goo blog サービス終了のお知らせ 

奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

ぐるり亀田半島、一周の旅 … 恵山岬公園

2024-06-09 05:29:49 | 北海道の旅日記(道北、道南)

水無海浜温泉から少し戻ると恵山岬公園があります。

背後にそびえる山は恵山、山の麓にはホテル恵風(ケイプ)があり、
海のそばには恵山岬灯台がそびえ立っています。

恵山と恵山岬灯台はフェリーの上から何度も見ています。

一番間近で見ることができるのは青森発室蘭行のフェリーで、
恵山と灯台、海沿いの厳しい地形がはっきりと見えます。

また夜も時期によっては無数の漁船の漁火とその先に見える灯台の光が美しい。
今回はそんな恵山と灯台を目の前にしています。

あいにくの天気で恵山はほとんど雲の中でしたが、晴れていたら海と山の絶景が見られるのであろうな。

ところで恵山は活火山、有史以来も被害を出す噴火をしています。
山頂付近では山肌が露出し噴気もあげています。

そのおかげで周辺には数多くの温泉が湧きだしています。
山の中の一軒宿もあちこちにありますし無人の共同浴場みたいなところも何か所か。

次に函館で泊まることがあれば恵山周辺も面白そうだなと思っています。
実は今回も、この周辺のお宿に泊まることも検討したのですが事情により断念したのだ。

ネットで検索してもなかなか出てこないので難易度は高いのですが、
チャレンジしてみる価値はありそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぐるり亀田半島、一周の旅 … 水無海浜温泉

2024-06-08 06:12:07 | 北海道の旅日記(道北、道南)

函館市街地を出て旧戸井町、旧恵山町を通り、旧椴法華村までやって来ました。
車窓から見える海は津軽海峡から太平洋に変わりました。

ここでは国道から離れ、道道231号線とその先につながる635号線の、その最先端まで行きました。
海岸に沿って形成されている集落を縫うように走り人家が途切れたその先のどん詰まりまで行きついた。

集落が途切れた先に車を走らせるのは勇気がいるぞ。
何しろ道は急に細くなりアップダウンもきつく、先に行くのが不安になるのですから。

その行きついた先にあるのが「水無海浜温泉」です。

太平洋にむき出しになった天然の露天風呂、真下から恵山の熱源による温泉が湧き出ています。
満潮になれば水没し干潮になれば入浴できるという自然任せの温泉です。

近くに男女別の脱衣所がありますが、そこを出れば混浴だ。

私はここを小学生の時から知っていました。
それ以来、行ってみたいものだと思っていたが、その思いが今叶いました。
さすがに5月中旬では、湯に浸かろうとは思いませんでしたが。

夏であれば、物好きなライダーなどが来るのであろうな。

さて私が一番驚いたのは、このどん詰まりのところに数軒の民家があったこと。
旧椴法華村の市街地から途切れることしばらく先の何もない地に生活の拠点がある方がいる。

目の前に海があるということは豊かな土地ということなのか。
海の恵みとは、何たることか。

これは農業が盛んな地域とは違う景色、いつも羨ましいと思っています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぐるり亀田半島、一周の旅 … 日浦洞門

2024-06-07 04:58:06 | 北海道の旅日記(道北、道南)

亀田半島の海岸沿いはすぐ背後に山が迫り、山と海とのわずかな平地に人家があります。
その平地が少し広ければ市街地が形成され、その地域の中心となる。

今は難しい地形であればバイパスやトンネルでスルーするのですが、
土木技術の未熟な昔は地形の険しい海岸沿いに道を拓くしかなかったのです。

函館市街地から亀田半島に向かう国道278号線を進み戸井市街地を過ぎると日浦の集落があります。
その日浦を過ぎるとバイパスのサンタロトンネルがありますが、そこに入らず海岸沿いの旧道へ行く。

そこは道道41号線(函館恵山線)で、トンネルとの分岐点からしばらく先は車1台が通れるくらいの細道が続きます。
そして先人たちが素掘りで堀抜いたという7つのトンネルが連続してあり、日浦洞門と呼ばれています。

この先を進んでいくと何があるのかという細い道、待避所はありますが車同士がすれ違うことができない区間も相当ある。
トンネルは素掘りなので車が1台通るだけの幅しかありません。

この細い道が旧国道で、今でも人家のないサンタロトンネルを避けて集落のあるこの道を路線バスが走る。
ここを走っているときに向こうから路線バスが走ってきたら緊張するなぁ…。

