映画の感想をざっくばらんに、パラパラ読めるよう綴っています。最近は映画だけでなく音楽などなど、心に印象に残ったことも。
パラパラ映画手帖
No783『にあんちゃん』~体当たりで懸命に生きる兄妹たちのきらきら光る瞳~
「あいつはきかんぼうだから」
長男の長門裕之が、
よその家に預けられていった弟のことを心配して言うセリフ。
1959年今村昌平監督。
高槻セレクトシネマで始まった長門裕行さん追悼小特集の1本。
長門さん25歳の作品。
弟や妹を気遣いながら
懸命に働く長男の喜一を演じ、好演。
元気で生き生きしていて、でもどこか寂しげなところがいい。
タイトルのにあんちゃんとは、二番目の兄ちゃんのこと。
佐賀の小さな島の炭坑が舞台。
貧しい炭坑夫の父親に死なれ、取り残された兄妹4人。
原作は、一番末の妹末子が書いた日記。
喜一は、炭坑で見習い工として働き始めるが
不況で、真っ先に、解雇される。
高一と末子を、父の友人の炭坑夫(殿山泰司)の家に預け、
喜一は、長女の良子(松尾嘉代)とともに長崎に旅立つ。
冒頭のセリフは、高一たちを預けた最初の晩。
4人が離れ離れになっても、
それぞれに気遣い、思いあうところが心にしみる。
殿山も怪我をして、高一と末子は、厄介者扱い。
炭坑夫たちの風呂掃除をしている、西村晃の家へ預けられたり、
(懐かしの名役者ばかり!!)
二人は、あちこちを転々とする。
最後に預けられた掘立小屋で、
食事のまずさと、こきつかわれるつらさにたえかね、
「お金を渡して、預けてくれた兄ちゃんには悪いけど」と言って逃げ出す。
自由になって、畑で拝借した芋をかじったり
池で思う存分泳いで、真っ黒になって笑う顔がすてきだ。
高一は、冒頭の、父の葬式の後、
父の棺と、兄、姉が乗った船を見送るところで、
思わず、海の中に飛び込み、泳いで追いかけるところから、
一本気な少年だと伝わる。
高一は、小学生なのに、とてもしっかりしていて、
仕事をやめさせられ、やけになっていた喜一が
教科書を買ってほしいという末子の頼みをむげにして
映画に行く、と言って出て行こうとすると、
高一は、そんな金があるなら、末子に教科書を買ってやれ、と
小さな身体で、つっかかっていく。
掘立小屋から島に帰って、
田舎で終わりたくない、都会に出たいと高一が喜一に言う。
お前が東京に行ってしまったら寂しいなあと、喜一がすごく実感をこめて言うのがいい。
喜一は、寂しさ、やるせなさをまぎらわせるかのように、
泳ごうかと誘って、二人仲良く海を競争して泳ぐ。
一人前に海の仕事を手伝ってお金を貯めた高一は
末子にいくらか預け、小学生のくせに東京まで一人で行ってしまう。
駅前の自転車屋で、働かせてください、と頼むが
怪訝に思った店の主人が警察を呼び
あっという間に、九州へとんぼ帰り。
良子と喜一が駅まで迎えに来て、高一の元気な姿を見て、ほっとする。
その後についても、
喜一が、高一のことを
俺の弟だから、しっかり者だし、大丈夫と言って、良子を安心させる。
東京は人が多いし、たいしたことなかった、田舎がいい、と
ほんのちょっぴり東京駅前をみただけで、そんなことを言う高一がかわいらしい。
最後は、末子と一緒に、島に残って頑張ろうという高一のモノローグと
ボタ山をトロッコに乗って上っていく二人の姿で終わる。
真っ黒になって、働き、笑ったり、泣いたり、喧嘩したり、
そんなこどもたちの姿は、とっても純粋で、まっすぐで、すてきな作品だ。
そういえば、
末子が、遠くの街へ遠足に行って、
奉公に出ている姉に会おうと店を訪ねていくが、
すれ違いで、会いそびれる。
バスの前で、じっと姉を待つが、姉は現れない。
船の時間に間に合わないからと、バスが出発するや否や、
姉が現れ、ほんのひとときの、姉妹の逢瀬がかなえられる。
『二十四の瞳』にも、遠足で出かけた大石先生が
働きに出ている、元生徒の女の子に会うシーンがあったっけ。
つらくてかなしいけど、一生懸命のこどもたちの姿から
いっぱいのエネルギーと元気と生きる力をもらった。
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