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奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

龍乃湯温泉

2023-12-18 05:46:01 | 北海道の旅日記(道北、道南)

旭川近辺には有名な温泉がいろいろあります。
層雲峡なんぞは全国区だしな。

実は旭川市内にも天然温泉があるのですが、あまりにマイナー過ぎて市民でも知らない方がいる。
それが今回泊まった東旭川駅の裏にある『龍乃湯温泉』です。

建物は古いぞ、お部屋もアウトバストイレで非常にシンプルだ。
がしかし、こういう古いお宿にありがちなパブリックスペースの寒さがない。

洗面所やトイレが寒々しいところがありますが、
このお宿は館内全体が暖かくて居心地がいいのである。

これは当たり前ですが、素晴らしいですね。

さて温泉、大浴場にはやや熱めの大浴槽と親の仇のように熱い小さな浴槽があります。
親の仇のように熱い浴槽、私が滞在中には誰も入っていなかったぞ。

お湯の色は茶色、いかにもこれぞ温泉という風情ではないですか。
こういうのは気分が上がるなぁ。

一番の問題は、洗い場のシャワーとカランが押しても瞬殺で止まるところ。
がこれも、事前の口コミで分かっていたことなので私的には問題なし。

一癖くらいある方が、泊まって楽しいというものではないですか。

個人的には、気に入った。
また冬に、泊まってみたいな。

コメント (7)
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1泊2日で旭川へ行ってきました

2023-12-17 05:52:18 | 北海道の旅日記(道北、道南)

前のブログで書いた通り、14日と15日に旭川に行ってきました。

年末に泊りがけで旭川に行くのは毎年の恒例になっています。
去年まではその際に旭川市内だけではなく、北空知や富良野、名寄などにも行っていた。

旭川を拠点にし他の地域に足を延ばすというのが実は大変で、
毎年あたふたしながら車で走り回っていました。

今年はそれらの地域を、他の予定に絡め予め済ませておきました。
お陰で今年は旭川市内だけで丸々2日間、使うことができた。

これは楽で助かったなぁ。

天気も問題なくすんなりと予定通り用事をこなせると思ったのですが、
14日の午後から旭川は雪が降りだした。

旭川では14日の24時間降雪量は41㎝で12月の観測史上最大となりました。
まさか、こんなに降るとは思いませんでした。

15日の朝、駐車場に泊めた私の車の上に積もった雪を見てガッカリしたよ。

15日の天気は晴れ、街中は前日に降った雪の影響でノロノロ運転にはなりましたが、
私は混乱なく予定を済ませ帰宅することとなりました。

無事に全ての予定をこなせて何より、これより遅い日程だったら大雪で混乱必至だったな。

さて明日は、泊まったお宿のお話です。

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ヨーグルッペ

2023-10-13 06:00:04 | 北海道の旅日記(道北、道南)

日高地方や胆振地方にお住まいの方はお馴染みかもしれません、
北海道日高乳業(本社・日高町富川)で製造している「ヨーグルッペ」。

私は東室蘭駅構内のセブンイレブンで買って喉を潤しました。

さて、「ヨーグルッペ」です。
同じ名前の商品は南日本酪農協同(本社・宮崎県都城市)でも作られています。
パッケージなどは違いますが。

なぜ、日本の南と北で同じ商品が作られるようになったのでしょうか?

北海道日高乳業は元々ネッスル日本(現・ネスレ日本)の工場でした。
それを1987年に南日本酪農が買収したのです。

なので北海道日高乳業の株主は南日本酪農となっています。

北海道日高乳業では親会社と同じものを製造しているだけ、
それがたまたま日本の北と南にあったということですね。

それにしても宮崎の乳業会社が北海道の同業者に目を付け買収するとは何事か。
そこにどんな相乗効果があるのかは、謎だ。

きっと、私では想像もできない利益があるのであろう。
LL牛乳の関係かなという気がしますが。

ということで、不思議な巡り合わせで売られている「ヨーグルッペ」を賞味したのであった。
ごちそうさまでした。

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西口駅前食堂(東室蘭)

2023-10-12 05:45:05 | 北海道の旅日記(道北、道南)

