奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

千葉、埼玉、茨城を巡る5日間 … 領収書

2024-07-27 06:05:21 | 道外の旅日記

今回はJRのフリーきっぷを使っていないので都度、運賃を払っています。
“Kitacaでピッ”でもよかったのですが、今まで領収書をコレクションしていたので今回も同様に。

と言いながら、一部諸事情により残念ながら“Kitacaでピッ”をした区間があったのと、
これも諸事情により窓口での領収書を貰えなかったものがあります。

何より残念なのは、今回唯一の東武鉄道だった柏ー大宮間の領収書がないこと。
領収書ボタンを押すタイミングが遅かったらしく、発行されませんでした。

なんてこった…。

ということで、繰り返しますが今回はフリーきっぷを使っていないので領収書の枚数が多い。
当たり前のことながら、都度運賃を払うとはこういうことですね。

そしてJR北海道の領収書だけ横長です。
こう並べてみると、目立ちます。

今回の旅行記はこれで終わります。
長々とお付き合い、ありがとうございました。

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千葉、埼玉、茨城を巡る5日間 … おわりに

2024-07-26 06:06:57 | 道外の旅日記

私はコロナ禍以前は毎年、春と夏に本州にお出かけしておりました。
「青春18きっぷ」と「北海道&東日本パス」の時期ですね。

それがコロナ禍以降、とんとご無沙汰でしたが今回は久しぶりに行って来た。

コロナ禍が始まったのは2020年1月、それ以前とそれ以後で今回私が身に染みて感じたのは温暖化。

2019年から2024年の5年間に温暖化が一段と進んでしまった。
札幌で3日連続熱帯夜になり大きく報道されたのは2019年でしたが今は熱帯夜は珍しくもない。

東京も然り、毎日猛暑日なんぞ当たり前になりました。
今回もすでに述べた通り、6月24日の茨城県は熱中症警戒アラートが出たいましたし。

なのでコロナ禍以前は本州にお出かけしていたのは7月が多かったのですが今回は6月にした。

でですね、今回の旅行記を書くにあたりびっくりしたのは道中の写真の少なさ。
いつもなら当然撮っているであろうアングルやスポットの写真がないのです。

やはり関東の暑さにやられていたのだろうなと思いました。
温暖化、というより“地球沸騰化”がこれからも続くと北海道とはいえどうなのやら。

それはそれ、今回は“鉄分”は少ないながらいろいろ楽しませてただきました。

そして長距離フェリーの乗船は楽しかった。
その“さんふらわあ ふらの”の中から話題を2つ。

船内に茨城新聞がありましたが、その中に茨城空港発着便の予約状況が載っていました。
昔の道新(網走管内版他)も主な列車と飛行機の予約状況が載っていたなと懐かしくなりました。

それと船内の自販機にドクターペッパーがありましたが、北海道で売っているところはあるのか?

旅行記はこれで終わりますが、明日は番外編で恒例により今回集めた道中の領収書を。

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千葉、埼玉、茨城を巡る5日間 … 帰札

2024-07-25 05:15:22 | 道外の旅日記

6月24日

水戸駅北口17:20=大洗フェリーターミナル17:55、大洗港19:45(さんふらわあ ふらの)~

6月25日

~苫小牧港13:30、13:56(高速とまこまい号)=札幌15:47ー琴似


水戸駅に戻ってきました。

ここで体力切れ、バスの時間まで2時間ほどありますがあとは駅ビルの中で涼みます。
この日の水戸の最高気温は33.1℃、タリーズのアイスカフェラテが体にしみる…。

本来ならば偕楽園も見学するべきなのでしょうし、札幌出発前はそのつもりでしたが、
ここで無理をしても仕方ないのでそれはまた別の機会に。

さて帰ります。

ここから先は再び「パシフィックストーリー」のお世話になります。
水戸駅から路線バスでフェリーターミナルへ、「さんふらわあ ふらの」で苫小牧まで。

苫小牧入港、太平洋フェリーの「いしかり」が入港しています。


中央バスの「高速とまこまい号」に乗り継ぎ予定通り帰宅しました。

コロナ禍以来初めての関東出張でしたし、久しぶりの長距離フェリーでしたが、
何とか無事に帰宅出来て何より。

明日は雑感です。

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千葉、埼玉、茨城を巡る5日間 … 水戸観光(薬医門)

