JR北海道旭川支社の敷地内に、蒸気機関車の動輪があります。
画像はそのC57 130号の動輪。
C57型蒸気機関車はその美しいフォルムから「貴婦人」と呼ばれ、
全国で主に優等旅客列車を引いていました。
その動輪だけがここにある。
C57 130号は1940年に三菱重工神戸で新製され新津に配置、
以後長野、亀山、鹿児島などを経て旭川に配置、1975年に廃車になりました。
走行距離は2,192,528km。
碑文には保存されたのは昭和50年(1975年)とあるので廃車直後、
当時は国鉄旭川鉄道管理局でした。
北海道の鉄道が全盛期で技術もプライドもあった頃の記念碑です。
かつて“国鉄一家”という言葉がありました。
良くも悪くも、国鉄時代の職員はみんな一心同体だった。
国鉄マンであることが誇りであり責任であった。
鉄道事業者に使命とは何であろうか。
そこで働く誇りとは何であろうか。
使命も誇りも忘れた鉄道マンのなれの果てが目の前にあるという現実が悲しい。
JR北海道にはまだ誇りと使命を忘れていない人がいる。
そういう人材をどうすくい上げられるのか、どう抜擢するのか、その胆力が試されている。
できないトップならさっさと辞めろ。
社会の迷惑だから。
画像はそのC57 130号の動輪。
C57型蒸気機関車はその美しいフォルムから「貴婦人」と呼ばれ、
全国で主に優等旅客列車を引いていました。
その動輪だけがここにある。
C57 130号は1940年に三菱重工神戸で新製され新津に配置、
以後長野、亀山、鹿児島などを経て旭川に配置、1975年に廃車になりました。
走行距離は2,192,528km。
碑文には保存されたのは昭和50年(1975年)とあるので廃車直後、
当時は国鉄旭川鉄道管理局でした。
北海道の鉄道が全盛期で技術もプライドもあった頃の記念碑です。
かつて“国鉄一家”という言葉がありました。
良くも悪くも、国鉄時代の職員はみんな一心同体だった。
国鉄マンであることが誇りであり責任であった。
鉄道事業者に使命とは何であろうか。
そこで働く誇りとは何であろうか。
使命も誇りも忘れた鉄道マンのなれの果てが目の前にあるという現実が悲しい。
JR北海道にはまだ誇りと使命を忘れていない人がいる。
そういう人材をどうすくい上げられるのか、どう抜擢するのか、その胆力が試されている。
できないトップならさっさと辞めろ。
社会の迷惑だから。
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