室蘭駅界隈を散歩していましたら、発見しました。
駅西口を出てすぐ左手のエスタビルの1階にある、食堂です。

〇〇食堂となってはいますが、全国チェーンのやよい軒ではないぞ。
そして“エスタビル”に入居していますが、このビルはJR北海道とは関係ないらしい。

ここで紹介するということは“クセ強”のブツだ。

まずは営業時間、11時から14時の1日3時間。
それから営業日、水曜日~土曜日までの週4日だ。

ランチタイムだけ、ピンポイントの営業で週4日とは、
どんなオペレーションをしているのだろうか。

私が行った時にはもう営業は終わっていました。

食べログによるとメニューはそば・うどんを中心に丼物やドリンクなどとなっています。

看板を見ると、ランチの営業しかしないのに『酒・ビール』とあります。
それに合わせ串揚げや鶏のから揚げなどというおつまみメニューもある。

実は私、船内見学会の帰りでちょっと1杯やりたい気分だったのです。
営業時間内だったら間違いなくここで酒を引っかけていたな。

だからこのお店が気になってしまったのです。

営業時間が短くて営業日も限られていますが、一度はチャレンジしたいお店ですね。

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旧室蘭港北防波堤灯台(入江運動公園敷地内)

2023-10-11 05:24:57 | 北海道の旅日記(道北、道南)

室蘭港北防波堤の場所は白鳥大橋の真下、エネオスから南に向かって伸びています。
竣工したのは1927(昭和2)年で、室蘭港湾施設群として土木学会推奨土木遺産に指定されています。

そこに竣工当時から設置されていた灯台が入江運動公園の敷地内に移設されています。
案内文があるので、書いていきましょう。


旧室蘭港北防波堤灯台

 この灯台は、昭和2年10月28日、第1期築港事業による
南北防波堤の完成とともに設置され、北防波堤で点灯しま
した。以来半世紀にわたって、内外の船の安全を見守り続
け、多くの市民に白灯台として親しまれて来ました。
 しかし、昭和59年6月13日、航路拡幅により撤去された
ため、かつて室蘭港の海側の玄関口に位置していた灯台を、
陸上側の玄関口である入江運動公園に電話ボックスとして
復元し、港の歴史を後世に伝えることとなりました。
 また、電話ボックスの内部には、NTTの協力により、
室蘭港の波の音・かもめの声なども流れるようになってお
り、防波堤上の灯台を体験することができます。


構造は鉄筋コンクリート造り、最大直径は約4mで高さは約10mです。
室蘭港の第1期工事だったのですね、それは貴重な構造物だ。

案内文では電話ボックスとなっていますが、現在は中に灰皿があり入口は閉鎖され入れませんでした。

現在の北防波堤灯台は1994年12月7日に点灯したものです。

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空知監獄署出張所の跡

2023-06-24 06:41:19 | 北海道の旅日記(道北、道南)

 

昨日の農作試験所事務所から環状線を富良野方面へ進むとすぐに神居交番(神居2-6)があります。
その交番の真ん前にあるのが「空知監獄署出張所の跡」の碑です。

碑文を読んでみましょう。


ここより東200Mの地(現美瑛川の中州)にあったといわれている。
明治22年から24年にわたり忠別太から網走口に通ずる北見道路開設の工事が行われたが
この工事に空知監獄署出張所の囚人が従事して文字どおりの苦役悪闘をしたと伝えられている。
上川開拓のうえで忘れることができな場所である。


空知監獄とは、1882年に三笠に置かれた監獄(刑務所)です。

設置された場所は現在の美瑛川の中州ということですが、これは昔は川筋が違っていたためで、
実際には当たり前ですが美瑛川の横に設置されたものでした。

ここに囚人たちが集められ、旭川から網走までの“北見道路”設置のために働かせました。

“北見道路”は一般的には『中央道路』と呼ばれ、過酷な労働環境により多数の犠牲者が出たことで知られています。
旭川から網走の間には犠牲になった囚人たちの霊を慰める慰霊碑が各地に残されています。

一番有名なのは北見市端野町緋牛内の『鎖塚』ですね。

その労務を担うために空知監獄の囚人たちが集められた旭川の出先がここにあったということです。

昨日のブログでは樺戸監獄(月形町)の出張所があったと書きましたがそちらは上川道路建設に、
こちらは空知監獄の出張所で中央道路の建設に従事したわけだ。

網走には網走監獄があり、こちらも道路建設で多大な犠牲者を出しています。

北海道の開拓期にはそういう負の歴史が各地にあったことは忘れてはいけませんね。

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上川郡農作試験所事務所棟(忠別太駅逓第一美英舎)

2023-06-23 06:06:36 | 北海道の旅日記(道北、道南)

 

この建物は北海道庁が農産試験所事務所として1886年に建設した、上川地方に現存する最古の建物です。
北海道内陸部開拓の拠点として上川地方が選定されたことで農業の適性を見極めるための試験所ですね。

視察などのために上川を訪れる方々のための宿泊施設にもなっていたようです。

さて上川地方開拓のために建設が始まったのが岩見沢ー旭川間の「上川道路」です。
この道路の建設のために樺戸監獄(監獄は今の刑務所)の囚人が動員されました。

そにためこの建物は1887年に樺戸監獄に移管され同忠別派出所事務所になり、
翌年にはここの一室に上川二等測候所が設置され電話も敷設されました。

1889年、忠別太駅逓第一美英舎として払い下げられ1903年の廃止に至るまで駅逓として活用されました。

 