2024-07-24 05:25:18 | 道外の旅日記

24日

二の丸を出てJR水郡線を跨ぐ橋を渡り本丸へ向かいます。
現在の本丸は水戸第一高校と附属中学校の敷地となっているので見学の際は現地の指示に従ってください。

さて橋を渡ると学校の駐車場がありその左手に薬医門があります。

旧水戸城に現存する唯一の建造物で建立の時期は安土・桃山時代と見られています。
当時の城主は佐竹氏で、当時は本丸の橋詰門だったと考えられています。

水戸市は昭和20年の空襲で市街地の大部分が焼失、水戸城も大きな被害を受けました。
その際薬医門は市内の祇園寺に移設されていたため空襲を免れました。

その後1981年に本来の場所に近い現地に戻されました。

築城当時はここ(本丸)がお城の中心で、のちに二の丸と三の丸と拡張されました。
佐竹氏はその拡張の基礎を築いたのですが、わずか13年で秋田に移封されます。

二の丸に初代の大手門を建てたのも佐竹氏だ。
いろいろ頑張ったのに、関が原で西軍に属したことで秋田に移封か…。

今の秋田県知事はその佐竹氏の出です。
この辺りの歴史の綾が、歴史ファンにはたまらないのでしょうが私は専門外なので無視します。

ここまで、水戸駅を出てから水戸城を1周してきました。
この暑いのに、よくぞここまでやって来たもんだ。

水戸駅に戻ります。

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千葉、埼玉、茨城を巡る5日間 … 水戸観光(二の丸角櫓)

2024-07-23 05:13:55 | 道外の旅日記

24日

水戸城には4カ所の角櫓(すみやぐら)がありました。
どれも現存していませんが二の丸角櫓だけ天保年間の姿に復元、公開されています。

ということで、茨大付属幼稚園・小学校と第三高校の間にある細い道を歩いて二の丸の角まで行きます。

ここは二の丸の水戸駅側で西隣は空堀を挟んで三の丸、高台からは城下がよく見えその先は千波湖という立地。
今はビルに阻まれるなどでその眺望はありませんが、江戸時代は徳川家の威光を示すシンボルだったに違いない。

これは見張りとしてはもちろん、城下から見上げた時の町人の見た目を意識したと考えられています。

建物は中央に角櫓、北と東にそれぞれ多聞櫓を従えたL字型になっています。
館内の展示は水戸城の歴史、復元事業の歩みや実物資料があります。

展示によると坂東市の古刹で水戸城の城門と伝わる扉が水戸市に寄付され、
それを期に復元に向けた機運が高まり事業がスタートしたのだとか。

城門の扉が寄付されて何故それが角櫓の復元になるのかわかりませんが、そうなっています。
もちろん、もっといろいろな経緯があってのことでしょうが。

城跡のことについては私は専門外なのでこれ以上述べませんが、
水戸城や水戸市のシンボルとして末永く活用されることを願います。


*二の丸角櫓

住   所:水戸市三の丸2丁目地内
開館時間:9:30~16:00
入 館 料:無料
休 館 日:12月29日~1月3日

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千葉、埼玉、茨城を巡る5日間 … 水戸観光(水戸城跡二の丸展示館)

2024-07-22 05:31:35 | 道外の博物館

24日

さて三の丸と二の丸を結ぶ橋を渡り復元された大手門をくぐり二の丸へ。

現在の二の丸の敷地のほとんどは茨城大学付属幼稚園・小学校、第二中学校と水戸第三高校が占めています。
その中を1本の道路が走っている、その道を進むと『水戸彰考館跡』があります。

