紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

モノクロ写真の数々(2)

2020-04-20 11:30:39 | 日記

               <昭和55年当時の旧小樽運河 運河埋め立て論争を経て、昭和61年に臨港線沿いのみ半分埋め立てとなった>

 

前回は、私が中学生のころ(昭和31年~34年)の写真を紹介しましたが、今回はその続きと、旧小樽運河、平成9年に小樽港に入港した空母インデペンデンス号を取り上げ、さらに3回目以降は、平成11年に完成した大型商業施設「小樽マイカル」、赤外写真等ほかを取り上げます。

中学生の頃は、戦後の食糧難からやっと出して、経済が復興から、高度経済成長にまさに移らんとする時期でした。カメラ・写真に興味を抱いたのもそのころで、最初は日光写真がきっかけでした。お祭り等の縁日で売っている日光写真機と画像のもとになる絵の描かれたパラフィン紙を挟んで太陽光に5-6分当てると、出来上がり。

日光写真


中央の箱がカメラ部分、と言っても単なる紙箱 ガラスの窓枠があって、印画紙と、ネタ絵を挟んで、日光にかざすだけ、夢中になったものでした。

 

☆懐かしき中学時代(続き)

 


U君 蛇腹のカメラを持っていますね。

 


こちらのT君も、蛇腹のカメラです。机の上に弁当、果物がありますが、中学卒業式当日の謝恩会があったからです。現在の謝恩会とはかなり異なるかも…

 


前回紹介した中で遠足の画像がありましたが、その時の写真です。60数年経ても、彼女たちの苗字名前は覚えております。左端の子は、山、山…駄目だ、下の名前が出てこん。

 

☆旧小樽運河
明治以降小樽の貿易港としての役割が高まるとともに、沖合に停泊中のの貨物船から荷を陸揚げするために、小樽運河が作られました。大正12年に完成しましたが、日本で唯一の、海岸埋めたて方式でした。全長1140m、幅40mでした。昭和41年に、役割を終えた運河を埋めて、交通渋滞を解消する計画が持ち上がりました。
しかし、市民の間からは運河を守る会が生まれ、10数年の運河論争を経て、臨港線側半分だけ埋め立て、残りの北運河側はそのまま残すことで決着。この間の経緯についてはウィキペディア「小樽運河」を参照してください。

 


旧小樽運河・中央橋から札幌方面を撮影。昭和55年1月撮影、現在観光スポットとなっている「浅草橋」はまだできておりませんでした。画面右端に半分沈んだ船が見えます。メタンガスがぼこぼこ噴き出していて、悪臭がひどかった記憶があります。大学時代、ここの道路を通って学校まで通っておりました。

 


おなじ中央橋から倉庫街を見た画像です。左端のしゃちほこのある倉庫が、現在の運河プラザと小樽博物館(運河館)です。小型ボートの横に大きな平らな船が幾艘も繋がれていますが、これが「艀(はしけ)」と言って動力をもたない運搬船なのです。沖合に停泊している貨物船から、荷を積んで、動力船(タグボート)でここに運んでくるわけです。一度に300トンほどの荷物を運んだと言われています。

 


上の画像のさらに北運河側を見たものですが、当時は倉庫が数多く連なっておりました。これらの倉庫群も現在は半分ほどが取り壊され別の建物となっています。

 


もう少し角度を変えて、海側(右)の建物も取り込んでみました。右奥に見えるのが、北海製缶の工場です。これらの画像は、運河が埋め立てられるというので、東京勤務のおり、正月休みで帰省したさいに撮ったものなんです。もちろんネガカラーでも数本撮影しております。

<参考 カラー写真>


同じ日に、カラーで撮影した画像 右下にわずかですが日の丸国旗が見えています。なので撮影日は、1月の3日頃だったかも…

 

☆小樽港に米艦空母インデペンデンス号(横須賀が母港)が寄港
平成9年9月5~7日米国の航空母艦インデペンデンス号が親善のために、小樽港寄港しましたが、これは米空母による日本の民間港への初の寄港となりました。こののち、平成12年と18年には米空母キティホークが2度寄港している。

 


横須賀を母港とする米国の空母インデペンデンス号は、全長319m、幅40m、搭載機70-90機、兵員3950名、総排水量8万640トンと言われています。

 


艦載機の一部を切り取ってみましたが、戦闘機がずらりと並んでいて、圧巻ですね。

 


船内見学があって、見学者が長蛇の列をなしています。確か事前に希望をとって、抽選で決めたようでした。応募は致しませんでしたが…

 


この画像は、小樽港マリーナです。同じ日に上の画像と連続して撮影しておりますが、画面上段右奥に、インデペンデンス号が係留されています。ヨットが多数陸上にも係留(と言うのかな)されているのが見えます。この平成9年ごろは、マリーナの左側に、大型商業集積「マイカル小樽」が建設されるのです。参考までに、下に画像も掲載しておきます。なおこれらはすべて、桜町の平磯公園の駐車場付近から撮影しております。

 


平成9年9月撮影 JR小樽築港駅は手前の草木に隠れ見えません。マイカル小樽は、中央左手に、建設されます。イタドリの葉(地元ではドンガイという)に隠れていますが…。中央の白っぽい(白飛び)建物は、肥料会社のサイロ群です。

 

次回は、マイカル小樽の開業当初の画像や赤外フィルムの写真を取り上げる予定です。

 

コメント (2)
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