紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

師走の街を行く

2013-12-30 20:00:00 | 日記
思わぬアクシデントでした。師走の19日から26日まで8日間入院する羽目になってしまいました。不整脈を発症し、薬剤投与と安静の毎日で何とか回復、無事退院できました。でも医者からは、10㎏近い減量と、塩分抑制のきつい指示が出ました。これから大晦日、孫の誕生日、正月と、目の前に大きなハードルが控えております。果たして、乗り越えられるだろうか、一抹の不安はありますが…。

それはさておき、写真撮影に出られないことが何とも残念。12月下旬には札幌ホワイトイルミネーション(大通会場は12月24日まで)の撮影に行く予定でした。また、クリスマスには小樽運河で、初の「小樽雪物語・冬の流星」(12月21~23日)があります。小樽運河に、満天の星空を描くイベントで、何れも撮影チャンスを失ってしまいました。

そこで退院後にリベンジをと、29日(日曜)札幌の街に出かけてみました。駅前通りの中央分離帯ではホワイトイルミネーションが引き続き行われています。また南10条の札幌パークホテルに、過日のフォトコンテスト入選作品を引き取りに行く必要もあります。そしてPC関連消耗品もヨドバシカメラで調達したいし…ということで、師走の札幌の街の風景を切り取ってきました。


札幌駅でロビーに出て、トイレを…鮮やかな赤と青が目に飛び込んできました。今まで気が付きませんでした。


改札も混雑しています。大きな荷物を持った帰省客でしょうか、相次ぐJR北海道の不祥事で、特急列車の減便、減速等で…、ほかに代替交通手段がない以上、JRを使わざるを得ません。


改札を出ると、TV局の取材チームがカメラの調整をしていました。また不祥事?いえいえ、混雑ぶりの取材でしょう。


駅前通り、歩道はヒーティングで路面が出ていますがわきに大きな雪の塊が積み重ねられてます。ピンクのハート印は、コンデジPENTAXWG3で、トゥインクルマーク加工したものです。

いつもであれば、札幌駅~大通間は、地下遊歩道を歩くのですが、今日は師走の商店街風景もカメラに収めるべく地上を歩きます。小樽に比べ札幌の都心街はやはり積雪量が少ないように感じます。ヒートアイランド現象もあるのでしょうが、通行量がけた違いに多く、雪が圧雪されるからなのでしょうか。さらに大通方面に向かって歩きます。


行き交う人たちも、いつも比べ大きな紙袋を持っているようです。


前を行く二人は、アジア系の外国人のようです。札幌のマップを見て何かを探しているようでした。年末年始を日本で過ごすのでしょうか。


歩道の車両側には、地下遊歩道出入り用の構築物(フード)があって、ガラス張りになっています。ガラスの壁面に周囲が映り込んで、微妙な空間を演出しています。


大通公園を通り越して4丁目プラザに出てきました。向かいのビルが通称4プラと呼ばれる商業ビルです。行き交う人もみなさん大きな紙袋を下げています。師走の風景ですね。


三越前の交差点付近、キャリーバッグを引きずる東南アジア系の外国人カップル。


三越デパート前の、通称一番街にはイルミネーションが輝いていました。金銀交互に輝くイルミネーションも、今日は主役ではないよいです。道行く人はみな足元に注意を払いながら、先を急いでいます。


カメラを通行人に当て、流し撮りしてみました。多少は師走の忙しさが表現できたかな?


さらに南に進むと、親子連れがショーウィンドーを覗いています。ここは洋菓子で有名な「千秋庵」です。実はこの3人、右の子供二人はディスプレーなんです。その様子を若い女性が携帯電話でパチリしていたんですね。


ススキノに近づいてきました。奥に広告に注目してください。


この広告です。ウィスキーの広告じゃないか、ですって?そうですよ。来年から始まるニッカの竹鶴夫婦の物語…、と言えば分るかと思います。NHKの連続テレビドラマになることが決まりましたね。


しつこくもう一枚。歩道と車道の間の鎖をつなぐポールです。


と言いながら、ダメ押しの一枚。

すすきのを過ぎると、急にビル街のネオンの数が減ってきました。なんとなくさみしいので、こんな写真を撮ってみました。横断歩道の前で停車している車が一台。


チョイ左下がりですが、気にしない、気にしない。

そうこうしている間に、南10条のパークホテルに着きました。フロントで額装されたA3サイズの写真等を受け取りました。できれば写真を撮りながら帰りたいところですが、なにぶんA3サイズの大きな写真を抱えると、手が自由になりません。地下鉄で札幌駅に直航します。


中島公園駅のそばに、しめ飾りを売るテントが出ていました。師走ですね~。


皆さんも、どうぞよい2014年をお迎えください。

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我流欧州見聞録~その3(スイス、フランス編・最終回)

2013-12-26 14:00:00 | 旅行
我流欧州見聞録も、最終回となりました。スイスとフランスについてレポートします。4番目の訪問国スペインから5番目の訪問国スイスのジュネーブに飛びます。レマン湖のほとりにあるジュネーブは美しい都ですが、ここに国際連合の諸機関が集中しております。研修ではそのうちの一つの機関を見学に行きましたが、途中ジュネーブ大学の構内を通り、宗教改革で有名なカルビン(カルバンともいう)やルター達の像の前を抜けてゆきました。


ジュネーブ大学の構内の中を抜けていきます。授業中なのか誰も見かけませんでした。


レマン湖のほとり、街路樹もすっかり葉が落ちて晩秋の気配がしていました。


上の道路一本はさんで、向かい側の広場(庭園か?)にイチョウの木から落ちた落ち葉が、とても綺麗でした。柵のない広場を入り写真を撮っていると、住宅から出てきたご婦人が何か叫んでいます。慌てて、退去しました。どうやら個人の住宅だったようです。

