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奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

稚内・市内散歩 … 旅館 似木似(いこい)

2024-05-21 05:47:22 | 北海道の旅日記(道北、道南)

稚内のお宿事情は5月~10月のオンシーズンとそれ以外のオフシーズンでは全く違います。
オンシーズンとオフシーズン、月の境の1日で宿泊料金が全く違ってしまい、混雑状況もこれまた段違い。

オンシーズンの半年で1年分の稼ぎをしなければいけないのでこれは仕方ないのは承知しています。
私が最近、稚内で定宿にしていたお宿もオフシーズンの倍以上したしな。

そのシーズンの境目、私が稚内に宿をとったのは5月2日でした。
今年の曜日の配列のこの微妙な一日、その隙をついてお宿を予約しました。

いろいろな要素がありこのお宿に決めたのですが、それを書いていくとキリがないので省略。

お宿の場所は稚内駅から徒歩10分ほど、要は街中の便利な場所にあるということ。
私は車なので立地は関係ないのですが、街中の便利なところにあるのは何かと助かります。

お宿は2階建て、1階はフロントや食堂、浴室などがあります。
2階はアウトバス・トイレの10部屋が廊下の両側に並んでいます。

普段は商用客で賑わっているのであろう、観光シーズンも混みあっているに違いない。
その隙をついてこの日に予約した私、その選択眼は間違いなかったらしい。

細かいことは申し上げませんが、ゆっくりと過ごすことができました。

これはひたすら、お宿の主の人柄にもよります。
ちょっとした会話の中に、人柄がにじんでいました。

このお宿、個人的には馴染むなぁ…。

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稚内・市内散歩 … 日本最北のマクドナルド(40号稚内店)

2024-05-20 05:03:24 | 北海道の旅日記(道北、道南)

稚内にあれば何でも『日本最北』なのです。
何事にも例外はあるのですが。

牛丼屋は「すき家40号稚内大黒店」、駅は稚内駅、コンビニは「セイコーマートとみいそ店」、
ファミレスは「ヴィクトリアステーション稚内店」(ペリカンはもっと北)など、
稚内にあれば何でも日本最北端なのです。

その最北端でも、あの世界のマクドナルドともなると観光名所になります。

稚内周辺の観光WEBサイトにも観光スポットとして紹介されています。
    → https://www.north-hokkaido.com/spot/detail_1063.html

このお店はいろいろな方が取り上げているのでご存じの方も多いでしょう、
敷地の中に日本最北端店舗のモニュメントがあり、ベンチにはドナルドが座っています。

春の大型連休の最中、お店はお客様で賑わっていました。
日本最北端の地に進出したマクドナルドも満足だろうて。

お店の開店は2009年11月28日、それまでの最北の店舗だった「イオン名寄店」から166㎞、
最北端の店舗の記録を大幅に更新しました。
そしてその名寄と稚内の間に今もマクドナルドは存在しません。

食材の配送はどうなっているのか、どう採算に乗せているのか。

店舗が存続しているということは採算が取れているということなのでしょうが、
私はそのノウハウが気になって仕方ありませんでした。

誰か、教えてくれ。

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稚内・市内散歩 … 稚内地名発祥の地

2024-05-19 06:07:33 | 北海道の旅日記(道北、道南)

稚内の地名はアイヌ語の「ヤム・ワッカ・ナイ」が語源になっています。
意味は“冷たい水の出る沢(川)”です。

伝聞によると古来稚内は質のいい水が得にくい土地場所だったのですが、
港に流れる川からいい水が得られたことから名がついたとされています。

物語としてはこれで終わりで、その川が実際にどこにあったのかなど詳細は不明です。
少なくても私が調べた限りではここという場所は見当たりません。

地名が付けられたのはアイヌ文化時代のはるか昔なので正確な場所の特定は無理だろうに。

港1丁目に真言寺という寺院があります。
この境内「稚内地名発祥の地」の看板があります。

この寺院の横に流れる川が稚内の語源になった川なのだという。
この川は1年中枯れることなく流れていたのだそうです(FMわっぴ~より)。

事の真偽はともかく、ここが稚内地名の発祥ということで納得しましょう。

稚内は後背地が狭く、大きな川がありません。
小河川がいくつも流れているのですが、枯れ川も多いらしい。

その中で1年を通して枯れることなく流れる川は重宝したのでしょう。
そういう川が何本かあったものと思われます。

それらを総称して「ヤム・ワッカ・ナイ」と呼んでいて、
その中の1本の川がここだったと推測しています。

ネットで地図を見てそう感じました。
あくまでも、推測なので悪しからず。

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札幌から稚内まで、オロロンライン北上旅 … 抜海駅

2024-05-16 05:23:49 | 北海道の旅日記(道北、道南)

