街中などで見かける標識のフレーズには、思わずうなってしまうようなものがあります。また、頭をかしげるようなものも少なくありません。これらを採り上げて、批評してみます。
(1)「通り抜け無用」
これは、近くで見かけた標識です。
「これより住宅地に付 通り抜け車 ご遠慮下さい」
向こうに住宅地が広がっているのでしょう。だから、通り抜けの車は通らないでください、と訴えているようです。「要請」のパターンと考えていいでしょう。
道路は、対向車が交差できるほど道幅が広く、両脇には、ペンキ塗りの歩行者ゾーンも設けてあります。
(疑問その1)この道路は「私道」なのでしょうか? 住宅地にある道路なので、あるいは、「私道」かもしれません。しかし、仮に「私道」だとしても、詳しくは知りませんが、外部からの車を排除することは、道路関係法規で禁止されているのではなかったでしょうか?
(疑問その2)「住宅地だから」と表示しているところから見ると、閑静な環境を壊す通り抜け車を忌み嫌っているのかもしれません。すると、「通り抜け車」とは何を指すかが問題です。郵便車や宅配車も通ってもらっては困るのでしょうか? それとも、郵便車や宅配車は通っていいが、自家用車は通ってもらっては困る、ということでしょうか? すると、住宅地の住民の車も通れなくなるではありませんか。住宅地の住民の車と「通り抜け車」とをどうやって区別するのでしょう?
(疑問その3)この道路が、完全な私有地内の道路で、外部の車の侵入を禁止するというつもりならば、外部との間に塀を設け、入口に門番を置くぐらいの配慮が必要ですが、そのつもりはないようです。
このように見てくると、この標識は、住宅地の住民の排他的な考えから出た「要請」だということがわかります。
東京の下町などでは、「この道、通り抜けできます」という標識を持つ路地が多くありました。成瀬巳喜男監督の映画が得意とする街角スナップです。
「これより住宅地に付 通り抜け車 ご遠慮下さい」という標識と「この道、通り抜けできます」という標識は、全く対照的な、コミュニティ-と外部との係わりを表わしています。外部の人を受け入れるコミュニティ-から外部の人を排除するコミュニティ-への変貌は、戦後日本が、意識的にか、否応なくかは別にして、経験してきた軌跡にほかなりません。(2007/9)
現在、この標識は撤去されています。(2014/1)