なお、スイスはいくつかの州の連合国家で、公用語が、ドイツ語、フランス語、イタリア語と3カ国語(ほかにローカル言語のロマンシュ語も公用語)が使われています。永世中立国として有名です。なお、スイスはEU連合に加盟しておりません。ですが、他の国々との移動も割と自由にできます。日常でも勤務先が外国である隣町であったりするのが当たり前となっています。スイスはEUの国々に囲まれてはいますが、通貨はスイス・フランを使っています。


駐車場の車の、バックプレートです。EU諸国は統一した横長のNo.プレートを用いています。このフィアットにも取付用の小穴が見えます。またスイスのナンバープレートには、国旗のマーク(赤地に白十字)と州のマークが用いられています。GEはジュネーブ州のことです。その横のマークは、州旗になります。

ボディ横のローマ字に注目してください。CHとあります。これはスイスを表しています。スイス連邦国のラテン語の国名「コンフィラディチオ・ヘルベチァ」の略です。なおイギリスは、連合王国のUK、スペインがE(エスパニョール)、ドイツはD、フランスはFを用いています。ナンバープレートの横にこれらの文字がシール付されています。日本でも、EUから中古を仕入れたときに、時々横長のナンバープレートを見ることがあります。そこにある頭文字から元の国名がわかります。

さて街中を走っていると、時々目にするのがこのマークです。赤い地に、黒いクマが、かぎ型の串に刺した鳥に火を吹いている図なんです。このクマが5本足の図もありました。看板の文字が読めれば、おおよそ何の宣伝なのか理解できるのですが…いまだにわかりません。


ガソリンスタンドかなとも思ったのですが、火を吹いていることから、ガソリンスタンドではないですね。


しばしフランス国内に入って、シャモニーに向かいます。


シャモニー海抜1300m、ここからロープウェー3800mの展望台に向かいます。


モンブラン(標高4807m)の一つであるエギュイユ・デュ・ミディの展望台の一つ(標高3800m)に着きました。外に出ると、猛吹雪、マイナス25度、何も見えない。ぶるぶる震えながら、室内でコーヒーを飲みました。左上に「No pik-nik」とあります。


さて翌日は大型商業施設の見学です。


クリスマスが近いせいか、関連飾り物が多いようです。

じっくりとレジを見ていると、日本との違いがはっきり分かります。お客はカート内の商品をベルトコンベアに載せます。レジ係が1個づつレジを打ちます、打ち終わった商品は後ろのコンベアに移動し、そこでお客が自分で袋詰めをします。レジ係は、日本と違って自分の領域以外の手助けはしません。EU諸国に比べてスイスの物価は平均して高いように感じました。

ホテルはジュネーブ・コルナバン駅近くで、夜間でも結構な交通量でした。ホテルの窓際から、コンパクトカメラがぶれないように撮ってみました。


何処が駅なのかわかりません。


夕食で出かけたときに見かけた光景。

翌日は研修やすみの日で自由時間がありました。同室の同僚と、買い物に出かけることにしました。スイスと言えば、時計の世界一の生産国です。駅の近くの通りはどこも時計屋さんばかり。ショーウインドーには高級品から普及品までたくさんの時計が並んでいます。日本円で2000円前後のスォッチを多く見かけました。当時(平成5年11月)は日本ではスォッチはまだ流行しておりませんでした。

事前に、日本の輸入時計の安売りチラシを持参して価格比較をしておりました。家内からお土産にグッチの時計(イタリア製)を、注文されていましたので、代表的な三色マークの時計に注目していました。ローマのグッチの店で見たときは、日本の価格のほうが、なんと安いではありませんか。スイスでも同様日本の方が安い。そこで、別の時計を見せてもらい購入しました。グッチのバッグと合わせ数十万円、家内にはこれで一生分のお土産が出来たな、とほくそえんでました。

翌日は早朝、コルナバン駅から、フランスの新幹線TGVでパリのリヨン駅に向かいます。出発前にツアーガイドから忠告がありました。乗車券のダブルブッキング(二重販売)は日常茶飯事、座席に着席したら、ほかの客が「そこは私の席だ」と言って来ても席を外ないように、とのこと。トラブルは車掌に任せるようにとの指示です。幸いトラブルは発生しませんでしたが、ダブルブッキングが日常茶飯事とは驚きでした。


アルプスの麓を走る。


数時間後には、パリの四つある終着駅の一つリヨン駅に到着です。ここリヨン駅は、TGVの発着駅になっていて、一つはスイスのジュネーブ、ローザンヌ、チューリッヒ方面に向かいます。もう一つは、イタリアのミラノ方面に向かいます。駅前広場に出ると色んな広告・看板が目に飛び込んできました。なんの看板かわかりませんが…、選挙の看板らしいということでした。


TGVの終着駅リヨン駅構内


地図を指さしていますが、単なるポーズです。

リヨン駅30分ほど待ちましたが、あいにく次の研修先と時間が折り合わず、急遽余った時間を利用してから貸し切りバスに乗って、ベルサイユ宮殿見学です。歴史ある宮殿ですが、宮殿前に広がる庭園等の作りが近代的過ぎて、まるでクラシックな感じがしませんでした。宮殿の中も確かに豪華ですが…