毎年、廃止だ存続だと話題になっている日本最北の木造駅です。
私は車窓から見ることはありましたが、実際に訪問するのは初めて。

開業は1924年、現在の駅舎は1940年に建てられたもので鉄板ぶき切り妻屋根、
厳しい自然環境の中何度も改修され今に至っています。

特に駅正面、日本海側は厳しい風雪に耐えられるように改修され、
ホーム側とは全く違う表情となっています。

駅舎の中に入ると待合室を挟み入口とホームの間にそれぞれ風除室が設けられています。
これは冬季の地吹雪に備えた、抜海駅ならではの工夫です。

ホームは相対式ホーム2面2線、稚内駅行は1番ホーム、幌延方面は2番ホームを使っていますが、
今年9月に運行管理システムの更新により2番線の使用を停止する予定です。

今現在、当駅で列車の行き違いもないですし1線スルー化によって除雪費も節約できるな。

駅周辺は広大な牧草地が広がるばかりで民家はわずか、抜海市街地は2㎞程離れた海岸沿いにあります。
現在の駅の利用者は2012年では1日2人となっています。

今は稚内市が維持費を担う自治体管理駅、それも今年度限りになるのか。
本当に来年廃止になるのかな?

※オロロンライン北上旅はこれで終わります

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札幌から稚内まで、オロロンライン北上旅 … 日本最北の水田

2024-05-14 05:48:46 | 北海道の旅日記(道北、道南)

こんなところに水田が?
そうなんです、こんな北にも水田があり、そこが日本最北の水田耕作地になっています。

遠別市街地から北上すること数分、国道と道道119号線が分岐する手前700mにこの看板があります。
実際の最北の水田はさすがに海岸沿いではなく、道道を内陸に進んだ場所になります。

作付けされているのは「はくちょうもち」をはじめとしたもち米です。
かつてはうるち米を栽培していましたが、1982年にもち米に転換しました。

名寄市風連ももち米の産地として有名ですが、もち米は冷涼な地でもすくすく育つらしい。

ここで水田経営が成り立つ理由はいくつかありますが、一番の要因は対馬海流が流れていること。

太平洋のはるか南に源流を持つ暖流は日本列島で南北に分かれます。
南に流れた海流は黒潮(日本暖流)となり太平洋に流れます。
北に分かれた海流は対馬海流となり日本海を北上し、宗谷海峡を回り込んでオホーツク海に達します。

最近はオホーツク沿岸でブリが獲れていますが、これは対馬海流によって運ばれてきたものです。
遠別町はこの対馬海流のおかげで穏やかな気候になり、水田が成り立っているのです。

作付面積は2014年に発行された町政要覧によるとナント450ヘクタール。

オロロンラインを走っているとわかりませんが、遠別町は天塩山地の北部に位置し、
内陸部は農業に適した耕作地が広がっている地域であるとわかります。

町には農業高校もあるくらいだからな。

そんな遠別町の一端がわかる、国道沿いの何気ない看板についてでした。

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札幌から稚内まで、オロロンライン北上旅 … 天登雁村鬼鹿村發祥之地・碑

2024-05-11 05:44:36 | 北海道の旅日記(道北、道南)

今日は小平町の北部の歴史について。

1880年、番屋の沢に鬼鹿村と天登雁村の戸長役場が設置されました。

場所は旧花田家番屋を少し北上したところ、番屋沢川という小河川の河口南口にあります。
「金子漁業部」という会社が目印、その前に建っています。

1880年、この地に天登雁(てんとかり)村・鬼鹿村両村戸長役場が設置されました。

村は2つに分かれていますが実際は一体として運営されていたようで、
1906年には天登雁村が廃され鬼鹿村に併合されています。

戸長役場は1884年、番屋の沢からその後に発展した鬼鹿に移転されています。

行政の中心としては、狭隘な番屋の沢より平坦な鬼鹿が良かったのでしょう。
鬼鹿はその地形により、市街地としても発展したであろう。

その鬼鹿村は昨日のブログの通り、1956年に小平村に編入されています。

小平町は南部は留萌町から分離独立し小平村として成立、
北部は最初から独立した自治体としてあったものの諸事情により小平村に編入された。

自治体としては留萌から離れた鬼鹿地区が早くに独立した。
しかし様々な理由により、現在の中心地はかつては留萌町の一部だった今の小平市街地になった。

これは炭鉱の歴史も辿ると、いろいろな物語がありそうですね。
今回はこれ以上探求しませんが。

※昨日もそうでしたが、碑の「撥」の字が違うんだよなぁ…

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札幌から稚内まで、オロロンライン北上旅 … 小平蘂村發祥之地・碑

2024-05-10 05:56:55 | 北海道の旅日記(道北、道南)

