アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「今も続くアイヌ差別」を読んで

2008-10-11 18:58:34 | インポート
今週は道内の牧師達が集まっての研修が火曜日から金曜日まで行なわれ、
わたしも(途中で抜けたものの)水曜日から金曜日まで参加しました。
いろんな面で学ばされましたが、大変、刺激となったのは前述した結城幸司さんのお話と、
もう一つ、カトリック教会出身の方とのお話でした。
第二バチカン公会議に根ざした教会形成を願いつつ模索をしている若手の方で、
カトリックの視点からプロテスタントをながめ、陳腐に写る部分を指摘してくれ、
多くの共感を得ました。違った視点から自らを見直すことは大切ですね。


発題するディヴァン宣教師(小さくて失礼)




毎日新聞(2008年10月10日 0時03分)に、「記者の目:今も続くアイヌ差別 共生目指す政策を=」の題で金子淳記者(北海道報道部苫小牧)が文を載せており、共感を持ちました。
一部を引用します。

 私が担当する北海道南部の日高地方には多くのアイヌ民族が暮らしている。北海道庁の06年調査では道内に2万3782人おり、その約3割が日高在住だ。彼らと触れ合う中で痛感するのは、差別が今も続いているという厳然たる事実だ。
 中学に通う女の子は小学生の時、教室でクラスメートから辞書の「アイヌ」の項目を無理やり見せられ、ペンやノートを汚いものをつまむような手つきで持たれたりした。同級生の一人が親から「アイヌは汚い」と聞かされたのが、いじめのきっかけだったという。70代の男性は最近、友人が陰で自分のことを「あいつはアイヌだから」と話すのを聞いたと明かした。差別の話になると、急に口数が少なくなる人もいれば、自らの体験を涙を浮かべて語る人もいた。
 深刻なのは、こうした差別が生活格差に直結している点だ。道庁によると、アイヌ民族の生活保護受給率は3.8%で、アイヌ民族以外の1.6倍。大学進学率に至っては半分以下の17.4%にとどまっている(いずれも06年)。この数字からは、教育や就職、結婚などで受けた差別が結果として生活苦につながり、次の世代も貧困から抜け出せないという“負のスパイラル”が見え隠れする。略。
 アイヌ民族の多くが今も貧窮している背景には国の差別的な政策があり、現在の格差社会問題とは事情が異なる。道庁は独自の奨学金制度などを設けているが、「本来は国がやるべきことを地元がやっている」(志朗さん)に過ぎない。アイヌ民族の苦しみを「地方の問題」として片づけてきたのが、今までの国の姿勢だったと言える。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20081010k0000m070136000c.html


わたしも知人から差別の実態をいくつも聞いています。過去のことではないのです。
まだまだ差別が続いている中、国は真摯にアイヌ民族の現状と向き合い、過去の謝罪と補償、そして改善を行なうべきですね。



アイヌ民族に対するさまざまな禁止令を追ってみます。
まず1871年に戸籍法によりアイヌ語名を奪います。同年、家屋自焼の禁止、入墨、耳輪、言葉(文字)等の禁止。
1876年、開拓使は鹿狩規則を定め、アイヌの伝統猟法、仕掛け弓・毒矢の使用禁止し銃器を使用する事を命令。
この頃、アイヌの戸籍がほぼ完成するがアイヌ一般に氏(うじ・苗字)を用いるように通達。
1878年、札幌郡内の河川で鮭漁禁止(根室では1883年に禁止)。
1889年、鹿猟の道内前面禁止。
このように、明治になってからはアイヌ民族の生産と生活の場が根底から奪われていくのです。幕藩制国家もアイヌ民族に対する支配と収奪はありましたが、それとは比較にならないほどの早さで根底から破壊されていきます。
奪いつくして来たのですね。