1682年ルイ14世が立てたと言われていますが…、金と権力に物を言わせて作った超豪華な作りですが、見学していてもさっぱり生活環、歴史観が感じられませんでした。


建物の入り口そばには、中学生くらいの子供たちが、4人ほどたむろ。子供がタバコをふかして…よく見ると、お菓子ポリポリでした。ああやはり子供だと、一安心。

宮殿入り口そばでトイレに入ろうとしたところ、受付?テーブルに座っていた女の子が「有料です、25サンチームです」と言う。当時1フラン約20円、その4分の1ですから5円ほどでしょうか。1フラン出すと、50サンチームのコイン1個を釣銭として渡されました。どうも計算が不得手なのか、何事にもこだわらないのか、つり銭もいい加減です。高額な場合でも、結構数え違いがあります。多く戻ってくる分には文句は言えませんが…


街中で見かけた有名な看板です。ロンドンのアビーロードで撮影されたビートルズ4人が横断歩道を渡る画像は、レコードのジャケットになりました。


単なる町並み?ま、それはそうですが、超有名なところなんですが…、オプショナルツアーもありましたが私は行きませんでした。


「皆で渡れば怖くない」をまさに地で行く光景にびっくりしました。歩行者用道路も信号もあるものの、無視、左を見て車が来なければ、中間ラインまでわたります、右を見て再度わたります。

もともとヨーロッパの道路は、車優先のように思えます。古くローマ時代に主要幹線道路網がローマ帝国内に張り巡らされました。これは戦争のための道路で、いわゆる戦車などの攻撃用の馬車や、資材を運ぶ馬車用に作られた道路です。かつての考え方が残っているせいなのか、横断歩道に通行人がいても車が強引に入ってきます。

もう一つ日本と違うのは、車に対する考え方です。ヨーロッパでは、車は単なる交通、移動手段ですが、日本ではときと入してステータスを表すものとなります。ドイツの高速道路では、BMVやベンツと言った高級車が、ヘッドランプが壊れたまま、あるいはルーフに取りの糞が付いたまま走っている事が数多くみられました。コンコルド広場では、観光バスに乗っていると、周囲からドスン、ドスン、と言う大きな音が何度も聞こえます。縦列駐車した、フィアットが、前後に車をぶつけてスペースを広くして、悠々と抜け出していきました。バンパーは、スペースを広げるための衝撃吸収用なんだそうです。

パリでは研修日程が少なく、自由時間がたっぷりありました。郊外へ買い物にでもと思い、地下鉄のチケット売り場が…さてと迷っていると、中年以上の大人には英語が全く通じません。困っていると、近くの学生が英語で話しかけてきて、売り場まで案内してくれました。10枚つづりのカルネと言う切符を購入して電車に乗り込みます。ここで思わぬアクシデント。同僚のO氏が、ポケットから切符を投入、競馬のゲートのような扉が「ガシャン」と閉じてしまいました。

O氏扉に挟まれて身動きできず、ああ、このままお陀仏かと思った瞬間、再度扉が開きました。後続の乗客が、切符を投入したからです。O氏は使用済みの切符を投入したから、閉じたのです。パリの地下鉄は、下車の際に、切符を投入する必要がないんです。扉の下のマットに足を乗せると、出口用の扉が自動で開くからなんです。そのために、ゲートを入ると、切符を捨ててしまう乗客が多いのです。見ていると、切符を買わずに、大股でゲートを超えていく人や、出口から長い足を突っ込んで床を踏んで出口の扉を開けて入っていく、無賃乗車が多いのにはびっくりしました。


扉の開閉は自動ではありません。閉まる時は自動ですが、開けるときは手動です。


パッシー通りで降りてみました。


近くにはモンパルナスがあるらしい。


途中で喫茶店に入りました。入り口のメニューを見るとミックスサンドの文字が読めました。それとコーラーを注文。店のオヤジさんが、長いフランスパンを切り始めました。まさかあれじゃないよねと言っていると、画像のように、フランスパンにハムとチーズを挟んだものが出てきました。

所変われば品代わるとは、まさにこのこと。入れ歯のO氏は固いものが食べられず、私が全部いただきました。

まだまだご紹介したい文化の違いがありますが、長文になりますのでこれで最終回といたします。


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フォトコンテストでGETしたカメラ

2013-12-18 06:00:00 | カメラ
Facebook等ではすでにご紹介しましたが、カメラの学校とニコンがタイアップした第4回「カメラの学校」フォトコンテストで、準グランプリを得ました。その賞品として我が家にやって来たのがPENTAX GW3と言う水中撮影用のコンパクトカメラでした。ニコンがタイアップなのに、PENTAXが?と思いましたが、応募要項を再読してみると、グランプリがニコンのコンデジ、準グランプリはペンタのコンデジ、3位がメモリーカードとなっていました。

これで、フォトコンテストの賞品としてGETしたカメラは、トイカメラを含めて8台目になります。ちなみに、カメラの学校と言うのは、トイカメラのメーカーとして有名なデジタルハリウッド社が主催するネット上の学校です。

☆ 第4回カメラの学校×ニコン「いいね!を撮ろう」フォトコンテスト
  準グランプリ 「夜空に咲く大輪の花」


<審査員講評>
☆観た瞬間、とびきり美しい花だと思ったのですが、あれこれ花じゃないぞと。夜空に咲く花だったとは。プロ写真家でもあまりトライしないだろうと思われるオリジナリティあふれる技法で花火写真の新しい可能性を見せてくれました。なんど観ても魅了されます。【杉山(生徒会長Mojo)】
☆いわれなければ、花火だとは思わなかった。まるで絵にかいたかのようなきれいなお花が、堂々としたフレーミングで夜空に咲く。【若子jet】



賞品としていただいたPENTAX WG3、ボディ周囲に小さな文字で、WATERPROOF(防水)、COLDPROOF(耐寒)、CRUSHPROOF(耐衝撃)が見えます。

