映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
No1103『ローラーとバイオリン』~世界と出会う少年のまなざし~
大好きな作品で、数年前にも感想を紹介していた。(前回ブログ記事)
今回、久しぶりに神戸映画資料館の特集上映で再見して、
好奇心いっぱいの、可愛い少年が出てきただけで、
どきどきしながら画面に見入ってしまった。
街を散歩し始めた時、風船を持った子とすれちがったり、
店のウインドウの中に鏡があって、
いろんな人たちの姿が、何重も重なって見えたり、
少年の顔も、8つくらい並んで映ったり、
鏡の魔術を、少年がうれしそうにじっと見ている感じがすてき。
今回印象に残ったのは、バイオリン教室の待合い。
少年は、向かいの席に座って、レッスンの順番を待っている、
白いレースのリボンをつけた少女に、リンゴを渡す。
少女は、そのリンゴを少し遠いところに置いて、
食べる身振りも興味も示さないけれど、
少年が先にレッスンを終えて先に帰る時、
椅子の上には、芯だけになった食べ残しのリンゴが置いてある。
このりんごの映し方がとてもすてきで、よかった。
前回の感想で、間違った記載があったと気づいたのは、ラスト。
ローラーのお兄さんと映画を観に行く約束をしたのに、
母親に禁じられて、部屋に閉じ込められた少年。
アパートの高い部屋の窓から外を眺める少年。
カメラは、いきなり少年の願いが乗り移ったかのごとく、
階段をすごい勢いで駆け下りていく。
このとき、少年が階段を下りる映像自体はなかった。
ただ、カメラだけが階段を下りていくのを写していて、
窓にステンドガラスもあったりして、美しい。
屋外に飛び出したのを、
今度は、自室のベランダから眺めている少年の視点(俯瞰ショット)で写す。
アパートの下の広場を駆けだしていく少年の姿がみえる。
ローラーのお兄さんが待っていて、
少年はローラーに乗って、
スクリーンの左上の方、画面外へと姿を消していく。
このとき、鳩がいっぱい飛んで行ったりして
美しい。
原子力研究所の事故で被曝した若い研究者の恋や仕事を描いた
『一年の九日』(1961年)でも
冒頭、研究所の暗い廊下をカメラが前進していくショットがあって、
なんだかカメラの意思みたいなものを感じて、印象深かった。
『殺し屋』(1956年 監督・脚本:アンドレイ・タルコフスキー、アレクサンドル・ゴルドン)は
ヘミングウェイの短編の映画化で、
アメリカの田舎町の小さなスタンド(昼はサンドイッチを、夜は飲み物、夕食を出すカウンターのお店)に
いきなり、殺し屋が現れ、いつも6時に来る客を殺すべく、待ち構えるのに、
店主や居合わせた客がおどされるというお話。
カウンターと壁一つ隔てた台所を結ぶ、小さな窓枠(料理を出し入れする)が
とても有効に撮られていて、おもしろかった。
小さな空間が、危険と可能性に満ち満ちた舞台となり、おもしろい。
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