アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

アイヌ文化フェスティバル

2011-12-05 14:42:23 | インポート
12月に入りました。
2日は会議のために札幌へ。あらためて、世界の先住民族が遺骨返還を勝ち取ったケースを学ばなければと思いました。今までの手元の資料も読み直します。

3日は、札幌のHさんと朝に待ち合わせし、旭川で開催されるアイヌ文化フェスティバルへ。
その前に、旭川美術館で開催中の砂澤ビッキ展を観に行ったのですが、なんと、空調不調で閉鎖!今度にします。
いつもフィールドワークでは常盤公園の「風雪の像」まで行って説明しているのですが、隣の美術館には初入館。
学芸員の方に、風雪の像の最初のデッサンはここにあるかと伺ったところ、管轄が違い、彫刻美術館を紹介されました。後日、また訪ねたいと思います。



二風谷アイヌ語教室劇

フェスティバルのはじめはアイヌ文化賞授賞式。長年にわたってアイヌ文化を伝承された皆さんに賞が送られました。
差別に向き合いつつ、伝承を続けてこられた皆さんに胸を熱くしました。
続いて、基調講演「ヒグマ儀礼の考古学」が慶應義塾大学の佐藤孝雄文学部教授によって75分ほど行われました。
ひぐまのDNA鑑定によって3つの異なるグループがあり、それらは住み分けをしていることなど、多少、興味を持つところはありましたが、なぜ、文化フェスにこの講演なのかが不思議。
「いや、とても面白かった」という方もおられましたが。

次は、平取町二風谷アイヌ語教室のこどもたちによるアイヌ語劇「こどもと遊んだ神」。こどもたちがたくさん参加され、とてもよかったです。最後には二風谷のエカシやフチたちもカムイとして参加し、ユカラなどを披露してくださり、深みが増し加わりました。
このアイヌ語教室は1983年、故萱野茂さんがこどもたちにアイヌ語を教えなくてはいけないと、地元のこどもたちを集めて「アイヌ語塾」を開設。1987年に「平取町二風谷アイヌ語教室」となり、以後、こどもの部と成人の部で活動。
過日の、敬和学園高校3年の研修旅行の際に、有志20名ほどがアイヌ語教室のこどもたちを交流し、とても楽しい時を持たせて頂きました。そのときは小学1年生のこどもたちもたくさんいて、ほんとうに可愛かったです。


アイヌ語劇にエカシやフチたちも熱演!


続いて、札幌こどもミュージカル「お空はハラカッコ~私たちのアイヌ文化~」公演。
紙面では存在を知っていたものの、観るのは初めて。歌も踊りも上手すぎて口を開けたままみとれてしまいました。
ミュージカル育成会は小さい頃から音楽の喜びを心と体に育てていくことで、どんな困難にも打ち勝てる人間になってほしいという願いから30年前に出来た音楽教室とのこと。主宰者が故萱野茂さんとの出会いによって、アイヌ語の響き、アイヌ民族の踊りに魅せられ、アイヌ語劇をつくられたようです。お勧めです!



ミュージカル

最後を飾ったのは、阿寒アイヌ民族文化保存会によるアイヌ古式舞踊。
1968年にアイヌ文化の保存と後継者育成を目的に結成され、舞踊、アイヌ語、ユカラの三部門で活動を続けておられます。1984年には国の重要無形民俗文化財の指定を受けています。

せっかく旭川での開催なのですから、旭川の皆さんの参加がなかったのは残念。と言うより、なぜなのか疑問です。
観客席にはOKIさんもマレウレウも観に来ておられたのに・・・・
講演とミュージカルを少し短くして旭川の出番を作ってほしかったですね。
こどもたちも教会関係の方も多く来られていました。


阿寒の皆さん


夕食は川村カ子トアイヌ記念館の館長ご家族とこの度、文化賞を受賞された石井ポンペさんと一緒にネパールカレー店でカレーを食べて帰ってきました。人生二度目のスプーンを使わず手で食べました。今も右手親指、ひとさし指からカレー臭が・・・(加齢臭よりは美臭ですが)。


7日の水曜日はさっぽろ自由学校“遊”の連続講演のために札幌に行くので、機関紙「ノヤ」とアイヌ奨学金募金趣意書完成を頂いてきます。いよいよ、発送作業が忙しくなります。

さっぽろ自由学校「遊」 2011年度後期連続講座  市民とともに考える これからのアイヌ政策 
12月7日(水) 18:30~20:30       会 場 さっぽろ自由学校「遊」
「遺骨問題と研究者の責任」 清水裕二(しみず ゆうじ) 北大開示文書研究会代表
 北海道大学における「アイヌ墓地発掘問題」に関わる開示文書を研究している立場から、アイヌ政策における遺骨問題の捉え方についてお話いただきます。


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