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No955-2ホセ・ルイス・ゲリン監督、京都に来る!~トークのご紹介(後半)~

◆監督が他のインタビューで、映画と旅について語っておられました。

映画と旅の共通点は「空間と時とを移動すること」です。
小津監督はじめ、敬愛する映画監督は皆、あまり旅をしていません。
私の好きな画家フェルメールも同じで、
毎日同じ部屋で、同じ窓で、少しずつ違う女性の絵を描いていました。
それが、従来の芸術の表現だと思います。

私はその逆です。
私のフィルモグラフィーをご覧になったらわかると思いますが、
アイルランド、フランスといろんなところで撮っています。

ひとつには、スペインには撮影所制度がなく、
小津監督のように毎日通えるところ(撮影所)がありません。
そういう映画をつくるシステムの危機に拠ります。

もう一つは、私自身が、自分のアイデンティティを探し続けていることです。
永遠に探し、模索しながら、映画をつくっています。

そんなことから、私は、映画を撮るとき、旅をしているのです。

◆旅行のときに写真は撮りますか?

写真は撮りません。
(と言って、ポケットから、小さなメモ帳を取り出された監督)
旅行のときは、メモをとるか、絵、スケッチを書くかで、写真はあまり撮りません。

◆撮影や描写の対象にしたくないようなものはありますか?

他の、外部の人たちに見せる権利がないと思った時です。
ドキュメンタリーで、普通の人たちに質問している時、
特に、痛みを伴うときなど、
常に自分自身に問いかけながら、撮影するかどうかを選んでいます。

時々、肖像画を描くように映画を撮りたくなってきました。
映画を観たあと、物語は忘れても、
ただ一つの場面の姿勢や態度などが、心に焼きつくことがあります。
それが私にとっての「肖像画」になるのです。

◆監督の作品には、移民をテーマに扱ったものが幾つかみられます。

自分自身をアウトサイダーだと思っています。
私はカタルーニャに住んでいますが、
そこでは、民族主義が大半で、時々息苦しくなります。
だから海外に行きたくなるのです。

◆監督が往復書簡を送ったジョナス・メカス監督もリトアニアからアメリカへの移民ですね。

私も家を失った人、故郷を失った人を多く写すようになりました。
地方から人が出て行って、人がいなくなってしまい、
地方の文化が崩れてきています。
地方出身者も都会で自分の居場所を見つけられず、地方の文化を発展継承することもできません。

大衆文化は、やわらかく、やさしいものだと思いますが、
地方に住んでいた人がいなくなり、元の文化がなくなってしまって、
浮遊状態にあると思います。いわば、大衆文化の終焉の象徴と思います。

そもそも大衆文化は商業文化とは違います。
なのに、大衆文化を商業文化と同じに言ってしまうこと自体、言葉の腐敗と思います。

◆『メカス×ゲリン往復書簡』(2011年)について

映画は文学の一つであり、「映像と音で綴られた文学」です。
書くことによって小説ができるように、書簡(手紙)が映像でできないか、
映画的挑戦としてつくりました。

これは、バルセロナの現代文化センターと、パリのポンピドゥ・センターという
二つの美術館の協力によるもので、
最初は、ビクトル・エリセ監督とアッバス・キアロスタミ監督(イラン)とが往復書簡をつくり、
私たちのが2番め、
3番目が、河瀬直美監督とスペインの監督との間で行われるはずです。

特徴としては、
手紙は、差し出す相手一人に対して書くものですが、
映画は、メカス監督に対して送ったものではありますが、
私は、メカスの向こうに観客をみていて、
観客が観ることを考えてつくっています。
一人で、小さなカメラで撮ったものですが、
今の自分をよく表したものです。

トークの内容は以上です。
京都大学で映画について勉強されている外国人女性が質問者となり、なごやかに行われました。
いつもながら、手書きのメモを基にしていますので、若干の誤記があるかもしれませんが、
どうぞご容赦ください。

『ベルタのモチーフ』の、
何もない広い空間に、樹が1本、ぽつんと立っていて、そのそばにベルタが立っていたり、
アリエルが馬に乗っているのを、遠くからロングショットで撮るという構図のすばらしさ、
誰も乗っていない自転車がカラカラと音をたてて坂をくだっていき、続いて、
小さな車のおもちゃが追いかけるようにして道を進んでいく、
車はスイッチみたいなものをひもでひっぱっているというおもしろさ。
蛙が、ベルタのいたずらで、足に、缶のふたや瓶の栓をひもでつないでいたのを思い出す。
本当に一つ一つのシーンが、すてきな絵になっていて、詩的で美しく、
ただもう圧倒された。
音楽のつかい方も印象的で、「さすらい」の歌が忘れられない。

そして、『メカス×ゲリン 往復書簡』での、
ゲリン監督の撮った回転ドアの美しさはもちろんのこと、
最後の小津監督のお墓での、清掃するおばちゃんと蟻んこたち!!
あの蟻んこたちの映像は、忘れられないほどの強烈なイメージでやきついた。
監督は、そこに、海の音、風の音、小鳥の鳴き声を入れた。
風に揺れる木々もきれいでした。

あらためて、ゲリン監督の音の感覚、映像を構築する力、
生まれ出る映画のもつイメージの豊かさに圧倒され、
深く深く傾倒するばかりです。
あまりの興奮は、いまださめやらずですが、
本当に行くことができてよかったと、充実した半日を送れたことに、
感謝の気持ちでいっぱいです。 

【追記】
大阪で同日お昼に行われた記者会見のやりとりをまとめたものを
シネルフレに掲載しております。
よろしければご覧ください⇒シネルフレHP


 

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