☆ 主な仕様は以下のとおりです。

1 画素数 約1600万画素
2 レンズ PENTAX ZOOM 4.5~18mm(35mm換算25~100㎜)7群9枚構成・非球面レンズ4枚使用
3 Zoom   光学ズーム 4倍 デジタルズーム 7.2倍 最大28.8倍
4 ISO   125~6400
5 シャッター 4秒~1/4000
6 フォーカスモード オート マクロ 1㎝マクロ パンフォーカス 無限遠 マニュアルフォーカス
7 撮影モード オート プログラム HDR デジタル顕微鏡他
8 デジタルフィルター モノクロ(セピア) トイカメラ カラー強調 色抽出 ミニチュア他
9 撮影可能枚数 1充電240枚


カメラ裏面のモニターには、24通りの撮影モードが表示される。通常はオートかプログラムモードで撮影します。


こちらは内臓フィルターが表示されますが、撮影後の編集用です。HDRは、フィルターにも、撮影モードにもありますが、出来上がりは両者全く違います。撮影モードのHDRは、本来の意味の輝度差を圧縮した画像に仕上がり、極めて元画像に近い写りとなります。一方の内臓フィルターのHDRは、きわめてドラマチックに加工されます。オリンパスカメラの内臓フィルター「ドラマチックトーン」を思い起こさせます。


上のアートフィルターの上段右端の星のマークをクリックすると、12のアートフィルターが出てきます。

以下作例をいくつか紹介いたします。


小樽北運河の画像をもとに、内臓フィルターで加工してみました。左の大きな画像が元画像になります。右上から、「HDR」「魚拓風モノクロ」「モノクロ」フィルターを使いました。なおこれらの画像もフィルターの一つ「コラージュ」を使いました。


こちらは、イヌの散歩の途中で見かけた自販機です。右上から「モノクロ・セピア風」「色抽出・赤」「ソフト」フィルターを使いました。


パノラマ撮影は、3枚の画像をつなぎ合わせますが、LUMIXやCASIOのコンデジでは、構えたままの姿勢でカメラを左右に振ります。ところがWG3では、3回の撮影で画像をつなぎ合わせます。1枚目を撮ると、モニターに1枚目の画面の端に、残像が出てきますその残像を合わせることによってつないでいきます。画面左3分の1の端、ビルのあたりの重なりがわずかにずれました。


美術館の写真展の模様ですが、今回は2枚目と3枚目で多少ずれました。人物が端に来ると動く可能性もあります。残像がかなり薄いので、次の画像と重ね合わせるのは、結構難しく感じました。まぁ、この程度であればご愛嬌と言うことで…。


さて、このWG3をGETしてからほぼひと月が過ぎました。日常の使い勝手がよくお散歩カメラとしては十分役立ちそうです。なんといっても雨にも強く、落して大丈夫となれば、多少手荒く扱っても平気なのでデジイチのお供としての出番が増えそうです。アートフィルターの中ではHDR加工と魚拓加工が面白く感じられました。いくつか作例をあげておきます。

その前にこのひと月間の使用感触をいくつか挙げておきます。

1 7群9枚レンズ(うち非球面レンズ4枚使用)と言う多くのレンズを使っているにもかかわらず、レンズが前面に飛び出してこない。したがってオンの状態でポケットへの出し入れに不自由しない。
2 防水カメラなので、雨や雪の日でも気にせず使える。 
3 操作ボタンがすべて右サイドに集中し、親指でボデイを支えるスペースがない。
4 付属のストラップらしきものがあまりにも不恰好である。工事職人が腰にぶら下げるようなリングはいただけない。多分海中で腰に取り付けるのかもしれないが…
5 アートフィルターが多種多様で、大人のおもちゃとしては面白いかも…家内の一言「飽きずにいじくり回せて、良いおもちゃ貰ったわね」


雨の日の小樽運河、普通に撮ればくすんで写る運河もHDRフィルターで編集すると、かなりドラマチックに見えます。


夕方の薄暗い条件下で撮影、雲の合間から陽がちらちら。


ミニチュア加工もできます。


孫が入ってきて、ジジ撮るよって、魚拓加工してみました。えっ、最後の画像は余計だって!知ってます、
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我流欧州見聞録~その2(イタリア、スペイン編)

2013-12-13 06:00:00 | 旅行
前回のレポートの中で書き漏らしたことがありました。それはタクシーの利用についてです。周知のように外国には流しのタクシーはほとんどありません。したがって街中でタクシーを捕まえるのは難しいのです。でも観光地ですと、あちこちにタクシープール(タクシー専用の乗り場)があります。ここで捉まえることになりますが、ドイツでは、なんと一人で乗車する場合は、運転席隣の助手席に乗ることになっているんですね。日本ですと当然後部座席に乗るのですが…、ドイツでは、タクシーはベンツが圧倒的に多いようです。ベンツと言っても高級感は全くなくて、日本と同じ、タクシー仕様のベンツでした。

さて3か国目の訪問地はローマです。ローマ郊外のフイミチーノ市にあるフィミチーノ空港に降ります。この空港は別名レオナルド・ダビンチ空港とも呼ばれています。ここで驚いたのは、空港内の警備がきわめて厳重であったことでした。昭和の終わりころから世界中でテロ行為が頻発したために警備が厳重んになったのでしょうが、軍隊風の警察官(と思われる)がマシンガンを小脇に抱え、シェパードを先頭に空港内を闊歩している姿でした。およそ日本では考えられない光景に、足がすくんでしまいました。残念ながら撮影は禁止区域ですので画像はありません。

