アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

国定教科書ははじめから、多民族国家であることを認めていた!

2008-10-22 19:29:57 | インポート
10月15日に放映されたNHK「その時歴史が動いた」で、知里幸恵さんのことが扱われました。撮ったものは映りが悪く、困っていたところ同じスタッフが観せて下さいました。
差別も含め、よく描かれている内容でしたね。最後のアイヌをめぐる最近の動きも短く分かりやすく描かれていました。感動しました。
(小野有五さんのコメントは嵐山のチセの中のようですが、ありゃCGですね。こんど、ご本人に確認してみようっと!)


知里幸恵さんのゆかりの地を巡るバスツアー「ふるさと紀行」が十九日、NPO法人知里森舎(しんしゃ)の主催で開かれたようですね。情報を得ていたら、行ってたなぁ~。残念!
一行は、富浦墓地にある幸恵さんのお墓や幸恵さんの弟でアイヌ語言語学者の知里真志保さんの碑、さらに、幸恵さんの記念館建設予定地などを見学したそうです。
北海総新聞(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/124419.php)

過日、幸恵さんのお墓参りに行き、バチェラー記念教会堂も外観を眺めてきましたが、やはり、解説をしてくださる方がいるのといないのとでは感じ方が違いますね。もう一度、是非、よくご存知の方に同伴頂いて訪ねたいです。



この鳥は?トンビではないし、ハヤブサでもありませんね・・・


首相官邸のURLに行くと、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」の議事次第を見ることが出来ます。
第1回はメンバー紹介や座長選任、国連宣言の概要確認と今後の進め方の協議のようでした。
第2回はまだ議事録は出ていませんが、配布資料を見ることが出来ます。
その中の加藤忠さん(北海道ウタリ協会理事長)の発題(過去blog 9/25に書いたA4用紙15頁分のものです)は、要旨だけ読むことが出来ます。いづれ議事録が出来たら全文読めるでしょう。お楽しみに。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/kaisai.html


それらの資料の中で、目をひいたものがありました。第二次世界大戦前の日本の初等教育で用いられた国定教科書においてアイヌ民族がどう扱われたかを調べた小熊英二著「単一民族神話の起源」新曜社1995年の内容紹介です。

それによると、最初に国定教科書が発行された1903年(明36)年では、帝国に住んでいる人口は「・・・5千万におよべり。こられの人人は、上に万世一系の天皇をいただきて、みな、たのしく、その日をおくれり」と述べられ、さらにアイヌ民族の盛装している「酋長」と家屋の挿絵と共に「あいぬ人は、昔は、広く、本州にも住んだりしが、今は、本道全体に通じて、その数、二万に足らず」と、アイヌ民族のことを本州にも住んでいたと述べているのです。

さらに、1910(明43)年、1918(大7)年、1935(昭10)年の教科書の書き換えを追いながら、徐々に「帝国国民」の人口が多くなり、万世一系の天皇を褒め、「忠君愛国」を強調していくのを確認していきます。その後は、植民地化した台湾・朝鮮半島のことが言及され、アイヌ民族は隅へ追いやられるような説明がされるようになります(本州に住んでいたことははぶかれる)。それでも、「北海道本島には少数のアイヌ人、樺太には少数のアイヌ人とその他の土人がいる」と、アイヌ民族の存在と先住性を認めていることが分かるのです。多民族であることが教科書で教えられていたのですね(いづれも地理の教科書)。
「上に万世一系の天皇をいただ」いている人々(=大和民族でいいのでしょうか)とは明らかに異にしている民たち、すなわち「アイヌ人」がいたと認めているのですから、これは注目に値する歴史的資料ですね。いいもん見せてもらいました。



明日は、さっぽろ自由学校“遊”から案内をいただいた「チ カラ ニサッタ~我らつくる明日~」(アイヌ民族とそうでない人々と共にアイヌ民族の権利回復について行動を起こす会議)
に参加するため、札幌に行こうと思います。まだまだ参加者募集とのこと。会場は道立市民活動促進センター・交流コーナーで18:30分より。
より詳しくは“遊”(011-252-6751  koizumi@sapporoyu.org)へ。




自然は美しいです。 しかし、時に自然は猛威をふるって人に襲いかかります。12日に留萌の黄金岬に来ていた若者二名が波にさらわれ不明となりました。多くの方たちと心配していましたが今日、留萌港の沖のほうで遺体が見つかったそうです。ご遺族・ご友人の皆さんの慰めを祈ります。



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