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日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

「日本維新の会」は桶狭間に学ぶべき?

2012-10-11 | 経営
橋下大阪市長率いる日本維新の会が、来るべき解散総選挙に向けて候補者選びの一次選考を行い、選挙資金2000万円を工面できるという前提条件の下、一般応募845人から450人に絞り込んだとの報道がなされました。なんでも聞くところによれば、全国で350~400人の候補者を立てる予定とか。個人的には「正気ですか?」って感じなんですが、どうやら本気のようです。

この大量候補者戦略ってどうなんでしょう。しっくりこない感じがすごくしています。何しろまだ何の実績もないポッと出の新政党が、いくら人気がありそうだからって素人を大量に集めて400人近くもの候補者を立てて衆院選を戦うって、しっくりこなくて当たり前のような気がするのです。しかも個々に来て合流して何かと物議をかもしている現役国会議員の先生方は、既存政党から逃げ出して新政党の人気にあやかって落選を避けたいという感じの、どう見ても“小物感満載”な顔ぶれなわけで、この点もしっくりこない感を一層高めてくれちゃってるような状況であります。

そんなわけですから商売柄、この「しっくりこない感」の原因追究を維新の会の選挙戦略を企業戦略のセオリーに充てはめることで考えてみようかなと。政党にとって選挙は議席数を争う生命線の戦いでありますからして、基本的には戦いの原理になぞられて考えてみるのがよさそうです。となれば、登場するのはランチェスター戦略。これには、強者の戦略と弱者の戦略と言う二通りがあります。強者とは、まさに市場をリードするマーケットリーダーのことであり、政界で言うならせいぜい民主党、自民党の2党なのかなと思うわけです。ちなみに強者の戦略の具体策は、「広域戦」であり「物量戦」であります。

一方の日本維新の会はNHK調べによる最新の政党支持率で2.4%だそうですから、どうみても強者には入りません。なのに彼らが今とろうとしている350~400人の候補を擁立する選挙戦略は、どうみても「広域戦」であり「物量戦」じゃないですか。これってまさしく強者の戦略なわけです。本来維新の会がとるべきランチェスター弱者の戦略は、「局地戦」であり「一点集中戦」であります。具体的に選挙戦略に当てはめて言うなら、選挙区を選んで、例えば地方区は地盤の関西地域に限定しかつ強力候補不在で票が割れそうなところに絞って厳選した候補をぶつけていく、そんなやり方になるのではないでしょうか。

ここですね、「しっくりこない感」最大の原因は。要するに、落ち着いて考えれば実績皆無のポッと出の弱者でありながら何を勘違いしてしまったのか、強者になったような気分になって強者の戦略を打って出ようとしてしてしまっているのかなと。恐らく、本来認識すべき弱者の立場を強者とはき違えてしまった最大の原因はメディアの扱いにあるのだと思います。メディアが面白いように自分たちを大物扱いするものだから、いつの間にかメディア注目度における強者を市場(政治)における強者であると勘違いをしてしまっているのでしょう。これは、メディアの力でここまでのし上がってきた人が代表を務める政党の宿命と言えば宿命なのかもしれませんが・・・。

我々有権者もメディアが作り出すムードに乗せられて、すっかり維新の会は強者であるかのような錯覚に陥っていたのかもしれません。ところが、ここにきてその350~400人と言われる候補者が2000万円をドブに捨てる覚悟がある金持ちのド素人集団であると言うことや、維新の会に群がる現役国会議員たちの驚くべき小物感とかが目につくようになり、それが急激な“熱さまし効果”を発揮してメディアが作り出してきた幻想のベールが次第にはがれてきたように思われるのです。

念のため申し上げておきますが、私は日本維新の会が国政に打って出ることが悪いと言うつもりは毛頭ありません。申し上げたいのは、その戦略的なやり方がセオリーから言えば違うよということなのです。桶狭間の戦いを前に総勢3千の弱者織田信長軍は総勢2万の強者今川義元軍に、「局地戦」「一点集中戦」で挑んだからこそここに勝って天下統一に近づいたのであり、弱者が正面から「広域戦」「物量戦」でぶつかっていたなら大敗を喫して、信長⇒秀吉⇒家康という天下統一の歴史の流れは大きく異なっていたはずなのです。

日本維新の会が本気で日本を変えようと思うのであれば、メディアに踊らされた幻想からいち早く覚めて、まず国政選挙初戦となる今回は分相応の弱者の戦略に則った戦いに転じるべきであろうと、戦略セオリーや戦いの歴史は教えてくれているのです。まだ間に合います。橋下大阪市長が本気で国政を変えようと思うのなら、そこに一刻も早く気がつくべきかなと思う今日この頃です。

ノーベル賞受賞に3つの意義

2012-10-09 | ニュース雑感
iPS細胞による人工卵子生成の話を拙ブログで取り上げた直後に、京都大学の山中伸弥教授がiPS細胞作製でノーベル生理学・医学賞を受賞したとの報が入ってまいりました。この受賞日本人としてとても喜ばしいことであるのは間違いありませんが、それと同時に3つの点で大きな意義があると受け止めています。

新聞等報道でも触れられていることですが、今回の受賞の大きな特徴として、iPS細胞は製作には成功しているものの、現時点では実際の医療に具体的な形では役立てられてはいないということがあります。この点は、これまで理論の発明やものの発見そのものを受賞対象とせず実社会での貢献を受賞基準としてきた感が強いノーベル賞にあっては、勇気ある英断であろうと思えます。もちろん見方を変えれば、医療の世界において役立つことが確実であると誰の目にも明らかなほど、iPSは大変な偉業であるとも言えるのかもしれません。いずれにせよ、この早期の栄誉授与の英断にこそ大きな意義があると思っています。

まず第一に、実用化に向けた重要なタイミングでノーベル賞と言う誰もがその価値を認める国際的に大きな賞を受賞することで、国を挙げての支援体制が今まで以上に確保されやすくなります。ならば、iPSの早期実用化による医療現場で劇的な治療の改革への期待も大きく、多くの難病患者たちにとって予想以上に早い朗報にもなりうるであろうという点です。この点に関して言えば、民主党政権の事業仕分けの弊害的に続いている、「今必要のないものはすべてカット」ともとれる単視眼的予算運用の犠牲となって、十分な国家支援が得られなかったかもしれないリスクは確実に回避できたと思われます。

第二に前回のエントリでも触れた、革新技術の倫理面に配慮した健全な利用ルートの確保面へのメリットです。ノーベル賞と言う世界の誰もが知りうる栄誉を与えられることで、嫌が上も陽が当らざるを得ない状況になり、技術の健全な実用化に関してもこれまで以上に多くの場面で議論がなされる環境が整ってくると思われるからです。悪意をもって革新技術の利用を考える人間は、どんなことをしてでも仕掛けてくる可能性は否定できませんが、iPS細胞の技術が公になればなるほど悪意ある企みも闇から外に出る可能性も高くなり、革新技術は確実に人類の共有財産として世界的に平和利用される道につながると考えます。

そして第三に、早期受賞による若い技術者のさらなる飛躍を後押しできるという点。これまでのノーベル賞受賞基準では、革新的な技術であっても十分な実社会での貢献実績が現れ受賞対象となるまでにあまりに多くの時間が費やされることもあり、技術者自身が研究者として肉体的にも精神的にもピークを過ぎた年齢での受賞と言うことも多くあったように思います。今回の山中さんの50歳という若さをもってすれば、これから今までをはるかに超える官民問わぬ多くの支援が集まることで、技術者としてのさらに一層の飛躍も期待できるわけで、ノーベル賞を叙勲的な位置づけに終わらせない大きな意義がそこにはあると思うのです。

いずれにいましても本当に喜ばしい今回のノーベル賞受賞。医学と言う我々一般人の生活に直結する分野における受賞であるだけに、ノーベル賞受賞と言う事実だけに終わらない、これを機にした今後の一層の発展的展開に期待が高まります。

人工卵子生成に思う「倫理」の砦

2012-10-06 | その他あれこれ
iPS細胞から卵子 世界初、マウス誕生 京大院グループ成功-。
さまざまな組織や細胞の元になる能力がある人工多能性幹細胞(iPS細胞)から卵子を作り出し、マウスを誕生させることに、京都大大学院医学研究科の斎藤通紀(みちのり)教授(発生生物学)らのグループが世界で初めて成功した。5日付の米科学誌サイエンス電子版に掲載された。グループは昨年8月にマウスのiPS細胞から精子を作製しており、理論的には、iPS細胞から作製した卵子と精子を受精させ、新たな生命を生み出すことが可能になった。(産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/science/news/121005/scn12100508100001-n1.htm)

人工的に作られた卵子により新たな生命を誕生させることに成功したとのニュース。この手の世界の技術研究に関して全くの素人である私からすれば、すごいことであるという言葉以外に適当な表現が見つかりません。ニュース原文にあるように、この技術により人工の卵子と精子により人間の生命でも生みだすことが可能になると。“近未来”を描いたSF映画の世界だけかと思っていたお話が、今や現実のものになりつつあるということ。今まで“近未来”は近そうに思えていながら決して来ることのない遠い未来であったものが、今や本当に近いところに位置する存在なのだと改めて感じさせられるニュースでもあります。