ローマと言えば、まず最初に思い浮かぶのがコロッセオはじめローマ時代の遺跡です。市内の地下にはこれらの遺跡が今でも眠っています。当時の地図が残っているために、どこにどういう遺跡が残っているのかわかるそうです。なので、市内には地下鉄路線が少ないのだと説明されました。


コロッセオの外面は穴だらけ。もともとは大理石で覆われていましたが、キリスト教の普及とともにはがされてしまったとか。また外壁の丸い穴は、第二次世界大戦中に、ムッソリーニによって鉄骨が抜かれ、砲弾に変わったということです。


記念撮影中のドイツ人観光客。なぜドイツ人と解るかって?話し言葉でわかりますね、


こちらは、オードリーヘップバーンとグレゴリーペックが共演した、ローマの休日の一場面となったスペイン広場です。オードリーがジェラートを食べながら階段を下りてくるシーンがとても印象的でした。階段の上に、かつてスペイン大使館があったことからスペイン広場と呼ばれました。なお、現在はこの階段での飲食は禁止されています。

ローマでのホテルは、ボルゲーゼ公園近くの、ホテルパルコデプリンチペ、日本風に言えばプリンスホテルでしょうか。朝起きて公園の駐車場に目をやると、黄色い車が多数止まっています。


イタリアのタクシーは黄色に統一されている。セダンだけではなくワゴン型のタクシーもあります。日本でも近年はワゴン型タクシーも見かけますが、当時としてはとても珍しい光景でした。なお、現時点でも黄色に統一されているか、否かは不明です。


研修に出る前に、地元紙に目を通して…、イタリア語は全く読めませんが…


日本語がわかる、イタリアのネコ。なぜかって?こっちに来い、と呼ぶと、来たもんね。


トレビの泉の近くの野菜・果物のマーケット。

ローマを代表する有名スポットは、バチカン市国があります。と言ってもバチカンは、れっきとした独立国ですから正確にはローマとは別ですが、そこは市内の一角にあって、国境もなければ柵もない出入り自由ですから…


サンピエトロ広場には、サンピエトロ寺院の両脇に楕円形の回廊があります。4列の円柱による回廊で、1657年に、ベルルーニによって建設されたといわれています。広場のある地点に立つと、この4列の円柱が、重なって一本の円柱に見えます。


サンピエトロ寺院の横には、ローマ法王の居住区に通じる通りがありますが、クラシックな服装をした衛兵が槍をかざして守っています。この衛兵はスイス人で、服装をデザインしたのはミケランジェロとも言われています。


寺院の中にはラファエロ、ダビンチ、ミケランジェロなど超有名人の作品が立ち並んでいます。そのほとんどは宗教画です。奥の祭壇までは、入り口から183m、ドームの天井の高さは132mと言われています。


トレビの泉に入る前の広場では野菜・果物市が立っています。籠の中の赤い果物、多分トマトと思いますが1300の値札がついています。1300リラで、当時に円レートが1リラ0.07円ですから、1個91円と言うところでしょうか。なお、EU統合後は通貨はユーロ(€)に統一されました。


ローマでの研修終了後次の都市スペインのマドリードに向かいます。なお、当ブログには研修については、業務上にかかわることなので一切触れておりません。このレポートを見て、観光に行ったのかとは思わなでいただきたいと思います。次の目的地マドリードには、フィミチーノ空港から、アリタリア航空で行きました。


美人のキャビンアテンダントに、ついパチリ。


マドリード郊外の上空に来て、なんという赤っ茶け立大地なんだろうと驚きました。緑色の部分はほとんどがオリーブ畑です。画像は、雲がまだら模様になっていて、見にくいですが…。

スペインと言うと、すぐに思いつくのが闘牛、フラメンコダンス、時代が少しさかのぼってスペイン無敵艦隊などでしょうか。もう一つ世界に誇るものとしてプラド美術館があります。世界3大(ロシアのエルミタージュ美術館、パリのルーブル美術館)、あるいは4大(+ニューヨークのメトロポリタン美術館)美術館の一つと言われています。研修の合間に訪れる機会がありました。


プラド美術館遠景。記念碑の前に黒っぽい像が二つ…


ドンキホーテとサンチョパンサでした。その隣の白い像は、スペインを代表する画家、ゴヤの像です。ミゲル・セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」については、小さいころ物語として見聞きしたことがあると思います。


館内は画家別のコーナーになっていて、広くて迷いそうでした。コーナーの出入り口に備えてあったパンフレットを取りだして歩き出すと…女性監視員が慌てて寄ってきて、スペイン語で…???、ああ、パンフレットは有料でした。100ペセタ(約80円)支払ってOK。


エルグレコの作品で「マリア受胎告知」


多少ぶれていますが…、有名なベラスケスの「王女マルガリータ」(作品名は、女官たち)を描いたものですが、左端の大きなキャンバスに向かって筆を取っているのがベラスケス自身、奥のドアにたたずむのが、マルガリータの父であるハプスブルグ家スペイン国王のフィリペ4世です。

さて、スペインと言えば情熱の国、フラメンコです。夕食時に観劇しましたが、観客の大半が日本人ツアー客でした。


このシーンは、スペイン旅行者のブログ等によく出てきます。観光めぐりの定番コースなんでしょうね。

それよりも驚いたことが二つありました。マドリードの交通事情です。その一つは、たまたま市内を観光バスで走っていた時に起こりました。交差点で信号待ちをしていた時に、片側数車線のうちの左折レーン(車両は右側通行、日本と反対)が車が走っておらず空いておりました。突然パトカーが交差点から右車線の開いている左折レーンに入り込んできたのです。それも中央分離帯に車半分乗せて。そのまま逆走して何事もなかったように左車線に戻って行きました。パトカーは別に赤色灯を回している訳でもなく、緊急走行ではないようでした。観光バスに乗っていた研修生一同ただただ唖然とするばかりでした。