その跡地に建っているのが「水戸城跡二の丸展示館」です。

『水戸彰考館』は2代目藩主・水戸光圀が歴史所「大日本史」編纂のために1657年に江戸に置かれた「史局」を源とし、
それを発展させ1686年に水戸にも設置したものです。

「大日本史」の編纂が終わったのは何と1906年(M39)、全397巻と目録5巻という大著です。

「水戸城跡二の丸展示館」は「大日本史」をはじめ水戸市内の教育遺産や水戸城に関する情報発信を行っています。

また「大日本史」などは日本遺産『近世日本の教育遺産群ー学ぶ心・礼節の本源ー』の構成文化財のひとつでもあり、
弘道館をはじめ他の構成文化財である足利学校(栃木県)や閑谷学校(岡山県)などの展示もあります。

日本三大名園の一つ、偕楽園も構成文化財の一つになっています。
9代藩主・徳川斉昭が“娯楽もないとダメだっぺ”(意訳です。クレームは受け付けません)ということで造営したもの。

弘道館の中にも“文武に凝り固まらず芸事も楽しめ”という旨の展示もあります。
水戸藩の娯楽も大事という考え方が、水戸の文化の根幹にあるような気がします。


*水戸城跡二の丸展示館

住   所:水戸市三の丸2丁目9-22
開館時間:9:00~16:30
入 館 料:無料
休 館 日:12月29日~1月3日

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千葉、埼玉、茨城を巡る5日間 … 水戸観光(弘道館)

2024-07-21 05:22:04 | 道外の博物館

24日

これから水戸城跡を三の丸、二の丸、本丸と歩いていきます。
まずは三の丸にある水戸藩の藩校だった「弘道館」へ。

“藩校”は江戸時代に諸藩・藩士の子弟を教育するために設立した学校です。
1841年に仮開館し1857年に本開館、文武両道で様々な科目がありました。

1872年(M5)年の「学制」発布により閉鎖されています。
藩校時代から現存する建物は正門、正庁、至善堂で、ここを見学していきます。

「弘道館」は藩校としては全国最大の敷地を持っておりその広さ約10万5千㎡、芝ざくら滝上公園よりも若干広い。

これだけ広いとどこからどこまでがその敷地なのかさっぱりわからん、
私が見学した部分はそのほんの一部に過ぎないということがわかります。

水戸藩では“水戸学”という独自の学問が生まれ、のちに尊王攘夷や明治維新の思想的原動力になりますが、
その水戸学の中心もこの「弘道館」でした。

展示ではそのような水戸藩の学風や当時の様子などを見ることができます。

私は藩校を見学するのは初めてでしたが、他藩の藩校も見学し比べてみるのも楽しかろう。
各藩それぞれの政治や文化に触れることができるに違いありません。


*弘道館

住   所:水戸市三の丸1丁目6-29
開館時間:9:00~17:00(梅まつり期間を除く10月1日~2月中旬は~16:30)
入 館 料:大人400円、小人200円、70歳以上200円
休 館 日:12月29日~12月31日

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千葉、埼玉、茨城を巡る5日間 … 水戸観光(水戸城見学、その前に)

2024-07-20 06:02:03 | 道外の旅日記

6月24日

水戸駅前に戻りこの後、このくそ暑い中水戸城を巡る難行苦行に出かけます。
その前に「水戸城」について軽く解説します。

水戸城の立地は南に千波湖、北は那珂川を天然の堀としてその間にある丘陵を利用した平山城です。

水戸駅から坂を上り一番近いところが三の丸、今は県道232号線が走る空堀の東に二の丸、
そしてこれも空堀の中をJR水郡線が走るその東側に本丸があります。

水戸城の北側、那珂川に向かってはかなりの高低差があり、天然の要害になる地形だとわかります。
水戸城はそのような天然の地形の恩恵を受けた、堅牢なお城だったことがうかがわれます。