人の生命誕生にかかわる問題に常に議論がつきまとうのが、「倫理問題」といわれるものです。すなわち、生命の誕生と言う“神の領域”的な問題に、いくら技術革新が行われたからと言って人が踏み込んでよいものであるのかどうかという議論です。至って素人的な受け止め方からしても、iPSの卵子細胞は恐らく不妊治療には劇的な効果を持つものなのではないかとは思います。もちろん、人工的に作られた卵子をもって生命の誕生を手助けすることにも様々な議論があるであろうことが想像に難くなく、現実の世界で利用されるにはまだまだ越えるべきハードルが多く存在するのでしょう。結果はどうあれ、多くのハードルを越えさせるという過程、それは正しい。ましてや、人工生成の卵子と精子の受精よって新たな生命を生み出すなどと言うことには、例え技術的には可能であっても、易々と実現されてはいけないことであるというのは、人類共通の認識であって欲しいところです。

こういったニュースを耳にするにつけ、技術の進歩に賭ける人間の研究努力とその成果に比べて、「倫理問題」に関する人種や宗教を越えた全人類を巻き込むようなあるべき論づくりに向けた議論の過少さに、少なからぬ危機感を覚えるのです。比較対象としてふさわしいかどうか分かりませんが、原子力技術の開発とその利用方法に関しての世界レベルでの倫理的な議論がないまま兵器として使われたことが広島や長崎の悲劇を生み出し、ひいてはいまだに兵器として持ち続ける国が存在するという好ましからざる脅威にもつながっているのではないかとも思えるのです。革新的な技術の進歩においては、過去の人間の常識をベースにした想定を超える問題が潜んでいることも多く、その点におけるできる限りの先回りの議論は必要なのではないのかと。

素晴らしい革新的技術も、いつ何時「倫理」を越えて悪用する国や集団やあるいは個人が出てこないとも限らないのです。それを国際世論によって事前に抑止するためには、技術開発と並行した人間的な部分での議論が世界レベルで必要になっているのではないでしょうか。原子力爆弾開発の時代からは想像もつかないほどにあらゆる技術開発が進んでいる今、小さな領土問題を争うことよりも前に世界の先進各国が未来の共存共栄に向けて話し合うべき課題は山積しているように思います。

「ブレードランナー」という往年のSF映画の名作があります。核戦争により酸性雨が降り注ぐ地球上に、人間が生みだした労働力としての人工的な生命体レプリカントたちが反乱を起こし、人々の生活を脅かしている姿が見事に描き出されていました。私は、今回のニュースを聞いて、この映画で見た“近未来”の世界は、人々が責任ある議論をしていかなければ本当に近い将来に実現するような気がして、そこはかとない恐ろしさを感じた次第です。

栗山日本ハム優勝の知られざる“立役者”

2012-10-04 | 経営
プロ野球パ・リーグは、日本ハムファイターズが3年ぶりのリーグ優勝を決めました。栗山英樹監督は就任1年目での快挙。しかも現場での指導者経験ゼロでの監督就任だっただけに、その指導手腕に注目が集まっています。後だしジャンケン的な言い分が許されるなら、実は今年の栗山日本ハムはかなりいいセン行くのではと思っていました。そう感じさせられたのは、2月のキャンプイン初日、栗山監督の行動とコメントの報道でした。

2月1日、キャンプイン初日の監督の行動に関する報道は、選手一人ひとりとじっくり話すことからはじめたという至って地味なものでした。しかも「明日以降も、全選手とくまなく時間の許す限りじっくり公平にやります」というコメントに、私はちょっとした驚きを感じずにはいられませんでした。その驚きは、ただ単に栗山監督の人柄や気配りに感じたわけではなく、もしかすると誰よりもチームのことをよく研究しその内情を知ったからこそとった行動ではないかと思えたからなのです。

2003年日本ハムファイターズは北海道に本拠地を移し、ヒルマン監督の下06年には81年以来25年ぶりのリーグ優勝、44年ぶりの日本一に輝き、今に連なる新たな“強い日ハム”の歴史がスタートしたのでした。実は、北海道移転から4年をかけて今の常勝チームが形作られた陰には、目立たない立役者がいたのです。白井一幸元ヘッドコーチ、その人です。外人トップであるヒルマン氏とは指導者留学先の米ヤンキースで仕えた仲であり、トップと選手との言葉の壁を乗り越えるべく、チーム内における上下コミュニケーションの要を務めたのが彼だったのです。

彼は選手とのコミュニケーションを重視し、多くのコミュニケーションによってその精神面を上手にフォローすることで能力を十二分に発揮させると言う、独自の指導理論を構築したのでした。その指導内容は、「メンタル・コーチング」という書籍としても公表され、確かな実績として評価を得てもいるのです(ちなみに白井氏は、昨年オフシーズンに一時期栗山監督と共に日ハム監督就任が取り沙汰されましたが、最終的に大学の先輩である中畑氏に請われてベイスターズのコーチに就任しています)。