海岸沿いの厳しい地形を過ぎると平地があり、市街地が形成されています。

直前の厳しい地形と市街地に入ってからの落差が激しい。
だからこそ、どんな無理をしてでもここに函館からの陸路を拓くことが必要だったのですね。

ちなみに開通は1929年、その前はどうしていたのやら…。

ところでサンタロトンネル(1985年開通)ができる前、この道が国道だったころはどんな様子だったのやら。
こんな狭い道がメインルートだったのですから、さぞやねぇ…。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぐるり亀田半島、一周の旅 … 旧戸井線アーチ橋

2024-06-06 05:06:56 | 北海道の旅日記(道北、道南)

函館市の旧戸井町にある汐首岬と対岸の大間の間は北海道と本州が最も近い場所。
晴れていればここから対岸の大間の街並みが見えるらしい。

観光的にはそれでいいのですが、軍事的視点から見るとここは弱点となります。
外国の艦船などが津軽海峡を自由に航行することは許されないのある。

それでこの地に要塞を築くことになりました。

その要塞への物資と要員輸送のために1936年に建設が始まったのが戸井線で、
戦時中の物資不足のために工事は1943年に中断しました。

計画されたのは五稜郭ー戸井間の29.2㎞。
このように計画されたが完成しなかった鉄道路線は未成線といいます。

五稜郭駅からの路盤はほぼ完成したとされており、それは今でも見ることができます。
その中で一番有名な遺構が汐首岬灯台近くにあるアーチ橋です。

私は今まで、画像で見たことはありましたが現地に行ってその大きさに驚いた。
国道のすぐ上、この大きさは確かに画像だけでは想像できない。

“こりゃぁ凄い”というのが素直な感想です。
見ることができて良かった。

これを見た後、戸井市街地まで車を走らせていると途中に戸井線の遺構がいくつも見えました。
トンネルやアーチ橋がいくつも確認できました。

そうか、本当に完成間近だったのだな。
完成していれば風光明媚な路線として話題になったでしょうに。

もし開通したとしたら、今は“廃線跡”で同じ風景を見ていたでしょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぐるり亀田半島、一周の旅 … 土方歳三最期の地碑

2024-06-05 05:13:51 | 北海道の旅日記(道北、道南)

新選組副長、函館で成立した蝦夷共和国では陸軍奉行並、
戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争で戦死した土方歳三。

1869年5月11日(新暦の6月20日)、箱館を包囲した新政府軍が総攻撃を開始、
土方歳三は旧幕府軍を率い五稜郭を出発、一本木関門付近で新政府軍の銃弾に倒れた。

その最期の地がここ、と言われています。
諸説あるのですが、この辺りが有力らしい。

“一本木関門”はこの近辺にあったのは本当らしいのですが、さて。

場所は若松緑地公園内(若松町33-6)、函館市総合福祉センター(あいよる21)の前です。
函館駅からは歩いて10分ほどのところになります。

土方歳三は新選組の有名人、ファンも多く来歴など詳しい方もいらっしゃるに違いない。
なので私なんぞが土方について詳しく解説することは控えます。

土方を題材とした小説やドラマなども多数あるしな。

またハンサムだったと言われており、女性人気が高い。
私が訪れたときも二人の若い女性が土方を偲んで来ていました。

道南には日本海側も太平洋側も、箱館戦争に縁のある地が各所にあります。
五稜郭は旧幕府軍の本営になりましたし、木古内沖では咸臨丸が沈没しました。

箱館戦争は開戦から終戦までの経緯も詳しくわかっています。
その全部を辿る旅、というのも面白そうですが専門外の私にはできないなぁ…。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぐるり亀田半島、一周の旅 … はじめに

2024-06-01 05:00:18 | 北海道の旅日記(道北、道南)

昨日まで道北の旅日記を書いていたばかりなのですが、
今日から道南を旅した時の旅行記を書いていきます。

渡島・檜山地方は両地区合わせて渡島半島に立地しています。
その渡島半島の先端は更に、函館市街地を境に西が松島半島、東は亀田半島と呼ばれます。

亀田半島は地理的には森町から函館市街地辺りまで、
駒ヶ岳や恵山、横津岳の山岳地帯が中心になりますが、函館平野では農業が盛んです。

また湯の川温泉をはじめとして温泉も各所にあります。

5月12日~13日、函館に行ったついでにその亀田半島を一周してきました。

海岸沿いにぐるり一周したのですが、とにかく風光明媚な海岸線がどこまでも続く。
そこに住む人の営み、漁業を中心とした産業、温泉、産業遺産などを見て回ろう。

事前にある程度の下調べはしていきましたが、
細かいことは行ってから考えるとしましょう。

さて札幌を出てから長万部で休憩、その後最初に立ち寄ったのは…。

明日から、旅行記が始まります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稚内から名寄まで、国道40号線南下旅 … 最後に、『抜海』全部出し

2024-05-31 05:07:58 | 北海道の旅日記(道北、道南)

