパチリ、ムム嫌な予感)

飲み物の話が出たついでに、日本では街中いたるところに自販機があって、手軽によく冷えた清涼飲料水が手に入ります。上海では街中で自販機は一度も見かけませんでした。ガイドさんによると、地下鉄の駅など一部に設置してあるそうですが、種類は多くないとのこと。街中で時折見かけるコンビニ(ローソンが多いように見受けました)では、結構飲み物の種類は多いようですが、緑茶に関しては、見かけませんでした。ただラベルに緑茶とあっても、微糖ですので日本人の口には合いません。殆どの飲み物が2-4元(30-50円程度)ととても安いようです。ただ輸入物のエビアンは12元(160円)とちょっと高めです。ちなみにツアー中に立ち寄った店舗の喫茶コーナーのメニューと値段表を上げておきます。


(ビールは10~15元=130~200円 最上段は青島チンタオビールです コーラー類は5元=65円ほどです)


(3) 街かど

共産主義国家と言うことで宣伝広告も、かなり規制が強いものと思っておりました。でも新天地に入るなり、かなりきわどい広告を目にして驚きました。それだけ開放が進んでいるともいえます。それ以外にも目を惹く広告がありました。欧米人をモデルに使った斬新なというか、洗練された広告が多いように思いました。これも上海と言う特殊性が大きいなかもしれません。北京と違い上海は長く欧米の租借地であったために自由度が大きいのかもしれません。


(この垂れ幕があちこちに懸かっていて、どうしても目が行ってしまいます)


(絹織物工場兼販売店の入り口で見かけました 奥はシルク製品が並べられています)


(街中の酒屋さんかレストランの広告)


(小さな交差点で見つけた工事塀に書かれた人物像)


(塀に書かれた広告? 「食色声香」同じ広告をあちこちで見かけました PCで検索すると簡体語の文章が出てきて、意味は分かりません)


(4) 庶民の生活環境

今回の駆け足ツアーでは、観光名所を短時間で回るというもので、現地でじっくり市民の生活を観察したものではありません。本来であれば、市場や一般商店で買い物などして回りたかったのですが、それは次回と言うことにして、垣間見た印象を写真とともに紹介したいと思います。2008年の北京オリンピックや2010年の上海万博の際に、国の威信をかけて、バラック建ての住宅街を塀を囲って取り壊し、近代的なマンション群に建て替えたのは、TV報道されていました。今回バスで高架道を移動中にも、新しい超高層マンションと、旧住宅が併存している光景を何度か見かけています。古い住宅街も徐々に建て替えられているようです。


(新旧住宅街)


(途中まで取り壊しが進んでいるが、住人と交渉が進んでいないところはごらんの通り)


(運河にごみを捨てては…)


(近くの市場からの帰りかな、荷籠には茄子? ステンのボウルは何をするのかな?)


(5) 絹織物の工場を見学して

蘇州の代表的な特産物の一つとして挙げられるのが絹織物です。三国志時代(紀元前200年頃、歴史上では春秋戦国時代)にはすでに絹織物の技術が完成し、中国一の生産量を誇っていたといわれています。西方交易のいわゆるシルクローの東端で、後年(唐代)日本にも技術が流れてきています。ともあれ、今回のツアーでその歴史の一端を垣間見ました。


(5-6個の繭から糸を機械で撚って一本に糸にします)


(見学コースには実際の蚕と桑の葉があります)


(糸を紡いだ後は繭の中の虫だけが残ります これは池の鯉の餌となる)


(掛布団を製作中 見学者も糸を引っ張って…)


以上を以て上海ツアーの報告を完了します。あくまでも意見にかかわる部分は私見です。またガイド氏さんの言葉や伝聞をもとにして文章を作成しておりますので、多々誤認があると思われますので念のため申し添えておきます。
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モノクロ写真の数々

2012-06-07 06:00:00 | 写真
モノクロ写真の数々

モノクロフィルムで撮影した画像とデジタル画をモノクロ変換した画像を合わせて89枚を特集してみました。
カーソルを下段の黒枠部分に置きますと、標題が現れます。
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上海ツアー~無錫・蘇州を巡る

2012-06-03 06:00:00 | 旅行
5月15日がツアーの最終回となってしまいます。翌16日はホテルを午前5時30分に出発し空港に向かうからです。午前8時にホテルを出て、ツアーバスはラッシュアワーで混む市内の高架道を走り、高速道を通って、無錫に向かいます。無錫までは約200㎞ほどあります。2時間ほど走って高速道路を出たところで休憩です。途中にパーキングエリアがありませんのでトイレタイムに困ります。高速道路の管理事務所にお願いしてトイレを借りることになりました。


(左奥が高速道路のゲート 管理事務所は道路の向う側 この時間帯は車が少ない)

