24日
大田原市黒羽は戦国末期の1576年に大関高増(たかます)が黒羽城を築いたところ。
以来明治維新までの295年間、大関氏を藩主とした黒羽藩(1万8千石)の居城となりました。
戦国末期から維新まで、外様大名の大関氏が転封も改易もなくずっと城主だった。
そのためかどうかはわかりませんが、戦国時代に築城された山城の城郭がそのまま残っています。
さて、その城跡に行くとしようではないですか。
立地は丘陵の先端、西は那珂川があり東は丘陵が広がる天然の要害、
実際に行ってみて分かるのはここは確かに堅牢なお城であったろうとのこと。
本丸を囲む空堀が深い。
最も深いところで15m、幅は20mほどもあるという。
本丸の北側には「文化伝承館」という、祭りなどの際に使われる建物があります。
そして物見やぐらを模した展望台、眼下に那珂川がありその先には奥州街道、
遠くの山々は左は日光の男体山、右には那須連山まで見渡せます。
あらら全部丸見え、なるほどこの城は北関東の防御の要となったのが納得できます。
ところで黒羽は「奥の細道」を著した松尾芭蕉が弟子の曽良と共に14日間逗留した地でもあります。
三の丸跡には芭蕉と曽良の「黒羽芭蕉の館」があり、芭蕉と大関家の資料が展示されています。
この日は月曜なのでお休み、だから月曜に観光するのは嫌いだ。
大関家の資料、気になる。
それと、お城は慣れていないのでいい画像が取れていないのが残念。
明日はお休みし次は那須神社