美深を出てからは国道40号線を名寄まで南下し下川、西興部を経由し滝上まで行きました。
名寄から先は国道40号線南下旅ではなくなるので旅行記は昨日で終わりです。

最後に、『抜海」を全部出しします。

『抜海』は独立した村でしたが稚内と併合し稚内の一部になりました。
その名残が今も“抜海村”として地名になって残っています。

その『抜海』の語源は「パッカイ・ペ」(子を背負う・もの)で、
抜海市街地の南外れにある抜海岩に由来します。

大きな岩が小岩を背負うような形をした岩です。
この岩の下には海食小洞窟があり、オホーツク文化初期の「抜海岩陰遺跡」もあります。

あとは抜海駅の本編でアップしなかった抜海駅の画像をどうぞ。

これで稚内から名寄まで、「国道40号線南下旅」は終わります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稚内から名寄まで、国道40号線南下旅 … 北海道命名之地

2024-05-25 05:26:04 | 北海道の旅日記(道北、道南)

北海道は江戸時代まで、「蝦夷」と呼ばれていました。
幕府から見ると辺境の未開の地、ですね。

ロシアの南下により、これではだめだということで明治政府になってから、
様々なことを端折って結論だけ言うとこの地は「北海道」となりました。

なぜ「北海道」という名になったかというと、そこには松浦武四郎が関係してきます。

松浦武四郎が天塩川沿いを探検、音威子府村筬島の鬼刺辺川付近で野営中、
アイヌの古老にアイヌ語の“カイ”は「この国で生まれた者」という意味だと教えてもらった。

このことは「天塩日誌」に記録されています。

これにより松浦武四郎は蝦夷の新しい名前を「北加伊道」とし、
そこから「北海道」という名前に決まりました。

もっといろいろな経緯があるのですが、再び端折るとこうなります。

松浦武四郎が野営した地がこの辺りになります。

ここの詳細な場所は各々お調べいただくとして、よくぞこんなところに建立したものだという立地。
国道から天塩川に向かって細い道を下ること500m、ここに来るということだけでも難易度が高い。

“北海道命名之地”という歴史的な場所であるというより、
なんでわざわざここかという疑問の方が大きくなる場所です。

天塩川が増水するたびに浸水しているのではないか。
史実に忠実なだけが正しいものではなかろうに。

それはそれで面白い、ですが。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稚内から名寄まで、国道40号線南下旅 … 北緯45度通過点

2024-05-23 05:56:49 | 北海道の旅日記(道北、道南)

北緯45度は赤道と北極の中間点(実際はやや北)、日本では幌延、浜頓別、中頓別、枝幸の各町を通過します。

幌延町には45度の緯度線を通る道路の何か所かに「北緯45度通過点」の看板などがあります。
一番有名なのは前日も通った道道106号線のモニュメントです。

私が今回北緯45度を跨いだのは幌延市街地から国道40号線へ向かう途中の道道121号線、
「萌える天北オロロンルート」と名付けられています。

言った者勝ちとはこのことだね。

看板は道の両側に設置されています。
そうですか、ここが北緯45度ですか。

日本で幌延町というとかなり北に位置すると思いますが、
ヨーロッパだとフランス、イタリア、黒海などを通過しています。

イギリスはもっと北、ロンドンは北緯51度ほどになります。
今年オリンピックが行われるパリも北緯48度ほどで稚内より北にあります。

海流の影響でヨーロッパは日本より暖かいのですが、こんなに違うのですね。

幌延に行った際には日本とヨーロッパ差を感じながら通過してくださいね。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稚内から名寄まで、国道40号線南下旅 … 宮の台展望台

2024-05-22 05:45:09 | 北海道の旅日記(道北、道南)

ここからは稚内を出て名寄までひたすら国道40号線を南下していきます。

稚内から行くと豊富市街地の手前、2021年に廃止になった徳満駅の辺りから細い道を丘に上ります。
道の途中にサロベツ原野が一望できる展望台があります。

国道に看板が出ているので入口はわかると思います。

サロベツ原野は東西8㎞、南北27㎞、面積は約2万ヘクタール、要は“広い”のである。
これだけ広いと湿原の中に入ってしまうと何が何だかよくわからなくなります。

湿原全部とは言いませんが、その全容を見たいと思い訪れたのがここです。

残念ながら、前日に続き天気があまりよくない。

晴れていれば広大な牧場の向こうに原野が広がり兜沼なども見え、
砂丘の向こうに日本海と利尻山も見えるはずなのですが…。

普段の行いが悪いとこうなるという見本ですね。

とはいえ、サロベツ原野の雄大な景色は堪能できます。
次は是非晴れたときに…。

尚、展望台の開放期間は5月~9月となります。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする