静聴雨読

歴史文化を読み解く

岩波新書・黄版の魅力

2011-01-08 06:11:38 | BIBLOSの本棚
(1)「新書」の特徴

「新書」について話をしてみたい。そう、横11cm x 縦17cmの新書判の書物について話してみよう。男性なら背広のポケットに、女性ならハンドバッグに収まるコンパクトな判型で、文庫判(横11cm x縦15cm)と並んで、広く読者に受け入れられている。

多くの出版社は競って「新書」をシリーズ化して読者獲得競争を続けている。例えば、ベストセラーになった『バカの壁』(新潮新書)、『靖国問題』(ちくま新書)、『さおだけ屋だけがなぜ潰れないのか?』(光文社新書)、『国家の品格』(文春新書)、などはいずれも各出版社の新書のシリーズの一冊である。

「新書」はハンディな判型に加え、読者の知識獲得欲に訴えるコンテンツを用意して、読者を獲得していることがわかる。

「新書」の世界では、長らく「御三家」といわれる出版社が君臨していた。古くからある順に並べると、「岩波新書」・「中公新書」・「講談社現代新書」の3つである。この3つのシリーズには共通した特徴がいくつかある。

1. 読者の知識獲得欲に訴えるノン・フィクションのコンテンツがほとんどで、小説などのフィクションは少ない。
2. 執筆者に、実績のある長老・ベテランだけでなく、気鋭の若手を起用する企画が多い。
3. 書下ろしのものが多く、ほかのシリーズのコンテンツの再録や外国語の文献の翻訳は比較的少ない。
4. 1冊は200ページ前後に収まっている。
5. 読者層は男性に偏っているらしい。

先発の「岩波新書」がこの型を作り出し、「中公新書」と「講談社現代新書」が後を追いかけたというのが実情だ。 

(2)岩波新書の歴史

さて、いわゆる「新書」の原型を作り出した「岩波新書」の歴史をかいつまんで記す。

1938年 赤版開始 計101点刊行
1949年 青版開始 計1000点刊行
1977年 黄版開始 計396点刊行 (1987年まで)
1988年 新赤版開始 計1000点刊行
2006年 新赤版新装版開始 計76点刊行 (2007年5月現在)

実に累計2500点以上のコンテンツが刊行されている。
この中で、「岩波新書」の基盤を作ったのが、青版の1000点である。戦後まもなくの刊行開始で、以後の復興期・高度成長期に見合うように、読者の「知識への渇仰」を満たし続けてきた。私も、岩波新書・青版にはずいぶんお世話になった記憶がある。

青版に続く黄版(1977年 – 1987年)は、高度成長に伴う公害などに見舞われる時期に刊行されたが、396点の刊行で終了するという短命に終わった。
これは、端的にいって、黄版の経営が思わしくなかったのだろうが、外部からはわからない。

黄版に続く新赤版と新赤版新装版が順調に継続しているのに比べ、黄版の短命さが際立っている。

しかし、私はこの黄版に特別の愛着を抱いている。それはなぜか? 

(3)岩波新書・黄版の魅力あるコンテンツ

ここで、私の敬愛する岩波新書・黄版を何点か紹介して、コメントを加えてみよう。(並びは刊行順、番号は刊行順にふられたもの。)

15・16 加藤周一ほか『日本人の死生観』(*) :加藤周一がアメリカ人・カナダ人の研究者とともに、乃木希典・森鴎外・中江兆民・河上肇・正宗白鳥・三島由紀夫の6人の死生観を検証した討議記録だ。外国人の間にあって、外国人をリードすることができるという加藤の美質がよく発揮された仕事だ。

65 堀部政男『アクセス権とは何か』:「マス・メディアと言論の自由」という副題からもわかるように、言論の自由を確保するためには、だれでもマス・メディアにアクセスする権利を保障されねばならない、という法理をやさしく解説したもの。その後、堀部は情報化社会におけるプライヴァシー権について発言をひろげることになる。

73 堀田善衛『スペイン断章』(*):老年に入ってからスペインに長期滞在した著者の感想集。たしか、4年か5年にわたって、土地をかえながら滞在したはずである。良い意味でのコスモポリタンの真髄が理解できる本だ。

78 猿谷要『アメリカ南部の旅』:公民権運動の盛んだったころから、アトランタなどのアメリカ南部に張りついた著者の代表作。

82 坂下昇『アメリカニズム』:「Goddamn」「Shit!」「Go ahead」などのことばをキーにして、アメリカニズムの特質を探るもの。副題「言葉と気質」。

113・146・226・261・333・370 大岡信『折々のうた』:朝日新聞連載のコラムを収録したもの。古典から現代まで、日本の詩文学にたいする大岡の目配りはすごいものがある。

114 倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』:取り上げているものは、軽業・生人形・講談・どどいつ・歌舞伎・落語・手品・壮士芝居・浪花節・戦争講談・琵琶・娘義太夫・新劇・洋楽。これだけ見てもわくわくする内容が窺える。

136 網野善彦『日本中世の民衆像』:日本史学界に旋風を巻き起こした著作。「為政者の歴史」から「民衆(平民と職人)の歴史」へという歴史像の転換を、わずか185ページの新書で述べきった網野の力業には感服するほかない。後に、網野は、同じ岩波新書に代表的著作『日本社会の歴史 全3巻』も著している。