再び車は無錫に向かいます。かつては錫の産地であったと言われています。しかし前漢時代にはその錫を取り尽くしてしまい無錫になったとも言われています。現在でも工業都市で人口300万人を数え、中国の代表的な工業都市です。また琵琶湖の3.5倍もある太湖を抱えていることでも有名で、尾形大作のヒット曲「無錫旅情」にも歌われています。またかつては、三国志で有名な呉の国の発祥の地とも言われています。ともあれ、太湖に近づくと周辺に大きなマンションやクレーンがひっきりなしに動いていて、経済活動に活発な町であることがわかります。


(1) 太湖の遊覧

太湖は周囲約400㎞、大きい割には水深が2-3mと浅い。各所で長江(日本では、下流を揚子江と呼ぶ事が多い)とつながっていて、「南船北馬」の語源ともなっています。日本でも有名な三国志の、呉の国の発祥の地で、のちに都は50㎞ほど離れた蘇州に移されました。また隣国の越の国との争いが多く、「呉越同舟」の語源もここから出ています。ともかく歴史的に故事、遺跡の多いところです。


(遊覧船乗り場)


(屋形船風の遊覧船が行く 竜は王様のシンボルで、かつては王の乗る船であった)


(湖の周辺では工業建設が進んでいるようだ)



(無錫旅情にも歌われたジャンク船、今は観光船化している)


(3人のガイドさんの一人王・ワンさん)


(昔ながらの漁をしている)

小1時間ほど太湖を遊覧した後は、真珠の工場を見学しました。太湖ではカラス貝に肉を挟み込んで真珠を作るのだそうです。日本では、アコヤ貝に真珠の核となる物質を入れ数年間養殖してから取り出すと、直径1㎝前後の真珠が出来上がります。ここ太湖では、1個のカラス貝から30-40個の小さな、2-3㎜の真珠が取れます。それを宝飾に加工したり、あるいはすりつぶして化粧品に加工したりするそうです。まったく興味がないので工場も売店も見ませんでした。

無錫の真珠工場の向かいのレストランで昼食を済ませた後は、蘇州に向かいます。上海方向に50㎞ほど戻ります。蘇州は「上に天堂(極楽)、下に蘇杭」と謳われるほど、杭州とともに地上の楽園とたたえられています。2500年前には、呉の国の都として栄え、また絹織物の産地としても有名です。街中を運河が縦横に走り、明清時代に作られ、世界遺産に登録された名園が九つもあります。蘇州では「寒山寺」と「拙政園」、「絹織物工場」を見学しました。


(3) 寒山寺

ここのお寺は孫悟空の「西遊記」で、三蔵法師のモデルと言われている玄奘三蔵がここで修行して、天竺への旅が始まった地と言われています。西暦629年のことです。また寒山寺には、唐の時代の詩人「張継」が詠んだ漢詩「楓橋夜泊」の石碑とその拓本があります。高校時代に漢文の時間に習ったような記憶もあります。楓橋夜泊の詳細については、上のカラー文字をクリックしてください。


(寒山寺の入り口はこの長い回廊の奥にあります)


(寒山寺入口の前にある橋 この橋が「楓橋」?いえ違うようです)


(中国人は赤と黄色が好きだと言いますが… ここまでやるかと言う感じ…)


(線香に火をつけて…)


(四方にお参りして…)


(ここで燃やす)


(ありました、屋根瓦に、西遊記の一行が… 孫悟空はお笑い芸人のオカ○○に似ているような…)


(少数民族の方々でしょうか…)


(境内にはたくさんの仏閣がありますが… スペースの都合もありこれ一つとしておきます)


(4) 拙政園(世界文化遺産)

寒山寺を出て名園の一つ、拙政園に向かいます。蘇州には、宋代以降中央官庁を退任した役人たちによって贅沢な庭園が築かれ、その数は60を超えるといわれています。そのうちの9か所が蘇州古典園林として世界文化遺産に登録されました。長江の下流域、いわゆる江南と呼ばれる地域を代表する庭園が拙政園なのです。この庭園は、明代の1509年に中央官庁を失脚した王献臣が造営したといわれています。


(拙政園の入り口で記念写真を撮る観光客)


(大きな池がある 周囲は新緑が目にも鮮やか 中央奥に北寺塔が見える)


(大きな堂があちこちにあって…)


(池の中では、カメが平泳ぎをしている…)


(5) 蘇州街なか・運河付近


(お寺の近くでは線香を売る露店が目立つ)


(観光客の集まる名所にはチクロが客待ち顔で… 小樽ではチャリタク=チャリンコタクシの略、と呼んでいます)


(奥のリンゴと手前のランブータンはわかりますが…)


(運河の橋の上から見ると… こんな光景が至る所で見られます)


(欧米人の観光客 カメラを向けると手を振ってくれました)


(狭い運河を船が行きかう)

蘇州最後に絹織物の工場を見学しましたが、スペースの関係もあり、次々回6月11日に「上海余話」として、取り上げきれなかった画像と一緒にアップしたいと思います。
コメント (6)
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