留萌市のすぐ北、小平町は小平市街地と臼谷地区を中心とする南側と、
旧花田家番屋を含む北側の鬼鹿地区はに分かれます。

廃止された羽幌線を走破していた急行「はぼろ」も小平駅と鬼鹿駅に停車していました。
今回はその南側の、小平市街地と臼谷地区を含む旧小平蕊村のお話です。

この地区は元々、留萌町(現・留萌市)の一部でしたが、
1919年に分離独立し「小平蘂(おびらしべ)村」となりました。

最初に役場が置かれたのは臼谷地区で、そこに「小平蕊村發祥之地」の碑が建てられています。
所在地は廃止になった羽幌線臼谷駅跡で、「おびらしべ記念公園」として整備されています。

国道より山側にありますが、この公園は元は鉄道跡地ということでその場所はすぐわかります。
その公園の中に建つのがこの碑です。

小平蘂村の役場は1924年に現在の小平市街地に移転、1948年に村名を小平村に改称します。
そして1956年に鬼鹿村(明日、ご説明します)が小平村に編入され今に至ります。

小平村が町政を施行したのは1966年です。

小平町に関し調べた限り、これで合っていると思うのですがどうなのかな。
もちろんこれは概略で詳細は省いたところもあるのですが。

そうですか、今の小平町南部は留萌の一部でそこから独立したのですね。

明日は小平町北部のお話です。

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札幌から稚内まで、オロロンライン北上旅 … 増毛町道路元標

2024-05-09 06:24:41 | 北海道の旅日記(道北、道南)

「増毛町道路元標」、設置場所は役場の横、厳島神社の一角にあります。

裏には「昭和三年建〇 北海道〇」とあり、最後の文字が埋没しています。
他の道路元標を参考にすると「昭和三年建設 北海道廰」となります。

増毛町に戸長役場(増毛村)が置かれたのは1874年、1900年に増毛町になり、
道路元標が建てられたのが1928年(昭和3年)になります。

増毛は古くから栄えていただけあって町制施行が早い。

それにしても、1文字分とはいえ埋もれているとは残念ですね。
誰か掘り起こしてきちんと保存してくれないだろうか。

その場合は、場所は移してはダメだぞ。

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札幌から稚内まで、オロロンライン北上旅 … はじめに

2024-05-08 05:29:02 | 北海道の旅日記(道北、道南)

5月2日~3日、お出かけしておりました。

2日は札幌を出て天塩までは国道231号線をまっすぐ北上、
天塩からは道道106号線と254号線を走り稚内に入りました。

要は海岸線に忠実にノシャップ岬まで北上し、宗谷湾を回り込み稚内市街地に行ったのです。

北海道の中でも天塩から先の風景はここにしかないものです。

宗谷丘陵を代表するのは周氷河地形、サロベツ湿原と海岸沿いに伸びる砂丘、
風力発電の風車、豊富牛乳に代表される広大な牧場、海に浮かぶ利尻富士など…。

風景は広大過ぎてスマホの写真ではそのすごさがよくわからないのが難点だな。

そしてそこに暮らす人々の暮らし。

宗谷は江戸時代以前から宗谷海峡を挟んで樺太やシベリアとの交易の拠点でもありました。
また南下するロシアに対抗する最前線の防衛基地であり、国境の街でもあります。

稚内や宗谷地方はいろいろな顔を持つ魅力的な地なのです。

今回はそういうところを見て回ろうということで行ってきました。
短い時間でしたが、明日からそのレポートをお届けします。

まずは休憩で立ち寄った増毛から。

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「龍乃湯温泉」、31日で閉館

2024-03-29 05:53:07 | 北海道の旅日記(道北、道南)


旭川の「龍乃湯温泉」が3月31日で閉館します。

私は去年12月にこのお宿に泊まりました。
その時のブログはコチラ。
    → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/dfff89b0b15f49ada6a2ad161565afa9#comment-list

初めて泊まったのは去年でしたが、それ以前に日帰りでお世話になったことがありました。
それ以来、いつか泊ってみたいと思っていたのですが、その念願がかなったが去年でした。

建物は古いとはいえ、館内は清潔で暖かかった。
温泉も茶色でいかにもの風情があるいい温泉、そのお宿がなくなってしまうのか。

去年のブログでも書きましたが、ここは2015年にも突然閉館、
その後いつの間にかしれっと営業を再開したということがありました。

今回の閉館の報せもその類かと思いましたが、どうやら再開はなさそうです。
閉館の理由が施設の維持が難しくなったということなので、今の時代では仕方ないかな。

何しろ様々なコストアップがしているので、この先も維持するのは難しかろう。
復活するとすればどこぞのデベロッパーが買い取り再建するときだけであろうな。

旭川市内では希少な天然の泉源、その可能性はなくはない。

まぁね、このままなくなっても仕方ないよ。
去年12月にお泊りできたことだけでも、幸せなことでした。

ありがとうございました。
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