172 石川博友『穀物メジャー』(*):トウモロコシなどの穀物の商取引を独占的に扱う穀物メジャーの実態を解き明かした画期的著作。 

206 臼田昭『ピープス氏の秘められた日記』(*):17世紀イギリス「紳士」が自らの生活を臆面も
なく綴った日記を紹介する異色のもの。「秘められた日記」だから書き込めた事柄の数々は、これがイギリスの「紳士」の一面なのかと、妙に納得させられる。現代イギリスの政界スキャンダルに通底するものがありそう。

219 伊佐山芳郎『嫌煙権を考える』:わが国の「公共禁煙」論議の草分け。

231 東野治之『木簡が語る日本の古代』:木簡の発掘が日本古代史の進展に大きな役割を果たしたことは有名だが、これは史料としての木簡の意義を説き明かした著作である。ちなみに、将棋の駒も発掘された木簡史料に多く含まれている。

242 神山恵三『森の不思議』:人間にとって森の働きとはどのようなものか、を知らせてくれる本だ。フィトンチッドに親しくなったのはこの本のおかげだ。

249 鹿野政直『近代日本の民間学』(*):官学に対抗する民間学を熱く跡付ける著作。ちなみに、鹿野自身も早稲田大学で研究する身で、官学に対する強烈な対抗心が研究の芯にある。『資本主義形成期の秩序意識』『近代沖縄の思想像』(*)や、堀場清子との日本女性史の共同研究など。

259 大江志乃夫『靖国神社』:軍事史研究者による靖国神社史。

310 三國一郎『戦中用語集』:「関東軍」「イエスかノーか」「大本営」「転進」「千人針」「学童疎開」「撃ちてし止まむ」「国体護持」など、十五年戦争の間に広く使われた用語を拾い出して解説した本。

318 若桑みどり『女性画家列伝』:女性による女性画家論。

325・326・327 丸山真男『「文明論の概略」を読む』:近代日本を代表する政治学者が、近代日本の代表的歴史文化論者・福沢諭吉を縦横に分析する本。

369 松井やより『女たちのアジア』:「女性記者として初めてアジアへの特派員となった松井やよりが、各地で出会った女たちの肉声を通して、アジアの女性解放の胎動を伝える」書。松井には、ほかに『市民と援助』などの著書もある。

書名の後に(*)のついた書目はすでに人手に渡ったものである。
絞ったつもりだが、19点27冊も挙がってしまった。  
            
(4)岩波新書・黄版への愛着

岩波新書・黄版に特別の愛着を抱く理由は何か? それを考えてみよう。

前回挙げた19点27冊から、いくつか特徴を引き出すことができそうだ。

まず、学問の最前線をわかりやすく紹介する本に惹かれる。
日本史の領域では、網野善彦の「民衆(平民と職人)の歴史像」の提出(『日本中世の民衆像」)、東野治之の「史料としての木簡の意義」の解明(『木簡が語る日本の古代」)、鹿野政直の民間学の提唱(「近代日本の民間学」)などは、いずれも、研究の対象(網野)・方法(東野)・拠点(鹿野)を新しい地点まで導いていることを知らせてくれる。

次に、高度成長に伴う公害などに見舞われる時期(1977年 – 1987年)を象徴する「権利意識の向上」を扱った書目に惹かれる。
「アクセス権」(堀部政男)、「嫌煙権」(伊佐山芳郎)、「アメリカ南部の公民権」(猿谷要)、「アジアの女性解放」(松井やより)、「女性画家の自立」(若桑みどり)などは、いずれも、新しい権利への目覚めをわからせてくれる。

三番目に、超一流の知性に触れる喜びが味わえる書目に惹かれる。
加藤周一ほか『日本人の死生観』と丸山真男『「文明論の概略」を読む』とは、ともに、共同研究や読書会の記録をまとめたものだが、討議の形態が加藤や丸山の思想をわかりやすく伝達するのに与っている。
また、堀田善衛(「スペイン断章」)は、加藤周一とともに、戦後日本を代表する国際派の知識人である。

四番目に、戦争の時期を掘り起こす仕事に惹かれる。
大江志乃夫『靖国神社』や三國一郎『戦中用語集』のほかにも、ビルマでの敗戦行を綴った手記(荒木進『ビルマ敗戦行記』)や原爆被爆者の証言(北畠宏泰編『ひとりひとりの戦争・広島』)などが岩波新書・黄版に入っている。
ちょうど、現在、沖縄における「集団自決」や戦地における「従軍慰安婦」に関して、日本軍の関与の有無・程度について議論が再び起こっていることを考えると、戦争の時期の出来事を正確に掘り起こすことの重要さを改めて感じる。

岩波新書・黄版は現在ではほとんどの書目が品切れになっているが、古本屋をまわると、楽に入手できるものがほとんどだ。気になる書目があったら、是非、探してみてほしい。
(2007/5-7)

参考資料:

鹿野政直『岩波新書の歴史 付・総目録 1938-2006』(2006年、岩波新書)   


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