もう一つは、ラッシュアワーの時間帯が日本とは違うことです。ご存知のようにスペインにはシェスタと言う昼寝タイム(13:00~16:00)があります。この時間帯は民間はもちろん官公庁も仕事をストップします。そのために帰宅の時間帯が午後9時頃となり、ラッシュアワーが11時頃まで続くことがあります。


画面中央に時計が見えるが午後8時55分を示しています。町は人と車で大渋滞。この時間帯に子供も歩いていました。


同じころの画像、車が大渋滞。

最後にスペインの首都であったトレドを紹介します。まるでマッチ箱を重ねたような街並みですが、ここに君臨していたのがイザベラ女王。コロンブスのアメリカ大陸発見のスポンサーとも言われ、テレビドラマだったか映画だったかにもなりました。スペインが無敵艦隊と呼ばれた海軍力を誇示した時代でもありました。1561年にマドリードに遷都されるまでは、ここがスペインの中心地だったのです。


まるで箱庭のような街。


近くには、スペインを代表する画家エルグレコが住んでいた家が残っている。


最終回は、スイス・ジュネーブとフランス・パリを取り上げます。





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モノクロ写真の数々~その3

2013-12-08 06:45:11 | 写真
平成12年から14年にかけて、八王子勤務当時撮影したモノクロフィルムでの画像を紹介してきました。この間、毎日のように通勤バッグにフィルムを詰めたコンパクトカメラを入れて、通勤の行き帰りだけでなく、昼休みにも近辺を撮影して歩きました。なので、モノクロスナップが多いのですが、前二回で紹介しきれない画像がまだまだ出てきました。

今回も八王子勤務当時のモノクロ画像を紹介します。中には休日を利用して、レンタカーで富士山の周囲を一周したときのものもあります。いずれにしても、モノクロフィルでの撮影は、一眼レフカメラでのサブとして使っていたので、撮影に出かけても、撮ったり撮らなかったりといった具合で、体系的な撮り方をしておりませんので、その辺はご了解ください。


(1) 神田と銀座

全く雰囲気の違う町並みですが、神田は大手町にある本店に12年ほど通った折に、通った町です。当時の官舎は、北浦和にあって、北浦和から京浜東北線で神田まで出て、神田の街を徒歩で抜けて大手町まで通いました。十数年ぶりに見る神田の街は相変わらず、ごちゃごちゃとした下町の雰囲気が残っていました。


立ち飲みの酒屋があったり、角に氷屋さんがあり、昔とちっとも変っていません。


密集した商店街をぬけて…、以前は中古カメラ店が数件あって、通勤の行き帰りに毎日のようにウインドーを覗いておりました。しかし平成13-4年ころには、1軒も見当たらなくなりました。


こちらは日本を代表するファッションの街銀座。この日は雨でした。


何をしに行ったかと言うと、銀座松坂屋で中古カメラ市があったからです。


中古カメラ市に来ておられた田中長徳氏、写真・カメラ業界では、超有名人です。


このころから携帯電話が、猛烈な勢いで普及し始めました。単身赴任の私も、固定電話を持たず、携帯電で小樽に住む家内に操縦(?)されていました。よく見ると、携帯電話のアンテナを引き出して通話していましたね。


中年のおばちゃんも携帯電話を持つのが珍しくなくなりました。アンテナを出して、登録番号を呼び出して…


大きなバスの側面の絵は、携帯電話のPRだったような…


(2) 桜と桃の咲くころ

都内には桜の名所はいくつもあります。その中の一つ、井の頭公園に行ったことがあります。正式には井の頭恩賜公園と言います。恩賜とは旧宮内省が所有していた御料地を、公に下賜され公園として整備されたものを言います。西郷さんの銅像で有名な上野公園も、正式には上野恩賜公園なのです。さてその話は置いて、日本の桜名所100選に、ここ井の頭公園も入っています。


枝垂桜が咲き誇り、公園内の池ではボート遊びをする家族連れ、カップルが後を絶ちません。


サクラシーズンの休日には、順番待ちの列ができます。


花も団子も…

サクラのシーズンと重なるのが桃の花です。北海道では桃の花を見る機会が滅多にありません。私自身桃の花は立川市の昭和記念公園で初めて見ました。桜の花と違って1本の枝に数珠つなぎに花が咲きます。新聞で勝沼の桃の花が満開と言う記事を見て、撮影に行ってきました。


花が同じピンクでも、咲き方は桜と桃では全く違うことがわかると思います。


桃祭りが開催されていて、シートを広げ花見をしているグループがたくさんいます。


桃畑の所有者でしょうか、脚立を持って行きました。脚立にのぼって受粉作業を行うのです。


こちらのご婦人はイーゼルを抱えています。写生場所を探しているようです。


(3) やはり絵になる富士山

八王子勤務時代、官舎が立川市にありましたが、住宅の2Fベランダからマンションの横に富士山が見えました。夏はスモッグや汚れた空気で、見ることが出来ませんが。空気のきれいな冬期間には見ることが出来ました。立川は交通の要所でもあり、中央線と富士急が相互乗り入れしているために、電車1本で、スイッチバック中継駅の富士吉田か富士五湖の一つ河口湖(終点駅)まで行けます。そこでレンタカーを借りて富士五湖を回りながら富士山の麓を1周することが出来ます。3回ほど回ったことがあります。


