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No855京都でワイズマン監督語る~その2~

続いて、会場から出た質問へのワイズマン監督の答の主なものです。

Q: 東日本大震災に関して、日本に滞在して感じたこと、
アメリカにいて思うことは?
A: 日本の文化や歴史について詳しくもなく
意見を述べるのはおこがましいが
東電の情報隠しについてニューヨーカーで読み、
政府の情報隠しというのは日本に限られたことではないが、
原子力発電に対し、擁護と反対と、意見が分かれ
強い反発がある中で
原子力発電が再開されたのは驚きだ。

Q: トピックの選定の仕方は?
A: 興味あるもの、というのが基本で
広く撮ろうとは思っているが
そのときのアメリカの生活を映し出すもの。
たとえば、高校を題材に今まで2本の映画を撮ったが、
撮られている対象が、高校生という点では共通だが
内容をみると、全く違うものになっている。
いろんな民族、階級、人種を撮っていきたい。

「全人類に向けて一言メッセージをするとしたら?」との若者からの質問には
監督は、即答、「『こんにちは』と挨拶する」と答えられ、
監督のユーモアに、会場は笑いがあふれた。

「これからどんなテーマの作品を撮りたいか」と英語で質問した男性には
監督は、まず、通訳さんに、会場の観客のために、質問を日本語訳するよう頼んでから
「Everything」と一言。
会場は、監督の機転とユーモアに、再び笑いに包まれた。

「キャメラを向けることによって、
被写体となる人の行動が普段と変わったり、演技をしてしまうことはないのか?」
との若い女性からの質問に
監督は、
『法と秩序』(1968年)のワンシーン
(警官らが売春婦を捕まえるくだり。
キャメラとテープレコーダーを前にしても、警官は自分の行動に問題があるとはまるで思っていないから
自分たちが適切だと思うやり方で行動する)を紹介してから
撮影されている人が、
自分が適切で正しい行動をしていると思っているときは、そのとおりに動くし、
キャメラで写されるのが嫌なら、そこから立ち去るはずで、
キャメラが人の行動を変えることはない、と考える。
この点は、ハイゼンベルグの不確定性原理とは異なる。
ハイゼンベルグはドイツ人で
私はドイツ人ではないから、異なっていても気にすることはない(not worry )と
最後をユーモアで包んで、さわやかに舞台から去られました。

監督のねらいどおり、編集がうまくいけば
作品(映画)はドラマチックなものになるはず、という監督のコメントを聞いて
ドキュメンタリー映画についてあらためて考え直してみたい気がしました。

本当になんだか、監督自身の映画への思い、姿勢や、
監督の人生みたいなものにも、少し触れたような気がして、
あの濃厚で魅力的な監督の作品たちが生まれる過程と秘密を、
ほんの少し垣間見たような気もして、
本当に貴重な、幸せなひとときでした。
あらためて、あの場に居合わせることができたことに感謝!

ワイズマン監督特集上映は、来年、再び、神戸アートビレッジセンターで開かれる予定で
(秋に上映されなかった作品がメイン)
今から楽しみでなりません。
そのときには、今回聞いて、見ることができた監督の声、表情、たたずまいを思い出しつつ
映画に浸りたいと思います。

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