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イーストウッド監督のこと~慈愛に満ちた視線~

「映画ファンは、いつも、一本の完結された作品に充足することがなく、映画というものをあらゆる作品をふくめたひとつの持続性のなかでとらえようとし、スクリーンに投影された映像と音を超えて、巨大な(美しい、と言ってもいい)人間の心に出会い、ふれること、つまり感動を求めてやまないのである。映画を見る私たちの心がスクリーンをつらぬいて直接映画の作者――それは監督であってもスターであってもいいのだが――の心にふれたとき、私たちは、もはや、暗闇のなかのスクリーンに映写機から投射されるフィルムの断片的なイメージを見ているのではなく、逆に、私たちの心の感動をスクリーン上に投影し、私たちの夢と欲望を拡大しているのだ。」
やや長い引用になりましたが、無断での引用をお許しください。
これは、山田宏一先生の著書「シネ・ブラボー2」
(ゲイブンシャ文庫 昭和60年1月15日第一刷 絶版)
の中の「クローズアップの視線」の冒頭部分です。
この文章を読んだとき、
なんだか目からうろこが落ちたような気持ちになりました。

映画をとおして、映画の作者の心に触れる、
まさにそうなんだなあ、と思いました。
映画を観て、たとえそれが喜劇やハッピーエンドであったとしても
やたら涙が出たりすることがあります。
監督が、人物をどんなふうに描き、どんな映像としてとらえるのか、
そこに監督の心が表れる。
その優しさ、粋さを感じて、胸が熱くなるのです。

とりわけ監督の暖かい心を感じるのが
クリント・イーストウッド監督の作品です。
ここ数年の作品しか観ていませんので、
深く語ることはできませんが、
主人公には、辛いことが起こったり、いろいろあります。
主人公も100%長所ばかりの人間ではなく、欠点もあります。
イーストウッド監督は、そういう欠点や、弱さもきちんと描きこみます。
描いた上で、その欠点も全部含めてなお、人間というものを、
暖かく深い視線で包んでくれる、
そういう気がします。

主人公だけではありません。
その家族や、友人の姿からも、そんな暖かいものを感じます。
観客の心の中に、それぞれの人物がくっきりと浮き上がるのです。
監督の慈愛に満ちた視線のゆえに、とでもいうのでしょうか。

2月に公開される『チェンジリング』を
つい先日観る機会に恵まれました。
「チェンジリング」とは、「取り換えられた子ども」の意味で、
息子を連れ去られたシングル・マザーのお話で、なんと実話です。
方々での賞賛の声に違わぬすばらしい作品でした。
サスペンスで、多くは語れませんが、
どんなに権力に抑え付けられようとも
決して勇気を失わぬ母親の姿を
力強く描きながらも、
脇のこどもたちの弱さや、ずるさ、賢さも
逃げないで、丁寧に描きこんでいきます。
実話という重みとともに、
どの登場人物も、すごく重みを持って迫ってきて、
圧倒されます。

まだここでご紹介できていない
香港映画『エグザイル/絆』に続いて、
2009年のベスト5に入ること間違いなしの傑作です。
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