アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

6月末からの活動報告

2011-07-08 20:16:31 | インポート
少し遅れましたが、いくつか報告をUPします。

まずは6月24日札幌で世界先住民族ネットワークアイヌ(WIN AINU)の第1回学習会に参加しました。
講師は阿部健一さん(人間文化研究機構 総合地球環境学研究所教授)。
東ティモールのコーヒーと日本との橋渡しをされていて、「モノ」で人と人をつなぐことに関して興味深い話を伺えました。コーヒーという「モノ」には『物語』があり、それによって人がつながっていき、さらなる『物語』ができてくる、と。
条件の厳しい中、「右肩上り」の運営ではなく、地道に誠実に「モノ」でつながっていこうというあり方は、清水義晴著「変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから」(太郎次郎社)の内容に近く、共感できました。東ティモールにも行ってみたくなりました。

6月28日はさっぽろ自由学校“遊”の連続講座「サケとわたしたち」第3回講演で山田伸一さんの「明治期北海道のサケ漁禁止とアイヌ民族」を聞いてきました。
いろいろなところで目からうろこが落ちた内容でした。大変、感謝です。
千歳川流域を例にして、歴史資料に当たりながら、開拓使(1869~)や札幌県(1882~)がどういった理由・手順で禁漁にしていき、アイヌ民族が「密漁者」とされていったかを見ていきました。

1878年に支川は「魚苗」が生育する場所だからと支川の禁漁を通達。しかし、アイヌ民族に対して、その代わりの生業を開拓使は考えていたかというと全くなく、翌年に勘農事業の準備を始めたと。しかも、結果は、勘農は金がかかるからやめた。(ということは・・・自分たちのもっともらしい理由によって禁止だけして、アイヌ民族をほったらかした)。

内村鑑三は千歳川の調査に行き、禁漁のままではまずいのではないか、密漁を黙認しないとアイヌが飢餓に陥るぞという報告書(復命書)を出しているとか。実際にその後に相当深刻な飢餓が発生(明6~8)したとか。いろいろもう少し反芻しつつ、その後に役立てたいと思います。
幸いに、当日、山田さんから開拓記念館研究紀要に掲載された「千歳川のサケ漁規制とアイヌ民族」(32号)、「遊楽部川へのサケ種川法導入と地域住民」(36号)、「札幌県による十勝川流域のサケ禁漁とアイヌ民族」(37号)を頂戴したので、後日、じっくり読ませていただこうと思います。感謝。


7月2日は、キリスト教独立学園3年の30名(62期生)が、修学旅行のプログラムとして二風谷アイヌ民族フィールド・ワークを行い、協力してきました。
瀬棚の学園卒業生らの牧場で各々約一週間の酪農実習を終え、その日の早朝に瀬棚を出発、昼に二風谷へ。疲れているにもかかわらず、とてもまじめに二風谷の町のこと、アイヌ民族のこと、二風谷ダム裁判のことを聞いてくれました。萱野茂さんのアイヌ民族博物館に移動し、萱野志朗さんよりアイヌ語普及のことに関してお話を伺いました。
質疑では、道外アイヌの生活実態調査の数字についての質問や、後世に何を一番伝えて行きたいかなど、事前に調べているものや素朴な疑問を聞くなど、わたしもハッとさせられたひと時でした。
毎年、お礼にアカペラのコーラスをしてくれますが、今回もとても素敵でした。


熱心に萱野志朗さんのお話を聴いているところ

先住民族の10年News 第172号(2011/3/19発行)に、手島武雅さんの「文化人類学会の『研究倫理見解』再訪-遺骨問題を年頭に-」が掲載されており、やっと読めました。
手島さんは日本学術会議の人類学・民族学研究連絡委員会が出した「アイヌ研究に関する日本民族学会研究倫理委員会の見解」 (以下「見解」 1989年)を、この度の政策形成過程における政治的意味合いを持つ文書として細かく考察しています。
「見解」本文は有識者懇談会第2回会合参考資料(2008/9/17)に入っていますので、そちらのサイトから確認できます。
「見解」には、アイヌを「民族」と認めながらも先住民族とは一切明記していない(少数「民族」に留まる)、さらには先住民族の権利には一切触れていないことを指摘。また、過去のアイヌ民族文化研究は「アイヌ民族の意思や希望の反映という点においても、アイヌ民族への研究成果の還元においても、極めて不十分であった」と反省してはいるものの、その反省に基づいて出される見解は「研究の発展」であり「研究体制の確立」、そして、アイヌ民族出身の専門家研究者の育成」であって、大事なことができていない、と。
大事なこととは“滅びゆく文化(人種・民族)”という「偏見と植民地主義との関係を文化人類学会が機関として厳しく検証してこなかった」ことだと指摘。
また、先住民族の権利に関する国連宣言採択を受けて、まずは1989年のこの「研究倫理見解」の見直しをすべきだし、民族学会に限らず、先住民族の権利宣言に則ったもっと厳しい研究倫理とその実践の仕組みを、先進事例を参考にして構築すべきだ、と。
なるほど、これらの反省がしっかりしていないから、不信感になっているのかと納得。そして、文化人類学者だからこそ、先住民族の権利に関する国連宣言にしっかりと則って先々を歩んでいって欲しいですね。




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