栗山監督の選手とのキャンプでの接し方を見て、恐らくは現在のチームの基盤を作り上げた白井氏の指導方針を参考に、日本ハム選手たちとの接点の持ち方をまさしく「メンタル・コーチング」を踏襲するやり方で取り組んでいるのではないかと直観的に感じ、「これはイケるかも」と思った訳なのです。もちろん、いかに「メンタル・コーチング」を学んで踏襲しようとしても、栗山監督自身の気持ちと努力と高いコミュニケーション能力なくして、選手・コーチ陣との厚い信頼関係に支えられたチーム力の実現はあり得なかったことは、厳然たる事実ではあります。

栗山監督は報道にもあるように、シーズン突入後もことあるごとに選手とのコミュニケーションを大切にし、それが選手を育てチーム力を向上させ優勝をもたらしました。スポーツチームであろうとも人が作る組織には変わりなく、コミュニケーションの良し悪しがチームの実力を高めも貶められもします。「コミュニケーションは量あってはじめて質が高められる」というのは組織運営におけるセオリーですが、白井一幸氏の「メンタル・コーチング」に端を発しそれを引き継ぎ再び開花させた栗山日本ハムのリーグ優勝はそれを体現する事例として、企業経営者や管理者は学ぶものが多いのではないかと感じた次第です。

オリンパスがソニーを選んだ本当の理由

2012-10-02 | 経営
オリンパスが選んだ“支援先”がソニーに正式決定し、両社社長による共同会見が開かれました。今回の支援スキームは統合ではなく資本業務提携。オリンパスの痛んだ財務状況を支援するためソニーはオリンパスに500億円を出資、業務提携に関しては新型内視鏡を開発する会社を両社の出資(ソニー51%オリンパス49%)で設立し、この分野でのシェア20%確保を目指すというものです。

当ブログではオリンパスの支援先として、利用者目線優先で考えソニーではなくテルモを選択するべき(「ソニーとテルモ、オリンパス提携相手選択の肝」http://blog.goo.ne.jp/ozoz0930/e/8f357189807110e45a382c543a1825f6)と個人的見解を述べてきました。しかし今回最終的にオリンパスが選んだのはソニー。何とも残念な結果と言わざるを得ません。

見解を繰り返し詳細に申し上げることはいたしませんが、どうも腑に落ちないのは、オリンパスが何を基準としてテルモではなくソニーを選んだのかということです。私が思うにオリンパスが最も優先したのは、会社運営における主導権の確保であったのではないのかと。すなわち医療機器分野における発展や社会貢献ではなく、あくまでオリンパス経営陣主導での企業の存続だったのではないかという疑念です。

ソニーは当初から資本業務提携の形式を提案していたのに対して、テルモは経営統合の形式での提案を持ちかけていました。世界の医療機器の企業ランキングでは、テルモが12位オリンパスが13位(統合後は世界第5位)。形式上は対等統合になるであろう規模関係ではありますが、あくまで上位はテルモでありかつ支援する側とされる側という立場を考えれば、統合後の経営の主導権はテルモが握ることは想像に難くないところです。

オリンパスは、今回のソニーの資本業務提携に関してすらソニーからの役員の受け入れに難色を示し、それが正式合意を遅らせた大きな原因であるとも言われています。そんな企業風土ですから、相手主導の経営統合など恐らく飲めるような状況にはなかったのでしょう。テルモ社長によれば「テルモとオリンパスが統合しお互いの得意分野を合体させれば、ロボット手術など新分野の創造にもつながる」とされていただけに、患者負担の軽減を推し進める技術革新よりも経営主導権確保を優先したと思える資本業務提携は本当に残念でなりません。

一方、オリンパスが事前にソニーを有力支援先として評価していた背景には、オリンパスのカメラ事業の立て直しが望める相手であることをあげていました。しかし、今回の発表および両社社長の会見を聞く限りにおいて、カメラ事業における共同事業化は不透明感が漂っており、ソニーは医療分野での提携以外はあまり前向きではないと言う印象を受けざるを得ないものでした。この分野でのメリットが早期に見込めないのなら、オリンパスがソニーを選択した理由への説得力も一団と弱くなってしまう嫌いがあるのです。

そしてどこまで行っても、ソニー主導で医療機器分野の新会社をつくるということへの違和感。現在あらゆる事業で利用者目線を失っているソニーが、素人分野で本当に有益な事業を作ることが可能であるのか。「医療分野をソニーの新しい柱に育てる」と平井CEOの鼻息がいかに荒くとも、私はいささか疑問に感じています。オリンパスにとって500億円の資本支援はありがたいものであっても、不安材料ばかりが先立つ業務提携ではないかと感じています。

業界内経営統合による世界第5位への躍進と医療技術革新よりも経営主導権確保を選択したオリンパス。個人的には、この上なく重大な経営の選択に際して判断基準軸を見誤ってしまったように思えてなりません。