本丸は戦国時代に佐竹氏がその基礎を築きましたが秋田へ転封されその後は水戸徳川家の居城になります。
佐竹氏の時代に本丸、二の丸、三の丸の基礎ができたとされています。

江戸時代の御殿は二の丸に、三の丸は藩校などがあり本丸は倉庫などとして使われていました。

現在は三の丸には藩校だった弘道館が現存、二の丸に復元された二の丸角櫓など、
三の丸に移設された薬医門などがありそれぞれ見学することができます。

ビックリするのは城跡にある諸々の学校の多さ。

三の丸には三の丸小学校、二の丸には茨城大学付属幼稚園と小学校、第二中学校、水戸第三高校、
本丸には水戸第一高校と附属中学校が建っており、立ち入り禁止の場所も多くあります。

では、水戸城見学へ参る。

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千葉、埼玉、茨城を巡る5日間 … (水戸観光)義公生誕の地

2024-07-19 05:24:53 | 道外の旅日記

6月24日

義公とは、水戸藩第二代藩主・徳川光圀の没後に付けられた諡(おくりな)です。
水戸黄門様ですが、その生誕の地がこの付近と伝えられています。

場所は水戸駅から歩いて5分ほど、ここに「水戸黄門神社(義公祠堂)」が祀られています。

現地に行くと、こんな小さな神社があの黄門様の生誕の地なのかと思うほど狭い。
マンションや大きな道路に囲まれ、ちんまりと鎮座しています。

徳川光圀は初代藩主・徳川頼房の三男、徳川家康のお孫さんにあたります。
この辺りにあった三木仁兵衛之次の屋敷で生まれました。

儒学を奨励し、「彰考館」を設けて『大日本史』を編纂、水戸学の基礎を作りました。

その他功罪含めいろいろな評がある水戸光圀ですが、
これだけの有名人になるとその人物を書き表すのは難しいのでこれで止めておきます。

それはそれ、今は水戸といえば“納豆”と“黄門様”と言われるようになったのは見事です。

さて水戸駅北口のペデストリアンデッキの上にあるのは…。

「水戸黄門助さん格さん像」

生誕の地と併せご訪問ください。

※水戸市三の丸2丁目2-29

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千葉、埼玉、茨城を巡る5日間 … 水戸観光(納豆なんでも展示館)

2024-07-18 05:41:49 | 道外の博物館

6月24日

水戸といえば、水戸納豆。
幸いなことに駅から歩いて数分のところに「納豆なんでも展示館」なる施設があるので行ってみる。

会社名は笹沼五郎商店、納豆のブランド名は「水戸天狗納豆」、その本社・工場の2階にそれはあります。

納豆の起源や水戸納豆がどうして全国区になったのかなど、
納豆の様々なことがわかる展示となっているのですが。

展示によると自家用だった納豆をこの会社が試行錯誤の上産業化、水戸の名物にしたとなっています。
創業は1889年(M22)となっています。

どこにでもある納豆をブランド化、「水戸納豆」を全国ブランドにした会社ということでしょう。
要はマーケティングに勝利し、名物にしたということですね。

事実、駅ビルの中にも天狗納豆のショップがありましたし、
その他観光案内所でも納豆料理を出す飲食店の案内もありました。

観光案内所で納豆料理を出す店が案内される地なんぞ、水戸しかなかろう。
駅ビルの中にある納豆専門の販売店なんぞも他では見たことがない。
そういうことを考えると、水戸納豆は凄いなと思うわけです。

明日はもう一つの“これぞ水戸”というスポットを。


*納豆なんでも展示館(水戸天狗納豆 笹沼五郎商店)

住   所:水戸市三の丸3丁目
開館時間:9:00~17:30
入 館 料:無料
休 館 日:不明

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