先日、滝上町の駅逓所跡のことを何日かにわたって書きました。
最後はオシラネップ官設駅逓所跡で終わっています。
→ http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/845e666b8965003bbeaf20adbc93bb78
濁川市街地から延びるオシラネップ原野にはその他、
いくつか見るべきものがあるので今日から紹介していきます。
オシラネップ原野は濁川に近い方から下・中・上雄柏(ゆうはく)の各地区があり、
上雄柏の奥地には昭和23年~43年まで存在していた拓雄(たくゆう)地区がありました。
2010年の国勢調査によれば下・中雄柏に計3戸7名の居住があります。
こう書くとここを貫く道道617号沿線はほぼ無人の原野だけが広がっているように思えますが、
現地を行くと道の両側には畑が広がりトラクターやトラックが走り回っています。
人は住まなくなりましたが畑は放棄されることな、く経済活動は活発なのでした。
地区の開拓は明治41年に下雄柏、翌年に中雄柏、大正5年に上雄柏で始まり、
昭和20年には拓雄の開拓が始まっています。
学校は雄柏、上雄柏、拓雄に設置され、上雄柏には簡易郵便局がありました。
また濁川を起点とする濁川森林鉄道オシラネップ線も敷かれていました。
オシラネップ(地元では“オシラ”と呼ぶこともあります)のことはこれくらいにして、
明日からはそこに点在する史跡を見ていくことにします。
最後はオシラネップ官設駅逓所跡で終わっています。
→ http://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/845e666b8965003bbeaf20adbc93bb78
濁川市街地から延びるオシラネップ原野にはその他、
いくつか見るべきものがあるので今日から紹介していきます。
オシラネップ原野は濁川に近い方から下・中・上雄柏(ゆうはく)の各地区があり、
上雄柏の奥地には昭和23年~43年まで存在していた拓雄(たくゆう)地区がありました。
2010年の国勢調査によれば下・中雄柏に計3戸7名の居住があります。
こう書くとここを貫く道道617号沿線はほぼ無人の原野だけが広がっているように思えますが、
現地を行くと道の両側には畑が広がりトラクターやトラックが走り回っています。
人は住まなくなりましたが畑は放棄されることな、く経済活動は活発なのでした。
地区の開拓は明治41年に下雄柏、翌年に中雄柏、大正5年に上雄柏で始まり、
昭和20年には拓雄の開拓が始まっています。
学校は雄柏、上雄柏、拓雄に設置され、上雄柏には簡易郵便局がありました。
また濁川を起点とする濁川森林鉄道オシラネップ線も敷かれていました。
オシラネップ(地元では“オシラ”と呼ぶこともあります)のことはこれくらいにして、
明日からはそこに点在する史跡を見ていくことにします。
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