奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

上興部駅逓跡地・碑と、『上興部駅の駅弁』

2024-10-09 05:23:56 | 北海道の旅日記(道東)

上興部駅逓は今の上興部市街地ではなく、上興部市街地から興部方面へ1.5㎞程先、
米田の沢川を渡る福興橋のすぐ先の左側にありました。

駅逓の開設は1906年、私設駅逓として始まりましたが1909年に官設駅逓となりました。
駅逓の取扱人は興部に入植した米田久三郎、その後三男の久作になりました。

1915年、上興部に郵便局が開設され逓送がなくなり1921年に鉄道が開通し駅逓は廃止になります。

駅逓廃止後に米田氏は上興部市街地でお菓子屋を始めます。
そして立ち売り許可をとって上興部駅で駅弁販売を始めます。

その後の駅弁の経緯は以前、『上興部駅の駅弁』として上中下の3日間書いてあるのでご覧下さい。

ということで、上興部駅逓としては15年しか存在しなかったのですが、
その後の米田家の活躍は時を経て京王百貨店の名物催事を騒がせたわけだ。

繰り返しますが、詳しくは当ブログの『上興部駅の駅弁』の上中下をご覧ください。

ところで初代取扱人の米田久三郎は興部に入植したと書きました。
その興部に入植したのは1898年、その後は上興部で活躍しまた興部に戻ったわけだ。

その興部で歴史的遺産として保存されているのが『米田御殿』です。
建造は1922年、地元の名士が建てた豪邸、ですね。

御殿を建てたのは米田常作、米田久三郎は常作の父になります。

興部と西興部の米田家の物語、奥が深そうですね。

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