富士急の富士吉田駅に到着。ここからスイッチバックで終点河口湖にも行くことが出来ます。

富士吉田では浅間神社からの展望が撮影スポットにもなっています。ポジフィルムで撮影しておりますが、そのカットはすでに当ブログで取り上げておりますのでそちらを参照してください(2009.4.15付「富士山を撮る…1」)。


忍野村には、富士山と雪景をからめて撮ろうとするカメラマンが大勢押し寄せます。


山中湖の氷が解けだす春先に行ってみました。山頂が雲に隠れているのが少し残念。

今度は河口湖から左回りに、西湖、精進湖、本栖湖、朝霧高原方向に進んでみます。至る所に撮影スポットがあって、自分でもどこで撮影したか記憶が定かではありませんので、間違っていたらすいません。


確か西湖の紅葉台あたりで撮影したカットだと思いますが、手前に青木ヶ原の樹海が広がって、富士山の山頂も、尖って見えます。


紅葉台の展望からのカットです。近くに遅咲きの桜が咲いていたのを覚えています。


朝霧高原の近く、何処までもまっすぐな道路が印象的でした。


鯉のぼりのある風景、ここは有名な撮影スポットです。


富士山最後のカットは三保の松原からの撮影です。今回この地域も世界遺産に登録されました。


同じく三保の松原からの富士山です。


(4) 葛西臨海公園

旧江戸川一本はさんで千葉県浦安市と接しているこの公園は都内有数の広さを持ち、かつて日本一の入館者数を誇った水族館を持っております。また人工の干潟を二カ所持つというユニークな公園でもあります。


ガラスドームの手前にはヨットをイメージしたテントが張られています。


海岸には遊覧船が多数、夕涼みをしています。


(5) その他

モノクロフィルムでの撮影をメインとしていなかったために、どうしてもとぎれとぎれになって、まとまりがないのが残念です。その他としていくつか挙げておきます。


入谷鬼子母神のほおずき市の時に見かけた浴衣姿の少女。かき氷が美味しそう。


多摩市にあるサンリオランド。偶然近くを通りかかり撮影。高感度フィルムを持っていなかったため、ほとんどの画像が手振れしてました。


このときはじめて、このようなキャラクターをメインとしたランドのあることを知りました。


東京都内唯一残った都電の荒川線。学習院の近くの千登世橋から撮影。


富士山を近くで撮影しようと箱根に出かけました。残念ながら雲に隠れて撮影不可。ならばと芦ノ湖の遊覧船に乗って撮影。


遊覧船を降りると、近くでサルが芸をしておりました。


八王子単身分時代のモノクロ写真の紹介は、この3回のシリーズで終わりとします。その後単身赴任を解消して、札幌で最終勤務となりましたが、退職後デジタルカメラ撮影に切り替えた後もしばらくモノクロフィルの撮影を続けておりました。それらのカットについても、スキャナーでデジタル化している最中ですので、いずれモノクロ写真の数々~その4として紹介いたします。








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我流欧州見聞録~その1(イギリス、ドイツ編)

2013-12-03 06:00:00 | 旅行
フィルムを整理していたら、平成5年11月、初めて海外旅行した時の画像がたくさん出てきました。それまでは一度も海外の土地を踏んだことはありませんでした。ただ実物の外国を目にしたことは何度かありました。え?外国に行かずに、外国を見た?と不思議に思われる方がおられるかもしれませんね。北海道に生まれて育ったと言えば、一番近い外国は、そうですロシアしかありません。学生時代に、宗谷岬から20数キロ沖合のサハリンを見たのと、羅臼から国後島を、そして根室の納沙布岬から1.6㎞先の、旧日本軍が立てたという灯台のある貝殻島です。勿論足を踏み入れたことはありません。あくまでも対岸から見ただけであります。

東北の某支店に勤務していた折に、人事部から突然欧州に研修旅行を命ずるという業務命令がありました。本心びっくり、なぜ私がと思いましたが、せっかくのチャンス、不安が先だったものの、同じブロックの同僚と2名が、日本商工会議所主催の研修に参加することになったのです。11月の5日から20日までの延べ16日間でした。ロンドン、デュッセルドルフ、ローマ、マドリード、ジュネーブ、パリ及び周辺の都市です。各都市では日本企業の視察、現地会議所やジェトロとの意見交換、などなどがスケジュール表に書かれていました。ここでは、企業・関係団体等視察等については業務上のことでもあるので省きます。主に欧州(EU統合前)と日本の文化風習の違い等について写真をもとに見ていきたいと思います。


午前11時20分(ロンドン時間AM2:20) に成田空港を出発したANA機は、新潟上空からアムール川上空へと飛び、さらにロシアのツンドラ地帯を進みます。人家らしきものは全くなく直線的な道だけが見えます。8時間ほど飛んで、ウラル山脈あたりで、やっと人工的な形が見えてきました。


午後1:20(ロンドン時間)、デンマーク上空を飛び、午後2時半頃ヒースロー空港に到着。なお使用したカメラは、コニカビッグミニと言うコンパクトフィルムカメラです。全カット同じで、時間補正をしていません。


空港から市内のメトロポールホテルに向かう。イギリスは、日本と同じ左側通行です。

翌日はドーバー海峡地下トンネルを工事中の様子の視察でした。イギリスのフォークストンとフランスのカレーを結ぶ地下トンネルです。再びロンドン市内に戻り、The Albertと言うパブレストランで昼食です。白身の魚のフライ+ポテトチップ、デザートは牛乳をかけたアップルパイ。う~ん、不味い、イギリス人は生の魚やシャケのように色のついた魚は食べないとか…。日本で言えば、ガキンチョのおやつであるポテトチップがメインディッシュについてくるようなのですから、後は推して図るべしですね。