 

岩見沢ー旭川間の駅逓である5つの『美英舎』については2か所まで、ブログに書いたことがありこれで3か所目だ。

第一美英舎  忠別太駅逓所(旭川市神居)
第二美英舎  音江法華駅逓所(深川市音江)
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/50df49689bf312756fc7e7d40fb33261
第三美英舎  空知太駅逓所(滝川市)
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/6e29d0aba32c520212a40aa2012ed2ac
第四美英舎  奈井江駅逓所(奈井江町)
第五美英舎  空知太駅逓所岩見沢出張所(岩見沢市)

駅逓廃止後は民間に払い下げられ一般住宅となっていましたが、
上川地方最古の建物として旭川市が文化財に指定し解体調査を実施した上で建築当初の姿に復元しました。

それほど貴重な建物なのですが、目立たねぇなぁ…。

住所は旭川市神居1条1丁目1-30、「すき家旭川神居店」の脇を奥に行ったところですがわかりにくいよ…。

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名寄町道路元標 … その現物は

2023-05-16 05:10:56 | 北海道の旅日記(道北、道南)

 

昨日からの続きです。

前置きが長くなりなりましたが、「名寄町道路元標」です。

設置されているのは名寄市西4条南4丁目、
国道40号線沿いの交差点でそばには焼肉トトリがあります。

碑銘には“名寄町”となっています。

名寄が“上名寄村”として剣淵外3カ村戸長役場の管轄に入ったのは明治32(1899)年、
明治35(1902)年に上名寄村、多寄村(共に現・名寄市)、下名寄村(現・美深町)が分離し上名寄に戸長役場設置。

明治42(1909)年に上名寄村が独立し、大正4(1915)年に町制施行により上名寄村から名寄町になりました。
名寄が市制を施行したのは昭和31(1956)です。

ちなみに多寄村(初代)は後の風連町で現在は名寄市となっています。

碑の裏には『昭和3年建設 北海道廰」とあります。
ということで昭和3年の名寄は“市”ではなく“町”だった。

これは再建やレプリカではなく、建設当時の現物だと思われます。
それも、建設当時の場所にそのまま置かれているはず。

昭和3年は1928年、今年で95年か。
ずっとこのまま残ってほしいな。

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名寄町道路元標 … 道路の「元標」とは?

2023-05-15 05:25:22 | 北海道の旅日記(道北、道南)

日本各地に、道路の起点となる地点を記した“元標”があります。

最初に定められたのは明治6(1873)年、太政官布告により定められた「里程元標(りていげんぴょう)」で、
各府県に置かれました。

北海道の「里程元標」の記念碑は創成川公園の南1条にあります。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/2b6d421851769d3b28db8453a5def0e5

大正8(1919)年には旧道路法により、各市町村に「道路元標(どうろげんぴょう)」を置くことが定められました。
大正11(1922)年には道路元標の形状、規格、材料などの詳細が決められています。

縦横25㎝、高さ約63㎝の直方体、頂部が弧を描き材質は花崗岩が多かったようですが、
各地様々な形状や材質のものがあったようです。

札幌市の「道路元標」は赤レンガ正門前にありますが、これは1982年に再建されたものです。

また日本で一番有名な「道路元標」は東京の日本橋にあります。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/22532bb6ffd8c885794921444e98d74e

東京の、ではなく『日本国道路元標』とされているところが日本橋たる所以ですね。

ということで道路の“元標”は設置された時代によって2種類ある、ということになります。

大正時代に定めまれた「道路元標」は現物や復元、レプリカを含め全国各地に残っています。
何しろ当時は、全国で1万2千以上の自治体があったのですから。

今の自治体数は北方領土を除き1,718なので雲泥の差だ。

続く

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奉安殿(士別市)

2023-05-14 05:34:57 | 北海道の旅日記(道北、道南)

 

「奉安殿」とは戦前に天皇と皇后の写真(御真影、といいます)と教育勅語を納めていた建物です。

簡単に書きましたが当時の奉安殿は絶対的な存在で、
登下校時や前を通るときは最敬礼をしなければならないなど、
今では考えられないようなことがいろいろありました。

さて士別市の奉安殿は昨日紹介した屯田兵屋の横にあります。

大正4(1915)年、旧川南小学校に設置されたもので、
昭和23(1948)年からは成美二十区神社の社殿として利用されました。

その他、詳しくは現地の案内板をご覧ください。

 

 

尚、奉安殿は全国各地に残っており調べればいろいろ出てきます。
我が家の近くでは琴似神社境内に、琴似小学校で使われたいたものがあります。

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