地元では有名なパブレストランだということです。


パブレストランにて、同行した方々の中にはビールを注文する人も、「One pint of lager」(ワン パイント オブ ラガー 約570ml)と言って注文するんですよと添乗員の方が教えてくれました。


バッキンガム宮殿の前の広場。もちろん中には入れません。おのぼりさんが必ず記念写真を撮るところ。日本で言えば皇居かな…


後ろはロンドン橋です。橋よりも右下日付のあたりに注目。Litterとあります。ごみ箱のことです。綴りが少し変わって、litreとなると、リットルになります。


ロンドン塔の切符切りは、ずいぶんと目立つ格好をしています。ロンドン塔はもともと城塞でしたが、身分の高い罪人の幽閉・処刑場として使われてきました。タバコと梅毒をイギリスに持ち込んだ、かの有名なウォルターローリー卿も、ここで処刑されました。


大英博物館の中も見学しましたが、圧巻はやはりこのロゼッタストーン。それまで解読法がわからなかった古代エジプト文字のヒエログリフが、シャンポリオンによって解読されたのが、この石のおかげなんですから。


メトロポールホテルの2213号室から見た夜景。なお、イギリスでは1Fをグランドフロアーと呼び、次の2Fが1Fになります。ですから2213号室は、日本で言う23階なんです。


ロンドンのタクシーはほとんどがオースチン、小回りりが聞くからだそうです。


街中でやったらと目につくこの看板。オフイス、TO LETからわかるように貸事務所の広告です。なかにSUITES(スィーツ)の文字があります。いわゆる"スィートルーム貸します"の文言が入ってます。ここで注意が必要なのは、日本語の、新婚さん向けの「Sweet Room」とは違います。Sweet Roomは日本人の造語で、ただしくはSuite Room、二間続きの一部屋を言います。


有名なハロッズ百貨店


11月の初旬だというのに、街はもうクリスマス気分。


さて次はドイツのデュッセルドルフに飛びます。ドイツと言えば、カメラファンとっては神聖な国であります。なんといっても名機と言われるライカカメラや、珠玉のレンズと言われるカールツァイス発祥の国であります。ライカのMシリーズは、新品で60-80万円以上、中古と言えど数十万円します。骨董的な価値もとても高くて、しがないサラリーマンが、手の出せるような代物ではありません。カールツァイスも、経営不振から日本企業に身売りしたとはいえ、その価値は依然高く、とても手が出せません。

そこでひそかに、ドイツ旅行の際には、ローライ35の中古であれば、ひょっとして安く手に入るのでは、と期待しておりました。市内見学の折にたまたまカメラ店の前を通りかかり、ショーケースを覗きこんで、唖然としました。なんと棚一面日本製のカメラに席巻されていたのです。


コニカ、キャノンのネームが見えます。私が携帯していたKONICA BIG MINI NEOが中段に展示されています。399マルク、日本円換算(1マルク=64.6円)で25775円、日本国内価格とほとんど変わらずです。

別のショーケースに、偶然欲しかったローライ35の塗の剥げ落ちたカメラが飾ってありました。早速値段の交渉に…、ところが先客が一人いてそのドイツ人が長々と話し込んでいて、対話の順番がきません。そのうち団体行動の集合時間到来、やむなく店の片隅にあったカタログを持って店を出てしまいました。


ケーニヒスアレー(王様の通り)と言う一番の繁華街、専門店は大きなショーウィンドーがあって、購入したい人だけが店内に入ってゆきます。


翌日はアーヘンのA電気工業の視察です。高速道路は、アウトバーンと呼ばれ、最高速度制限はありません。時折見える速度マークは、最低速制限マークでした。ベンツ、アウディと言う車が200㎞近いスピードで飛ばしてゆきます。時折バスやトラックの背中に速度マークがみられます。空車時と積載時の最高速度が示されています。


企業視察の後は、ケルンの大聖堂見学。バックしてもカメラに収まりきれない。1200年に着工して、完成が1800年、なんと工期は600年も。そういえば、バルセロナのサクラダファミリアは未だに工事中でしたね。


ケルン大聖堂のステンドグラス。このステンドグラスも数百年後のことを考えて作られているとか…


街中で見つけたロッテリア、ん?何かおかしい。そうです、これは宝くじ販売所なんです。


夜は、市内のアルトシュタットと呼ばれる旧市街地のレストランで食事です。街中は日本と違ってネオンサインが極端に少ないのが特徴。法律で制限されていて、ネオンサインが許されるのは、ファーマシーとタバコ屋とか言っておりました。緊急性のない店はネオンサインを出すことが出来ないとか…


同行者の面々。全国から集まった商工会議所金融部門の所長、課長クラスの方々。黒ビールとソーセージがマッチ。


店内の従業員は役割分担が決まっています。この方はジョッキにビールを注ぐ専門の職人。


陽気なウェイターのおじさん「カンパイ、カンパイ」「美味しい、美味しい」と片言の日本語で近寄ってくる。


ホテルの朝食は、どこにでもあるように普通。午前8時少し前なのに外は真っ暗。通りを通勤する人々が行き交う。

デュッセルドルフ最後の一枚はこちら。


カウンターの素敵なメッチェンに声をかけて「Darf Ich ein Foto von Ihnen machen?」(あなたの写真とってもいいですか)と、ん十年前に習ったドイツ語でやらかしました。なんと彼女「Ja」と返事してくれました。数枚撮った後に、カウンターから出てきてツーショットのおまけつき。カメラが買えなかったマイナスを完全に埋めてくれたショット!でした。(その2~ローマ、マドリード編に続く)










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